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はてなキーワード: 1986年とは

2021-10-19

anond:20211018153639

五黄の寅ってのがキーワードやね

んで調べると1986年まれ1950年まれ1914年まれが五黄土星寅年が重なる歳らしいわ

そして来年に生まれる子達もそう、五黄の寅なんですって

なんか運が良くてリーダーシップもあるけど、強気すぎるんですってよ

 

うーん、風水

2021-10-16

米国って半導体に関して日本は許さなかったのに韓国台湾はなんで許したんだ?

半導体に関して、日本半導体が落ちぶれたのは日米半導体協定のせいだという分析がなされている。

もちろん1986年の時点ではそうだと思う。

ではサムスンなどの韓国勢や台湾TSMC米国に許されている・いたのはなぜ?という疑問はある。


サムスンに関しては、米国内に開発拠点工場を建てているので許せているのか?

米国内に開発拠点があり、そこで働くのがアメリカ人であるなら、人材の流動があるので、韓国企業からノウハウを持った人材米国内にいる状態を許容する、

といった見方はできるだろう。

いざとなれば、建物人材接収するという強行もできるのだろう。(こじれるのでよっぽどのことがないとしないだろうが)


日本場合日本拠点を作り、そこで働く人材日本人で、技術を抱え込めるという考えがバックグラウンドにあるように思う。

TSMC日本工場を作るということに、多くの人が安心していることからも伺えないだろうか。

外国企業に多額の税金をつぎ込むのに、何故か好意的報道されている。

台湾中国に攻められたとしても日本拠点があれば生産が出来るという話も、生産システムネットワークで繋がっていて独立なんて出来ないだろう。

台湾有事の際は、ネットワークを通じて日本に建てる工場も動かなくなるか、むしろそこからネットワーク的に攻められるだろう。


2021-10-11

これのソースって雑誌

5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。

すぎやまこういち×植松伸夫


すぎやまこういち1931年東京都生。作曲家日本バックギャモン協会会長

植松伸夫1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリー活躍し、1986年スクウェア入社


(要約)


すきやま:

だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、

あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。

ドラクエやると、やれCDブックだアニメときて、レコードブラスバージョンエレクトーンバージョンピアノバージョンが出て、

そうなると色んな出版社ピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。


植松

そんな忙しい中で「半熟英雄」やって頂きましたからね(笑)


すきやま:

どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね


植松

まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)


すきやま:

でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。

植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?


植松

60近くはあるかもしれないですね。


すぎやま:

60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?


植松

1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。


すぎやま:

働き者だなあ(笑)


植松

数撃って当てようという方向でいってますから(笑)

曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。

1曲1曲のイメージが薄らいじゃいますからね。


すぎやま:

それはあるよ。IVときのがVより曲数少なかったでしょう?


植松

そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?


すぎやま:

そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。

その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。

でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。


植松

作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。

そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。

から作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、

自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。

30曲に抑えようとしたんですよ。IVときちょっと多いと思ったんです。

今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまますね。


すぎやま:

僕も曲を絞り込むとき断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。

前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。

でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。

それでカバーしていくともっと絞り込めるかもしれない。


植松

なんであんなに増えちゃったんだろう(笑)


すきやま:

働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから

それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。

スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。


植松

今回そのアイルランドリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れます

ユーザー意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)

別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。

以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンときとかって難しいじゃないですか。


すぎやま:

ちょっとやりにくいよね。


植松

いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位民族音楽好きだから

入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。

先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、

そういう教室へ行くと民族楽器かいっぱい売ってるんですよ。


すぎやま:

なんか君の部屋に不思議楽器が置いてありましたよね。


植松

日本人だったら日本音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。

日本に昔からある音楽自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、

一度「雅楽(古来の宮廷音楽総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製管楽器)を習いに行ったことがあるんです。

そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、

ブライアン・イーノシンセサイザー音楽に近い印象があったんですよね。


すぎやま:

笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。


植松

そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。

雅楽朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、

逆にヨーロッパ民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。

だったらそんな日本人のルーツかいってないで

自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、

最近自分日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。


すぎやま:

僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。

和風喫茶レストランエアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。

アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人なっちゃうでしょう。

僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。


僕が植松さんの音楽でこの人やっぱり日本人だと感じたのは、

町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、

ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。

あれって西洋音楽で育った人では絶対やらないことなんですよ。


植松

バッテンなんですよね。


すぎやま:

植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。

で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。

「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、

西洋音楽エフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。

それは江戸時代三味線や琴の音楽しょっちゅうやってることなんだよな。

ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、

そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。

あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。

で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。

意識的にやらずに自然にやったんでしょう?


植松

僕はフラットナインのぶつかり具合とか、

ミとファの半音メロディ伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。

自分でもああぶつかってるな、クラシック音楽テストなら絶対バツだなと思っても、

その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。


すぎやま:

それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。

いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。

それが前後関係音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。

ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。

ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら

これは単なるひとりよがりしかないんだよね。


植松

難しいですよね。音楽学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。

どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。

中学校を通して音楽というもの学校教育に取り入れて100点取った人は偉い、

50点取った人はしっかりしなさいという教育を受けてるから

大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。


すぎやま:

音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、

文部省現場教師の考え方に反省点は多々あると思いますよ。


植松

すごい話してますよね(笑)文部省がどうだって


すぎやま:

笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。

音楽の楽しさを感じてもらうというのはとても大事なことでね。

からファイナルファンタジーとかドラゴンクエスト音楽というのは大事なんですよ。


植松

最近音楽全然興味ない子供達でもゲームとかで遊んでて、

ドラゴンクエスト音楽が好きになってコンサート行きますよね。

すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。

それはものすごい影響力だと思うんですよね。

子供オーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。

そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。


すぎやま:

他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。

から、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。

ドラクエの棒振りは何はなくとも行くようにしてますけど。


植松

教育の一環ですよね(笑)


すぎやま:

しかし、いつもゲーム音楽作るときに、昔の大作曲家作品聞くじゃない。

とてもかなわないなと思うことが多いね


植松

すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)


すぎやま:

昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。

チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。


植松

チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。

そのときは一番最初チャイコフスキーを挙げますね。


すぎやま:

とんでもない大天才だよね、あの人は。

あの時代20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションうまいこと。


植松

この前、西田敏行ロシアに行ってチャイコフスキー足跡を辿るという番組テレビでやってたんですよ。

僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーホモであるというのを聞いて、

「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)


すきやま:

その良かったというのはどういう意味なの?


植松

どこかプラマイゼロじゃないとダメということです(笑)

チャイコフスキー人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。


すきやま:

モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。


植松

チャイコフスキーしろモーツァルトしろメロディが非常にわかやすいんですよね。

クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。


すきやま:

ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。


植松

やっぱりメロディなんじゃないかという気がするんですよ。


すぎやま:

くそうだと思いますよ。


植松

からドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。


すぎやま:

ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。

他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)


植松

民族音楽というか黒魔術の呪術音楽のようなやつですね。


すきやま:

からそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。

吟遊詩人マップの中のトルコアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、

それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。


植松

また曲数増えちゃいます(笑)


すぎやま:

増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。


植松

一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。

どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。


すぎやま:

他を減らさなきゃならないからね。町の音楽全部一緒にしたり。


植松

でも町は2個だけですからね。マップの曲も3つだし。


すぎやま:

ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。


植松

いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。


すぎやま:

でもなんかすごく多い気がしたな。


植松

実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。


すぎやま:

チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。


植松

あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。


すぎやま:

ピアノお稽古面白かった。


植松

あれも最後は何の曲にしようかということで、うちの坂口が、

ヘタクソなやつが最後コンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、

最初メトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後ドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、

あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。


すぎやま:

グリークとかチャイコフスキーピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。

僕に相談してくれれば良かったのに(笑)


植松

そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。


すぎやま:

でもああいう遊びの部分も楽しかったよね。


植松

息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。


すぎやま:

作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから植松さんはドラクエは上がったの?


植松

実は最後ダンジョンの手前でFFVアレンジCD仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。


すぎやま:

上がってないの!?


植松

申し訳ないっす(笑)

今日までに終わらせるつもりだったんですけど。


すぎやま:

僕は対談頼まれときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、

元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。

途中でやんなっちゃゲームだと上がれないけど、やってて楽しかたから相当寝不足になりましたよ。


植松

今回はアマチュア勝利ですかね。スクウェアメンツって、単独独立して音楽で食っていけるか、

絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。


すぎやま:

植松さんは大丈夫じゃない。


植松

いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。


すぎやま:

ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。


植松

結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。

そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。

全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。

そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。

そういうことが5のチームには無かったんですよ。

とにかく最後最後まで、〆切のマスター任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、

そこらへんの適当プロの人を集めて作っても、ああい気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。

今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、

終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。


すぎやま:

結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、

好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。


植松

その気合いみたいなものが通じるんですかね。

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2021-10-06

ホストって1971年からあるのかよ

最近25歳にして自分養子であることが分かって

まあどうでもいいんだけど実父がホストで実母を捨てて

俺も産んだら捨てられて施設にぶちこまれたって感じだったらしい

父さん母さんは俺が傷つくのではと恐る恐る伝えてくれたが

俺がまず最初に、そして一番びっくりしたのは25年以上前からホストがあるのかよってこと

ネットで調べてみたらバブル世代あたりの1986年1991年くらいがホスト最盛期といわれており

伝説ホストと言われる人がホストになったのは1967年らしい

日本初と言われるホストクラブは1965年開業

今に近いスタイル営業しはじめたのは1971年

ええ…

今のホストっていうと髪ブリーチしてカラコン入れてメイクしてLINEしてSNSしてっていう感じで頑張ればそこそこいけるのかもしれないけど(めちゃくちゃ大変だろうが)

1967年とか素で勝負するほかないじゃん

あとさ、LINEはもちろんまず携帯ないよね?

一体どうしてたのよ

まさかから電話してたりした?

自分養子であったことなんかどうでもいいくらい(実際どうでもいいが)ホストがそんな昔からあったことに困惑してるんだが

2021-10-01

[][][][]

医学精神医学心理学反証可能性

医学生物学論文の70%以上が、再現できない! | Vol. 10 No. 11 | Nature ダイジェスト | Nature Publishing Group

心理学の研究結果、6割以上が再現不可能 検証調査 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

足利事件精神鑑定社会学

[B!] 足利事件菅家さんが刑事補償請求 再審無罪で8千万円 - 47NEWS(よんななニュース)

福島章教授が足利事件の精神鑑定録音テープを破棄した心理 : 少年犯罪データベースドア

11章 刑事精神鑑定社会学    

 ――いわゆる「足利事件」における犯行動機構成        

松木 洋人

大貫 挙学

慶應義塾大学出版会 | 現代日本の社会意識 |


精神鑑定弘前大学教授夫人殺人事件

精神鑑定

所謂変質状態ノ基礎状態テアル生来性神経衰弱症」「表面柔和ニ見イナカラ内心即チ無意識界ニハ残忍性『サディスムス』的傾向ヲ包蔵シテ居リ両極性相反性ナル性格的傾向ヲ顕著ニ示ス」と鑑定した

1952年 5月31日 控訴審終了。Nに懲役15年の有罪判決

1971年 5月28日 真犯人が出現。

1977年 2月15日 再審終了。Nは無罪となる。

10月22日 N、国家賠償請求

1981年 4月27日 青森地裁弘前支部で一審終了。Nが部分勝訴。

1986年 11月28日 仙台高裁控訴審終了。Nが全面敗訴

1990年 7月20日 最高裁が上告を棄却

弘前大学教授夫人殺人事件 - Wikipedia


法医学

事件あるところに法医学ありと、東大法医学教室歴史の中で、数え切れないほどの鑑定書が作成され、法廷証言がなされた。

松山事件下山事件、財田川事件…。戦後再審無罪事件を中心に、東大法医学教室事件簿から"恐るべき証人"の声を聞く。

プロローグ 事件あるところ法医学あり

第1章 山下事件

第2章 島田事件松山事件

第3章 下山事件

第4章 弘前事件

第5章 財田川事件

第6章 山本事件

第7章 DNA鑑定

エピローグ 法医学者への“伝言

Amazon.co.jp: 恐るべき証人―東大法医学教室の事件簿: 本: 佐久間 哲夫

2021-09-11

鴻巣友季子の時評は何が問題だったのか

 『文學界2021年9月号に掲載された桜庭一樹少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。

 この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者見解掲載された。

 この記事では総括として、両者の見解検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリー仕様URL掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。

見解検討

 両者の主張は、以下のように整理できるだろう。

桜庭文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。

鴻巣文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。

 桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈自由〟を奪」うことを挙げている。

 一方で鴻巣自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。

 では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである

 鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である文学解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないである解釈批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである

 鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。

 繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ私小説フィクションからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。

 ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。

 この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授日比嘉高モデル小説研究フロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在人物モデルに』と事実立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実事実」の問題を切り分けている。

(強調は引用者。これは桜庭が声をあげた最初ツイートだ)

(強調は引用者)

 桜庭実存にとって「現実事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭あくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家動機ではなく、作家根拠フォーカスするべきであるこの記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。

 とはいえ桜庭見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。 

文芸時評というジャンル

 今回の一件に際して、文芸時評不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭ツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣見解において「批評」という言葉を用いている。

 だが、文芸時評批評しかないのだろうか? 文芸時評英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル特性があるのではないか

新聞というメディア

 文芸時評新聞という巨大メディア掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。

 文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷鳥取で一人暮らす実在老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実現象レベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか

 以上の論点を踏まえて、時評担当者見解検討することもできるだろう。

書いてあればよいのか

 桜庭見解は冒頭、「私の自伝的な小説少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家藤田直哉が端的に指摘しているのでツイート引用しよう。

 つまりあらすじに書いてよいのは、「作中の事実であるべきではないか 今回であれば、あくまで一人の人物視点に立って、「私の自伝的な小説少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列テクストに書いてあるとはいえ中人物の「主観的解釈なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか

 あるいは、そもそも事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分幸せだと信じ込みながらオンラインサロン主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せ生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せ事実ではなく評価からだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか

参考になりそうな文献

 最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。

2021-08-28

anond:20210826230244

やあ、1986年まれ2010年前後パソナ派遣社員として働いてた増田だよ

当時も今もパソナ普通に製造業への派遣やってるイメージだなあ

https://www.pasona.co.jp/feature/desk/seizou/

いつからやってるかは調べても出てこなかったけど(公式サイト沿革にも記載されてない)

2021-08-10

anond:20210809060039

1986年頃、親が車を買い換えることになっていろんな車を検討してて、その中でも、ラングレーカタログが家にあったので当時読んだのを覚えてるが、

金髪のお姉さんが助手席シートベルトなしでシートたおしてくつろいでる状況で、車は走行中だった。

2021-07-19

いじめに関する記憶時代の空気

小山田圭吾氏に関連する騒動について詳しくは読んでいない。自分イジメを受けた側であり、読むことでいまとなっては遠い昔であるあの頃の苦痛を思い出してしまうからだ。

わたし1970年代中頃の生まれで、中学生の頃にイジメ被害を被った。時期的には1980年代から1990年代はじめごろだ。

小山田圭吾氏は1969年まれなので、彼が雑誌で露悪的に書いたというイジメを行っていた時期は小中学生、1980~1985年頃ということになる。1980年代中頃、イジメは深刻な問題となっていた。世間に衝撃を与えたのかどうかは、当時まだ幼かったのでわからないが、イジメを苦にした自殺という事件1986年に起こっている(https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/2N3ML5JR9G/

したがって、小山田氏がイジメをしていた、というのは当時を考えると、よくあることではあったのだと思う。

数年時代はずれるが、1989年頃、イジメに関する話題ラジオ番組でもなんどか特集され、リスナーから多くの悲痛な投稿が寄せられていた。わたし投稿した一人だ。それだけイジメというのはあちこちで起こっていたし、陰惨な事件も起こっていて、社会が重大視していた時代ではあったのだけれど、そのものはよく起こっていたことだ。

そして、そしてハフィントン・ポスト記事https://www.huffingtonpost.jp/entry/rockin-on_jp_60f3b271e4b0d5140ec0c2b6)を読むと、記事が書かれたのは1994年ということだが……当時の時代感覚という擁護をみていて首を傾げるのは、はたして1994年頃「イジメをしていた」ことが笑って済ませられるような空気が当時あっただろうか?いや、もしかすると一部の世界ではあったかもしれない。ただそれはサブカルという、もう少し広い範囲であったとは頷けない。

かに現在過去犯罪や悪い行いを自慢することを許容するような空気は以前よりはないと思う。だが、限度がある。1990年代中頃に生きていた人間として、イジメをしていたことを笑って済ませるような空気は、あったとしても多数ではなかったと思う。

いじめに関する記憶時代の空気

小山田圭吾氏に関連する騒動について詳しくは読んでいない。自分イジメを受けた側であり、読むことでいまとなっては遠い昔であるあの頃の苦痛を思い出してしまうからだ。

わたし1970年代中頃の生まれで、中学生の頃にイジメ被害を被った。時期的には1980年代から1990年代はじめごろだ。

小山田圭吾氏は1969年まれなので、彼が雑誌で露悪的に書いたというイジメを行っていた時期は小中学生、1980~1985年頃ということになる。1980年代中頃、イジメは深刻な問題となっていた。世間に衝撃を与えたのかどうかは、当時まだ幼かったのでわからないが、イジメを苦にした自殺という事件1986年に起こっている(https://www.nhk.jp/p/ts/P2WVR66NRZ/episode/te/2N3ML5JR9G/

したがって、小山田氏がイジメをしていた、というのは当時を考えると、よくあることではあったのだと思う。

数年時代はずれるが、1989年頃、イジメに関する話題ラジオ番組でもなんどか特集され、リスナーから多くの悲痛な投稿が寄せられていた。わたし投稿した一人だ。それだけイジメというのはあちこちで起こっていたし、陰惨な事件も起こっていて、社会が重大視していた時代ではあったのだけれど、そのものはよく起こっていたことだ。

そして、そしてハフィントン・ポスト記事https://www.huffingtonpost.jp/entry/rockin-on_jp_60f3b271e4b0d5140ec0c2b6)を読むと、記事が書かれたのは1994年ということだが……当時の時代感覚という擁護をみていて首を傾げるのは、はたして1994年頃「イジメをしていた」ことが笑って済ませられるような空気が当時あっただろうか?いや、もしかすると一部の世界ではあったかもしれない。ただそれはサブカルという、もう少し広い範囲であったとは頷けない。

かに現在過去犯罪や悪い行いを自慢することを許容するような空気は以前よりはないと思う。だが、限度がある。1990年代中頃に生きていた人間として、イジメをしていたことを笑って済ませるような空気は、あったとしても多数ではなかったと思う。

2021-07-16

小山田圭吾と一緒にいじめてた主犯格は今何を思っているんだろうな

小山田圭吾五輪開会式楽曲担当になったが、当時の加害者らはそれを知って何を思ったんだろうな。

 

 

参考に1つ例を挙げると、

1986年に起こったクラス全員と教師4名による葬式ごっこ男子中学生自殺させた事件

当事者である同級生たちは現在50歳近くになっているが、

最近NHK放送されたドキュメンタリー番組で、取材のため当時の同級生教師に連絡を取り、返ってきた言葉は、

  • 「思い出したくない」
  • 「そっとしておいてほしい」
  • 幸せな家庭生活を壊すな」
  • 「忘れてた」

と、大半の当事者達は事件に向き合う事を放棄しているという 当時TVで注目された事件ですら現在もこのような様である

https://anond.hatelabo.jp/20210715150820

小山田圭吾と一緒にいじめてた主犯格は今何を思っているんだろうな

小山田圭吾五輪開会式楽曲担当になったが、当時の加害者らはそれを知って何を思ったんだろうな。

 

 

参考に1つ例を挙げると、

1986年に起こったクラス全員と教師4名による葬式ごっこ男子中学生自殺させた事件

当事者である同級生たちは現在50歳近くになっているが、

最近NHK放送されたドキュメンタリー番組で、取材のため当時の同級生教師に連絡を取り、返ってきた言葉は、

  • 「思い出したくない」
  • 「そっとしておいてほしい」
  • 幸せな家庭生活を壊すな」
  • 「忘れてた」

と、大半の当事者達は事件に向き合う事を放棄しているという 当時TVで注目された事件ですら現在もこのような様である

https://anond.hatelabo.jp/20210715150820

2021-07-13

anond:20210713223723

日本共産党中央委員会論文集『投降主義者観念論史観』を読めば答えが見つかると思います

日本共産党志位和夫委員長ですが,1988年に,ほぼヒラ同然の専従から書記局長に抜擢されました。出世きっかけになったのが,「伊里一智事件」での活躍だといわれています。   伊里一智事件とは,1985年当時,東大院生支部党員が,宮本顕治引退なども含め,党の改革を訴える提案党大会提案しようとしたところ,その提案が連名であることを以て,党機関が「分派活動」と決めつけて,その動きを阻止したもの,および,その後の「党大会でのビラまき」「週刊誌インタビュー」「伊里一智氏の著書出版」などの一連の出来事をいいます。伊里一智はその院生が名乗った活動名です。  この事件は,典型的な,民主集中制原則悪用した,異論政治主義的な封殺でした。その主な下手人が,志位和夫委員長その人なのです。志位氏は,「変節者のあわれな末路」(「赤旗1986年3月18日,19日)「退廃と遊戯の『哲学』 ――浦地実『<ポストモダン>と唯物論批判」(『前衛1986年4月号)などの論文を書いて,伊里氏を口汚くののしりました。この,異論排除能力宮本顕治に買われて,出世を果たしたとかなんとか,いわれているところです。これら共産党側の論文は,『投降主義者観念論史観』という本にまとめられています(上写真)。  今回,上に挙げた志位氏の論文を紹介します。ぜひぜひ,読んでみてください。あの顔から想像できないような悪口雑言の数々が並んでいます

2021-05-05

anond:20210505070139

1986年出版された『任天堂ファミコン戦略』という本が手元にあったので読み返してみたら、以下のような記述があった。

 

ファミコンCPU任天堂リコーそれぞれ5名ずつだして10名のプロジェクトチームを作り開発した。

・当時のリコースタッフ曰く、任天堂からゲームウォッチピークに来ておりアーケードも落ちていくと予想されるので、新しい製品を作りたい」と昭和57年の夏に声をかけられた。

・開発費は億に達したと言われている。

リコーの窓口となった浅川俊文は「任天堂には泣かされました。ゲーム機とは言え立派なコンピュータ。その半導体チップを2000円以内で押さえろというんですからね」と語っている。

・それに対し任天堂は2年で最低300万個生産すると保障し、無茶な要求を飲ませた。

・でもその条項契約締結直前になって契約から削除された。

昭和58年春に6502互換CPU採用が決まった。(ファミコン発売はその年の7月)

リコー半導体生産に参入したのは昭和56年5月。自社のカメラ事務機向けで、余剰分を外販する腹積りだった。

しか工場を作ったものの外販先はなく、実績が無かったので一年目は外販ゼロだった。その後アタリ、コモドールジャパンに外販したが業績は良く無かった。

・そこに「300万個は保証するから」という任天堂山内社長の一声で提携決断した。

現在(出版当時)リコー任天堂への独占供給の代わりに、ファミコンCPU/PPUの外販は任天堂許可必要契約になっている。

2021-03-27

anond:20210327082514

当時としては超大作の開発規模で、価格が500円だったんだから任天堂の意気込みは凄い。

1986年出版された『任天堂ファミコン戦略から引用

 

任天堂山内社長は、「私どもは磁気ディスクゲーム第一号として"ゼルダの伝説"を発売するが、この開発にはこれまでのカセットゲームの数倍の労力をかけてきた。自信作だが、かといって提携している各ソフト会社が、つづいてみんな面白いソフトをつくってくれるという保証はどこにもない。ソフトが似たり寄ったりになったらファミコンのものが飽きられる。だからディスクライターは、つまらないソフトは500円でポンポン書き換えてしまってくださいということです。厳しくなって当たり前。濡れ手で粟、というこれまでの状況の方がやや異常だったんです。今こそ、ソフト会社はいソフトを作って、企業存在価値を示してもらいたい。その能力がなければ、脱落あるのみ。任天堂自体磁気ディスクアダプタでは儲からない。大手ハードメーカー原価計算でいったら、とてもこんな値段設定はできない。ですから、我々自身ソフト勝負

2021-03-05

おじさん「ガンダムは今の設定では8号機まであるぞ」←それ「今」って言っていいのか?

anond:20210305141148ブコメ

ファーストガンダムテレビの時点では3体だったけど、今の設定では8号機まである事になったぞ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4699365219029156162/comment/grizzly1


いくら日本はてな高齢化社会とはいえ1981年(40年前)から文字設定、1990年31年前)から絵の設定があるものについて「今の」って言ってええのん

設定の変遷

ガンダムセンチュリー』(1981年)では、RX-78プロトタイプが8機存在したとされ、ガンダム4-8号機の存在示唆されていた。

初出であるMSV』(1984-1985年)では、4、5号機はジム母体となったことと、改修されて星一号作戦ホワイトベース級「サラブレッド」に搭載された(ただし正式な記録は現存していないとされる)ことが記述されたのみで、デザインは起こされていない。

のちに『M-MSV』とされる雑誌SD CLUB』第9号の連載企画モビルスーツコレクション 大河原邦男MS最新設定集」(1990年)で5号機とともにデザインされ、掲載小説ア・バオア・クー攻防戦」では2機の活躍が描かれた。なお、シールドジム・コマンドと同型のものを装備し(小説挿絵より)、メガビームランチャー計画のみで終わったとされている。

さらに、ゲーム機動戦士ガンダム外伝 宇宙、閃光の果てに…』(2003年)ではカトキハジメによってリファインされた4、5号機が登場した。

ガンダム (架空兵器) - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0_(%E6%9E%B6%E7%A9%BA%E3%81%AE%E5%85%B5%E5%99%A8)#%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A04%E5%8F%B7%E6%A9%9F

ガンダム4号機~8号機は、1981年(40年前)の時点で原型となる設定があり、

ガンダム4号機~7号機については1990年31年前)からデザインがあり、

ガンダム4号機、5号機は2003年(18年前)に発売されたPS2ゲーム機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙」のためにカトキハジメによってリファインされた。

ガンダム6号機は、2001年20年前)に発売されたPS2ゲームジオニックフロント」のために片桐圭一郎によってリファインされ、その際に「マドロック」の愛称が設定された。

ガンダム7号機は、2009年(12年前)に発売されたPS3ゲーム機動戦士ガンダム戦記」のためにカトキハジメによってリファインされた。

なお元の増田話題にしてるガンダムMk-Vは1987年(34年前)に発売された「モデルグラフィックス」誌のムック本「Mission ΖΖ」に「G-V」の名で登場したのが初出。

ブコメ名前が上がってるガンダムMk-IIIは、その名前とともに登場したのは1986年(35年前)の「B-CLUB」誌上が最初らしい。「SDガンダム外伝」の騎士ガンダム元ネタであることでも知られる。

そしてそのMk-IIIとMk-Vの中間位置するモビルスーツとして設定されたガンダムMk-IV2001年20年前)に発売されたPS1ゲームSDガンダム ジージェネレーションゼロ」が初出。

2021-03-04

anond:20210304151013

制度があってから社会が変わる」ってのを日本は繰り返してるだろ

男女雇用機会均等法施行されたのは1986年だが未だに雇用による男女差別問題解決はしてない

解決はしてないが社会方向性として男女平等は進んでいるよな

下地が出来てからなんてのは今までの日本の歴史を全く知らない無知蒙昧の妄言しかないよ

2021-02-08

anond:20210207180726

ルーマニア独身税の例はちょっと違うと思う。

チャクシェスク1960年代後半に、国力増強のために政令770というのを出した。

知ってる人も多い、中絶避妊を超厳格に制限することで人口増を図るやつ。

その結果、国営孤児院で育つチャクシェスク・チルドレンが爆増した。

で、「未婚者による妊娠」を防止する、つまり胎児に必ず法的な両親が

存在する状態にするために、1986年から独身税が導入された。

ルーマニア革命に伴って廃止

ちなみに独身税扶養控除や児童手当は実質的に同じこと(再分配)で、

全体の住民税率を上げつつ、出産育児教育に関わる社会保障制度を充実させていけば、

独身税と同じ効果はあるよ。

でも、税だと「一部の人からよけいに取る」、控除や補助だと「一部の人によけいに配る」

という建て付けになるから、前者のほうが社会的に受け入れられにくいんだろうね。

anond:20210207180726

ルーマニア独身税の例はちょっと違うと思う。

チャクシェスク1960年代後半に、国力増強のために政令770というのを出した。

知ってる人も多い、中絶避妊を超厳格に制限することで人口増を図るやつ。

その結果、国営孤児院で育つチャクシェスク・チルドレンが爆増した。

で、未婚者による妊娠中絶を防止する、つまり胎児に必ず法的扶養者が存在する

状態にするために、1986年から独身税が導入された。

ルーマニア革命に伴って廃止

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