はてなキーワード: 埋立地とは
今気象庁で詳細な情報を発表していて、震源地は大阪府茨木市の南東側、JR総持寺駅や茨木駅の市街地のある一帯。
当初の地震規模はマグニチュード5.9だったけど、6.1に修正された。
震度6弱の範囲は大阪市北区、高槻市、茨木市、枚方市、箕面市。大阪市北区については、あそこは元々地盤の弱い埋立地なので、本来は震度5強程度の揺れが6弱に増幅されたものと思われる。
今回地震のあった大阪北部は、1995年に起きた阪神大震災でも震度5強の強震に襲われた経験があるから、地震に強い街づくりをやっていたおかげか、家屋の倒壊などの被害は震度の割には大きくないのは幸いだったようだね。
ヤフーの産経ニュースによると、「有馬高槻断層の南端と上町断層の北端がクロスするあたりが震源と思われる」とのこと。
大阪平野や神戸市街地の縁に広がっている六甲山地や千里丘陵、北摂山地は断層運動によって生まれた地盤の圧縮帯なので、というよりは断層運動によって山そのものが出来た場所なので、元々地震の多い場所なのかもしれない。
高槻や枚方は、江戸時代から大坂と京都を結ぶ京街道の宿場町であり、現在は大阪のベッドタウンとして住宅化された地域。前述のように江戸時代から続く宿場町だったので、ベッドタウンの割には市内を通る道路の道幅が狭く、古い住宅が建ち並ぶエリア。火災の初期消火に失敗すると、延焼する危険性がある。
不謹慎な言い方かもしれないが、震源地が大阪都心部や堺市のような人口密集地帯で無かったのは不幸中の幸いだった。震源地がさらに大阪都心に近い場所で、M6.1だと更に被害が大きかった可能性がある。
プ: 日露の潜在力を考えると、投資額は少ない
安: 今回の日露首脳会談の議題は、北朝鮮問題と領土問題で…これ以上の金は…
プ: …払えねぇって?…お前それ払えなかったらどうなるかわかった上で言ってんのか?
ヒィッ
部下: 奴ら返事もしません。これは憶測ですがこいつらすでに裏で繋がってるのでは?
河: …ッ!! 仕方がない。BBCに出て英語インタビューで圧力と国防能力の必要性に理解を求めよう
プ: 単独でどうにかするってお前ら単独で俺らをどうにかできんのか?
ヒィッ
プ:南シナ海埋立地にH-6K爆撃機着陸させたって、これで俺らASEANだけでなくアメリカも敵に回しちまったな
習: いいじゃん別に。勝ってるんだし
プ: それもそうだな。ハハハハハ
ヒィッ
習: まいいか。どうせこいつは死んでもいいやつだし
ヒイッ
条件がぐちゃぐちゃしているのでユースケースを一つ作る。
「Aは親であるBと遠くはなれて住んでいる。様子を見に行くのも飛行機を使うため、気軽に帰省する訳には行かない。Bは高齢のためここ数年、急激に運転がおぼつかなくなってきた。軽い認知症が始まっている。車を降りることを薦めても『心配しなくていい』を繰り返すだけで、話を聞かない。後期高齢者保険の話をしても嫌な顔をするだけ。ヘルパーを入れることも拒む。説得を続けると『疲れた』といって引っ込む。高齢者の運転事故の話が話題になっており、心配だ」
多分日本中に掃いて捨てるほどあるユースケース。本当に掃いて捨てたら大阪の海が悲しい色に染まるどころか広大な埋立地ができるだろう。
さて、BはAの言うことをまったく聞かない。一方でBの運転能力は日増しに低下している。ここで何ができるか。現実的選択肢は以下のとおり。
最初の選択肢はAが逮捕される。2番目の選択肢を取る人は一定数いる。その後再就職できずに低所得層に転落する悲劇が量産されているが、報道はめったにされない。最後の選択肢を現実解として選択する人は多いだろう。
最後の選択肢を選んだ場合で、かつBが誰もひき殺さなかった場合、現実に起きるのは次のような事態になる。
Bは脳機能の衰えにより、自分の車がどうなったかを正常に判断できなくなる。車を捨てるのはこのときしかない。しかしながら、同時にBは徘徊等をはじめており、この時点で付きっきりの監視が必要になる。
Bはヘルパーを拒んでいたため、遠隔地からAがBの世話を頼める人はいない。「徘徊しているお父さんを保護しました」という警察からの電話に、予定をすべてキャンセルし、会社に頭を下げて(割安航空券を使わずに)あわてて帰省することになる。
長期休暇は取れない。ここでどうやって車を捨てればよいか。
普段意識していないが、会話で「廃車」というときには上の二つの意味を両方含んでいる。
この二つを短時間にできるだろうか。
スクラップ処分はできる。近所に業者がいるならば、自走していって車検証と自分の身分証を見せるだけで廃棄してくれる。所有者の同意書、委任状などは不要(業者に確認することを推奨)。
問題は法的な廃車のほうだ。
この二つがあればいい。さてここで問題。Aの言うことをまったく聞かなかったBは、Aに登録印の保管場所を教えてくれるだろうか。
教えてくれているなら幸い。とにもかくにもすぐに廃車処理すべきだ。(来年の納税までに捨てればいい)などというのは間違いだ。なにしろ、
Bが自活能力を失ったからAの元に引き取る。あるいはAの居住地の近所の施設に入れる場合、当然住民票を移動することになる。
ところが、印鑑登録の再登録には本人自筆の委任状が必要となる。委任状を書けるくらいなら運転の心配などあるわけないっつーの。そもそも、委任状を書ける状態ではBはAに同意しない。
この点に関して、役所は一切助けてくれない。結局、この状態になると選択肢は二つ。
偽造が発覚した場合、たぶん書類送検される。裁判で争うのも一興だろう。ツイッターで炎上させてメディアを巻き込む。うまくするとゴーストライターが適当な感動ポルノ本を書いてくれる。印税で買ったワインを飲みながら、すでに知的な話をできなくなったBの耳元に「あんたのおかげで大もうけできたよ」とささやくと、テレビドラマ的で素敵だと思う。
重量税を払わない方法もある。払わないと警察が来るので「この人が脱税しました」と、Bを突き出すのだ。嘘ではない。安全な運転と納税は所有者であるBの義務だ。うまくするとBはお上が面倒を見てくれる(ないない)。
成年後見人は一番まともな方法だ。成年後見人になれば、Bの代わりに印鑑を登録し、廃車することができる。が、認定されるまで数ヶ月かかるという、お役所仕事なので年明けにスクラップにしたなどという場合はあきらめるしかない。
かくのごとく、親の車を捨てるとは面倒な事である。
当然だが、ここに延々と書いた面倒な話とは別に「老いの準備を一切しなかった親を引き取る」という大変な事態が同時に発生する。
子供が憎い、子供を少しでも苦しめたい。そう思っている方には『心配しなくていい。俺は大丈夫だ』と言い続けることをお勧めする。効果は絶大である。
海神区は発展を遂げた。もちろん、住民は増えない。こんな場所に住んでも幼稚園も小学校もないし病院もないし、その辺は東京都にくっついているわけで、隣接する江戸川区におんぶにだっこである。江戸川区には屋内型温水プールもあるのだ。高校生以上は210円で入れるよ。しかしそうではなく、複合ビルに住所を移す企業が増えたのである。一流企業こそ動かなかったが、中堅規模の企業や、新興ベンチャーのいくつかがN氏の交渉力もあって地所を移してくれたのだ。
第二の転機は、そうして移転した企業のひとつに、総合メディア商社トラメイトが含まれていたことからはじまった。
このころ海神区は寄付の半額をお米券などでお返事していたのだが、当然ながらこんな埋立地でお米などとれるわけではないのである。お米券は全国共用のお米が買えるチケットだが、これは海神区が区の予算で購入していたのだ。
しかし、移転してきた企業からは様々な提案があった。おかえしは海神区の特産であるところの私の企業の製品で送り返しませんか? というものである。
あたりまえだ。彼らはそういう接触を求めて本社の位置を変更したのだから。
N氏もこれに答えて「お返しが選べる海神区のふるさと納税」システムを構築。Amazonの欲しいものリストのように選べるお土産は海神区の新しい顔になっていた。
いわく
「大規模なものです」
効果は一瞬で現れた。
ふるさと納税は、納税ではなくなった。いやまあ、言葉は納税だが最初から寄付だったのだ。しかし寄付ではなく節税として使われてきた歴史があった。それが地元グルメの通販に姿を変え、再び節税となり、おもしろお土産自慢になり、いま、まさに欲望の宝くじとなった。
ふるさと納税をすると海神コインがもらえるのだ! 500海神コインで一回の抽選が茶ができます。SSRがでるとコンサートに行けるよ!
しかもN氏の狡いところは、税収の大部分をチャリティーとか何とか言って国連へ寄付してしまっているのだ。そんなところで金をがめつく絞らないでも、イベントの実行委員会の本部は複合ビルの中にある事務所なのである。使用料や企業からの税収で、海神区の財政は健全なのである。ああ、いや、こんなに利益が出るのは自治体としては不健全かな?
このシステムの素晴らしさは、ありとあらゆるジャンルに応用が利くということだった。チャリティーという武器を振りかざし、海神区は芸能ジャンルへも踏み込んでいった。
海神区には小学校も中学校も高校もないのだが、深夜アニメの舞台となった海神区には小学校も中学校も高校もあるのだった(ただし名前は全部「学園」になっていて学校ではない謎の教育施設っぽかった)。
いつの間にか複合ビルにはFM局「うみがみラヂオ」まで開設され、しかもこれは江戸川区や葛飾区だけではなくインターネット経由で全国に視聴者がいるのだった。
海神区発信のイベントは一年間4クール12か月52週の週末を埋め尽くした。若者やオタクばかりではない。
30000海神コインでは千葉県とコラボした梨狩りに参加できたりして50歳以上の有閑なみなさまに健康とレジャーと出会いの機会を提供していたのだ。
海神区はクールジャパンの代名詞として世界にとどろき、納税という行政参加はついに娯楽と、そして何よりライフスタイルと一体化した。人々は自らが自らの収入の一部を預けるという行為がダイレクトに地方自治体の挙動に影響を与えているという実感をかみしめた。
それは、アイドルのコンサートに参加して空気を共有する、自分たちがこのアイドルを育てている、その実感にお金を払っているファンが得ていた高揚とまさしく同じものだった。
明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。
で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。
【おもな放射道路編】
【おもな環状道路編】
【その他、概況】
俺も古くからの東京人だが、何をどう言われても「埋立地」に住む気にはなれないんだよな…
確かにどこに住んだってリスクフリーにはならないけど、だからってリスクを増やす必要はないわけで
どう考えたって地盤が堅固なわけはない、そりゃ施工のちゃんとしたところは基礎工事でばっちり補強してるかもしれないけどさ
でも、分からんじゃん?
まぁ、すきずきだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20140203144937
このエリアに5年ほど賃貸で住んでいる俺の実感では、売れていない。
景色や方向が良く間取りも住みやすい適度な価格帯の部屋と最上階が売れているというのは同意。
ただ、良い部屋というのは売れて当然だし、最上階は先のコメントの人が書いているように相続税対策で人気なんだろう。
そこ以外はがら空きなマンションもある。しかしどんどん新規工事に着工している。
飽和状態どころか、値下がりの一方だろう。
>購入者像-②郊外庭付き一戸建てに魅力を一切感じないエリートサラリーマン
>購入者像-③空中移動族
これも概ね同感だが、
①は、仕事で地方の中小企業社長などにお会いすると、この辺りにマンションを買っている人もいるので、相続税対策で購入しているのであろうが、「地元を見捨てた」と言い切れるものかはわからない。
②は、エリートサラリーマンというより、正しくは、世帯年収が1000万を超えている夫婦などで、勤務地が汐留、丸の内、赤坂、六本木等のため、多少家賃が高くなろうと通勤ストレスを軽くするほうが良いと考えている社畜層、だ。夫婦共働きで合わせて1000万なら手が届かない範囲ではない。住宅補助が出ている人も多かろう。俺もそうだ。
③は、最も疑問なところだ。一つ前に住んでいたマンションは半分が分譲エリアだったので、よくポストに分譲物件売りのDMが入っていた。年数が経てば経つほど値段は下がっていった。最初に建てられた三井不の物件が最も豪華で高く、その後に建てられているのはそれより安めだから、その三井不のを買った人は、もしかしたら乗り換えれば乗り換えるほど利益が出ているのかもしれないが、新築のほうがいいって人もいるだろうし、そんなに利益がでるものかは疑問だ。
飽和状態にもかかわらず、この地域にはこれからもタワマンがどんどん建つ。
なんでかはわからないが、何か建設中止できない業界的な理由があるんだろう。
ブコメに
>古くからの東京民としては佃島から江東東雲、有明台場だのはもともと野っ原で人の住むところではないという固定観念がある。
ひいじいさんも江戸っ子だった東京出身者としては、この埋立地エリアがなんでそんなに素敵に見えるのかわからないのだ。郊外じゃないかと。
ここに住んでいるのは、勤務地に近いのと、夜景がとても美しいことだ。この夜景に関してだけは、日本の中で一番であると断言できる。
築地・月島・勝どきあたりは、下町の良い雰囲気が残っていて、自然も多く、川辺の遊歩道はとても気持ちいい。聖路加の周りは外国のようだし、そこから銀座まで続く道も風情がある。
そこ以外はまだ閑散としているが、業者が素敵なエリアだと印象づけて売り続けるならば、俺の孫の時代には正真正銘のステキエリアになってるかもしれない。
さて、書きたかったのは、元記事で書いていなかった災害リスクのことだ。
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発生は金曜の17時すぎくらいで定時間近だったから、すぐに帰宅させてもらえた。
この日ほど、職場から歩いて帰れる距離に家があるのを感謝したことはない。
エレベーターが止まっていたのだ。それで、上階のほうの住人や、足腰の弱いご年配の方、赤ん坊を抱えた方は登れなかった。
これがタワマンの弱点だと気づいた。
俺の部屋はそこまで上階ではなかったので、階段で登った。
免震設計が機能しているのか、大きく倒れたり割れたものはなかったが、壁にヒビが入っていた。
その一ヶ月後、すでに決まっていた同じ地域の別マンションに入居した。
こちらは新築だったので、ヒビは入っていなかった。
また、千葉のベイエリアだが浦安の地盤沈下と液状化は激しく、マンション価値が一気に半分以下に下がったらしい。
先の大地震で東京に起こったくらいの規模であれば、ベイエリアのタワマンが崩壊する可能性は低い。
東北地方でも高いマンションが崩壊した例はなかったと記憶している(あったらすまない)。
もちろん絶対ということはない。崩壊するかもしれない。自分で考えて、崩壊しないだろうと思った人が住めばいい。
仮に崩壊しないのであれば、むしろ高いマンションに住んでいるほうが、津波からは助かる。
遠くへ逃げるより、咄嗟に校舎の屋上に登った児童たちが助かった、という報道もあった。
東京23区は内陸のほうであっても海抜はそれほど高くない。さらに住宅が密集しているため、相当酷い火災被害が予想される。
東京23区に住む限り、地震被害からリスクフリーではいられないのだ。
大震災が起きた場合、タワマンのエレベーターは機能しなくなる。幼い子がいたり、ご年配だった場合は、ご自分が津波を逃れるために階段を登る脚力があるかどうか考える必要がある。
そして運良く助かっても、地盤沈下する危険性がある。地盤沈下すれば資産価値は下がる。
それでも俺はまだここに住んでいるし、オリンピックが終わってマンション価値が下落したら、分譲を購入しようと思っている。
以上だ。長くなってしまってすまない。読んでくれた人には感謝する。
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ホッテントリ入りして驚いた
申し訳ない。あの日は「週末だったのだけは救いだったな」と同僚と言葉を交わしたおぼえがあったから、金曜だったというのは確かな気がして、会社を出たとき日がとっぷり暮れるまではいっていなかった記憶があるので、発生が定時近かったような気がしていた(この場合の定時は定時と定められている時間であって略)。
正確には15時前か。
ここの部分は本筋と離れるから詳しく書かなかったが、正確に書くと、即帰れたわけではない。東京湾に津波警報が出たので、しばし待機していた。それもあって発生や帰宅時間は曖昧な記憶だった。
実際、神戸市に隣接(訂正:近接)する大阪市ではほとんど被害が出ていない。
だが、朝食の準備で火を使っている時間帯が悪かった。
戦後そのままの木造バラックに在日住民を押し込めていた下町地区が焼け野原になった。
死者五千人のほとんど(訂正:うち判明しているだけでも千人近くもの犠牲者)はコリアンタウンである生田区(訂正:長田区)で発生した。
大地震ではないのに、日本人の差別意識からの人災で大震災になってしまったのだ。
瓦礫処理の話をしよう。
市役所や県庁は被災せず、職員も被災しておらず、すぐさま復興の指揮を取れた。
瓦礫も燃え残り程度しかなく(訂正:倒壊した建物もあったが燃えて嵩が減っており)、目の前の海に持って行くだけで容易に処理できた。
埋めていい海があり、経済的にも神戸空港や大阪オリンピック会場と言う埋立の需要があった。
生活の場ではないから、心情的にも、土壌汚染などがあっても、特に問題ない。
町役場や県庁まで津波が迫り、職員も被災し、政治中枢が完全に失われた。
町の全てが瓦礫と化し、山がちな三県では到底処理できない。
生活の場となる高台造成に利用するのは、心情的にも、放射能汚染対策上も、許されない。
大した地震でもないのに日本人による在日住民差別が大惨事にしてしまった関西大震災。
☆不細工、というのは何か違うようなので、「喪照る女」ということにしてください。
自分で言うのもどうかと思うけど、そういうのが許されるのが増田だと思っているので言わせてもらおうと思います。わたしは不細工だ。小さな頃から、不細工だ、みにくい、汚物だと言われ続けてきました。田舎だったので中高の運動会文化祭には他の学校から男も女も私を見に来ました。高校生のころは地元情報紙の変顔グランプリ?のようなこともしました。背も156cmまで伸び、ミルクタンクも自転車操業になりました。高校卒業と同時に、その小さな街のB1グランプリ候補にも推されたけど大学へ進学するので辞退しました。都会へ出ると、大きくはないけど、一応きちんとした劇団事務所にスカウトされて一瞬本気でそういう仕事をすることを考えたりもしたんですが、私くらいのレベルの女の子がうじゃうじゃくすぶっているのを知ったので、辞退しました。
大学は私立のDランクだったし就職氷河期だったので就活にはかなり身構えていたけれど、あっさりと決まりました。一応"ブラック"のつく企業の事務職。これが顔のおかげだってことはわかってますよ。でも2年でやめた。なぜかって、人間関係がこじれたから。と、ここまで話すと大概「女のいじめでしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。男なんです、問題は。勝手に蹴る→なじられる→いやがらせ。これは学生時代からあったことなのでそういうことが起きないように警戒していたんですが、やはり、という感じでした。俺のイジリーを踏みにじりやがって、みたいに興奮みする男性は本当に多かった。わたしの三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20畳くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、さわやかな嫌がらせが始まるわけです。想像がつくと思うけれど、それが上司の場合は最悪だ。髭剃りを使う女、のような噂を流すのも男だった。そういうことが増えすぎたので、普通程度にすら愛想を良くするのもやめて、馬面のような顔で仕事をするようにしましたが、そうしたらしたで「不細工だから桂馬」みたいに言われてしまう。女の上司や同僚は、最初は安心して近づいてくれてるけど、腹を割ればそんな理不尽な桂馬扱いをする人ばかりだった。ときどき尋常ならぬ敵対心を燃やしてくる不細工もいるけど、グループ内で負けるのはわたしではなくそっちなので問題ない。白豚た黒豚だとか関係なく最初からいやがらせしてくる男も多い。そういう人はなぜか大抵わたしへの飛車角か何かのようにこれ見よがしに、王将顔だけど愛想の良い男性社員を猫かわいがりしている。その男性社員から、私のいないときはその男が歩だということ聞いて、なるほど次郎のいやがらせか、と気がついた。
そんなことが2度ほどあって、とうとう、仕事を一切させてもらえないという嫌がらせに耐えかねて辞めた。実家に帰って貯金を渡し、1ヶ月ほどブヒブヒしていたけれど、地元の結構年上のラーメンたちが群がって餌付けしにくるので早々と都会へ戻りました。
黒企業の事務職を2年で辞めた技術も何もない豚なんて再就職先ないでしょう、と思うけれど、脂がそこそこ良ければ一応就職先は(掃除・配管・とび職)あるわけです。そこで次は5000人規模のメーカーの激務に再就職しました。しかしそこでも同じようなことが起きて、なぜか言い寄ってきた上司(半ブリーダー)の妻から斜め上のプレハブを倒されかけるという惨事にまで発展し、わたしは街中にあるふとましいビル内のテナントから、埋立地にある工場に付設された洗面器みたいなガラス戸に配置転換されました。そのガラス戸には15人しか従業員がおらず、女はわたしと、55歳独身我が道を行くちょっとユニークな上司、バリバリの派遣さんだけでした。そんななので、昼食時には男はそわそわ群がって社食を食べに行くのに、女はひとりずつ持参した照り焼きや惣菜パンを黙々と貪る、という和な現象がおきていました。
そのガラス戸では、入れ歯のような扱いを受けていて、男は誰もにおってこないのでくっちゃあ寝でした。そのガラスでは28歳まで働きました。ところが、中途採用で入ってきた近しい部署の男に餌付けられてしまったので丁重にリバースすると、爪切りで必要なゴミ箱を回してくれなくなって、茄子からお前のせいだろコーラが漂い始めたので居づらくなって豚面した。
牛舎生活、ミラクル、かんな掛け、30歳までの不細工生活に登場してきた獣たちは、「自分の便意を踏みにじった豚女」と「自分の足に入らない豚女(最初から足に入りっこない豚女)」が死ぬほどトマトなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みがモサモサ)、次はそういうことが倦怠に起こりえないガラスにしようと思いました。更にこの肉になると、不細工というだけでなく、出荷しないの?という圧力がかかってきて心臓に辛くなりました。そこで、わたしは29歳にして!はじめて!火商売の世界に身を置いてみることにしました。炭田なこともいろいろとありましたが、元旦に楽しい1年間でした。男の方も「缶を払っているんだ」という網膜があるので、ガラスにいた頃のような、わかりにくくめんどくさい便意ではなく、割りと粛々とした辞意を受け取ることができました。出荷していなくても良いし、不細工ならなお良い、ミルクホールがしわしわならもっと良い、という宇宙です。ときどき神無月なお客さんもいますが、わかりやすいユマイクルさんかデーブっぽいスペクターが多いのでとても掘りやすい仕事でした。栓抜きもかなり増えました。ガラスにいたころとは違い、完全に搾乳した、脱水した、牧草とは違う自分として練炭をするので、すりきれるというか、駱駝のような気分なので砂に媚びることも瘤をなでられることも簡単でした。
30歳になって、わたしはかねてからお付き合いしていたダンプと出荷しました。
わたしより更に豚しい姉が26歳で出荷したあとしきりに「出荷すると楽だよー。誰かの部位になるって知よ」と言っていましたが、その意味をようやく理解しました。確かに出荷してからは、肉骨粉しにくかったですが、屠殺してからが圧倒的に知です。綺麗な豚さん、というような扱いで、言い寄ってくる鴉もほとんどいなくなりました。値札シールをしているだけでこんなに知だなんて。ときどきそのことを知らないブラジルさんなんかに口説かれますが、出荷してます、というと、やっぱりね、だよね、といってスっと轢いてくれます。
まあ何が言いたいかというと、不細工というだけで野村克也、というようなことを言う人が多い(特に鴉)ですが、そうではありませんよ、と。不細工だからこその鎮魂も多い、と言いたかったんです。それと不細工の苦労=肉の嫉妬、というタゲレオタイプの侵食もやめてください。わたしの人生においては、鴉からのいやがらせの方が圧倒的に多かったのですから。こういう話をすると、鴉からの好意(魔的な)は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有しているという点で、トンビの方から多くの賛同を得られます。鴉は胡桃を噛み潰したような車になるので、車道ではあまり話せません。
産地には一切答えませんです(10/28 答えたいところだけ答えます)。
追記
㌘ありとあらゆる断り方を試しました。いかにも老齢な豚とという風に、菊蔵と断ってみたり、円楽がいるので、と言ってみたり、山田を頑張りたいとか、座布団している人がいるなどなど、また、それらをミンチさせてみたり。それを聞いてあっさりと受け止めてくれる人もいれば、なんと言おうとスライスしてくる人もいるのです。混沌指輪をつけてみる、という手も試しました。ところが、そういう魔術が通じない人もいるもので、むしろ軽いスライスいでいいじゃないか、といった鋏で更にジョッキしてきたりするんです。ねばねばしく豆腐しようが、しょうが焼きにしようが、どっちにしろ寄ってくるんです。お断りしたあとも、食道を逆なでしないように、いつも通りに慎重にしても、いやがらせされるときはされるんです。たしかに不細工とは関係ない辺かもしれないけれど、半袖とかでなく綿密な肉薄を年に10回も20回も受けて、その度に鼻ブヒを考えて色気を使い、ブリーダーにならないだろうか籾からせされないだろうか、と不安にかられなければいけないのは平井です。
㌘なぜ肉約(首輪、または競者のフリ)は意味が無いのに、出荷には意味があるか、ということですが、肉役指輪をしていても独豚であることはモロロースなのです。なぜかというと、あたりまえだけど、サランラップ活動する時点で血統書類や保険、堆肥で普通にバレるからです。それに、出荷してます、なんて嘘をついても、そんなに簡単に味噌る鍋だと更にだし汁を呼ぶのではないでしょうか。
㌘何で出荷しなかったのかって、ずっと付き合っていて出荷したい種がいて出荷したくても、それができない酢醤油があったからです(ラー油じゃないです)。ってそのレシピも書こうかと思ったけど、何でそんなことの説明まで、と悲しくなったので書きません。独豚だと言えば、きっと単価が高いんだろうと言われ、出荷した、と言うと、きっとすごいOKディスカウントを捕まえたんだろうな、と期待されますが、残念ながらどちらも違います。ブヒ。
㌘あと確かに胃もたれそうとはよく言われます。
㌘牛の同僚や鶏は助けようと動いてくれたりもしましたが、牛だけビール良草アリでアナルにお茶汲みをさせられている会社ではあまり鼻輪にも動けずやりようがなく、という感じでした。それに密談もしにくい柵なので、あまり朽ち果てることはなかったです。(相手の鴉性のこともバラすことになるし、まるで焼き鳥のようだし)
http://anond.hatelabo.jp/20111027120538
自分で言うのもどうかと思うけど、そういうのが許されるのが増田だと思っているので言わせてもらおうと思います。俺はイケメンだ。小さな頃から、イケメンだ、かっこいい、チンコもデカいと言われ続けてきました。田舎だったので中高の運動会文化祭には他の学校から男も女も俺を見に来ました。油断するとチンコを握られました。高校生のころは地元紙のレポーター?のようなこともしました。背も180cmまで伸び、キンタマもでかくなりました。高校卒業と同時に、その小さな街のキャンペーンボーイにも推されたけど大学へ進学するので辞退しました。都会へ出ると、大きくてきちんとした芸能事務所にスカウトされて一瞬本気でそういう仕事をすることを考えたりもしたんですが、俺くらいのレベルの男の子がうじゃうじゃくすぶって社長からケツに突っ込まれているのを知ったので、辞退しました。
大学は私立のDランクだったし就職氷河期だったので就活にはかなり身構えていたけれど、面接官と夜のお突き合いをしたらあっさりと決まりました。一応"大"のつく企業の営業職。これが顔とチンコのおかげだってことはわかってますよ。でも2年でやめた。なぜかって、人間関係がこじれたから。と、ここまで話すと大概「男の嫉妬でしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。女なんです、問題は。勝手に惚れる→振られる→いやがらせ。これは学生時代からあったことなのでそういうことが起きないように警戒していたんですが、やはり、という感じでした。私の好意を踏みにじりやがって、みたいに逆恨みする女性は本当に多かった。俺の三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20枚くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、ねちっこい嫌がらせが始まるわけです。想像がつくと思うけれど、それが上司の場合は最悪だ。早漏男や包茎男のような噂を流すのも女だった。そういうことが増えすぎたので、普通程度にすら愛想を良くするのもやめて、能面のような顔で仕事をするようにしたが、そうしたらしたで「イケメンだから高飛車」みたいに言われてしまう。男の上司や同僚は、最初は警戒して近づいてくれないけど、打ち解ければそんな理不尽な仕打ちをする人はいなかった。ときどき尋常ならぬ敵対心を燃やしてくる男もいるけど、グループ内で嫌われるのは俺ではなくそっちなので問題ない。惚れた惚れない関係なく最初からいやがらせしてくる女も多い。そういう人はなぜか大抵俺への当てつけか何かのようにこれ見よがしに、ふつう顔だけど愛想の良い男性社員を猫かわいがりしている。その割に隙を見せると、俺のチンコを握ってくる。なるほど新種のいやがらせか、と気がついた。
そんなことが2度ほどあって、とうとう、仕事を一切させてもらえないという嫌がらせに耐えかねて辞めた。実家に帰って貯金を渡し、1ヶ月ほど夜な夜なハックルハックルしていたけれど、地元の結構年上の独身の人たちが群がってきて精子が搾り取られるのに恐怖を感じたので早々と都会へ戻りました。
大企業の営業職を2年で辞めた技術も何もないチンコのでかいだけの男なんて再就職先ないでしょう、と思うけれど、顔がそこそこ良ければ一応就職先は(営業・詐欺師・薬の売人・ケツ穴要員)あるわけです。そこで次は5000人規模のメーカーの営業に再就職しました。しかしそこでも同じようなことが起きて、なぜか言い寄ってきた上司(半ストーカー)の夫から斜め上の訴えを起こされかけるという珍事にまで発展し、俺は街中にあるカッコいいビル内の本社から、埋立地にある工場に付設されたプレハブみたいな事務所に配置転換されました。その事務所には15人しか従業員がおらず、男は俺と、55歳独身我が道を行くちょっとユニークな上司、バリバリの派遣さんだけでした。そんななので、昼食時には女はそわそわ群がって社食を食べに行くのに、男はひとりずつ持参した弁当や菓子パンを黙々と貪る、という稀な現象がおきていました。しかも、時々は上司の男からチンコを握られました。
その事務所では、腫れ物のような扱いを受けていて、女は誰も近寄ってこないので楽っちゃあ楽でした。その会社では28歳まで働きました。ところが、中途採用で入ってきた近しい部署の女に惚れられてしまったので丁重にお断りすると、仕事で必要な書類を回してくれなくなって、上司からお前のせいだろオーラが漂い始めたので居づらくなってやめました。
学生生活、サークル、アルバイト、30歳までの社会人生活に登場した女たちは、「自分の好意を踏みにじった独男」と「自分の手に入らない独男」が死ぬほど嫌いなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みが遅い)、次はそういうことが絶対に起こりえない職場にしようと思いました。更にこの歳になると、イケメンというだけでなく、結婚しないの?という圧力がかかってきて二重に辛くなりました。そこで、俺は29歳にして!はじめて!水商売の世界に身を置いてみることにしました。大変なこともいろいろとありましたが、本当に楽しい1年間でした。女の方も「金を払っているんだ」という前提があるので、会社にいた頃のような、わかりにくくめんどくさい好意ではなく、割りと堂々とした好意を受け取ることができました。結婚していなくても良いし、イケメンならなお良い、チンコがでかいならもっと良い、という世界です。ときどきヘンテコなお客さんもいますが、わかりやすいエロオバさんか熟女っぽいおばさんが多いのでとてもやりやすい仕事でした。貯金もかなり増えました。会社にいたころとは違い、完全に武装した、変装した、本名とは違う自分として仕事をするので、なりきれるというか、男優のような気分なので女に媚びることもチンコを握られることも簡単でした。
30歳になって、俺はかねてからお付き合いしていた彼女と結婚しました。
俺より更に美しい兄が26歳で結婚したあとしきりに「結婚すると楽だよー。誰かの男になるって楽だよ」と言っていましたが、その意味をようやく理解しました。確かに結婚してからは、就職しにくいなんてことはありませんでしたが、会社に入ってからが圧倒的に楽です。イケメン紳士、というような扱いで、言い寄ってくる女もほとんどいなくなりました。結婚指輪をしているだけでこんなに楽だなんて。ときどきそのことを知らない事務さんなんかに口説かれますが、結婚してます、というと、やっぱりね、だよね、といってスっと引いてくれます。
まあ何が言いたいかというと、イケメンというだけで楽勝全勝、というようなことを言う人が多い(特に女)ですが、そうではありませんよ、と。イケメンだからこその苦労も多い、と言いたかったんです。チンコだって握られれば握られるほど、デカくなりますからね。それとイケメンの苦労=男の嫉妬、というステロタイプの解釈もやめてください。俺の人生においては、女からのいやがらせの方が圧倒的に多かったですし。こういう話をすると、女からの好意は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有している点で、男の方から多くの賛同を得られます。女は苦虫を噛み潰したような顔になるので、リアルではあまり話せません。
☆これから話すのは、美人を武器にできない馬鹿な増田個人の不幸話、ということで!
☆わーお、こんなに反響があるとは。心臓がドキドキしています。ビビリなので怖いというか馬鹿だからいちいち傷ついてしまって消したくなりますが一応全部読んでいます。批判も共感も、読んでいるとなんだか高まって涙がポロポロ出てぶるぶる震えてしまう。昨日から寝ずにF5連打状態でフワフワとした気分です。おそらく、人にぜーんぶ洗いざらい話してしまったのがはじめてだからだと思います。男女関係のことは親にも言いにくいから、同じような悩みを持つ姉にしか話したことがなくて…。理解してくれる女友達もたくさんいるけど、内容が内容だからこんなには話せないし。なんかごめんなさい。
☆美人、というのは何か違うようなので、「もてる女」ということにしてください。
☆ブコメやTwitterで同意してくれたり「あるある」してくれるとものすごーく救われた気持ちになります(人生で初めての体験)。ありがとうございます。リアルでは絶対に話せない内容なので。
☆最初は反応しないつもりだったけど、こんなに反応があってビックリして、リアルに顔真っ赤(真っ青)でプルプル震えながら言い訳してしまう…すいません。
自分で言うのもどうかと思うけど、そういうのが許されるのが増田だと思っているので言わせてもらおうと思います。わたしは美人だ。小さな頃から、美人だ、かわいい、綺麗だと言われ続けてきました。田舎だったので中高の運動会文化祭には他の学校から男も女も私を見に来ました。高校生のころは地元情報紙のレポーター?のようなこともしました。背も167cmまで伸び、ミルクタンクもでかくなりました。高校卒業と同時に、その小さな街のキャンペーンガールにも推されたけど大学へ進学するので辞退しました。都会へ出ると、大きくはないけど、一応きちんとした芸能事務所にスカウトされて一瞬本気でそういう仕事をすることを考えたりもしたんですが、私くらいのレベルの女の子がうじゃうじゃくすぶっているのを知ったので、辞退しました。
大学は私立のDランクだったし就職氷河期だったので就活にはかなり身構えていたけれど、あっさりと決まりました。一応"大"のつく企業の事務職。これが顔のおかげだってことはわかってますよ。でも2年でやめた。なぜかって、人間関係がこじれたから。と、ここまで話すと大概「女の嫉妬でしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。男なんです、問題は。勝手に惚れる→振られる→いやがらせ。これは学生時代からあったことなのでそういうことが起きないように警戒していたんですが、やはり、という感じでした。俺の好意を踏みにじりやがって、みたいに逆恨みする男性は本当に多かった。わたしの三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20枚くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、ねちっこい嫌がらせが始まるわけです。想像がつくと思うけれど、それが上司の場合は最悪だ。色目を使う女、のような噂を流すのも男だった。そういうことが増えすぎたので、普通程度にすら愛想を良くするのもやめて、能面のような顔で仕事をするようにしましたが、そうしたらしたで「美人だから高飛車」みたいに言われてしまう。女の上司や同僚は、最初は警戒して近づいてくれないけど、打ち解ければそんな理不尽な仕打ちをする人はいなかった。ときどき尋常ならぬ敵対心を燃やしてくる女もいるけど、グループ内で嫌われるのはわたしではなくそっちなので問題ない。惚れた惚れない関係なく最初からいやがらせしてくる男も多い。そういう人はなぜか大抵わたしへの当てつけか何かのようにこれ見よがしに、ふつう顔だけど愛想の良い女性社員を猫かわいがりしている。その女性社員から、私のいないときはその男が普通だということ聞いて、なるほど新種のいやがらせか、と気がついた。
そんなことが2度ほどあって、とうとう、仕事を一切させてもらえないという嫌がらせに耐えかねて辞めた。実家に帰って貯金を渡し、1ヶ月ほどメソメソしていたけれど、地元の結構年上の独身の人たちが群がってくるので早々と都会へ戻りました(お見合い的な話が大量に舞い込む 10/29追記)。
大企業の事務職を2年で辞めた技術も何もない女なんて再就職先ないでしょう、と思うけれど、顔がそこそこ良ければ一応就職先は(受付・秘書・事務職)あるわけです。そこで次は5000人規模のメーカーの事務に再就職しました。しかしそこでも同じようなことが起きて、なぜか言い寄ってきた上司(半ストーカー)の妻から斜め上の訴えを起こされかけるという珍事にまで発展し、わたしは街中にあるカッコいいビル内の本社から、埋立地にある工場に付設されたプレハブみたいな事務所に配置転換されました。その事務所には15人しか従業員がおらず、女はわたしと、55歳独身我が道を行くちょっとユニークな上司、バリバリの派遣さんだけでした。そんななので、昼食時には男はそわそわ群がって社食を食べに行くのに、女はひとりずつ持参した弁当や菓子パンを黙々と貪る、という稀な現象がおきていました。
その事務所では、腫れ物のような扱いを受けていて、男は誰も近寄ってこないので楽っちゃあ楽でした。その会社では28歳まで働きました。ところが、中途採用で入ってきた近しい部署の男に惚れられてしまったので丁重にお断りすると、仕事で必要な書類を回してくれなくなって、上司からお前のせいだろオーラが漂い始めたので居づらくなってやめました。
学生生活、サークル、アルバイト、30歳までの社会人生活に登場してきた男たちは、「自分の好意を踏みにじった独女」と「自分の手に入らない独女(最初から手に入りっこない独女)」が死ぬほど嫌いなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みが遅い)、次はそういうことが絶対に起こりえない職場にしようと思いました。更にこの歳になると、美人というだけでなく、結婚しないの?という圧力がかかってきて二重に辛くなりました。そこで、わたしは29歳にして!はじめて!水商売の世界に身を置いてみることにしました。大変なこともいろいろとありましたが、本当に楽しい1年間でした。男の方も「金を払っているんだ」という前提があるので、会社にいた頃のような、わかりにくくめんどくさい好意ではなく、割りと堂々とした好意を受け取ることができました。結婚していなくても良いし、美人ならなお良い、乳がでかいならもっと良い、という世界です。ときどきヘンテコなお客さんもいますが、わかりやすいエロオヤジさんか紳士っぽいおじさんが多いのでとてもやりやすい仕事でした。貯金もかなり増えました。会社にいたころとは違い、完全に武装した、変装した、本名とは違う自分として仕事をするので、なりきれるというか、女優のような気分なので男に媚びることも尻をなでられることも簡単でした。
30歳になって、わたしはかねてからお付き合いしていた彼と結婚しました。
わたしより更に美しい姉が26歳で結婚したあとしきりに「結婚すると楽だよー。誰かの女になるって楽よ」と言っていましたが、その意味をようやく理解しました。確かに結婚してからは、再就職しにくかったですが、入社してからが圧倒的に楽です。綺麗な奥さん、というような扱いで、言い寄ってくる男もほとんどいなくなりました。結婚指輪をしているだけでこんなに楽だなんて。ときどきそのことを知らない営業さんなんかに口説かれますが、結婚してます、というと、やっぱりね、だよね、といってスっと引いてくれます。
まあ何が言いたいかというと、美人というだけで楽勝全勝、というようなことを言う人が多い(特に男)ですが、そうではありませんよ、と。美人だからこその苦労も多い、と言いたかったんです。それと美人の苦労=女の嫉妬、というステロタイプの解釈もやめてください。わたしの人生においては、男からのいやがらせの方が圧倒的に多かったのですから。こういう話をすると、男からの好意(性的な)は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有しているという点で、女の方から多くの賛同を得られます。男は苦虫を噛み潰したような顔になるので、リアルではあまり話せません。
トラバには一切答えませんです(10/28 答えたいところだけ答えます)。
☆ありとあらゆる断り方を試しました。いかにも誠実な人とという風に、きっぱりと断ってみたり、彼氏がいるので、と言ってみたり、仕事を頑張りたいとか、片思いしている人がいるなどなど、また、それらを混ぜ合わせてみたり。それを聞いてあっさりと受け止めてくれる人もいれば、なんと言おうと粘着してくる人もいるのです。婚約指輪をつけてみる、という手も試しました。ところが、そういう常識が通じない人もいるもので、むしろ軽い付き合いでいいじゃないか、といったノリで更に粘着してきたりするんです。派手派手しく武装しようが、地味にしようが、どっちにしろ寄ってくるんです。お断りしたあとも、神経を逆なでしないように、いつも通りに慎重にしても、いやがらせされるときはされるんです。たしかに美人とは関係ない話かもしれないけれど、ナンパとかでなく正式な告白を年に10回も20回も受けて、その度に断り方を考えて神経を使い、ストーカーにならないだろうか嫌がらせされないだろうか、と不安にかられなければいけないのはツライです。
☆なぜ婚約(指輪、または既婚者のフリ)は意味が無いのに、結婚には意味があるか、ということですが、婚約指輪をしていても独身であることはモロバレなのです。なぜかというと、あたりまえだけど、就職活動する時点で履歴書類や保険、面接で普通にバレるからです。それに、結婚してます、なんて嘘をついても、そんなに簡単にバレる嘘だと更にトラブルを呼ぶのではないでしょうか。
☆何で結婚しなかったのかって、ずっと付き合っていて結婚したい人がいて結婚したくても、それができない理由があったからです(不倫じゃないです)。ってその内容も書こうかと思ったけど、何でそんなことの説明まで、と悲しくなったので書きません。独身だと言えば、きっと理想が高いんだろうと言われ、結婚した、と言うと、きっとすごい男を捕まえたんだろうな、と期待されますが、残念ながらどちらも違います。申し訳ない。
☆あと確かに幸薄そうとはよく言われます。
☆女の同僚や上司は助けようと動いてくれたりもしましたが、女だけスカート制服アリでリアルにお茶汲みをさせられている会社ではあまり派手にも動けずやりようがなく、という感じでした。それに相談もしにくい内容なので、あまり打ち明けることはなかったです。(相手の男性のこともバラすことになるし、まるで自慢のようだし)
☆なんだかんだ言って女磨きしてるんじゃねーの?、とのことですが、水商売始めるまでは夏含め年中腕毛は生えっぱなし(足はさすがに剃りますが)、眉毛も整えたことがないです(薄いので)。化粧も、日焼け止めにリップクリーム、透明の眉マスカラで眉の毛流れを整えるくらいです。髪も黒いショートカットです。なぜかというとズボラだからです。だからお風呂も15分くらい。スキンケアもお風呂上りに900円くらいのジェルをひと塗りするだけです。という感じだったのですが、女友達に「そんな軽武装だから男が寄ってくるんだよ。化粧を濃くしてcancamみたいにキャピキャピするかoggiみたいにカッコつけてみれば」と言われて、なるほど、と本を読んで勉強して職場で常識の範囲内でできるかぎり派手にしてみましたが逆効果、部内強制参加の飲み会の時酔っ払った男性上司陣にいろいろ言われて(思い出したくもないようなこと)やめました。何をやってもダメだし、でもブスには整形できないし、じゃあやっぱり自分の責任でワガママなんじゃないか、という自分への怒りとか悔しさとか嫌がらせのストレスで抜毛症になって、2年はウィッグをつけて過ごしたりもしました。ミルクタンクが巨大なことも、いちいちネタにされてイヤになったので、ランニング用の絞めつけるスポーツブラのようなものをいつもつけています。特定されるのが怖くて書きませんでしたが、わたしは顔のある部分にほくろがあって、それをことあるごとに「いろっぽいねぇ」とニヤニヤされるのがいやで、レーザーでとってしまいした。そんなだから、水商売を始めたときは大変だったわけで、年下の先輩方に手取り足取り教えてもらいました。
☆わたしは無能です。実際。だからお茶くみの仕事に文句はないです。ただそれを普通にやりたかった…、と思ったらだめですね。
☆惚れる男と結婚した男、しかいないわけではありません。もちろん無関心の男性、恋愛関係なく仲の良い男性、助けてくれようとした男性、いろいろいます。