はてなキーワード: 晩年とは
理系離れってよく聞く。
1970年代に働き盛りだった団塊以上に聞くと、工学部はとても難度の高い分野だったという。でもやりがいがあったっていう人もいた。
しかし、結局、理系は文系より不遇という社会的通念の存在がある。
若くて安くてよく勉強して働いてくれる理系はたくさん消費され、人生晩年になるにつれ科学技術の進歩についていけなくなって理系を後悔する人もいる。
成功した理系は語られ、最先端の技術はよく報道されるけど、理系に進んで出世できず失敗した理系の話は報道されない。
理系に進んでも圧倒的に収入も出世も負けてしまうのに、理系っているの?
理系を安くこき使って消費していくのはなんでなんだろうね。
ライブ映像が好きで、好きなミュージシャンのライブ映像をよく漁っているんだけど、彼らが若いころの(若いってほどでもないかもしれないけど)映像を見ていると、表情や全身から大量の熱を振りまいていて、そのエネルギーを見ていると泣けてくる。あるいは、今となっては見せない一生懸命感とかね。
そんなわけで、おれが涙した映像を紹介させてほしい。
それぞれのファンにとっては既知のものばかりだろうが、その辺はご容赦願いたい。
https://www.youtube.com/watch?v=3od114a4o7Y
1982 のライブ映像らしい。彼は 1949 生まれらしいので、33 かそこら。年をとっても自信たっぷりで確信にみちた表情は変わらなかった彼だが、晩年はやはり体も縮んで声が出てないところも多かった。このライブ映像では声はもちろん、表情からも体からも、あらゆるところから熱を発しており、その輝きはおれの涙腺を強烈にキックするわけです。残念なことに彼は 2011 に他界。
彼を知らない人はまずは 49:40- の Alien を聴いてみてほしい。ついでに言うとこの映像に含まれない名曲もたくさんあるので興味あれば掘り下げていただければ。
https://www.youtube.com/watch?v=9ZNVhiOY_ug
ギターを手にする人にとってはスライドギターの人として、映画好きの人にとってはヴィム・ヴェンダースの劇版の作家として、もっとも一般的にはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの仕掛け人として知られる Ry Cooder。この映像は日本の BS で流れたモノらしく 1987(日本語字幕では88と表記されてるけど。。) のライブ映像とのことで、このとき彼は 40 かそこら。
ゴスペル/テックメックス/カリビアン といった要素のミックスなんだけど、それぞれのプレイヤーがズブズブに土着音楽をやってる感が強い。それを一つにしているのは Ry Cooder の才能という他なく。。それぞれのプレイヤーがそれぞれのバックボーンから全力で音を発しているにもかかわらず、たった一点に収束するその集中力と音楽への愛情はおれの胸を深く打つのです。
https://www.youtube.com/watch?v=EkM3Wiy7j5Q
ジャズを聴かない人にとっては「誰?」って感じかもしれませんが、長年にわたって最重要プレイヤーの一人。ジャズ界隈で活動してるんだけど、彼もまたアメリカンルーツミュージックの求道者。(ただ、多作で時期によってやってることが全然違うため一言で説明しずらい人でもある。)
この映像は彼が 42 ぐらいの時のものでボブ・ディランのカバー。カバーを良くやる人で、いずれもオリジナルのもっとも重要なエレメントをきっちり握っている。
また、彼は客演で非常に良い仕事をする人。驚くほどあちこちに顔を出しており、どこに行っても自分の世界全開にもかかわらず、それがその曲の重要な要素を際立たせるという触媒のような人です。
映像の演奏は奇をてらわないアレンジで、美しいコードの上で朴訥としたメロがフォーキーさを増しており、それはやさしくおれの心に触れるのです。
結構大変そうなアレンジを楽器にかじりつくように弾いていて、弾き終わった後に見せる表情は今となってはあまり見られないものではないかと。
https://www.youtube.com/watch?v=lYbrrbbnXnA
現在では WAR と LOW RIDER BAND の 2つに分裂してしまった WAR の 76 年(だそうだ) gypsy man のライブ映像。キンキンに集中したライブ演奏は 70年代の WAR の特筆すべき点の一つだと思う。なかでもこの映像の BB ディッカーソン のガッツあふれるベースは何度聴いてもおれの胸の奥に熱いものをあふれさせてくれるのです。
個人的には、ディッカーソンはソウル/ファンクにおいて最重要ベーシストの一人だと思うんだけど、あまり注目されない(おれが知らないだけで、ベーマガなんかで特集されてるのかもしれないけど)のでぜひ。
WAR は主要メンバーの何人かはすでに他界しているが、ディッカーソンは LOW RIDER BAND で健在なもよう。
https://www.youtube.com/watch?v=wln_zQsynNY
spilit が凄いのでこちらもぜひ。ダルな前半からサックスソロをきっかけとして風景が変わっていくこの流れは WAR にしかできないと確信できる。
https://www.youtube.com/watch?v=zSnbV1FrIhA
最近ではベースはTMスティーブンスに弾かせて、自分は歌ったり叫んだり、ライブハウスの壁を登ったりしている Bootsy ですが、ただただ全力で音楽をやっていたころがあったようで。
I'd Rather be with you は今でもライブのハイライトなわけですが、若いころは熱の入り方が全然違う。映像は 1976 年とのことで、51年生まれの彼は 25歳?ですね。。そら熱も入るわ。wiki 見ると、75 年ぐらいまで P-funk 界隈とかかわっていたようで、映像は初リーダーアルバムが出た年。
funk 独特の時間をかけてじわじわ熱を込めていく前半のあの感じから、キックとコーラスがモゴモゴと盛り上げていく中盤、そしてついに歪んだベースソロに入って行く流れ、もう涙腺崩壊するしかないという。
http://anond.hatelabo.jp/20150416201757 へ
増田の悩みはとっくに解決済みなのだ。たった一行で解決方法を書くことができる。しかしいきなりそれを書いても素直には受け止められないだろうから、先にこんな話を紹介しよう。
「俺は入門する前から上手かった。とても上手かった。上手すぎて誰も俺の落語を理解できなかった。
稽古した結果、俺は下手になった。下手になったおかげで、客は俺の落語を理解できるようになった。
だが下手じゃ悔しい、下手なままじゃいけないと思って、もっと稽古した。そのおかげで、俺は人並みになった。
今俺は、人並みでいるために稽古している」
真剣に勉強すればするほど、自分の知識があやふやであいまいなものであることに気づく。実は自分が何も知らなかったことに気づく。
どんな分野でも、第一級の大家と呼ばれる人はみな、驚くほど謙虚なものだ。
それは彼らが、自分の業績が先人の膨大な遺産の上に成り立っていることを知っているからであり、未解決の課題が山のように広がっていることをありありと眼前にしているからだ。
歴史関係で三国志が話題に昇った時、非常に地味だったという記憶がある。
何故なら、呉といえば大事な戦が孔明の引き立て役となった赤壁、周瑜が頑張った荊州南郡、呂蒙が頑張った樊城、陸遜が頑張った夷陵、孫権が大敗した合肥と
数えるほどしかなくて、その中でも孫権自身が直接赴いた戦争が合肥くらいで、
その上、張遼に始まって満寵や曹休(石亭でのやり返しは陸遜・周魴による)、王凌などにボコられて負けたくらいのエピソードしか持たない
戦争に行けば必ず負ける郭図のような人物だったらしい。
そのため、甘露寺での劉備との同盟といった正に英雄と呼べる場面もあるのに
張昭の家を放火したり陸遜を根拠なく憤死させたり二宮の変での優柔不断さが原因で呉の滅亡を早めたりと
対する曹操が徐州大虐殺、劉備が長坂で妻子を捨てて逃げた事なんかよりもずっとクズだし、
何よりも孫権は上二人の英雄に比べて戦争に強いイメージがなければ、政治家として優れてたかすら疑問だ。
何せ、これまで暗愚扱いされてきた劉禅は宦官政治で朝廷が腐敗したとしても少なくとも40年は国を維持してきたとして
良君として再評価されつつあるのに対して、
孫権は二宮の変や晩年の後継者選び等の老害ぶりを発揮したおかげで若い時の事績が霞む程の暗君ぶりや兄孫策の偉業を評価せず
皇帝即位後、父は皇号だったのに兄には王号しか与えなかった事からも孫権自身の人間性を物語るのに十分だ。
そのため、彼に関して三国時代の三人の名君の一人に挙げられるとこれまで評価されてきたが、筆者はそれには否としたい。
偶然三国時代に入ったため、たまたま呉国の君主だった孫権が英雄扱いされてしまっただけだろう。
お疲れ様。今はすごく大変だしショックな時だと思うけど、ご自身の言うとおりそれは病気の症状だから、どうかあまり気にしないで距離を持って事態を見られますように。
私も祖母が認知症になって、同居から終身介護のホームに入所させるまでを何とかこなしたけど、やってる最中は辛かったよ。気持ちわかる。
祖母も通帳の類をなくしては盗まれたと騒いでいた。本人は盗まれたと思っているので新しい通帳をさらに難解な場所に隠し、また見つからなくなるの繰り返し。
他にも、私が留守の間の徘徊防止に家のカギを増やしたら祖母から酷いと怒られるし(本人の気持ちを考えれば当然でもあるので、余計辛い)、閉じ込めるだけでは解決にならないので世話のために休職を求めたら上司に嫌味言われるし。自治体の介護担当の人に相談して、可能な範囲で手助けもしてもらったけど、思ったより可能な範囲は少なくて、まるで「あんたの家は手を差し伸べるほどの状態じゃない。その程度で泣き言言うな」とシステムに言われたようだったし(職員に、ではない)。もう、「私は本当に酷い孫で役立たずの社員で甘ったれの寄生虫市民なのかも…」と思ったりして、辛い。
それでも祖母にはそれなりの財産があって、完全に何も分からなくなる前にキャッシュカードの在り処と暗証番号を聞き出せたので、そのお金で良いホームに待たずに入れたのは恵まれていた。
まあ祖母からすればそれも、盗んでるのとほぼ変わらないだろうけどね。
ただ、ホーム入所して落ち着いてから考えてみると、祖母もかわいそうだなと思う。
認知症になったからって、初期段階では感情や意識まで鈍るわけじゃない。彼女の認識の中では、自分には全く覚えがないのに通帳が消えている状態なわけで、そりゃあ盗まれたと考えても不思議はないだろう。
私の祖母は元々はとてもしっかりした人で、自分で通帳をなくすなんてこと晩年まではあり得なかったから、その頃の意識のまま記憶だけが混濁したら、さぞ不可解で恐怖だろうと思う。
かわいそうだからと言って、結局は無理やりどこかに押し込める以外できないのがまた辛いところだけど。
ちなみにホーム入所後、最初のころは「家に帰る」と言っていた祖母だが、数か月もしないうちにホームになじんで楽しそうにしていた。
私自身は介護の時も、辛さやら色々な感情があって優しく接することが出来なかったけど、ホームの人は誕生祝いをしてくれたり寄せ書きをくれたり、とても良くしてくれるから。
こんな場所だけど、お礼を言いたい。ホーム職員の皆さま、いつもありがとうございます。本当に助かっています。
結論からいうと、結局、あなたが現時点で一番魅力を感じているところに行くのが一番よいと思う。
というかはっきり言って、志望学科も志望動機も書かれていないこんな文章では、正直なところアドバイスといったってまともなことは何も書けないんだよね。あなたがどういう人で、なぜ阪大基礎工を志望するに至ったのかということがわからない以上、どこの大学があなたに合っているとも言いようがない。これでは誰も有効な助言はできないと思うよ。
仕方ないから適当に思いついたことを散漫に書き殴らせてもらう。なお、元増田の文章から立地に関する制約(有り体に言えば親御さんの懐具合とか、あるいは自宅通学圏内にせよとのお考え)はないものと判断させてもらった。もし東大・京大・阪大のうち実際には通学が叶わない大学があるなら、そこは除外して読んで欲しい(というかその場合はそもそも選択肢として提示すべきじゃない)。
まず、大学選びの基準という意味ではこれが王道と考えるのが普通だと思う。でも、これは誤り。はっきり言って工学部と言っても守備範囲は広いし、このレベルの大学になってくると研究レベルは研究室単位で違うので、どの大学が本当に実力があるかなんて判断はおそらく誰にもできない。
もし研究レベルありきで大学を選びたいのなら、それは学部入試じゃなくて大学院入試の段階にすべきだと思う。それも多分、実際にそれを判断できる能力が付くのは博士進学(もしするのならば)の頃だろう。というわけで、そんなことは気にしなくて良い。
ただ敢えて言うのならば、東大は研究室が多いので選択の幅が広いような気がする。ただそれは私の分野に限った印象だろうからなんとも言えない。
これについては私は京大しか行ったことがないので周囲の人を見ての不正確な印象論だけれども。
・東大は一番カリキュラムがしっかりしていて良くも悪くも強制的に勉強させられる。進振りがあるからテストの点も重視。
・京大はカリキュラムの縛りが緩い。自分で「何を学ぶか」をかなり自由に設計できるが、際限なく堕落することもできてしまう。
まあ、京大と阪大の比較は高校か塾の先輩にでも電話かけて訊いてみるのが一番早くて正確と思うよ。阪大志望するような人の周囲には大抵そんな先輩がいると思うけど。
実はこれが重要。大学時代というのは、特に独り暮らしをする場合、生活全てをどのように過ごすかによって大きく変わる。
・京大:観光都市の端っこ。良くも悪くも俗世間から隔離された空間。求道から堕落までお好きにどうぞ。
当然、京大に行けば世間に煩わされずに済む代わりに疎くなる。東大にいれば良くも悪くも世慣れする。阪大はその中間。
今のあなたにとってどれが合うか、だね。それは自分で判断するしかない。
あなたが関西人だと想定して言っておくけど、関西の外に出ると阪大ブランドは暴落するので注意すること。あなたは多分早稲田や慶応なんて阪大の滑り止めだと思ってるだろうし受験という観点ではそれは正しいのだけれど、ところが世間の認識はさにあらず、たとえば東京の人間は阪大なんて早稲田や慶応のずっと下だと思ってるからね。京大でもようやく早稲田や慶応と同格かちょっと下かっていう位置づけ。
この認識の差は、文系就職するのでない限り就職活動なんかで不利に働くことはないけれども(技術職の人は阪大の研究レベルの高さを熟知している)、あなたの性格によってはその後の人生で誇りを傷つけられることになるかもしれない。そのことをどれだけ重大に考えるかはあなた次第。
浪人は必ずしも悪いことではなくて、特にあなたが社会的成熟よりも知的成熟の方が先行したタイプなら、浪人という逆境を経験することは前者を後者に追いつかせる機会にもなり得る。そういう意味で、もしあなたが浪人を必要以上に怖がっているのなら、それは一面的な見方であるとは言っておく。
ただ、経済的には浪人の負担は意外なほど大きい。これは親御さんだけでなくてあなた自身にも言えることで、同い年の人よりもスタートが1年遅れるということは、将来的にリタイアするまでに稼げる年月が1年短くなるということになる。そして大抵の人はキャリアの晩年近くに収入のピークが来て、阪大卒だとおそらくその頃にはかなりの確率で年収1000万円ぐらいになっているから、浪人することは1000万円損することだとも言える。その辺をどう考えるかだね。
これについて私が個人的に問題を感じるのは、センター試験と模試の点数だけで合格できるかどうかを考えていること。
そうじゃなくて、実際に過去問を解いてみてその手応えで考えるべきなんじゃないの?センター試験と二次試験じゃ問題のレベルが余りにも違うし、合格点も違う。このレベルの大学は、センターの問題なんて朝飯前にこなせる人が受けるところ。模試なんて数ヶ月前の実力の目安にすぎないし問題も所詮は模造品にすぎない。
過去問をやってみることが一番大きな判断材料になるはずなのに、それをやらないでどうするの?
はっきり言って、目の前の課題に対する自分の客観的な実力を測ってみようという発想がないのはちょっと心配だよ。そういう問題解決能力はどこに行っても重要だよ。
先日ノーベル賞を受賞された中村修二氏は現在、カリフォルニア大学サンタバーバラ校で教授をされている。カリフォルニア大学の教員はカリフォルニア州の職員ということになっているので、得ている給料は外部にすべてオープンにされており、以下のサイトで閲覧が可能で、2013年には358kドルだったようだ。この待遇はうらやましい。
米国のアカデミアではfull professor として20万ドルをもらうことは珍しくはないが、彼のサラリーは60歳のアメリカの教授としては平均よりも上にあると思う。日本では教授職についても半分以下しかもらえない。米国には定年もないし、何しろサンタバーバラはカリフォルニア南部にあって温暖で風光明媚で一時間もドライブすればロサンゼルスで日本の食品も手に入る。彼には才能があり世界が認める実績があるのだから、思う存分研究に打ち込んでいただいたらいいと思うのです。日本国籍なんてなくていいじゃん。
で、米国の市民権はグリーンカード取得後5年で取得可能となる。日本の法律では外国に帰化した時点で日本国籍の喪失届を行わなくてはならない。たまに喪失届を出さなくて「俺は二重国籍を保っている」とか、「正直に喪失届を提出する情弱乙」などというバカがいるが、日本のパスポートの更新の際に、外国籍を持っているかどうか尋ねる欄にウソを書かなくてはならないので、その時点で法律を犯すことになる。グリーンカードの維持は結構大変だ。再入国許可証を発行してもらわないと、半年以上を連続して米国を留守に出来ないし、再入国許可証の申請回数も無限ではない。経済的な基盤が米国にある際に、こうした事が面倒になって米国市民権を取る人も多い。
日本は海外での出生などの特殊な事情を除き、基本的に二重国籍を認めておらず、彼が米国国籍を持つことは皆の知るところとなっているのだから、その時点でルールとしては彼は日本国籍は喪失している。でもそれがどうしたんだと思う。軍からの研究費を獲得するというもっともな理由があるのだし、晩年に日本に帰って日本国籍の再取得だって出来る。国を捨てたと言えばセンセーショナルに聞こえるが、住民票を移したという感覚に近い可能性もある。
最近清原和博をめぐるニュースが、薬物疑惑、DV、劇太り、後輩の離反、仕事の激減、離婚などなど、あまりにひどいものばかりだ。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。
1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。
かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典や秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラの現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手は石毛や秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。
清原はいつから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年の巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。
それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれた技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年頃から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂や伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しい選手ではあったが、この頃から徐々に打撃そのものが劣化している印象があった。
特に1995年は失望の年だった。春のキャンプで清原は肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン後半に走塁中の肉離れで長期離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。
この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身の打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山、石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原の自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグの球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである。
それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神の不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民的スターの器ではない(ある種純粋な人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌の清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。
2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニングで野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障で長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックスにトレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄に全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。
誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。
母は俺が小5で他界している。
両親共々、ガンで他界したが俺は母親に出来なかった分の親孝行をしてきたつもりだ。
親父は事業を興し、それなりの名の通るモノを持っていたが乗っ取られた過去がある。
ほぼ同時期に妻を亡くし(俺の母)、あったはずの保険やら年金やらすべてなかった。
親父の気質もあったが、年金など要らぬ逝く時は迷惑をかけずにいくと言っていた。
俺が金を出すと言っても医療保険も拒絶する。
飯を作り、風呂に入れてやるのが俺の楽しみの一つでもあった。親孝行出来ると。
親父が逝く直前に付き合い始めた女性がいる。
お互いをよく知らないのは当然だが、俺が親父の危篤の知らせを受けた横には居た。
親父が逝き、親父の話をする事がどうやら不快で
怒りを抑えつつも会話をしたが・・
そう言い放つ彼女。
まだ、親父が逝って2ヶ月
「男側からしたら、結婚メリットねえし、年収とか学歴とかイケメンとか、そんだけ条件つけばそりゃ絶対男は結婚できんわ」
→「どーせ女に相手されないんだろ、そもそも顔とか年収でなく、お互いに支え合えるので結婚してる人だってたくさんいるし」
→「だけど遺伝的なこと考えて不細工と結婚できないだろ?年収ある男と結婚して楽したいんだろ?」
女側の反論、普通にあると思う。
というのも、社会とかは元々男が働きやすいように作られているから女には都合悪い。男に都合の良い社会のルールを出して女を叩くってのは、黒人差別に似ている。
黒人に不利な社会のルールのなかで、社会の倫理を取り出して黒人を叩くという方法ロンがよくなされた。「黒人は白人の奴隷で居た方が精神衛生上よい」というのがガチで根拠として語られていた。
といっても、男からしても、「論理的に考えれば男の主張が正しいだろ」というのもある。
がしかし、『論理』という道具すらも、男が有利になるように作られている。一見公平な道具に思えるが、「男は理屈で考える」→「理屈に適した道具としての論理が発達する」→「論理によって科学など社会が発展した」→「女の能力に適さない『論理』によって男が天下を取る」。
この流れで言うと、白人が銃を作れるから黒人を奴隷に出来たのと同じ論理じゃないかと感じる。
女は女でコミュ力とか、晩年の人付き合いとか、我慢とか。なんか論理以外での感性とか、明らかに男より優れてる部分があるが、それが道具として発達していないのが現状だと思う。
男子校、女子校がエリート学校では多いが、これは男女で理解のしかたや得意な学習法が異なるので当たり前。
論理的に女がおかしいから、女はおかしいというのは、おかしな論理だと感じる。
女は社会に適さないんだから、男女平等にのっとって男みたいに生活するの哀れ。という論調、確かにあるとは思う。
がしかし、社会のトップの半分が女になって、社会が変えられるとき、これはまた新たな社会の誕生とナル。
女にとって都合の良いルールが作られていく打ちに、だんだん男女の均衡がとれて平等な社会が寝られていくんじゃないの?現状は女にとっては哀れだけど。
社会にマンパワーが増えるとより発展しそうだから、ありなんじゃないの?
昔は農業に携わる人口で労働力が食いつぶされて発展が遅かったが、緑の革命で第一次産業の従属人口が一気に減ったのが社会に新たな変化をもたらしたもののように。
私は世間で叩かれるほどの大物ではない。一介のエンタメ作家で、しかもキャリアも浅い素人みたいなもの。ただ、日本がいつまでも平和で、人々が安全に暮らしていける国であってほしいと願っているだけ。そのためには何が最善かを考えて発言しているにすぎない。— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2014, 5月 20
彼が海外における日本のイメージをどれだけ毀損しているか知らない日本人が多い。
なぜか。
日本人にとっては、彼は単なる探偵ナイトスクープの放送作家上がりの思想的に右よりの売れっ子作家であって、
彼がいくら「南京虐殺は存在しない」(数じゃなくて存在の否定!)だの「人間のクズ」だの、他国を馬鹿にする発言をしようと「また、百田尚樹が変なこと言ってるな」と捉えて終わりだ。
彼自身「私は世間で叩かれるほどの大物ではない。一介のエンタメ作家で、しかもキャリアも浅い素人みたいなもの」と言っているように。
「Naoki Hyakuta」なんて知らないし伝わらない。「一介のエンタメ作家で、しかもキャリアも浅い素人みたいなもの」と伝える訳がない。
当然見出しは「日本のBBCの放送局の委員が~」「安倍の側近が~」をしたという風に書かれる。
つまり、率直に、"NHK Governor: Nanjing Massacre 'Never Happened'と書かれる。当然だ。これを見た海外の人はどう思うだろうか。
http://thediplomat.com/2014/02/nhk-governor-nanjing-massacre-never-happened/
http://www.bbc.com/news/world-asia-26029614
”Japan's conservative government has made a series of right wing appointments to the board of NHK, one of the world's biggest public broadcasters.”
これは「BBCの委員がホロコーストを否定し、何のお咎めもない」に相当するものであって、
百田や籾井が失言をする度に、このような表現で報じられるので、もはや日本の国営放送は完全に偏向的で、日本人は過去の歴史を否定するようBrainwashedされてると思われている。
当然のように、このHyakutaなる人気作家はAbeのお気に入りでメンバーに選ばれたとの説明("handpicked by Prime Minister Shinzo Abe ")がされることが多く、それは実際正しい。
安倍首相も似たような思想を持っていると当然海外では思われているし、政府の抗議を受け修正したものの今年の3月に、NY Timesが
""He and other nationalists still claim that the Nanjing massacre by Japanese troops in 1937 never happened.""と書いたように、これが海外での共通認識となりつつある。
これは単なる漫画家であり、何の公的委員でもない、美味しんぼの作者が毀損する日本のイメージに比べても悪質だ。
結局のところ、百田尚樹がNHK経営委員であり続ける限り、この問題は続く。彼が「失言」をやめるはずがないからだ。
その度に、「JapanのBBCの委員でAbeの側近」があれこれした、こんな酷いことを言った、日本はどれだけ右傾化しているんだ、という記事が止むことはない。
海外の人は百田尚樹のことを単なる面白発言する関西弁の右よりのおじさんとは見ない。また「百田か」などと思わない。これは籾井に関しても同じだが。
日本の公共放送の代表の発言として見る。海外メディアは彼を公的な存在として報じるほかない。これを忘れてはいけない。
引退したら政治家になって、中国に行ってハニートラップにかかりたい!中国4000年の秘術を尽くした性技を堪能する。しかし国は売らない(キリッ)。で、恥ずかしいビデオを暴露されて、嘲笑の中で晩年を過ごす。RT @KAORIng117: 引退したら何して過ごすおつもりですか?— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2014, 5月 17
本題に入る前に少しシリアスな話題があるので聞いてほしい。
男女にイメージについて聞くと面白い。男はほぼ例外なく目を閉じても真っ暗と答え、女は半数がありありとイメージできると答える。これはなぜか?
一方男性率の高い理数系の学部ではイメージを軽視する伝統的風潮が根深い。これはプラトンから来てるのだがな。本質を直観すべきでありイメージなど些末も些末、ゴミクズ同然という考え。対する女性率の高い芸術系の学校ではイメージを尊重する。『脳の右側で描け』に始まるイメ描きの連綿たる伝統があり、ナンシー関の記憶スケッチアカデミーは今や市民権を獲得した。
ここに来て先ほどの問いの答えが見えてくる。性差よりも習慣の問題なのだこれは。そして男である諸君は驚くほどイメージを軽視している。だから真っ暗なのに輪をかけて真っ暗。糅てて加えて真っ暗なのだ。
そこで世の中の男性に活、いや喝を入れようというのが本記事である。シリアスでもなんでもないくだらない前置きは終わりにしてちゃっちゃと本題に入ろう。
煮ても焼いてもまずこれをやりなさいというのがこれ。詰将棋マニアの巷間では「ブラ詰」とも呼ばれる。早い話が目隠し詰将棋である。脳内詰将棋という蔑称、いや別称もある。
こまけーこたーいいとして大切なことだけ言うと、これには2つのスタイルがあって1つがアイマスクをして符号の読み上げを聞くものでこちらが本格的なやり方。(そもそも符号ってなんだよってレベルの人はggるなりしてください)
もう1つが手軽な方法で詰将棋の盤面または印刷された紙を見て5秒で初形と持ち駒を覚えて目を閉じて脳内で解く方法である。ほとんどの人はこっちでやったほうが身のため世のため人のため。最初は詰将棋の入門書をテキトーに購入して1手詰めや3手詰めから始めるとよろしい。
先ほど理数系のイメージ軽視に賽を投げかけたが分かってる人は分かってる。暗算が得意なタイプがそれだ。私は一流大学の数学科を出て現在底辺大学の数学科にいるのでよく分かるが数学畑では手を動かすことをモットーとする物理畑とは正反対に計算が軽視される。しかし一流の世界ともなると話は別でノイマンのような暗算の達人が割といる。数学の天才には二種類いてラマヌジャンのような数覚がずば抜けたタイプは案外少数派なんだ。数論は数学の女王。岡潔も晩年は『情緒と創造』を著している。
底辺大学だと数学は論理の学問といったことを平気で言う先生もいる。論理は当たり前の大前提であり無味乾燥なつまらないものだ。そう世間で計算がつまらないと思われてるのと同じくらいに。実際、数学ではなくコンピュータサイエンスで計算理論を学べば分かるし学ばなくてもある程度想像がつくだろうが論理とは計算であってそれ以外の何者でもない。計算も論理もつまらないそのことには全く同意するが無価値というわけでもない。忘れもしない卒業の日同級生になぜ暗算をするのかと訊かれて私は暗算で扱う数学的対象に親しむためと即答し彼または彼女はもっと早く教えてよと地団駄を踏んでいた。
数学の素養がない人たちへ。最初はアイマスクを着用せずJSやJC(俗に言う小中学生)が学んでいる幾何のパズル問題(『目で解く幾何』シリーズなど)をやり次第に他分野や高校数学や大学数学科の数学や工業系の応用数学に守備を広げる。意識高い系より意識広い系で頼む。
数学科には将棋ならまだしも美術に造詣が深い先生が結構多いがそれに比べて写真芸術に関心のある人は拍子抜けするほど少ないと思う。つまり数学的美と将棋の美はクロスオーバーするが数学的美と写真芸術の美はオーバーラップしないということだということだ。つまり詰将棋と暗算の不足分を補うのにカメラはやはり大事なんだよなあ。
芸術論において言い古された表現だが音楽は音の瞬間の芸術であり写真は光の瞬間の芸術である。だからシャッターチャンスやチラリズムという言葉が端的に表しているのは瞬間性。写真家は人物や風景をとるとき手でフレームを作る。このあたり詳しく書かれた文献が少ないがこの切り取り方には必ず意味がある。単になんとなくバランスがいいからそう切り取るのではない。シャッターチャンスという言葉から誤解されがちだが確かに瞬間のおもしろさを切り取るのが写真芸術であるが決しておもしろい瞬間を切り取るのではない。この違いが大切でおもしろいものはわざわざ写真にしなくてもおもしろいのであって思い出アルバム程度の価値しかなく芸術たりえない。つまりおもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけりで、おもしろさを能動的に発見しそのおもしろさを表現するには今この瞬間しかないしかもこうフレームを切り取るしかないと断言できるのである。そんな見方を学べるのはカメラくらいしかない。数学では学べないし絵画もにているようで全く違う。写実的な絵画であれそこで必要とされるのはある種の演出でありもっと乱暴に言えば捏造であるから、あるがままの良さをうまく切り取って見せる写真的な見方とは根本が違う。
そんな見方を身につけて日常の「あれ」「おや」「あら」「おっ」と思う点が増えるとそれが理解や記憶のフックになる。理解というのは必ず興味から始まるだろう?しかし興味は洪水のように訪れて過ぎ去っていく。つまりアイデアマンはメモして興味を書き留める。だからメモする時間と労力すら惜しいのでだから「これならここが気になる」とフックをつけて興味をブックマークしておくことで未来の理解や記憶のきっかけになる。そういう面白い体験をしているんだよカメラマンという種族は。
以上簡単に見てきたがどれ1つとっても始めたその日から人生を揺るがす劇的な効果があるので試してみてほしい。また6つの方法は相補的な働きをするようチョイスされており、1つでも欠かすのはもったいないので6つ全部試してもらえるともっとうれしい。
ラフマニノフで2番と言えば、のだめでも取り上げられたピアノ協奏曲第2番が筆頭だろう。
その次に上がってくるのが交響曲第2番かな。
しかしピアノ協奏曲第2番はともかく、交響曲第2番はどうも苦手なのだ。
というかピアノ協奏曲第2番で初めてラフマニノフを知ったクチだけど、その流れで交響曲第2番に行ったのが間違いだったかも。
何が苦手って、この曲はとにかくクドい。ちょっとおかしいんじゃないかってくらいクドい。
言いたいことを言い表すのに、こんないっぱい要らないだろうという感じ。
3行でまとめろとは言わないが、聴くのも演奏するのも非常に疲れる。特に演奏は、弾いても弾いても終わらない感が半端無い。
曲そのものの長さで言ったらマーラーやブルックナーの方が長いけど、この曲はそれらの作曲家の曲よりも遙かに長い曲に感じてしまう。
むしろこの曲が好きな人は、一体こいつの何に惚れ込んだのだろう。
個人的にラフマニノフのオケ作品だったら、交響的舞曲が最高傑作だと思う。
後期ラフマニノフは微妙という人もいるけど、交響的舞曲については、晩年の作曲家の屈折した望郷の念が詰まった曲調が、尋常ならざる個性になっていて素晴らしい。
無限が言いすぎだとしても、おれのような平凡な人間ですら選べる選択肢は無数にあった。
無理に高望みした会社を狙いさえしなければあらゆる職種に就けるチャンスがあり、起業してみる事も、飛行機を使わずに世界一周することも可能だった。
最短コースで一流企業を目指したりするわけでもないのなら、それぞれの可能性をすこしずつつまみ食いしてから決めても手遅れになるってことはない。一生懸命やってる限りは大抵何をやってもコヤシになる。前に向かってさえいれば多少の回り道をしても結局は前進しているものだ。
なんだかんだで定職に就き、結婚し、周りの友達も同じような感じに「成熟」してくる。
子供が生まれたりする人もいるし家を買う人もいる。会社などでそれなりに重要な役目を担っているやつもいる。
そんな中にもいつまでも夢みたいな事を言ってる人がいる。
世界を放浪して生きていきたいとか、音楽で食って行きたいとか。
ずっとアウトロー(と言っていいのかわからないが)としてずっと生きてきた人ならまだわかるが、定職を捨ててまで突然に「やりたいこと」に気がつく人がいたりもする。
そういう人に対して「おとなになれよ」とみんなが言う。結婚して、子供を育てるのがまっとうな人間の生き方だと言う。
なぜうまく行っている仕事を投げ出すのか?将来の保証がなくなってもいいのか?のたれ死ぬかもしれないぞ?とみんなが彼らをたしなめる。
おれらを見てみろ。仕事は確かに大変だがやりがいはあるし、磨いてきたスキルと、そこそこの社歴や業界歴のお陰でお金もそんなに悪くはない。確かに金持ちにはなれないかもしれないが広くも狭くもない家で慎ましく子供を育てるんだ。お前もそうやってちゃんと先を考えた人生を歩めよ。楽しいことだけやって生きていけると思うなよ。しっかりと勤めを果たして小さな幸せを得るのが大人だろう。もう学生じゃないんだ、無限に広がる可能性なんて無いんだよ。
とてもまっとうな意見だと思う。
せっかく先進国日本で平均ぐらいの暮らしを手に入れたのだ。国家財政は先行き不透明とは言え保険制度も年金もある。このまま生きていればそんなにひもじい思いはしなくて済むのかもしれない。
しかし一方で人生の先なんかを考えてもしょうがないし、自分で敷いたレールに自分を縛り付けて我慢して生きるのはバカらしいのではないかと疑問が沸く。
決して刹那主義的な意味ではなく、いつまで生きるかわからない人生を我慢してやり過ごす必要はあるのだろうかと。
安定した仕事、穏やかな家庭を求める人が多くいるのは当然よく理解できるしまったく否定するものではないけれど、本当はそういったことに大きな魅力を感じていないのに無理やり自分を大多数に合わせる必要があるのかどうかがわからなくなる。
医者にもかかれず悲惨な晩年を送るのは嫌だけれど、晩年のためだけにそれまでの数十年を「なんとなく」「普通の暮らし」に合わせるべきなのだろうか。
バンドで売れる事を目指したり、外国の僻地でインチキ日本料理屋を開いたり、田舎で半自給自足の生活をしたり、地ビールを作ってみたりしてもいいんじゃないかと心が揺れる。失敗は怖い。キャリアを捨てればもとの稼ぎに戻ってくることはできないかもしれない。暖かい家でうまいものを食って発泡酒じゃないビールを飲みたい。でも、それだけでいいのかと不安になる。
一人で考え始めると視野狭窄に陥りがちだという自覚があるのでバカにされたり叩かれたりすることを承知で増田に書いてみた。
「やりたいことがあるならやればいい」とか「勝手にしろ」とか言われるのかなとも思うけど、自分でも何がいいのかよくわからなくなってきているのです。
何かの意見を貰えたらうれしい。