はてなキーワード: 根付とは
「天皇陛下 お気持ち表明」っていうクソ面白い字面がウケてネタにされてたのが最初だったと思うんだけど、もはやパンピーが皇室とか全然関係ないことに関して純粋に気持ちを開陳することをカジュアルに「お気持ち表明」って言うようになっててウケる
これこのままオタクに根付くのかな 何者でもない人間が無駄に長文で感情ベースのことを言う、天皇気分か?みたいな嘲りのニュアンスが最初はあった気がすんだけど、自虐的に使う人も増えた結果だんだん意味がニュートラルになってきた気がするんだよな
「玉音放送」なんかもいまだちょいちょいネタにされるってことはやっぱ残るのかこの表現 皇室由来のネットスラングになるのか…?
こんだけ頑張って書いたんだからちょっとくらいイキってもいいですか?いいよ。
昨今のインフルエンサー概念の興隆に伴って、SNSや動画配信サイトで情報発信、啓蒙活動を行う人々は増えてきており、上っ面だけキラッキラさせた目を引くようなサムネイルや視聴者の下世話な感情に訴えかけるどぎついタイトルのコンテンツをバンバン打ってPV数フォロワー数リツイート数チャンネル登録者数再生回数稼いで私たちソーシャルメディアプロモーションドクターズは世の中をより良くしていってます!みんな応援してね!あっどうもどうもホニャララ医さん、ご無沙汰してますぅ↑↑↑↑↑いや〜あの動画めちゃくちゃよかったっすねぇ〜、なかなかバズっちゃってるんじゃないですか?そうだ、今度一緒にコラボ企画やりましょうよ、えっ!ホニャララ医さんってナンタラ医さんと繋がりあるんですか!?私あの人の隠れファンで、ええ、今度飲む時に紹介してくださいよぉ、ガハハハハワハハハハ、みたいな、大学卒業したのに部活動サークル活動の内輪ノリが抜けきってないまま人前に出ちゃってますけど本当にそれでええのんかと思わされる医者も目立ってきていますよね。
もちろんこの人たちも半分趣味でやっているところがあるのでしょうし、予防衛生の概念はますます重要視されてきています。華々しいエンタメの裏側じゃないですけど、依然として厳しい状況におかれている病院の現場では熱心に診療活動をされているのだと思います。しかし、どうも私には、彼らとrei氏のやっていることにあまり差異がないように思われるのです。(念のため付け加えておくと、こうした情報発信は私の領域ではない、私には私にしか解決できない他の問題があるという信念のもとに働いておられる方もいることは充分承知しております。)
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あーあ、柄にもなくID真っ赤にして怒鳴り散らしてしまった。もっと優しく温和な人間になりたいナ。そろそろ試験勉強に戻らないといけないので、それでは。
私は一介の十二国記ファンである。中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。
本記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈や思い入れにも立ち入るかもしれない。
各物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟の視点から見た世界よりも、庶民から見た世界の比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座に上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆のレジスタンスの物語であり、それがさらに大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。
もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベルで出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。
しかし、「丕緒の鳥」からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理な世界で生きる人々へのエールとなっている。
つまり、これから尚隆や陽子の視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。
前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。
十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。
天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。
しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上の奴隷だっている。
そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。
言い換えると、天は王と官吏と農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会を形成してきた。そして、この世界の民衆はルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主の世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領に支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たちの世界の大統領・首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たちの世界の鏡像なのだ。
今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。
それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界の宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。
十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟の運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠・出産からの「解放」だ。女性の苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観も女性に優しい。王も麒麟も官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性は再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSF・フェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。
しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会の軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに性暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界のセックスワーカーがどれほど過酷な生活を送っているかは不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実の中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。
考えてみれば、官吏は女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である。育児の負担がこちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。
それと、生理の問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から「解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信・タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。
天帝が女性、または西王母が兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから、天帝が西王母より偉い理由は別にない。
十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である。麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋な空想だ。
考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝がラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに「黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。
だが、もともと中国・道教の死生観がそういう面がある。「救急如律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国の役人が賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。
そして、自分は天帝がラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記が不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧な世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。
私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。
また、
そして、長編がありうるとしたら
と考えている。
少しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。
王朝の最後にはいくつかの傾向がある。一つは陽子を暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人の劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所が裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実を検討する能力に乏しかった。
で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らしをしろ、という趣旨の台詞がある。
これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しかも御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険なものはない。ああいう仲のいい家族が崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。
「王気」という言葉は一見すると単純な造語である。しかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。
黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。
十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人のお話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義が歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。
また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。
最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力を行使可能な麒麟がいるとか、かなり危険な情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。
楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝は盗賊が活躍するピカレスクロマンである。文人肌の楽俊とはだいぶ違う。
桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」の意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。
祥瓊の父の字は仲達で、三国志の諸葛亮のライバル、司馬懿と同じだ。雁の白沢は瑞獣の名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国の官僚や文人たちから名前が取られている。とはいえ、名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い。
「帝」という称号は始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである。
しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。
語彙だけではない。現実の中国の文化には、周辺の異民族との交流から生まれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートやキルトではない、ズボンやパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界が匈奴や西域の影響の薄い中国の文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。
十二国記のアニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。
つらつらと書いてしまった。
残念ながら、小野不由美の他の作品との比較・検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。
積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。
そして、次回の新刊をのんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語の物語を完結させてくださり、ありがとうございました。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020020800167&g=soc
ハワイで施行されているレジ袋有料化 影で万引きが増加する事態に
https://news.livedoor.com/article/detail/15716987/
レジ袋、コンビニも7月から有料化⇒「不衛生では」マイバッグ使用に不安の声も
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5ed83eb8c5b6ef445b7633e3
アンケのパーセントで草。
この国は北朝鮮か何かかな?
ただ普通に知らなかった人が多かったから批判意見も多く出始めたわけで。
しかし万引きと言い、不衛生な点と言い、私以外にも指摘している人がいるのも笑える。
検索の関連項目に万引きと出たから見てみたら、実際海外でも増えていたのな。
当たり前だけど、タイミング的にもコロナが問題になっている時にこの手の不衛生な事をする事自体が問題だからな。
素人考えでも普通にこの位の問題点は速攻で出て来るし、そもそもエネルギー削減策としても意味がないからなぁ…。
この辺もツイッターで指摘している人もいたけどね。
それこそ石油の残りカスから作るもので使わなければ余計に無駄になる訳だし、動物愛誤…じゃなかった動物愛護の観点から見ればそれこそポイ捨てを封じこめる為にゴミ箱の設置を増加したり、きちんとレジ袋をゴミとして高温で焼却する方が遥かに有効だよ。
その分のゴミ収集のコストは上がるけどもお金を回すと言う意味で人材雇用を促進する意味でもそちらの方が今の状況では遥かに良い対策だよ。
それにそもそも環境対策と有料化が直接つながる訳ないし、有料化したから環境保全になると言う理由も屁理屈以外の何物でもないよね。
だからこそレジ袋を貰うと事実上の罰則みたいなものだからこれ消費税と同じで実店舗にダメージを与える景気現対策と断言しても良いものなんだわ。
また普通にこの手の環境を口実にした詐欺的な手段に使われ過ぎて、今や環境問題は排出権や国連とかに代表されるグレタ氏みたいな胡散臭い団体が因縁をつける口実に使われるイメージが根付いてしまったから、そのせいでまともな生態学や環境学、地球科学を研究したりしている人達が逆に大迷惑する事態にもなり始めているのだけどね。
昨今議員もポーズでこの手の事をやりだすだけに余計に性質が悪いよね。
昔からあの人達は綺麗事や綺麗なお題目を立てて、国民から金を毟り取ったり、規制をするのが大好きな人達だけどね(笑)
それにこのコロナ禍ですっかり企業自体の操業が低下して一時期停止に近い状況に追い込まれ、石油価格の下落が初めて起きた事を見てもそちらの生産の方でエネルギーを使用していたと言う事実も世の中には知れ渡った訳だからねぇ…。
要は企業活動ってエネルギー食う事だよねと言うのは事実だからこそ、米国のトランプ大統領も環境対策に因縁を付けた訳だからね。
それとこんな事したらそれこそ余計にネット通販を利用する人も増えるのは目に見えるよね。
トイレットペーパーとか地味に嵩張るし、わざわざ買いに行ってレジ袋でもお金を取られるならば通販使った方がいっそマシと言う人も多いだろうからね。
その時は通販でも色々屁理屈を言ってあの人達無茶な有料化をして景気減退策を余計に促進させそうだけど(笑)
何にしても悪手なのは事実で余計に実店舗から足を遠のくきっかけに繋がるのは事実でしょう。
それにこれを進めている人達はこれらは所詮お題目に過ぎない訳で要はレジ袋を有料化したいと言う思惑だけの口実で使っているだけに過ぎないからね。
現に企業も嫌がっている節がある事を見てもそう言う事だろうしね。
どう見ても環境省や経産省のアレの目的からやっている事でしょ。
しかしこう言うのを見ても、この人達が以下にこの時期でも我欲でしか物事を考えず、自身の決めた予定の通りにしか動けないと言う事が良く判るよね。
単に頭が良いだけの想像力が足りない人達は色々な意味で性質が悪いと思う。
今必要な事はそれこそ景気刺激策であるのにこのタイミングで景気減退策を率先してやること自体、以下にこの人達が臨機応変に物事に対応出来ず、予定通り決められた事しかできない事を象徴しているよね。
これは過去に大反対され、パブコメでも反対意見が大半だった著作権法のDL違法化拡大を寄りにもよってこの時期にやらかしたりした事を見ても判る事。
自民や政府、官僚はどうせ野党はクソザコだから、何をしても安泰だと思って好き勝手しているのだろうけど、こんな事ばかりしていたら今に偉い目にあうと思うよ。
現にコロナもまた今もくすぶり続け、企業補償すらまともにしなかったせいで不渡りが増加したり、倒産も増加し始めた上に学生支援等の問題が山積みになっている中でそれらは手を付けないか、手を付けても形だけしか対処せず、そのくせこの手の碌でもない事ばかりは決まった事だからと言い、率先して行っているのだからね。
倒産もニュースによれば、時期的な意味で受理されないのもあるみたいだから数字に出てこない分を見てももっと深刻なのは事実だと思う。
それはそうとエゴ…じゃなかった、エコバッグ云々で昔そう言えば買い物籠以前は風呂敷を使う社会だったなと言う事を思い出して、色々見てみたら結構なお値段するものなのね。
おしっこしたらち◯ちん洗わないことについてはみんなどう思ってるのか?
みんなマスクとかすごい気にする割にはトイレで手洗わない人とか普通にいるし。
ち◯ちんぶるん×2しただけで十分と思ってる?本当は妥協してるんでしょ?
排泄したスッキリ感で満たされてるからそれ以上スッキリしたくないのかな?
家なら風呂でするからすぐ洗えるんだけど、問題は外でおしっこしたとき。
おしっこしたら皮の中で臭くなるから洗いたいんだけど、手洗い場だと蛇口遠すぎる。
誰でも使えるちん◯ん版のウォシュレットが欲しい。というかその文化が根付いて欲しい。
ハンカチとかメンズビオレの洗顔シート持ち歩いてるから困る事までは無いけど、ちん◯ん洗えなくて不便というかモヤモヤするというか。
増田に文化として根付いてるお気持ち長文、アレはまったく無視されるやつであれ最終的にすげえ伸びるやつであれ、最初は「うんち」「長すぎ」みたいなトラバがつくもので、基本的には嫌がられてるものだと思う。
俺もいろんな増田のいろんな増田が見てえなと思ってスクロールしてるところでクソ長い記事が混じってるといや長えよ要約しろなんて思うのだが、一方でこんなに長い文章が書けるのはすごいなあと素直に感心もするのだ。
なんせ書けない。夏休みの作文(800字)でつまづいてたんだから、根本的に長文を書くことが苦手なのだ。自分としては結構長文を書いたなあと思っているエントリを引っ張り出してきて文字数カウントにかけてみたら698字だった。夏休みの作文にすら届いていないというのはなかなかショッキングだ。
どうやったら長文が書けるのかってのを考えてみると、まあやっぱり気持ちの大きさなんだろうな。スーパーに行って出来合いのピザを買ってみたら思ったよりうまかったよ!なんてテーマでそんな何千字も書けないが、自炊するならピザを作れ!という強い気持ちがあれば5181字書けるのだ。あの増田そんなにあったのかよ。怖えよ
ここまでで500字ちょっとで、俺はこのあたりから結構書いたなあと感じ始める。でもこの10倍くらい書くのがお気持ち長文というもので、マジで空恐ろしい。いくらスクロールしても終わらないんだもんな。参ってしまう。
長文でも箸にも棒にもかからない文章ってものが結構流れていく(これもそうなる!)のが増田の魅力のひとつで、しかもそういう流れていく長文に限って気取ったタイトルが付いてたり読者への呼びかけが入ってたりする。ふはは、てめえの声は誰にも届かねえよと思いながらいよいよサルベージされない場所へと押し流されていく増田をみるのは小気味良くて、再投稿されると冷や水を浴びせられたような不快感がある。ダイアリーって名前なんだからあくまで日記であって、無視されたからってもう一回掲げなおすようなものではなかろう、と俺は思うからだ。Twitterかなんかでやれよな。
900字近くまで来た。これでもまだ長文ってほど長文らしさがないので、普段見ているお気持ち長文たちがどれだけすごいかがわかるというものだ。アレ1時間とかかけて書いてんのかな。創作やってる人が多いから文章かくのに慣れてるっていうのはありそうだ。
旅館に行きたいという気持ちがずっとあって、この前は一室の絵まで書いた。べつにすごい景色とか素晴らしい浴室なんてものは求めてなくて、むしろこぢんまりした感じのほうが好ましい。虫がいるのは嫌だけどな。半年前くらいに彼女と旅館に行って、俺は結構いいところだと思ったのだが女風呂の状態がメチャ悪かったらしく彼女が悲しんでいた。風呂には藻のようなものがあり、そのへんに虫がいて…と、ちょっと信じられないようなことを言っていてかわいそうだったな。次どこかに行く時は彼女も楽しめたらいいんだけど、その次がいつになるかがわからない社会情勢になってしまった。
コロナ禍でガラガラポン…という儚い望みはあるものの全然叶わなそうで、それだったらさっさと収まってほしいが、とはいえここで収まったらただ損するだけな気もしていて、やっぱり社会が破壊されるくらいにまで粘って欲しいという気持ちもあるものの、近所の店がシャッターを下ろしていくのをみると悲しくもなるので難しい。
https://twitter.com/tabbata/status/1263823271012691968
ライブドアがボールペン買うにも稟議が必要だったらしくブラックだって叩かれてるけど
きっとこれにブコメしてる人は永守会長のことはそもそも知らないか
経営不振の会社を買収して立ち直らす敏腕経営者だと思ってるよね
おれは経営者じゃないし経営方針に正解があるわけじゃないと思うけど
購買部とか資材部がない会社はアイミツ取ってる余裕はないのはわかるけど
そして実際日本電産グループのネゴはやばくて仕事してて逆に感心する
詳しくは書かないけどここまでやるのか!?ってくらいのことをしてくる
パソコンじゃなくてボールペンだろ?とかそんなものに時間かけるのはムダだって意見もわかる
でも社員全員にそういったコストカットの文化が根付いてるのは強い
ライブドアがなんだかんだ強かったのもうなづける
小説を読んでいるとたまに出てくる言葉で、今まで読み飛ばしていたのだが、改めて調べると面白いことが分かった。
そもそもインド更紗、ジャワ更紗、ペルシャ更紗、シャム更紗など、「更紗」にさまざまな種類があり、なにをもって「更紗」と呼ぶかが一貫していない。一般には天竺風の唐草、樹木、人物などの文様多色に染めた木綿製品を指すが、日本製の更紗には絹地のものもある。
木綿を用いていて、折ることではなく染めることで模様をつけている異国風のもののを、概してそのように読んでいるらしい。元来「日本後紀」によれば、綿の伝来が799年のことだが、栽培方法等がよくわからないままに絶滅してしまったとのことである(そういえば羊も伝来したが根付かなかったし、乳製品は伝統的な日本料理ではほとんど見られない。「醍醐」「酪」の記録そのものはあるのに)。木綿が本邦に根付くのは室町時代を待たねばならない。米作よりも収益性が高いこともあって、江戸中期以降生産が盛んになり、広く普及したそうである。