なんてことを誰が言ったかは覚えていないが、実際その通りだと思うことは日常に溢れている。
あらゆる事象に対して、翻すなり適当な物差しをあてがってやれば問題の一つや二つ浮かび上がらせるのは難しくない。
実際問題にならないものでも無理やり問題にすれば問題になりうるというわけだ。
それは言い換えれば「こじつけ」だとか「いちゃもん」の類で、気取って難しい言葉を使うなら「牽強付会」にあたる。
是非もなしと考えているため、擁護のための理屈を持ち合わせている人間は少ない。
問題にする側の言うことは大した理屈ではないが、それでも一理あることは確か。
見過ごせば問題だと暗に認めることになる。
そうした危機感を持つものは、屁理屈に乗っかるなり突っぱねるしかない。
たぶん、問題にする側は何らかの意図があるからこそ問題にしているのだろう。
こういう奴が公然と女性蔑視や弱者差別を行う くたばれ
そして、このように相手を敵か味方でしか判別できず、敵なら死ねや殺せとくってかかるから争いはなくならないのである。 問題にならないことを問題にしたがる人間は、敵ではない者...
問題がなければ、敵がいなければ生きていけない人間もいるのだろう。 敵扱いされる側や、巻き込まれる人間にとってはたまったものではないが。