はてなキーワード: 佐野研二郎とは
383 自分:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ be74-MEQr) 投稿日:2015/09/04(金) 18:51:52.06 ID:GREk8R870
ふざけるなよ こんなの教科書の黒塗りと一緒じゃないか 歴史を改変するな
400 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 099b-E7MU) 投稿日:2015/09/04(金) 18:55:12.00 ID:jcCyZd8C0
367 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 0238-9ixC) 投稿日:2015/09/04(金) 18:48:05.43 ID:fJbQ4KQx0
大阪芸術大学教授・純丘曜彰氏の発言への疑問を述べた記事に、氏から応答があった。
元の記事
「五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言」
http://anond.hatelabo.jp/20150903062450
純丘氏の応答
http://www.insightnow.jp/article/8644?page=6
もう佐野研二郎氏に関わるような話題は終わらせたほうがよいと考えているので、
議論がふたたび活発になるようなことは望まない。
筆者から疑問を投げかけ、氏がそれに答えてくれたので
パンチ一発ずつ(?)ということでこれ以上の応酬はやめようと思う。
なぜか筆者が「チャレンジャー」ということになっているが……
ただ、わざわざ返答をくれた氏に対してこちらからの感想とちょっとした考えを述べておきたい。
加えて、幻となってしまった佐野氏のエンブレムへの所感を残して旧エンブレムについては最後とし、
次のエンブレムについての思いを記そうと思う。
「ニーチェの綴りが2ちゃんねるでどうこう、ということだが、なんのことやら」(純丘氏)
炎上という非常事態に対してまさにこの「なんのことやら」という意識で臨み、
周辺に挙がっている言葉(火種)をそのまま拾って記事を作るということが、
■色の件
一般の人が読むことも考えて説明を加えたのだろう。
残念だがこちらの疑問に答えたものではなく、新たな論点もない。
この項を借りて…
氏の表象論などを用いたデザインに関する言説は(半分以上フィクションとしてだが)みな
■純丘氏の社会的影響力
非常にあったと考えている。
それは、(失礼だが)純丘氏の所論が正しく、力強かったからではない。
識者の言質さえ取れればいい、このフリップのこのスペースが埋まればいい、
そんなノリでコメントを拾っている。
8月10日、純丘氏のこの一文を読んでびっくりしたのをよく覚えている。
「このデザイナーがpinterest、その他、ネットのかなり奥深いところから
巧妙に素材を拾ってきていることが完全に明らかになってしまった」
Pinterest ついては、この時点では「完全に明らかになった」といえるような
証拠は出ていなかった(強く紐づけられるものがせいぜいニーチェの件で、
結局、最後まで確たる証拠といえるようなものは出てこなかったと考えている)。
しかし、この記事は一気に広まり、その後のムードを作っていったように思う。
純丘氏には、「佐野エンブレムを下ろしたい」というご自身の希望を
初見でロゴだけを見たときはあまりいい印象をもっていなかった。
が、明滅するアニメーションを見て選ばれた理由がわかった気がした。
その後は、騒動の最中ではあったものの見慣れていき、黒がよい主張と映ってきた。
CM でスポンサーロゴの両脇を固めたオリンピックとパラリンピックのエンブレムにはリッチで崇高な印象をもった。
黒のことがよく言われるが、プラス方向に見ればゴージャス、フォーマルな色である。
もちろん、この強い色の使用はチャレンジだった。
桜のリースのようなデザインもすばらしいが、今回の選考委員の半数はチャレンジを選んだ。
オリンピックでこれまでに使われたことのない「黒」も、
選ばれた主な理由だと考えられる「組み替えアイデア」も、チャレンジであったと思う。
選ばれることがすなわちよい結末になるとも限らない、そんな不安がある。
何か思い当たるふしなどなくてもだ。
コンペではよく「勝った」「負けた」という言葉が使われる。
新国立競技場のコンペについて伊東豊雄氏もはっきり「負けました」という言葉を使っていた。
「芸術も、学問も、勝った、負けた、の話じゃない。なにが本当か、
どうすればより美しくなるか。みんなで知恵を絞るにこしたことはない」
統括するにはまだ早いと思うのだけど覚書。
【1】一連の騒動について
【2】デザイン的に見てどう思うか
【3】佐野氏に同情できるか
【1】一連の騒動について
サノケンのエンブレム取り下げまでの一連の事件を振り返ってグーグル会長が書いたエリック・シュミット『第五の権力』を思い出したので書いておく。
まず第五の権力とは何か。
行政、司法、立法の3つの権力に対して今まで報道を第四の権力となぞらえていた。それを本書でエリックは第五の権力のことを、全世界の人がオンラインでつながったことで手にする力と言っていて、つまりインターネットをもった我々のことで、有体にいえば『炎上』のことである。
で、サノケンの炎上だけど、これまでの炎上と明確に一つ違う点があることを留意しておきたいと思う。
海外のデザイナーやフォトグラファーらとニュースを通じてオンライン上で繋がり、情報が次々と提供され、外堀を着々と埋められてしまって国はもう言い逃れできなくなってしまった。
恥の文化がある日本人にとって、海外のリアクションはすごく耳が痛かっただろうなと思う。
で第五の権力、つまり『炎上』についてまだまだ日本で過小評価されているような気がする。
佐々木俊尚氏に限っては、いまだにネット民の自制が必要みたいなナイーブな話をしているし、茂木健一郎氏は、権威者層に対する下位層による妬み、対立みたいな話になっている。
いやいや、デザイナー・広告業界からのタレコミが多かったと思うけどな。政府関係者の中にもサノケンのエンブレムが気に入らなかった人は大勢いたんじゃないかなと思うし。
ていうか、妬みの力だけで国は動かないし、動かせるわけがない。もし妬みで国を変えられるのなら、Gakut何人必要なんだよって話だよね。
トートバックの事案、過去のデザインの掘り出し、原案の意匠の発表と、無視できない事案が重なってエンブレムが取り下げになった。
もしかしたらデザイン業界ではコピペ(盗用)・改変(剽窃)は、慣例的に、普通に行われていたのかもしれない。
でも、もうそれは許されることではなくなった。
どうでもいいけど、茂木氏がクオリア(死語)的にデザインが受け付けないと語った時にはこれはギャグなのかなと思った。
【2】デザイン的に見て
素人目に佐野エンブレムのデザイン的に悪いところを個人的に挙げておく。
1:デザインが堅苦しい。
スポーツの躍動感がない。
祭典のイメージがない等
2:パラリンピックの白黒反転ロゴが、『T』に見えず、『U』に見えること
佐野的にはパラリンピックは『=』(イコール、平等)をイメージしたらしいがパラリンピック関係者は、それを
聞いてどう思っただろうね?
まだ『U』でUNITE(結合)とした方が良かったのではないか。せっかく26文字作ったんだからさ。
3アルファベットイニシャルが、日本人にはそもそも受け付けないものであること。
なんでTOKYOのTなんだろうね?
たぶんあれは原案を元に作成されたもので、意匠変更を経て発表できなくなったものなんだろうなと推測。
素人目には、ここまで悪いところを挙げられる。
あとプロと素人の境界は職務に対して『批判的』になれるかである。
批判的になれないのは『商売人』であって、『プロフェッショナル』ではない。
【3】佐野氏に同情できるか
はっきり言って、どうでもいい。
同情は彼の仲間が(同情)するべきことで、無関係の我々がすることではない、よね?
著作権を軽視してトレパクすることは、他人の住所を勝手にネットに書き込みすることに等しい犯罪であることを認識してほしい。
とりあえずインターネットウィルスによる情報漏えいと同クラスの対策を取らないと自社、取引先の企業価値を大きく毀損する結果になるとだけ忠告しておく。
TPPによって著作権侵害の非親告による摘発が可能になればさらにこの流れは加速するはずだ。
むしろ、このことによってオリジナルのクリエイターの権利が守られることを望みたい。
そういえばトートバックの件でで剽窃したと思われる猫のデザインはいつになったら取り下げてくれるのだろうと思っている。
佐野デザインと名前を付けている以上、名前に大きく責任を持つべきだと思う。
盗用されて被害を受けているデザイナー、フォトグラファー、クリエイターが実際にいることを忘れちゃいけないと思う。
クリエイトすることによって飯を食っている人たちであることを忘れちゃいけない。
佐野氏より、五輪提携企業より先に、こちらに対して、まずどう補償していくのかが今後のこのサノケン事件の焦点になるのかなと思っている。
才能があるのに無名で売れないクリエイターってたくさんいるんだからさ、これを機に還元される流れになってほしいな。
以上です。
騒動に一区切りついたので、一般国民側からも少し話をしようと思う。
パクリでは無いと考えている。
当然である。デザインを購入した後、世間から問い合わせを受けるのはクライアント。もし、サントリーの一件で佐野氏の名前が出ていなかったら、どうなっていたか。
自社の名前で出している以上"管理が杜撰・意識がなってない・人のものを盗んでも平気な会社"そう言われるのはクライアント。盗用騒動があって尚、業界全体に擁護や被害者意識がある以上、こちらが自衛するのは当然の行為。
また、説明を求めるのも当然。発表後はあなたの代わりに説明をしなければならない。その行為を「文句・いちゃもん」だととらえ、「黙らせる」ためにはどうしたらいいのかなど、まるで敵であるかのように表現されているのを見ると、非常に残念。
・論文で嘘が発覚
等、業界の信頼を著しく落とすような問題が発生した場合、同業者はそれを非難、または自分のところは違うとはっきりと主張する。
ところが今回はどうだろう。
・業界ではよくあること
・そんなこと言っていたら、商売にならない
・内々の資料が表に出ちゃってかわいそう
圧倒的に擁護の声が多い。理解に苦しむ。一体何を守ってるのだろうか。
モノを作っているのは自分たちだけだと考えている方が多いようだ。なんという傲慢!あなたの身の回りにあるモノやサービスは自動で生まれてくると思っているのか。
我々の世界では、プレゼン用はもちろん、部署内で数人しか目にしないモノでも、お金を払って正規のルートで入手した素材・原料を使って試作を作る。他社商品を参考にする際も、お金を払って購入する。人のモノを盗んで作ったりはしない。人のモノを盗んで商売に使うのは、それ素材を作った人に対する侮辱、そして犯罪。
社内の試食会で、コックが畑から盗んできた野菜を使って料理をしていたら、あなたはどう思うだろうか。
世の中には有料無料を問わず、使っても問題ない画像が多数存在してるが、それを購入・探す手間すら惜しむ。そんな意識で「モノを作る大変さ」などと口にしないでほしい。複製が容易なデータだからと、甘えてるだけだ。「内部的なものは人から盗んでも可」という甘ったれた業界の常識は一般国民には通用しない。ここを改めない限り、悲劇は何度でも繰り返す。
そうは言っても…、ではなく、まずあなた自身が"盗用とわかっているものを使わない"、そう”指導する”ことから始めて欲しい。さもなければ、イザという時、あなたも同じ目にあってしまうだろう。
此度、使用中止という結果に終わった原因は、エンブレムの類似性よりも、作ったのが佐野氏だったからだと考えている。当初、私や周りの人間はエンブレムを支持していた。世界規模で探せば似ているモノがあって当然と。
だが、トートバッグあたりから雲行きが怪しくなり、それ以後、彼らが行動を起こす度、不信感が募り、空港の写真が決定打となった。
我々一般国民も日々苦労しながらモノ・サービスを作っており、誰かの下で働いている。
会見で後付のコンセプトを話し、内々だからと日常的に盗用を行い、それが公開される事故が起こったら、部下が何も言わなかった、業界では普通と弁解する人間。作品に罪はない。けれど、私は佐野研二郎という人間を支持することはできなかった。
使用予定だったエンブレムは優れている。インターネット上で作られたどの作品よりも、上品で堂々としている。しかし、人の権利を蔑ろにする人間に、オリンピックエンブレムのデザイナーでいてほしくはなかった。使用中止の速報を見た時、ホッとした。
出来上がったモノと作ったヒトとを混合して判断する行為は、モノを作る人間として恥ずべきものだ。騒動が収まり、冷静になった今、深く反省している。今後、同様の事件が起こった際、冷静に多くの問題を切り離し考えるよう改めたい。
フィーリングじゃねぇよ。
佐野研二郎の名前でやった仕事に盗用があり、それを部下がやったことだと認めているケースにおいては
この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授の純丘曜彰氏である。
反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。
エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で
純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。
筆者の感じた純丘氏への疑問とは、
そして「独りよがりなデザイン論」「デザインに関する知識不足」である。
http://www.insightnow.jp/article/8591
瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である。
デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、
純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。
以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である。
ニーチェの独文の警句を英文で引用して、名前の綴りがコピー元のままに間違っていたり
(page:2 より)
Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、
その最後の名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、
すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。
Pinterest に綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。
ここで問題なのは「佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。
この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、
ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。
純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである。
最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。
「大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。
論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが
こんなお粗末な方法で文章を書いている人物が学生に論文の指導をしているのはいかがなものだろう。
あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。
およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。
まるでいやな気分にさせること自体が目的のひとつにもなってしまっているようだ。
純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。
だがそれは個人的な感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。
大学教授、美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。
識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。
騒動の中、感情のほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。
これ以降、掲示板でもエンブレムをゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。
http://www.insightnow.jp/article/8644
ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。
疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたものを
「超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、
デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。
むろんそれ自体は問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、
己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは
この一文の含まれる段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら
「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデアを否定するのが目的のようだが
9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?
さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、
黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス的悪趣味。
解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。
エンブレムを仮に芸術のひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。
しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザイン」である。
アートのように何ものからも束縛されない自由な意志で構成、配色したものではない。
見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレム」であるという情報とともに接する、
そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。
佐野エンブレムがスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。
が、「ナチスフラッグ」である、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは
エンブレムの出自、コンテクストを無視した悪意のあるミスリードでしかない。
ゴキブリの画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがりな解釈を
強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。
どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視のRGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷のYMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり
この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。
この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを
結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである。
純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。
発表されたエンブレムは RGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、
佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、
あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……
RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり
CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である。
RGB と CMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである。
ポスターやプログラムに印刷するなら CMYK のデータを用意する。
純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、
デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。
特色というのは印刷インクの一種で、
通常のプロセスカラー(CMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである。
エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこからの情報かわからないが
(筆者は見たことがないので、まずはそのソースが問題である)、
それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。
RGB/CMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用の現場に応じて「自然に」決まるのであって
雑誌のカラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである。
金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。
特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、
そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。
・特色番号(印刷用)
純丘氏の言葉を再掲する。
以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナーを想像できるだろうか。
すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定(CMYK 値)のない、
純丘氏の作為の産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。
このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも
デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。
大阪芸術大学教授・純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。
「佐野五輪エンブレムは超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど
エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、
このペダンティックな解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、
芸術・デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、
この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、
己の求める結論「佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉と作為的イメージを用いて
流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。
増田を書かずにブコメするヤツは非生産的、という増田を見て驚いたが、なるほどと思う面もあるので、増田デビューしてみる。だってみんな、オレのブログなんて読んでくんないんだもん。しかもid署名付きだ。増田の意味を踏みにじる暴挙だ。規約違反とかだったら謝る。規約はぜんぜん確認してない。とりあえず自分が一番にブコメすることで、他人のidを騙ってるわけではないことの証明とする所存。いやもしかすると過去にデビューしてるかも知れないけど。
ここから本文。
反省には二種類ある。ミスを反省するのと、考えを反省し考えを改めるのと。
「もとより増田を書かないなんて有り得ないと重々認識はしていたが、手続き上の不手際で結果としてなかなか果たせずにいた」というのが前者。「増田書く必要なんてどこにもないと考えていたが今は反省している」というのが後者(ちなみにオレは、別に反省していない)。
佐野氏は「管理不行き届き」「不手際」、つまり、飽くまでミスだったと言う。だが、到底信じることは出来ない。主な理由は五輪エンブレム展開使用例の件と、もうひとつ、それも含めた疑惑の数。
まず、展開使用例。「今回の事態について」後半に、「エンブレムはMR_DESIGNで応募したものではなく、私が個人で応募したもの」「デザインを共同で制作してくれたスタッフもおりません」とある。素直に受け取ると、あの羽田空港や渋谷駅前の写真をネットで探して見つけてダウンロードしてコピーライト表記をカットして加工したのは佐野氏本人ということだ。「このくらいいいじゃん」と思ってなきゃそんなことはできない。オレ自身が「そのくらいいいと本音では思ってるけどバレると怖いからやめとこう」派なので、「このくらいいいじゃん」という気持ちはよくわかる。
もうひとつ、疑惑の多さ。ネット民がおもしろがって追求してるターゲットは当初こそ佐野氏ひとりだったが、やがて疑惑は疑惑を生み、徐々にターゲットは日本のデザイン界全体に移った。「永井一正」「森本千絵」「佐藤可士和」等の名前は多くのネット民のGoogle画像検索に集中的に曝されたに違いない。なのに出て来る疑惑のほとんどが佐野氏ひとりに集中している。これがすべて管理ミスだとしたら異様なまでに突出したうっかりさんということになるが、「このくらいいいじゃん」と思ってたと考えれば普通に納得できる。
というか、ほとんどのデザイナーはどこかの段階で権利関係の確認作業をしてるはずだ。少なくともオレはする。必ずしも倫理感からではなく、後で揉めて金銭の問題になるのが怖いから。スタッフがシラ切ったって、お前が撮ったならその元写真を見せろ、というだけで簡単に見抜ける。佐野氏がそれをしてなかったのは、そんなのいいんだよ、可士和さんみたいに、部活っぽいノリで、レディメイドのものをポンポンと配置して行くスピード感を大事にしようぜ、と考えていたからなんだよ。その考えは一理あるよ。わかる。言いたいことはよくわかる。だからこそ、正直な、いっさいごまかしのない反省文が読みたいんだよ。
この騒動を通して佐野氏は何かを学び、何かを反省したはずだ。ミスではなく、より自分自身の考えの根幹に近い、何かを。佐野氏はそれを語るべきだ。例えば「そのくらいいいと思ってた。今にして思えばたしかに権利関係の意識が甘過ぎた」とか。あるいは「自信を持って言うが、芸術の神はオレを支持してる。アーティストとして恥じる点は微塵もない。ただ、庶民のみなさんにこの論理は受け入れてもらえないということは今回つくづく実感したし、まあ神ならぬ庶民の論理がそうなるのは考えてみれば確かにもっともなので、そういう意味で、今後は他人の写真を無断で使わないように考えを改めます」だとか(以上はすべて、素材のパクリの話です。アイデアのパクリはまた全く別の話で、素材のパクリよりはるかに微妙で、考えるのがむずかしい)。
えー、以上で終わりだけど、「佐野ってヤツは恥ずかしくないのかよwwwww」について、ついでに私見を述べます。
ネットで拾った写真を無断で使うのってどうなのか、という問題には、「1:デザイナーとしての矜持」「2:法律的に大丈夫か」「3:オリジナルの人にムッとされたら法的に無問題でもやっぱマズくないか」という三層があると思う。佐野氏的に、少なくとも1はすべてクリアしてたんだよ。それは間違いないと思う。そして、ボクサーが百人いれば百通りのボクシング観が有り得るように、デザイナーが百人いれば百通りのデザイン観があっていいわけで、そこは、本人のなかでクリアしてればそれでいいんだよ。他の素人や他のデザイナーが「オレだったら恥じる」とか言って攻撃するのは基本的に無意味。というか傲慢。お前のデザイン観だけが唯一の正解とか思ってんじゃないよ、って話。勿論、本人の心境も現在は多少変わってるかも知れないけど。
いい加減腹立ったので書いておく。
内部資料だぜ?
それを勝手にクライアントであるノーパンしゃぶしゃぶ武藤が外に出したのであって、佐野先生は内輪で使うためにあれを用意したに過ぎないわけ。
お前らだってツイッターのアイコンは適当に拾ってきた画像だろ。
コピーライトを削った?
それがどうしたんだよ。お前らが使ってるそのどこかで拾ってきたアニメ調の壁紙、画像検索にかけてみろよ。コピーライトなんか余裕で削ってるぜ? みんなやってんだよそれくらい。画像まとめサイトや壁紙配布サイトの管理人がやってることを、日本のトップデザイナーであり年収5億を誇る佐野先生が東京五輪のエンブレム選定という世界規模の大仕事のプレゼンでやっちゃいけないのかよ。なんだその差別。
大体、アートの世界ではネットで画像を拾ってくるっていうのはごく普通のことなわけ。
海外のド素人が作ったキメこなを、東浩紀先生も絶賛する梅沢先生がアートに昇華させたわけで、ありがとうございますと涙を流して感激するならともかくパクリパクリって頭どうかしてる。
画像は使います!使います!それ以上のコミュニケーションはないです。
ネットにある画像はフラットだから全部使う。使うことにごめんねはない。
その結果として体力のないコミュニティが潰れてもしょうがない。
梅沢先生はなぜか「自分はコピペでやりくりしてるから」とか卑屈なこと言ってて、黒瀬先生はノーコメントなのが残念だけれど、藤城先生は佐野先生の全面擁護を展開、ネット民は今すぐ首吊って死ねとツイートされていて本当に心強い。
アーティストってのはインターネット上の素材を自由に使い、編集する権利を持ってるわけ。どうもそれを理解してないゴミどもが多くて困る。
構図が似てたらパクリとかアホか。
コンプライアンスはマルドゥック・スクランブル外伝のパクリか?
ArialなんかaだけでHelveticaとの違いが一発で分かるし、FAIRYTAILは作家名を見れば一発で違うと分かるし、コンプライアンスは漫画であって小説じゃないから一発で違うと分かる。
永井先生もおっしゃっているとおり、教養もない大衆にはコンセプトの違いが理解できないんだろう。お前ら大衆はブルーヌードを見て「なんだこれオランピアのパクリじゃねぇか!」と喚き立てるわけだろ? あのコンセプトの違いが見て分からないとかほんと残念な目をしてんな。
メッセサンオー事件の被害者のことを考えれば鼻糞未満の被害だろうがとか考えてんだろう。人間として最低だなお前ら。
佐野先生が公開した写真を断りもなく、その引用元も明記せずに勝手によそで晒し、配布するっていうのは非常識としか言い様がない異常な行為で、まともな人間のやることじゃない。
フリー素材じゃねぇんだぞ!
ツイッターや2chで佐野先生の悪口が連日書かれている状況とか、まさに「人間として耐えられない限界状況」だと思う。カオスラウンジの黒瀬先生は何も気にすること無く今日も美術学校講師としても活躍していらっしゃるし、鳩山元首相とか元気ハツラツとしてツヤツヤしていらっしゃるけど、ネット炎上が人を確実に死に追いやる行為だということをお前らは自覚した方がいい。
魔女が他人の作ったものを剽窃して金と名誉と社会的地位を荒稼ぎしていたことが露呈したからといって、狩っていいって話にはならねぇだろ。正義ヅラしやがって。正義の反対は悪ではなくまた別の正義なんだよ。魔女の正義を理解しろよ。金のない貧乏人が僻んでんじゃねぇ。
加えて家族への攻撃とかほんと論外。嫁はミスターデザインの広報担当でトートバッグの件は部下に責任があり悪いのは全て部下です佐野は関係ありません悪いことは全て部下がやりましたと言っただけで今回の問題とは無関係な全くの善人であることは明白だろうが。
お前らだってSTAP事件の笹井先生のことを毎日思い出しては「やり過ぎてしまった、人の命は地球より重いのになんてことをしてしまったんだ」と悔やんでるだろ? それをまた繰り返したいのか?
集団で個人を叩いて面白いか? どうせお前らは集団で叩かれた側の人間だろうが。いじめはダメだって習わなかったか? 不正な手段で金と地位と名誉を少々得たからって、それはいじめる理由にならねぇだろうが。とはいっても先生の財産は半端ねぇし、なんぼでもやっていけるだけのコネも持ってるし、お前らがギャーギャー喚いたって痛くも痒くもねぇけどな。東電元社長の清水さんとかあれだけお前らが槍玉に上げたけど、結局今でもバリバリ現役だからな。慶応評議員にも立候補したし。
佐野先生よりもっと悪い奴がいるはずだって意見がある。それは一面的には分かる。でもそれじゃ佐野先生も悪いみたいじゃないか。佐野先生は悪くない。コピーライトを削って100万ぽっちを稼ぎ、五輪エンブレムのデザイナーとしての地位を得ようとしたこと、それは業界の闇と陰謀によって佐野先生がやらざるをえなくなってしまったことだというのは誰が見ても一目瞭然で、佐野先生は完全に被害者なんだ。9/1付けで写真の権利者が佐野先生からコンタクトがないことを明かしたけど、その程度の不手際を責めるのは明らかに不当だと思う。佐野先生のところは担当者がいつも不在なくらい多忙なんだよ。お前ら家に引きこもってるニートとは違うんだよ。
MR_DESIGN HP
エンブレムにつきまして
私は、東京オリンピック・パラリンピックの大会の成功を願う純粋な思いから
エンブレムのコンペティションに参加致しました。エンブレムがフラッグに掲げられ、
世界中の人に仰ぎ見られている光景や、金メダルに刻まれたエンブレムを
強くイメージしながら伝統的かつ新しい日本、東京を表現すべく大胆に、
このような国をあげての大切なイベントのシンボルとなるエンブレムの
デザイン選考への参加は、デザイナーにとっては大舞台で会って、
疑いをかけられているような模倣や盗作は、原案に関しても、最終案に関しても、
あってはならないし、絶対に許されないことと今でも思っております。
しかしながら、エンブレムのデザイン以外の私の仕事において不手際があり、
謝罪致しました。この件については、一切の責任は自分にあります。
改めて御迷惑をかけてしまったアーティストや皆様に深くお詫び致します。
その後は、残念ながら一部のメディアで悪しきイメージが増幅され、
私の他の作品についても、あたかもすべてが何かの模倣だと報じられ、
話題となりさらには作ったこともないデザインにまで、佐野研二郎の盗作作品となって
自宅や実家、事務所にメディアの取材が昼夜、休日問わず来ています。
事実関係の確認がなされないまま断片的に、報道されることもしばしばありました。
様々なオンラインアカウントに無断で登録され、毎日、誹謗中傷のメールが送られ、
記憶にないショッピングサイトやSNSから入会確認のメールが届きます。
自分のみならず、家族や無関係の親族の写真もネット上にさらされるなどの
今の状況はコンペに参加した当時の自分の思いとは、全く別の方向に向かって
しまいました。もうこれ以上は、人間として耐えられない限界状況だと思うに至りました。
組織委員会の皆様、審査委員会、制作者の私自身とで協議をする中、
オリンピック・パラリンピックを成功させたいとひとえに祈念する気持ちに
変わりがない旨を再度皆様にお伝え致しました。
また、このような騒動や私自身や作品の疑義に対して繰り返される
批判やバッシングから、家族やスタッフを守る為にも、もうこれ以上今の状況を
続けることは難しいと判断し、今回の取り下げに関して私自身も決断致しました。
図らずも御迷惑をおかけしてしまった多くの人々、そして組織委員会の皆様、
審査委員会の皆様、関係各所の皆様には深くお詫び申し上げる次第です。
上記事情のゆえ今回の判断に関しましてはどうか御理解くださいますよう
お願い申し上げます。
都内で細々と自営のデザイン屋をやっております。今回のエンブレムの騒動もここにきて(とりあえず)一つの区切りがついたようなので、この一連の出来事において個人的に感じたことなどを忘備録も兼ねて書き留めておきます。
まず、佐野研二郎という人物についてですが、今回の騒動でまぁ国民に広く知れ渡るほどの知名度を得ましたけど、デザイン業界においてはスーパースター的な知名度が元からありました。まぁサッカーの日本代表でスタメンに入るようなイメージですかね。ちなみに僕はJ2にも入れないぐらいですね。サッカー観ないからよく知らないけど。まぁ所詮業界内だけのことを国民的なスポーツに置き換えるのもアレなんですけど。
で、そんな彼がこんな形で騒がれ始めて、まるで自分や自分のやってる仕事に対していちゃもんつけられてるような気になって一人で勝手に心を痛めていたわけです。しばらくは。
今回のエンブレムが発表されて最初に感じた個人的な感想は「これはちょっとやばいぞ」でした。何がやばいかというと、一般ウケしないのは一目瞭然だったんですよ。まぁ皆さんがダサい理由としてあれこれ上げてらっしゃることと同じ理由で。でも選ばれた理由は幾何学的な要素だけで構成された、今後の展開やブランディングを視野に入れてのことなんだなというのは初見でなんとなくわかりました。
とはいえですよねぇ。今回のオリンピック、ボランティアのユニフォームはダッセーって騒ぎになったしスタジアムはまぁあんなゴタゴタですし。もっとさかのぼるとAKBを開会式に出すんじゃねーの?やめてよね!みたいな機運もあったり。もっとさかのぼると、そもそも毎回オリンピックやるたびに選手団のユニフォームがダサいって槍玉に挙げられてるし。もう国民の感情がちょっとでも変なもん出したらただじゃすまねーよって空気が既に醸成されてたわけですよ。
そんななかあのエンブレムでしょ。「こりゃやばいぞ」と思うわけです。
でも正直ここまで大ごとになるとは思ってなくて、なんだかんだいって世間も落ち着いて、そのうちあのエンブレムがいろんな使われ方をして面白い展開がされていくなかで、徐々に世間から受け入れられていくんだろうなと楽観してたんですよね。
ダサいかダサくないかは正直これからの使われ方次第、というのが僕のデザイナーとしての見方でした。
そこにきてあのベルギーの劇場ね。パクりかパクりじゃないかというと、個人的な見解としてはパクりじゃないですねアレは。
ただ、あのときの記者会見で完全な悪手を打ったのは間違いないです。どういうことかというと、デザインのプロセスを素人にもわかるように説明しなかったからですね。
例えを出すと、アルファベットの「E」とカタカナの「ヨ」、ひっくり返ってるだけですごく似てますよね。でもこれらはまったく違う文化と文脈とプロセスを経てたまたまアウトプットが似てしまっただけなのはわざわざ説明するまでも無いんだけど、これぐらい明確に多くの人が納得出来るアウトプットまでのプロセスを開示してくれれば良かったんです。(ダサいダサくないは別な議論として)
ちなみにこの辺りではまだ僕は100%佐野さん擁護の立場でした。
そのあとトートバッグの件とかあれこれパクりだなんだと掘り返されてく騒動を見てて、明らかにいちゃもんだろってのも多かったんですけど、こりゃ完全に黒だわってのもボンボン出てきて。ほんと正直な話をしちゃうと、程度の差はあれネットから無断で画像を拝借して勝手に使っちゃうって経験、ほとんどのデザイナーにあると思うんですよ。
だからトートバッグの頃まではもちろん悪いことだけど同情も禁じ得ないみたいなね。下のデザイナーが勝手にやっちゃったんだろうなーと。だからこの辺までは個々の問題は切り分けて議論すべきという立場で、まだ擁護派でした。
でもそのあとさすがに出てきすぎだよね。僕ぐらい小さな仕事しかしてないデザイナーでも人の目に触れるような仕事では他人の素材を勝手に使うのは怖くて出来ないのによくやるなーと。お客さんによっては「予算無いから素材購入はそっち持ちで。撮影?無理無理www」みたいなのとか「ネットの画像、適当に使っちゃってよ、どうせバレないっしょwww」なんてケースもけっこうあります。やんないけど。でもあれほどのビッグクライアントがそんな予算渋るとは思えないしね。あり得ないよね。
で、佐野氏を結構擁護してた僕なんですけど原案を見て「もうダメだわ」となりました。
だって当初発表していたデザインコンセプト自体が後付けだったってことがはっきりしちゃったので。亀倉さんへのオマージュなんてどこにも無いじゃん!みたいな。あー、どうりで最初の会見でプロセスをはっきり説明出来なかったんだなーと。この時点でもう擁護するのが面倒になりました。心ももう痛まないです。
まぁ結果的に取り下げになったのは佐野氏にとっても委員会にとっても国民にとっても良かったんじゃないかなと思います。というか空港の画像の件、取り下げる理由を探してた委員会としてはとても良い言い訳が見つかってホッとしてるんじゃないかなと。
話がまとまってないけど、あのネットで話題になった扇のエンブレムね。あれを汚いって中島英樹氏は言ったけど、あれはデザインが悪いという意味とはちょっと違いますね。多分だけど。あれはあの丸のレイアウトに幾何学的な法則性がなくて、なんとなく配置してるだけなんですよ。だから揃うべきところが揃ってない。あと配色もなんとなくで決めてるのがわかりますしね。その点佐野氏のデザインは円と正方形のみでちゃんと計算されたエンブレムなので、そういう意味での完成度は明らかに違います。(ダサいダサくないは別な議論として)
最後に「デザインのわからん素人は黙ってろ」というこっち側の人間に多く見られた反応ですけど、あれは呪詛ですよ。絶対にやってはいけない。
僕もネットの心無い書き込みを見て「素人がなんも知らんくせに」という感情が何度も湧き上がったのは正直に告白します。でもそれを言ったらもう終わりなんですよね。わからんやつは黙ってろじゃなくて、わからせるためにこっちは何が出来るか、わかってもらうための努力まで込みで考えてものを作るのがデザイナーやアートディレクターの仕事だと思うんです。
だから出産直前で佐野氏擁護の発言をした森本氏がこれから新しい命が誕生する前になんでこんな呪詛を振りまくんだろうと不思議で仕方なかったです。あれなんて典型的な「素人黙れ」発言だったので。
普段あまり文章を書く習慣の無い人間にありがちな、非常にまとまりのない文章ですみませんでした。
でもデザイン業界側の人間で僕みたいな捉え方してる人ってわりと多いんじゃないかと勝手に思ってるので、多少そんな人たちの代弁ができたんだとしたらいいなと思ってます。
20代デザイナーです。普段は業界の末端にてWEB以外の商業デザインなどしています。
今回の件、誰もちゃんと内容が分からないまま話が進んでいるのがモヤモヤするので、簡単にまとめようと思います。
個人的に今回のエンブレムの感想を書いておくと、震災があった中で、それでも前に進もうとする強い意志、円を基調とした設計に前回の東京五輪への深い尊敬が見える、力強くいいエンブレムだと思いました。まあ、原案は円関係ないんかい!とも思いましたが。
一応僕もデザイナーなので少し偏った見方があるかもしれませんが、どうか生暖かい目で読んでいただけたらと思います…。
◼︎そもそもアートディレクターとは
まず、アーティストとアートディレクターについて誰も区別がつかないまま話が進んでいるのが怖かったので簡単に説明しておきます。アートとデザインの違い、となるとそれは永遠に答えが出ないと思いますが、「アートディレクター」はあくまでも「アート」部分に関する「ディレクター」であって、別に絵を描いたりする人ではありません。
さらに上の「クリエイティブディレクター」という役職の人が映画のプロデューサー的な立ち位置でしょうか。どんな作品にするかの意思決定をします。
そしてそれをもとに、「アートディレクター」という役職の人が、どのような形でそれを表現するか決めます。これは映画でいうと監督でしょうか。監督がセットを作ったり、メイクをしたりはしませんよね?
さらにそれをもとに、イラストレーターが登場したりカメラマンが登場したりしてデザインの素材を作ります。(素材という言い方は彼らに失礼ですが…)
さらにさらにそれらをまとめて、部下のデザイナーが画面やアイテムに落とし込みます。アートディレクターはそれを見て「こうじゃない」「それいいね!」など意見します。自分で手を動かすこともあります。
という訳で、本来、アートディレクターという立場は一人で何か作品を作るものではなく、チームを引っ張って、その案件を商業的に成功させるための監督のような立ち位置です。
◼︎トートバッグについて
エンブレムは「佐野研二郎」名義のもの。トートバッグは「MR.DESIGN」名義のもの。エンブレムはおそらく、会社のスタッフは関わらず一人で作り上げたのでしょう。これは一旦置いておいて、トートバッグの無断転用はどう考えてもNGです。
先ほどの例えで言うと、本来はイラストレーターやカメラマンにお願いして新しく作ってもらうべきですが、他人のものを無断で使用してしまった。
これは、佐野研二郎さん個人というよりは、「MR.DESIGNのアートディレクター」としての責任です。部下のデザイナーのやったことを見落としてしまったのか、内情は分かりませんが、きちんとした対応が必要な部分です。
(同じ業界の人間としては、好きでパクったりはしないだろうと思うので、それくらい激務だったんだろうなあ…と同情してしまう部分もありますが…。アニメーター問題に近いかもしれませんね)
◼︎エンブレムについて
問題は、今回のエンブレムや、動物園のロゴなど、「形が似ているからパクリ」とされているものに関してです。実際佐野さんがパクッたのかどうかは分からないので置いておくとして、この流れを放置するのはまずいことです。
美術の学校ではロゴデザインについてある程度同じ教育を受けていますし、同じ時代に生きていれば同じセンスを共有しています。そしてデザインを志すような人間の視点は基本的に近いと思うので、たとえば、「アルファベットのAを簡略化しろ」と言われたら、多くの人が「△」を思い浮かべると思います。実際、アルファベットのAを三角で表現したフォントはたくさんあります。
つまり、パクリでなかったとしても、偶然同じ形になってしまうことはたびたび起こります。
チェックを入念にしたとしても、シンプルな形の組み合わせであれば、何かしら似ているものは見つかってしまうでしょう。
もちろんその中で独創性あるものを追求するのがデザイナーの仕事ではありますが、
「形が似てるものはパクリ」となると、僕たちはともかく、10年後、20年後のデザイナーは何も作れなくなってしまうのではないでしょうか?
また、今後パクリ疑惑をかけられるのを恐れて、いろいろな要素を組み合わせた野暮ったいデザインが世の中に広まっていくのだとしたら、そのはどこかで止めなければなりません。
そうなったとき、何がパクリ/オリジナルの判断基準になるのか?
出来上がったデザインをどう守ればいいのか?
これが今回出てきた一番の問題です。
◼︎コンセプト
「コンセプトが違うので盗用ではない」という言葉を何回も聞いて皆さんは死ぬほど不信感を持っていると思いますが、実際のところデザインにはコンセプトが存在します。
まあコンセプト全くなくていい!かわいい!おしゃれ!という世界もあります。
しかし、五輪エンブレムや企業エンブレムなど、これから何年も使われるものに関しては、流行りや気分に左右されない、柱となるコンセプトや設計が必要です。
ここがややこしいところです。
多くの人にとって、美術やデザインというのは「学校の副教科」でしかありません。副教科では、「カラフルで自由にのびのびと描いてね!」くらいしか言われないでしょうし、美術やデザインに対する認識がそこで止まったまま大人になってしまうでしょう。
(少し逸れますが、本来美術の授業は、美術が好きな子のためにあるというよりは、いつかクライアントになるかもしれない子たちが、「作品はそんなにすぐにはできないし、手間もかかる」と自らの手で実感するためにあるのかなと思います。)
「本当にコンセプトなんてあるの?適当にやってるんじゃないの?」
「数時間で適当に作ってくれればいいから!」「無印みたいな簡単なデザインでいいから!」
これらは、デザイナーや僕が舐められているというよりは、本当にデザインについて知らないから起こってしまうすれ違いなのかなと思っています。「好き勝手作ってお金もらえて、楽な職業だな」くらいに思われているのかもしれません。
デザインにも歴史があり、多くの人が様々な技法や設計を編み出してきました。
それを僕たちは何年もかけて迷い、悩みながら勉強しています。少なくとも、そういった先人たちやデザインそのものを小馬鹿にするのは止めてほしいです。
ただまあ、僕もいきなり「やっぱりオゴペ料理のハンヌスはフラッペンよりピテポが合うよね〜」とか言われたら何言ってんだコイツと思うでしょう。もっと分かるように説明しろよ、と。
デザイン業界の一部には「どうせクライアントには言っても分からないから押し通そう…」とか、カタカナ語を多用しすぎて主張が意味不明な人もいますが、そんなことやってないで、精一杯説明して伝えないと何も始まりません。これからはもっとわかりやすく、丁寧に伝えていく必要があるのでしょう。
エンブレムだけ作れる人ならたくさんいますし、「それっぽいもの」なら誰でもすぐに作れてしまうと思います。ただ、実際それに決定されたとして、会場のインフォグラフィックだったり、全体のポスターだったり、広告だったり、グッズだったりへ落とし込む際の監督をその人ができるか?という問題が出てきます。結局その監督を誰か雇うなら二度手間になってしまいます。だからこそ、国内外で活躍しているデザイナーに絞ってコンペを開催したのでしょう。そして、その案の中で佐野さんの案が最もイメージの湧きやすい提案だったのではないでしょうか。
たとえば「名刺を作るコンペ!」やランサーズなどの簡単なコンペなら繰り上げでいいと思いますが、仕事のコンペって「誰に任せるか」を決めるものでもあります。全ての提案を見た上で、「この提案をした人にどうしても任せたい!」と決まったのではないですかね。「エンブレムを決める」というよりは、「提案を見て、オリンピックデザインの監督を決める」コンペだったのでしょう。
◼︎写真盗用について
今回、会場での使用イメージに使った写真が無断転用だという話題が出ました。
あの写真は、おそらく審査員向けの内部資料(カンプ)であって、本来表に出るものではありません。
だから転用していいという事にはなりませんし、クレジットを意図的に消したのもいけなかったと思いますが、クライアント向けの内部資料まで1からオリジナルで撮影している代理店やデザイン事務所はほとんどないでしょう。
広告の雑誌で売れっ子アートディレクターを特集した記事などでは、カンプにモザイクがかかっているのをよく見かけます。予算は変わらず、でも資料に使う写真までオリジナルで作って、と言われたらほとんどの会社潰れると思います。
この内部資料に使う素材に関しては、業界全体が考え直さなければいけない問題です。外には出ない資料だとしても引用元は明記するなど、なにかアウトラインが欲しいですね。
まあ実際どうだかはわかりませんが、全体的に業界は人手不足だと思います。
で、やっぱり一緒に仕事をするチームはいつも同じになってきてしまいます。
それは、デザインが「ロゴ作って終わり!」というものではなく、人と人とのコミュニケーションの中で作っていくものだからです。全く知らない奴が急に飛び込んでくるより、お互いがよくわかっているチームで仕事をしたほうがやりやすいのは間違いないです。これにはいい面もあるし、悪い面もあります。
そういう信頼関係が何十年も続いていったのが今の業界なのかもしれません。そしてそれを利権と呼ぶのかもしれませんが、賞やコンペに関しては公正は保たれているように見えます。
今回の件、個人的には、「この人は、僕が作ったものが何かに似てしまっていたら、手の平返して袋叩きにしてくるんだろなあ…」という目線で交友関係を見直すことができました。
と同時に、「◯◯くんはパクリなんかしないだろうから信頼してるよw」というような声もいただきました。その言葉は、今回の擁護騒動そのものを表していませんか?他の大御所デザイナーも、きっとそれと同じ気持ちで彼にコメントしていました。
◼︎まとめ
精一杯努力して作ったものが誰かに気に入ってもらえると、何より嬉しいです。
しかし、ずっとここに居たせいで、おかしなことを常識だと思い込んでいたり、「こんなの説明しなくても分かるでしょ…」なんて思ってしまったこともあります。
片っ端からデザイナーを叩いたり足を引っ張り合うのも結構ですが、そうではなく、何がダメで何がダメじゃなくて、これからどうしていけばいいのかを真剣に話し合わないとどこへも進めません。デザイナーはデザイナーで、もっと色々なものを公開して、説明していく義務があると思います。
僕たちの世代は生まれた時にはもう不況で、経済がおかしくなったり震災があったり、ずっと踏んだり蹴ったりでした。そんな中で、生まれて初めて舞い込んだハッピーかもしれないニュース、東京オリンピック。これがこんなに荒れてしまったのでは本当に悲しいです。
「こんなの俺でもできるじゃんww」という方、どうかデザイナーになって業界を助けてください。これから先、今まで以上に大変な道が待っていると思います。
嫌になることばかりですが、それでも人を信じてコツコツ頑張っていこうと思います。
今まで好意的な報道だったのに突然手のひらを返したりすることってあるでしょ。
そうすると、それまで笑顔の写真とか使ってたくせに、どこから出してきたの?ってくらい悪意に満ちた表情を持ってくるわけじゃない。
ん?企業が不始末をして、その責任を取ったところで、それ以降もその企業倫理が疑われるのは当然だろ。
トヨタが豊田章男の信用で成り立っている会社なら、部下の不始末も社長の不始末だろ。
じゃあ、たとえば「佐野研二郎はデザインに使う素材の収集は部下に任せていたが
その中にネットから適当にパクってくるだけの奴がいてこんなことになった」という
有り得そうな状況が原因だった場合(というかトートバッグの件で佐野はそう説明している)、
もちろん佐野の管理責任は問われるけど倫理観は問われないよね?
おまえは「佐野個人の倫理観の問題」と決めつけているけど確証はあるの?
「写真の盗用をした自覚がありながらパクリ疑惑を晴らすためにそれをドヤ顔で公開した馬鹿なデザイナー」が佐野だと思ってるの?
もし前述のような事情だった場合、おまえは「根拠もなく他人の倫理観を疑って義憤ごっこをしていたクズ」ということになるけど、
だって、佐野研二郎という人間の倫理観自体が疑われてるんだから、仕方がない。
その人が信用できるかどうかは、結局、過去の行いからで判断するしかない。