はてなキーワード: じわじわとは
もう3年くらい前のことだけど、レズ風俗を利用したことがある。理由は単純で、今まで男の人を好きになったことがなくて、女の人に片思いばっかりして、自分がそっちなんじゃないかと不安に駆られたから。あと単純な好奇心。当時19歳で、彼氏がいたけどそんなこと伝えるはずもなく。風俗だから浮気じゃないでしょ的な軽い考えで、まあもしなんか言われたら別れればいいかとかクソみたいなこと思いながら予約を入れた。
最初はなんとなく、住んでいる都道府県内で検索をかけて、ラインから予約ができるお店で、なおかつ、男性向け風俗の片手間でレズ指名オーケーなものではなく、レズ特化型のものを探す。適当に指名ナンバーワンのお姉さんを2時間予約した。あんまり覚えてないけど、歳上高身長の女の人が好きだったので凄く楽しみだった。ちなみにお店の人とやりとりするためにわざわざ新しいラインアカウントを入手した。家族や友達と繋がっているラインでそういうやりとりするのは凄く気が引けた。確か一週間前くらいに予約を入れたので、そこから毎日ドキドキが止まらなかった。
当日は午後に友達と会う予定もあったので、午前中に念入りに髪の毛と体をいつもより高いシャンプーとボディソープで洗った。その後にお世話になる風俗店が所有しているマンションの一室みたいなところに向かってセックスする予定だった。ど変態なので「このあとセックスする」と思いながら仲のいい友人に会うのは凄く興奮した。
友達と別れて、マンションの最寄駅に着いた。予約の1時間前。事前に持ってきた歯磨きセットやリステリンで、これでもかというほど歯を磨く。ペットボトルの水500mlを無理やり喉に押し込んで、キシリトールガムを噛みまくる。とにかく口臭とかで引かれるのが怖かった。人生初のセックスだったので。
お店に電話をかけながら、道のりを支持してもらいつつマンションに向かう。インターフォンを鳴らすととても女性らしい安心する声で反応があり、緊張マックスになる喪女。
部屋に入ると作りは1Kで、大きなベッドが部屋の真ん中にあった。照明はオレンジがかっていてなんか落ち着く雰囲気だった。
ど緊張しながら、お金を払おうとすると、終わった後でいいと言われ、慣れていない緊張感丸出しで一緒にシャワーを浴びる。その時夏前で自分が全剃りだったことを思い出して気に病んだが、優しいお姉さんはそんなことはあまり気にしていない様子だった。慣れてらっしゃるのね。お姉さんの優しい手つきで胸や股を洗われると、腰が動きそうになるけど恥ずかしいので必死に耐えた。
シャワーを浴び終わって体を拭いてもらって、なにか特別なリクエストはあるか聞かれる。多分もうバレてると思うけど、男とも女ともセックスしたことがないから慣れさせてくださいというと、お姉さんは笑った。美人さんだ。
最初に2人でベッドに入って大人のキスをする。ディープキスは彼氏と何回も経験済みだったけど、好きでないにしても相手の性別が変わるだけでこんなに安心と興奮を覚えるのかと自分でもびっくりした。キスの後にぎゅーって抱きしめられて胸が当たる。お姉さんの胸は巨乳と会うわけではないけれど、美乳だった。
「自分がネコかタチかとかわかる?」って聞かれて、今日はネコを体験してみたいと伝える。お姉さんはちょっと性的に微笑むと、私を仰向けに寝かせて、胸を舐めながら耳を手で弄ってくれた。処女だったのでめちゃくちゃ気持ちいいというわけではないけれど、なんだかもぞもぞするけれど謎の安心感があった。
でも愛撫が本格的に耳になると、ゾクゾクするような気持ち良さで、自分でオナニーするときに耳なんていじらないから、気持ちよくてどうにかなりそうだった。「ん」って感じの喘ぎ声が自然と出たのにお姉さんは「気を遣って感じたフリはしなくても大丈夫よ」って笑っていたので本当に気持ちいいと伝える。そうするとしばらく耳を攻めてくれて、その間も性器のあたりを手で撫でられる。舐めても大丈夫かと聞かれて、嫌じゃなければお願いしても良いですか?とめちゃめちゃ下からになる喪女。
初めて舐められる感覚は、クリトリスがじわじわとした気持ち良さで、ずっとしていて欲しいような、物足りないような感じ。指を挿れてほしいけど、処女だから痛そうだと理性が止める。オナニーすることある?って股の間から聞かれてめちゃくちゃ恥ずかしかったけど、良くすることと、でも中になにも入れたことがないと伝えると、お姉さんはゆっくり穴の中に舌を入れてきた。そこから怖くなってこれ以上は無理だと思ってそのあとはずっとキスしたり裸で抱き合ったり、好きな女の子の話とかをして時間は終了した。服を着て、お金を払ってマンションを出る。
帰りの電車に乗ってる時もさっきの官能的な空間を忘れることができなくて、家に帰ったらパンツがえらいこと濡れてた。多分もう男の人とは付き合えない。彼氏とはすぐ別れ話をしてしまった。
かつて、アレクサンドリア図書館では二種類の本が所蔵されていたという。巻物と、現代の本のように綴じられた本だ。どちらにもそれぞれメリットがあったが、綴じられた本にあった最大の利点は、ページの表と裏の両方に書きこむことができることだった。つまり、単純に空間あたりの情報密度が倍になる。そういうわけで、いつの間にか巻物は駆逐され、今と同じ形の本が広まっていったという。同じ理屈で、私たちはパンチカードからテープへ、フロッピーディスクやディスクを経て、USBやSDカードへ、その先へと進んできた。
ここで、ハードの乗り換えの際、重要でないとされたものは、最新のメディアにコピーされなかった。つまり、巻物には記録されていたのに、現代には伝わっていない古代の著作が多数ある。当時の様子を伝えてくれたかもしれない資料が、こうして失われた。同じように、今でも貴重なデータがフロッピーディスクに埋まっていることだってあるかもしれない。笑ってはいけない。ある企業の文書はMOディスクに保存されていると聞いた。霞が関の重要な公文書がフロッピーの中に眠っており、読みだすのに一苦労、なんてこともあるのかもしれない。
そして、現代において最も重要な知識の移行が、オンライン化である。ネットに載っていない情報はあたかも存在しないかのように扱われてしまいがちで、それが私たちの記憶に対して、自信をあやふやにする。
私が幼いころに見ていたNHK教育の番組に、「ともだちいっぱい」というものがあった。その一コーナーで、ペカリンさんなる人物が「困ったときはチャンスです」と歌いながら主人公を絵本の世界に招き入れ、課題解決のヒントを与える、という寸劇があった。一応、その概略を示したwikipediaの記事は存在する。それでも、各回にどんな人物、一回限りの登場キャラクターがいたかを網羅した情報は、ネット上にはまったく見つからない。
私の記憶では、フラフラになるまでフランダンスを踊る島の人々や(彼女たちにアイスキャンディーを配る)、標識や印の便利さを伝える回に出てきた「ノッペリ」なる人物、松竹梅の三種類の樹を並べ替える方法は行くあるかを問う怪人、姫に無理やり求婚する「イイダロ王子」、それから「ゴメンライダー」なる悪役が出てきた記憶がはっきりある。しかし、いくらgoogleで検索しても彼らの影も形もない。
他にも、「ひらけポンキッキ」に出てきた、ドレミの歌とともに人体模型がじわじわ歩いてくるトラウマ級の映像も、存在した証拠がほとんどない。ガチャピンの声で「体の中はどうなっているのかな? 見てみよう?」と言うと、子供と虎と魚の骸骨や内臓が見えるのが恐ろしく、布団の中に潜って怯えていたことはしっかり記憶しているのに。
こうするうちに、初期の「ひょっこりひょうたん島」のオリジナルテープが上書きされて永遠に失われてしまったみたいに、彼らの存在した証拠も、コピーが取られることもなく、消えてしまうのだろうか。そういえば、羊皮紙の写本もときどき重ね書きされ、古代の貴重な写本がいくつも失われた、と耳にしている。
世の中には、絵を描くことは好きで幼い時より描いてはいたが、特にその道に進むほど情熱をかけているでもなく、かと言って、趣味の範囲で同人誌を出すアクティブ・タイプなオタクでもなく、ただ気の向いた時や萌えの気持ちを発散するためだけに描くことで満足するタイプのオタクも存在する事をご存知だろうか。そう、私のようなタイプのオタクだ。
描くことは幼い日々より続けていたものの、どうも絵がうまくない。うまくないのだ。高校生になる頃には自分の限界に気付き、同人誌を出すのは絵の上手な人の特権!私みたいな絵の下手なオタクは一生見る側なんだ!と即売会や中古同人誌ショップを巡り、描き手様たちの作品をいそいそ収集する日々だった。
一つ目の転機は、大学に入学してからだったと思う。友人が腐趣味に目覚めたのだ。今までこの友人はオタクでありながらも腐女子ではない、夢女子に近い立ち位置のオタクだった。当時、じわじわ人気が出ていた少年漫画に彼女は「腐女子」としてハマったのだ。わたしはひとまず、近くで同人誌を買うことができるショップを教えたり、それとなくネットマナーを教えたような気がする。一緒に即売会に一般参加などもした。そう楽しんでる中、ある日彼女から「pixivで小説を書いている。今度本を出してみたい。」と言う話を聞かされた。
私は、驚くと同時に、1年も経たないうちに生産者側に回ろうとする行動力に驚嘆した。もちろん応援することにしたし、最初の彼女の小説の表紙デザインを作ったり、売り子として即売会に同席するなどした。あっという間に生み出す側となり、その後も一人でサークル参加を続けていた。「絵を描くのに○○ちゃんは出ないの?もったいない。」などと言われたこともあったが、「私は絵が上手くないから」と言葉を濁した。
私はこの時は、「彼女は特に行動力があったただけ」と思いつつ彼女がやりたいことに真っ向から挑戦できる彼女が眩しく見えた。
二つ目の転機は、私がデジタルイラストを描くことができるようになったことだった。大学半ばから社会人になるまで、およそ4年近く忙しさで絵を描くことができなくなっていた。私は当時「もう社会人になるし、いつまでもオタクでいるわけにはいかないと思っていたしちょうどいいのかな」と思いながら過ごしていた。幼少の折より続いていた唯一の趣味が無くなりつつあるのには常に一抹の物悲しさが付き纏ってはいたが、それを上回る日々の忙しさがそれをも掻き消して行った。社会人になると、日々消耗し、毎日泣いて泣いて過ごしていた。そんな中、友人がとある2.5次元の作品の観劇に誘ってくれた。昔から好きな作品で、是非にと観劇しに行くと、それは素晴らしく楽しく、素敵だった。同時に今すぐ絵を描きたくなった。久々の感覚だった。スケッチブックを引っ張り出して、演者さんが演じていたキャラクターを描き殴った。その日から、毎日毎日スケッチブックに絵を描き、ふと思い立ちそれ専用のツイッターのアカウントを作り、イラストをアップした。その作品を好きな人とも繋がることができ、とても楽しかった。
ある日、彼氏が「お前、デジタルでは描かないの?」と言ってきた。私はどうもデジタル向きではなく苦手意識もあったが、ペンタブを貸してくれて、一からイラストソフトの使い方を教えてくれた。彼氏もオタクで、小説も絵も描けるハイブリッド型のデジタル人間だった。暫く私が絵から離れていたから、今までは提案しなかったそうだ。そしてそこから私はデジタルイラストを導入するに至ったのだ。
三つ目の転機。オタクとしての楽しさを思い出させてくれた前ジャンルで人間関係がゴタつき、私はジャンル移動するに至った。ちょうど熱も少し引いたタイミングに、原作を読んだことのあるアニメが放送となり見事にのめり込んだのだ。ポツポツイラストを上げているとアニメ化中の作品だからか、たくさん反応を貰えてとても楽しくなった。フォロワーもすごく増えて、毎日楽しく過ごしていた。所謂ROM専と呼ばれる人たちにもフォローされたり、何か少し絵師っぽいかもしれないと内心喜んでいた。
そんな中、好きなCPで萌え語りをしていると、よく反応をくれるROM専の方からリプライが飛んできたのだ。内心、ROM専の人も話しかけたりするんだな、と驚いた。内容は「最高です。ぜひ本を出してください。後、小説も書いてください」と。とても驚いた。私は絵を描いてはいるが、同人誌を描く側には一生行けない。本を出せるのは、だって、絵が上手い人だけの特権なのだから、と。私は絵を描くくらいはしていいが、出す側には行くことができない側の人間なのだから。嬉しいが期待に添うことはできない。その気持ちに感謝をしつつ、当たり障りのない文章を返した。「出せる機会があれば出したいですね」などと返したと思う。私はデジタルイラストを描くことは出来るようにはなっていたが、漫画は描くことができなかった。落書き程度ならまだしも、きちんと製本できるような規定を守ったやり方での描き方は知らなかったのだ。しかし時々、その言葉を思い出して、元気を貰っていた。フォロワー同士の付き合いではなくて、ROM専の方からのお言葉だからきっと本当に私に目をかけてくれたんだろうな、と自意識過剰になりながら。
四つ目の転機。仲良くなったフォロワーが、漫画ソフトを一から教えてくれる、という、何とも親切きわまりないフォロワーだった。私は悪いし、すごく迷惑かけるし、と言ったが、私と一緒にイベントに出て本を出してくれるなら一から教えるから!と息を巻いていた。私は、ROM専の方から声をかけていただいた言葉から、いつか機会があれば出したい、と思い続けていたこともあり、とりあえず彼女の使っているのと同じソフトを買い、通話で三日三晩迷惑をかけ時には叱られながら使い方をレクチャーされた。結果として、拙いながらも原稿が作れるようになった。マスターしていないので、基本動作しかできないが、デジタルオンチの私にしては上々だ。まさか、アラサーになってから同人誌を作るよう動くことになるとは思っていなかった。年甲斐がないとか、今から始めるのか?とか、たくさん悩んだが、家族や友人周りが肯定してくれた。
そして先日、はじめてのサークル参加をした。大学時代の字書きの友人も、○○ちゃんが出るなら、と同じ即売会に出てくれた。初めてのサークル参加に浮き足立ち、前日は寝れなかった。まさか、一生描き手には回らないと思ってた自分がサークル参加をするという事実に夜中に感極まり、号泣した。本を出してと声をかけていただいたROM専の方には迷惑を承知の上で、長文のDMで感謝の気持ちを綴った。「あなたの言葉があったから本を出せました。あなたが私を同人作家にしました」と打ちながら泣いた。気持ち悪いDMにその方から丁寧にまた返信をいただいて、また泣いた。
即売会当日、売り子はフォロワーさんに頼んだ。徹夜でむしろハイになっていたので、意外に現場に立つと緊張しなかった。道中の電車では、感極まって二、三回程半泣きになったが。
始まるとお隣さんの同CPのフォロワーさんが初参加で年も近いこともありたくさん話してくださり楽しかった。
早めに撤収し、売り上げは、30弱程。いいのか悪いのかわからなかったが、友人に「そんなもん」と言われたので多分そんなもんなのだろう。何より、「貴方が出るから来るのを決めました!」と言って貰えたり、「pixivでサンプル見てほしくて…」と言って貰えたり、差し入れを貰ったり、とにかく、嬉しかった。こんなに幸せなことが世界にあっていいのかとも思った。
そして帰り道、気付いた。「あぁ、私も同人誌出す側になったんだ…」と。
同人誌の在庫は自宅郵送したが、一冊だけ手元に持って帰ってきた。何度も何度も読み返した。自分が描いたものが本になるのは不思議で、奇妙だった。その夜は、枕元に自分の同人誌を置いて寝た。なんだか自分の本がとても可愛かったのだ。
友人にイベント終わりに、「初めてのサークル参加はどうだった?」と聞かれた。私は、「今まで、同人誌って絵の上手い人だけが出していいと思ってたけど、違うんだね」と言った。友達は「そんなの、やる気の問題だよ」と言っていた。そして全く、その通りだな、と思った。
同人は、何歳から始めてもいいし、誰がやっても良かったのだ。それに気付くのに、何年もかかったが。そして私は、人生二回目のサークル参加をするべく、今もせっせと二冊目の同人誌の原稿をしているのだった。
今日もサクッと行くわよと言いながらめちゃくちゃ寝たので、
多分12時間超えの久しぶりの睡眠は逆に腰が痛くなるわと思いつつ、
今日はそんな日にするわね。
なんでもないようなことだったわ。
台風でテレビのアンテナが壊れて屋根に登って直そうとしていた30代女性ってニュース、
どういう背景か知る由もない、知ってよし!って言うわけじゃないけど、
それほどテレビ見たくてアンテナ直したかったのかな?と必死感か伝わってきて、
家族の人は?って思っちゃったし、
台風でテレビのアンテナを無茶して必死で直したがる30代女性って
私の中のそのパワーワードはじわじわ来て仕方がなかったのよね。
それに車がエンコしてとりあえずボンネットだけ開けておいて故障感出しておくかって米国映画とは違い、
屋根に登ったところで、
私ができると言えば、
せいぜい倒れたアンテナをまっすぐにするだけ、
でもあなたは知らないのかしら?
うまく角度を合わせられたとしても、
って作業は一人ではとても大変だと思うのよ。
台風も去ったし
強くこの時ばかりは思うばかりだったわ。
命あっての物種、
死ぬこと以外はかすり傷、
なんて言うけど
ちょっと利口ではなかったわね。
アンテナ直せても、
「このアンテナが直ったら結婚するんだ」ってそれ死亡フラグ!って
アンテナ直せたところで、
土煙が立ち込めてその煙なくなるとともにその中ボスも倒したか!?ってさなかに
煙の中から普通に歩いてきて実はぜんぜん倒せてなかった!っていうガッカリ感、
後世に語り継がれるべきだわと私は思うの。
生きてるだけで丸儲け論を提唱したいと思いつつ、
アンテナ折れたときは録画溜まってるのを観なさい!って伝授したいわ。
うふふ。
熱々のチーズがとろけて口の中が火傷しそうだけど、
ゆっくりたべてね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
台風が来るのか来ないのか
そんなことより、
どんなことだっけ?って思い出せないけど、
まともに聞けないわ。
安全なのが一番なので近くの人は十分気をつけてね。
コロッケでもかじりつつ
雨雲レーダーを見ながら
私も用心して走るわね。
天気予報を見ていたんだけど、
リアルタイム感もありつつ
スマホで見るとなんかドラゴンレーダーを見てる感じも醸し出せるわ。
そんなに劇的な動きはないけど、
私はこれから雨雲の中に突っ込んでいくのってのが分かるわ。
とりあえずお出かけしてる人は気をつけてね。
うふふ。
さっき齧ったばかりよ。
肉厚の海苔の風味がとても良くて海鮮の気分と旅の気分を盛り上げてくれるわ。
麦茶パックを持ってきてるので、
何回か水足してもいいわね。
とりあえず雨がひどくならないうちに出発するわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
>バカボットが言うPCゲームの普及率も家庭用機、スマフォ、アーケードにもmobaがあることを考えれば的外れだろう
「普及率を語る時に国民性を持ち出すのはアホ」と釘を刺したのに、なんで同じ愚を繰り返してるわけ?
とりあえず、「日本人は視野が狭い、視力において能力が劣る」という根拠を示せ。
でなければ、お前の話は聞く価値が無い。
MOBAの代表的なタイトルであるLoL・Dota2、その二タイトルがPCゲームである以上、
PCの普及率で考えるのは至極当然だ。外してるのはお前の考察だ。
大体、日本でもモバイルのMOBAがじわじわ人口を増やしてるし、
LoLのプロシーンは国内eスポーツにおいて待遇が優れている。
それほど深い理由があるわけではない。ただ、惰性で生きていくのが面倒になった、というだけの事だ。今までの人生はずっと、嵐が過ぎるのをじっと耐えて待つような人生だった。正直この歳になって、今までを巻き返せるような幸せは望めない。結婚や子供を持つ事を目指す気にもなれない。
このまま働いて、税金を納めて、自分を養って、自分を養う貯金をしながら生きていくだけの人生が、たとえ今日終わっても30年後に終わっても大差がないように思えるのだ。
ガンで死ぬか、心筋梗塞で死ぬか、じわじわと衰弱して死ぬか。いつか突然くるその日を待ちながら生き長らえずとも、自分でその日を決めてしまいたい。心の準備をして、死に臨みたい。
望んで死ぬ俺でも、やはりその日は少し怖い。30年前、まだ安楽死が合法でなかった時代の人々は、確実に死ねるとも、苦しまずに死ねるともいう保証もなしにこれに立ち向かっていたのだ。あと30年早く生まれていたら、俺は死ぬまで生きようとしていただろうか。
遺書を書いて残す言葉もない。宛てる相手もいない。形式としての遺書だけ、弁護士に託して終わりだ。だから、俺の今の心境だけ増田に遺して行こうと思う。
元増田は
当然と望んだ将来が二度と手に入らないという経験がまだないのでは。
楽しみに読んでいた漫画を連載途中だった漫画家が急病で死んでしまったとか。
ある意味幸せだし、あとから京アニ事件の余波をじわじわ感じる日がくるかもしれない。
で、
そうならないように予防的に今すぐ行動してるのかも。
という仮説もたてられる。
ずっと心の痛みを感じてた人のほうが多いとおもう。
そっちがわの人にとってはじわじわはもうはじまっちゃってるってことだ。
アニメーター、アニメ監督は結構頻繁にトークショーとか授賞式とかイベントで
数百人数千人の視聴者にとっての「顔見知り」になっちゃったりするものだし(外国も含めて)、
そうでなくても、なんというか、vtuberの逆なんだよ。
外側のスキンは普通のおじさんおばさんで、煙に巻かれただけのことで死んでしまう弱い人たちでも、
中に好きなキャラクターの好きな仕草、表情、偉大な仕事がひそんでいた。
私達はその目と手をとおした魅力的なキャラクターや美しい世界を、テレビ越しにあたりまえに目にしていた。
ベつのアニメーターに描かせても(似せることはできても)全く同じ仕事はできないかもしれない。
チームワークも同じようにはできないだろう。
書き方とかローカルルールも理解できてないけど、今の自分が思っていることを整理するために書き投げる。
タイトルが不穏だけど、アレだよ「まんじゅうこわい」と同じだよ。
アニメは見てない。
主題歌は知ってる。
そこから何かのアニメやドラマCDでちょいちょい名前を見かけていたけど、なんだかパッとしない声だなって印象だった。
寺島は、中音からやや低音にかけての声をこの頃よく使っていたように思う。
正直、主役声ではなかった。
このまま脇役でおさまる声かな?って感じだった。
私が寺島拓篤という役者と向かい合ったのは、うたの☆プリンスさまっ♪という作品だ。
何かの雑誌に載っていた、新作ゲームコーナー特集の数ページだったと思う。
女装教師に「珍しい役やらされてるwww」って笑っていたり、「割と歌えるメンバー揃えてきたなぁ」とキャストを眺めたりしていたが、
という文字を見ても、「寺島…?あーあの人かーへー」ぐらいの感想だった。
それぐらい10年近く前の寺島拓篤は、私にとって印象に薄い役者だった。
そこから数年後、うたの☆プリンスさまっ♪のアニメが始まった。
主題歌のマジLOVE1000%が頭から離れず、そこから転げ落ちるように…とはならなかったが、じわじわとうたプリに落ちていった。
今でも推しは変わらず青い人なんだけど、アニメを見てもゲームをしても音也にはハマらなかった。
何かが変わったのは、声優さんがライブをする、所謂プリライ。5thの時だ。
音也のキャラソンは『元気』『明るい』『楽しい』という印象の歌が多かったのだが、
5thの時に歌った歌はそれまでの印象とは違う歌だった。
発売された時も、こういった歌が歌えるようになったのか~と思っていたが、生で聞いたらダメなやつだった。
寺島がセンターステージにギターを抱えて現れ、【木漏れ日ダイヤモンド】の1小節目の音をかき鳴らした瞬間に、何故だか涙がこぼれた。
音で聞いて分かる。
弾くことに慣れてない。
少し震える弦の音と、手元をしっかり見て一つ一つ確かめるようにコードを押さえる寺島の姿。
一十木音也というキャラに対して向き合う寺島拓篤の姿勢に、心を動かされたんだと思う。
曲が終わるまでペンライトも振れず、ただただ立ち尽くして泣くしかできなかった。
そして、後からゆっくりと「もしかして寺島拓篤はヤバい奴なのでは?」と思いだした。
思った時にはすでに浸食は始まっていて、そこから今まで気にしなかった一十木音也やうたプリに対する寺島拓篤のコメントを読むようになった。
ダメだった。
役者としての気持ち、クソオタとしての気持ち、両方分かる寺島拓篤のコメントは、私が求めている「欲しい言葉」がいつもあった。
なんなのあの人。
木漏れ日からかかった呪いは時間が経つに深くかかり、新曲が出るたび、プリライに行くたび、ブログを読むたび「あ゛ぁ゛ー」と汚い声を上げて泣くようになってしまった。
と語彙力が失われるほど心に刺さった。
うたの☆プリンスさまっ♪はスタリから始まり、カルナイ、ヘブンズと新しいグループが作られている。
内部(ファン同士)での殴り合いは、何かあるたびに起こっている。
そんな事を知ってか知らずかは分からないけど、あの言葉は音也と寺島、両方の気持ちなんだろうなと思っている。
そして二次元男性アイドルコンテンツを確立したパイオニア的立ち位置にある作品としての気持ちでもあるのでは、とも思っている。
今でも胸を張って言えるのは、私は寺島拓篤のファンではない。という事。
個人ライブに行かないし、うたプリという作品以外での活動にはあまり興味を持たない。
かと言って、一十木音也が推しになったのか、と言われると、そうではない。とはっきり言える。
音也関連のグッズ等の何かを買いたいという気持ちは、今でも起こったことがないからだ。
しかし、一十木音也が、そして寺島拓篤が、うたの☆プリンスさまっ♪という作品にいなければならない。いないと成立しない。と思っている。
そう思わせる寺島拓篤の人となりが凄いと思う。
なんだか長くなってしまって文章がとっちらかってるけど、最終的に何が言いたいかって言うと、
って言う事。
去年の10月に8年付き合った彼氏と別れて暴食してめっちゃ太っちゃってからなんかもう当分彼氏という存在要らないしセックスもしたくないしつーか恋愛結婚妊娠出産すべてつまんねーななんでこんなに固執してたんだっけ?シラフにもどって考えたらコスパ悪すぎるわそんなことよりドラクエ11やろう!!って感じで半年以上ダラダラと過ごしていたんだけど、先月からアサインされたプロジェクトで知り合った社外の男子にじわじわときめいててこのプロジェクトも8月半ばでおわっちゃうからそしたらもう会えなくなるんだ…って思ったらすっごく切なくなってきちゃって連絡先とか聞いたりしたいんだけどいま去年よりたぶん10kgくらい太ってるから自分にまったく自信がなくて一歩を踏み出せない。今日から痩せようと思うから一緒に頑張ろう。
…とか、
とか。
そんなことはさておき。
ワタイが再就職してからシツコク「シンドイ」「もう職場いきたないわ」と未だに繰り返している原因の一つに、
イヤな、というか会うのが怖いひとが居てるから、
てゆうのもあるのだが。(コレは我慢して考えナイようにして日々通勤してやり過ごしているからして、直視したくないのだ今は)
家でまたしてもつい、ここ数年上手く会話できてない思春期ムスメに、イヤな言い方を返してしまって、
あれ、これ、その職場で会うとワタシがシンドくなる、あのイヤな人と同じやり方、っていうか、ムスメからしたらワタシがそういう存在ってことジャネ?
HPとMPの話をしようと思う。自分にとってはそろそろ当たり前の感覚になってしまって、言語化できないかもしれないと思ったのが切っ掛けです。
ゲームじゃなく現実の話、人間にはHP(ヒットポイント、体力)とMP(マインドポイント、気力…かな……)がある。(と思う、といちいち書くのが面倒なので主観により言い切る)
HPを使い切って枯らすとどうなるかは、実感を持って知っている人もけっこう居る。風邪を引きます。風邪というか病気になるんだけど、特別な病気の種を持っていない人は取り敢えず風邪に罹るので。
HPを使い果たした事によって風邪を引くと、あっ、限界越えて倒れるって急に昏倒するんじゃなくて自主的に寝込む事になるのかー、ということが分かります。
価値観が色々動くので(あと、物理的な自分の限界って味わっておくと勉強になるので)、一度くらい経験しておくのも良いと思う。二度目は無い方が良いですけども。体に悪いからね。……ほんとに悪いからね。
で、対するMPを使い切ってしまうとどうなるかを、実感として知っている人が意外に少ない。そもそもMPの存在を実感している人が少ない気がする。
多分多くの人は減ったと実感するほど一度にはMPを消費しないんじゃないか。不足していて困る(今動くのに必要な分が足りない)事がないから、存在を認識しないのでは。幼い子供が空気というものを物体だと認識しないように。
MPの消費/回復幅は人によって凄く変わる。食べて減る人も居る、運動で回復する人も居る。
他人と付き合う事で大幅に減る人も居るし、本を読む事で消耗する人も回復する人も居る。誰かに伝える言葉を綴ることで回復する事もあれば消費することもある。
実感としてはアウトプットは大概消耗も回復もするので、どちらがより大きいかによってプラマイが変わるだけだけど。
「特に体を動かした訳じゃないけど、疲れたなぁ」と思う事くらいは、MPを意識してない人でもあるかもしれない。その「(肉体ではない部分が)疲れた」こそがまさに、私の言うMP消費だよ。
つまりMPを意識してない人でも、日々MPは消費しているのだ。
回復するには、自分の楽しい、嬉しいことをやったり、それらに触れたりするしかない。
ふわふわのお布団、美味しいもの、ねこ(いぬ)、きれいな景色、好きな音楽。自分のMP回復方法はなるべく沢山知っておくのが良い。消費の激しい人は特に、意識して回復しておかないと簡単に枯れて足りなくなってしまう。
気分が乗らなくてたかが徒歩数分の用事を片付けに出掛けられないとか、茶碗を一枚洗って片付けるぐらいの事(つまり体力をほぼ要しない事)がどうにも出来ない、なんて時を、私はMPが足りなくて動けない状態だと思っている。なお茶碗を洗うのにMPをほぼ使わない為にこの例えが意味不明な人もきっといらっしゃる。
MPが凄く必要な用事があって、そして今のMPは足りないのにその用事は外せないなんて事もままある。主に出勤ですが。そういう時に無理矢理行動すると、MPの代わりにHPが余分に使われている気がします。HP切れ=風邪ひき状態 になり易くなる。
楽しむ余裕は本来ない筈の楽しい事を無理矢理行って、強制的にHPをMPに変換したりする事もある。寝る時間が足りないのにレイトショーの映画を仕事の合間に捩じ込んだりとかそんな感じです。
変換の過程はともかく、MPが足りない分をHPから補てんしているのは同じなので、どちらにしろ体に悪い。
でも個人的には、MPが枯渇するよりは風邪を引く方がちょっとだけマシかなと思います。理由は後で書きます。
で、MPを使い果たすとどうなるのかという話なんだけど。
とても傷付き易くなるのです。そして、その為に防衛として、攻撃的になるのです。
ひがみっぽくなる。自分以外が自分に接する時、其所に悪意があると思い込む。自分一人だけが頑張っていて、他の人間はだらけていると思い込む。良い事が起きても素直に喜ぶ前に疑う。どうせ悪い事も含んでいるのでしょうと、ひねくれた受け取り方をしがちになる。
自分は間違っていないという肯定を求める。否定される事に敏感になるので、自分と価値観の違うものを受け付けなくなる。
つまり「優しくなくなる」のです。
MPが切れると、ひとは優しくなくなる。
HPを使い果たした時突然ばたーっと倒れるなら限界だった事が分かりやすいけど、実際には自主的に寝込む破目になるように、MPを使い果たした時突然叫んだり泣き喚いたりと分かりやすい事が起きる訳じゃない。その症状は段階的に、まるで外的要因なんかではないみたいに、じわじわと本人を蝕んで変えてしまう。
(この話からはちょっと脱線しますけど、同じだけMPが減っても攻撃的にならないひとは、傷付きっぱなしになって鬱になるんだと思います)
ゼロに近付いた、くらいなら、好きなものに触れて、美味しいもの食べてぐっすり眠って、ちょっと回復すればこれらの症状はおさまります。風邪が療養したら治るように、他人や自分と違うものへの優しさを取り戻せるでしょう。人によっては、自分ここんとこ優しくなかったなと気付いたり思い返したりもできるでしょう。
でも、ゼロに近付くを通り越して、マイナスになって、マイナスが溜まって澱のようになると、これは簡単にはなおらなくなってしまう。
MPが切れる事の一番の怖さは、MPを回復しにくくなる事なのです。
好きなものに触れても、でもどうせこれにも悪意があるんだと思ってしまってたら、気持ちが安らがないでしょう。だから回復するためにより多くのプラスが必要になる。マイナスが重度であればあるほど回復幅は少なくなって、もう一度プラスに転じる事はとても難しい。
ちょうど、HPが切れて風邪を引いたのに、休まず更に体を酷使したらそのうち取り返しの付かない重い病気を患ってしまうのと同じに。
ただ、体が病気になるのとちがって、MP切れは酷くなればなるほど自覚しにくくなる。本人にとってはそれが日常になってしまうから。そして回復の必要を感じずにまたプラスから遠退く。
だからHP切れより私はMPが切れる方がこわい。本人も周りの人も、危険なラインが見え難いから。いつのまにかマイナスが溜まってしまって、それが当たり前にまでなってしまったら、取り返せずに生涯マイナスのままになってしまう事だってある。
風邪を引きっぱなしで放置する人はあんまり居ないけど、MPが切れたまま回復せずに過ごしてしまったんだなと思う人には心当たりが沢山ある。それはとても悲しいと思う。
でも、風邪を引いてふらふらしている人がいたら「無理しないで休んで」と外から言うことは普通なのに、いらいらして何にでも嫌味っぽくなった人が居ても「きみ疲れてるよ、好きなものに触れておいで」と伝えるのは難しい。(そもそも攻撃的になっている人に何かを勧めるのは難しい)
それはMP不足っていう状態異常だよ、風邪と同じように、療養して治す必要のある状態だよと私は思うのだけど、風邪と違ってどのくらい休めば良いのかの目安が分かりにくいし、何をしたら療養になるのかも分かりにくい。病院に行って薬を貰ってくれば効くというわけにも行かない。どうやって回復したら良いのかが(人によって違い過ぎて)わからないので、簡単に勧めるのが難しい。そして冒頭に返るんだけど、そもそも「きみは今MP切れを起こしてる」という状態が伝わらない。休む?なんで?食べてるし寝てるし健康体だよとか言われてしまう。いや状態異常だと思うよ……というのが伝わらない。
それで、話す機会があれば話が出来るように、HPとMPの話をしておきたかったのです。言語化できただろうか。
つまりね、マイナスの澱がよどみつつある後輩ちゃん、きみに伝える術が無いものかと、ここのところずっと苦しいんだよ私は。
きみはよくない方向に進んでいる。職場の複数の人が、「根は良い子なのにいつの間にあんな風に人を傷付けるようになったのか」と言ってきみの現状を嘆いている。どのくらい自覚があるのか分からないけど、きみは日々MPを消費しすぎてる。このままひねくれて躊躇無く他人を攻撃するようになる前に、どうか自分をいたわって欲しい。好きなものに沢山触れて癒されて、優しい人間に育って欲しい。まだ二十代だもの、間に合うと思う。
稀にMP消費に関係無く躊躇い無く人を攻撃する性格破綻者も居るけど、きみはそうじゃないって皆言ってるよ、私もそう思うよ。
つーて、攻撃される対象に入ってしまったので多分伝える機会は無いのだけどね。
悲しいのでネットに放流しに来ました。
こんどの選挙についてこんなふうに投票しようと思ってるんですが、はてなーの諸先輩方はどう思いますか?
自民党が圧倒的な与党であり続けるのはよくないと思っています。
なので特定の野党を支持、というわけではないけれど、選挙区では野党で強そうなところ・比例区ではれいわ新選組に入れようと思ってます。
大きな理由は2つ
・権力は腐敗するから(友人を優遇しすぎ。公文書処分しすぎ。官僚人事をすきにやって支配しすぎ。メディアに影響力を発揮して不都合な情報を隠蔽したり)
・安保関連法の強行採決や、国民を縛る方向への憲法改正を目指していること、また、夫婦別姓反対など守旧的で(≠保守的な)安易な国粋主義にすすみそう。
アベノミクスはスタグフレーションを招いていて所得も減ってうまくいっていない、と思うけれど対案がよくわからない。一般人としては消費税増税をとめて財政出動してほしいけれど、ドーマーの定理的に将来どうなのかわからないし、MMTはうさんくさそうだし適切な財政出動できる人がいるかはわからないので判断してません。
とはいえ、野党の中ではれいわ新選組がまあまあよさそう。実験としてやってほしい。
https://www.reiwa-shinsengumi.com/policy/
党首の山本太郎氏もちゃんとした議論できるっぽいのでそういうひとが国会にいると盛り上がりそう。
即、野党が与党になってほしい、ということではなく、もうすこし緊張感のある政治をしてほしいと思っています。
足の引っ張り合い政治もどうかとは思っていた時期もあって自民党に入れていたこともあったんですが、ちょっと、腐敗や独断や見栄がひどい。
自民党がトップでいたとしても党内で安倍首相を下ろす動きになってほしい。
野党のふがいなさも感じていて、もうちょっとまともな政策と人選をしてほしいけれど、このご時世に、まともな人間が政治家になるハードルがあがっていて難しいのかもしれない。
という考えにいたって、今回の参院選は、与党が勝つだろうけれど、野党に投票することにしました。
国政に緊張感が出るという意味では、最近はまっとうな政策をかかげて弁もたつ山本太郎の党が存在感を示すとおもしろそう、と思っています。政策のバランス感や議論が適切にできている感があるように見える。
よく批判される、福島関連の主張はわりとデマもあって、かつ明確に撤回した形跡はちょっと検索しても見つかりませんでしたが、現在は下記のようなブログを書いていて、こう主張する人がいてもいいよな、と思っています。どうするべきかはわからない。
参考)
https://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/8150
・教育・・・教員補助拡充とか貧困の再生産とめるためのなにかしてほしい
・世代間格差・・・高齢者の医療費負担はもうちょっとあげてもいいんじゃないか、でもこれは判断できなさそうだし正解わからない。何千億円あったとしてどうしたら氷河期世代を救えるんだろう・・・
・最低賃金・・・地域差がないと地方に工場つくられなくなりそうだしじわじわと底上げするでいいんじゃない派
・LGBT・・・結婚できるようにするべき。ただ結婚による優遇は減らして子育て優遇にするべき派
・研究・・・もっと研究費積んで高齢者とか実務家ポスト減らしてほしい。かわりに大学とは別に職業教育の学校があってもいいとは思う
・メディア・・・新聞の軽減税率やめてほしい・・電波オークションしてほしい(好奇心)・私的録音録画補償金制度やめてほしい
・原発・・・危険で人間には安全に管理しきれず、事故時の影響がでかすぎるので廃止していくべきだけれど、移行期間として今あるものは使う派
以上です。
長文。書き捨て。どうにかならんかな。
前から薄々自覚はあったんだが(飼い犬をベッタベタに可愛がるとか)
なんかこう、この一、二年くらいで愛情の捌け口的な存在を脳が強く欲してるみたいな状態になる日が増えている
誰かと一緒にいてイチャイチャしたい、誰かを肯定して肯定し返されたい、誰かと助け助けられして生活を共有していたい、あと性的欲求を解消したい、そういう諸々の欲求が日常生活中に脈絡もなく発生してはいろんな脳神経が連鎖的に発火
日々の貴重なプライベートタイムが無意味にもだもだと浪費されてゆく
明らかにサイクルがあるので要するにホルモンに振り回されているということなんだろうが、ピーク時は二次元の推しとか特に推しではないけど印象的なキャラとかしょうがっこうのころすきだったこ(あのころのまんまの姿)とかが入れ替わり立ち替わり夢に出てきてアレコレと切な苦しいことをしてくれて本当しんどい
そういう夢に限って嫌に鮮明だったりするんだこれが
で、
勤め先のよその部署に最近入ったという人がいるんだが、この人がもうなんというか、かなり好みで、この前飲み会して以来じわじわと変に気になっていて困っている
「変に」っていうのは「これが…恋…?いやこれ恋ちゃうのでは?これどっちかというと二次元の推しに対する愛着では???」みたいな感覚でいるから
「推しとどうにかなりたいとは思わない、むしろ壁になって推しを見ていたい」「推しが幸せだと自分も幸せ、推しがかっこいいと自分も嬉しい誇らしい」「自分はフレームインしなくていいです、それより推しを映せ」みたいなのあるじゃないですか、アレが一番近い
三次元相手に二次と同じような好意抱いてるってのは誠に申し訳ないとしか言いようのない無礼とはわかっているけれどもそれが幸いでもあって、というのも向こうさんは子持ちの既婚者で
こちとらそういう人とどうにかなる妄想は妄想レベルでも無理なタイプのオタクなのでアタックするとかはあり得ないし、まかり間違って向こうからコナかけてきたら百年の恋も冷めるどころか可愛さ枯渇して憎さと嫌悪感でいっぱいになる自信があるのでそういう意味では心配ないんだが
他部署とはいえチーム組むことになったので接する機会がこの一週間でうなぎ登りに増え、既に「知れば知るほど好きになる」的な沼もといドツボの気配がしていて
例の愛情の捌け口神経がもういつになく活発に発火してくれてここんとこ平日異様にしんどい、休日の訪れにこんなホッとしたことない
思えば推しと毎日顔合わせて一挙一動に無意味にときめかされてちゃ心臓の筋肉が過労でヘタるのは当たり前なんだが(週五でそれって過剰摂取じゃない???)
ねえ世の中の三十路はこういう脳みその漠然とした動作不良ないの?どうやってしのいでるの??
それとも喪女もしくはオタクを拗らせた、これがその罰だということ???
どうせ心拍上げるならちゃんと恋して上げたい、ダメでもせめて自分磨きの運動で上げたい
あ゛あ゛あ゛あ゛それにしても恋がしたい、なんかこうのめり込むようなマジ恋がしてみたい
この二次元相手的な執着を一瞬でも上回るような、そんなレベルで夢中になれたら、脳神経の発火パターンを上手いこと上書きできるんじゃないか?
このままだと本当生活に支障が出そうなのでとにかく「好い人」を作りたいんだが、恋ってどこに落ちてるの?