はてなキーワード: ボコとは
不快になる事しか書いてないし、支離滅裂な文章なので頭がおかしくなりそう!
コロナがついに5類になる。
医療者側の渦中の人間だったので、正直世間の人たちの意見を意図的に見ないようにしていた3年間だった。
なんでかと言うと、余りにも自分たちのしてる事が馬鹿馬鹿しく、そして虚しく感じてしまうんじゃないかと怖かったから。
渦中から外れた今、5類移行を前に様々口汚く罵る人々をアレコレ見られるようになって、「仕事してる時に見なくて本当に良かった〜」と心から安堵している。
ちょっと心は折れたけど、アル中にも借金まみれにも性病にもならず、何となく生き延びることができた。
関係ないけどいま梅毒がやばいので、風俗行ったり知らん人とやりまくる人は一回検査してくれ。ウン10年後が怖いから。妊娠してると堕すことになるから。早めに治療したらちゃんと治るよ。
まぁ梅毒なんかはどうでも良い。
個人的には感染対策も、ワクチンも、各種支援も、このヤバめ未曾有の超災害に対してみんなわりとかなりけっこうずいぶん頑張ったように思う。
ズタボロの雑巾みたいになって働いた医療関係の人たち、私も含めて超お疲れ。
これからはのんびりスローライフとまでは行かなくても、もう少し心穏やかに仕事ができるようになると良いよね。折れた人はもう休んでくれ。
でも多分こう言うふうに言えるのは私が医療者側だったからであって、コロナで散々苦しめられた学生観光飲食エンタメなどに関係する方々からすると、医療職ってもはや『敵』というか『自分達をコロナで苦しめた諸悪の根源』になってるんだなぁと、しみじみ思った。
医者がああだというから、保健所がこうだというからという強制力のもとで散々抑圧された市政の方々からすると、それもそうかーと言う気持ち。
ごめんねってここで謝ったところで、何の意味もないし、何に謝っているのかもわからないんだけど、辛かったろうなと言うことの傾聴はできる。
できるかな?仕事だと言われるとやれると思う。悲痛な面持ちで頷きながら、手を握るくらいなんてことないぜ。
でもそうなるとむくむくともたげてくるのが「私たちがやった事ってわりと無駄だったな」「そこまで頑張らなくても良かったんだな」という考え。
日本は7万人くらい亡くなって、致死率0.2%くらい。
らしい。いまHP見てきた。
厳しめの感染対策と日本人の潔癖さと村八分文化と医療者の頑張りとあとなんか他にも色んなものが様々に絡み合って、出来た結果だと思う。
でもコロナ禍が過ぎて、こんなに医療職が馬鹿みたいに叩かれるなら、もっと対策は緩くして良かったんだなーとしみじみしてくる。
アメリカもロシアも致死率1%以上あるから、別に日本もその水準でなーんも問題なかった
単純計算すると5倍なんで、35万人くらいは亡くならないと他の国と釣り合いが取れない
あれこれと苦しい思いをして必死になったのがばかみたい
今私の頭を占めてるのはそんな考えばかり。
なんか今日胸糞悪い記事とニセ科学記事を血眼にして読み漁ったので、鬱屈とした気持ちが占めてるせいだとは分かってるんだけど。
こんな事は違いますよってのも、感謝してくれてる人もいるってのも知っておりますが。
でも酸素化が85%とかになって苦しいよ〜ってやってる人を、どうしようどうしようって思いながら治療する必要なんかなかったし、食べ物がないんです!と喚く人たちに、配食をあくせくしながら届ける必要もなかった。命ギリギリの人たちにごめん、もっと早くなんとかしとけばよかったよーって泣く必要もなかった。あれも、これもみーんな無駄。
老若男女、等しく5倍の人が死んで良かったのだと思うとなんか全てがあほらしいなーと言う気持ちがいっぱいになるわけです。
でも多分死ぬのは主に金がない人たちに超偏るんだろうなというのも頭を掠める。それはなんだかな。めちゃくちゃ腹立つな。私も貧しい側だから死ぬし。
でももっとたくさんの人が悲壮感たっぷりに死ねば、いちいち強制的に規制なんてしなくても、自発的に色んなものが少し自重ムードになって、こんなに憎悪の連鎖にはならなかったのかもしれない。
お得意の村八分文化で感染者を自殺に追い込む事はできたじゃないですか。なのであんな感じの対策で良かったんのかもしれない。
イベントもそのままやれば良かったし、飲食店も閉めずにそのままでいたら良かった。
次亜塩素酸ナトリウム噴霧しながら、クレベリン舐めて塩のかかった⚫︎コー⚫︎飲んでおけば治るんですよ。はっ倒すぞ。
病院は患者が押しかけて資源の奪い合いになって、多忙で鬱になる医療者がどんどんやめて医療は崩壊するけど、医者はともかく看護師なんかウジみたいにいっぱいいるし、時がたてば何とかなるんじゃない?
ならねーよ。後輩みんな鬱と不眠抱えてんだぞふざけんなよ。転職できた子はめちゃくちゃ明るくなってたので、それはめちゃ良かった。健やかに生きてね。
今はそんな気持ちでいっぱいになってる。
市政の人たちは医療者の事、嫌いだろうと思うけど
少なくとも私も市政の人たちのこと大嫌いなので、安心して欲しい。
口汚く罵る人はもちろん地獄に堕ちろって思ってる。
あとは上っ面でブルーインパルス笑を飛ばしたり、テキトーなイルミネーション点灯して「医療関係者にありがとう!」とかしてた奴らはもっと唾棄するレベルで嫌い。
本当にきつい時に、他人の自己満足の餌にされたことは一生忘れない。
なおブルーインパルスを操縦した人は悪くない。
でもそれを企画立案したやつも、それに金出したやつも磔⚫︎斬⚫︎にしろと思う。血を流せ。畑を血でみたせみたせみたせ。フランス国歌もそう言ってるだろ。苔むしてる場合じゃないんだよ。
金と休暇以外に欲しいものはなかったけど、それは絶対にくれなかったし。
漠然とした上の連中が、この3年間で何を考えて、私たちに何をしたのかは忘れないでいようと思う。
具体的にいうと選挙に行く。あと有給を取る。手札が少なくて泣けてきちゃう。転職がんばろ。
あとはネットでよく見かける「つよいくちょうのいしゃとかんごし」これも嫌い。
嫌いというか愛憎入り乱れてる。
たしかに良いぞもっとやれって思う時もある。もっと無知蒙昧で下劣で低俗な市民をボコボコにEBMがちがち正論で殴ってしまえと。スカッとするし。
でも結局センセーショナルな文言で煽るようなことを言っても何も解決しないのと、結局他の善良で草の根ネットワークな医療関係者を背後から撃ってることになるし、なんなら私も攻撃受けて辛いので、マジでやめろやという気持ちに落ち着く。
頑張ってるのに患者や市民にリンチされてしまった結果、世間に怨嗟を撒き散らすことになってしまった悲しい乙事主である事はわかるんだが。頼むから美味しいもの食べて、寝て、楽しいことをして、いかりをしずめてくれ。あなたたち、つかれてるのよ。
というか今ここで恨みつらみを書き連ねてる私も同位体なわけですけど。つらみー。
OMIさんがもうそれはそれは散々な罵倒をされてるが、あの人の凄いところはそれを絶ッッッッッ対に怒りで返さないところ。対話をしつづけるところ。まじですごい。
私みたいな底辺クソメディ野郎はもちろん、各方面の優秀なオイシャサンたちまでもが、感情むき出し祟り神モンスターに成り果てていく中で、静かにわかりやすい形で啓発・説得を続けようとするの、これは本当にすごいことなわけですよ。
何なんあのメガネって思ってる人も多いと思うんだけど、まともなことを怒らずに淡々と言い続ける人はまじでとんでもねー人なんで、30年後とかにめちゃ余裕が出て慈悲の心が沸いたりしたらインタビュー記事とか読んでみてください。めっちゃ心を砕いてどうしたらいいか考えて、頑張ってるんだよ、分科会の人。政府はろくに聞きませんでしたけども。ナントカ医師会とかナントカゲカ学会の人なんかより5億倍くらい頑張ってるのは知って欲しい。
とりあえず5月8日が待ち遠しいような、でも別に私の職場何も関係ないような気もするような。
医療関係者なんか来世には絶対選ばねーよと思いながら、転職を頑張ろうと思う。
みんなおつかれ。
なんか罵倒コメントでもついてるかなという戦闘的な態度で見にきたら、普通にやさしいコメントついててびっくりした。ありがとね。
でもさ100のヨシヨシと1の膝蹴りだと膝蹴りの方が脳内を占めない?
世界が全て膝蹴りしてくる人に見えてこない?認知の歪みなんだけどさ。そんな時もあるんだよ。
そして市井の人とノイジーマイノリティね。
おぼえたよ、ありがとね。
啖呵切った部分で誤字ってるのは公衆で恥部を晒しているのに等しいが、覚えるために残しておくね。
Twitterで怨嗟の部分だけ切り抜きされてて、それも羞恥心に駆られました。冷静になったら負けだ。
これは公衆便所の落書きと同じなんで、こんなもん真剣に読まんで寝てくれ。もし寝れないならKUTSUNA先生のYahooのやつを読むんだ。50億倍役にたつ。
そしてなんか凹んでる人達へ。こんなもん読んで罪悪感とか悲哀を感じないでくれ。職業選択の自由において大いなるハズレを引いてやがるざまぁと嘲笑うくらいでいいんだよ。私もそう思ってるから大丈夫だよ。
海外の医療者の人へ。なんなら海外の医療者のが本気で死ぬ思いで悲惨だったろうと思う。マジでマジでお疲れ様。海外はたぶんワクチンと文化と政治が絡み合ってあの感染者だから、何かとてつもなく巨大なものに押し潰されるような恐怖と戦ってたのかもしれない。英国とかの病院の廊下で患者が死ぬ話とかもはや戦時中だよ、考えただけで胃が捻転する。
医療職の何が大変なのか理解に苦しむ人へ。職業に貴賎はなく、どの職にもそれぞれの苦労やつらさはあると思う。現場で胸が苦しくなる場面が体験したければ、NHKのエマージェンシーコールって番組見てみて。風呂場で血まみれで冷たくなってる妻を、夫が震えながら心臓マッサージする場面(だったと思う)が出てきます。例えるとそういう類のものです。
『接遇気をつけて♡』ってうちわ持って振りたいやついるよね。うちの職場の人にもぜひやってくれ。
WHOとかいう組織のフグの毒みたいな名前の人が緊急事態宣言を解除したみたいで何よりです。
何がよかったのかといわれるとわかんないけど。
撲滅してないし、何かの感染症の流行り廃りは続くので、少年漫画の打ち切りのラストみたいな「私たちのたたかいはこれからだ…!」みたいなのを延々続ける羽目になるのだ。完。
https://kuragebunch.com/episode/10834108156703394859
「男から「女に脱落した」と思って生きてきた」
国立大学に通っていた時、同級生男子が「国立大学での教育って、かなり税金が投入されているのに、女性は結婚したら仕事辞めちゃうんだよなー。勿体無い」と言っていて、
でも今は、家庭の事情による失業は構造的なものだってことが分かる。
私の周囲には、子供の習い事や病気、不登校を原因に、やむなく仕事を辞めたりセーブする女性達がいる。
資本主義社会において、経済的に不安定な立場を喜んで選ぶ人はそうそういない。
親の介護で離職する人には「税金が勿体無い」と言われることはなかなか無いのに。子育てに関する様々な事に関しては、女性が責め立てられる。
産むと責められるし、産まなくても責められる。
名誉男性になることで、それらの誹りを回避した気になっていたけれど、結婚して出産を考え始めた途端に向き合わなくてはいけなくなってしまった。
子供がいるのに、スポーツ大会/趣味の集まりに毎週末参加している男性達も周囲にいる。そういう人達の話を聞くと、女性は妊娠した瞬間に人生終了だなと思う。
そう、妊娠した瞬間に人生終了です。大事なことなので、二回言いました。
いや、結婚して名前を変えて心が死んだ時から人生が終わっていたのかもしれないし、
この社会に女性として生まれた時から終わっていたのかもしれない。
好きな人と結婚して子供が欲しいと言う気持ちは男女共通だろうに、どうして不要な改姓の不便を被ったり、単身の子育て責任者にならなくてはいけないんだ?
こういう、女性としての振る舞いに馴染めないことを自覚する度に、本当の自分は男性なのではないかと考えた。
良い。良すぎる。
これまでMi Band4など使ってきたが、結局続かなかった。
電池持ちはMi Bandよりクソだしデカいし、持ってる腕時計より厚みもあるが使えている。かれこれ4ヶ月。
出来ることが多いし、何より意外と電池が持つ。
風呂入ってる間に充電すれば不便がないし、出先で充電しなおしたことがない。
まじで良い。
眉毛がしっかりしてるから、そこは少し整えないとフレームとコンフリクトしてうざくなるから注意。
厚みのあるリュックを使ってきたが、少ない量でも下に溜まってボコっとするのが嫌だった。
マチが小さくて広がらず、伸びない布でできてる物を購入。
最大容量は減ったが、スタイリッシュに通勤できるようになった。
良い。
アレクサが使えるやつ。
今更かもだが、やっと導入してクソ便利になった。
ん?悪影響か?
以上です
続き
https://twitter.com/Hambubger3/status/1652150978370580481/photo/1
QuickMatchで肩慣らしじゃ
↓
Empireは遠隔武器多いのかVanpire蜂の巣にしてくれる
↓
↓
Warming up with a quickmatch
Turning Vanpire into swiss cheese with Empires ranged weapons
Wraiths jumps on me and tear me to shreds
Defeat
I have no idea what I'm doing but it's fun
→意訳がうまくて面白い
「蜂の巣」はturn someone into swiss cheese
「ボコボコ」はtear someone to shredds
Shut up about Japanese translation already
Trash can't even speak English and wants to play western games
→日本語では「やりたがるなよ」と相手に直接語りかけているが英語だと独り言っぽく訳されてる
Blocking it in Japan is better. That way you can feel superior just for having it in your library.
https://twitter.com/himasoraakane/status/1641662940775591936
暇空が小学校に在籍していた平成元年~6年の間に吉野郡に異動した男性教員は…ンアォア
それではご覧ください
安堵(生駒)
真弓(生駒)
伊那佐(宇陀)
神末(宇陀)
上曽爾(宇陀)
育成(高取町)
朝和(天理)
浮孔西(大和高田)
暇空茜「小学校の先生とレスバになって詰めたら「E=mc^2」って黒板にかいてお前これ解いてみろっていうから、「お前俺より”先に生まれた”だけじゃん」って言ったら泣いちゃって、相撲やるぞとかいわれて相撲でボコボコにされたから校長にいいつけたら吉野の小学校に左遷された(実話)」は、たぶん実話
子どもに障害があるとかならわかる。暴力で襲われて、レイプをされた結果できたとかならわかる。
ピルもある。アフターピルもある。その中で中絶する理由ってなんだ?
事件に合うとか、障害を持つ子が生まれるかどうかは全然わからないことだから
「子作り」をしておいて、普通の子供が生まれるのに中絶薬を使う人、使った人。
歩く殺人現場として、人殺しの顔をしてこれから生きて行って欲しい。
法律的にはそうでは無いけど、胎児も立派な人間だ。へその緒で繋がっていても母親とは別の生き物だ。
大人痴情のもつれで大人を殺すと叩かれる。だが赤子を殺すと擁護の声が驚くほど湧く。
今の世の中はあまりにも赤子に対する同情と言うか、「人未満である」という見方が多すぎる。
本来なら大人より子供を殺す方が重罪だろう。子供を殺すより、何の罪も能力もない赤子を殺す方が重罪だろう。
でも現実は違う。
すごい頻繁に見る流れで いつも「不思議だな…」て観察してるやつ
まあそれぞれ盛り上がりどころで感想いったりするじゃない
ABとCBどっちも好きって人が
「この情報はCB!」って騒ぐとこまでは「お、なんや楽しそうでええやん」なんだけど
「これはCB、もうABはない」て言い始めたところで
で、段々『ABない』論に便乗してくる人たちで盛り上がってきて
元々AB好きを自称してる人の発言だからAB好きの人の目に触れるわけじゃない?
そこで言い争いが起こるくらいなら話はまだ単純なんだけど
AB好きの人が
てなった時よ
その、元々AB否定論言い始めた人、ABとCBどっちも推してた人が
て慌て出すやつ
すごいいつも不思議
いや……そんなに好きならなんでABに否定的な論でノリノリだったんだ……
ABボコボコ論が盛り上がってきたときに 積極的にノッてたのも 君 ですよ
ABアンチがABボコボコに言ってるのはまあそういうもんだろ、という認識だし
ABアンチだとわかってる人の発言をわざわざAB好きの人が見る機会もあんまりないので
AB好きで楽しんでて、AB好きの交友関係が築かれてるアカウントでABボコボコに言って、
これ1人だけ見かけたとかじゃなくてどのジャンルにも一定数いるんですよね 不思議
正直ABだろうがCBだろうが超勝手なこと言ってるのは同じってのもあるけどさ
自分が好きなもの、見たいものに肯定的な発言してれば概ね悪いようにはならんし
AB好きな人の活動に影響与えたくないならABの人から見えないところで発言する工夫すればいいのになって
いつも思うんだけども
中学生の頃、ターゲットが通り過ぎると皆で親指をたてる。という謎の遊び(からかい)が流行って、参加しない人がターゲットになったりしてたんだが、ある時転校してきた女子がターゲットになり、それを虐めだと学校側に訴えたことで参加者がこっぴどく叱られて学級会も行われた。やられてる方はいい気がしないのは分かる。おとなになってからその転校生と再会した時、あのときは酷く心をいためたと詰め寄られた。勿論からかうのは良くないし、彼女の言い分も理解できるし異論もない。
ただ、自分は、高校時代に中学の頃仲良かったはずの、当時番長格だった同級生から、その彼女にちょっかいをかけたと勘違いされ(これは本当にただの勘違い)て、理由も告げられずトイレでとりまきに囲まれて歯と鼻を折られた。その後も教室に不在のタイミングで携帯を勝手に有料通話につなげたまま放置にされたりを何度も、割と陰湿ないじめにあった。親には何も言わなかったが掛り付けの整形外科医から親に連絡が入り、学校に相談。校長室に呼ばれて、「喧嘩は分かるけど一方的にやられるっていうのは、我が校では聞いた事ない」と半笑いで告げられ(実際はその番長()に呼び出されてボコられた下級生も何人もいるんだけど)。結局そのイジメは卒業まで続いた。
自分は何度も本人に対してやめろと告げたし、他にも件の彼からスリッパに酷い悪口を落書きされてる友達のことも同じくやめろと言い続けたんだけど、結局なにもかわらず。
調べたところ、中国でのアニメは普通に続き、ついに翻訳分が追いつかれた!
原作漫画の連載は一時期中断していたようが今では十分なストックがあるらしい。
『一人之下』能力の幅が広く、駆け引きも面白く、何よりキャラクターが魅力的なのがよい。
だけど
ぜーーーーーーんぜん、出ない、出る気配がない。
ぜーーーーーーーんぜん、出ない、続きの翻訳が来ない!
はぁ。
日本を舐めないでほしい。わが国の読者はマヂで無関係に丸呑みするぞ。
たとえ自分の属性に合致する登場人物がボッコボコにされようとも両手を挙げて満面の笑みで嬉しがるぞ。
続きを熱望してます。
ストレートにいうけど、いじめの被害者なんてどうでもよくて、ただただいじめた奴らをボコボコにしてやりたいっていう人が多すぎるのよ。
そいつらは自分たちの正義の拳に酔ってるわけで、そこに水をさされるような「いじめられる側にも問題があるのでは?」なんていう話に興味がないんじゃないの?
めちゃくちゃ気持ちよく悪人を殴ってるのに、被害者側にも原因があるなんて言われたら殴るときの気持ちよさが半減しちゃうよな。
だから被害者に対して「あなたは悪くない。悪いのはいじめた側の人間だけだ」と説き伏せようとする。
被害者が一生被害者でいてくれたほうが、加害者のことをずっと殴り続けられるからな。
つまりそいつらは、いじめてる人間を気持ちよく殴り続けたいだけで実はいじめがなくなったら困る人間ってことだよ。
だから、「いじめられてる側にも原因がある」という論調に対して、殴りかかりそうな勢いで否定するんだろうな。
そこに欠けてる視点は「いじめをなくしたい」と考えているかどうかということ。
いじめをなくしたいって考えてるなら、普通に考えてメカニズムに目を向けるわけよ。
そういうプロセスの中で、いじめられる側にも原因があるかもしれないと考えることは当たり前のことで、それを否定するということはつまり「いじめをなくしたい」ことが目的ではないということは明らかってことでしょ。
そこに目を向けようとしない時点で、そういう人間はいじめをなくしたいとは考えてないと割り切ってもいいと思うよ。
自覚があるかないか別として、考えることができないならば議論はできないのだから。
ここまで言えば気づいてると思うけど、こいつらの心理って「いじめる側」のそれと同じなんだよね。
あいつは悪いことをしたのだから攻撃されて当然。だからこれはいじめじゃない。
自分は自分たちの正義に従っただけ。たまたまそれが大多数からの攻撃になっただけでこれはいじめじゃない。
だから、こいつらにしてみればいじめられた側に原因があったいじめは、いじめじゃなくて「裁き」でしかないんだよね。
そうやって、自分たちの正義を全肯定して、人を殴る気持ち良さに酔ってるというわけだ。
そりゃいじめなんてなくなるわけないよ。
今と言っても、もうずっと前から当たり前になってるけど。
要するに自分が殴られた側にいつづけることで、無限に相手に殴り返せるっていう論法。
今はこれがまじで強い。
なにかちょっとでも気に入らないことがあれば、すぐに被害者側に構えを取って、あとは世間の同情を得ながら一生殴り返すだけ。
「アドバイス罪」もわからなくはないけど、それを理由に殴り返していいという道理はないよ。
(たちが悪いのは本人は一生被害者ムーブで、とりまきが殴り返しに行くパターンなんだけどね。)
そのあたりの解決策として、自分としてはかなり前から言い続けてることが一つある。
できるのは被害を訴えることだけで、裁くのは刑事か民事なのよ。
それなのに、自分たちの裁量で誰かを裁こうとしたら、それはもう暴力でしかないわけよ。
つまるところ、どんな理由があろうとも暴力を正当化ししようとした時点でその人間はダウト。
被害者なんて関係なくて、自分が気持ちよく暴力を振るいたいだけの人間だということ。
だからこそ「資格なき裁きは暴力」だという認識が広がっていかない限り、そういう人たちが自分たちの暴力を自覚することはないのだと思うよ。
だから増田は、その「いじめられる側にも原因がある」という話を暴力を正当化する人間かどうかの踏み絵にしたらいいよ。
無知なだけというパターンも当然あるだろうけど、わかり合おうとしない人間に歩みよる必要はないし、一人一人を説得したところで、いじめを無くすことなんてできないんだから。
ついでにいうと、これは自分が属する組織を判断するものさしとしてもものすごくわかりやすいよ。
どんな理由であれ暴力を正当化する人間には近づくべきではないし、目先の正義に振り回されずメカニズムに目を向ける人間は一目置いておくべき。
される側にどんな理由があろうとも暴力がまかり通る組織に身をおくべきではないということはいうまでもないことで、その刃先がいつ自分にむくとも限らないし、加害者側にいることでしか安全が守られない組織なんていつ自分に罪が被せられるかなんてわかったもんじゃないよ。
まぁ、そういう人間の巣窟みたいになっている今のはてなで書くような話ではないけどね。
お前ら口が裂けてもその行動が問題解決に役立ってるなんて考えてくれるなよ。
暴力が気持ちがいいって自覚があるならまだましだけど、それが単純に正義だと信じてるやつらはまじのクソだっていう自覚くらいもってくれよ。
ティアキン出るし、ずっと気になってたからブレワイクリアしたんだけどさ、あれ小学生がクリアできるの?
まあ出来る子は出来るんだろうけど、結構数絞られない?
ライネルとかガーディアンとか雷のカースガノンとか厄災ガノンとか
特に厄災さん
何で急に無敵状態になるの?
んでもって、無敵状態になったって明示してくれないじゃん
でもそれだけじゃん
だもんだから、パリィのタイミングもジャスト回避が成功するタイミングも掴めないまま、何度試しても攻撃は通らず、数少ない攻撃のチャンスも巧く活かせず、どうしてもむてきが解除されず、相手の攻撃の捌きもわからないままだらだらとダメージか蓄積されて、じり貧で負けましたわこんちくしょう
再戦したらなんか勝っちゃったけどさ、よし勝った!って感じじゃなくて、ほんとなんか勝っちゃんたんだよね、雷さんと同じく
ゼルダ、時のオカリナ以来だったからそもそも認識に違いがあるかもなんだけど、時オカはすごくナビィが有能だった気がする
設定上難しかったのかも知れないけど、戦闘途中でもヒントが欲しかったなあ
楽しかったです
やっぱアクション苦手だなあ
本当はこういう文書くのどうかなあと思ったんですよね。
こんなこと書いて自称ジャンルの治安維持を名目にしたお気持ちヤクザみたいなファンって言われると困るなと思うけど、言われても仕方ないしなと思いましたし。
対象は子供向け作品ですし、実写作品で現在大人気のコンテンツですし。
でもちょっと昨今の意見の分かれ方を見まして、「考え方を変えろとは言わないけど頭の片隅には置いておいて欲しいな」と思ったので書かせて頂きました。
大人気の特撮シリーズでウルトラマンってシリーズありますよね。
去年大盛況でしたね、「シン・ウルトラマン」とか。
最近新しいウルトラマンと番組の放送時期の発表が来たり、今も新情報のカウントダウンが行われていますね。
その新情報を巡りまして、その中の一つの作品、「ウルトラギャラクシーファイト」という作品が今注目を集めています。
「ウルトラギャラクシーファイト」は今3シーズン?3作品?出ています。
最初のシーズンは今「ニュージェネレーション」というジャンルで分類される新しいウルトラマン達(キャラ名は沢山いるので割愛します)にスポットライトを当てた話でした。
その次のシーズン、「大いなる陰謀」、続く「運命の衝突」ではアブソリュートタルタロスという新しい敵、その仲間たちがやってきて、ウルトラマン達は新しい脅威に立ち向かわねばならない…という話でした。
「ウルトラギャラクシーファイト」というシリーズには実は基本ウルトラマン達しか出てきてません。
世間によく知られている、「人間とウルトラマンが何らかの要因で一体化し、その正体を隠し続けながら日夜地球に訪れる脅威と戦っているよ」という話では無いわけです。
まず「ウルトラマン」という作品は「円谷特撮ヒーローシリーズ」の一つです。
世間でよく知られているミニチュアのジオラマや、火薬による爆発、ウェットスーツや着ぐるみを着用したキャラクター達との戦闘を工夫を凝らして撮影したシリーズですね。
怪獣の口から出る光線で吹き飛ぶ街、逃げ惑う人々、ウルトラマンが怪獣に投げ飛ばされてその背中で押し潰される建物。
そしてウルトラマンと一体化することになった人間の苦悩、その秘密を隠し続けなくてはならないジレンマ、戦闘が続く中で人々を守るために常に選択と苦難に向き合わなくてはならない日々。
そして、人間とは全く違う存在、「ウルトラマン」達と種族を超え、文明を超え、理解し、絆を深め合うストーリー。
心が踊りますね。
長いので以降「ウルトラギャラクシーファイト」は「ギャラファイ」と略させて頂きますが、ギャラファイには実は人間、出てきません。名前を呼ばれたりはします。
ほぼウルトラマンと怪獣と星人と、「アブソリューティアン」と呼ばれる強大な敵の物語です。
「ウルトラマンとは人間との関わりを大事にした作品ではなかったのか」
「俺はウルトラマンが自分より脆くて弱く、利己的な存在である人間と接して影響を受けたり与えたりするのを見たいんだ」
という意見が出てきました。
「特撮らしく、人間にとっては巨大な建造物を軽々と超えてしまう身長を持つ怪獣とヒーローが戦い、街を破壊したり守ったりしながら戦うのが見たい」
「何かを守るために戦うのがウルトラマンではなかったのか。人間との関わりもなく大義名分もない戦いをされるのはウルトラマンではない」
という意見も見ました。
かなり前の作品なんですが「ミラーマン」という作品があります。
「ミラーマン」は大人も楽しめる特撮として作られた作品なので初期の方はかなり人間にスポットライトを当てた話があります。
自分の出自に苦しむ主人公や、生き別れになった親子、すれ違う恋人、心の寂しさを紛らわすために変な宗教にハマる人とかね。
でもその人間ドラマより、ミラーマンで人気だったポイントは「ヒーローが巨大化して巨大な怪獣と戦う」という所だったそうです。
これの裏付けになるかもしれない話がありまして、「ミラーマン」には裏番組として「シルバー仮面」という作品がありました。
ミラーマンが巨大化して怪獣と野山をころげ回って殴り合いをしている頃、シルバー仮面は商店街で敵を追いかけ回していました。
結果的に言いますとシルバー仮面もこれを受けてシリーズ中盤から巨大化能力を手に入れています。
つまり「巨大化したヒーローと怪獣の戦い」は視覚的なダイナミックさもさることながら、ただ大きくなったのではなく、戦う中でセットを派手に壊したり、爆発で吹き飛ばすあの迫力で人の心を引き付けるのだ、ということが証明されたわけですね。
それがギャラファイになりますと、まず舞台が宇宙の上にウルトラマン達の故郷、光の国とその周辺の惑星ですからまずみんなウルトラマンサイズで物が出てきます。
ウルトラマンが見上げるくらいの高いタワー、ウルトラマンと同じくらいかそれよりちょっと身長が高い敵。
その辺を壊してもあんまり心が痛まなさそうな岩だらけのなんにもない惑星。(焼き尽くすと心が痛みそうな緑に囲まれた星もありますよ)
これは確かに先程述べた特撮のいい所が全部取り去られたように感じますね。
その辺のゴツゴツした岩が光線で溶けたり切り落とされても、街中で戦闘している時、もしかしたら逃げ遅れた人がいるかもしれないビルが崩れて「ああっ大変!」という気持ちはちょっと湧かないかもしれませんね。
皆同じような身長の敵やウルトラマン達がボコスカ殴り合いをしてもその辺の人間の喧嘩にしか見えないかもしれませんね。派手な光線やアクション、音が付いていても。
なんでかと言うと「ウルトラマンに恨みを持つ連中」が大半だからです。
理由はまだはっきりと明かされていないのですが、ギャラファイ2、3でアブソリュートタルタロスは、自らもその一人である「アブソリューティアン」という種族の存亡のため、ウルトラマン達を排除したいと思っているのです。
なので歴代のウルトラマン達に倒されてきて、ウルトラマンに恨みを持っている強敵達を主に蘇生させて戦いに臨んでいるので割と地球は安全(多分)なんですよね。
となると「地球がピンチだから地球人の皆!力を貸して〜!」ともできませんね。
ウルトラマンシリーズのテーマの根幹である「ウルトラマンと人間の関わり」も描かれないわけです。
こうして描いてみると結構困りましたね、ウルトラマンシリーズの魅力の大半を削り落としているわけです。
でもギャラファイが全く魅力的では無いのか、と言うとそんなことはありません。
大きなポイントは三つ。
「ニュージェネレーション以前の歴代のウルトラマンをかなり網羅している」
「登場回数が少なかったウルトラマンのモードを細かく拾っている」
「各作品やメディアミックスにわたる小ネタを各所に織り込んでいる」
というのがポイントです。
みんなご存知ウルトラマン。
そのウルトラマンを最終話で迎えに来たゾフィーを初めとする「ウルトラ兄弟」と呼ばれる昭和から生み出されてきたウルトラマン達。
俗に「平成2期」と呼ばれるコスモスを始めとしたネオス、ネクサス、マックス、メビウスのシリーズに登場するウルトラマンたち。
そして、ウルトラマンUSAやパワード、グレート、リブットといった海外作品に登場したウルトラマン達。
ギャラファイ3にはミニアニメや劇場版作品だったナイス、ゼアス、ボーイなども参戦していますね。
これらを合わせると実に沢山の様々なウルトラマン達を登場させてくれたのがこのギャラファイシリーズです。
実はこの中には
「作品が発表されたものの、長らく客演もなく後日談でどこへ行ったのか、今何をしているのかも分からなかった」
「作品終了後、メインのウルトラマンしか客演がなく、サブのウルトラマンとどんな関係になっていたのか分からなかった」
「作品が終わったあとも、一緒に戦った仲間と協力して任務についている」
「とある惑星に留まり、誰かに力を与えたり、道を示す役割をしている」
そして次のポイントですが、今まで登場回数などが少なかったウルトラマンのモードチェンジなどを生かしているのもギャラファイです。
ギャラファイ2の時大騒ぎでしたね。
ウルトラマン達の危機に、共に戦った仲間であるウルトラマンジャスティスとともに駆けつけたウルトラマンコスモスのスペースコロナモード。
ご時世がご時世でしたから名前的に出せないんじゃないかって言われていたのにまさかの登場です。
スペースコロナモードってウルトラマンコスモスの劇場版にしか出ていないんですよね。
しかも宇宙での活動に適したモードですので地球に来るとよく知られてる青いルナモードやエクリプスモードになっちゃう。
でもギャラファイは宇宙空間の話なので何とスペースコロナモードでの登場に違和感がなかったわけです。
そして極めつけはウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したコスモス個人としての究極形態、フューチャーモードに、同じくウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したウルトラマンジャスティス クラッシャーモード。
そして更に2人が合体したウルトラマン、ウルトラマンレジェンドまで。
同じシリーズのクロスオーバー作品で客演は何となく予想出来ても、ここまで丁寧な客演での活躍描写はなかなか他でも見られないはずです。
そしてもうひとつ、ギャラファイ3に登場したウルトラマンネクサス、ウルトラマンノア。
ウルトラマンネクサスは「ウルトラマンネクサス」個人として三つの形態を持ち、ギャラファイではその全ての形態を披露しました。
そして特筆すべきは、ウルトラマンネクサスが持つ固有の能力、別次元を展開し自分を含めた対象をその空間の中に取り込む「メタフィールド」の能力を作中で描写したことです。
ウルトラマンノアはウルトラマンネクサス最終話に登場したウルトラマンであり、その特殊性は、客演したウルトラマンゼロが活躍する「ベリアル銀河帝国」でも書かれています。
しかしそれ以降の登場が殆どなく、ギャラファイで登場した際は多くの人を驚かせました。
ギャラファイではジャスティスのスーツなどがそうなのですが、ショーイベント用のスーツを転用したりして使われています。
しかし長らく登場の無かったノアは綺麗に新しく作られて登場したわけです。
ギャラファイ2ではコスモス、ジャスティス、ネオス、セブン21、80が共闘する話があります。
平成2期組、一人は昭和と一見関連性が分からないように見えるこの組み合わせですが、実はコスモスとネオス、80は他作品や時事関係で繋がりがあります。
コスモスはテレビ放送当時、事情があって最終回手前でテレビ放送を続けられなくなってしまったことがあるのですが、その空いた枠を1クール作品を作り走りきることで繋いでくれたのが、元々イベント限定のウルトラマンだったネオス。
そして、80は漫画「ウルトラ超闘士激伝新章」にて自分の力を制御出来ず苦悩するコスモスを宥め諭したキャラとして書かれた繋がりがあります。
長くなるので他の小ネタは各自でお探し頂くことをお願いしますが、ざっとこれだけの魅力がギャラファイにはあるわけです。
しかしそれだけが、今回ギャラファイに起きている賛否両論について考えたことではありません。
私がこれからお話する、「これを聞いて考えを改めなくていい。でも頭の片隅に置いておいて欲しい」と思う話は、まずざっと10~15年前の話に遡ります。
前衛的なストーリーとテーマで視聴率にかなり波があったウルトラマンネクサスが放送された頃でしょうか。
当時の時点で円谷プロダクションはかなり危うい状態だったそうです。
ウルトラマンネクサスのメタフィールドなどにその一端が現れています。
背景は不思議な光の演出、地面はゴツゴツしたあまり壊れるものがない岩場という異次元。
壊すセットの削減です。
ウルトラマンネクサスがほぼ毎回メタフィールドや山の中で戦っているのはこういった事情が反映されています。
ネクサスの終了後、マックス、メビウスと作品は続いていきましたが、その後長らく新しいウルトラマンが現れないという時期が続きました。
新しいコンテンツとして生まれた大怪獣バトルには殆どウルトラマンが出ず、怪獣で戦うレイオニクスバトラーレイモン、そして今後大出世を遂げるゴモラ、ウルトラQにて活躍したリトラなどが活躍しました。
そしてその大怪獣バトルの劇場版でウルトラマンシリーズに変化が訪れます。
もう10年以上経つけどニュージェネレーションの戦闘を切って未だに全然に立ち続けてるウルトラマンがいますね。
彼です。
彼の登場でウルトラマンを好きだった人々は大いに沸き立ちました。
大怪獣バトルの辺りでかなり会社が苦境に陥っていることはよく知られていたので「もう新しいウルトラマンを作れないくらい疲弊しているのか」とまで言われていたコンテンツが見事に彼の力で持ち直しました。
その後ウルトラマンゼロは宿敵であるベリアルとの戦いを続け、過去作品からリブートされたミラーナイト、ジャンボット、ジャンナイン、グレンファイヤーなどの仲間と活躍し、それは後のニュージェネレーション達、ウルトラマンギンガやビクトリー、Xやオーブ、ジード、ルーブ、タイガ、ゼットと後続の作品を押し上げていくことになります。
もちろんゼロやウルティメイトフォースゼロと呼ばれるチームのキャラクター達だけの活躍ではありません。
昔から集めていた人々はご存知だと思いますが、昔のソフビは今より大きく、種類も豊富でした。
放送終了したウルトラマンのタイプが数年後も全部売り場にあったくらいです。
しかし、大怪獣バトル周辺から種類は少なくなり、サイズは小さくなり、塗装も前身のみになっていきました。
しかしそれに対して挑戦したのがギンガやX。
「スパークドールズ」という足にコードが書かれたシールがついた新しいソフビを開発することで、「ソフビと玩具を連携するグッズ」を作り出したのです。
それでも虐待なんていう強烈な言葉を使うことには全く同意できない。パーフェクトな育児が出来なければ虐待なら誰も子なんて持てない
だからそう言ってるだろって話なのに理解する気がないの笑ってしまう。
パーフェクトな育児が出来ない以上、子供を作るということは虐待と同じだし、まともな感性をしているならするべきでないような行為なのではないかという疑いを持つべきときが来たって話だろ。
前例踏襲主義に染まって「自分もそうやって大きくなったんだ」と言い張るのを辞めろって話してるんだよ。
昭和パワハラ脳の奴らがボコボコ後輩を殴りながら見て盗めって仕事教えないのを「俺がそうやって育ったんだ」と言い張る行為が、令和の人権意識に照らし合わせたらありえないから辞めるべきだっていうのはわかるよな?
そもそも自分が生まれてきたときに常識だったことが死ぬときには非常識になってるっていうのは人類の歴史においていくらでもあったことなんだよ。
たとえば大政奉還や普通選挙制度といった出来事が起きれば価値観の根底はひっくり返るよ。
信長の時代でさえ人生50年と謳われていたけど、そんだけ長かったら何らかの常識がそっくり入れ替わるような事だって起きる。
今それが子供を持つということや育てることの暴力性や無理ゲーっぷりに対して起き始めているんだよ。
「誰も持つ事ができなくなる」を「そんなのありえないよ(笑)」で片付ける時点でお前らはもう時代に取り残されているんだ。
「殴られずに一人前になったやつがあるか!」は昭和の時代では世界の有り様を切り取った名言として扱われていて、それは日本中のサラリーマンに支持されていた。
でも今の時代に会社でそういったことを言う奴がいたらパワハラで訴えられるよ。
自衛隊でさえもそういった暴力行為に頼った指導、ましてやそれに対しての開き直りなんてしようものならニュースになるような時代だ。
世界は間違いなく変わってきてるだろ?
その変化の流れに対して一個人が「私が生まれてきた頃にそんな常識はありませんでした」→「だからその常識は私が生きているうちは変化するはずがないんです」なんて言ってもしょうがないんだよ。
生まれてきた時はそうだったけど、死ぬ頃には全く変わっていたっていうのが世の中なんだ。
出生を称賛する社会の中で生まれ、出生を批判する社会の中で死ぬことだってありえるってことだ。
変化を受け入れる意思がないことを開き直って下手くそな皮肉を言うのを辞めろよ。
聞いてるのか?
統一教会の霊感商法とか安倍との関係とか、ジャニーの虐待とか、日本国民ほぼ全員知った上でタブー扱いで蓋しとったわけでしょう?
安倍、岸一族とか自民党やジャニーズ関係者を責めるなと言ってるわけではない
私って色々根に持つタイプだなと思う
というか0か100か、善か悪かでしか物を見れないんだろうな
ヤンキーって社会的に悪いことしてるのに、いっぱい人に迷惑かけてるのに、なんでちょっといいことしたくらいで好感度が上がるの?全然分からん
初期にめちゃめちゃデクのこと虐めてたやん?なんであれ許された雰囲気になってるん?みんな受け入れられてるん?名前呼びとかしちゃってさ、みんな仲直りだねとか言っちゃってさ、きもちわりー。デクが気にしてなくても私が気にするわ
あとスラムダンクの三井さんも。あんだけバチボコ荒らして普通に試合に出てるの何www好きな人多いけど私的には理解不能です。他の子たちも普通に接してるのなんで???重要人物だってことは分かるけど三井を好きになることは一生ない
5年前くらいではフェミニストのお気持ちなんてボッコボコに却下されてたのにな。
転売ヤーから買うことだの、ジャニオタでいることだの、170cm以下は人権ない発言で職を奪われるとか、ありとあらゆる方面で【第三者のお気持ちクレーム】が通るようになってきた。法律になんも反してないのに責められてついには謝罪に追い込まれるなんて事態も増えてきたように思う。
確かに、お気持ちの集積がモラルになってやがて法律に結実するんだろう、それは世の仕組みみたいなもんだ。でもあまりに中心をなすロジックが無いように見える。ロジックじゃないから炎上するまで自分が真に悪なのか善なのかわからないし、他人の顔色を伺ってビクビクするしかない。
自分の性欲が気持ち悪い。明らかに倒錯した性的嗜好が気持ち悪い。
リョナラーで、女の子が酷い目に遭うのを観るのが好き。女の子が暴力を振るわれて泣き叫んでいたり、ボロボロになっているのを見ると「可愛い」と思うと同時に、「自分もこうなりたい」という気持ちが湧く。
作り物と現実の分別はできるので、勿論現実に実行しようとは思わないし、愛の無い暴力は全然好きではない。強姦系のAVなんかは「これが作り物で良かった」と心の底から思う。現実に起きている性暴力には胸が痛む。
恋人とは普通に性行為をする。自分のリョナ趣味、マゾヒスト的な趣味の感じは無い。普通に出来る。
その一方で、それとは別に「殴られたり蹴られたりしたい」という願望は解消されないままでいる。
自分にそういう趣味や願望があることは恋人には既に打ち明けていて、彼にはそれを叶えられないとも言われている。
彼の方が普通なんだから、不満はない。私がおかしいのだと思う。
フィクションの暴力を眺めながら、自分の欲望をにずっと蓋をしている。「ボコられたい」という不道徳な願いが、この先叶いそうにないことを理解している。苦しい。
最近は何故だか急にそういう欲求が強くなって、ますます苦しくなっている。
誰かに相談したい。けど、あまりにも変態的で狂っている欲望の話を、自分でも「気持ち悪い」と感じている話を、どう他人に話せたものか。聞かされた相手が不憫だ。
だけれど自分一人で抱えるにはあまりに大きな苦しみになってしまった。
気持ち悪いことは自分が一番わかっている。リョナは呪われている。
私は女の子が酷い目に遭うのを見るのが好きだ。私は酷い目に遭いたいとも思う。ボコられたい。普通に幸せな人生のなかではそれはおそらく叶わない。この先どう生きていくか悩んでいる。