「中学受験すれば?」と親に聞かれ、当時小学生の何も知らない自分はなんとなく「やる」と答えてしまいました。「お前がやると言い出したんだ。最後までやれ」と圧をかけられ、凄く嫌がりながらも中学受験をさせてもらいました。案の定結果はボロボロで、適当に受けた適当な中高一貫校に入学する事になりました。思えばここから始まりだった気がします。
部活動はソフトテニス部に入部しました。中高一貫校なので高校生の先輩もいました。そんな先輩方に体操服を引きちぎられたり、羽交い締めにされて「携帯のパスワード教えろ」と言われ勝手に中を覗かれたり、その他諸々、所謂いじめを受けて、それが無理で1年で辞めました。
辞めてからは新しく吹奏楽部に入部しました。吹奏楽部はブラック部活とは良く言う話ですが、うちの吹奏楽部も似たようなものでした。部活動は平日はもちろん休日も朝から夜まであり、中学生の朝練は当たり前、お昼を食べる時間は15分、理不尽な事で怒られたりもしました。合奏中ミスをすれば女性の先輩に胸ぐらを捕まれて女子トイレに連れ込まれ正座をさせられてペチペチされながらこっぴどく叱られました。今思えば異常ですが、(自称)メンタルの強い自分はなんだかんだ上手くやっていたと思います。高校に上がり、自分達が先輩になった時にはそんないらない伝統やルール、文化は廃止させていきました。
ソフトテニス部でイジメられた時も、吹奏楽部でボロカスに怒られた時も、涙を流す事はありませんでした。むしろ、自分にも非があったとも思いますし、先輩の機嫌も悪かった、仕方が無かったと捉えています。そんな自分が突然、涙を流した事件がありました。
高校三年生になり、大学受験を視野に入れる歳になりました。部活動は12月末まであったため、勉強と部活の両立をしていました。部活動の同期は徐々に病んでいき、気付かぬうちに自分も病んでいました。病んだ同期は、部活の練習で使用する教室の机に置いてあった赤の他人の教科書をグシャグシャに丸めて捨てたり、リスカ痕を僕らに見せつけては笑顔で「今日も切ってきたよ!」と報告したりしました。それを見た僕らも「またかよ!笑」「今回はどんな形?」と、リスカを心配する素振りもなく楽しく話していました。僕らは壊れていました。日々死にたいと思い、明日が来ない事を毎日祈り、眠れない夜が続きました。それでも怖くて死ねない自分が情けなくて仕方ありませんでした。
とある日、急に毎日微熱が続いたので親に相談しました。「気の持ちようだ」と言われましたが、どうしても勉強と部活をサボりたかった自分は病院に連れて行って貰えないか交渉しました。何故か親は頑なに断り、「甘ったれてんじゃねーよ!」と怒られました。諦めの悪い自分は、夜寝れてない事、もしかしたら心を病んでいるかもしれない事、辛くて学校に行きたくない事を打ち明けました。きっと心配してくれる、休ませてくれると願いました。
「原因それじゃん。夜は無理矢理でも寝なよ」
「学校は行くから、病院に行かせて欲しい。本当に寝れないし、熱も出てる」
「だから無理矢理でも寝ればいい」
初めて親に怒鳴りました。母の言葉を遮るように叫びました。ここから先はあまり覚えていませんが、母は変わらず何度も何度も何度も何度も何度も何度も同じ事を言い続けていました。「無理矢理寝ろ」 と。話にならないと思い自分の部屋へ逃げました。
自分の怒声を聞いた父が部屋へやってきて、「どうしたの?」と声をかけてくれました。自分は夜に眠れず、病院に連れて行って貰いたいことを打ち明けました。ですが父の返答は驚くものでした。
「○○(自分の名前)の気持ちも分かるけど、怒鳴っちゃあだめだよ。」
自分は一瞬、理解が追いつきませんでした。この人は心配にし来たのではなく、怒鳴った自分を注意しに来ていました。怒鳴ってはいけない事くらい高3にもなればわかります。母も父も、僕の味方ではありませんでした。
自分は「わかった。1人にさせて」というと、父は何か言いたげでしたが、言わせる前に「いいから出てってよ!」と叫ぶと、僕の事を心配しながら出ていきました。
父が扉を閉めると同時に、涙が溢れました。頭の中は真っ白で、何故泣いているのか理解できませんでした。自分はその状況にゲラゲラ笑いました。涙を流しながら、声高らかに笑い転げました。感情が、文字通り「死んだ」瞬間でした。その日は夜通し涙を流しながら笑っていました。泣き終えた後が怖かったんだと思います。朝になりリビングに行くと母が居ました。母は「父が心配してたよ。可哀想に」と言いました。その言葉を聞いた時にはもう何も思いませんでした。
この人達は僕の味方でいるつもりで、僕を理解しているつもりかもしれませんが、僕に金をかけているだけで、全くそんなことはありませんでした。結局、当時の僕の事を思ってくれている人はいませんでした。
その日からはどんなに面白い動画を見ても笑う事は無く、何をされても苛立つことも無く、泣く事も、楽しいと思う事もありませんでした。屍のように生き、大学受験も見事に失敗し、適当な大学に入学する事になりました。大学受験をせずに適当な専門学校へ行った姉に「そんだけ金かけてもらって大学落ちてんの?笑」と言われましたが、なんとも思いませんでした。僕をイジメていたソフトテニス部の先輩は超有名国立大学に合格しており、理不尽な事で怒っていた吹奏楽部の先輩達は指定校推薦で超有名私立大学へ入学していました。僕の高校卒業後の部活動は、秩序の無いただの動物園のような場所になっていました。自分は今まで何をしてきたのか。全てがどうでも良くなりました。惨めな人生だなぁと心の底から思いました。
今では大学での出会いや吹奏楽団での出会い、バイト先での出会い等で息を吹き返しました。人から大事にされる事がこんなに嬉しいなんて知りませんでした。父や母も、なんだかんだ大学通わせてくれてますし、なんと奨学金無しで通っています。本当に感謝です。
第三者からみれば僕の経験など大した事ではないかもしれません。ですが、もし似たような状況に置かれている人がいればこれだけは伝えたいです。戦わずに逃げる事も戦略です。僕は逃げる事が出来ず追い込まれました。死ぬくらいなら全てを投げ出して逃げてしまいましょう。
大丈夫です。