はてなキーワード: ルーチンワークとは
まさか自分がやってしまうとは思わなかった。齢26にして漏らしてしまった。今日。しかも彼女の家で。
こんな内容はもちろん自分のブログに書けないので、脱糞にふさわしいこの場所で書き出したいと思う。不思議とつらい気持ちはなく、清々しい気分である。
以下、うんこというのは忍びないので、ブラウニーで統一させてもらう。
その日の東京は朝から薄べったい雲が空に延びていた。6時起床。思えばこの時から腸の状態が悪かった。
朝食を食べ、彼女は仕事の身支度、僕は休みなのでだらだらしていた。この間もずっと腹痛があって、なんだか危ないなという予感はしていた。
事態が変わったのは、彼女が家を出る9時ごろ。突然、僕の腸が、というか、僕の中のブラウニーが主張し始める。
出たい。ここから出して欲しい。
唐突なブラウニーの訴えに僕は焦った。普通ならば即トイレに駆け込むところだが、僕と彼女はまだ付き合って間もない。
熟年夫婦のような間柄ではないから、ブラウニーしてくる、と言ってトイレに行くわけにはいかないのだ。しかも腹を壊している時のブラウニーだ。
きっと強烈なサウンドを伴うだろう。壁の薄いアパートでは、破裂音が伝わってしまう。
僕は、自分を取り繕うよりかは恥を曝け出すことを選ぶ人間であるため、この時も、今の状態を素直に彼女に伝えた。
恥をしのんで言う、ブラウニーを出したいんだけれど、君がいるから恥ずかしくてトイレに行けないんだ。
そう伝えると、彼女は「わかった!じゃもう家でるね!!」と言って身支度を早々に終わらせてくれた。
彼女が急いでバッグを持ち、玄関へ走る。靴を履こうとしている。
本来なら玄関で見送るところ、この日は本当に限界だった。僕は「あかん!!」となぜか普段使うことのない関西弁を叫びながらトイレへ滑り込んだ。
彼女はもう靴を履いて出るはずだ、ズボンを脱いで早くすっきりしよう、と思ったその刹那、「しまった靴下忘れた!」という声と共に、騒がしい足音が近づいてきた。
彼女が部屋に戻ってきたのだ。
ここで僕はパニックになってしまった。僕の計画では、彼女が家の外に出た瞬間にズボンを脱ぎ、ブラウニーを射出する予定だった。
だがもう肛門は限界である。出さなければ。この時の僕はパニックになっていた。
ズボンを脱ぎ→座って→ブラウニーを出すという、人生で数千数万と行ってきたルーチンワークが脆く崩れ去った。僕はなぜかズボンを脱がずに便器に座ってしまった。そして出した。ズボンの中にブラウニーが溢れ出す。
さっきまで体の一部であった半固体の物質が、行き場を求め、狭いズボンの中でせいいっぱいの伸びをした。
彼女の「行ってくるね!」という声と、走る音。
古いアパートのドアが閉まる、がちゃんという軽い金属音が鳴り響くと、部屋は静寂に包まれた。
僕はその間も、依然として便器に座って動けないでいた。遠くから蝉の声がする。世界がやけに静かだ。後に残るのはただただ悪臭だけである。
冷静になった僕は、淡々と処理を行った。ズボン、パンツ、そしてブラウニーのついた便座、我が愛しの臀部。
優れたスポーツ選手は"ゾーン"に入ることができるというが、あの時の僕はまさしくその状態だった。
今自分がすべきこと、すべきでないこと、洗うべきもの、捨てるべきものが、まるで一流の軍師のように、頭の中に整然と並べられ、滞りなく処理されていった。
一通り清掃を終えると、僕は最後に、ブラウニー付きのパンツを成城石井のビニール袋に入れ、コンビニのゴミ箱に捨てにいくため外へ出た。
成城石井の袋は不透明のダークグレーだから、こういうときに役に立つ。いつ脱糞の当事者になるか分からないこの現代では、重要なライフハックだ。
コンビニでは、心の中で何べんも謝罪をしながら、高い商品を必要以上に買って、せめてもの罪滅ぼしにさせてもらった。本当にごめんなさい。
帰り道、どっさり買い込んだコンビニ袋の重さを感じながら、ゆったりと歩道を歩く。時刻はまだ9時半。
ふと、漏らしたことで、普通に用を足す時以上に、清々しく、爽やかな気分になっていることに気がついた。
平日の街は普段通りで、人が行き交い、車が走り、鳥が歌っている。
空はまだ曇っているが、気持ちのいい風が吹いていて、思ったよりも暑くない。
この世界では自分を含め様々なプレイヤーが入り乱れ自己意思で行動している(と思われている)
この世界には物理法則などのいくつかルールが存在するが、実は1つあまり知られてはいない法則がある。
この世の中には人生がうまくいく人間とうまくいかない人間がいる。金持ちや貧乏人、恋愛や仕事、趣味においてもそうだ。
このことについて、世の中では運がある運がないと表現される。
運については何も解明されていない分野であるが、私はある事実にたどり着いた。この世は複雑怪奇な乱数でできているのだ。
例えば宝くじ。宝くじには確率の高い当たる販売所が存在する。また何度も高額当選をする人間がいる。これはなぜだろう。
それは当たった人間によって幸運を招くお守りであったり、神社への参拝と表現される。
何度お参りをしたか、どんな位置の神社を参ってどこの販売所で買ったか、そういう一見無駄にも見えること。
それはゲームでいうフィールド歩数やコマンド入力中の無駄なキー入力、起動から何秒でのエンカウントのような乱数調整に当たるのだ。
これらは事実上、無駄な行動によって当たるという結果に近付けているのだ。
他にもある。
風水と呼ばれるもの。これもどこに何を置くか、どの方角に何を配置するかによって幾億千ある乱数によってできた未来の可能性を少しだけ絞っているのだ。
ルーチンワークと呼ばれるものもそうだ。五郎丸選手のポーズや前田健太の体操で一時期話題になったが、スポーツ選手は試合時だけでなく日常生活においてもルーチンワークで縛っている。
試合を練習に近づけることや験担ぎ等の意味が取り沙汰されていたが、本人たちがどこまで意識しているか分からないがこれも乱数調整なのだ。
出来る人間は退屈な時間を過ごし、出来ない人間は苦痛な時間を過ごすだけの無駄な時間。
教えるべきことはいくらでもあるんだから時間を無駄にしてちゃいかん。
ただのルーチンワークなやっつけ実技をさせてる暇なんて本来は無いはずなのに何故か教えるべきことの半分も教えてない。
宗教と芸術の関係性や技法が発明された順番を語れる日本人ってどれぐらいいます?
キースケールやコードを正しく把握してる日本人って何人いるんでしょうかね?
筋トレの正しいやり方を社会人になってから身につけた人って何割なんでしょうかね?
ですが、今やっている事が何を学ぶための行為なのかを把握して無ければ折角手を動かしても全然身についてくれません。
それじゃ教育として不完全なんですよ。
その事をもっと知ってもらいたい。
最終的には前線の教員に理解してもらう必要があるのですが、上が理解してくれないと下が理解しても枠に嵌められて元の木阿弥になるだけですので。
医者の仕事は自分には向いていなかった。さらに言えば今の日本という国も自分には生きづらかった。
ルーチンワークではなくてクリエイティブな仕事をしたい。バケーションを取って好きな海外旅行にも行ける環境が欲しい。
帰国して成田から帰る道中で目にする日本のサラリーマンたちの死んだ目…。自信に乏しいオドオドした雰囲気…。
活気あふれる新興国の明るい雰囲気と対照的な、老いて死にゆくのみの日本の社会。
リスクを恐れてつまらない仕事を続け、そこそこの小金持ちになって妥協した人生を送るくらいなら、大きな夢を見つつ全力でチャレンジできる世界で前向きに生きたい。
医師のキャリアを使って海外でヘルスケア関連のスタートアップを立ち上げたい。
日本にいる限り、日本語が使えて同じ文化圏である日本人たちに囲まれて安穏としてしまう。
現在のところ、イスラエルかエストニアにチャンスを感じている。いずれもスタートアップが活発な新興国であるようだ。
まだ何れの国へも実際に訪問していないし、現状の厳しさも把握できていない。
しかし、今の新鮮な気持ちをどこかに記しておかないと、また何事も無かったかのように慣れ親しんだ日本の日常に逆戻りしてしまう。
大学に行く気があり、かつ頑張らなきゃいけないレベルの大学目指してるとしたら、
1年のうちは思いっきり遊んで2年時(厳密には1年と2年の間の春休み)からは勉強に力入れ始めるかな。
もちろん授業時間は集中して勉強聞く(する?)けど、1年生の間はある程度ゆるくてもいい気がする。
春休みに取り戻せるならだけど。
自分が受けたみたいに、家で勉強(予習)してきて学校で解説を聞くっていう授業形態から変わってたりするのかね?
ゆとり世代の少し前の世代だけど、今の高校生って自分の時よりめちゃくちゃ授業内容多いんだってな。
正直、自分の時でさえ内容多すぎて頭パンクして死んでたから、自分は目標もなかったし、
ルーチンって上手に乗れるといいんだけど、リズムわかんなくなると悪循環になる。
でもルーチンワークはやめらんないっていう。
高校時代までに目標見つかるといいんだけどな。そのために遊んだりするとかな。
目標目指してばっかじゃキツイし、息抜きとかそれ以外のコミュニケーションは必要だ。
そのために部活だ社会だ友達だとか、手段と言うとアレだけどまぁ楽しく過ごせるといいな。
頑張ってな。
話はかなりぼかすが、数年前に転職した。
直接の原因としては、社内での評価が長年芳しくなかったことと、労働環境の悪化と、最後にパワハラに遭い、仕事を干されたためと、転職先で提示された年収が前職を大幅に上回っていたからである。
前職では新卒でとあるIT系企業に入社し、あるスマホアプリの開発を行っていた。
5年ぐらい経過し、当初10人いたチームが退職やら他プロジェクトへの異動などで最終的に自分1人になり、サーバの管理からバグ修正、深夜の障害対応やユーザから来るわけの分からないメールや頭のおかしい人間からの電話の対応、売上を上げるための企画や他社との渉外も全部プログラマーである自分が1人でやっていた。会社の規模は拡大しており、それに伴い人をどんどん採用していたが、採用した人は全員新しいプロジェクトに割り当てられていったため、最後まで自分の環境が改善することは無く、残業時間だけが伸びていった。
最終的に、自分の人件費+サーバの運用費用がそのプロジェクトの売上を下回りそうになったためにプロジェクトは終了となり、サービスも終了した。
その後、自分は別プロジェクトへの異動を命じられたが、異動数日でそこでの上司の不興を買い、自分の運命は決定した。
原因としては、自分が原因でとある問題を引き起こしてしまい、自分で解決し、収束後に時系列でまとめた事態の経緯と、原因、そしてシステム的に再発を防ぐ手段を構築した旨をまとめて上司に報告したがそれを見て「二度とこのようなミスを起こさないように自分を律して頑張るという心構えが入っていない」という、IT企業としてそれはどうなの?という納得いかない理由で不興を買った。
最終的に上司から仕事を干され、何もすることが無い状態で何故か倉庫整理をしたり、「稼働が無駄だし、君に払う人件費を誰が稼いでるかとか考えて欲しい」と1ヶ月近く自己批判する文章を延々と書いては消し書いては消しと繰り返しており、エロゲのレイプ目のような状態で仕事をして、友人に相談しても「何もしないでお金がもらえるなんて羨ましい」と言われるだけで、最終的に心身ともに限界が来た(通勤中や定食屋で他人に八つ当たりして時に暴力沙汰になったり、ここには書けないような事をやったりした)のと、ちょうど転職話が来たので辞めた。
転職してから数年経ったが、環境が真逆で未だに困惑している。簡単に書くとこういうことだ。
奥さんが不在で家事をすることになった子持ち男性芸人が、「家事は午前中で終わる。まぁ自分は子どもが散らかした服とかは片付けないから」みたいな話をしてた記憶がある。
当時は、午前中で全ての家事が終わるなんて、男性は体力があってすごいなぁ、と思ってた。
今は、きっと奥さんが効率化してタスク化した家事をルーチンワークでやってたから、午前中で終わってたんだろうなと思う。
あと、家事には
2、毎日はしなくていいもの(掃除機をかける、アイロンをかける・クリーニングに出す、等)
3、週1や月1で定期的に点検するもの(排水口周り・電化製品・ガスコンロの掃除、日用品の買い足し、風呂場のカビ対策、等)
がある。
1だけやってたのなら午前中に終わるよね。
何を言いたいかと言うと、毎日家事に従事してる人も、働きながら家事してる人も、「家事が効率よくできない自分はダメ」とか思わなくていいよって話。
人生80年生きる世の中なのにさ、20代30代で体壊したらしんどいっしょ。
常々思っているのだが、新人に仕事を教えるときに、自分で考えさせると伸びないと思う。
すぐに答えや手順を教えてやった方が良い。
もともと考える余地もあまりないし、右も左もわからない新人から劇的な改善策など出てくるわけがない。
自分で考えさせたところで、無駄に時間がかかって、おまけに間違えてるのがオチだ。
作業手順を教えるのでもあえて簡略化して教えたり、
結果が間違っていた場合もどこが悪かったのかをすぐに教えず、考えてみろと放置してしまうパターンが横行している。
むしろ仕事に対して恐怖感を覚え、萎縮してしまい、緊張感から物覚えが悪くなったり、
怒られる恐怖から聞くべきことを聞くこともできず、結果さらにミスってしまうという悪循環に陥りやすい。
結果として成長を鈍化させているという残念なパターンが大半だ。
中には自分で考えて正しい答えを出せるやつもいるが、それは指導方法が良かったのではなく、もともと優秀なだけだ。
残業禁止の議論をすると、いつも「残業するやつは無能」とかいい始める輩が表れるけど、
毎回、必要以上の努力が出来ない雑魚がイキってるな(笑)としか思わない。
君ら、そもそもを勘違いしてるようだけど、仕事ってのは本質的に不合理なものだ。
ルーチンワーク化された事務"処理"なんかの話ならまだしも、企画や開発や営業なんかの新規を開拓する業務の本質的な合理化は不可能だ。
そのあたりを上手くやるためのいろんな上手い方法(統計学やビッグデータや機械学習やなんやかんや)もあるけど、それを使いこなしたところで本質的な合理化が果たせるわけではない。
どうやったって最後の最後には、解があるのかわからない中で総当りで潰していかなきゃならないような泥臭い非合理にぶち当たる。
しかも、その泥臭い総当りは必要最低限の努力であって、「新規を開拓する」ためには総当たりの外側に対して、如何にアタックしてくかが重要になる。
勝手に悦に浸って残業する人を見下す雑魚。お前らのその残業への卑下の裏返しは、残業をしたくない(できない)、必要じゃない仕事をしたくない(できない)自分の性格に対するコンプレックスだろ。
直接には自分の業務と関係ないようなことにもとりあえず興味を持って手を広げてみるとか出来ないだろ。
なぜ君たちは、必要以上の努力がいらない、お得意の合理化()で業務を完結できる一般職やバイトにならずに、総合職を目指してしまったんだろう…。
最後に予防線引いとくけど、体や精神ぶっ壊すような長時間労働の話は別だし、経営側の問題でクソみたいな業務が糞詰まりになった挙句の残業の話とは別な
俺が悪いのか?
全部、俺が悪いのか?
他のヒラが定時で帰るのを、教えてくれなかったのも。
気づけば部署で残業してんのは俺一人、誰が見てるわけでもないのに、静かなデスクで大真面目に仕事をこなしてるのも。
今期末は忙しいって、あんたらお偉方が言ったんじゃねえか。
おまけに本社から人引っ張って、誰でもできるルーチンワークをわざわざ対応してもらって。
その人がまだ残ってんのに、なんで先に帰れるの?代わってやれよ。
いや、帰るのは百歩譲って良いとして、なんでそれを俺に言ってくれないの?
今日のところは俺ら帰るけど、お前どうする?って、なんで聞いてくれないの?
なんで、入社して1年未満のヒラの俺に、残業するかしないかの判断をさせんの?
そんなの、今後のお前らの働き具合で変わるじゃん。
これじゃ俺、お前らを定時で帰すために必死に働いてるみたいじゃん。
俺を嫌うのはいいよ。ただ、ホウレンソウはしっかりしてくれよ。
扱ってる商品は面白いのに、ヒトがクソつまんねーんだよ、この会社。
つまんねーのは分かってんのに、元々コミュ障の俺には、こうして真面目に働く以外に何にもできねえ。
情けなくて泣けてくるわ。
便乗して自分語りさせて。
私もソシャゲが肌に合わない派。
ただ増田みたいに「重課金すれば簡単に手に入っちゃうのってどうなの」とは思わない。
というか、それでソシャゲがつまらないと思ってるわけじゃない。
最初に金払って、パッケージされた商品を買って消費(クリア)して、ああ美味しかったっていう満足感だけ残す。
でもソシャゲってそうじゃないんだね。
課金という手段もあるけど、毎日コツコツ同じ事やるのが楽しいんだって?
私は仕事から開放される為にゲームをやってストーリーの展開や、難易度にワクワクしたい。
でもソシャゲは同じ事を繰り返してたまに起きるイベントや、ガチャでレアをゲットして喜ぶんでしょ?
それってただの日常じゃん。毎日同じ事してたまにいい事あって喜んでって。私は絶対楽しくない。
ここまで書いといて何だけどソシャゲをほとんどやった事ないから、どんな物かよく解ってないんだけどね。
何が言いたいのかと言うと、私からするとソーシャルゲームはエンターテイメントじゃない。
ルーチンワークっていうか。
「君の名は。」がキネマ旬報ベスト選外となったけど、これは、日本の映画批評における下記の(伝統的な)問題点の象徴する出来事なので、みんなもっと大騒ぎすればよいと思います。
最初の問題点。日本の映画批評は、アニメーション映画を適切に評価することができません。
キネマ旬報のベストテンにランクインしたピクサー映画は、何本でしょうか?少し考えてみてください。答えは、ゼロ。ゼロですよゼロ。世界のアニメーションに革命を起こした「トイストーリー」も、障碍児童の冒険譚をウェルメイドに仕上げた「ファインディングニモ」も、冒頭からほとんどセリフを用いることなく世界の荒廃を描いた意欲作「ウォーリー」も、トリロジーの最終作として圧倒的な完成度を誇る「トイストーリー3」も、ベストテン選外になっています。ピクサー以外でも、「アナ雪」も選外なら、2016年は「ズートピア」も選外。正気かよ。日本のアニメーションに目を向けても、例えば故 今敏の作品は1本もランクインしていません。「千年女優」を超える絢爛な日本映画が2001年に10本あったか?「東京ゴッドファーザー」を超える抑揚の効いた感動作があったか?「パプリカ」のイマジネーションを超える作品があったか?「パーフェクトブルー」ほど低予算の映画で、今なお国境を越えて評価され続ける映画が何本ある?
次の問題点。日本の映画批評は、映画自体の良さではなく「他国における賞レースの結果」や「興行成績」や「過去の監督作の評価」などの外部要素に引き摺られすぎる。
2000年以降、ピクサーを筆頭にCGアニメーション映画が映像面、シナリオ面での革新を重ねる中、たった1本だけキネマ旬報ベストテンに名を連ねた映画があります。2009年「戦場でワルツを」。レバノン内戦における監督自身の記憶を辿る、という半ばドキュメンタリーのような内容の映画で、ここ数年の作品でいえば「アクトオブキリング」ような手触りの、とてもいい映画です。とてもいい映画なんですが、たぶんこの映画がキネマ旬報ベストテンにランクインしたの「アカデミー賞やゴールデングローブ賞の外国語映画賞部門にノミネートされた最初のアニメーション映画」だからなんですよね。あと反戦映画だから。反戦映画と、海外の映画賞をとった映画は日本の映画批評において高く高く評価されます。
興行成績の良い映画の評価も引き下げられます。興行成績がよい映画は「おれが評価しなくてもいいだろう」という寝言をいいながら、実のところ「自分は年に100本も200本も観ているのだから、パンピーと同じランキングには出来ない」という薄っぺらながら自意識を守るために、本当はすごく面白かったのに、8位とか9位に入れたり選外にします。2016年も「シンゴジラ」より「クリーピー」を評価して、ズートピアを選外にしたハゲがいましたね。「こいつらは友達が多いから、ほかの人が評価してくれる」って言い訳しながら。一言。邪念が多いよ!!面白い映画は普通に評価しろよ!!いや、確かに「クリーピー」は面白い。その通り!映画に順位をつけるもんじゃない。その通り!けど、正直「シンゴジラ」と「ズートピア」より「クリーピー」のほうが順位が上、とい上のはさすがに無理があります。
過去の監督作に評価が引き摺られすぎる、というのはイーストウッド映画の過大評価が最も有名でしょう。確かに、イーストウッドの映画は面白い。本当に良い映画ばかりです。でも「グラディエーターとアメリカンビューティーとダンサーインザダークを抑えてスペースカウボーイが1位」とか「父親達の星条旗と硫黄島からの手紙のワンツーフィニッシュ」は、やりすぎをこえて「ヤラカシ」だと思うんですよね。
「ヤラカシ」といえば「オールタイムベスト日本映画こと七人の侍が、キネマ旬報年間ランキングでは3位な件」がもっとも有名ですが、このときは「木下恵介作品のワンツーフィニッシュ」というわけわからんことになっているんですね。1位は「二十四の瞳」。これは、わかります。「二十四の瞳」はすごい映画です。今観てもびっくりさせられます(比類する作品は「6歳のボクが、大人になるまで。」ぐらいしかし無いのでは?)。ところで、2位は?…2位は、「女の園」という映画です。…いや、本当なら観てから言うべきなのはわかります。でもあえて言わせていただきたい…知らないよ!!オールタイムベストどころか、木下恵介監督作としても無名の作品なのではないでしょうかコレ。(誰か観た人いますか?もし「おれは観たけど、七人の侍よりずっと良い映画だよ」という人が多ければ、この段落は訂正の上謝罪いたします)
映画は観る環境によって、評価が大きくことなります。これは前項と矛盾するようで矛盾しません。映画館で観る映画と、家で観る映画は違います。「IMAXで観るゼログラビティと、金曜ロードショーのゼログラビティは別の映画だ」と言われて、否定する人は少ないでしょう。映画は体験です。ウェイン町山が「試写室で隣にピエール瀧がいたので死ぬほどビビった」と言って「凶悪」を年間ベストに挙げるように。ガース柳下が金沢映画祭で観た映画を年間ベストに挙げるように。「お家に帰るまでが遠足」と言われるように。「フェスで盛り上がる曲」があるように。では、「夫婦やカップルで観に行き、食事をしながら感想を言い合い、その日の記念にプリクラを撮り、インスタに半券の写真を上げたくなる映画」は、その体験込みで評価しなければいけないのでは?
ひとり、ルーチンワークとして試写室のパイプ椅子に座り、原稿の締め切りを頭の片隅に置きながら観る人間は、金曜ロードショーで観た「ゼログラビティ」をつまらなかったと言い切る人間と変わりません。真面目な話、かつてこれほどまでに評価され、クチコミで観客動員の伸びたデートコースムービーってあるんでしょうか?そう言えば「動員で映画の評価を語るなら踊る大走査線2は名作」って言ってる人がいましたね。…寝言かな?(たぶん口を滑らせたのだろうと思うけど)
以上3点。おれは「息もできない」を年間ベスト映画に選ぶキネマ旬報のことが(ピラニア3Dを年間ベスト映画に選ぶ映画秘宝より)本当に大好きなんだけど、やっぱりよくないところはよくないところなので、なおしていただきたく候。
なおちゃぶ台をひっくり返すようだけど「君の名は。」は観てません。だって、子どもが生まれたばかりで、奥さんが育児で手一杯だったからね。子どもがもう少し大きくなったら、ポテトチップスとコーラを片手に、あーだこーだ言いながら2人で観るよ。ほなさいなら
ここに書くべきではないと思うのですが。
最近、今日うんこしたっけ、って夕方ぐらいに思うんだけど思い出せない。
今日なんか、皿に乗ってたはずのおかずがない!って言ったら、今食べたじゃん、て言われて。
完全に無意識だったんですけど。
わたくし、抗精神病薬飲んでた身で、遅発性ジスキネジアが出て、2ヶ月ほど前に断薬したのです。
これはその影響でしょうか。
それとも精神疾患に見られる健忘というやつでしょうか。
それとも認知症でしょうか。
あと、
人間は無意識でやったことってどの程度覚えてるものなんでしょうか。
子供ははじめての体験が多いから無意識って少ない気がするんですが、
だんだんルーチンワーク化して無意識の領域が広がっていく気がするんですが、
認知症患者って、やったことを覚えていない(そして、やることがおかしくなるんですよね)
どういうことなんですか。
覚えていない、というのは無意識で行動してしまうのとどうちがうんですか。
うんこ漏らしたくないです。
担当医師や産業医、上長や人事などと再三の話し合いの上での休職だった。
ITベンチャー(広告関連)で、事務とも営業とも言える独特の職種で、新規チームの所属。新卒で、入社1年目。
23時がデフォルト。遅い日は深夜2時、土日も隔週くらいで出社していた(自主的にであり、強制されていたわけではない)。
7月から、私が主体的に進めていた割りと大き目のプロジェクト(というか業務改善)があった。本部長、部長にも承認され、私も入社してから初の大きな仕事ということでかなり張り切っており、上記のような勤怠の状態になっていた。しかし現場のリーダー(以下A)がきちんとそのプロジェクト内容を理解していなかったこと、リーダーでありながらプレイヤータイプでマネジメント力が低い人であったことから、思ったようにプロジェクトが進行しなかった。そんな中でAに「君は新卒なのだから単純なルーチンワークだけをやってくれればいい」「そんなプロジェクトはやっても意味がない」といったことを言われ、私はかなりショックを受けた。Aよりも格上の本部長・部長が承認してるのだから気にしなければいいと思われるかもしれないが、あくまで現場を取り仕切るのはAなので、彼が動いてくれないと進まないことも多かった。部長に相談もしたが、この部長自身もマルチタスカーで異常な業務量を抱えており、全てに対処できるような余裕はない人だったのと、社歴はAのほうが何倍も長く、年齢的にも一回りくらい上だった為、指示が出しにくいという背景があるように見えた。※その後Aには「申し訳なかった、傷つけるつもりはなかった」というような謝罪をされた
9月中旬頃から上記のようにプロジェクトがうまく進まなくなり始めると、それまでは感じなかった倦怠感が襲いかかってくるようになり、会社で仮眠をとったり午前休や早退をする日が増えてきた。土日は20時間ほど睡眠をとってもまだ眠く、一歩も外に出なかった。また抑うつの症状も出始めて、「Aさんの言うように私のやろうとしていることは無駄なのだ」「誰も努力を認めてくれない」「私が主体となっているから進まないのだ、人望がないのだ」などと考えるようになった。そしてある日、デスクで今自分が何をやっているのか、何をやろうとしていたのか、何をするべきなのかがわからなくなり、PCの操作ができなくなった。いよいよ自分の体がおかしいということに気付き、心療内科を受診した。
適応障害と診断され、約1ヶ月の療養が必要と言われた。7月からプロジェクトを任され、9月中旬までの約2.5ヶ月、体を酷使(深夜残業などで睡眠時間を削っていたこと)していたことのリカバリーのためには最低でもその期間が必要だとのことだった。その診断書を会社に提出し、会社の産業医、本部長、人事など何度か面談をし、休職の手続きをした。
休職期間は、とにかく寝た。寝たいだけ寝たほうがいいと医師に言われた。するとそのうち、寝ることに飽きる日がやってきて、何か行動したくなる日がくるので、そうなったらば回復した証だとのことだった。10月末にはその状態になり、11月1週目からの復職の希望を出した。それにあたり、かかっていた病院の医師の復職許可の診断書を会社に提出したが、産業医の許可も必要と言われたので面談をしたのだが、その内容が思いもよらないものであり、標題のように会社に対する不信感に繋がった。
休職前から何度か産業医と面談をしており、体調を崩すまでの経緯も説明していたし、具体的な症状も伝えていたにも関わらず、以下のようなことを言われた。
産業医も、うちの会社だけでなく何社も担当をしているので、一人一人のことなんて覚えていないのかもしれない。しかし、あまりにもこれまでの態度と違っていて、とても攻撃的だった。休職前の面談では「それは辛かったですね」「思い切って休職して、ゆっくり休んだほうが良いですよ」というように同情的だったのが、突然態度を翻し、「その程度のことで休むなんて社会不適合」「おまえにはこの会社は合っていないから、このまま辞めろ」と言われているようにしか思えず、この態度の豹変には「何か」があったのではないかと思う。面談の前には会社の人間が産業医と打ち合わせをしているはずだし、その「何か」は、会社からの指示ではないだろうかという邪推をどうしても拭うことができない。
また、復職に際し事実上の降格をさせられたことも1つ原因として挙げられる。業務内容はかなり限定され、単純作業のみになった。
そして1ヶ月間の「復職プログラム」というものを組まれており、1日の行動管理(平日だけでなく、土日に何時に起床しどこに出掛けて誰に会ったかも記載しなければならない)をされるのと、2日以上の休み、及び3回以上の遅刻(1分でも駄目)をした場合は強制再休職という条件つきでの復職となった。
10月の給料は支払われないため、10月1日〜31日分の傷病手当金を11月4日に会社に提出しており、「中旬には支給されるだろう」と言われたものの今日時点でまだ支給されないので、IT健保に直接電話したら「まだ申請がされていない」とのことで、どこで止まっているのかも謎。間もなく約2ヶ月無収入状態となり貯金も底をつくし、事情があって家族は頼れない。家賃等の支払いも各社に連絡して延期してもらっている状態だ。それに、11月20日まで休職していたのに11月分については傷病手当金の申請はできない(11月頭から健康上は復職できる状態にあったから)とのことで、11月に関しては傷病手当金ももらえない。