書き方とかローカルルールも理解できてないけど、今の自分が思っていることを整理するために書き投げる。
タイトルが不穏だけど、アレだよ「まんじゅうこわい」と同じだよ。
アニメは見てない。
主題歌は知ってる。
そこから何かのアニメやドラマCDでちょいちょい名前を見かけていたけど、なんだかパッとしない声だなって印象だった。
寺島は、中音からやや低音にかけての声をこの頃よく使っていたように思う。
正直、主役声ではなかった。
このまま脇役でおさまる声かな?って感じだった。
私が寺島拓篤という役者と向かい合ったのは、うたの☆プリンスさまっ♪という作品だ。
何かの雑誌に載っていた、新作ゲームコーナー特集の数ページだったと思う。
女装教師に「珍しい役やらされてるwww」って笑っていたり、「割と歌えるメンバー揃えてきたなぁ」とキャストを眺めたりしていたが、
という文字を見ても、「寺島…?あーあの人かーへー」ぐらいの感想だった。
それぐらい10年近く前の寺島拓篤は、私にとって印象に薄い役者だった。
そこから数年後、うたの☆プリンスさまっ♪のアニメが始まった。
主題歌のマジLOVE1000%が頭から離れず、そこから転げ落ちるように…とはならなかったが、じわじわとうたプリに落ちていった。
今でも推しは変わらず青い人なんだけど、アニメを見てもゲームをしても音也にはハマらなかった。
何かが変わったのは、声優さんがライブをする、所謂プリライ。5thの時だ。
音也のキャラソンは『元気』『明るい』『楽しい』という印象の歌が多かったのだが、
5thの時に歌った歌はそれまでの印象とは違う歌だった。
発売された時も、こういった歌が歌えるようになったのか~と思っていたが、生で聞いたらダメなやつだった。
寺島がセンターステージにギターを抱えて現れ、【木漏れ日ダイヤモンド】の1小節目の音をかき鳴らした瞬間に、何故だか涙がこぼれた。
音で聞いて分かる。
弾くことに慣れてない。
少し震える弦の音と、手元をしっかり見て一つ一つ確かめるようにコードを押さえる寺島の姿。
一十木音也というキャラに対して向き合う寺島拓篤の姿勢に、心を動かされたんだと思う。
曲が終わるまでペンライトも振れず、ただただ立ち尽くして泣くしかできなかった。
そして、後からゆっくりと「もしかして寺島拓篤はヤバい奴なのでは?」と思いだした。
思った時にはすでに浸食は始まっていて、そこから今まで気にしなかった一十木音也やうたプリに対する寺島拓篤のコメントを読むようになった。
ダメだった。
役者としての気持ち、クソオタとしての気持ち、両方分かる寺島拓篤のコメントは、私が求めている「欲しい言葉」がいつもあった。
なんなのあの人。
木漏れ日からかかった呪いは時間が経つに深くかかり、新曲が出るたび、プリライに行くたび、ブログを読むたび「あ゛ぁ゛ー」と汚い声を上げて泣くようになってしまった。
と語彙力が失われるほど心に刺さった。
うたの☆プリンスさまっ♪はスタリから始まり、カルナイ、ヘブンズと新しいグループが作られている。
内部(ファン同士)での殴り合いは、何かあるたびに起こっている。
そんな事を知ってか知らずかは分からないけど、あの言葉は音也と寺島、両方の気持ちなんだろうなと思っている。
そして二次元男性アイドルコンテンツを確立したパイオニア的立ち位置にある作品としての気持ちでもあるのでは、とも思っている。
今でも胸を張って言えるのは、私は寺島拓篤のファンではない。という事。
個人ライブに行かないし、うたプリという作品以外での活動にはあまり興味を持たない。
かと言って、一十木音也が推しになったのか、と言われると、そうではない。とはっきり言える。
音也関連のグッズ等の何かを買いたいという気持ちは、今でも起こったことがないからだ。
しかし、一十木音也が、そして寺島拓篤が、うたの☆プリンスさまっ♪という作品にいなければならない。いないと成立しない。と思っている。
そう思わせる寺島拓篤の人となりが凄いと思う。
なんだか長くなってしまって文章がとっちらかってるけど、最終的に何が言いたいかって言うと、
って言う事。