ベルリンの壁崩壊後の1990年に「女性解放の理論が、マルクス主義の射程から脱け出ていないのは、マルクス主義だけが、ほとんど唯一の、(近代)産業社会の解明とそれからの解放の理論だからである」としており[28]。その後にも、ハンガリー動乱とプラハの春以降もヨーロッパの社会主義者であった人らについて、2008年に「ソ連があるにもかかわらず社会主義者になった、良心的・体制批判的な人たち」と社会主義を「善」とする立場をとっている[29]。2009年には女性の抑圧を解明するフェミニズムの解放理論には社会主義婦人解放論、ラディカル・フェミニズム、マルクス主義フェミニズムの三つしかないと主張している。労働者階級が勝利し階級支配を廃絶すれば女性も解放されるという「社会主義婦人解放論」を強く批判、「ラディカル・フェミニズム」も「社会主義婦人解放論」と同様に「市場」と「家族」が重なり合った近代産業社会における資本主義社会を前提としていることが固有の女性差別の根源であると主張し、マルクス主義フェミニズムを支持している[30]。