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2019-11-08

宇崎ちゃん問題フェミニズムとかそういうことじゃないんだよなあ

宇崎ちゃんポスターの件で、なんか自分たちの持っている差別感情無自覚な人たちが横っ面ひっぱたいて、一方的内心の自由人権侵害されたことにしたい男が一斉に反発して一切論点が噛み合わないまま無駄にぶん殴り合いをしているように見えるけど、ツイッターの向こう側にいるやつなんか性別もわからなければそもそも人間である保証すらないわけでそんな奴らの空中戦に惑わされるのもバカバカいから俺が「これってこういう問題なんだよね?」というのを頑張って書いてみたい。文章下手ですまん。

最初一言でいうと「表現の自由って誰かの人権侵害してまで守られるべきものなの?この問題って全ての人が今一度立ち止まって考えるべきものだよね?というのが論点では?」だ。

以下ダラダラ書いてるだけのチラシの裏。何でそう思ったのかの記録。

まず、議論フェミニズムから起こった。これは間違いがないと思う。

宇崎ちゃんポスターを見た外国人男性ツイートしたのが始まりだと思われるけど、彼もまたフェミニズム的な観点で物を言ったと思う。「性的にすぎるんじゃない?」と。

これに乗っかったのが国内フェミニスト陣営(またはそう演じて煽りたい人)。

環境セクハラだ!」

一方反発したのは誰かよくわからないけど雑にアンチフェミニストとしておこう。カウンターフェミニストではなく、アンチフェミニスト、要はフェミニスト的な文脈ものを語られることに反発心を持っている人(またはそう演じて煽りたい人)

「どこがセクハラだ!どこまで譲歩すりゃいいんだ!オタクばかり狙い撃ちにしている!表現の自由だ!」

ここから悲劇的なほどに議論明後日な方向に行く。いちいち発言の揚げ足を取って更に議論感情的な暴力応酬になっていく。「わかってほしい!」「人権侵害だ!」というのをずっと繰り返している感じ?

かに宇崎ちゃんポスターから始まったので、現時点ではフェミニストオタク(またはそういうのになんの問題も感じていない人)になっているんだけど、この議論提示していることはもっと奥深くて

表現の自由ってそもそも何?」

という話だと思う。

議論をおもいっっっっっきり単純にすると

「こういうの嫌だ、公共の場はらないでほしい」

vs

別に問題ないだろ、排除するほどのものじゃない」

だと思っている。

これってつまり、どちらも表現の自由内心の自由をぶつけ合っているとも言える。

なので、結論は「どっちの言い分が正しいか」ではなくて「本来あるべき落とし所ってどこよ」に行くべきものだけど、なんだか論破合戦になっているのであまりにも不毛

お互いが「アイツラの人権制限すべき!」ていっているに過ぎない。

まず、宇崎ちゃんポスターの件に戻ろう。

びっくりするくらいの巨乳女の子がなんか挑発的な表情で挑発的なことを言っている。

これがセクハラか、そうでないか、と言う話はとても微妙なんだけど、こういう極端なデフォルメ表現は極端な反応が帰ってくると思う。

セクハラ文脈として語られてはいからセクハラか否かが論点にされているんだけど、本当はこういう話なんじゃないか

1. このポスター献血ポスターにしたのは何でか?

赤十字社もそんなに深く考えているようには見えない。「単にこのキャラポスター作って貼っただけ」くらいなんじゃないだろうか。仮にこのキャラクターと献血が紐づくと言うなら「これこれこういう理由でこのキャラクターにしました」ということをスッキリ説明できると思う。特定の層がよく献血するから彼らに合わせたとかそういうのは理由ではない。だったらそういう層に響きつつ他の層にも啓蒙できるようなポスターを目指すべき。

2. ポスターデザイン理由はあるか?

始めて見た時「俺はお前の先輩じゃないしお前に注射が怖いかとか勘ぐられるいわれもないわ」と思った、要は軽くイラッとしたんだけど、多分このキャラクターはこういうキャラクターなんだろうなーくらいに思った。ただ、「何でこんなポスターなの?」とは漠然に思っていた。別に脈絡はないようなので、このキャラクターが好きな人に響くのがこういうデザインなんだろうとは思うけど、公の場で特定の層にだけ響くことばかり考えていて、そうじゃない響き方をする人たちを考慮していないんじゃないかと思った。だって赤十字社はこのポスターに対してなにか理由があってこうして言るというわけじゃなさそうだから

3. 広報目的で貼っているんだから「より多くの人に見せようとして貼っている」という点が普通に書店に並んだ漫画とは性質が違うんじゃないか

次にこれ、こういう漫画書店のどこかに置いてある分には別にどうでも良いと思う。こういうのは「好きな人が探しに来る」からだ。だけど広報としてポスターを貼る、ということは「これが好きだろうが何だろうができるだけ多くの人の目に触れるように貼る」ということが大事だ。なのでこのポスターは多くの人の目に着くところにはられている。じゃぁ「こういう漫画が嫌いな人、嫌悪感を抱く人もできるだけ多く見てほしい」と言う性質があるんじゃないだろうか。

4. 表現の自由内心の自由は誰かを無自覚に傷つけることが許される位に重要ものなのか?どこかでバランスを取る必要があるんじゃないか

さて、最後にこれだ。多分ここでものすごい摩擦が起きていると思っている。こういうキャラクターが好きだと言うのは内心の自由だし、嫌悪するのも内心の自由だ。こういうポスター行政によって検閲されて発禁になったり燃やされたりしないのは表現の自由だ。別に何を書いてもいいだろう。変な話もっと際どいポスターを書いたって「表現の自由からみたらOKだ。だけど、「表現をする場所」というのは考えなくてはならないと思う。

だれかが「表現をしている以上誰かを傷つけないことは不可能だ」といった。これは真理だ。だが、真理だからといって「表現の自由=誰かを傷つけて良い権利」にはならない。

多分フェミニスト陣営はこういうことを言っているんじゃないだろうか。言えてないけど。一方でポスター擁護側は表現の自由を盾にする以上は「俺達はお前らが嫌な気持ちになろうがどうでもいいしそんなことより俺達の宇崎ちゃん公共の場はられることが大事だ!」ということを言っているのと変わらないと思う。

まとめてみると、今回の宇崎ちゃんポスターについては「評価が大きく分かれそうな微妙デザインポスターをできるだけ多くの人の目に触れるように張り出した、大した考えもなく」と言うことに端を発している問題なのだと思う。

ここまで言うとなんかフェミニズム側の肩ばかり持っているような感じがするんだけど、今回の問題って、「ある特定属性集団差別的に利用する表現って自由範疇はいるの?」という問題なので、宇崎ちゃんに限らない。

例えばゆうなさんやトラブルセクハラ表現ルフィ孫悟空の何の考えもない言動行為についてもそうだし、一方で自分イケメンがどんどん何人も惚れていくけどどっちつかずな感じでズルズル行くナナやつくしもけっこうひどい。というか少女漫画恋愛者って自分にぞっこんなイケメンたちを良いように振り回してるよね?こういうのありなの?と言う疑問もある。

こうやって見てみると、俺達が触れてきた漫画というものは常にある属性が別の属性差別している表現ばかりだったことに気がつく。

「xxが差別だと言うならあれはどうだこれはどうだ」と一生懸命揚げ足取りをする人がいっぱい出てきていたり、なんかアカデミックな事言ってそれっぽく解説を試みる人もちょこちょこいる。だけど結局「表現の自由って実際なんなの?」と言う話なんだと思った。昔よくあった「ぶん殴るのはだめだけど言葉暴力OKなのか」と言う話とよく似ていると思う。

[] #80-2「人は簡単に変われる」

≪ 前

『誰でも出来る自己改革』を返品するため、弟は次のセミナーが開かれるのを待つことにした。

俺は未だ気づいていなかったが、その期間から異変は起きていたんだ。

「……どうせ返すんだし、せっかくだから読んでみるか」

弟は貧乏根性で、その本を開いてしまったんだ。

「ふーん……」

弟は活字嫌いだったが、まるで絵本を読むような勢いでページを進めた。

「……へえ……ほーん……こーん」

資料を纏めている俺の近くで、弟は数秒ごとに感嘆の声を漏らす。

鬱陶しくて仕方がなかった。

「なあ、兄貴も読んでみなよ。結構いいこと書いてあるよ」

この時点で、既にハマってしまったらしい。

とうとう、俺にまで本をススメてくる有様だった。

「俺は課題で忙しいんだが……まあいい」

気乗りはしなかったが、ここで断ると更に鬱陶しくなる予感がする。

部屋で静かにすることを約束させ、俺は渋々読んでやることにした。

「……なんか、予想以上に“軽い”な」

「何言ってんだ兄貴。本の重さくらい見た目で想像つくだろ」

「いや、物理的な意味じゃなくて……」

その本は文体が明朗快活で、難しい単語迂遠言い回しほとんどない。

まあ読みやすくはあるんだが、自己改革を謳う本にしては随分とユルいように思えた。

俺の借りてきた社会科学本が難解だったせいで、余計にそう感じたのだろうか。

「……はーん、“如何にも”って感じだ」

内容は、筆者独自ライフハックと、それに伴う持論を解説していくというもの

それを終始、前向きな言葉を添えながら羅列していき、読者に語りかけるように書かれている。

俺のイメージする自己啓発本そのものって感じだ。

「『テレビの音量とチャンネルを同じ数字に、マンション住まいなら階層も合わせる。一日に同じ数値を見続けることを意識し、心の安定化を図るのだ』……ははっ、意味分からん

しかし、書かれていることは全体的に安っぽい。

心理面のノウハウ迷信めいたものが多く、方法論は漠然としている。

尤もらしいことも散りばめているが、いずれも既に使い古された概念や、多少の知見があれば自ずと分かるようなことばかり。

わざわざ言語化するほどでもないのに、それを大袈裟表現で覆い隠して、何か画期的な考えのように語って見せている。

兄貴、このページの『よく学び、よく遊べ!』って良い言葉じゃない?」

「ああ、そうだな。良い言葉過ぎて、既にどこかで聞いた気がする」

何か良さげなことを書いてあるようで、その実は何も書いていない。

そんな感じの本だ。

まあ、弟みたいな奴がマトモに受け止めてしま構成なのは理解できる。

「これで1000円ってのは、書いた奴はかなりの自信家だな。むしろ読む側が1000円を貰うべきなんじゃないか?」

本を読み終わった後、俺は皮肉を交えながら弟に感想を述べた。

これがマズかった。

「その言い方はないだろ。価値あるものを、価値があると思う人間が買う。健全商売のあり方じゃないか

俺の冷笑気味な反応は、あいつの感情を逆なでした。

それで余計に意固地になったのだろう。

少し前まで「紙くずを買わされた」って顔をしてたのに、この短期間で弟は完全に“出来上がって”しまったようだ。

「……まあ、買ったお前がそれでいいのなら、俺から言えることはこれ以上ないな」

この時、俺は「面倒くさい」と感じて、適当なことを言って話を切り上げた。

いま思えば、それもマズかった。

次 ≫

2019-11-05

anond:20191105151333

漠然と「結婚=男が得して女が損するシステム」と思っている人が多いか

結婚しない男=得する事をしたくても出来ない哀れなやつ

結婚しない女=損する事をしない賢い人

扱いになってる、訳だからなあ

2019-11-04

anond:20191104090733

彼女がほしい」という漠然なところから始めようとしているからできないのでは?

概念で考えずに特定の誰かというふうに考えたらいいんじゃない

特定女性でも同性でもいいか人間を好きになるようにしたら、自ずと分かるようになると思うが

2019-11-03

鶯谷の嬢はカネコアヤノの夢をみるか

そりゃわたしだってあの人と付き合いたいとかセックスしたいとかそういうことを思う日はあるけれど、ただ漠然彼氏がほしいなんて思うことはぜんぜんなくて、だからこんなふうに「やっぱりユウちゃん彼氏とかほしくなるよねえ?」とか言われると正直どう答えたらいいのか返事に困る。「いや、あのね、彼氏がほしいってわけではないんですけど……」なんて説明をしてもこの人はたぶん理解しようとしないだろうし、「もったいない」とか「男に求められるうちが華だよ」とかいいだすんだ。すこし肌寒くなってきたこの頃は特にこういうタイプ交通事故が起きがちで、苦手な誘い文句は寒さによって誘発されているんだと気づいてからわたしは冬がきらいになった。うそマーガレットハウエルコートが着られるからすき。

「やっぱり人肌恋しくなるよねえ」なんて言ってグラスを傾ける彼は、わたし輪郭を「肌寒くなってきたから人肌恋しくて年上の彼氏がほしいおんにゃのこ」に落とし込めたくて、その強引さにむしろ感心してしまう。この人は駅に設置してあるような電光掲示板営業をしているとさっき言っていたが、やっぱり営業職ってこういう強引さが必要仕事なのだろうか。きっとこの人は恋人のことも雑に抱きしめたり、下着Tシャツなんかも適当にまるめてたんすの引き出しに突っ込むタイプなのだろう。勝手に彼の暮らし想像してしまったのだけど、話を進めていくうちにどうやら既婚者のようだということをなんとなく匂わせてきた。サブリミナル効果みたいに何気なく「妻」というワードを放り込んできたときはびっくりしたけど、びっくりしたリアクションこちらに取らせまいとする勢いにまたびっくりする。びっくりするリアクションがなければびっくりしたことにならないとでも思っているんだろうか。わたしは意地が悪いのでちゃん説明させてやろうと、あ、えっと、結婚されてるんですか?と聞く。んーまぁおれのことは別にいいじゃん☆ってさっき散々自分の自慢話をつづけていたくせに既婚者であることは別にいいじゃん☆なのか。

じゃあさ、ユウちゃんはどれくらい彼氏いないの?という質問意図ってわたしはいまいち理解できなくて、とりあえず正直に答えてみるものの「えーなっがいねぇ、さみしくならない?」って返ってきていろいろ後悔するが、っていうかその「彼氏いなくてさみしい」という突破しかねえのかお前には。えーじゃあユウちゃんはどんな男性タイプ?って聞かれることもそもそも屈辱で、お前とこういう話をしてもわたしには得もなければちっとも楽しくもないのだけど。あーでも、もしかしたら徳は積めているのだろうか。これを耐え忍ぶことで来世のわたしの鼻が橋本奈々未ちゃんみたくなれるならこのまま続けるけど、たぶん世界もっと残酷であるし、いずれにせよだいじなのは今世である

おれはねぇ…背の小さい子がすき。カギ括弧つきの(ユウちゃんみたいな)が透けて見えているけど、たぶん見せているんだろうけど、そんなもんに反応するわけにはいかないので「へえ」とだけ返す。1へえ。背の小さい女の子ってねえ、守ってあげたくなるんだよ男の本能かな。2へえ。背ぇ小さくて得したことない?3へえ。ねぇ話きいてる?え、はい

ユウちゃんって時々ぼーっとする癖あるよね。そういうところが可愛いとおれは思うけど、気をつけたほうがいいよ、おれは怒んないけどさ。これにまた「へえ」と返すのがお笑いセオリーだとわたし松本人志に学んだつもりだけど、男性を怒らせることの恐怖心には抗えず「すみません、、、笑」なんて女の子らしく微笑んで愛想を振りまいてしまう。ここはNSCでもなければM-1グランプリの3回戦ではないのだ。そういえば金属バットは準々決勝に進出できたのだろうか。iPhoneナタリーをひらけば確認できるけど、そんなことも許されないまま時間が過ぎていって、わたしはここでなにをしているんだろうと、悲しくなってくる。

すみません、、、笑。って愛想をよく微笑むことが女の子らしい振る舞いなのだと、結局自分もそう思ってるんじゃないか。頭ではわかっていても、Twitterに歯切れのいいことを書き込んでも、コミュニケーションなかにその価値観を取り込めない。特に年上の男性と話すと、古い意味での女の子を演じてしまう。

そんなことを考えながら山手線にゆられ、なぜかいわたしは片耳イヤホンBOOWYを聴かされている。たぶんあと5回くらい死なないと、わたしカネコアヤノちゃんみたいにはなれない。大事なのは今世だっていうのにさ。

肌寒くなってきて欲情しているのも、悪い意味で雑に抱きしめたいのも、いつだってあんたたちのほうじゃないか

翔び出た精液みたいな白いイヤホンコードが、わたしとお前をつなぐ。山手線の夜窓に乗客たちが映っている。わたしはまた笑っている。諦め顔のよくできた歯車のように、灼けつく陽差しが、わたしたちを狂わせている。

一人暮らしをはじめた。

一人暮らしをはじめた。

はじめてフローリングほとんどが見える部屋で暮らしはじめた。はじめてゴキブリに怯えない部屋で暮らした。はじめて服の山から今日着る服を引っ張り出し、靴下の片割れを探さなくていい暮らしをはじめた。お風呂場は元の色がわからないほどカビまみれではない。ご飯に虫は入っていない。机の上は広く、勉強道具や趣味の道具を広げても怒られない。ものが腐ったような臭いもない。床に散乱する雑多の書類に足を滑らせ、転ぶことも無い。

両親はとてもいい人だとは思うけれど生活することについては、よくない人だった。私はだいぶ大きくなるまで、布団は毎日畳んでしまものだと知らなかった。小学校でしているような掃除を、家庭でもやっていることを知らなかった。掃除機は年に一度見るか見ないかの頻度で登場し、その後はなんだかよくわからないものに埋もれていった。テレビドラマに出てくる家はフィクションなので床が見えるのだと思っていた。

小学校に上がると友達の家に行くことがあった。フィクションのような綺麗な家にただただ驚いたのを覚えている。友達の家は、私が片付けをしないので出禁になった。

私が友達を家に呼んだことは1度だけある。次の日、学校で「○○ちゃんのいえはきたないね」と言われた。それ以降は人が来たことは無い。

小学校から制服があってよかった。

なんだか少しずつおかしいなと思ってはいたけれど、ご飯は出てくるし、暴力を受けることは無いのでこれは虐待じゃないと考えていた。親は私を愛していたと思う。

持病は酷かった。高校の時はじめて1人で医者に行くと「寝具はどのくらいのペースで洗濯していますか?」と聞かれた。「どのぐらいの頻度がいいのでしょうか?」と質問質問で返した。家の寝具の洗濯ペースより遥かに短い頻度を答えられた。このときはじめて、あぁこの生活健康に悪いんだなと思った。

闇金ウ○ジマくんを読むと自分達の将来の姿に思えてならなかった。登場するたくさんのクズ大人たちより、よっぽど散らかった部屋で鬱々と暮らす自分はもうダメなんだろうと落ち込んだ。

毎日毎日書類が見つからないたび、靴下が見つからないたび、スープに浮かぶ虫や髪の毛を見つけるたび、部屋で転ぶたびに漠然と死にたかったけど、部屋が汚いか死ぬの?と突っ込む自分がいた。

大学は死にものぐるいで家から離れたところにした。部屋の片付け方を調べて、たくさん本を読んだ。色々な場所掃除する頻度も調べた。自分の部屋だけ綺麗に保ち続け、私は大丈夫なのだと言い聞かせた。親のものを捨てると怒られるので何もしなかった。

一人暮らしをはじめて数年が経つ。最初は上手くいかなかったけれど、今となってはだいぶ慣れてきた。ものが少ないと管理がしやすいのでその形に落ち着いた。今流行りのミニマリストみたいなものだろう。

実家には年に1回行くか行かないかの頻度だ。自分の家が整然と片付くほど、実家混沌とした状態に耐えられなくなった。連絡はしている。親が家に来ることもある。たくさん言い合いをして、説得した。親は片付けるという発言20数年実現したことは無い。

先日、久しぶりに実家に行くと私の部屋は、よくわからないもので埋め尽くされていた。

実家に私の部屋はもうない。

anond:20191103102251

では『オタク定義』とは?

絵に特殊感情を抱くとか漠然とした内容なら美術館焼き討ちしなきゃならなくなるぞ?

2019-10-31

言霊」なるもの

先日、30代になったばかりの方と会話をしていた時のことだ。

「私もうおばさんだから
全然若いじゃないですか。あんまり自分のことおばさんとか言わない方がいいですよ」
「あっ、そうだよね。言霊ってあるもんね」
正直な所、この人は何を言ってるんだ?と思った。急に何をオカルトいたことを言い出すんだと。

しかし実際、世の中では星座占い手相なんかと同様に、「言霊」なる概念一定市民権を得ている。
一般的には「言葉には霊的な力が内在し、発することでその言葉意味通りの現象を引き起こす」という理解でよいだろう。呪術廻戦で狗巻がやってるアレだ。

本来ならばこういったスピリチュアルな話は信じたければご勝手にどうぞと言って提唱者と距離を置くところだが、この言霊というヤツに関してだけは少し話が違う。
霊力やら何やらはともかく、言葉に「力」があるという認識自体は正しいからだ。

言葉機能

言葉とは、我々の「意識の切り分け」を可能にするツールであると言える。
例えば「犬」という言葉によって、我々は「犬」と「犬でないもの」を区別することができるわけだ。
物の名前に限らず、喜び、怒り、悲しみといった感情もその名称によって漠然とした意識から切り分けられて初めて取り扱えるものになる。

言葉がなければ人の認識する世界もやもやとした掴みどころのないものになってしまう。その一端を切り取って、ある意味で強調する効果言葉にはある。

では、日常生活で人が言葉を使うとき、いったい何が起きているだろうか。
例えば私がトマトを持って「これおいしいです!」と言った場合聞き手は「おいしい」という事前情報を持ってトマト認識することになる。
私のことを信頼している人や、人の意見に流されやすい人はトマトに対しておいしいという先入観を持ち、逆に警戒心が強い人などは「おいしくないんじゃないか」という目でトマトを見る。
また、いずれにしても私の発言を聞いた人は「おいしさ」という評価基準第一トマトに向き合う可能性が高く、万人が事前情報ゼロの時と同様に、ニュートラルトマトに相対することはなくなる。

これが言葉の持つ一番の分かりやすい力だ。口コミ効果と名付けてもいい(もっとまともな名前が既にありそうだが)。

この口コミ効果(仮)によって人はそれこそ宣伝をしたり、不用意に他人を傷付けたりする。
「太ったね」という言葉をかけられ、ショックを受けた経験を持つ人は多いだろう。いわゆる「言葉が刺さる」という状態だ。
これは他人の「太った」という言葉自身の「太っている」という属性を明確に認識させられ、その印象が先鋭化することで起こる。
妻に「かわいいね」と言い続けると本当にかわいくなってきた、みたいな話も同じ理屈が通じる。

他人をある言葉記述することはその人をその言葉タグ付けすることを意味するので、特にマイナス表現は慎重に使わねばならない。
仕事ができなくて「使えねえな」と言われてしまった人は、自分に付いた「使えない」というタグを一度は背負うことになる。「んだとコラ」と奮起できればいいが、その余波は暴力の形を取っても不思議ではない。
考え無しの悪口はやめようねという話。

ところで、言葉を発している方はどうだろうか?

発言者に返ってくるもの

知人に悪口がめちゃくちゃ得意な男がいる。
とにかく人の汚点を見つけるのが早く、それをイジって笑いにしようとする。
人を笑わせるための彼なりのスキルではあるのだから悪質ではないが、じゃあ問題がないかと言われると到底そうは思えない。
彼は自分の話をするにしても自分能力不足であるとか、才能の無さに話のオチを持って行こうとするきらいがあり、恐らくこれは彼自身意識していることではない。
聞いている方としては「自分もそうだよ」「あるある」同調はできても、気持ちの良くなる話では決してない。どうしてこんなことが起きるのか。

スマホ等の予測変換では、直近に使った言葉が一番上に出てくる。それと同じ現象は、頭の中でも起きている。
要するに、普段使っている言葉はパッと出てくるということだ。
これ自体別になんでもない。普段からヤバイヤバイ言ってる奴は別にヤバくなくてもヤバイ言うってだけの話だ。

ただ、ある言葉をよく使っていると、次第に人格のものがその言葉侵食されていくことがある。
経験したことはないだろうか。幼稚園の頃は一人称が「ぼく」だった子が小学校で「おれ」に変わり、以前より気が強い子になったように感じたことを。
妻のことを「お前」と呼ぶようになった夫が、妻に対してぞんざいな態度を取るようになることを。

当然こうした変化は複合的な要因の産物であり、態度が変わったか言葉が変わったという逆の影響もあるだろう。
しかし、それと同時に言葉人格に影響を及ぼしているというのもまた事実だと考えられる。
上述した「意識の切り分け」が発言者の中でも起きていて、その言葉リンクする意識が先鋭化しているということだ。
普段から死にたい」と繰り返している人は別に死にたくない時でも「死にたい」と口走り、そのうち自分は死ななきゃいけない人間なんだと心の底から思い込むようになる。理由もなく。言葉の力によって。


この先鋭化はただ頭の中で考えているより明文化すること、さらには実際に口に出すことでより顕著に効果を発揮する。
部活円陣組んで「絶対勝つぞ!」とかやったことある人は多いだろう。あれが典型例だ。
口に出した言葉は音になり、耳を通じて自分の頭の中で反芻される。この一連の流れで意識付けを強く行い、「勝つ」という目標を明確にする。

風呂入るのめんどくさいな…とぼんやり考えることが多い人は一度、「風呂入るか」と声に出してみてほしい。
やる気の入り方がぼんやり考えているだけの時と段違いなはずだ。言ったからには風呂に入らなきゃいけない気がしてこないだろうか。

このあたりが一般に「言霊」と呼ばれる言葉の力の正体だと私は考えている。つまるところ、意識の先鋭化だ。

話し手にとっても聞き手にとってもこの先鋭化は起こり、ある種その言葉エネルギーを持たされた状態になると考えてもよい(決してスピリチュアル意味ではない)。
冒頭の話で私が言いたかったのは、「私もうおばさんだわ~」とか言ってると本当におばさんになるからやめとけということだ。

ナントカ伝言のように「ありがとう」と声をかければ水が綺麗になるなんてことは一切ないが、人間の方は感謝気持ちを思い起こし多少優しくなるくらいの効果はあるのではなかろうか。
私自身、「いいね」とかの肯定的言葉を多く使うようになって心が安らかになった自覚がある。
安らかになりたいあなた、ぜひお試しあれ。

というわけで、風呂に入ってきます

ペットロス

猫が死んだ。飼ってた猫。まだ若くて5歳だったのに。病気悪化して急に永眠してしまった、今日木曜日だけど、1週間前はどこも変わりなくて、ほんとにいきなり「体調わるい?」って思って病院行って注射して薬もらってからすぐだった。

あと「10年は生きるね」なんて、1週間前は言っていたのに。

朝、母親に聞いた時は驚いて駆け寄ったけど、涙なんてぜんぜん出なかった。もう既に固くなっちゃった亡骸を目の前に号泣するのかと思ったけど、込み上げて来たのは悲しみより恐怖だった。

1週間前まで変わりなく生きてた生き物がこんなすぐいなくなるなんて怖くて怖くてたまらなくて、1週間後には家族も、友達もみんな死んじゃうのかもと思ったら吐き気が込み上げて来て無理だった。

悲しみよりも胃と心臓が痛くて、恐怖でパニックになりそうだった、誰かに抱きしめてもらいたいって思ってた、ずっと。

ろくに泣かないまま、ただ呆然として半分くらい見ないふりをして埋葬した。

切り替えは上手くできた方だと思った。

何度も何度も朝起きるとその時のことを考えて、体調が悪くなった時、どうにかできなかったのか、なんていつまでも引きずって暗い気持ちになるくらいなら今まで過ごして来た5年間に感謝した方がいいだろうと思った。

で、今日愛猫写真アルバムにするために写真を整理していたら、ふと、喉がやけに乾くことに気付いた。尿意の回数もよく考えたら増えてるかも。

ネットで調べなくてもいいのに調べた、一番上に大きな病名が出て来た。

そこからはずっと、ずっと何時間ネットにかじりつきだった。

でも客観的自分もそこにはいて、項目は当てはまってないものもあるし、%的には他の原因のが高いし病院での検査も受けてない段階。冷静になれば「なんだこいつ、なにあせってんだ、不安なら検査うけてそれから考えれば?」とも思う。でもその逆張りも恐ろしかった、フラグに聞こえて背後から漠然とした不安の波が大きいやつが襲って来る。怖くて怖くてたまらなくなってネット記事を見漁った。喉が乾くのは何時間ネットに噛り付いてるからだし、尿意の起こるのもトイレ行っちゃダメだと意識をしてるから。でも過食、と書いてあればお腹が空くのも怖くて、不安で、パニックだった。胃が痛い、ずっと。

乗り越えられたと思っていたのに、全然だ。猫の病気腎臓で亡くなったおばあちゃん腎臓だった、死があまりにも近く感じて怖くてたまらない。

1週間前までほんとに元気だったのに。

こんなことになる?いきなりガクッと精神不安定になってしまって仕事も手につかない。

今日検査にいこうとおもうけれど、これは身体の病なんだろうか。ショックがここまで精神に影響するなんて。

もし健康体だったら、肩を撫で下ろすのかもわからない。もっと不安になるかもしれない、どうしたらいいのかわからない。

2019-10-30

死にたい」は「救われたい」だ。

あなたの「死にたい」は「かまって」でしょ」

この言葉を私に投げかけたのは当時の会社の同僚だった。

彼女は私の同期にあたり、同じ部署で働いていた。お昼に数名の仲間とランチに行ったり、プライベートで出かけることもあった。

入社して2年ほどたった頃、彼女は私に好きな人ができたこと、その相手がSという男であることを打ち明けた。

Sは別の部署で働く同期だった。私は彼と入社当初から知り合っていて、彼が片想いであることを知っていたため彼女には「そうなんだ、がんばって」などというありきたりな返答しかできなかった。

彼女は私がSと仲が良いことを知っていたが、「仲を取り持ってほしい」などと言ってくることはなかったしする気もなかった。私は彼と友人であり今までの距離感を不自然に変えることは避けたかたからだ。

しかし2年の付き合いともなると距離も縮まり、その距離感によって彼女は私に怒りを抱いた。

話は変わるが私は昔から希死念慮に苛まれている。本気で死にたいと何度も思ったし泣いて夜が明けることもあった。

そしてそんな暗い胸の内をよくTwitterで呟いていた。何人かの友人だけと繋がっているだけのアカウントだったが、そのフォロワーの中に彼女も含まれていた。

彼女は私への怒りを、私に見えるように呟くようになった。そして出てきたのが冒頭の言葉である

実際には私の名前を挙げることはなかったが、誰が見ても私だとわかる文面だった。

この言葉を見たとき、私は「それは違うな」とぼんやり思った。「死にたい」と確かに私は思い、それを呟いた。

彼女曰く、本当に死にたいと思うならとっくに死んでいるだろうという。「死にたい」と呟くだけで今も生きている私は本当は死にたいのではなく「かまってほしい」だけだろう、ということだそうだ。

彼女に言わせてみれば私は「死にたい」と思いながら死ねない死に損ないのかまってちゃんなわけだが、この言葉がずっと引っかかるようになった。

私にとっての「死にたい」には何が隠れているのだろうと考え、至った答えは題名の通りである

私は救われたいのだ。

この漠然とした不安から。自らへの嫌悪から。どうしようもない自分から

自分を好きになることもできず、未来希望すら抱けず、ただ日々をこなし「死にたい」と思っても踏み切るほどの勇気も出ない。結局私は「死」を選びきれない。

そんな現状から脱したいからこそ「死にたい」と宣うのだと思う。

他人にそれを望んでいる点で言えば「かまってほしい」という言葉あながち間違いではないのだが。

そういうことをこの数年間考え続けてきた。いまだに死にたいと思うしTwitterで呟くこともあるが、もう彼女とは縁が切れているし他の友人はそんな私を心配してくれるいい子たちのためTLはとても平和だ。

私はもう転職しているし彼女に会うこともこれを伝えることもないだろうが。

2019-10-29

anond:20191029114555

そういえば、リア充って言葉は誰が作ったんだろうな。

少なくともリア充とされる側が名乗ったことが始まりではないと思うけれど。

まあ、死語になってるから今となってはどうでもいいことかもしれんが。

今はなんだっけ、陽キャって言葉とかが台頭してる感じなんかな。

まあ、リア充しろ陽キャしろ括りが漠然としてて、誤謬を招きやすいよね。

でも、そういう俗語の方が意外と使いやすかったりするんだろうか。

2019-10-28

最近見かけた属性に基づくジェンダー議論について

男子理系大学院生です。

@misssfc2019_no7さん(ραοさん)と@54nano_fairyさん(なのさん)のTwitter上での会話を見て、漠然ジェンダー論に興味があったものの何も勉強してこなかったので少し勉強し、考えたことをまとめようと試みています。ややραοさんの発言を多く引用します。これは僕の感覚がなのさんに近く、ραοさんの発言の主張に納得しづらい部分があったため、それを解釈したいと考えたからです。

納得行くところまで整理出来ていないので、「その主張は◯◯の部分が誤りである」「せめて◯◯は読んでから出直せ」などの指摘をいただけると僕が嬉しいです。

あとアホほど長いので暇な人だけ読むと良いと思います

=====

1.最初議論

僕が認識している最初議論の始まりは、ραοさんの

男性フェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」と自分ジャッジできると思い上がってる時点で君はフェミニズムのことを何もわかってないのだねという感想しかないわ

というツイートに対して、なのさんが

これこそセクシズムなんじゃないですか?

と問うたところです。

このツイートから任意男性は、フェミニズムを理解しているならば(フェミニズム性を有しているならば)、あるフェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」ジャッジ出来ると考えない、とραοさんが考えていると僕は読み取りました。

これに対し、この主張には「男性が」ジャッジすることに非フェミニズム性がある、というような非対称性があるように見える、となのさんが疑義を唱えたように僕は読み取りました。

その後の議論でραοさんは

マイノリティの中でも"真のマイノリティかそうでないか"とジャッジ一方的にするというのももちろんおかしなことです。

と述べられています。これはフェミニズムの話に限った際、女性ジャッジすることにも非フェミニズム性があるという主張と同値かは僕の目には明らかではないです(おかしなこと、というのがどのようなおかしくなさに違反しているのか自明でなくないですか?)。僕は議論の流れから、ραοさんは男性ジャッジする際の非フェミニズム性とはやや異なる「おかしなこと」と考えているのではないかとお見受けしました。

これは、なのさんの

マイノリティの中でも一方的ジャッジをはおかしなことである」というのならば、なぜ最初発言でわざわざ「男性が」「性的マジョリティが」と強調したのでしょうか?

という質問に対するραοさんの

マイノリティの中での話とはまた違う構造があるからですよ。これを同じと言ってはいけないと思いますマイノリティ同士のコミュニケーションにおいて生じる問題と、マジョリティマイノリティに対し行う言動に生じる問題は異なります

という発言を受けて思ったことです。

ραοさんの発言は、マジョリティである男性ジャッジすることはマイノリティである女性に対する圧力となるため非フェミニズム性があり、マイノリティである女性ジャッジすることは(圧力があるにせよ)非フェミニズム性とは異なるおかしさ(例えば他人内面を決めつけることの失礼さ?)があるという意味ではないですか?男性女性が非対称な権利を有している現在規範を改めようとするフェミニズムに対し、マジョリティである男性一定フェミニストの主張は非フェミニズムであり新たな規範として認めるべきではないと主張するのは、女性に対する圧力として働くものであり、非フェミニズム性があると。

なので、女性に対する圧力存在暴露とその解消を目指す文脈で、(その活動における)障害存在批判する際に男性によるジャッジが強調されるのは非対称だが筋は通る(一貫した主張である)かなと思いました。(なのさんがのちに運動のための理論であるように感じて好きではないと言われていたのもこの辺りのことが引っかかってかなと思いました。)

この後ραοさんとなのさんの主張は最初議論とはやや異なる内容の議論(女性マイノリティであるということの意味議論の進め方等)と共に一定解決を見ずに終わったようで燻ったような状態に落ち着いたように見えます。他の内容についてはここでは触れません。

2.途中の感想

フェミニズムの議論はたびたび大きな話題になりますが、話題になるフェミニズムは(筋の通る通らないの程度によらず)やや論理的に整理されてない主張が目立つように僕は感じていました。今回の件でもいくつか整理が不十分だと感じる点はあり、例えばραοさんの最初ツイートの下で述べられる

これって普通に男女以外でも考えてみてほしい。マジョリティであるシスジェンダー異性愛者がセクシャルマイノリティに「この人は真のセクシャルマイノリティか、エセか」とか言うのめちゃくちゃおこがましくないですか?障害者に対して「真の障害者か、エセか」とか。何様なんだろうって私なら思うよ。

圧力という考え方があまり見受けられないので良い例示ではないように見えます。これは他者内面(あるいは属性アイデンティティ)を決めつけることはおこがましい、自然感情として(普遍的に)おかしなことであると主張する話になっており、「男性が」ジャッジすることの非フェミニズム性の話にはそぐわないように思います。何様なんだろうと思う、という自然感情に端を発する主張のように記さず、セクシャルマイノリティ障害者の方に対する強い圧力として働く考え方である、というように記す方が合致するように思われます

整理が不十分であること自体はよくて議論とともに整理していけば良いと思うのですが、その後ραοさんはやや早計になのさん(及びなのさんに同調する人々)のことをミソジニストと決めつけてしまったように見えます。早計というのは、議論一定解決を見ないまま、ραοさんに「つっかかってくる」人をミソジニスト認定しているように見えるからです。実際には一定論理によりミソジニスト認定しておられるでしょうが、ここまで他者ジャッジすることのおかしさについて議論していたので、ダブルスタンダードに見えてしまますダブルスタンダード自体は主張の正しさを変えるものではありませんが、信頼できる議論相手かどうかという他者から評価には影響するので。実際これのせいで感情に寄りすぎている(論理的に整理されていない点を整理しないまま自分意見正当性を主張しようとしている)とみなされてしまっているということがあるのではないでしょうか?

3.自分が調べたり思ったりしたこと

僕は最初追っている時はなのさんの議論の方が身に馴染み、かつ筋が通っており、ραοさんの議論はやや筋が通らないように感じていました。しかしそれはフェミニズムを全く知らないためである可能性も十分高く、少し調べてから判断しようと思いました。現状では、今ある規範問題点を指摘し新たな規範を構築する際、新たな規範正当性をどのように確立すればよいのか分からなくなり、整理がついていません。

舟場 保之(2007)「ジェンダー哲学問題とはなりえないのか」『哲学』58 号 pp. 61-78(https://doi.org/10.11439/philosophy1952.2007.61)に、次のような話が載っていました(p. 65)。

アイデンティティポリティクスの主張は、その真理性なり正当性なりの論拠を最終的には当該のアイデンティティにおく。アーレントは、アイデンティティポリティクスに反対していたにもかかわらず、レッシング受賞講演において「ひとは攻撃されている事柄によってのみ、抵抗することができる」と論じている。このとき、「抵抗」のひとつの形として「現行の法」に対する異議申し立てが行われるとすれば、その異議申し立ての論拠は「攻撃されている事柄」におかれることになるだろう。ある「抵抗」の異議申し立てに対して、、「あなたはなぜそのように主張するのですか」と問えば、最終的には「わたしは○○に関して攻撃されているから」と答えられることになる。しかし論拠がこのようなものであるとしたら、この言い分に納得できるのは同じように〇〇に関して攻撃されている者だけであり、異議申し立ては〇〇に関して攻撃されている者にしか説得力をもたないことになる。だからこそ、このような異議申し立て無理解な者に対しては、「あなたは○○に関して攻撃されていないからわからないのだ」という言い方が(きわめてよく)なされるのだろう。アイデンティティポリティクスの主張は、アイデンティティに論拠がおかれるかぎり、アイデンティティが同一の者には説得力もつがそうでない者には説得力をもたないのであるしかも、論拠とされるアイデンティティが「反論余地のない事実であるなら、論拠を問題化することがまったく不可能になってしまうので、アイデンティティポリティクスの主張は反駁される可能性を原理的にもたない絶対的ものとなってしまう。

例えば宇崎ちゃんポスター話題などでも「普通に訴えてもお気持ち扱いされる」みたいな話を見かけました。これはまさに上記引用で触れられている、アイデンティティポリティクスの主張がアイデンティティを論拠とするために反論を許さず、そのためにアイデンティティが同一でないものに対しては説得力を持たないものとなる(反論不可能ものについては議論が出来ないので?)、という構造と同じものだと思います

宇崎ちゃんポスターの例では「性別Aの者を性別Bに属するものがあげつらったり、その性を利用したりすることは正しくない」というような公理のもと、それがA=女性、B=男性として宇崎ちゃんポスターにおいて行われていると判断され、問題のあるポスターとして指摘されたと僕は認識しています。これに対し「この程度は性についてあげつらうほどのものではない」「これをあげつらいと考えるのはお気持ちである」という形で「お気持ち扱い」をされているのかなという印象です。

このとき、仮にアイデンティティポリティクスに反対する姿勢を取っていたとして、宇崎ちゃんポスター問題においてどのように主張の正当性確立するべきなのでしょうか?究極的にはお気持ちにならざるを得ないのでしょうか……?僕には分かりません。何かうまく論理を構築する方法論が知られているのでしょうか。

またραοさんとなのさんの議論の中で、上記引用典型的発言として挙げられる「あなたは○○に関して攻撃されていないからわからないのだ」と似た発言がなされていました。

男性フェミニストに対して「真のフェミニストかエセフェミか」と自分ジャッジできると思い上がってる時点で君はフェミニズムのことを何もわかってないのだねという感想しかないわ

という発言もややアイデンティティ(あるいはポジショナリティ)を論拠にしているように見えます。これによりραοさんは、なのさんや一部の方から自分正当性を疑わない人とみなされてしまったように見受けられます

しかし、特に規範のようなものを考えるにあたり、アイデンティティポジショナリティから自由になることは可能なんでしょうか?ραοさんはそれが不可能だと考えているか、相当に困難だと考えておられるのではないでしょうか?

自分中立だと思いこむのとか、立場偏見を取り除いて客観的ジャッジ目線議論ができると思いこんでるのはなるべく高等教育過程に入った方には既に卒業しててほしいな…。こんなの哲学の初歩の初歩でしょ…。

というツイートから、そのように思われます

自然科学の研究をしている身としては、実験だったり理論だったりの正当性検証は容易ではないが常には原理的に不可能ではないので、メタ立場から正当性議論が出来る(なのさんの言葉を借りれば「パワーバランスに基づく議論あくま論理/倫理的な「正しさ」とは独立であるべき」)と考える方が身になじむものがあります。なのでアイデンティティポリティクスに反対する姿勢もしっくりくるところがあるのですが、実際問題としてそれを回避することは可能でしょうか?自分がある程度アイデンティティ(あるいはポジショナリティ)を論拠としている部分がある、と自覚した上で正当性議論を行うという所が限界なのでしょうか?今の僕には分かりません。

上に書いた話も、自分感覚整合性が取れるように論展開を進めようと思ったのですが、僕の「お気持ち」が何となく納得していない感じがあり、十分整理できてないなと感じています

自分研究が落ち着いた時に、時間をとってもう少し勉強して整理したいと思っているので、重ねてですが「◯◯の主張は筋が通っていない」「◯◯ぐらいは読め」みたいな指摘がいただけると幸いです。

anond:20191027200353

宇崎ちゃんを貸せるって言ってる結構いるけど、ちょっとオカシイんじゃないかなと思ってしまうわ。

宇崎ちゃんを貸せる関係女友達ってのはいるけど、漠然クラス女子にって言われたら貸せないよね。

キモオタとしてのキャラ付けとかイキリオタクならそれで成立するのかもしれんけど、難しいね

2019-10-25

anond:20191025105925

誤った性行為を描くAVが誤った性行為を広めているというのは

男性女性観に漠然とした影響を与えて歪曲させる」といったものではなく

非常に具体的かつ直接的な問題ですよね。

もちろん性教育問題や、性行為の私秘性の問題もありますが、ここでは措いておきます

その問題を宇崎ちゃんにそのまま置き換えるとしたら

「先輩をからかったら喜ぶと後輩が勘違いする」などになります

明らかに針小棒大危惧しかないと思いますが。

2019-10-23

問題問題にしない限り問題にならない

なんてことを誰が言ったかは覚えていないが、実際その通りだと思うことは日常に溢れている。

あらゆる事象に対して、翻すなり適当物差しをあてがってやれば問題の一つや二つ浮かび上がらせるのは難しくない。

実際問題にならないものでも無理やり問題にすれば問題になりうるというわけだ。

それは言い換えれば「こじつけ」だとか「いちゃもん」の類で、気取って難しい言葉を使うなら「牽強付会」にあたる。

そもそも問題だと思っていない側は、さぞ頭を抱えるだろう。

是非もなしと考えているため、擁護のための理屈を持ち合わせている人間は少ない。

問題にする側の言うことは大した理屈ではないが、それでも一理あることは確か。

見過ごせば問題だと暗に認めることになる。

そうした危機感を持つものは、屁理屈に乗っかるなり突っぱねるしかない。

とどのつまり不毛な諍いの勃発である

たぶん、問題にする側は何らかの意図があるからこそ問題にしているのだろう。

しかしたら「問題にしてやっている」くらいの自負があるのかもしれない。

何か漠然とした、世界をより良くする“何か”のために。

しかし、その結果やるのが相手が折れるまでやめない屁理屈合戦だというのだから、この世界治安は益々悪くなる一方である

2019-10-21

ブタゴリラ人間になれない

 夫に週末の予定を聞いた。彼は「産業技術ツアーに行く」と言った。「それ、何?」と聞くと、彼はこちらを見もせずに答えた。


「そのままだよ」


 「そのままの意味だよ」ということだと思う。聞き方が雑だったかもしれない。「産業」も「技術」も「ツアー」も意味はわかる。「産業技術を見て回る催し物なのかな?」という想像はできる。しかし、私は名前から想像ではなく、実際はどうなのかを知りたかった。夫がどんな立場で参加するのか、どんなところに行くのか、その程度のことでいいから知りたかった。私は夫と同じ仕事をしているわけではない。彼にとっては当たり前でも、私にとっては未知なのだ


 キテレツ大百科を知らない人に「ブタゴリラ?そのままの意味でしょ」と言うだろうか。キテレツを知らない人は、まさかブタゴリラ」が「熊田薫という人間」だとは思うまい。きっと大体の人が「ブタ」も「ゴリラ」も知っている。では、「ブタゴリラ」は?キテレツを知らない人にとっては、「ブタみたいなゴリラみたいな生き物かな?」という想像しかできない。これはこれで間違ってはいないが、「人間」にはならない。


 私は「熊田薫という人間」だと教えてほしかった。

 彼が「そのままだよ」としか答えてくれなければ、私の中で「ブタゴリラ」は一生キメラだ。


 もし、「なんでそんなことを?」ということを聞かれたときは、一度こう考えてほしい。「この人はキテレツを知らない」と。そして、少しでいいか情報を与えてほしい。その情報で足りなければ次の質問が来るから。「そのままだよ」と答えられたら、こちらはそれ以上聞きようがないのだ。

 もし、未知のもの出会ったときは、漠然とした聞き方はやめた方がいい。「この人はキテレツを知っている」と思って聞いてほしい。

 もし、過去にそんなやりとりをしたことのある人は、心の中で相手に謝るとともに、ブタゴリラにも謝ってほしい。「人間にしてやれなくてごめんな」と。

 

 ブタゴリラを「人間」にするか、存在しない「化け物」にするかは、あなた一言にかかっている。

2019-10-20

はてなへの漠然とした不満

はてな漠然とした不満がたまっている。

かつて2chなども通って来た道なのだが、

ホッテントリ話題に偏りが強い。ノイジーマイノリティが原因か。

 LGBT人権とか萌え絵セクハラとかミサンドリーとかの話題か、

 togetterの低レベルまとめか、ぬこかわいい、アフィ互助会

 全カテの6割くらいいくんじゃないか

 最近そういえば嫌韓嫌中は減ってきたような気がする。

2019-10-17

[] #79-10高望みんピック

≪ 前

パーティ終了後、タケモトさんは彼女と連絡先を交換。

それから連絡を取り続けて数週間が経った、ある日。

結婚相談所に近況報告をしにきていた。

「昨日、二人でデートみたいなことをしたんですよ」

「ええ、存じています。上手くいきましたか?」

デートの三日ほど前、そのことを相談してノウハウを授かっていた。

そして入念な下準備の甲斐もあって反応は上々、かなりの手ごたえを感じたという。

「ほう、やったじゃないですか!」

コンサルタントが喜んだのも束の間、タケモトさんが表情を曇らせて「ですが」と言葉を続ける。

「……きっぱりフラれました」

「ええ!? まさかデート初日に間合いを?」

「いや、そこまでせっかちじゃないですって」

「では、どうして?」

タケモトさんは「そんなことこっちが知りたい」という顔をしながら、その時の状況を語りだした。

====

デートが終わりに近づいたとき彼女唐突に言ってきたらしい。

「……やっぱりダメ

「え?」

「何とか努力してみたけど、ときめけない」

とき……なに?」

あなたじゃメモリアルに残らないんです!」

言っている意味が分からなかったが、自分は今フラれているということだけは確かだった。

しか理由が分からない。

デートでヘマはしていないはずだ。

「何がダメなんです? 言ってくれればオレも改善しますよ。どうかチャンスをください」

「そういうことじゃありません。もっと根本的な問題なんです」

捉えどころのない答えではあったが、つまり何らかのハードルを跳び越えられなかったのだろう。

そうタケモトさんは思った。

学歴? 収入? 見た目?」 

思いつく限りの要素を羅列していくが、その度に彼女は首を振っていく。

「違います、私はそんなことにこだわりません」

「じゃあ、何なんです!?

最初から言っているでしょう。“ときめき”ですよ!」

彼女が告げたのは、タケモトさんにとって最も理不尽ハードルだった。

学歴なら勉強すればいいし、収入なら貪欲に金を稼げばいいし、見た目なら美容整形に行けばいい。

しかし“ときめき”なんていう漠然とした要求は応えようがなかった。

「良い大学に行ってなくても、収入が心もとなくても、容姿が悪くても、それが気にならないほど好きになれる。多少の不安要素があっても、それでも一緒にいたい。そう思える相手がいいのです」

「いや、だから、それはどういう人間なんだよ」と思ったが、タケモトさんは声に出さなかった。

もはやリタイアが覆らないことは明らかだったからだ。

====

「それは……お気の毒に」

「『多少の不安要素はあれど、それでも一緒にいたいと思えるほど好きな相手』って何ですか。ある意味で史上最大の高望みですよ」

以前、コンサルタント高望みの定義を「ハードルの“高さ”ではなく“数”」だと言っていた。

しかし今回は逆で、一つのハードルがあまりにも高く、形も歪だったせいで跳べないパターンだったようだ。

自由恋愛時代反動なのかもしれません。婚活の場においても強い恋慕やロマンスを求める人は一定数いるんですよ」

完走者の美談跋扈し、人間の多様な要素に不毛優先順位がつけられる。

それに引っ張られた、一つの側面なのだろうという。

「“結婚”という社会的システムで、そういう部分を何よりも追い求めるのって、矛盾していると思うのはオレだけですか?」

「ここで働いている身からすれば、矛盾していない人のほうが珍しいですからね……」

コンサルタント言葉に、タケモトさんは酷い絶望感を覚えた。

「今回は残念でしたね。運が悪かった……くらいの気持ちでいいと思いますよ」

「はあ……オレも選ぶ側の意識が芽生えてきましたよ」

「それは何より。で、相手に求める条件は?」

「条件を求めてこない人」

「それは……中々の高望みですね」

今でもタケモトさんが婚活をしているのかは知らない。

(#79-おわり)

2019-10-16

マシになりたい

幼稚園の時に両親が離婚、母に引き取られ母方の実家生活をする

・父から養育費相手に支払い能力が無いということでゼロ

・母の実家に住まわせてもらったため家賃はほぼかからず、贅沢ではないがそこそこの生活を送った

・母はパートに出ていたが、祖父母が家にいたため学校から帰宅後も楽しく過ごせた

小学校中学校までは「おこづかいが無い」程度の認識友達との関係で困ることは無かった

祖父が亡くなり、祖母の体調も悪くなった

中学までは勉強のできる方で、たまたま自分よりはるか学力必要学校に推薦合格してしまった

高校勉強についていけなくなった

高校でまわりとのお金の使い方との差に若干不自由を感じた

一般科目の勉強ができず「金額的に私立大は無理・返済型奨学金ダメ」と言われ国立大学を受けたが惨敗

・1年間 浪人という名の勉強意欲のない無職ニートをし、私立大学夜間二部を受験したが惨敗

・ツテで高卒就職をし、夜間専門学校に通った

・専門分野の勉強はまだマシだったのでそこそこの資格を取る

現在も引き続き同じ会社でつとめており、手取り19万~21万くらい

大卒資格欲しさに通信制大学編入現在3年)

卒業したらもう一つ資格取得を目指し、取得し次第転職予定

この先どうなるのか想像したくない

お金への漠然とした不安が拭えない

高校とき勉強をしておけばよかったし、進路のことにもっと真剣になるべきだった

KKOの夢

KKOには夢がある

人生は空いた時間を埋めるためにある

ポッカリ開いた不毛時間

潰すためにある時間

適当なオタ趣味で塞いで

誇るものなどなにもなく

あるのは不満と諦めとわずかな焦燥

気がつけば若者ではなくなり

ただただ老い老い

虚ろが埋め尽くされた人生

KKOには夢がある

漠然と、ただ漠然

光りもしない

クラゲのように漂う

寝て見る夢よりバカバカしく

下らない、価値もない

意味もない、何もない夢

KKOは透明になりたい

社会歯車から外れ

世の中から解放され

からも顧みられることな

誰に笑われることな

まれことな

比べられることな

認識されることな

だんだんと透明になって

どこまでもどこまでも薄くなって

空っぽになって

空気みたいになって

風に吹かれて

どこかへ

宇宙の彼方へ霧散したい

消えてしま

自分なんて消えてしま

なくなってしま

KKO馬鹿げた夢

叶わない夢

2019-10-15

しろドラマレビューしろ

アニメなんてたかが20分じゃねえか。

それに面白さなんて絵柄で半分ぐらい決まるんだからそれこそ3分見れば十分だ。

ドラマには絵柄なんてねえ。

どいつもこいつも日本人でだいたい皆が渡る世間は鬼ばかり大河ドラマ孤独のグルメを混ぜこぜにしたようなの作って叫んでおけば売れると思っているから違いなんて分からねえ。

でも1話まるまる見るとなんだかんだでそこそこ面白いかどうしようもなくクソな奴らが作っているか漠然とだけど見えてくる。

それを敏感に察知して最終話まで見る価値があるか見続けてもどうせ6話ぐらいでアホくさくなって見なくなるかをレビューしてくれる人がほしい。

ついでに言えば、出演俳優脚本家に関する豆知識を添えてくれると助かる。

テレビ雑誌は駄目だ。

全部の番組平等に褒めるか、広告料を貰った番組をヨイショすることしかない。

容赦なく批判して、面白ものは褒め、客観的視点レビューしてくれる人が必要だ。

2019-10-12

台風だけどみんな何してる!?!?

こういう台風の日に何もせず一人家にいると、孤独を感じてしま

自分は今アラサーなのだけれども、気軽に連絡ができるような友人も恋人も居たことがない

趣味インターネットを見るぐらいで他人とつながるようなことがほぼ無く、社会ともあまり繋がりがない

こんな日でも、誰かと一緒にいる人はいっしょにいて漠然とした不安を埋めあっているのだろうか。

どうしてこんな人生になってしまったのだろう。どうして自分けがこんなに惨めに感じているのだろうという考えが頭をよぎってどうしようもない

2019-10-11

[] #79-4「高望みんピック

≪ 前

「年齢は近いほうがいいですかね。あ、あと異性で」

「他にはありませんか?」

自分が働いているので専業で家事ができる人……いや、家事代行を頼める資金があるなら、共稼ぎでもいいのか」

結局、タケモトさんは建前の、あってないような条件を挙げることしかできなかった。

“選ばれる側でもあるが、選ぶ側でもある”

コンサルタントがそう言った意味を表面上では分かっていたが、内包するものまでは理解できなかった。

自身人格や経歴といったものが、他人から見て魅力的に映るかどうか。

そこに懐疑的な以上、まず相手が選んでくれるかが重要だという考えは変えられなかったんだ。

「どうやら、もう少し自覚を持っていただく必要がありますね」

…………

あなたのように漠然としたまま、我が相談所に足を運ぶ人は少なくありません。そういった人に勧めるのが、このパーティなんです」

後日、コンサルタントに紹介されたのは個人ではなく団体

結婚したい人間たちが一同に介する、俗に言う「お見合いパーティ」の会場だった。

コンサルタントとしての経験から言わせてもらえば、あなたが今回で“運命出会い”を果たせるとは思っていません」

「じゃあ、どうしてここに案内したので?」

「ご自身結婚願望と真剣に向き合っていただくためです」

コンサルタントは語る。

相手を選ぶことは、例えるなら物件を選ぶことだと。

婚活とは実際に物件を探している状態です。冷やかしたり、引越し予定もないのに理想物件を呟くのとはワケが違います

物件……ですか」

勿論この例えはもちろん不適切ですが、と断わった上で話を続ける。

あなた必要なのは、どういった物件があるかを見学してもらうことです。どこが譲れないか、どこなら妥協できるか、そうして初めて見えてくることもあるでしょう」

「見えてくるもの……」

コンサルタント言葉真意があることは何となく分かる。

しかし、それが具体的に何なのかを、この時のタケモトさんはまだ計り兼ねていた。

「お集まりの皆様、お時間となりましたので、本日の催しを始めさせていただきます

アナウンスが開始の合図を告げる。

会場全体の空気がピリつき、自身の体に緊張が纏わりつく。

「あ、あの、何かアドバイスはありませんか?」

「気を張り過ぎない、見栄を張り過ぎないことですかね……ああ、あとタバコはおやめになるか、せめて匂いに気をつけた方がチャンスは増えると思いますよ。服などに残った匂いだけでも気にする人はいるので」

前回、タバコを吸ってから相談所に赴いたことを遠回しに指摘してきた。

今このタイミングで言ってくるとは、このコンサルタントは中々いい性格をしているらしい。

「それでは参加者の皆さん、胸の番号札順に席に座ってください!」

次 ≫

2019-10-09

金持ち貧乏にはステージが有ると思った

富豪と言う意味じゃなくて、どのくらい金を持ってるか(持ってないか

 

破綻状態

死ぬ家族を頼るか生活保護、気分は劣悪

 

破産状態

 

破綻準備

滞納などで既にまずいことになっている状態

案外気分は晴れやかなのでは

 

破綻手前

既に借金限界までされていて

自転車操業が続き精神的に追い込まれ

 

借金

借金が減らない苦しい状態

 

貯金なし

借金はないが日々の生活が苦しい

漠然とした不安に日々悩む

 

貯金有り(数ヶ月生きていける程度)

 

貯金有り(数年生きていける程度)

心に余裕ができる

 

 

臨時収入とか、急な出費があってもステージが変わらないとあまり意味ない気がする

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