はてなキーワード: トップレベルとは
結婚して楽しいぞーwwwwww系の2chまとめを見てて違和感を感じた。
なぜ楽しいか説明がマッタク無い。子供かわいいとか、家に人が居て幸せとかだ。
多分、嘘は言ってないんだろうけど、なぜ楽しいかがマッタク説明されない。
だって、そういう奴が炎天下パチンコとかやってんだろ?脳タリンだから幸せだけを見れる。
俺はこういうのが実際理解できない。
というのも、多分俺に感性が無い。
俺みたいな奴は結構いるんじゃなかろうか。小中高大学とまったく人付き合いが面白くも無く、まったく学校生活が面白くなかった奴。
映画や漫画みたいな青春はジョークだとしても、その100分の1も面白くもない。友達とゲームだのしたこともなく。休み時間も一人で読書してたような奴。
そういう奴は多分もとから、理解する感性が無いんじゃなかろうかと思う。
で、俺は高学歴になってエリート職になってみて。8割くらいはまともな奴だけど、2割くらいは俺みたいな奴が居ることに気がついた。
いや、その8割って奴も半分くらいは「リア充的な感性を持っているフリ」している奴らだと思った。
皆頭がいいし心も根はいい奴ばかりで、なるほどこれが知的エリートの当然だよなって思うんだけど。
この人達がはたして小中高と楽しめたのか疑問だった。
高校は一応全国トップレベルの高校だったが、それでも一部のドラマとか見ない陰キャラとしか友達になれなかった。
正直、小中の頃のクラスメートは動物園の動物、もっと悪くいうと、障碍者学級に正常な人が突っ込まれた気分だった。
少なくとも日本社会はそういう中流から下流の層にマッチした社会が作られている。
高学歴には高学歴の社会があるが、世の本流はドキュン用、いわゆるマイルドヤンキーってやつか。そういう層に向けた社会だ。
俺みたいなダイブ知能の高い奴にとっては、動物園の管理みたいで生き辛い。
でも、世のボリューム層がマイルドヤンキーなら、マイルドヤンキーに都合のいい社会になっていく。
特に、女がドキュン大好きだから、ドキュンがいい女を若い内抱きまくって、ドキュンが繁栄する。
まるで、民族浄化(占領した国の女を妊娠させまくって民族を追い出す的な)みたいだ。
世の学歴社会に乗ってなんとか俺みたいな奴らはサバイバルしてるけど。
そうだよなあ。自然にとっては、俺みたいな馴染めない奴は不自然だから、なんらかの淘汰があるべきだわ。
俺みたいなのが世の大半になったら滅ぶわ人類。
これを代償する圧力って当然あるわけで。
それがドキュン圧なのかな。
界隈 | 評価 | 備考 |
---|---|---|
ニコニコ動画 | × | 音源を使うと削除されるためMADなど作られない |
pixiv | × | 閲覧数は少ない |
書籍 | × | あまり売れていない |
コミケ | △ | そこそこのサークル数はあるがトップレベルではない※艦これ東方刀剣と比べて |
同人誌 | △ | そこそこの数はあるがトップレベルではない(エロ同人を描くと炎上するという噂が)※艦これと比べて |
フィギュア | △ | Amazon年間には入るもののトップレベルではない※艦これと比べて |
カラオケ | △ | 総合ランキングには出ない(アニメランキングにはいるので分散しているのが原因か) |
CD | △ | 歴代アニメのCD売上と比べていまいち※けいおんマクロスと比べて |
スマホゲーム | △ | デレステに客を奪われ現在失速中 |
アニメ | ○ | まどかマギカの興行成績を抜きトップへBD売上も異常な数値を叩き出す |
○ | ラブライバー関連で盛り上がる |
追記。
西海岸です。
この前、遊びに来てくれました。日本のトップレベルの大学で、就職活動も兼ねて…と、非常に好感も持てるいい子たちでした。ちなみにうちの所には結構そういった申し込みがあり、直接のリクルートは対応していないのですが、出来る限り同じ日本人としてサポートはしています。
本当に頭の回転の速く、それと嬉しかったのが業界研究、会社研究をちゃんとしてくれていた事でうちみたいなベンチャーとしては嬉しい限り。でも一つだけクリティカルな問題があって、やっぱり英語力なんです。
うちの会社だけでなく西海岸は多くの同業があり、どこも世界中から学生が同じようにやってきます。でも残念ながら日本人の大学生は、正直最低限インターン出来るレベルにすら英語力がないので最近は上からも厳しいので、もう対応しなくていいかもと言われてなんか寂しい限り。日本の最高学府とかから来て、自分なんかよりも遥かに頭の良い若い子たちなのに。
コンピュータサイエンスの研究室配属を控えた人 or 他大院進学を検討してる人で、ちゃんと研究をしたい人
予算が足りなかったことで、やりたかった研究がやれなかったという話ならまだかわいい方です。
予算不足が原因で、学会に行く費用や、研究に必要な参考書を購入する費用の大半を自己負担しなければならない研究室もあります。
したがって、国から研究費をコンスタントに調達できている研究室に入るべきでしょう。
研究費は分野や予算元や期間(大体は3年か5年)によってまちまちで、100万程度のものから億の単位が動くものまであります。
予算元は様々ですが、科研費というものが国内では一番メジャーで手軽とされています。
科研費の情報は全て https://kaken.nii.ac.jp/ で公開されていますので、教員の名前で検索しましょう。
また、億の単位で動く大型予算の存在も覚えておきましょう。国内だと科学技術振興機構(JST)のものが一番有力でしょうか。
JSTのプロジェクトもプロジェクト代表者(や主要な共同研究者)は公開情報となっておりますので、志望教員の名前でぐぐった時にひっかかると思います。
企業との共同研究では、あまり予算の額が大きくなかったり(下手すると10万ちょっととか)する上に、情報が公開されていない場合が多いのであてになりません。
助教、研究員、ドクターの誰もいない研究室は控えた方が無難でしょう。
教員は授業や会議などで忙しいため、実際に研究室を動かすのは助教や研究員やドクターだったりします。
そういう人がいない研究室ではM2が下級生の面倒を見たりしますが、修士の時点で下級生の面倒を見きれるほどの実力者は相当少ないです。
周囲に頼らずに研究を進めるというやり方もあるにはあるのですが、学部生、修士の段階ではかなり危険です。
確かに成長はするでしょうが、成長する前に(あるいは成長の途中で)大きなミスを犯していて、
それに気付くくらいに成長した時にはかなり手遅れで卒論(修論)が大変なことになったという話を時々耳にします。
(ドクターでもよくある話ですが、さすがにドクターでは自己責任でしょう)
しかし、彼らがいれば安心かというとそうとは言い切れないところがあることには留意しましょう。
特にドクターについては注意が必要です。やる気をなくしてしまった人はもちろん、社会人Dや博論を書くためだけに在籍していて実際は他の研究機関で研究している人、というように、
秘書(事務員)が研究室にいるかどうかもポイントです。特に国公立大学でありがちな面倒な書類作業をある程度任せられるので、研究に集中することができます。
秘書は研究費で雇うことが多いので、秘書がいるということはそれなりに大きな研究費を獲得していると考えて良いでしょう。
多くの場合、その研究室を出願するときは教員と直接面談をすることになると思います。
ただし、研究室の空気を作るのは学生です。教員と面談をする時に学生居室やミーティングなどを見学したいと教員側に要求してみましょう。
日中ならば、最低でも1人は学生がいる(いない場合は考えなおした方が良いでしょう)はずですので、会話してみると良いと思います。
ミーティングの雰囲気は重要です。学生が自主的に発言する雰囲気のある研究室を選ぶべきでしょう。
また、「レッドブルやモンスターが大量に捨てられている研究室はブラック」という説は、コンピュータサイエンスに限って言えば成立しにくいと思います。
エナジードリンクを愛飲する人、というのがコンピュータサイエンスにはそれなりにいるので。
業績(論文)リストを研究室のページや教員個人のページに載せてることはよくありますが、この記事が対象としている学生が読んでも「海外発表が多いな」「この時賞を取ったのか」程度の情報しか得られないと思います。
国内(電子情報通信学会や情報処理学会など)で発表された論文は、ほとんど価値がないとみなされる傾向にあるので、この記事では国際的なものに絞ってお話します。
コンピュータサイエンスの業績は大きく分けて、ジャーナル、プロシーディングス、ポスターの3つに分類されます。
(一部を除いて)ポスターはほとんど価値がないとみなされていますので、ここでは更にジャーナルとプロシーディングスに焦点をあてます。
ジャーナルとプロシーディングスは、出すジャーナル名はカンファレンス名で掲載されるまでの難易度が大きく変わります。もちろん難易度が高ければ高いほど凄いとされています。
研究室選びという観点でだけでならば、次の2つの観点を持っておけば問題無いでしょう。
では、ジャーナルとプロシーディングスはどっちの方が偉いかというと、簡単には優劣が付きません。
他の分野ではジャーナルが第一なのですが、コンピュータサイエンス特有(?)の大きな特徴として「そこらのジャーナルよりも、トップレベルのプロシーディングスの方が上」ということが挙げられます。
ですので、ジャーナルが多いからこの先生は凄いとか、ジャーナルが少ないからこの先生はヤバイ、と考えるのはコンピュータサイエンスに限っては違うと考えましょう。
また一部の教員には、COREランクに載ってないような学会での発表は業績リストに入れない、という人がいます。
このように主要な業績のみからなる業績リストをSelective Publicationといいます。
Selective Publicationのみを公開してる人と、単純に学会に論文を出してない人は区別する必要があります。
色々挙げてきましたが、「結局どれを優先して見るべきか」というのは難しいところがあります。
しかし間違いなく言えることがあって、業績を全く挙げてない人が大型予算を確保できることはありえませんし、優秀な教員の下には優秀なスタッフがついてくるものです。
つまり、これらの要素はお互いに作用しあっているので、今まで挙げたうちの1つでも「あ、この研究室凄そうだ」というのがあれば、少なくとも地雷を踏むことはないと思います。
せっかく個人としての能力は優秀なのに、研究室選びで失敗してしまい、折れてしまった人を今まで何人か見てきました。この記事でそういう人が1人でも減ってくれることを祈ってます。
自分は、ピアノ大嫌いだけど、物心ついたころからピアノを習っていて、高校1年までやっていた。
だが、親の趣味で無理やりやらされたので大嫌いだった。ピアノの音も大嫌いだった。
で、結局最後の方は『きらきら星変奏曲』とか『子犬のワルツ』だか『ラ・カンパネラ』だったかなで終わった。何で終わったか覚えてもいないけどさ。
大嫌いだから、全国トップレベルの高校に進学できたのを言い訳にやめた。
で、今たまたま検索したら、結構難易度高いじゃん。上級者にさしかけてるくらい?
そんなに難しいと思わなかったんだけど、大人から初めて身につけるには難易度高いのかね。
俺はピアノの音がそもそも大嫌いなんだけど。これは生理的なものだからしょうがないとして。
ピアノを弾くのは一応好きだったんだよ。トルコ行進曲とか、テンポが速い奴ね。
それに、俺は楽譜を読まないで引いていた。楽譜は暗記して、手の動きだけで覚えていた。
こういう感じで、理解せずに音をそのままたどるだけだから、クッソつまらないと思ったんだろうね。ピアノなんて機械に弾かせてろよって思ってた。
実際、ピアノのうまい下手なんて今でも分からない。機械が精緻に弾くのと、プロとの違いが俺には分からない。
で、そんなテキトウにやってたものだから、あんまり大したもんじゃねーだろって思ってたけど。
あと、ピアノってさー。親はトップレベルまで行ったらしいけど、わかんないんだよ、何が順路なのか。
将棋とかなら、まあ分かるじゃん、どの程度の読みが~とか。あるいは、勉強でもいいよ。
ドラクエみたいに、明確にレベルが上がって、「この曲がひければ~」とかってのがあれば面白かったんだけど。
そういうの無いじゃん。どんだけ難しい曲でも、繰り返し繰り返し練習すれば、馬鹿でも難易度高くても機械みたいに弾けるじゃんとしか思わなかった。
あと、教育方法っつーか。一人で勉強できないのもクソだと思った。
ペダリングの扱いとか、ロシア人に習いましょうだの。指の動かし方のテクニック的にこの曲の解釈はどうだの。ってのが前提になるんだけど。
このあたりにまったく面白さを感じなかった。
まあ、その当たりを鑑みて新しい譜面を作りましょうとかって運動もあるみたいだけど。
俺は完全に理系だから、「半音より半音」みたいなのを、ペダルで~とか、解釈で~とか言い出すのが死ぬほどウザク感じた。
いやいや、ピアノって楽器の不備なんだから、解釈どうこうより、ピアノを破棄して新しい楽器で再調整しろよ。と感じた。
とにかく。
ピアノってのがよくなかった。
「音楽」っていう広いジャンルの一つとしてピアノを捕らえるのは理解できるけど。ピアノから音楽をとらえるってのは馬鹿だと思っていた。
小さい頃から、まったく運動のセンスがなかった。友だちと鬼ごっこをすれば、すぐに捕まって鬼になってしまったし、一度鬼になったが最後、いつまで経っても他の人を捕まえることができなかった。結局、そんな僕を見かねた友だちがわざと近くまで捕まりに来たり、僕だけ有利になるようなハンデをつけてもらったりしていた。
小学校の授業でドッジボールをしたときは、最後の方まで残ることが多かったように思う。僕はほとんど戦力になっていないので、ボールを当てるのは後回しにして構わないからだ。運動が得意な子たち同士の激しい応酬が一段落した頃合いに、遠慮がちに投げられたボールを避けそこねてコート外へ出るのが僕の日常だった。野球やキックベースをしたときも、僕は守備の役には立たなかったし、打者になったときには投手がかなり手加減をしてくれていた。
男の子にとって、運動が上手にできないというのは、人間としての価値がほとんどないのに等しい。そんな空気を感じ取っていた幼い頃の僕は、自分はみんなよりも劣った存在なのだと信じて疑わなかった。
そんな自分自身のことが恥ずかしすぎて、特別親しい相手以外とはコミュニケーションを取るのが苦痛だった。できる限り他人との関わりを避けているうちに、自然と、社交性に欠ける今の人格が形成されていったのだと思う。
こんな僕だけれど、勉強だけはすごく良くできた。授業を聞いて理解できないという経験は一度も無かったし、大して勉強をしなくても試験ではいつも上位に入っていた。受験でもまったく苦労をせず、地元で一番の進学校へ入学し、日本の誰もが知っているようなトップレベルの大学に合格した。
いまの歳になるとこういう話は自慢だと受け止められるけれど、思春期の頃の僕にとっては、勉強ができることなんて自慢でもなんでもなかった。勉強ができたって、世の中の役には立たないし、かっこよくは無いし、女の子にはモテない。そう思っていた。
もし、できることならば、あの頃の僕に言ってあげたい。
近い将来、学ぶことが楽しくてたまらない毎日が訪れること。研究という、かけがえのない仕事に出会うこと。昼ごはんを食べるのも忘れて、海外の数学書を読みふけるような大人になること。まる一日、方程式と向き合って、解けるまで家に帰らないと意地を張ったりすること。客員研究員という肩書きをもらって、ヨーロッパの大学に滞在すること。研究でいろいろな賞を貰ったりすること。周りの人たちから期待され、また、尊敬の眼差しで見られること。
なにより、もうすぐ童貞のまま30歳を迎えるということ。
なんとなく調べて書いてみたけどブログも持ってないのでここに投下。
日本ユニセフは募金額のうち約20%を活動費に回しているが、これは結果論だと言う理解が大事、という話。
ユニセフはその窓口機関(日本ユニセフはユニセフの公式な窓口機関である http://www.unicef.org/tokyo/jp/15408.html )に活動費を全募金額の25%に納めることを要求している。これは募金額の25%を好きに使っていいということではなくて、30億円活動費に使ったら120億円の募金成果を出さなきゃいけないってことだ。
ユニセフの目的は「お金を集めて慈善事業に使う」ことだが、支出に対して必死に収益を上げなきゃいけないという仕組みは営利企業と同じものになっている。その方が不正も少なく、より寄付が集められるからだ。
窓口機関は活動費をかければかけるほどその4倍という寄付を集めねばならず、活動費を私的流用するような余裕は少ない。仮に私的流用をしたい悪い窓口機関があった場合、その分ユニセフに渡る分の寄付金も集めることになり、結果的にユニセフに集まる寄付が増える。
また何度も言うが募金額の25%を自由に使っていいということではないので、募金額に対する活動費の割合はその都度変化する。
2014年度の日本ユニセフは30億円の活動費で170億円募金を集めたから、20%以下の活動費割合になっている。ユニセフの要求より効率的に募金を集めていることになる。
仮に170億円の寄付に加えて130億円(合計300億円)の寄付があった場合、130億の20%がさらに日本ユニセフの活動費になるわけじゃなくて、30億/300億=10%の活動費割合に抑えられるということである。
因果を間違えてはいけない。日本ユニセフの現在の活動費割合が「20%」というのは、募金額がそこそこ(日本ユニセフがノルマをクリアできる程度に)集まったということを示すだけの結果論にすぎない。
要するに、日本ユニセフに寄付したら必ず20%をピンハネされるというのは一ミリも正しいところのない完全なデマ(正確には最低25%〜限りなく0に近い割合まで、活動費の割合は募金の額に従って変化する。活動費をピンハネなどという穿ち方をすればだが)。そもそも疑問に思うこと自体が会計の基本のキもわかってない頓珍漢な疑惑であることがわかる。
ちなみに日本ユニセフの拠出率(募金額のうちユニセフに渡る割合)は世界トップレベルらしいですよ。
http://www.unicef.or.jp/about_unicef/about_report.html (監査付きの収支報告)
これはつまり日本ユニセフの頑張りに対して標準以上に日本人が寄付をしているということを意味する事実なので、日本人なら誇りに思うべきことかな。(かと言って、だから活動費なんかもっとかけずに同じ額が集まるはずだなんて言うのはナイーブ過ぎるがね。)
(転載自由)
ふざけんなクズが。
というのも、東大には進振りと言う、2年の時点での成績で3年以降の学科を決める制度があるが、
数学科は人気がない。
なので定員割れで誰でも入れる。つまり、どこにもいけないやつでも入れる。
だがしかし、まともに数学で生きていこうなんて思ったら東大でもトップレベルの人間しか無理。
まともに行きていける人間になろうと思ったら理一から医学部に入るよりも難しい。
他の大学の「数学科(笑)」なんてホントに「笑」が付いたレベルでしか無い。
http://tarohere.com/archives/552
もうね、なんというか。こういう馬鹿が居るせいで余計に数学が難しく変なものに思えるんじゃないかと。
ほんと、隠して生きていけよ、恥ずかしい。
Twitterのレベェルだの、はてなのレヴェルだの言ってる自分のレヴェルを身に染みてわかったほうがいいと思う。
はてなってSBMじゃないの?宣伝だのブランドアップに使える、Facebook、Twitterを有名人が使うのはあたりまえだし、自由にモノなんて言ってないでしょ。
ブランドに傷がつくことは言わないし、商売の本質的な所は、よほどのバカじゃなきゃ言わない。差しさわりないとこしか言わないよ。
ちなみに、どの程度を高いと言ってるかしらんが、国内のトップレベルエンジニアなら普通にはてな使ってるし、見つけられないだけじゃないんだろうか?
Twitterよりは、そのエンジニアたちの趣向やら情報源がつかめるし、情報源としては、はてなの方がいいんじゃないかと思う。
アニメ「響け!ユーフォニアム」を通して見る揺れる心
http://seagull.hateblo.jp/entry/2015/05/11/144400
こちらを見てて、滝先生が「生徒に目標を決めさせる場面が誘導尋問的である」という指摘に「そう!そうなんだよ!」と思った吹奏楽経験者です。
自分は中高大とアマチュア吹奏楽続けてた(就職後時間が取れなくて止めた)んだけども、中高はいわゆる弱小で、大学も中高に比べれば雲泥とはいえ、まあそこまで上手くはなかった感じの人間です(全国大会にはほぼ縁のないレベル)。
でまあ滝先生にモヤモヤする点って、それが効果的かつピーキーな手法だからなんですよね。
そもそも吹奏楽(オーケストラもだけど)同時に演奏する人数がやたらに多い。
ロックバンドですら「音楽性の違い」とか様々な理由で解散するのに、50人からの人数(しかもまだお互いの意思疎通・合議能力に乏しい高校生)をまとめ上げるのは大変。
その上、「部活の外の人たち」は「コンクールの結果」でしか部活の価値を判断してくれない。
短期間で「コンクールの結果」を出すためにはああいうやり方が効率的ではあるんですよね。
ただねえ、中高の部活って、「迷ったり・失敗したりする」事も大事な財産だとも思うのですよね。
特に高校生ともなれば、自主的に色々やってみたくもなる年頃で(高校生だと演奏会で身の丈に合わない曲を選んで轟沈なんてことも結構ある)、それを先生がキリキリ誘導しちゃうのが正しいのかっていうところはすごくモヤモヤするわけです。
もちろん、生徒たちの意思をサポートできる知識とか人脈とかはすごく大事なんですけど、結果として路頭に迷ってたからといって、圧倒的な手腕でひとつの方向に導くのが「正解」なのかどうかってのはまあ「答えのない問い」ですよね。だからモヤモヤする(それとは別に滝先生みたいな「デキる人」の表面だけ見習って、生徒を地獄に叩き落す勘違い指導者が少なからずいる、って問題もあるんだけどそれは別問題なのでおいておく)。
実際問題として、「顧問の先生に導かれて結果を叩き出した」生徒たちの少なくない人数は、高校卒業後音楽から離れます。
まあもちろんそれはある意味当然の事(高校の部活は吹奏楽に限らずおおむねそんなものではある)なのだけども、「彼ら彼女らが高校で自分が今後音楽にどう向き合っていくかを考える機会と知識」をきちんと得られた結果なのだろうか、ってのは色んな吹奏楽経験者を見ていて疑問に思うところなのでした。
結局先生にのせられて部活を続けて、「その先を自分がどう歩くか」を考える機会も材料も得られなかったんじゃないのかって。
ま、回答はありません。でもねえ、全国大会に出る吹奏楽部だった人でも、吹奏楽のCD(今はCDに限らんけど)を買ったりする人って少数派だったりとか、吹奏楽のプロの音源ってびっくりするほど多種多様にあるのに、売れているCDはアマチュアのCDばっかりだという現状とか、肝心の全国大会でもトップレベルの学校がいまだに非音楽的な曲カットをしていたりする現状だとか考えてると、「結果」ってなんだろうなーと思うわけで。
そもそも音楽に客観的に定量的に決められるような「結果」なんてないんだから当たり前ではあるんですけどね。
あくまで吹奏楽コンクールは演奏技術のみを競う場ですから(だから音楽的にひどいカットをしても基本減点されない)。
なんかモヤモヤに引きずられて話がそれました。すいません。
で、原作の誠実なところは「このモヤモヤにはすっきりした回答なんぞない」というところをきちんと描こうとしているところだと思います。
同じ音楽を扱った作品でも「BECK」とかだと勝負に普通に勝ってしまうわけですけど(あれは基本的には、プロが「客ウケ=動員数」という基準で勝負してる話だからそれでいい。作者の「本当にいい音楽は誰にでも伝わるはずだ」という暴力的な音楽観はヒシヒシ感じるけど)、この作品は「結果」ってのがそんなに分かりやすいものではない事をきちんと踏まえている。
だから滝先生も全面的に作中で肯定されるわけではない(はず、原作一巻を読む限りでは)し、かつ、群像劇として多種多様な価値観の人々が「設定された目的のために協力はしても考え方を相容れることはあんまりない」という方向で話が進みます。
このモヤモヤについて、見る人が色々考えてくれるといいなあと、私も思う次第です。
他にも作中の曲についてとか原作者が楽曲のスコア見てなくて事実誤認してる部分とか色々言いたいことはあるんだけど、最後にひとつだけ。
「吹部」っていう略称は、大学の「回生」並に関東・東北(多分北海道も)では通用しないから気をつけろ!
ただし、「ブラバン」はブラバンで熱心な吹奏楽部員の神経を逆なでする(brass bandは本義的には金管楽器と打楽器の編成を指すので)から気をつけろ!
ちょっとだけ追記しておくと、
そもそも「コンクール全国大会出場」と「コンクールに出場して思い出作り」の二択しかないのがおかしいって指摘はきちんとしておいた方がいいですね。例えば演奏会に力入れたいからとかマーチングに力点置いてるからとかでコンクールに出ないって選択をしている学校も少数だが存在するし。ここには滝先生の「吹奏楽部はコンクールありきだ」っていう偏狭さがあるともいえるわけです。あえて極端な二択を提示することで、ほかの選択肢を考慮する余地を奪うって言う詐欺師の常套手段です。
極論、そういう様々な選択があってモヤモヤする音楽活動ってやつを、コンクール一生懸命やって技術的に上手くなるっていう否定しづらい名目で塗りつぶしてるともいえる、んだよね。滝先生は。
anond:20150327184724のつづき。
JD(Job Description)に書いていない限りは、プリセールスエンジニアとして採用された人間は営業組織に属し、プリセールス活動を行う。通常小さな会社(グローバルで数百人、日本で10人等)であってもカスタマーサポートの組織と営業の組織はトップレベルから分かれており、プリセールスのエンジニアが購入後の顧客(やパートナー)の代わりになって自ら社内でトラブルのエスカレーションをすることは無いし、そのような権限も無い(日本の代理店ビジネスの場合は、解析や切り分けはたいていサポートを提供しているパートナーの仕事だ)。購入後の顧客で発生したトラブルに関してプリセールスエンジニアができることといえば、進捗が遅い時に催促したり、状況をかいつまんで顧客に知らせることくらいだと思うが、これとて営業でも実施可能なことである。
次項の内容とも関連するが、火事場に駆り出されて業務範囲外な支援やコミットをさせられるかどうかは営業の力量や考え方次第でもある。
営業によってスタイルは様々。御用聞きに徹して顧客の言うことはなんでも受け入れ、その結果社内の色々な組織に無理を通して煙たがらる人もいるし、できること・できないことの見極めと顧客に対するお断りの仕方等のバランス感覚が大変優れている人もいる。前者と組むことになったプリセールスエンジニアは、(会社ではなく)その営業個人の顧客からの評価を高めるために使われることを強いられるため要注意。
組む営業が変わった時には、まずその人がどんな考えを持っているのか、自分との間の力関係はどうなのか、組織の中でどういうポジションなのか等を見極めてどう振る舞うかを考えよう。
例えば上記の前者のような人であっても、社内での影響力が大きく売り上げへの寄与がそれなりにあればそれに従わざるを得ない。従わずにダメ出しされてしまった場合には自分の雇用が怪しくなる(”刺される”と言う)。逆に社内での影響力が小さければ自分が上司を使って刺してやればいい。
前述のとおり、「エンジニア」という名前がつきはするものの、結局のところ同じ組織の他人が作ったブラックボックスを販売するための技術サポートをする仕事にすぎないので、ガチエンジニアである設計・開発に比べると必要とされる技術レベルはそんなに高くない。強いて言えば、わからないことがあったときに調べて付け焼き刃の知識を得る力があれば良いと思う。また、簡単なツール等が作れると便利なこともあるので、言語は問わないもののプログラムの経験または知識はあったほうが良い。
日本で日本の顧客を相手にした販売のサポートを行う仕事なため、ネイティブ並のレベルは必須ではない。文書の読み書きと口頭でのコミュニケーションができ、自分の思っていることや疑問点が英語話者に伝えられればとりあえずはOKだと思うが、他の国の人(特にHQ)との個人的な繋がりがあった方が有利な場面もあるため、英語のコミュニケーションはできるに越したことはない。
英語と技術レベルについては、面接で30分程度も話せば把握可能なので、特に資格を持っている必要はない。
今まで見てきた中での最年長は40代前半なので、だいたい定年はそのくらいの年齢だと思う。一般的には大きな会社の方が「この人何の仕事だろう」というポジションが多い業務が細分化されているので、ジョブチェンジを考えている人は30台半ばくらいまでには大きな会社に入ったほうがいいと思う。社内の方がジョブチェンジはやりやすいからだ。
今まで見てきた中では、以下のような出口を見た。
1と2は、技術的な知識を活かして少し別の仕事をというケース。3は同じ組織での昇進なので、厳密に言えば出口ではないが、新しいキャリアなので挙げた。5はほとんどいないが、「メーカー=製造元=技術情報の海」みたいな幻想を抱いて入って来たものの、単なる海外営業所の一つという現実に失望してすぐに辞めてしまうパターン。英語がネイティブ並みだとHQへの転勤や、日本でビジネスを開始したばかりのスタートアップ(従業員1-2名)の同じようなポジション(+α)への転職も可能になり「スタートアップ渡り歩き人材」への道も開け、その場合50歳くらいまでは粘れるが、スタートアップは長期雇用になりづらく、ジョブホッパーになってスタートアップ以外からは歓迎されない立場になってしまうリスクもある。
「外資のメーカーで働く」と言うと聞こえが良いが、社内では単に極東の一拠点の売り子である。どの職種、どのような会社からの転職を考えているかにもよるが、万人に勧められる仕事ではないのは間違いない。また、会社によって待遇やワーク・ライフバランスは異なるため、人材紹介会社や面接の担当者の言うことを鵜呑みにせず、前回のエントリーにも書いた通り本音の情報を得ることをお勧めする。
茨城県民以外はまったく興味が無い話だろうが、つくば市「総合運動公園」の計画を聞いてから、市内に3万人規模の陸上競技場ができると聞いて興奮している。しかし、ぐずぐずしていると、茨城国体もラグビーワールドカップも終わってしまう。
生誕
田舎ゆえ同世代の家まで遠かったせいか、内向的な性格ゆえか、友達と遊ばず家に閉じこもっていたので
当時の子供世代に当たり前だったファミコン・スーパーファミコン文化にほとんど触れることがなく、
当然家にもテレビゲームがないまま育つ。
中1の春にインターネットに初めて触れる
秋ごろには電子メールを覚える。
俺の世代で携帯メールよりPCメールのほうを先に触ったのは1%以下だと思う。
メーリングリストとネットニュース(今のニュースサイトのことではなくfjとかのこと)に参加しまくり。
家の電話料金が3万円ぐらいになる。
ネオ麦茶の「佐賀県佐賀市17歳・・・。」スレに100番以内で書き込む。
無事MARCH入学。もし学歴板と大学受験板がなかったらふつうに日東駒専以下に進学してたと思われる。
だがいままで2ちゃんねる程度しかしてこなかったのでがっかりするほど知識がない。
「CSS」というのは別ファイルでHTMLの装飾を定義するものだと初めて理解。
仕事の基礎的知識がなってないと自覚しSQLのSELECT文から勉強しなおし。
職場では使えない君扱いされる30歳。←いまここ!
「ローンで買わなかったんですか。」
後で別ルートから聞いた話だが、ローンがあればそれを盾に、給料を引き下げるつもりだったようだ。
お前うちに放り出されたら行くところないだろう、だから給料下げても働け、というわけだ。
PGは教えれば誰にでも出来る仕事だし、トップレベル以外は差がつかないので、
なるべく給料が安くて聞き分けのいい若者にやらせたがる。上流も一緒。
そんな会社だから、自衛策として自分でCGM系のWEBサービスをつくった。
これが大体月に30万円くらい。サーバー代はたいしたことない。
まあ時間は湯水のように使った。土日や連休、長期休暇はほぼヒキコモリ。
でも、家賃収入で月30万得ようとしたら、初期投資で3000万は必要だから、投資対効果はバツグンだ。
ちなみにいつ首になってもいいように、家も買った。中古の家を一括で。自分で好きにリフォームして住んでいる。
アニメ業界って分業化が適切に進んでて、それぞれの職種が有機的に結びついてて、監督の権限(責任)が行き届いてて組織として結構理想的な気がする。(実際の現場はしらないけど)
絵コンテを書いて衆目にさらされる最終的な成果物の全体像を導く監督的な人ってSIにいるっけ?
アニメでいうところの原画、動画、動件、CG、BG、音響、その他諸々の専門っぽい人は下流の下請けで指示書通りに作って、
元請けは制作進行(この言葉が正しいのかわからないけど)的なことが中心になってない?
どうも仕事の分業や各職種間のパワーバランスがおかしい気がする。
***********
疑問に思ってるのは元請け様が偉そうにふんぞり返って作業指示ばかりしているなんてことではなく、
(実際、アニメの制作進行が激務なように、要件の調整や、折衝等で作業的にはトップレベルに大変だろうし)
分業のありかたに違和感があるのと、
言語、フレームワークの選定や、(拡張性なり保守性なり効率性なりなんなりを重視した)モジュールの設計、デザインの監修みたいな
成果物の本質的な品質(バグ検出密度やテストケース密度なんてものではなく)に責任を持つ役割の人がPMBOK的・ウォーターフォール的な組織にはあんまりいないんじゃないかってことです。
なんでだろう。