はてなキーワード: ルーチンワークとは
男
26歳
既婚
メーカーとか言ったけど最近色々悪事がバレてたくさんニュースになった会社のひとつ。
そこで4月から働いてる。入社して半年は研修と実習で実務に入ったのは10月から。
ただ、とにかく仕事ができない。基本的な内容もよくわかってない。
人のせいにするのは簡単だし、とにかく自分のおもっていることをつらつら書く。
まず先輩がポンコツっぽい。先輩に言われた通りにやって、これで課長に説明してきてと言われて説明したらどういうこと?これはなんで?どういう理屈?の嵐。
答えに詰まってたらたまらず課長が先輩呼んで、おんなじ質問したら先輩もだんまり。実務始まって1か月はそれの繰り返しだった。
だいたい月の中でやる仕事のルーチンが決まってるんだけど、そのたんびにこの繰り返し。
毎日の報告も月の報告もそう。なんとなくわかってきて自分で準備しても突っ込まれたら前と一緒。答えらえない。
どうしたらいいと思う?とか聞かれても知るかいなどうにもできんって思ってるからなんにもできてないんんじゃ。
他の細かい仕事(資材を買う雑務とか書類作成とか)も先輩にきいてもダーッと喋ってはいこんな感じやってみて、で終わり。もちろんわかんないから何回も聞く。
そんで前聞いたことも覚えてなくておんなじこと聞いて呆れた顔される。
3か月くらいしてなんとかルーチンワークはこなせるようになった気がしたけど、求められるレベルには達してないし、結局報告会が迫ってきて時間切れタイムオーバーで終わるばっか。
ぜんっぜんなんにもできてないし、成長していない。
朝から怒られるし、一度おこられるとその日一日相談したくてもなかなか課長のデスクまでいけない。体が動かない。俺はメンタルが弱すぎる。
これでも学生のころはそこそこできた。第一志望の大学には現役浪人どちらもおちて、そこそこの国公立大学に入り、大学院へ行き、学会に出て賞をもらい、奨学金も全額免除になった。
でも今おもえば、先輩がめちゃくちゃ優秀で、その恩恵にあずかってただけのような気がする。
結局自分はそこまですごくない、むしろ全くすごくない。できないダメ人間だったのだ。
今は仕事もろくにできないし、それでもたくさん仕事は舞い込んでやらなきゃいけないことが増える。片づけようにも一つ一つに時間がかかり、自分ではどこまでやればよいのかも判断できない。毎月同じことを繰り返して同じことで怒られて同じような末路をたどって次の月が始まる。それが10月から今日までつづいてきたし、これからも続く気がする。
なにをやってもできないし、何を言われても理解できない。理解が何か、理解してるってどういうことなのかもわからなくなってきた。何ができるようになったのか、全く分からないし、何ができればできるようになったと言えるのかもわからない。
ルーチンワークのほかに工場の改善業務も与えられている。生産量をあげるためにコレコレを改善しましょう、そのために調査もしましょう、みたいな。
それを毎週同じ課で進捗報告するんだけど、俺だけ何にも出来てない。8個案件があって、よくて週に半分しか手をつけられていない。
月末には部長に報告するんだけど、それも全然進んでない。案件によっては12月から進んでいないものもある。
他の人はちゃんとすすめられてるのに、俺だけなんにもできてない。もうどうすればいいのかもわからなくなった。自分で締切を決めて、1個1個つぶしていくんだとかアドバイスにもならんアドバイスもらって、はいすいませんわかりました進めますしか言えない。もう疲れ果てた。なんでこんなに仕事できないんだろうか。もうなにがなんだかわからん。
そんな中、4月から先輩が他部署へ異動する。今の工場は俺一人で管理することになる。
さらに、先輩は大型設備投資案件をやっていたがそれは自然と俺にスライドしてくることになる。
今ですら何もできていないのに、俺にそれまでやれというのか。何とかなると思っているのか。
野球の大事な場面で、全く使えないポンコツピッチャーがマウンドに上がってきたらどう思うか。期待なんてできないし、結果は目に見えてる。監督は経験を積ませたいとかいうのかもしれないけど、できなかったらできなかったでまた怒られるだけだ。ポンコツピッチャーには2軍での調整が必要なんじゃないのか。なんで俺にそんなことをやらせるんだ。
もうしんどい。疲れた。何もできない事実だけが広がっている。俺には何もできなかった。
これまで何度か、もう少しやれるかな、とか思った。でも無理だ。もう何にもできそうにない。
今日も朝から怒られて、課長から、何回も言うけどな、これはこういう考え方で~でお説教された。
社会に入ったら、社会人になったらみんなこんなもんなんだろうか。
俺だけメンタルがクソ弱くて、俺だけこんなにできないだけなんだろうか。
それともみんなもっとしんどい世界で生きていて、俺が甘ちゃんなだけなんだろうか。
俺は社会を全うに生きていけない人間なんじゃないか。俺はそこそこの大学を出ただけで、本質は社会に出ちゃいけない人間だったんじゃないか。
めたくそに怒られると後頭部がぼーっとしてくる。実務に入って怒られるようになってからしょっちゅうなるやつだ。
解放されて、トイレに逃げて、窓から飛べばすべて楽になるのかな、3階だから死にはしないだろうけど自殺未遂って事実は残るから同情されて仕事が減ったりしないだろうか、と考える。
会社やめて転職しようにもそんな自信は全くない。どこいっても同じだろうな、転職して今の会社の方がよっぽどマシだったなとか思うんだろうなとか考える。
残業時間も月45時間以内に抑えるし、無理やり100時間を超えるようなこともないし残業を強制する風潮もない。残業代も満額でる。
今の時代、それだけで恵まれてるんじゃないか、そこそこ名前のある会社に勤められて、待遇面・給与面・精神面全てが転職して楽になるとは思えない。
4月を迎えたくない。死ぬしかないのか。逃げるしかないのか。もうどうしようもない。
つらつら書きたいことはこんなことだったんだろうか。違う気もするけど、そもそも書きたいことなんて決まってない。
ちなみに会社の寮に住んでるんだが、その寮も3階である。でも会社の3階よりちょっと高そうだから、ここから落ちるのは痛そうだし嫌だな。
https://medium.com/@junpei9/それほどつらい仕事とは思えないのに公務員が病んでしまう理由-30c20561f812
まず「それほどつらい仕事とは思えない」という思い込みが間違っている。公務員の職場の忙しさはピンキリで、世間が思い描くような9時から5時でちょっきり帰れる職場ばかりではない。だいたい定時で帰れるような職場は窓口とか市民対応が多いので、たとえ定時で帰れるとしても常連クレーマーなどの相手をせねばならず、ストレスはたまる。
また、激務で有名な部署がところどころあり、その部署に行くと終電やタクシー帰宅は当たり前だ。出先でその手の忙しい部署に行くと、残業代の予算がないのでその分はサービス残業になる。そういう部署に限って、タクシー代もない職場が多い。土・日に出勤してこそこそと仕事を片付けるのが常態になっているところもある。そしてそんな生活について弱音など吐こうものなら「税金で食ってるくせに文句言うな」という世間の冷たい目が待っている。
ま、「それほどつらい仕事とは思えない」のところに関するコメントはこの程度にして、最大の問題点は「職員の個人差に応じて仕事内容や分担を調整しない」「人間の好き嫌いや向き不向きを無視している」というところ。概ね2~3年に一度のペースで人事異動をすることが多いのだが、頭の柔らかい若手ならともかく、ある程度歳をとって新しい仕事や環境になじむのが難しくなっている中高年にとってこれがどれだけ面倒なことか。職場の風通しを良くするという意味では人の入れ替えはある程度必要だけど、一部の有能な人を除き、頭の固い中高年に新しいことを覚えさせるのは、教える側も教わる側も恐ろしくストレスフルなことだ。
なぜか特定の仕事を特定の人間に長く続けさせない…というのが役所の人事の特徴だ。将来ある若手に、決まり切ったルーチンワークをいつまでもやらせておくのがもったいないというなら分かる。が、先ほども書いたように頭が固くなって過去に経験した仕事の延長でないとなかなか上手くこなせない中高年の仕事をコロコロ変えることに何のメリットがあるというのだろう?なるべくその人が若いときにやっていた仕事や、過去の評価で得意分野ということになっている仕事をやらせる方が本人にも周囲にもストレスが少なくて良いと思うのだが。
役所に適応して生きている人は、「仕事をえり好みするのはけしからん」と言うけれど、人間には向き不向きがあるという現実を無視している。たまたま不向きな仕事をやる羽目になり、「あいつは仕事ができない」という評価が定着してしまうと「他のジャンルの仕事をやらせれば上手くいくんじゃないか」という方向には行かない。また、「あの人は優秀だ」という評価になると、それなりに出世コースには乗るけれど、激務ポストばかりを回る羽目になり、プライベートを犠牲にすることになる。出来が悪いと思われても、よほどの問題行動をしない限りは給料を減らしたりできないし、優秀だと言われても給料が上がる額なんてたかが知れている。残業が多ければそれなりのものはもらえるけれど、そんなのは自分の身体と時間を切り売りしているようなものだ。仕事より自分の趣味の時間や家庭を大事にしたい人は、たとえ能力が高くても、それを100%発揮せずに70%出力ぐらいにしておいた方が平和な人生が送れるのではないか。役所なんて悪平等の巣窟だから。
まぁ役所は行政という立場で税金を使って仕事をしている以上、皆がやりたがらない仕事にも誰かを配属しなければならないし、職員が希望する職場に配属したとしても、その職員に与えられた仕事に相応しい能力があるかどうかは保証の限りでない。でも10年も20年も雇っている職員だったら、何が得意で何が不得意か、人事の方も把握してるんじゃないかと思う。少なくとも希望する仕事に相応しい能力を持っている職員には望み通りの仕事を与えてやれば良いと思うのに、なぜそれができないんだろう?今のままでは激しい環境の変化にも耐えられる職員と、希望でない仕事でもモチベーションを下げずにいられる職員しか成果を上げられないと思う。「人間は、自分のやりたい仕事をやるのが一番」という単純な原理が忘れ去られているのが、役所の人事制度の最大の欠点だと思う。
・技術のデメリットを見ずにメリットのみを主張し、受け入れられなければ既得権益が、老害が、と感情的に叩く
・ルーチンワークや実作業を軽視し、講演や会議、異業種交流会、イベントなど単発のできごとを重要視する
・ネットや本、雑誌などで著名人の働き方(ライフハック)を真似する一方、クラウドによる情報漏洩などのリスクには目を塞ぐ
・働き方に年齢は関係ない(一部は正論だと思う)と主張し、学習や下積みによるスキルアップを軽視する
・(得てして備わっていないことが多いが)実力があればマナーやビジネスプロトコル(業界慣習など一般的な仕事の進め方)などは関係無いと主張する
・所得が少ないことを、断捨離やミニマリスト、お金に縛られない生き方として正当化する
他に何かあるかな?
セクハラって言っても日常的にお尻を触られるとかそういうのではなくて、
と、いう風に上司は割り切っていたつもりみたい。
プロジェクトは佳境でみんな日夜頑張っていたから水を差したくなかったし、
上司がいなくなったらプロジェクトがうまく行かなくなるのは目に見えていた。
私個人としては拒絶せず、受け入れず、一般論として"セクハラはダメ"って誤魔化した。
初めてセクハラされたときは、後ろから抱きしめられた時に当たった上司の伸びかけた髭の感じが本当に気持ち悪くて、一週間くらいはその感覚を思い出して鳥肌が立ってた。
本当に会社に行きたくなくて、プロジェクトの節目で退職しようと決めた。
節目は節目にならなくて、仕事はどんどん忙しくなって、辞めどきを失った。
上司は酔っ払うと2人になりたがった。
だから飲み会には極力参加しないか、してもすぐ帰るようにしていた。
腹いせに、何かされるたびに1人、口が硬そうな社員を捕まえてセクハラを伝えた。
被害としてはそこまで大きくない。
私は平穏に仕事が続けられることの代償に、たまにお酒を飲んで、手をつながれて、帰りに不意をつかれて抱きしめられて、体の関係を持ちたがる上司をタクシーに押し込むルーチンワークをするだけ。
私はいい年のおばさんなので、これくらいの肉体的接触は家で飲んだお酒と一緒に吐けばなんとかなるし、
話す内容も仕事のことがメインだったので、それなりに私にとっても有意義だったのかもしれない。
でも、業務時間外の肉体的接触よりも、仕事中の私のことを見る表情とか、言葉の節々に感じる好意が気持ち悪かった。
結婚してるくせに堂々と好きって言ってくるのも、人間として無理。
それを除けば、仕事面では私のことを育ててくれる、平等でいい上司だった。
寧ろ普通は仕事で便宜を図る代わりに愛人になれ、では?と常々思ってたけど、上司は仕事との線引はきちんとすると言っていた。
事実、私の肩を持ってくれなくて仕事がやりづらいこともあったし(他に女がいる可能性もある)、
本当に何かされたら嫌だけど、私の事好きならもうちょっと何かないの?とか、さすがにこの仕打ちは酷いと思ったこともある。
私がセクハラを受け入れてないからこういう感じだったのかもしれないし、そこは上司にしか分からない。
ただ、上司は私に大きな裁量を与えてくれていて、それが私の仕事への評価によるものなのか、セクハラの対価なのかが分からなくなった。
セクハラの事実を知っている人が増えてくるにつれて、その人達に女を使っていると思われるのでは、と怖くなった。
だから、不安で、成果を出すしか無かった。朝からずっと働いて、無理な仕事量をこなすようになった。
セクハラできる、よく働く都合のいい部下になった。ある意味良い教育だったかもしれない。
周りから見たら理解できないメンヘラワーカホリックだったと思う。
仕事上では、きちんと上司と部下をやっていたので、上司と部下としての関係も深まって、
都合のいい部下には、上司の弱いところが見えるようになった。
所謂、情というものが湧いてしまったようで、部下として支えてあげたいと思ってしまった。
もう少し弱っていたら都合のいい部下から、都合の良い愛人にジョブチェンジするところだった。
態度が軟化してしまって上司に気を持たせたのは事実だし、自分を軽蔑した。
そういうのが全部嫌で、深夜に呼び出されてお酒を飲んだ時に、会社を辞めるって言った。
有難いことに来て欲しいと言ってくださる会社はある。
そんな話をしたら、会社は辞めるな気をつけるって言ったのに、朝が来て駅まで歩いたら、上司が抱きついてきて、部屋に来たがって、私の我慢の限界が来た。
素面の時に再度怒って上司は反省した様子。だから、退職するなと言われている。
私にも悪いところがあったし、もともとこんなことをするはずが無かった上司がこんな事をするのは心労のせいだし、一旦リセットして再度、心機一転やり直して欲しいっていう気持ちもある。
部下が立場上断れなくて、それを勘違いしてしまって、会社を辞めなきゃいけないのは可哀想だ、とも思う。
私は純粋なセクハラ被害者ではなくて、一部上司を受け入れても居たから、上司を責めることはできない。
私がこのまま大人しく我慢するか、上手に上司をコントロールできていたら、プロジェクトは問題なく進むかもしれなかったと思うと申し訳ない気持ちもある。
一番はじめにセクハラを受けた時に誤魔化さずに、傘で叩けばよかったのか。
でも、そしたらプロジェクトはここまでやってこれたんだろうか。
医者になってからずっと、このまま医者を続けていっていいのだろうかと考えている。
はじめに断っておくが、医者の仕事がキツいとか、仕事についていけないからやめたいとか言っているわけではない。
自分で言うのも何だが、私はそれなりに優秀な部類に入る方の医者だと思う。
仕事がキツいと思ったことがないとは言わないが、それが原因でやめたいと思ったことはない。
何が問題かと言うと、医者という仕事にどうしても楽しさが見いだせないことだ。
自分の治療によって患者さんが良くなるのはうれしいし、医者という仕事は感謝されることが多くてやりがいはある。
これは間違いないのだが、果たしてそれを糧にしてこれからの人生でずっと医者を続けていっていいのだろうか。というか続けていけるのだろうか。
医者になってはじめの数年は、このまま経験を積んでいけばそのうち医者という仕事に楽しさを見いだせるようになるに違いないと思っていた。
しかし、初期研修医が終わり、後期研修医が終わってもあまり状況は変わらない。
卒後10年くらいでこんなことを言われると怒られるかもしれないが、医者という仕事はある程度のキャリアを積めば、どういった環境で働くかにもよるが、その後はルーチンワークがどんどん増えていく。
この世に一人として同じ人間がいないように、同じ疾患の患者さんで同じ経過をたどる人はいないわけだが、それでもほとんどの場合何かしらの類型化は可能である。「あっ、これ前に見た患者さんと同じ感じだ」というのが増えていく。
そして、現在の流れとしてEBM(Evidence based medicine:臨床試験などの結果を踏まえた根拠に基づいた医療)を元にした各種ガイドライン化が進み、誰がやってもある程度同じ結果が得られるような体制ができつつある。
自分が優秀だとして、その自分の優秀さのおかげで患者さんの予後が変わるシチュエーションなんて、そうそう巡り合わない。まぁ、そんなシチュエーションに頻繁に巡り合うとストレスで寿命が縮むのでやめていただきたいが。
現実の医者の世界のほとんどは、医療ドラマにあるような派手な世界とは真逆の地味な世界だ。
誰がやってもほぼ同じなんて楽しいわけがない。まぁ、医者の楽しみのために患者さんがいるわけじゃないので、誰がやってもほぼ同じということはもちろんいいことなんだけど。
そして、きっとそう遠くない未来には、医者はAIの助言に基づいて最終的な判断を下すだけの存在に成り下がるに違いない。お先真っ暗である。
外科系や循環器内科などの手に職系の内科は違うかもしれないが、きっとそれもそのうちロボットに駆逐されるだろうと思っている。
それはさておき、そんな自分の現状を変えようと思って、臨床にいったん区切りをつけて、大学院に戻って今度は研究をしてみたが、これまたあんまり楽しくない。
それなりに優秀なので教授にも気に入られてそれなりに結果を出してはいるが、現在の医学研究は物量がものをいう世界になっていて、アイデアはもちろんだが、カネとヒトがないとトップジャーナルに載るような研究はほぼ不可能である。
もう数年は頑張って、なんとか博士号だけは取りたいとは思ってはいるが、将来的に主任研究者としてこの世界でやり合っていけるほど自分が研究に向いているとは到底思えない。
そんなこんなで、医者になってからずっと自分探しの旅が続いている。
傍からは脳天気な人間に見えるらしく、悩みもなく順風満帆なエリートコースを歩いているように見えるらしいのだが、内実は大荒れの海を彷徨っているかのごとしである。
よく、「好きなことを仕事に」とか言われるけど、好きなことってなんだ?
増田にこんなことを書いていることからわかるように、パソコンとインターネットが好きで、株を少しばかり嗜むこともあって、岡三RSSを駆使して自作した株の自動売買システムをいじくっている時が最近の一番楽しい時間だが、プロの投資家としてやっていけるような才覚はおそらくない。
医者とパソコン・インターネット好きということを活かすという意味では、医療ITベンチャーのスタートアップなんかも楽しそうではあるが、この年になって妻子を抱えた身としてそんなところに身を投じる勇気は残念ながらない。
AIとかディープラーニングとか、医療の世界でもっと活用できそうなことが転がっていて、すごく心躍る世界ではあるのだけど。
なにより、医者という身分はいろんな意味で居心地がいいので、なかなか捨てづらいものがある。
「医者の仕事に楽しさが見いだせない」とか言いながら、実際に臨床を離れると患者さんを見る機会が減ってかなりさみしかった。
今はバイトベースで外来や救急をしているが、患者さんを診ると充足感があるのは確かだ。
給料はいわずもがな。大学院生をしながら週1〜2回の外来・当直で妻子を養っていける。こんな職業は他にはたぶんない。
なんとなく不満をぶつぶつ言いながら、このまま荒波に順調に流されて行ってしまいそうな気がする。
的中率80%程度でいいから適職を知りたい。
システムが80%を外したので俺の青い鳥は逃げてしまった、という事なら今の人生にも納得できそうだ。
俺が今の人生に納得できてないのは、自分のデタラメな直感に頼って適当に生きてきすぎた結果、今ここで俺が人生を公開してるからだ。
折角だから暇なら少し話を聞いてくれ、「暇じゃないから聞かない」ってコメントをして帰ってくれてもオッケー。お帰りはあちらにある「B!」のボタンからどうぞ。
さてと、まずは自己紹介だ。
俺は昭和が終わる少し前に生まれた。少し前ってのが曖昧な言い方になってしまうが、これは文学的であろうとしているのではなくて実年齢を完全にはバラしたくないだけだ。
性格は最近流行りの「クラスで浮き続けて生きてきて、会社に入っても浮きっぱなしの、発達障害の可能性が高そうな奴」だ。
今の夢は何か知らんけど突然お金持ちになってニートになること。
今までに作り上げたゲームの数は入門レベルのSTGが2つぐらい。
書き上げた小説は0。
特技は無いけど職場でたまにタイピングの速さを褒められる。パソコンの先生ごっこを頼まれることはあるけど、基本的に役に立てないので3回目ぐらいで頼まれなくなる。
雑に見積もって日本人の100人に1人ぐらいはここまで自分とほぼ一致してるんじゃないかな。
将来の職業を決めようとしたことが人生で何度かあった。皆そうだし自分もそうだ。
13歳のハローワーク、大学の学部選び、就活本番、就活に失敗したあと再出発する時に模索した道。
子供の頃の夢はゲームプログラマーとさっき書いたたけど、子供の頃は割りと本気でそれを考えていた。パソコンを実際に買ってもらうまでは。
まず中学生の頃、パソコン部に入ってゲームを作ろうとした。でも実際はほとんどダベって終わった。その頃に部室にあった本の内容をそのまま手打ちして作った文字通りの入門用STGが人生で1つ目のゲーム。
次に高校生の頃、パソコン部にまた入って今度はちゃんとゲームを作ろうとした。駄目だった。自分もやる気なかったし周りもやる気が無かった。それでも何かを作ろうと空回りしながら一本作り上げたけど、ほとんどがネットから持ってきたコピペコードのスパゲッティキメラで、ゲーム内容も実につまらなかった。そして自分は、ゲームプログラマーになることを諦めた。
だって、自分と同じぐらいの年齢で面白いゲームを作っている人が沢山いることを、ネットを通して嫌でも知り得たのだから。彼らの中には小学生の段階でゲーム作りをしていた人もいる。初めて1年で凄いゲームを作る人もいる。自分は合計で4年ぐらいパソコン部にいて、作れたゲームはショボいし、プログラムに使った時間の合計なんて下手すら100時間あるかどうかのレベル。熱意という点においては微塵も才能がなかった。そして、生まれ持った熱意が低いなりにプログラムに没頭できるような数学的方面への才能も無かった。とにかくプログラムはよく分からなくて、苦痛だった。ただゲームプログラマーになってみたかったという夢の名残、ある種の意地が少しだけあって、それに他人を巻き込んでクソゲを作っただけ。それを目の当たりにして夢を諦めた。キラキラ業界だけあって、好きでないならやってけないほど辛いだろうなって気がしたしね。
ゲーム方面は諦めたけど大学はIT系に進んだ。IT系という括りの頭の悪さから分かるように、今でも自分はITをよく分かってない。その程度の大学に進んで、その程度のことを学んだ。大学のせいというよりも自分のやる気が足りなかったんだけど。
IT系に進んだ理由は、「コミュ障でもできそうだから」「今ITはブラックと話題だから、逆に自分が就活する頃には反転してホワイトになっているのでは」「職場でプログラム覚えてそれからゲームプログラムに再挑戦すれば一石二鳥じゃん」とか。全く理由がないよりはマシに見えて、実際は一見何も考えて無さそうに見える奴より何も考えてない。意識だけ高い系。
そして自分は大学を出て、就活の時になってもIT系はブラックだという噂が絶えなくて、噂を聞いてる内に怖くなって、公務員になろうと思った。
何で公務員になろうと思ったんだろう。
多分、IT系≒不安定 というイメージの逆を全速力で駆け抜けたかったんだと思う。
そう。自分には正しい情報収集能力がなくて、ネット回線の向こうから仕入れることが出来るのは噂話だけだったんだ。
そして、公務員試験に落ちた。
点数を調べたら笑っちゃうぐらい低かった。
面接で失敗しているうちに何だか消えてしまいたくなって、このまま就活を続けたら頭がおかしくなって大学も出られなくなるって気がしたので、とりあえずは大学を出ることだけを頑張ることにした。
そうそう、卒論をやっている時に人生で3回目のプログラムをする機会がやってきてたんだ。
卒業に必要な単位という餌をぶら下げられてのプログラム。プログラムを書いて報酬がもらえるシチュエーション。IT系に向いてるかどうかを試す良い機会だ。そして、何度もめげかけて、お情けで卒業して、自分はやっぱりIT系は駄目なんだなという確信を得て、大学を去った。
その後はダラダラと公務員試験浪人をして、たまたま相性のいい面接官にあたって公務員になった。
何だか全てが曖昧で何となくで前例主義の積み重ねの成れの果てだった。
エクセル方眼紙の体裁だけはシッカリしている事が求められるのに、中身に関しては大分大雑把な世界だ。
書類の形式がちゃんとしていることを優先するあまりに、他の多くが漠然とされすぎていた。
そのくせ、書類の形式が整っているというのはどういう事なのかということに対してすら、明確な定義は前例主義の中に埋もれていた。マニュアルなし。根拠文書は曖昧なスパゲッティの中で腐りかけ。根拠の根拠は多分だけどフィーリング。
仕事をしているとたまに【伊集院光によるお祓いの説明(ハチを箱に入れたから危険だと吹聴して噂に尾ひれがついてから回収するときに駆除料をせびるあの話だ)】を思い出す。
右から左に何かを運んでいるだけの仕事、それも、それを運ぶことに意味があるのかどうかすら曖昧な仕事なんじゃないだろうか、時折そんな不安がよぎる。
そういう時に、民間企業であったのならば「お金が入るならそれでいいんだよ」と言い張れるんじゃないだろうか。
たとえ仕事に意味を感じなくても、その仕事で身についた技能が他の会社で応用できるのなら、そのために頑張ろうと思えるんじゃないだろうか。
何の役にも立たないだろう。
謎のルールに従っている集団の中に混じって、そのルールを一緒に真似するごっこ遊びに意味はあるのか。
マナー教室と称して、自分たちがバラまいたアンチマナー地雷の回避方法を教えている集団と大差はあるのだろうか。
ならば、どういう仕事が向いているのか。
それが全くわからない。
表題はそういうことだ。
そしてその適職当てをしたシステムに責任転嫁をして生きていきたい。
自分が、噂や印象に振り回されて意味の分からない道を迷走した果に人生まるごとを迷路に投げ込んでしまったなんて事実を目の端に入れて生きていくのにはもう疲れた。背中を向けてしまえば、むしろ見えなくなった事で不安が増すのだ。目の端に入れておくのが一番楽なのだ。でもそれは比較的楽なだけで全く楽とは言い難いのだ。
寝る時間なのでこの辺で切り上げる。
仕事内容が辛かったわけでもない。
ただ、完全にモチベーションが保てなくなった。
毎日の仕事はルーチンになっていて、別にモチベーションなんてなくてもこなすことはできていた。
だけど、主観的だけど仕事の質がどんどん下がっているように感じた。
気がつくと俺はストロングゼロを飲むようになっていた。
ストロングゼロを飲んだ時だけ、世界は鮮やかに色を取り戻した。
それでも仕事量に変わりはなったし、評価されるだけのことはしているつもりだった。
ひとつだけ変わったことといえば、夜にやってくる曖昧で鮮やかな時間のことを考えることが増えていった。
俺のいた会社は8月から10月にかけてがいわゆる繁忙期だった。
じりじりと続いていた残暑が突然終わった。
その朝、俺はストロングゼロがまだ抜けきっていない頭で通勤していた。
ぼーっとしたまま、家を出て、なんとなく電車に乗って、なんとなく会社に着いた。
会社は文教地区にあって、近くには小学校、中学校、公立の高校があった。
学生たちが通学していた。
最後の出勤の前日に和月が捕まったことだけが、記憶の奥の方で鈍色の光を放っている。
毎日時間が足りなくて困ってるんだけど、みんなどこで時間を捻出できてるの?
自分はどちらかと言うと睡眠時間も短めで、残業時間もせいぜい毎月30時間位しかない生活を送ってるんだけど、仕事して、ジム行って、料理して、仕事のアイデア考えて、たまにはてぶや5ch見てってしてるだけであっという間に時間が無くなってしまう。合間を縫って読書と勉強をするのが精一杯。なのにはてなーを見ていると、それに加えてゲームをする、映画を見る、資産運用する、あげく旅行や山登りに行く、みたいな毎日を当然のように送っているように見えて絶望する。どうやったらそんなスーパーマンみたいな毎日を送れるんだろう。スキルアップのための勉強を日々の仕事の中で行える業務についていない限り、プライベートを潰しまくらないと日々勉強をするだけでいっぱいいっぱいじゃない? 自分の仕事にも勉強になる部分はあるけど、それでもルーチンワークなどもやっぱりあるので、とてもじゃないけどすべての時間をスキルアップには使えない。プライベートを諦めてどうにか生きてるんだけど、それって不器用に生まれた自分が悪いんだろうか。これって幸せなんだろうか。もっと時間が欲しい。
2017年10月11日、NHKEテレで放送したハートネットTVを見終わった。
吃音のある大学生の就職活動だった。番組は「私たちの就活 —吃音とともに生きる—」
>http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/program/index.html?id=201710042000>
今年もスタートした就職戦線。社会に出る期待と不安に揺れる大学4年生。近年、売り手市場が続くなか、取り残されそうな若者たちがいます。吃音症のある就活生たちです。吃音症とは、発声の際、第一音が出ない、繰り返す、引き延ばすなど言葉を円滑に話せなくなる症状。全世界の人口の100人に1人が吃音者であり、日本では120万人以上の吃音者がいると言われています。吃音は、その場の状況によって不規則に変化していき、家族や周りの人も理解しづらい上、本人すらもいつどこで吃るのか、わからないといいます。医学的にも、その原因や本態は分からず、完治も困難というのが通説です。多くの吃音者が、自分の障害と正面から向き合わざるを得ないのが就職活動の時。言葉によるコミュニケーション能力が要求される面接は大きな壁となっています。言葉が円滑に話せないことで、コミュニケーション能力が不足していると判断されることも少なくありません。夢を抱くことよりも、吃音による障害が頭をよぎり、話すことの少ない職業を選ぶ吃音者も多くいます。吃音への理解が乏しい状況で、生きづらさを抱えながら、社会に旅立とうとする姿を追いかけました。<<
なぜ、一般枠の就職活動で吃音があることをカミングアウトしているんだろうか。自殺行為だ。吃音のある人を採用できない理由になってしまう。はっきり言って多くの採用側が不採用決定するだろう。もちろん宝くじに当たるような確率でどんな障害をもっていても障害者手帳は必要ありませんという事業者もいるだろう。だがそのような奇跡に巡り合うのは就職活動期の短期間ではありえない。新卒という大事な時期を逸してしまうだろう。もしも吃音や障害などをカミングアウトしても大丈夫という企業名や団体名が存在するならインターネット上でリスト化されているはず。逆に名称を教えてほしいくらいだ。
病気や障害があることは隠し通せるなら隠してよい。どうして正直に話してしまうのか。職場で配慮してほしい事なんて告白されれば、配慮の必要ない人を採用したいと思ってしまうのが本音だ。採用側としても法定雇用率にすら計算できない状態の人を採用すると吃音のある学生達は本気で思っているのか。
障害者手帳を持っている状態で吃音がありますとカミングアウトするならまだ理解の余地はある。吃音のある就活生は障害受容が足りないと感じる。障害受容をしないで吃音がありますとカミングアウトをするのが逆に怖い。職場内の環境を整え配慮をする採用側はその分、法定雇用率にも計算したい。ウィン・ウィンの関係だ。吃音のある学生は正直にカミングアウトしてくれるわけだから、採用側の考えはカミングアウトをするなら障害者手帳をを持ってきてくださいだ。あとでコピーを提出してくださいだ。今ここで正直に吃音のある学生に告白します。
吃音のある人の発声練習、面接練習をしている場面がハートネットTVの放送内であった。どこかの就労移行支援事業所だろう。
だが。はっきりいってこれは無意味。面接のときだけ運良く何事もなくても、結局社会人として働くことになってからありとあらゆるコミュニケーションがある。仕事や業務のみではなく、お客様や取引先と友好な関係を構築維持する。理不尽な要求に対応することもある。社内でも決まりきったルーチンワークだけではない。イレギュラーもある。面接のときだけ上手く乗り切ってやろうという魂胆もいただけない。面接のときから嘘をついているのは評価できない。そのまま絶対にバレないなら問題ないが吃音は必ずわかってしまう。素直に障害者手帳を持ってきてほしい。そしてどのような場面だと吃音がでるのか。どういう人と話す時に吃音がでるのか。どのくらいの時間吃音になってしまうのか。吃音になった場合どう配慮をしてほしいのか。そういうことを面接で教えてほしい。発達障害学生が提出してくる私の取扱説明書という障害特性や苦手な部分を表現した資料も必要だ。こういったことも吃音のある学生には就労移行支援事業所で学んでほしい。
例えば、発達障害のある就活生なら障害者手帳(発達障害の場合は精神障害者保健福祉手帳が交付される)を取得して新卒障害者枠で応募をしてくる。社内でも発達障害のある新卒学生で入ってきて新人として働いている。とてもいい子たちばかりだ。本当に発達障害があるのだろうか?と思うくらい大人しい真面目な子もいる。最初はちょっと???な部分が多かった子もいる。障害者就労支援職?ジョブコーチや就労移行支援事業所スタッフなど外部の人間が間に入って、お互いの距離感を埋めてくれる。邦人と外国人が文化や考えの違いによって驚くようなこと最初は理解し難いことを通訳してくれる感覚だ。入社してきた新人さんに教えてもらったことだが、新卒就職活動は一般枠と障害者枠を両方やったそうだ。一般枠でもいけるかもしれないと頑張りつつ、障害枠もしっかり考えて人生設計をしたという。
そしてこの放送をみてわかったこと。吃音を持った発達障害の人もいる。あの放送に登場したどこかの就労支援施設で訓練していた訓練生達、男子学生、女子学生、彼彼女らの特徴的な喋り方話し方、微妙につまる間が有る、時間が停止し沈黙をする場面。これらを持った発達障害の子が社内に存在する。会話をする時に視線が合わないところ、首や頭を不自然に動かすところも酷似している。瞬きが多いことや、あのー、そのー、えーっと、うーんと、なんであの、などなどを話す時に使う子もいる。障害者雇用セミナーで吃音が発達障害者支援法に含まれており、軽度でも精神障害者保健福祉手帳を取得できるという説明を受けた。その際、アスペルガー症候群や広汎性発達障害、ADHDやLDなどの発達障害と一緒に吃音を持っている場合もあるとのことだった。
放送の中で吃音のある学生がマスコミとかメディア、システムエンジニアになりたいとか語り一般枠で吃音をカミングアウトしながら就職活動していた。発達障害のある障害者手帳を持った学生は障害者枠でスムーズに希望する業界で内定が出ている現状を知ったらどう感じるのだろうか。もちろん障害者枠のためできる仕事は一般枠と比較すれば限られている。ただ、新卒として社会人になることの重要性と意義は気付いてほしい。障害者枠でもいいから新卒でブランク無しの状態で社会に出てきてそこから成長してほしい。障害者枠でも新卒で入社できれば新人教育プログラムを受けてどこに行っても通用する最低限の知識を得られる。その後、会社や職場で幅広い年代の人と仕事をする。これを経験する方が圧倒的に重要だということを気付いてほしい。就活に失敗して非正規やフリーターになってしまうとこういった貴重な機会すら巡り会えない。
今回の放送を見たところ吃音のある学生は吃音を障害者ではないと思ってこだわっているように私には見えた。吃音のある人達は吃音以外の障害がある人を低く見ているのか?自分たちはそうじゃないよアピールをしているようにも見えた。繰り返しになるが発達障害のある学生は障害者枠で就職活動をし内定もらってマスコミやメディア業界に、システムエンジニアになっている子もいる。学生側有利と言われている2017年現在で内定が無い、新卒で就職失敗して履歴書に空白ができるのは長い人生で見て大きな損失だ。障害者枠でもいいから社会に出てこいとしか言えない。おそらく吃音のある人たちは障害者枠イコール給与が安いとか考えているんだろうけど、弊社は違う。仕事できるならチャレンジできる。さらに元々いた社員にあとから発達障害があることが判明し障害者手帳を取得した立場の後輩もいる。発達障害によって発生するかもしれない部分は対策をして今まで通り働いている。その後輩もパッと見、発達障害があるとは思えない。ただ独特な価値観やセンスがあるのは知っていた。たまたま普通の人が絶対にしないであろう事を失敗したのがキッカケで発達障害がわかっただけだ。
話をもとに戻す。
吃音のある人が障害者に障害者枠に偏見があるならなおさら障害者手帳取って社会に出てきて結果を出して吃音のある自分のためにも後輩のためにも道を切り開いていけばいいじゃないかというのが正直な気持ちだ。そういう道が既に存在していればそもそもハートネットTVで取材対象に選ばれることもないだろう。なぜなら就職活動で困らないからだ。そうなっていないからハートネットTVで放送されるようになってしまっている。今回ハートネットTVで吃音のある人を取材対象にしたのは吃音のある人以外にも吃音を知ってもらう意味もあったのだろう。NHKも障害受容の難しい発達障害もあると伝えたかった意図もあるだろう。私も思い切ってここに書こうという後押しをハートネットTVにしてもらった。吃音のある学生は素直に障害者手帳をもって就活してみなさい。そして社会に吃音のある人も仕事できるじゃん!と思わせてもっと一緒に働きたいと思わせなさい。吃音のある人側が障害者だと思われたら嫌だからという理由で一般枠にこだわって就活を頑張り続けるのは自由だけど発達障害学生がどのような就職活動をして人生計画を考えているかも知ったほうがいい。障害受容のできた発達障害学生と吃音のある学生はどんどん差が開いていると思う。発達障害のある人の雇用事例や合理的配慮事例はたくさん考えられている時期。吃音のある人も雇用事例がどんどん集まってくれば就活が少しやさしくなるかもしれない。発達障害のある人の雇用事例、発達障害のある先輩の声コーナーの中に吃音が全くないから採用側もどうしていいのかわからないということもあるだろうけど今がその時だと思われる。吃音のある人、吃音のある学生はどのような合理的配慮をしてほしいのかどんどん情報を発信してほしい。
2018年から精神障害者保健福祉手帳をもった人(発達障害も含む)の雇用義務化が開始される。
ここで人事業界、採用側は新卒で入社してしまうと流動性が無い身体障害者で法定雇用率を達成するのは難しい。知的障害のある人も流動性が無い。
精神障害者はどうかというと勤怠が安定しない場合がある。そこで発達障害者が出てくることになる。
発達障害がビジネスチャンスと認識して発達障害者を扱う職業訓練所も乱立している状態だ。発達障害向けの就労移行支援事業所はピンキリ。発達障害のある人、発達障害のある学生はK社経由の発達障害の人が多いのではないか。
法定雇用率の引き上げ。ダイバーシティやサステナビリティ、CSRというワードが報道で消費者に触れる機会が多くなっている。
そのため採用側も障害者雇用を積極的に行うところも増えてきている。
そこでちょうど障害受容ができている発達障害者が重要視されている。
障害者雇用関連のイベントやセミナーでもそもそも発達障害とは何か?の説明から発達障害者の特性を学ぶことも多くなっている。
広汎性発達障害、アスペルガー症候群などの自閉症スペクトラム、ADHD、LD、トゥレット症候群、吃音などは厚生労働省や内閣府も発達障害の説明として具体的に明記している。採用側の人事採用担当も障害名、病名や特徴を把握している。
そんな中で私は吃音があります。と一般枠でカミングアウトされてもその後の展開が良い方向に行かないこと、難しいことを吃音のある人にはよく理解してほしい。
前のほうに書いたが、本当に発達障害があるの?ってくらいの人も障害者手帳を持っている。吃音も障害者手帳を取得してから就活戦線に来てほしいと思う。
ハートネットTVの冒頭でどこかの合同就職説明会でどこかの会社の人事採用担当者がコミュニケーション能力の重要性を解説していたように。その要求水準に吃音のある人が応えられないならば
障害者手帳を持っていてほしいというのが本音だ。何度も繰り返し書いているが、これが採用側の本音だ。吃音のある人よ。吃音のある学生よ。採用側は法定雇用率に計算したい。このような背景があるわけだから一般枠で病気や障害があります!とカミングアウトしても不採用通知の来る可能性が高くなるだけなのでそこの部分をよく考えて行動してほしい。
年に1, 2回しか印刷しないとか、たとえば毎週必ず印刷するからコンビニ寄って印刷するのをルーチンワーク化してるとかならいいけど、そうでなかったら、わざわざ着替えてコンビニまでプリントアウトを取りにいくのって面倒だよな。
一万くらいだし、プリンタを買ったほうがいいわ。
コメで「インク代が高い」って人がいるけど、ググったらセブンのネットプリントも白黒で20円でカラーで60円だし、本体代別にしてランニングコストだけならネットプリントのほうが高くね?
インクづまりするって人も何人かいるけど、6, 7年前に自宅と実家にインクジェットを買ってぜんぜんインクづまりとかおきないけどな。
単位をあらかた取ってしまったので授業がなく、卒業研究だけになってしまった学生。研究室はルーチンワークもコアタイムもなく、とにかく自分の研究作業をこなせばいいだけ。理系だけど実験をやらない分野なので、時間の拘束もない。
そんな感じで自由なので自由に生活してるんだけど、体力がなさすぎて困る。
最近は暑くて日中活動できなくて夕方に動き出して朝帰りしたり、朝からちゃんと起きて活動すると昼寝を挟まないと午後動けなかったり、昼寝を挟んでも夜帰ってきて気がついたら台所の床で気絶していたりする(卒倒したとかではなく、夜ご飯どうしようかと座り込んで考えてたら眠くなってぱたんとなってしまうんだと思う)。
9時ころに起きて数時間かけて家事や身支度をしてブランチをキメて昼過ぎに登校するくらいだとなんとか無睡で夜を迎えられる。
学校でも基本プログラム書いたり分析かけたり論文読み書きしたり、とにかくデスクワークしかしてないから体力削られることもそんなにないはずなのに。逆にデスクワークしかしてないから日常生活に耐えるだけの体力がつかないのかな。
土日はバイトで動き回ったりデスクワークしたりするけど、そうすると決まって月曜に疲れ切って一日ダウンしてしまう。最近はそれを見越して土日のバイト以外の時間にちまちま研究の作業をやるようになった。
学生だからまだこんな生活でも成り立ってるけど、社会に出たら絶対適応できない気がする。
つくづく、生きることに向いてないなあ。