はてなキーワード: 六本木ヒルズとは
何回増田で同じことを聞けば気が済むんだよ
東京生まれ東京育ち東京在住歴35年だけど地元から繁華街にわざわざ出かけるのはなんか目的があるとき
六本木ならおいしいメシを食いに行くときとかマックカフェ併設のマクドナルドに行きたくなったとき、あと新国立美術館や六本木ヒルズ、ミッドタウンでなんかイベントやってるとき、ちょっと溜池山王まで歩いてそのまま国立国会図書館に行ってもいい
渋谷ならメシ、Apple Store渋谷、丸善ジュンク堂、BUNKAMURAとかウィンドウショッピングとか、モヤイ像に挨拶したり、あとは原宿青山表参道外苑前代官山恵比寿までそのまま歩いて行ったりもする
新宿はなんでもあるだろ
メシ、紀伊國屋書店新宿本店、伊勢丹新宿本店、世界堂本店、新宿御苑、バルトで映画、ビックロ、小田急百貨店、小田急ハルク、京王百貨店、都庁の展望階に意味なく行ってみる、地下街を歩く、ゴジラに挨拶、疲れたら新宿野村ビルの半地下休憩スペースで休憩だ
戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカは日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。
C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。
「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。
隅田川にかかる橋の欄干や、総武線のガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。
東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。
D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。
E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。
地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。
終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。
D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書のコピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔の建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。
「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。
70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。
A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的に攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。
C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷の陸軍省・参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑、浜離宮、上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。
東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行、三菱商事、日本興業銀行、横浜正金銀行、東京銀行、第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町や霞ヶ関でも、内閣府、国会議事堂、警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界とアメリカの盟友関係を裏付けている。
軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。
E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。
B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。
米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構
A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。
F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。
A 終戦末期になると特高警察がマークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。
天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校が近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。
B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部の指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。
D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞の正力松太郎や朝日新聞の緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。
イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。
E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。
C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。
都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。
E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児や浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設に強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。
B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人は立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。
A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級が全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。
F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。
90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。
A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省も経産省も防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。
米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者が首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。
財閥やメディアも米軍占領下で地位守る
C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中に赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人は戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。
F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一、重光葵、吉田茂、近衛文麿などを「自由主義者・穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。
グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。
のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。
これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。
A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂が近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。
F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルンの鮎川義介、浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンのコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカは自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。
A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。
C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。
もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカと共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。
B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力が進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。
F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。
徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。
A アメリカがプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。
C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。
A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。
しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。
この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。
分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義のインチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。
A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地や自衛隊施設へ変わった。横田基地は在日米軍司令部であり、すべての在日米軍と自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。
とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイ、グアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋・東アジアを管轄する兵站補給基地だ。
東京都港区の六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。
そのほかにも府中、由木、大和田、硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。
地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。
B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。
羽田空港や成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。
A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。
B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党の支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。
F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。
司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる
東京は坂が多いのですが、ドコモの自転車シェアリングは電動自転車なのでこの問題が解決しました
東京の道路はタクシーが多い=素人が少ないので車道を走っても比較的安全です
http://anond.hatelabo.jp/20161205002354
先日、久しぶりに六本木ヒルズに行った。訳も無く行った。意味も無く行った。そう、私は鬱病だからである。鬱病の俺にはミッションが無い。ただ、この得体のしれぬ病を治し職場復帰する事が現状の課題ではあるが、自身のありとあらゆる妄想が復職への道を拒むのである。まあそれはさておき、主題に戻ろう。そう、昨日六本木ヒルズにあるテレビ朝日に立ち寄った。そこではドラえもんやらクレヨンしんちゃんやらミュージックステーションやら、TV朝日の人気番組の展示ブースが並んでいた。俺は鬱病なりにおとなしくそれらを眺め、又、来場している輩も眺めていた。時は16:00頃だったと記憶している。東京某都知事の釈明会見がオンエアーされていて、暫くブースモニターで観覧した後その奥へ足を運んだ。するとそこには「徹子の部屋」があるではないか!MSのタモリとの扱いとも別格。誰が見てもあの「徹子の部屋」である。そして何やらそのブース入り口に赤いボタンがある。俺は(鬱病だから)何の抵抗も無くその赤いボタンを、クイズ番組の回答者の様にこぶし内側で叩いてみた。すると"トゥールッル トゥルル トゥールッル トゥルル トゥルル トゥールール‐ルール‐ルットゥー "とあのメロディーが流れてくるではないか!!徹子の部屋のブースに等身大の黒柳徹子と思われる人形が腰かけている。そしてあのBGM。俺はこの演出に萌えた。辺りを見回すと20代2人組の女の子が俺の奇妙な行動に微笑んでいた。(俺と同じ事をしたくても、恥ずかしくてやれなかったのだ)そんな周囲の二人のリアクションを見て、俺の鬱加減も急速に冷めてその奥にあるドラえもんのび太のブースに足は向かうのだが、やはり「徹子の部屋」は写メし、離婚した嫁と子供に送信すべきと思い、舞い戻った。すると先程微笑んでいた20代2人組の女の子が、なんと私をアイキャッチしてくるではないか!俺はESPではないが瞬時に彼女たちの気持ちは察し得た。「徹子の部屋の写メ撮ってくれませんか?でしょう?」彼女たちは小さく頷いた。そして俺は「OK!大丈夫よ。実は俺も交換条件として、俺のスマホで同条件で撮って貰いたいのさ!(←俺は独り)」見も知らずの彼女たちは頷いた。そして俺は、照れくさそうな彼女たちを、赤いボタン(BGMが流れるやつ)を数回押しながら、あたかも徹子の部屋のゲストであるかのように演出し、カメラアングルは正面・背面、そして徹子目線で撮ってあげた。「上手く撮れているかわからないけれど、色んなアングルで撮ったから、使えるもの使って」そう言うと二人は「ありがとうございます!」と言ってくれた。そして何より俺はこんな鬱病の俺が誰かしらの人生にほんの少しでも関われたのが嬉しかった。
↓
歩いてミッドタウン
http://matome.naver.jp/odai/2136633203426851601
http://matome.naver.jp/odai/2141182094298256701
この中だとワイン食堂 〜がヒルズ・ミッドタウン間にあって使いやすい。
香妃園もいいけど少し外れにあるから時間がありそうならオススメ。
駅〜駅を移動するとそれだけでかなり歩く。
途中、休憩できるカフェをプランに入れたほうがいいけど、池袋・渋谷_新宿・銀座は土地勘ないと空いているカフェを見つけるのはキツイ。
プラン立てるのが苦手なら、谷中あたりで目的なくぶらっとしてもいいと思う。
昼・夕の店だけ調べておくといい。
旧朝香宮邸を見て、ガレ展を見て、館内のレストランでランチと。
恵比寿あたりでディナーのお店を探すこと。
中学生の時にチャットモンチーがデビューして、すぐファンになった。
背が小さくて顔と声が可愛い橋本絵莉子がかっこ良くギターを弾いて、曲もいい。とりこだった。「ハナノユメ」が好きだった。
高校に上がると少し興味は薄れたけど、「告白」のクオリティには感服するばかりだった。「染まるよ」で初めて曲を聴いて泣くという経験をした。恋愛したことなかったのに。
フォトブックも買った。橋本絵莉子でオナニーするために。当然といえば当然だけど、抜ける写真は少なかった。実際あまり使わなかった。
高橋久美子が脱退して、ツーピースバンドになってから1度だけライブを観に行ったけど、僕が好きだったチャットモンチーの姿はそこにはなく、ただ橋本絵莉子と福岡晃子が楽器を弾いているようだった。
福岡が「いいものみせてあげますよ」とMCで言っていたけど、僕には青春の終わりに等しいライブだった。
大好きで何度もオナニーした橋本絵莉子の妊娠が発覚した時はかなり動揺した。結婚相手はインディーズ時代からよく聴いているバンドのフロントマン。僕は諦めた。
去年、地下鉄から六本木ヒルズへ上るエスカレーターで橋本絵莉子とすれ違った。その日の夜は泣きながらオナニーした。
僕の心は橋本絵莉子にかき乱され続けてきた。
悶々とした思春期、「告白」の衝撃、フォトブックでがっかり、あのライブで大人になった。
あの日初めて憧れの人物を間近で見て、僕はどういう気持ちだったのか。
チャットモンチーへの愛を歌った曲で名を売って、PVで共演した男がいる一方で、僕は今も橋本絵莉子に心をかき乱されるばかりだ。
六本木ヒルズの美術館を出たところに、美術館関連のショップがある。
大体はよくわからない現代アートなんだけど、数枚、マンガ絵があるのね、
それがもう、びっくりするほど下手くそなの。
顔だけのアップで、数枚みんな同じ左向き、同じ顔、同じ髪型、貼り付いたような笑顔。
デッサンが狂ってて左目が異様に大きくて右目が小さい。
小学校のクラスメイトの女子にこういう絵描いてる人居たなぁ、3年生くらいの時に。
って感じのイラスト。
お値段2万5千円。
高っ!
ちょっとTwitterに流れてくるイラストだけでも比べ物にならないくらい上手いものが多いのに
これの何がそんなに価値があるんだろう?
なんか既にさんざん色々言われているが、渋谷と六本木のハロウィン行ってきたし、コミケにおいてはスタッフ参加・コスプレ参加・サークル参加もしたし、所属企業が企業参加もしてたんでこの件については意見をいう資格があると思って、言う。
とにかく、コミケと比較してハロウィンコスプレ連中を叩いている奴はアホだ。私は断言する。
「コスプレは自分たちが主流」という考え方もあるだろうけど、確実にあちらのほうが主流になっている。「人数が多ければメインストリームなのか!?」という意見もあるけど、人が多けりゃまぁメインストリームでしょう。さて参加者の数を正確に測定するのは日本野鳥の会を雇っても難しいんだけど、まぁコミケととなコスを合わせた数よりは多いだろうな、と言うのはチラ見でも分かると思う。
「多数がやってるからと言ってマナー違反はマナー違反だ!」という人は、自分を振り返れば分かるだろうけど、コミケ参加者だってマナー守るひともいれば守らないひとも居る。人数が多くなれば守らない人が多いような気になるものだ。
これは最大の問題なのだけれど、渋谷六本木のハロウィンは本質的には主催者がいないイベントなのだ。川崎ハロウィンはほぼ実行委員会の下にあるが、渋谷六本木については、個々のクラブイベント等の集合体に過ぎず、全体を統括する責任者だとか、共同代表だとかはいないのだ。ゆえに警察の対応も場当たり的な交通整理になるし、人の流れの動線についても責任を持つものがいない。交差点の真ん中で写メろうが、ニコ生しようがUstreamしようが、だれも止めない。警察も止める権限がない。
一応シブハロ実行委員会というのもあるが、あれもパルコとか幾つかの店舗のイベントの統括に過ぎず、渋谷のハロウィンについてなんら責任を負うものではない。
この点、コミケについてはコミケット準備会の私的なイベントであり、主催者の決めたルール(コスプレ来場・徹夜組・過剰な露出・消防動線の確保など)に従わないものはもちろん、「単に気に入らない人間だから」というだけで参加を拒否する権限すらある。一方で、その範囲内で法令違反(わいせつ物・火災・動線の失敗による転倒事故)などがあれば管理責任として、最悪は代表者や担当者が刑務所に入るリスクすらある。
また一般的な神社などのお祭りと比較する意見も見られるが、あれも神社の氏子組織とかが実行委的なものを作ってたりしますね。
ゴミ箱については、コミケのひとたちもあの巨大なコンテナゴミ箱がない状況で、ゴミをキレイに捨てられるなら言ってくださいね〜と思う。
公共担当した人ならわかるけど列移動後のゴミはどうしたって残ってるし、館内担当の人もサークル撤収後にゴミが残ってるのは何度か見てると思う。
東京都が早く、ハチ公のとことセンター街の角海老のとこあたりとかにコンテナゴミ箱設置してくれれば改善されると思う。逆にコミケだってコンテナゴミ箱を無くして「ゴミは絶対に絶対に持ち帰ってください。コンビニで買ったとかしるか!」ってやったらゴミだらけになるのではないかな。上野公園の花見だって、コンテナゴミ箱を設置するまでは恐ろしい量のゴミだらけだったし(平成元年はまだそんなだったぞ)、まぁ今も酒入って朝までやってるから多少はゴミだらけだけど、昨今はちゃんと片付ける度も高いと思うよ。
あ、あと意識高い参加者はどちらにもいて、コミケだって16時過ぎに隣サークルのゴミを拾って捨ててる人とかもいるし、渋谷も朝の…6時だっけな?ゴミ袋とトングを配ってて、路上のゴミを拾うボランティアコスプレイヤーたくさん居ましたね。素晴らしいです。
まぁ酒飲みながらコミケやるやつもあったんだけど(コミケットスペシャル)、あんまりガッツリ飲む感じじゃなかったんですよね。その点、シブハロは終電過ぎてからがメインで、クラブやバーなんかの酒を呑む店がメインだったりするのもあって、ちょっとテンションがおかしい人が増えるってのはあると思う。
「酒飲んでるからって許されるなと思うなよ」ってのはあるが、正直コミケでマナーが良いのは酒が飲めないからであって、アニソン系のダンパとか行くとわかるけどぶっ壊れっぷりはヲタ層でも昔から酷かったような・・・。
理由5:着替え場所(更衣室)の問題。または「コスプレ来場(家からコスプレ)はノーマナーなんですけど!?」問題。
更衣室が無い、そしてハロウィンメイクは化粧室を汚しやすい(血糊とかが飛んで洗面台がひどいことに)というのはある。
例えば六本木ヒルズのお手洗いについては、「ハロウィンメイク禁止」の札が貼ってあった。そうでなくとも、トイレで着替えたり仮装のためのメイクをするのは他の利用者の邪魔になる行為だ。
一般のコスプレイベントでは、これは禁止事項にあたる。コートを羽織って参加すらダメという扱いがほとんどだ(一方でメイク・つけまつげ・カラーコンタクトは許容される傾向がある)。だが、コレは必須事項だろうか?
これらは実際には、運営者側の問題であり、さらに言えば徹夜組等で苦情が来たため・・・とかじゃないだろうか。コミケは運営方針として、基本的には『禁止事項は少なく』の方向で動いている。だから禁止事項になるのは「明白な危険(あからさまな武器と判別つかないもの)」「他人の迷惑(コス着替えでの化粧室専有とか)」に限っている。
そんななかで、長年ずっと疑問だったのが「コスプレ来場禁止」のルールだ。これ禁止するくらいなら、もっと前から「エロ紙袋禁止」をするべきだった。
ただし、正直なトコロで言えばコスプレエリアトップは館内や公共・外救とかとは違うルールっぽくてよく知らない。
とにかく別に、コスプレ来場したってそれが本人に恥ずかしく無いのであればいいんじゃないか?と思う。過激な露出がある場合ならコートとか羽織ってね。
むしろコミケの更衣室はゴミゴミした大部屋に押し込められて、キャリーバッグの上に鏡置いてメイクして…ってやってらんねーんですよ。メイク終わったあとにカラコン入れ忘れたことに気がついて手を洗いたくても洗面台は無いので外に行くかそのままの手でカラコン入れるか(目が荒れるのでやってはいけない)。。。あそこで血糊コスやったら、ジュータンの上に血糊ぶっこぼすやつが毎日10組は出るね。
血糊の話は次節に、露出については次次節に譲る。
今年も去年も、電車の中で血まみれナース服の連中をダース単位で見てたし、血まみれリーマン風ゾンビさんが酒飲んでぶったおれて寝てるのはどう見てもガチでオヤジ狩り後なんじゃないかと心配になる。血まみれでもシュッと立ってスマホ見てつり革掴んでりゃ多少はマシなんだけど。
いずれにせよ、これは
扇情的な格好、という意味ではコミケやとなコスのほうがひどいのは多いと思う。なお一部クラブとかでは過激な格好をしてるところもあると聞くが、そういうのは会員制で入れなかったりするしさておく。
一般の路上で扇情的な(谷間やヘソ・下乳が出る程度の)格好をすることの是非はあるが、コミケやワンフェスでシェリル・ノームやキルラキルコスプレがたくさんいた事を考えると、路上における露出の程度は問題ではない気がする。
「公共の道路でやることが問題なんだ!」というのも、最近のコミケでは庭園エリアとかの公共エリアとほぼおなじところでやってるのはある。
はいはい盗撮で毎年逮捕者出てるコミケはおうちに帰ろうね。。。
なお警察が100人以上出動しているのは、主に交通整理の問題であって、コミケだって公共の人たち(駅の案内・信号周辺などなど)に数百人を配置してるうえに、そもそも信号がほぼ無い湾岸エリアだもん…。
「そもそも渋谷とか狭いとこでやんなよ!」と言うのは納得ではあるが、ガイジンは渋谷と六本木がやたら好きなんだよ!理由は知らん!
「コミケは外国人がたくさん参加してる!」って言うけど、少なくとも所属企業の外国人従業員30人前後のTwitterやFacebookを見る限り、コミケに行ったのは2,3人くらいだけど、ハロウィンは20人以上いってたからな。
もちろん外国人にも趣味はあるけど、初音ミクが好きすぎて日本に就職したガイジンですら、ハロウィン参加していたからな(コミケももちろん行ってたけど)。
あと、やっぱりパット見でガイジンと分かる人たち(非アジア系の外国人たち)の存在率考えても、渋谷六本木のハロウィンはコミケの10倍はガイジン密度高いと思います。
実際に歩くとガイジンばっかだなーって思いますよ。コミケじゃごくたまに見るくらいですね。
まぁコミケは既に文化となってて、日本に留学してコミケ含むオタク文化について論文書いて博士号取った人とかもいるのにくらべると、ハロウィンは文化的にまだまだーというのはありますが。
巨大レンズぶら下げて取る専なカメコは多分ハロウィンには居ない・・・か居てもかなり少ない。コミケだとカメコ率以上に高いのに比べると、みんなスマホかせいぜいコンデジ。
何十人も取り囲んでローアングラーが張り付いてスタッフがカウントするまで囲みが動かない・・・ということはない。
コレについてはよくわからない。結局のところ外部経済であるのは飲食ぐらいで、コミケだってなんだかんだでオタク同士の輪のなかでの内部経済みたいなもんじゃないのだろうか。ハロウィンの警備で警察が出て税金使ってるけど、コミケも救急車も警察も消防もキテルんだヨー。だから熱中症対策はちゃんとしようねー。
ROを経験した人間にはなかば常識ではあるが、ノーマナーという言葉は
> 「自分にとって不愉快な行為をした人間」に対して「ルール違反」的な意味合いとして、レッテルの貼り付け
として使われている。
総論:
そんなわけで、渋谷と六本木のハロウィンを綜覧して語ってみた。とは言え六本木も渋谷も、ストリートではなくてクラブの中で様々なことが行われていて、その中では新堂エルのマンガに出てくるような黒人が、新堂エルのマンガに出てくるようなことをしているのかもしれない。新堂エルのマンガに出てくるようなことをしたい。
とにかくコミケ参加者たちが自分たちが特権階級のように言っているのがムカつく。既にメインストリームはあちらに移っていて、完全に時代から取り残されつつあるのに「マスコミはダブルスタンダードだ」としか言ってないのがムカつく。時代は現在、新たなる局面へ向かいつつある!我々も表に出ていくべきときなのだ!時代は新たなオタクたちのものだ!立てよ国民!
Facebookで俺が住んでる区の地域コミュニティが出来たというので参加してみた。
当初は区内のどこぞで事故があったとか、どこそこの店が美味いとか、あそこの廃墟が解体されたとか、まさに地域コミュニティならではの内容だったのだが、参加人数が増えるに連れてだんだん情報量が膨れ上がり、それに連れて変な奴が増えてきた。
加藤はあちこちのテレビ局に出入りしてるのか知らんが、タレントの誰それに会ったとか、六本木ヒルズが見える会議室で仕事してるとか、神田の蕎麦屋が美味いとか、地域コミュニティとは全く無関係な情報を垂れ流し始めた。そのうち何を勘違いしたか、
「◯◯区コミュの皆さん、私は今夜徹夜仕事なので返事が出来なくてごめんなさい」
当然揉めるよね、地域コミュニティなのに、全く関係ない六本木やら神田やら個人の話題ばかり流すわけだから。そのうち表で裏で加藤への批判が吹き出して、コミュニティが荒れ気味に。
そんなある日、管理者権限を持ってる一人が動き出した。こいつが区議会議員。やったことはというと、
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◯◯区のコミュニティで、区と無関係な内容を投稿することにどう思いますか?
・良い
・悪い
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小学校の学級会じゃないんだからと思っていたら、加藤とその取り巻きがアンケート内容をアレコレいじり始めた。
・良い。区内に住んでるんだから。
・良い。誹謗中傷厳禁。
という選択肢をどんどん追加していった。
当然、「良い」系の選択肢にはどんどん賛成票が付く。
一方で、「悪い」のコメント欄が荒れ始めて、
「地域コミュニティなのだから、地域の話題にすべき。当初のようなお店やイベントの情報共有を」
というコメントに対して、
「クレクレ厨乙!」
とか、
「よその地域の話には興味がありませんし、このコミュニティはそういう目的でないと思います」
というコメントには、
「嫌なら見るな!」
吐き捨てる加藤。
批判というか罵倒された回答者は続々とコミュニティを抜けていった。
こうして荒れまくったアンケート、発起人の区議会議員はというと、仕切るでもなくディレクションを示すでもなく放置。顔写真はガッツポーズの威勢のよい格好してるのにね。
ネットのコミュニティすら仕切れない奴が、どうやって区制を仕切っていくの?
甚だ疑問に思った出来事だった。
都民じゃないけど、都心まで1時間以内の隣接県に生まれそだったもうすぐ34歳。
以下、人に言えないが行ったことがない場所。
別に行きたいと思わなかったのと、たまたま行く用事がなかったからってだけなんだけど。
各所とも、30歳までに行きたいと思ったが、冷静に考えると別に行きたいというわけでもなく、今になるまで行けてない。
遊ぶ金が金が全くないというほど貧乏なわけでもなく、むしろ裕福な家に生まれたし、自分自身も平均よりちょい上の給料だと思う。
いや、ホント、たまたま行く機会に恵まれなかったというだけで、行きたくないとか、嫌いとかじゃないんだけどね。
確かに、この暑い中並ぶとかどうかしてるだろって思う。
原宿で降りたことはある。竹下通りというところに入ったことがない。
これについては、本当に興味と用事がなかったからだと思う。
豊洲なら行ったことがある。
ゆりかもめは乗ったことがない。
モノレールということなら、多摩モノレールなら乗ったことがあるが。
格闘技イベントなのに18時には全試合終了って普通に暮らしてたら無理だわ。
あと、席がすげー高い。
東京関係ないけど、行ってみたいなと思いつつ、この歳になった。
展望台には登ってないけど。
年に数回行く。
ライブを見た
3回ほどハイキングした
5箇所くらい行った
六本木ヒルズとか官公庁町(裁判所に警視庁)、新橋虎ノ門、KITTE… 銀座と有楽町のデパート…
あたりはブロック1つ、ビル一つがホントにでかくて歩いて次のビルまでいくだけで疲れる。逆にビルのなかで何でも揃う。
そしてそのビルが1つの町くらいの規模になってて、高給取りがうじゃうじゃ居て、
昼ご飯には(中のレストランでまかないきれない一部の人が)わっさーと這いだしてくる。
そういえば霞ヶ関ビルは日本一高いビルだった昭和の前半の時代には何でも尺度にされてたんだよ(今の東京ドームの容積とかスカイツリーの高さみたいな)。
新宿は二丁目、思いで横町と駅まわりのぐにゃぐにゃ改築でめんどくさいところが新宿らしいといえばらしいかなあ。
都庁まわりもわさっと縦に人がつまってるけど。
そういう特徴(範囲は狭い)を除くと商業地域って路面からのアクセスが勝負だから
小さい建物で歩けるところというと新大久保だったか、立川、荻窪、中野、あたり
個性ある自営業でも住みやすそうで実際アニメスタジオもいっぱいあって実家が金持ちそう。
東京からみると新宿は昼間はもうだいたい綺麗にとりつくろえたから
単純な見た目でいうと岸和田やら修羅の国に負けてる~って感じはあるけどどうなんだろ。
★昔の権力者や寺社が建てた建物は、その後歴史の教科書に載って、テストになって小中高生を苦しめる。
200年後とか300年後の歴史テストでは「霞が関ビル」「六本木ヒルズ」「広尾ガーデンヒルズ」とか出題される?
また、時の権力者の私邸も、数百年もすれば観光名所になり、史跡指定されたり重文扱いされたりする。
なので、「孫正義の私邸」「ユニクロ柳井の私邸」「三木谷の私邸」って、
100年200年もすれば重要文化財となり、入場料を取って公開されているかもしれない。
言い方を変えれば、孫正義とか、ユニクロ柳井とかの「オーナー経営者」、数百億円数千億円の資産を貯めた人は、
後世から「重要文化財だ」と評価されるような豪邸を建てなきゃ、歴史的存在価値が問われる
★「源氏物語」とか「枕草子」とか、日本の古典文学を今の小中高生は必死になって学習しているが、
これも当時のウルトラエリート間、超金持ち同士の文化の学習なんだよな。
今で言えば孫正義と三木谷の間のメールのやり取りを、数百年後の受験生が解いている、的な
でも、200年後の受験生は、孫正義と三木谷間のメールのやり取りよりも、
マイルドヤンキー間のやり取り記録とかを学習していそうな悪寒。
★そう考えると、今のパワーエリートたちの、「後世へ文化を残す能力」は、
1000年前と比較すると大幅に衰えているんだろうなあ。
この辺を嘆いて、渡部昇一は「日本社会はもっと格差化しないと、文化が残せない」と言ってたわけだ
★オーナー企業の御曹司、例えば大王製紙の御曹司なんかだと、別に親父の会社に入社して働かなくても、
一生遊んで暮らせる財産があるんだから、そういう御曹司は働かずに豪遊して、むしろ「文化」を後世に遺してくれた方がいいんだが。
それこそ、私財を投じて巨大カジノでも作れば、200年後に名が残る
お隣の韓国などは、オーナー企業の御曹司が会社を世襲しているのですが、御曹司自らモーレツに働いている。
韓国財閥御曹司のうち1人くらい、会社の役員にならずに、成人してから数十年間豪遊しまくって「文化」を残してほしい
その点、ヨーロッパ辺りの富豪の中には、一生働かずにモナコ辺りで豪遊する人生を謳歌する貴族もいる。
自分は「40歳代にして累積5億円稼いだような人」や「40歳代にして親から遺産2億円相続したような人」に対して
東京近辺で頑張って上げてたけど、不毛感漂うのでやる気失せてきた。
1人だと1つのポータルに、どんなに頑張ってもL5、シールド2つ、値60(コモン)くらいまでしかいけない一方、周りに数人L8がいてシールド4つとかあるし、壊してもすぐ補給される。
一箇所のポータルでHackすると次まで5分かかるし、そもそも短時間には5回くらいまでしかHackができない。なので補給するには暑い中延々とポータルやファームを回らないといけない。一方で自宅や職場から数個ポータルにアクセスできると、そこで武器を調達しまくることができる。具体的にはグーグルのある六本木ヒルズとか。
上の対策としてポータルを申請しても数ヶ月返答が帰ってこない。そして却下を食らう。
どうせ刺してもすぐ相手に奪われるとこに対して、Captureもしくは取られるまでのつなぎとしてL8を1個刺したりしてると「一本差しうざい。全部埋めろ」とか送ってくる相手がいてうるさい。
http://anond.hatelabo.jp/20140722125040
近くの同じチームの人と集まってわいわい話しながらやるのがよさそう。もしくは遠出したついでに記念にHackしてキーを集めるとか。陣取り合戦は飽きたわ。