はてなキーワード: サバイバルとは
KASEDO GamesとはWarhammer 40000 Mechanicusで成功し
別名にはしてるがイーロン・マスクを黒幕にしたSFナラティブサバイバルシミュレーションIXIONをリリースした
知る人ぞ知るゲームメーカー。Factorioとかフロストパンクとかが刺さる人にはゴリゴリに刺さる硬派なメーカーだ。
ちなみに楽曲を手掛けるGuillaume Davidは無名の新人であるにも関わらずハンス・ジマー顔負けのクオリティの高い曲を提供しておりファンも多い。
そんなKASEDO Gamesの新作はカジュアルパズルアクション。しかもグラがピクセルアート。
フリーダムすぎるだろKASEDO Games
社会学に「弱い紐帯の強み」という概念がある。要は美味しい話はあまり仲良くない人同士のリンクを通ってやってくる、というグラフ理論のようなものだ。
私がその「弱い紐帯」となりある人の転職を世話した。その人をAさんとしよう。Aさんはかねてよりある業界への転職を希望していた。私の別の友人、Bさんはその業界の人で、Bさんの会社は人員を募集をしている。Bさんと私の関係はそこまで強くはなく、年に数回会う程度の「弱い紐帯」なのであるが、たまたま人を紹介してほしいという話になったのである。
落ちた理由をBさんから聞いて、対処に困る感情を抱えたのでここに投下して成仏したい。
Aさんが落ちた理由は、面接でのAさんの「歩き方」「話し方」であったという。Bさんの上司が面接の後「あの人は歩き方、話し方がおかしい。明らかに何か問題を抱えている」と拒否したのだそうだ。Bさんによれば技術的水準に関してはそこまで悪くなかったとのことである。
満員電車が嫌いで毎朝始発で出勤しているという。夕方4時くらいには退勤するが、その後に何かしているわけでもないそうだ。付き合いが長いせいか「そういう個性だ」と思っていたが、確かに歩き方やしぐさ、視線にも違和感がある。動きが緩慢なのだ。中学では学年で最も徒競走が遅かったそうだ。荷物はいつも登山者のような重装備だ。帰宅難民サバイバル用品がはいっているそうだ。
奇妙な人ではあるが悪い人ではないし、与えられた仕事はやっているようで現職をクビになるという話もないそうだ。しかし転職活動も婚活も全くうまくいかない、といつも嘆いている。曰く、書類審査は通ってもその先がダメなのだそうだ。異性と会うことはできても2回目がないという。Aさんは面談の場で何をしているのだろうか。
おそらく、Aさんは「発達障害」と呼ばれる人なのであろう。Aさん自身が自覚し治療しているのかどうかは知らない。果たして私はAさんになんと声をかけるべきなのだろうか。医療関係者でもない私が安易に決めつけ受診を勧めていいのだろうか。Aさんは今後もその面接活動を続けるのだろうか。それはある意味で搾取であり、私もその搾取に加担してしまったのではないだろうか。
唯一の救いは、Aさん自身が不採用にあっけらかんとしている(ようにみえる)ことである。
Bさんには十分に謝っておいたが、再び「誰かいい人がいたら紹介してほしい」と言われている。決して待遇が悪いわけではないが、なかなか特殊な界隈なので応募がないそうだ。どうやらBさんの口ぶりからして私に転職してほしいようではあるが、私はそこまでハードワークはしたくない。人員の補充ができないことでBさんの激務が続いている。正直、とても申し訳なく思う。
なんか独占解除されたっぽいね
今更dアニメにも来たよ
あれさー
面白い面白いって言われてるけど一枚絵みただけで何系かわからないよね
金髪スク水に引っ張られるけど、あれ情報量としてはゼロだからね
俺もそれで一回見送ったもん、当時リアルタイム勢はあまりの話題性の無さに雄叫びをあげてたよね
若干ネタバレだけど、あれはSIREN2とひぐらしの鳴く頃にのオマージュらしい、どっかで聞いた
これで面白くなきゃ叩かれてたんじゃないかレベル、でもちゃんと面白いからOKです
SIREN、ミステリー、ホラー、バトル、ラブコメ好きなら見た方がいい
結構サクサク進むから、そういうの見飽きたって人でも面白いんじゃないかな、登場人物有能ばっかなのが良い(敵も味方も)
俺はSIRENほんと好きでなあ、1の方が好きだけどね
てかこういうジャンルってなんて言えばいいの?
たとえば未来日記とか、シュタゲとか、ゾンビものとか、刻々とか、BTOOMとか
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追記:
しんぺい、髪切れ
千代丸がクレジットされてるからシュタゲも参考にしてるんだろうと思ってたけど
SIREN2とひぐらしとシュタゲですって言ったら9割ネタバレな気がしてならないんだよね
あと作者はSIREN2関連の外伝もちゃんと読んでそうだよね、なんだっけあの船の話、ブライトウィン号の怪だっけ、結局あれ一番怖かったよな
自由民主党議員和田政宗が発信者開示請求を仄めかしたアカウントは以下の7アカウント。
髙安カミユ @martytaka777
キャメロン・フィリップスDMパロディアカウントなし @Cameron_mk2
四季 @clover189437
どんなツイートでバズっていたのか。
以下、順不同。
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わたしがクルド人ナンパ被害をポストしたとき、そんなの嘘だ、警察いるだろ、通報したのかなどなど言われたけど、ほんとに書いた通りなのです。
↓
石井孝明(Ishii Takaaki)
@ishiitakaaki
·
県民から警察のトンデモ行為を聞きました。女性の性犯罪被害を放置。それでも代わりがいない。応援せざるを得ないのです。頑張ってください
Rp 埼玉県警、クルド人による女性拉致や危険運転を見逃した?-それでも応援 https://withenergy.jp/3677 #
2.4万
件の表示
四季🇯🇵
@clover189437
·
四季🇯🇵
@clover189437
·
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いつでも全速力で逃げられるように
スカート履かない
無理やり腕を掴む、肩を抱く
数人で囲む
逃げて、近くのお店に飛び込んでも中まで追ってくる
無理やり車に押し込めようとする。
別に盛場や暗い道というわけじゃない
こんなのが毎日。
あと、特徴が年齢層。
広いんです
とにかく手当たり次第
これは、とにかく結婚とか、何らかの法的縁を手に入れて在留許可ほしくて焦っているんだと思う。
で、警察はどうしてるかと言うと、今は事態が広く知れ渡ったせいか、以前よりはマシ。
以前は市も警察も、何かあれば通報をと言うけど何もしてくれなかった。
殺人未遂まで不起訴で釈放だもの、あとは察して知るべしでしょ?
上記は、私が日常のように経験してきている事だけど、友だちの中には自分だけで抱えている子、墓場まで持っていくと決めた子もいる。
表に出る話しなんてほんの一握り。
良いクルド人もいるとか、クルド人だけじゃないとか、嘘だとか擁護する人いるけど関係ない。
蕨には色んな国の人がいるけど、生まれて今までクルド人以外から被害を受けたことはない。
いくら市に訴えたところで、国が不法滞在を黙認同様に良しとしているのだから市も警察もどうしようもない。
だから声をあげてるの。
地域によって色々な被害があるけど、そんなことに曝される住民の人たちも限界なんですよね。
蕨、川口がクルド人自治区になってしまう前に何とかして下さい。
·
683.1万
件の表示
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@kawaiisuzume01
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コイツ、最悪じゃん
今はっきり言ってコイツはあなたにとっては最悪の存在ですよ。それでも守るのですか?
@wadamasamune
ttps://fsight.jp/articles/-/50220
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これがよくわからんのよね。
城堂さんの調べでは「トルコに帰ると政治犯として逮捕される人」は難民条約としての審査対象者であり準難民ではない 、準難民は政治犯の為の制度ではない。
でも和田議員は「不当に政治犯とされ帰国できない方が対象になります」難民専門家の橋本直子さんも異を唱えている
引用:
ttps://twitter.com/Jordu04776828/status/1716278638289830349
ご教示ありがとうございます🙇‼️
そうすると
「トルコに帰ると政治犯として逮捕される人」は難民条約としての審査対象者であり、
❇️準難民ではない
という事ですね。
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@kawaiisuzume01
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④川口のクルド人とシリアのクルド人は繋がりが強くてほぼ同胞民族です
⑤川口のクルド人は彼らを日本に迎えいれたいと思ってこの準難民制度を作りました
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@kawaiisuzume01
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外国人の犯罪がこんだけ増えたのは、はっきり言って政権与党の責任です。それをちゃんと言わないと有耶無耶になります。
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@kawaiisuzume01
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和田議員、コイツらもう次の要求を考えてるみたいですよ。そして準難民の事もクルド人が要求して出来た法律だと言うてます。っていうかあなたもクルド人から舐められていますよ。いいの?あなたにもプライドはあるでしょ。いつまでコイツらの言いなりになってるの?
@wadamasamune
@kawaiisuzume01
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ふむ。今日はもう戦う気力がないので何も言いませんが、コイツもだんだんと本性をだしてきてます。
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@nekurahidetaka
·
·
@miharajunco
よりフォローして頂きました。
国会議員の方にも見ていただけるのはとてもありがたいことです🙏
#準備難民制度反対 #移民政策反対 #不法滞在は強制送還 #外国人参政権反対 #外国人生活保護反対 #拡散希望
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Cameron Phillips💕No DM💕parody account
@Cameron_mk2
和田政宗(
@wadamasamune
)さん
そもそも、クルド人を積極的に日本に在留を勧める必要がないと思いますが、違いますか?
賛同されるかたはリポストしてくださいね ttps://twitter.com/wadamasamune/status/1725751615293190328
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@Nuro185441
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2023/10/12 6:40 草加警察に通報、勇気ある警官→2台確保、署内で重量測定、荷の はみ出し測定、ブレーキランプの確認/叩いて点灯したとの事→違反なし。切符多分なし/ リリースされた/これが埼玉の現状/詳しい方… 麺看板や並走パネルトラ🚚、捜査員の身長から荷の高さ割出せませんか? #クルドカー
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ほいど と るんぺん
@hikomaru0612
クルドの件で
5日前に作られた
ばれちゃう。
小坪暗躍の可能性
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ほいど と るんぺん
@hikomaru0612
「トルコに帰国すると政治的理由で逮捕される可能性が高い人達がいる。」
トルコパスポート持って渡航のはずだから、外務省に個人問い合わせして政治犯判別作業進めればいい。
その理屈なら確認すれば本人喜んで帰るが、今までおそらく正宗は一人も照会すらしてない。
もう要らね
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髙安カミユ(ミジンコまさ)
@martytaka777
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·
俺もそう思う。警察も、困っていると思う。しかも録音内容を漏洩する行為は話者に対する不法行為(民法709条)が成立する可能性あり。ケースによっては名誉毀損罪(刑法230条1項)にも。
大丈夫?
石井孝明(Ishii Takaaki)
@ishiitakaaki
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「警察に情報を提供しているという。和田氏のためを思っていうが、客観的に言って、このような中身の情報で私をスパイ呼ばわりしても、プロの捜査官は困惑し、和田氏を馬鹿にするだけではないだろうか」
和田参院議員にスキャンダル、クルド人の陰謀論に踊り埼玉県民を中傷 https://withenergy.jp/3653 #
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髙安カミユ(ミジンコまさ)
@martytaka777
準難民制度に関して法務省に電話してみた!▶準難民に関しては要領書的なものは作るが、ガイドライン的な物を作る予定はないとの事。そこで私は聞いてみた。
『朝鮮戦争が発生し、何万人、何十万人が日本に避難してきた場合は、準難民として扱うのですか?』
それに対する法務省の回答は下記の通り。
そこで、私は内閣官房に電話し、同じ内容を聞いてみた。その答えは下記。
危機意識なき国家には滅亡しか待っていない。岸田の支持率が上がらないのは、こういう所が原因。
@kishida230
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生きていることに意味もなければ、子孫を残さなければならないこともない。
恐竜が絶滅(絶滅してないとも言える)したように、人間が絶滅したところで何も問題ない。地球上の生物の一種がいなくなるだけだ。
何の因果か知能というものを持ってしまった為に、あれこれ悩んだり、苦しんだりするが、だらだら生きるだけに焦点を合わせれば気楽に生きれたりする。
あれもしたい、これも欲しいと人間社会に適応したり、競争したりすると負荷がかかる。
良い人間になりたいとか、立派な人になりたいとか、成長したいとか言っていると、とても大変だ。
そうは言っても現代社会の人間という思想をインストールされている我々には、それを選択しないということは難しい。
思想を狂信的に実行すれば社会で地位を得られるだろう。しかし、思想内競争に勝てないと分かると惨めな思いをする。
惨めな気持ちから抜け出す方法は思想を捨てることだ。すぐには難しいだろうが、ひとつずつ価値観(思想は価値観の集合体)捨てていくことだ。
よく考えたら別にこの価値観はいらないな、この価値観を維持するの面倒臭いな、この価値観を得るのに努力したくないな、と。
勝てない負け犬の逃げ戦略と考えるか、仏教の解脱と考えるか悩むかもしれない。
私が言えることは知能が高い個体、身体が丈夫な個体、社会に適応しやすい性格を持って生まれたと生物の個体差でどうしようもないことがある。どうしようもないことを悩んでも解決することはない。
必要ないもの、得るのが難しものはさっさと捨てて、自分の出来ることだけを見定めて気分良く生きた方が楽しいということだ。不幸せの為に時間を使うのはもったいない。
社会はいつでも思想に染まれと誘惑し、時には暴力的に拷問をしてくる。強い言葉で感情を揺さぶり、美味しそうな餌を見せてくる。
だが、それはカロリーオーバーだ。美味しいものはカロリーが高い。
自分の消費できるカロリーを超えて食べてしまえば、贅肉が付き、動きが鈍くなり、不健康なものになっていくだろう。
21歳大学生ITエンジニア志望の男で、Twitterでよくはてな匿名の記事が流れてきたのでここの存在を知った。
最近、若者は日本を脱出した方がいいというのがよくネットで流れてくるんだけど本当にそう思う?
というのも、自分は高校の時にカナダに1年留学したり他の国からきた留学生と色々話したりしてたんだけど、とても日本から出たいと思わなかった。
中高有名私立だったし、大学もそこそこのレベルだけどわりと周りは日本にいるっていうのが圧倒的多数。
もちろん、日本が衰退するのは分かるしこれ以上の経済成長が望めないのも、富裕層が出ていきそうなのも円安で海外労働者がこなさそうなのも分かる。
日本が貧しくなっていくのは間違いないだろうと思う。
親や友達が日本から出て行くって言うなら出て行くかもしれないけど限界まで日本にいたい。就職したい会社もあるし。
どうせ海外行ってもゆるゆるといい暮らしできるわけじゃないじゃん。サバイバルかつ、成長していい生活を送ろうっていうのを押し付けられるだけ。
日本はオワコンかもしれないけど、そんなオワコン国でまったりと生きて行くのがだめなんだろうか。
語学と技術を身につけて、一応いつでも出られるように退路を確保しつつ日本にいたいと思ってるんだけどどう思う?
あと、若者は出ていけって言われてる反面、中国やアメリカで働いてた優秀な先輩たちが日本に帰ってきて家建てたりしてるから頭がバグる。出て行ったほうがいいんじゃないのか。
どういうことなんだろう。
docomoの配信サービスで配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。
そんな番組に出会ってしまったことをきっかけに、自分の人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。
両親のことは大好きだ。
奨学金なんて必要ないくらいの収入があった父親に専業主婦で毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。
中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。
親ガチャとかいう言葉だって必要ないほど恵まれた環境で育った。
根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。
少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後は毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。
それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。
身バレしたらしたで仕方ない。
ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。
今から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望みだってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。
物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器を演奏したりするのが大好きだった。
私の通っていた郊外の幼稚園にはたしか必須のクラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆の書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。
クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。
幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉が先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。
n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分の習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。
ピアノやバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。
小学校に上がるタイミングで関東の割と都会な地域に引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値な私立の中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。
n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校の宿題とは別で、毎日のノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。
小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日のプリントのおかげか、成績は相当良かった。
あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元の中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。
地域のお祭りに行った時にステージで見た、小学生のダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。
お風呂でオリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分がカリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。
小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校(中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校に演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。
4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学。県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。
塾自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。
常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。
今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数は強敵だった。ほんとうに難しかった。
わからなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。
受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。
小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口や友達のグループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。
塾に行くようになったことで、授業中の発言や普段の言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。
自分に問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまり話さない子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。
5,6年生のときはクラスの3分の1が中学受験をしている子たちだった。
学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任は中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題が毎日出た。
大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校の宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。
周りの受験生も学校の宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。
クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様と揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。
泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。
そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。
中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。
頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。
怒られない日の方が珍しかった。
自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。
当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。
親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験で競争率が高い中やることだから、中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分の意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。
地元の中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言と暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。
後日優しい口調の親に丸め込まれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。
結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学はそもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学に入学することになった。
B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。
中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系の部活に入った。
チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系のダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶で女子の集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。
毎日の練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。
最初は地頭で乗り切っていた定期試験もだんだん順位が落ちていき、高校に上がってからは留年スレスレを彷徨うこととなった。
中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。
内向的になりかけていた自分の性格がさらに内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。
順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験を経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。
中高一貫校の性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。
進学校の勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活の時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。
家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。
流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないものの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。
結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベルの中学に入学したし、私は大学受験の勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立の大学のよくわからない学部に現役で合格した。
私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。
姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。
申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家は中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。
半年に一回くらい、ボイストレーニングの無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストのオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。
そして今、私は大学生をしている。
持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルやミュージカルサークルの所属してステージに立ってみたこともあった。
お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。
そして、とある前世持ち練習生の存在をきっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組の配信に辿りついた。
が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。
大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。
私もそっちに行きたいって。
アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージで表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。
私の好きなアイドルは10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。
その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。
私は音楽が好きで、自分で何かを表現したかったという気持ちは絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?
中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかったことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか。
小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組のステージに立てたのではないか。
私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強を自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。
今考えたらあの習い事もクラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強は自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。
中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。
元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。
家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。
私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元の中学でもよかった。
やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。
それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立の学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。
それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミングで部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ
docomoの配信サービスで配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。
そんな番組に出会ってしまったことをきっかけに、自分の人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。
両親のことは大好きだ。
奨学金なんて必要ないくらいの収入があった父親に専業主婦で毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。
中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。
親ガチャとかいう言葉だって必要ないほど恵まれた環境で育った。
根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。
少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後は毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。
それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。
身バレしたらしたで仕方ない。
ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。
今から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望みだってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。
物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器を演奏したりするのが大好きだった。
私の通っていた郊外の幼稚園にはたしか必須のクラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆の書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。
クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。
幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉が先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。
n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分の習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。
ピアノやバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。
小学校に上がるタイミングで関東の割と都会な地域に引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値な私立の中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。
n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校の宿題とは別で、毎日のノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。
小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日のプリントのおかげか、成績は相当良かった。
あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元の中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。
地域のお祭りに行った時にステージで見た、小学生のダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。
お風呂でオリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分がカリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。
小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校(中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校に演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。
4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学。県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。
塾自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。
常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。
今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数は強敵だった。ほんとうに難しかった。
わからなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。
受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。
小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口や友達のグループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。
塾に行くようになったことで、授業中の発言や普段の言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。
自分に問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまり話さない子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。
5,6年生のときはクラスの3分の1が中学受験をしている子たちだった。
学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任は中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題が毎日出た。
大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校の宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。
周りの受験生も学校の宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。
クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様と揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。
泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。
そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。
中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。
頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。
怒られない日の方が珍しかった。
自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。
当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。
親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験で競争率が高い中やることだから、中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分の意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。
地元の中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言と暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。
後日優しい口調の親に丸め込まれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。
結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学はそもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学に入学することになった。
B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。
中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系の部活に入った。
チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系のダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶で女子の集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。
毎日の練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。
最初は地頭で乗り切っていた定期試験もだんだん順位が落ちていき、高校に上がってからは留年スレスレを彷徨うこととなった。
中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。
内向的になりかけていた自分の性格がさらに内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。
順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験を経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。
中高一貫校の性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。
進学校の勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活の時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。
家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。
流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないものの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。
結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベルの中学に入学したし、私は大学受験の勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立の大学のよくわからない学部に現役で合格した。
私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。
姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。
申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家は中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。
半年に一回くらい、ボイストレーニングの無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストのオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。
そして今、私は大学生をしている。
持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルやミュージカルサークルの所属してステージに立ってみたこともあった。
お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。
そして、とある前世持ち練習生の存在をきっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組の配信に辿りついた。
が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。
大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。
私もそっちに行きたいって。
アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージで表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。
私の好きなアイドルは10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。
その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。
私は音楽が好きで、自分で何かを表現したかったという気持ちは絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?
中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかったことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか。
小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組のステージに立てたのではないか。
私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強を自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。
今考えたらあの習い事もクラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強は自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。
中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。
元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。
家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。
私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元の中学でもよかった。
やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。
それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立の学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。
それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミングで部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ
真実を言おう。学校とは、刑務所だ。子供という面倒な存在を隔離するための施設である。
これは「ハッカーと画家」でも述べられている真実なので覚えておくように。
人生の早いうちから起業や就職のスキルを得た「賢い人」は、大学へ行かないか、または中退する。
シリコンバレーでは昔から「大学で浪費するな」と言われ続けている。
そう、お前という存在は、大卒という肩書にしか誇れるものがないから、学位を得たというサンクコストにしがみついて必死なわけだ。
こういうサンクコストバイアスに飲まれた意識他界系の大卒者連中が、なぜ無能であるにもかかわらず、学歴フィルターなどといって無能を雇うのか。
これも真実なので言っておく。JTCは従順な羊が大好物だ。何の疑いもせず、一直線にエリートコースを歩んできた、勉強だけが取り柄の従順な羊は扱いやすいのである。
扱いやすい羊は一生管理される運命にあるので、管理外のところで高卒者を差別し始めたりと、荒っぽいことをする。
学歴だけが取り柄の連中が学歴差別をし始めるのは想像するに容易い。
さて、俺が何が言いたいかわかるか?
人生がサバイバルであるならば、法律に従って善である限り手段を選ぶ必要がないということだ。
お前がもし子供時代に戻って、手段を選ばずに人生を歩もうとしたらどうするか。羊になるか狼になるか。
それがそのまま今のお前が人生において適用できる戦略になるに違いない。
では、その戦略、つまり手段を選ばないという戦略をお前は今から選べるのか。
あーあのマイクラね。
暗いところに少しづつ松明を灯して下っていく。
松明作るために林業をやる。
安全にそれらを行うために住居を整える。
なんか人間がどうやって社会を作り上げてきたかを再現してるみたい。
あと住居周りは整地したくなるんだけどまたこの整地が沼。
綺麗になったらめちゃくちゃ達成感ある。
ケイビングの話に戻るとどんどん地下に灯りが灯って湧き潰しができてくると、なんか自分の心の闇が照らされるようで気分がいい。
洞窟内は景色がほんとに通ってて道標置いてないと道に迷ったりするしここで引き返すか引き返さないかの判断しないといけないあたり不思議のダンジョン感も楽しめる。
なんだこれ!みたいな発見たくさん。
なんかさあFFで飛空挺手に入れた時知らん島とか街発見して初めていくみたいなワクワク感あったやん。
あれが久しぶりに感じられた。
まあそりゃみんなやるわ。