はてなキーワード: キャラ立ちとは
別に無くせってわけではまったくないんだけど、アレなんのためにあるんだ?と
動く立ち絵っていうのは、2Dや3Dどちらでもいいんだけど、主に画面右下にバストアップで使われる目や口や顔の向きなんかが動くアレのことです
以下、アバターの種類によるアドバンテージについて考えたことを並べてみる
①キャラ立ち絵
個人の識別は名前と声でもできるけど、やっぱりビジュアルイメージが一番わかり易いはずなので要る
③動く立ち絵
…?
目パチや顔の向きが変わるなどすると、そこに「居る」感が出るとは思うが、少なくとも現状、感情が読み取れたりなどするほどの表情があるわけではなく、中の人の動きがトレースされる意味なくないか?と思う
とにかく「居る」感が大事なんだろうけど、中の人が声出してればそこに居るのはわかるのだし、一体視聴者はなにをもってして動く立ち絵に重要感を持っているのだろうか…
vtuber好きな皆さん的にはどうなんだろう
種付けおじさんとは、女性キャラの子宮内に子種を入れて孕ませることを生業とする、非常に危険なおじさんである。
所謂汚いおっさん系のMOBであり、もっぱら力ずくのムキムキマッチョ系のMOBと比べると技巧に優れており、女性キャラがなぜか逆らえないようにするような能力を持つ。
性格のほうもマッチョ系が暴漢が多いのに対してネットリと落ち着いた性格の者が多い傾向にある。
基本的に性欲、精力は無尽蔵である。射精量が純粋に多い、射精の後でもすぐに精液を作り出して次弾を発射させるビュービュー系が多いと思われる。
超絶技巧や催眠(催淫)など、明確に特殊能力を持つ個体も多い。
さらにその上には強制的に種付け相手の女性の卵巣から卵子を生産させ、危険日ではなくても強制排卵させ、確実に妊娠させるという超人まで存在している。
所詮はエロシーンのためのMOBではあるが意外と人によって見た目や描写に幅があり、
多種多様な種付けおじさんを見ることができる。
TravisJapanの主演舞台が決まって、しかもそれが3年も続いてて、幸せなことだな、って思っています。本当にその気持ちは、嘘偽りなく、あって。「約束された現場があるありがたさ』、そのことには本当に感謝しています。
けどね、さすがにちょっとだけ、わがままも言いたくなってきました。人って贅沢なので。あと、普段、ジャニーズ舞台に愚痴をいうのは、時間の無駄だと思ってるので、ぼんやり見るように心がけてるのですが、
11/30締め切り案件(*1)があって寝不足なので、暗闇で眠くならないように、でもトイレも行きたくならないように、カフェインのタブレット飲んで行ったら、頭がさえちゃって、考えなくていいことを考えながら、舞台を見てしまった。
ということで、ここから2021年版の愚痴です。読みたくない方、ネタバレ踏みたくない方は、ここから先、読まないでください。
***
虎者に関する愚痴は、もう基本的に「脚本」もうちょっとなんとかならない????です。そこに尽きます。
2019年も、2020年も、そして2021年も、虎者の感想として「お芝居部分はショータイムを見るための、壮絶なじらしプレイ」として認識してました。だって、ショータイムの方が楽しいんだもん。どう考えても。
2021年は、お芝居シーンのラストで、「俺たちの育ての親の朱雀が闇の帝王だったなんて、とんだ災難だったよな。」と七五三掛龍也が言うセリフがあります。その時、客席で思ったのが、「そのとんでも設定の舞台、見せられてるこちらも、とんだ災難だけどね」ってことです。
でも、今日は頭が冴えてたので、これ、演じている方はもっと「とんだ災難」じゃない?ということに気がついてしましました。この、セリフがほとんどなく、うっすい内容の舞台の中で、Travis Japan もImpactors もすごく頑張ってるな、と気づかされる部分があります。(「のえる」と「かいと」以外は舞台中で役名がでてこないので、フルネームで記入します。)
例えば、松田元太は最初に「まだ力が足りない気がする」って言っていた通り、ずっとちょっと周りを警戒してるちょっとビビリな感じを出しているし、中村海人は、自分が「のえる」を置いていった判断をずっと引きずっているのを全面に渡ってだしています。2人とも、ちょっとしたセリフをきっかけにして、なんとかキャラを作ろうとしています。一見、セリフが多く、キャラクターを作りやすく思える「川島如恵留」と「宮近海斗」は、きっかけセリフを言わされすぎてて、実は逆にキャラクター作りづらそうだなぁと思ってみています。そもそも、一回完全に舞台上で死んでから、特に何の説明もなく復活するなんて役、やり易いわけないです。今回、川島如恵留は物語のひずみをすべて受けとめる役になっていますが、それをなるべく自然に見せようとすごく頑張っていると思います。
Impactorsでは、オオワシ(影山拓也)、ハヤブサ(佐藤新)が、もともとキャラクター性を与えられているのに加えて、武器も違うのが強いです。他はみんな、武器が刀だけれど、全幕、逆手で通してる基俊介も、キャラ立ちしてるな、って思います。逆手持ちは自分で決めたのでしょうか。すごい工夫です。せっかくならみんな武器を変えるだけで、バリエーションだせると思う。
そして、カゲロウ(松井リマ)、朱雀(長谷川純)の2人。カゲロウは、前半は虎者の敵のフリをしているが、実際には虎者を味方にしたいと考えていて、朱雀は前半は虎者のボスですが、実際には虎者を使い捨てようとしています。2回目以降の観劇でそれを知って見ると、2人とも、ものすごく密かに持っている本心の芝居をしていて見応えがあります。でも、初見だとその演技の意図がわからない。虎者ーNINJAPANーは、古典演目ではないので、さすがに初見では気がつけない演技を強いる脚本はどうなんだろうと思います。(*2)
クイズ番組で、クイズが「1+1=?」みたいなものだけだったら、どんなに知識のある人でも、ポンコツ回答できそうな人でも面白くならないと思います。舞台において、「脚本」はクイズ番組のクイズと同じ。「ホン」が不在に等しいこの舞台を、必死に面白くするように頑張ってる7人(+7人+1人+1人=16人)、の努力、ほんと凄まじいです。
お芝居の最後に、中村海人が、如恵留に対して、置いていったことを謝り、それに対して松倉海斗が「もういいじゃないか。2度はくどいぞ。」という箇所があります。東京公演では、ここのシーンにおいて、2人がアドリブで遊び始めたのですが、11/21くらいからかな、アドリブはなくなり、元に戻りました。想像ですが、きっと、「ここは、最後のシリアスなシーンとして演るべきでは」と大人からアドバイスがあったのだと思います。
確かに、お芝居全体からしたら、ここはシリアスに演じるべきかもしれない。でも、観客としては楽しみにしてたアドリブでした。だって、もう他に虎者同士の関係性がでる箇所が少ないから。
1人1人のキャラがなく、ということはキャラ同士の関係性もない虚無のお芝居のあとにある、ショータイム。ショータイムになった瞬間、重たい鎖かたびら脱いだ?ってくらい、自由にいきいきと踊り始めるTravis Japan。
2019年に屋良くんが教えてくれた通り、本当にたくさんアイコンタクトを取りながら、楽しそうに踊っていて、だから見ていて、とても楽しいです。虎者の無味乾燥な実体のない「役」を脱いで、本来のTravis Japanになったから、みえる関係性があるんですよね。はぁ全幕、ショータイムやってて欲しい。
***
とまぁ、ここまでツラツラ愚痴を書いてきたのは、単に憂さ晴らしをしたかったわけではなくて。あと、チケット代返せ、とか、もう観に行かないぞ、とかいう話でもなくて。来年以降も虎者があるとしたら、こういう要素ちょっと入れてくれたら嬉しいのにな、的な妄想話がしたかったからです。(*3)
2019年、2020年、2021年と毎年脚本が変わっているのは、しっくりきていない、という考え自体は共有されているのだと思います。私が2021年版で一番気に入っているところは、謎の家族設定がなくなったところ。でもそのせいで、物語が薄味になったのも事実だと思います。(設定なくしたら、足さないと)
舞台見ながら、考えていたのは2つ。(カフェインって怖い。こんなに普段ポンコツでも、頭の中がデュアルコアになる。)
1つは、せっかくTravisJapan と Impactorsが 7人同士なので、1人の人間の中の「善」と「悪」を描くスタイルにして、最後、清濁併せ吞んだ形の「真の虎者」になるタイプ。(Impactorsの名前が影虎軍団ならちょうどいい。)朱雀は父で、カゲロウは(魔法で年をとらない)母で、それぞれ戦っているみたいな感じ。
これだと、どういう悪の心と戦っているかで、ダンスバトルだったっり、殺陣だったり、戦いのバリエーションできそう。(去年のバトン対決のやつ、楽しかった。)
ちょうど7だし、「七つの大罪」とか、ちょうどいい具合にハマりそう。(日本だと、ほんとは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八徳の方が、ハマりがいいような気もするので、朱雀とカゲロウ巻き込んでもよいかも?)
宮近海斗(赤):炎系の術を使う
川島如恵留(白):風系の術を使う
吉澤閑也(黄):毒術を使う
中村海人(緑):木の葉の技を使う
とか。
いま、適当に書いたので、ほんとはもっと良いのがあると思いますが、まぁそんな感じ。(『伊賀の影丸』読みたくなってきたな笑)
それぞれ、得意な術の情報とかあるだけでも、トランポリンとかトランポリンとかトランポリンとか、映像ももっと作りやすいと思うし、楽しめると思います。俊足の七五三掛!とかキャッチフレーズがあっても楽しいし、松松の分身の術もみたいです。(そろそろ、脳内で「千年メドレー」は踊れる気持ちになってきたので、分身の術も習得したいなと思ってます。)
もうね、ほんと素人の思いつきなんで、別にただ書いて、昇華したかっただけなのですが、できたら来年は、少ないセリフを手がかりになんとか舞台を成立させようと努力しているTravis Japanじゃなくて、
私が、普段、舞台を観に行くのが好きな理由は、「役者さんが自分自身をメディアにして、別の人物を表現するところ」です。器と中身のずれというか、隙間の所が、ゾクゾクします。役名と、実際の名前が一緒のジャニーズの舞台においては、少し変わる部分もあると思うけど、光一さんと「コウイチ」が同一ではないように、やっぱり「役」の仮面というのは存在するのだと思います。来年こそは、重たい鎧ではなく、つけるに足る仮面をつけた舞台がみたいです。
と、ここまで、全て、来年も虎者ーNINJAPANーがある前提で書いてきてますが、そして、今のところ、あると確信していますが、まず、ありますように!!!
*0:あえての〜を仕込んでみました。(言わなくていいことをいうスタイル)
色々通ってきた思い出の振り返りに書いた。時代もそれぞれ違っているので、現状にそぐわないものもあると思う。(書いた順番とは関係ない)
こういうの書くと怒られるかもしれないが、存在自体は公然の秘密なので問題ないと思ってまとめている。
女:結婚、熱愛報道などで影響を受けやすいか。衝撃を受けにくいほど高評価。
供給:公式から萌える情報の供給がどれくらいあるか。量と安定性合わせて評価。
清潔感:★★★★★
さすがにアイドルなので、平均値が高い。最近そうでもないが、変顔とか汚いことも基本あまりしないので、安心してハマれる。
女:★
アイドルなので隠す。ゆえに見つかった際の衝撃度も高い。また、男性アイドルであるため女性に誠実であるという印象を付けてくることが多く、逆に腐女子のメンタルにはキやすい。結婚して何年も経っていると分かってやっている人が増えてあまり気にしなくなる。
供給:★★★★★
基本的に同グループであればアイドル雑誌、コンサート、グループ冠番組などで一定の供給がある。また、向こうも需要を分かって距離の近い絡みをしてくれることも多い。
仲間:★★★★★
同グループ内なら絶対に同志は見つかる。越境でもまあ基本見つかるので、一人でしんどいということはない。また、ライトな感じで「○○くんと○○くん仲良い~!」というなら現実でもまあまあ認められる。
年齢層も幅広く、作風も広いが、人が多いのでいやな感じの人もいる。
増田がハマっていたのがJだけなので、実は他男性アイドルのことはよくわからない。地下ドルだと結構変わってきそう。
グループで活動する分その中でエピソードが豊富であり、雑誌などでもライトに絡んだりインタビューでお互いの好きなところを語っていたりと、追っていれば供給は多め。
女絡みのあれこれと、脱退が厳しいか。
清潔感:★★★
かっこいい人はかっこいいが、バラエティに出ればそれなりに汚れ役になる。人前に出る仕事ゆえのきれいさはある。
女:★★★
普通に熱愛報道は出るが、芸人は遊んでなんぼというイメージが全体的にあり、あまりショックはない。(普通に追いかけていれば女関係の情報は出てくるし、本人も話す)結婚まで行くとちょっと厳しい場合もある。
供給:★★★★
コンビ内CPであれば基本の活動がコンビ単位なので、萌えの平均値は低くても供給は安定する。冠ラジオがあるとかなり手厚い。越境の場合はしっかり絡みがないと萌えにつながらないのか、同じ番組のレギュラーとか、何かと仲良しアピールしているとかが多い。
仲間:★★★★★
人気があればかなり人がいる。本当に一組の芸人しか知らないという人はあまりおらず、書かなくても芸人全般で知っている人が多いため、活動すれば反応は得られる印象。
よくブサイク芸人として扱われている人も、案外よく登場する。たぶんアイドルと同じくらい人口が多い界隈。
腐女子需要を分かってトークしたりネタをやったりする芸人もいるが、基本的には素で出てくる信頼感や、友情エピソードを楽しんでいる腐女子が多い。
作風はリアル寄りの方が多く、具体的なエピソードを下敷きにしていたりする。
清潔感:★★★★★
いわゆる若手俳優という枠だとアイドル売りをしていることが多いので、アイドルとあんまり変わらない。バラエティとか出ない分、大手アイドルより仕事はクリーンかも。
女:★★
全体的にチャラついた人が多く女絡みのゴシップはよくあるため点数は低めだが、オタクもあまり期待していないのかひどくショックを受ける人は少ない印象。新規がついても無理な人は一瞬で離れるというか。
供給:★★
ブログ・SNSや各種配信サイトでの配信、雑誌がメインか。若手俳優ユニットとして活動している場合や、プライベートで遊んでいることが多い訳ではない限り、特定コンビの安定性は余りない気がする。共演するとドカっと供給が増えたりする。
仲間:★★
マイナーCPの場合は同志を見つけるのはかなり難しいと思う。特定のCPだけ人がいるというパターンが多い。
軽く通っただけなので適当ではないかも。安定して萌える供給が多い界隈ではないイメージがある。
2.5なら元の作品の腐女子が掛け持ちで書いているとか、そういう印象。
清潔感:★★★
かっこいい一般人くらいの人が多いが、売れてくると垢抜けてくる。動画で体張るかはグループ次第。
女:★★
熱愛も結婚もあるが、あまりおおっぴらには話さない印象がある。オタクもわかってやってる人が多い印象。
供給:★★★★
グループ系YouTuberなら毎日投稿のところが多いので、週一くらいは萌えどころが出る印象。Twitterなどでのプライベートで遊んだ情報も充実している。
仲間:★★★
有名どころならまあまあいる。マイナーなところにはまってしまったらどうしようもない。掛け持ちしていても2,3グループくらいで、YouTuber全般というほど見ている人はほぼいない。
最近よく見る。動画投稿で定期的に供給があり、まだ腐女子ウケ狙いの文化が浸透していないので、素直な絡みを楽しんでいる人が多い界隈。
作風はリアル寄りが多いグループとパロディが多いグループとある。(おそらくオタクの層の問題)
清潔感:★★★★
そもそも顔出しなし、プライベートの公開なしのことが多いので、ただ単に謎。
女:★★★
普通にあるし普通に流出する。が、ちょっと有名な一般人くらいなので、オタクも分かって推している人が多い。とはいえ、えげつないスキャンダルもたまに出る。
供給:★★★
グループ実況者だったら動画投稿するたびに多かれ少なかれ絡みはあるのでやや多めかつ安定もしている。歌い手は後から見れない配信の中身がよかったというパターンが多いと思う。
仲間:★★★★
実況者の人気規模に拠るが、まあまあいる。
人気の実況者、歌い手なら絶対にいるが、全体的に年齢層が低い。本人イメージイラストを描くのが普通の文化圏なので、ナマモノというより二次創作に近い雰囲気がある。
作風も広いというか、プライベートが分からないせいかパロディの幅がやたら広いイメージがある。オリジナルと言われても分からないくらいのものも。
清潔感:★★★
年齢のベースラインが高く、いわゆる悪人顔の人も結構いる。人前に出る仕事なので、皆身綺麗にしてはいる。
女:★★★★★
表に出てきている時点でほぼ妻帯者なので、ハマるような腐女子はもともと気にしていない。女絡みの気持ち悪いスキャンダルが出る可能性はなくもない。
供給:★★
誰を推すかにもよるが、基本は控えめ。wikipediaに載るようなエピソードでハマり、後は新着情報がないかウォッチし続ける感じになる。笑顔のツーショットが出てしばらく萌えられるくらいの燃費の良さでないと楽しめない。
仲間:★
よっぽど王道で無ければ基本的にいない。最近は同志の探し方も分からなくなった。国外の政治家なら国外のコミュニティでは活動が盛んな場合もある。ネタ的に言う人も多いが、ネタにして面白いCPと萌えるCPは全くもって別。
主戦場だった2chが廃れ、自分が離れてしまったのもあるが最近は下火だと思っている。各代議士のキャラ立ちや報道の傾向など含め、2010年頃がなんだかんだ一番楽しかった。
10年前と政界の中心にいるメンバーがそう変化してないというのが盛り上がらない一因なのかも。
清潔感:★★
女:★★
当然彼女ができる結婚するなどはありうる。下手すると自分にアプローチしてくることもある。
供給:★★★
ハマるくらいなので、定期的にイチャイチャしているように見える。最悪だが、自分からけしかけることもできる。
仲間:★
リア友でOKな人がいれば…という感じ。ネタ的に話すと案外さらっと受け止められることもある。
ネタ的におしゃべりするくらいならやったことがある人も結構いると思うが、マジになってきて成果物が出ると一気に黒歴史化しやすい。
増田は友人複数名が書いた教員をネタにした小説のデータを持っているが、昔書いたメンツの集まりで一言でも話題にすると場が凍る。
清潔感:★★
期待できないが、イケメンにオタクがついて界隈になるので平均するとそこまで悪くもないかも。
女:★★★★
たまに結婚してざわつかせる人もいるが、基本不可視なので無視されている。
供給:★★
書籍、新聞、週刊誌が中心になるか。ネットの自称関係者情報にもいいものは紛れ込んでいるが、一定期間が過ぎるとほぼ増えないので、基本的には自分でガンガン補完していくしかない。
仲間:★★
意外といる。とはいえ、絶対数が控えめなので非腐女子オタクも腐女子オタクもあまり関係なく交流している感じ。メンヘラが多い。
いろいろ問題があるので察せないように書いている。
【備忘録】
https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1442848717707661325
アニメや漫画において、「キャラクター」と「キャラ」を分けて考えるとスッキリするのは
多くの編集者、批評家、物語論研修者、マンガ家、アニメ作家が言うとおり。
ここでいう「キャラクター」とは、さまざまな側面をもった and/or いくつもの層がある
ことを暗示する=「人格」として認識される物語内の《アクター》のこと。
それにたいして「キャラ」とは、「陰キャ」「ボケ/ツッコミ」「ドジっ子」のように、
複雑なキャラクターの中から1つの側面、1つの役割をとりだして(多くの場合)
単純化、誇張をほどこした物語内の《エレメント》として機能を持つもの。
なので、1 つのキャラクターの中に(お互いに矛盾する)キャラが混在する場合、
「キャラ」として破綻してる、「キャラ」として弱いと捉えられるか、
複雑で「深い」キャラクター造形として理解されるかは、作品次第だったり
作家のポジション次第(宮崎駿だったら 1 面的な「キャラ」を描いても見る側が
したがって、大阪府の「表現ガイドライン」は、「キャラ」に「キャラクター」的なものを求めているか、
そもそも「デフォルメした絵」で描かれる漫画・アニメが「キャラ」に寄りがちなバイアスが掛かってる
ことを理解してないんじゃないか、という違和感を感じないでもない。
「ナラティブ・メディア」の中のキャラ/キャラクターの話である。
ポスターのような、物語という文脈から切り取られた「キャラ」は、
ナラティブ空間内とは別の文脈を生きていて、そのように認知・消費される。
たとえ元ネタ・原作があっても、ポスターに切り出された瞬間に「キャラ」だから。
考えてみれば、単一のメッセージをクリアに、わかりやすく、パンチのある表現で
ガツンと伝えることを求められるポスターは、「キャラ」は成り立ちがよく似ている。
そのような「要件」を求められるポスターや「キャラ」において、
女と言えばオッパイである、と言わんばかりのデフォルメ表現とか、
女性という「キャラクター=人格」から好ましい要素を抽出して「キャラ」化したら
ミニスカと太股しか残りませんでした、みたいな「キャラ」化の方向性を公的機関が
オフィシャルに肯定した(と受け止められる)場合にどういう意味を持つのか?
公務員はそこらへんをよく考えて仕事しましょう、という啓発なんだろうと理解した。
あと、ツッコミ処の「キャラ」に「人格」を求めるという部分にだけ注目するコメントにも
アンコンシャス・バイアスが表現されちゃってるのかな?と思った。
【追記】
「そもそも「デフォルメした絵」で描かれる漫画・アニメが『キャラ』に寄りがちなバイアスが掛かってる」
と書いたあたりで、「キャラ」を描くのって恐いなと思った。
【追記2】
「君の名は。」フォロワー映画として視聴前の期待は低かったけど見てみたら悪くなかった。むしろ面白かった。
・反抗する大人が入国管理局でイマ的(メンバーは外国人労働者の子供と知り合って守るために『戦争』になる)
・実習生問題、ネットでの誹謗中傷等、現代の社会情勢がシナリオに盛り込まれてるがシナリオのアクセントとして取り入れられてるのであって決してそれらの問題を解決しようとキャラが動くのではなく、邪魔になってない
・前作となる宮沢りえの実写版「ぼくらの七日間戦争」の戦車に対比するクライマックスの脱出法は夢があって良かった
・偽RADWIMPS(アーティストさんには失礼だけどこの挿入歌が「君の名は。」フォロワーと呼んでしまう所以)の挿入歌は笑ってしまった
もうちょっとな点
・作画が凄いというシーンはない。「君の名は。」は無理だとしてもクライマックスシーンだけでも超絶作画で見たかった
・エンドロールで流れるキャラの後日談がヒロインしかないのが不満。メンバー7人全員の後日談を描こうよ!立てこもった炭鉱がその後どうなったかも気になる
・このシナリオならキャラ設定は高校生ではなく中学生で良かったと思う。高校生が「子供舐めんな」とか「大人は勝手」とか言うのは違和感
批判意見として「現実で一生懸命仕事してる入国管理局の人たちを悪く描くな」みたいなものがあったと思うが、それは気にならない。
Vtubarは行き過ぎた信者を持つことで割と有名になりつつありますが、この点でVと信仰を掛け、さらにAIと要素を追加して完全自立型にした、という打ち出し方はやられてそうでなかったアイディアです。少なくとも教祖系Vとも、アイドルとも違う。
AIだけで作品を作る場合、昨今のVivyのように「人間らしさ」「人間とAIの区分は?」「AIの反乱」といった題材になりがちであり、そこから逸脱してしまうと成立しにくい印象がありました。例えば産業機械系のAIを淡々と開発するスタッフ、という漫画も知りません(あるかもしれませんが)。この作品はありがちAI像を避けながら成功しています。
加えて、作者は新人さん(よく周辺情報探ってないけど、新人さんでいいですよね)であるにも関わらず、構成が非常に上手です。真面目ツッコミ、突っ走り型、ボケという三人を配役してきれいに回しています。問題はキャラ設定を作り込むことではなく、そのキャラの台詞回しや役割がきれいに回っているということです。この綺麗に、という部位をさらにクローズアップすると、きっかけの新規性から途中の無理難題、泣きが入る過去エピソードから笑いのオチ、と起伏も豊かです。というより、かなりこなれていると言っていい。ちょくちょく挟まれる笑いもテンポが良く、キャラへの好感度へ寄与しています。
ビットコインを連想させる価値創造による売買など、目の付け所が「今」にあります。かつてのことを参照すれば新規性がない、というツッコミをする人もいましょうが、全てを見たあとで今という時間と照らし合わせると、この作品には総合力としての新規性があることがわかると思います。AIのマンネリズムを避けつつ今を切り取り、笑わせる。うまくて新しいのだから褒められて当然です。長々と設定だけゴリ押しするSFよりよほど面白いと思います。
この方、数年前から路上で「数分間のうち顔面殴り放題」という看板を掲げてやってる方です。
来歴は元いじめられっ子の元キックボクシングの選手で、タイトルマッチまで上ったという経験を持つ実力派です。
動画では名選手たちを前にくるくるとパンチをかわしてみせ、ほとんどクリーンヒットなしでくぐり抜けている。
で、この方の数字の乱高下が激しい。
有名格闘家YouTuber朝倉未来や朝倉海とやった際は万超えし、他の著名な格闘家とコラボしたときも万超え。しかし自分だけが出演しているときは200回再生も回らない事が普通、という完全に伸び悩んでるひとです。こうした経緯から有名YouTuberと絡む事自体はコンスタントに成功しているものの、自分自身をコンテンツにした場合一切注目されていないという事実がはっきりと浮かび上がってくる。
いじめられっ子と言っても人懐っこい、笑顔が爽やかな人で、嫌われるような印象はまるでない。
番組自体も他の格闘家YouTubeのように格闘シーンがメインなので、特にコンテンツがまずいというふうでもない。
で、5chとかを見てみると、かわすだけの技術なら誰でも出来る、などと叩かれている。
これはもうマニアの意見なのでYouTuber一般で考えると全然参考にならない。
何故なら朝倉未来は女性ファンまで獲得して登録者数を伸ばしているから。
上記の朝倉未来の動画などはスタッフがにぎやかで、彼らのやり取りを見ているだけでも視聴者の中にキャラクターが形成されて行き、そのファミリー構成をみているだけでも楽しめてしまう、と言う構造を持っている。
これは朝倉ファミリーだけでなく格闘海外のYouTuberにも共通する点。コラボ仲間が常連のおなじみで多彩だったりする点も同じ。
ケンジさんはこの点圧倒的にスタッフがおらず、一名入れたスタッフもキャラ立ちが薄い普通の人。
なのでドッキリなんてやる隙間もないし、企画も立てにくい。
しかしスタッフの編集はべつにおかしくはないし、コラボ相手も本人もまともだ。
これがかなり悪いらしい。自分の指摘を得てケンジさんの動画を見た人は、こんな過去の映像だけで人が集まるか、と思うに違いない。実際最近は地方巡業中の映像しか流されていない。これは本来のケンジさんの動画のやり方ではない。こうしたケンジさんの動画クオリティの劣化には理由がある。
腰骨の急激な悪化だ。整体の動画が流されたが、その動画以来痛いともいわずにコラボを続け、ついには動画が上がらなくなってしまった。彼はやがて渡米して堀口恭司で有名なATTの方々ともコラボする予定だったらしいので、その準備かも知れない。
何れにせよ、ケンジさんの延々と続く再生回数の低迷はみていて気の毒になる。
コンテンツは悪くない。少々スタッフがストーリーを作りにくい印象だが、当人のキャラも明るい。
なぜこんなに売れないのか、とおもう次第。
その昔、天気予報が、気象庁が送ってきた天気予報を読むだけだった頃=気象予報士制度ができる前までも、「お天気お姉さん」だけでなく「お天気おじさん」「お天気おばさん」「お天気お兄さん」もいたんだよ。ブコメでも「お天気おじさんもいくらでもおるやろ」とさんざんツッコまれているが、昔から今までずっと老若男女が天気予報を読んできたんだよね。増田の間違いの一つ目がこれ。
「気象予報士」という資格があるでしょう。1994年に出来たんだそうで、天気予報は災害被害予防のために大事だからというお題目と、気象予報事業の民営化という目論見もあって、「気象予報士」という国家資格を作って、国家資格がある人しか予報業務はできない、という風に仕切った。これによって、TVなどの天気予報コーナーはそれぞれ多様化し、変化していった。
それまでお天気担当のキャスターだった人たちの中から、気象予報士の資格を取得して「有資格者のお天気キャスター」として独立的な立場を取るようになる人たちが現れた。もともとキャラ立ちしていた森田さんや木原さんなどが最初期の気象予報士持ちのお天気キャスターだ。確か森田さんも木原さんも、一回目の試験には落ちてた記憶がある。
まぁそういう向学心や先見の明にあふれた先人たちがいて、今は主要メディアにおけるメインニュースの天気予報キャスターは、気象予報士の資格を持っている方が務めるケースが多くなっていて、それぞれ個性を出して予報を伝えている。NHKニュースや在京キー局の夕方ニュースのお天気キャスターは現在、男性が多数派になっている(私は東京在住なので地方局の状況が分からない。ごめんね)。ちなみに、wikipediaによると気象予報士の男女比は圧倒的に男性が多い(男性 88%、女性12%:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%97%E8%B1%A1%E4%BA%88%E5%A0%B1%E5%A3%AB)ので、そういうところをほじくり返して、理系に進む女性の少なさとかメインメディアのお天気キャスターは男性が多い状況に対して、「女性差別だ」と言うのは、ひょっとしたらあり得るのかもしれない。個人的には詮無いことだなと思う。
要するに、増田の間違いの二つ目がこれ。現状、TV局中心で考える限りではお天気キャスター(類似的に気象予報士)は男性が中心だが、気象予報士の男女差を考えたらごくまっとうな比率だ、と言えると思う。
一方で、気象予報士制度の制定後でも、天気予報のニュースを読むだけなら別に資格は不要なので、「有資格者が行った予報を読むだけの人」という方向に分派していくコンテンツも現れる。「かわいい女の子にかわいく天気を伝えてほしい」というニーズを汲んだ気象予報コンテンツがそれ。めざましテレビとかね。民間に門戸を開放したことによって天気予報が多様化し市場が作られた。とても豊かなことだと思う。
増田があげているニコニコの天気chは私は見たことがないが、ニコニコの媒体特性などを鑑みると、「かわいい女の子に天気を教えてもらいたい」ニーズを汲んだコンセプトの番組なのかなと邪推する。多様化の結果の企業努力であり単なる市場競争でしかないから、いちいち批判する暇なフェミニストがいたならそいつはアホだと思う。いやー多様性って素敵だね。
増田はTVを見ないのかなと思うのだが、旧メディアでは男性が多数派ながら女性も頑張っている、そしてそのメディアの特性に合わせて「かわいい女の子推し」が売りのコンテンツも供給されている。お天気キャスター市場は、ある程度は健全な、成熟した市場を形成していると推察できる。
増田がもし「お天気おねえさんが天気予報読まされてるだけ!性差別!」と思ったのなら、それは増田が「かわいい女の子がお天気を教えてくれるのが好き」で、そういうのばっかり見ているから、だと思うよ。
まず理解して欲しいのは、こちらはそもそも性的搾取論という不公正な土俵に上がる気がないんだよ。
フェミ(及びそのシンパ)の人たちは性的搾取論が公平な議論のルールだと思い込んでるみたいだけどフェミさんたち以外には眉唾だ。
だから性的搾取論の上での分類に乗ること自体が馬鹿馬鹿しいし勝手な類型にあてはめて矮小化されるだけとしか思えない。
それゆえに性的搾取論という枠組みそのものが有効かナンセンスかを検討することになって、
その検討過程において仮に性的搾取論とやらが公正であるとすればどうなるか考えることになるけど、
性的搾取論者の定義(セックスシーンなし性器乳首描写なしのキャラ立ち絵でも性的魅力を感じれるようになっていれば性的搾取だ)に従えば1はありえない。
その人たちのツールが仮に公正であるとしたら、BLもまた性的搾取にほかならないので4にならざるを得ない。
そうだとするとフェミの人たちは男向けの美少女ものもBLも包括して規制する何らかの自省的な枠組みを提供すべきだと思うんだけど、
でも性的搾取論者はBLの性的加害や性的消費を難癖つけて否定してるので、何らの公正さも実現できていないことになる。
つまり、性的搾取論者の言う性的搾取の定義そのものが間違ってるとしか思えない。
だからその問題点を指摘するために、BLやイケメンパラダイス作品をどう考えるのかをフェミの人に問いかけるのには重要な意義がある。
声優のオタクしてるから、結構なソシャゲを入れて、ハマらなかったら好きな声優の声だけ聞いて消して、っていう不毛な行為をよくしてるんだけど。
最近多くなってきた中国原産で、日本語翻訳してリリースされたスマホゲーム、大体が日本の声優のボイスが付いてるんだよな。前までは日本向けにわざわざ声優起用してるのかな、まあ日本のソシャゲってキャラに声ついてて当たり前のとこあるからなあとか思ってたんだけど、どうやら中国版の本家でも、日本の声優が日本語で声を当てているらしい。
ひとつやふたつじゃなくて、中国原産で日本に入ってきたソシャゲって大体がそう。ありがちな美少女量産型の予算ギリギリなんだろうなあってアプリから、アズールレーンやアークナイツなんかの日本でもそこそこ売れてるようなアプリまで、中国版でも日本の声優を起用してる。
日本でボイスが中国語のソシャゲが出たら人気が出ないのは簡単に予想できるじゃん。それこそ中国から輸入したゲームでボイスが中国語ならそのままの雰囲気を楽しめってことだと強引に解釈できなくもないけど、日本発でそれやったら疑問しかないよね。ソシャゲってキャラ萌えを売りにするゲームで、キャラが何言ってるか調べないとわからないって致命的だし、調べて意味が分かっても、そのキャラ独自の訛りとか口癖を作ってキャラ立ちさせるのがとても難しくなる。
逆に言えばそのデメリットを全部放り投げてもいいくらいのメリットがありますよってことなんだろうけど、調べてもこれといった答えが出ないのでずっとモヤモヤしている。いかがでしたか?みたいなサイトしか出てこない。
日本の声優の方が給料が安い?日本の声優の人気がとても高い?どっちもないと思うんだよなあ。日本の声優の給料ってアニメよりゲームの方が高いらしいし、釘宮さんや花江さんみたいな一線級から、最近デビューしたような新人まで起用されてる。
もしかして中国って声優っていう職業がなかったりするんだろうか?それなら俳優にソシャゲのボイス頼むのはちょっと…ってのもわかるし納得できる。でも日本のアニメが中国で放送されてるときは中国語で声が当てられているだろうし、羅小黒戦記みたいな中国発のアニメ映画にはちゃんと中国語で声が当てられている。ってことは中国にもいるんだよな、声優。
二次創作物の判例が出たり、現パロ学パロ女体化の増田が見えたりしたので、このへんの私の感覚を書き散らさせて。
同人誌(漫画・小説ほか)二次創作における「キャラクター」って、突き詰めればリアクション集だと思ってるのですよ。抽象が「キャラクター」という概念なら、具体は「リアクション」。
学園パロディや現代パロディは特に服装を置換してしまうし、小説なら顔立ちは一目瞭然ってわけにはいかない。そういう意味では、原作の服も顔さえも、意外と必須ではないんですよね。名前は元の形が残ったほうがわかりやすいけど、アレンジ名つけちゃうことすらありますし。カタカナ名のキャラを無理やり和名にするとかね。
Aというキャラクターをあるシチュエーションに落とし込むと、どう反応するか? 二次創作中のその反応が、原作から醸成された「キャラクター」の共通イメージから離れていなければ、二次創作として十分成立するように思える。
だから、二次創作においては、極端なシチュエーションのほうがぶっちゃけ簡単なんですよねえ。キャラクターごとの反応がイメージしやすいし、共通イメージとの(ロジック的な)距離もひらきやすいから、いわゆる「解釈違い」案件とも距離があけやすかったりもするし。
学園パロや現代パロ、女体化などが延々と流行るのは、それがリアクションを取らせる上で簡単だから。閉じ込めてみた系とかも同じ構造だと思いますよ。
と、このように、少なくとも二次創作で扱う「キャラクター」とは、すなわちリアクションのコードだと私は思っています、という一意見でした。
傍証として、ノベル系ゲームの選択肢システムをあげておきます。あれは、プレイヤーの行動に対して、キャラクターの反応を変えることによって、キャラクターの反応コレクションとして機能しているんですよね。特定のシチュエーションにおける微差へのリアクションが豊かであることが、キャラクターを細かく立体的にすることに寄与する、というわけで、こと人格を描きたい恋愛ものとの相性が良いのだなと思います。
【追記】
>「行動様式の束」って言い方のほうが好き
やはり私個人としては「同人活動的二次創作においては『反応』様式」という言葉のほうがしっくりきます。能動的行動を含む場合、それはオリジナリティ成分の比重が高いと感じるためです。そして、一次創作でやるなら「リアクション集」では足りないんです。
いわゆる同人誌一冊全体を眺めた場合、設定流用という意味での二次成分と、アイデアの発露としてのオリジナリティ成分は混ざり合っていて、ある程度グラデーションを成すと思います(そもそも、作中において能動的行動と受動的反応を峻別することは困難です)。
一方で、例えば与えられたシチュエーション(例・学園、現代)の枠組みそのものを破壊するようなレベルの能動的行動は、学園パロや現代パロを描く二次創作界隈では通常要求されません。言い換えれば、「所詮は反応」でおさまるレベルの簡易な反応様式の描写であっても、二次創作の裾野においては十分主流たりえると思います。
トラバの「関数みたいだな」を受けて式に例えれば、シチュエーション×キャラの計算結果を描写する、と言い換えもできます。そこには
が並走しているため、シチュエーション部に代入するのは手垢のついたもので構わない、むしろ式がシンプルで理解しやすくて良いとさえ言えるわけですね。
また、複数のブコメで「キャラが立つ」という表現が見受けられたので、さらに参考として、公式二次創作物における「キャラ立ち」特化作品『おそ松さん』から、
『おそ松さん』EDテーマ曲 「SIX SAME FACES ~今夜は最高!!!!!!~」楽曲解説
https://togetter.com/li/913575
を参考に挙げます。
このまとめ内に
というくだりがあります(その方法論も面白いんですが、それはまとめ内で読んでください)。この楽曲は、ミクロの「キャラ」が実質的に口調(声や芝居を含む)であり、マクロの「キャラ」が思考・行動様式であることが端的に現れている事例だと考えてます。
さらに関連補足として、初音ミクというキャラクターも考えると面白いですよね。彼女は自身の「キャラクター」としてある種の〈空-くう、empty〉を獲得していると思いますが、その〈空〉っぷりは、(私から見れば)リアクションのコード=反応様式の束がコンセンサスを獲得できないことから来ているように思えます。