はてなキーワード: ヨーロッパとは
n=1だし、革命前に国をでたイラン人から聞いた話だから偏ってるかもしれないが、イランの国民性がちょっと特殊。
西洋の文化はギリシャ由来で、それもペルシャの真似だと思ってる。
イランというのは、アーリア人の国って意味で、ペルシャはイランの一地方の名前。
イラン人の歴史観は、いつの時代もまずイラン人が文化的な国を作り、栄華を極めたあとに必ず内紛でグダグダになり、その度に馬やラクダにのった蛮族(トルコ人やアラブ人)に滅ぼされるけど、イラン人は優秀だから官僚として取り立てられ、力を蓄え新しいイラン人の帝国を再興させる。それの繰り返しという歴史感。
彼らの中では、アラビア人の国もトルコ人の国もモンゴル人の国も、結局はイラン人官僚が支えてたし、それらの国が栄えたのもその前にイラン人が作った国とその文化があったからという理屈。(追記。なお、ヨーロッパ諸国は産業革命までは辺境。十字軍はエジプトらへんのアラブの蛮族とヨーロッパの未開人の小競り合い)
「NASAにはイラン人が沢山居る。Yahooのナンバー○イラン人、Googleの〜」という感じの自慢話が長い。そういう連中は革命前にイランを出た人やその2世とかだけど、国民性として、知性へのこだわりが強いみたいで、教育には力を入れてる。実際、科学論文数ランキングがかなり高い。注目される論文数で日本がイランに抜かれたとか何年か前にニュースになった。
それはさておき、そういうわけでイラン人は自分たちが特別だと思ってる。イスラムで括られるのも、中東で括られるのもすごく嫌がる。特にアラブといおうものなら、必ず訂正が入る。
「イスラム教は受け入れたけど、アラブ人になったつもりはないから。アラビア語なんかわからんから」
「あれはすごく昔のアラビア語。お経みたいなもん。なにいってるのかわからん。日本人だって卒塔婆のサンスクリット語読めないだろ?ちなみにサンスクリット語もアーリア系だからな」
とのこと。
で、シーア派ってのは、教科書だとアリーの子孫がなんちゃらって習うけど、結局そのアリーの子孫はペルシャの王族の血が入ったから実質イラン人の宗教、みたいな話だとか。イスラムは受け入れたけどアラブ人に上に立たれるのはとにかく嫌らしい。
そんなメンタリティな上に、革命前まで親アメリカだったもんだから、そりゃ中東からは偉そうな調子乗ってる国として総スカン。実際、石油と天然ガスが湧いて調子乗ってたし。シーア派とスンナ派というより、オレ様なイランの自慢がムカつくから、宗教のせいにしてるんだよ。経済制裁でこんだけ絞り上げられててもまだ偉そうだし。
そうすると、ますますイランがアラブ人組織のハマスに肩入れするのがわからない。
パレスチナを国家として承認してないのは、欧米だけ。他の国からしたらイスラエルが他国に侵攻してる。しかも民族浄化しようとしてるという認識。イスラエルに肩入れしてる欧米がおかしい。
俺は子供やうるさい人の声が死ぬほど嫌いであり、最近マナー悪い人と遭遇しがちな東海道新幹線新幹線に乗るのは極力避けてきた
しかし今回羽田空港の飛行機が欠航になり、振替が不能、新幹線以外に手段がなくなって渋々新幹線を使うことにした
日本人ではない
マジでこの年齢くらいで落ち着かない子を公共交通機関で長距離移動させるのはやめてほしい、はっきり言って社会における公害である
①乗った時から大騒ぎ
新幹線乗って楽しいのかな?1時間くらい騒げば黙るだろうと思ってたら全然だった
イライラゲージが溜まった
②野放しで通路を走り出した
イライラゲージが溜まった
流石に我慢の限界、直接注意するとトラブルになるので車掌さんに相談
これで一旦おとなしくなった
④また騒ぎ出す
なかなか降りないなぁと思ってたら親の会話を聞いてるとなんと旅程は新幹線で8時間らしい
おそらく羽田が欠航だらけになってるからだろうが3歳児連れでその旅程はアホとしか思えない
俺も4時間で死にそうになってるのにマジでそれは無理だろうとしか言えない
ノイキャンイヤホンを貫通していたので本当に尋常じゃないうるささだと思う
まだノイキャンで消せるからいいけど備えてなかったらやばかった
間違いなく金切り声がプラスされてたら静かにしろと直接言ってたと思う
と、同時にやっぱ新幹線は2時間以内じゃないと乗ったらあかんな…と痛感した
でも外国人(ヨーロッパ系)は睡眠薬で子供を寝せるってガセやん?マナー守るとかもガセやん!と思った
いや、これは日本の株式市場だけの話だけではなくて、先週からの大幅変動はいろんな国に影響を与えてわりとまじでやばかった。
アジア、ヨーロッパ、アメリカすべての市場でかなり激しい変動があって割と危なかった。
ところが日銀が金利を上げることについて、諸外国でどういう影響が出るのか全国紙レベルだと言及しているのを見たことがない気がする。
日本の影響力はすごいだろざまぁみろとかそういう話ではなく、割とマジで国際関係に影響を与えかねないレベルなのでちょっとマジで考えた方がいいのかもね。
となんとなく思った。
金利0.25%あげただけでこれだぞ。
ずっと若い気でいたけど、いつの間にか来年で還暦という歳になった
仕事やプライベートで海外に行く機会もあったけど、いわゆるメジャーどころで行ったことない場所がたくさんある
ヨーロッパだと今オリンピックやってるフランスとかドイツ(トランジットはあるけど)、アメリカだとニューヨーク
アジアではソウルしか行ったことがないし、アフリカとか南米はそもそも行ったことが無い
行ったことない場所が少ないんだから当たり前なんだけど、死ぬ前にあとどのくらい行けるのかな? ということをたまに考えてしまう
ピラミッドとベルサイユは実物を見てみたいし、気が重くなりそうだけどアウシュビッツには死ぬ前には一度訪れたいと思っている、あとイースター島も
自己啓発本から派生した、インフルエンサーマーケティングの弊害だね。
ヨーロッパだと自己啓発本なんて売れないし、SNSだって家族や知り合いと繋がるのがメインなんだよね。
これ格差があるのが理由だけど「他人ばかり見てると自分を見失うから」なんだ。
政治だってヨーロッパの人はデモ沢山やるけど、そうやって政治に熱くなって良いのは「自分の仕事や学業を全うしてから」ってのが基本ルール。
完璧なのは神だけ。世の中の難しいことや危機的なことは、神の手に委ねて良いのがキリスト教的な考え方。
ルネサンスは14世紀から17世紀にかけてヨーロッパで起こった文化的な覚醒期であり、アート、科学、哲学など多くの分野で大いに繁栄した時代だ。この時代、人々は美と知識の追求を極めて重要視した。ダ・ヴィンチやミケランジェロのような芸術家たちが、人体の美しさを忠実に描くために解剖学を研究し、芸術においては「清潔感」とも言えるような美学を追求した。
清潔感があることは現代でも大切な要素だ。容姿の良さは確かに多くの人々にとって魅力的であり、努力して清潔感を出すことは、相手に好感を持たれる一つの方法だ。しかし、ルネサンス期においても見た目だけでなく、知識や教養が同様に重要視された。
つまり、清潔感が容姿の良さと密接に関連していることを否定する人々がいるのは、美だけでなく心の内側や知識の厚みも人の評価に影響を与えるからかもしれない。だからこそ、ルネサンスの人々が示したように、バランスの取れた総合的な自己改善が大切なのだ。
Visa requirements for Turkish citizens
https://en.wikipedia.org/wiki/Visa_requirements_for_Turkish_citizens
クルド人は難民ではない?「その答えは十分に説明した」 トルコ大使
このうち中東地域はトルコ、イスラエル、UAE、カタールの4カ国。
一方で平成元年からパキスタンとバングラデシュに対し、4年からイランに対し、それぞれ免除を停止している
https://www.sankei.com/article/20240102-AT5TBD7I6JPQJEW243ZAIQS6VE/
クルド人密入国者が不法移民に英国の亡命制度を騙す方法を教えた衝撃的な瞬間:
「絶対に」帰国させられないようにアドバイスしていたことが調査で明らかになった。
www.dailymail.co.uk/news/article-12578125/Kurdish-smugglers-cheat-Britain-asylum-system.html
Country policy and information note: military service, Turkey
www.gov.uk/government/publications/turkey-country-policy-and-information-notes/country-policy-and-information-note-military-service-turkey-october-2023-accessible
難民保護費を不正受給の疑い トルコ籍の男逮捕 - 日本経済新聞
難民申請4回却下でも解体業を経営する「川口市のクルド人」の本音(前編)
toyokeizai.net/articles/-/256915
2006年~2022年までに日本で難民申請したトルコ国籍のクルド人は9,710人(法務省資料)。
x.com/Catsuzuchan_02/status/1830179686514901075
オランダ社会への統合と「クルド人問題」: クルド組織と第2世代の活動を中心に
オランダに居住し、トルコに背景を持つクルド系住民が、トルコでのクルド人の独立や連邦制を要求する政治活動をどのように展開してきたのか。
www.amazon.co.jp/dp/4842065958
x.com/simondylan1962/status/1834519958279335956
↓
国外退去の旅券、イランとトルコ大使館が発給拒否 日本に不法滞在、数百人
2017/7/13 07:00
イラン大使館は産経新聞の取材に旅券の発給拒否を認め「憲法とその他の関連法に基づき、居住地の変更を強制することはできない」と説明。
しかし、それが裏目に出て、現在ドイツの犯罪の統計を見ると、その頂点にいるのがクルド・マフィアとレバノン・マフィアだ。
彼らの犯罪は多岐にわたり、すでに様々な利権を獲得、暗躍できる法律のグレーゾーンも拡大している。
「大丈夫ですか」と声をかけて
それは日本の方から『迷惑』『悪いこと』と見られる意識はないと思う
ただ自分らしく生きているだけだと思う」
Kurds, Mafias and Legal Advice
amimagazine.org/2018/04/25/kurds-mafias-and-legal-advice/
クルド人のチンピラたちは、ドイツのビジネスマンたちに毎月保護費を支払うように言っている。
警察が捜査すると、クルド人は笑いながら、「俺たちの方が数が多いんだ 」と言って、警察に立ち去るように言う。
それはたわいもない自慢話ではない。
数年前の出来事。
「病院前大乱闘」で逮捕されたクルド人が日本に再入国していた! 羽田で「救急車を呼べ」と叫び、入管施設でハンガーストライキ【スクープその後】
「ハンガーストライキを始めた。脱水や低血糖の症状が出たので仕方なく仮放免の措置を取り、外に出したんです。しかし、手術をした病院に改めて聞いても、右腕についてはこれ以上の治療や処置は不要だという。しかも、昨年入院していた際も、病室で暴れたり、不満を述べたりして大変だったと。そこで強制退去の処分にしました」
tinyurl.com/shirobai
x.com/Parsonalsecret/status/1819014395734741035
職質されたら警察署を包囲
tinyurl.com/shokushitsu
隣接の集合住宅に住む
クルド人らが代わる代わる使っていた車だった。
捜査はうやむやになった。
その後すぐ、クルド人が15人ほどすごい勢いで集まってきたんです。
彼ら、声がとても大きくて、
tinyurl.com/4ca75z2e
tinyurl.com/3t4e8yyy
少年逮捕…父の車で死亡ひき逃げ 車体は大破損、ガラス割れるも「事故していない」…出国しようとしていた
tinyurl.com/hikinige
議員を威嚇
tinyurl.com/giin-ikaku
tinyurl.com/taishikan-rantou
tinyurl.com/kb4u9jvd
Hüseyin Baybaşin
コカイン44億円相当を押収 千葉県館山市の漁港 容疑者8人を逮捕
トルコ、イラン、イラク、ドイツ、スウェーデン、イギリス、フランス、アフガニスタン、オランダ、ベルギー、アメリカ、スイス、ノルウェー、ベラルーシ、ロシア
主な活動
武器密売、暗殺、暴行、爆破、自動車窃盗、契約殺人、麻薬密売、恐喝、人身売買、政治への浸透、誘拐、殺人、密輸、警察汚職、警察なりすまし、恐喝、証人脅迫、証人改ざん
ドイツ国内のクルド人マフィア・ギャングは、ドイツの実業家を恐喝し、保護と引き換えに毎月税金を納めさせ、
「俺たちの方が数で勝っている 」と警察を脅すことさえあるという。
w.wiki/Apqa
w.wiki/Apqb
当時は、ビザをもらえたため、
kenminkoron.org/202407-6757
家族が困難を乗り越え、日本で一緒に暮らしていけるよう支えてください
2011年の東日本大震災で起きた福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、
syncable.biz/campaign/6062
クルド人家族「またバラバラに」 全員再会から1年半、10月に離散の危機が迫る 迫害、2度の震災も逃れたが…
x.com/youme580337/status/1787707163324072236
トルコ編
www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/iryou/downloadfiles/pdf/countryreport_Turkey.pdf
フランス革命を語る上で結構重要な人物だと思うんだけど、フランス革命絡みの話題になってもあんまり名前がでてこない。
マリーアントワネットの首が歌うシーンが興味深かったから、意図をしりたくて、いろいろ読んだ。
具体的に言及はされていなかったから、はっきりとはわからなかったが、インタビューはどれも面白かった。
id:hazlittさんが教えてくれた、ラジオ番組からいろいろ読み始めた。
増田はフランス語は多少わかるが、わからないところは、DeepL先生に頼っているため、正確性は保証できない。
ホスト:昨日私たちは、コンシェルジュリーにおいて、革命の中、斬首されたマリーアントワネットがゴジラ(というパンクバンド)とマリナ・ヴィオッティと歌うというシーンを見ました。このシークエンスは、いったいどのような意図で書かれたのですか、ダミアン。
ダミアン・ガブリアック(監督):まず私は一人で書いたのではありません。すべてみんな(4人の中心人物)で書きました。そして理由は極めてシンプルです。私たちは、選手が進むルートに沿ってシークエンスを進めていくことにしていました。そして、ここではコンシェルジュリーです。マリー・アントワネットが斬首の前に幽閉されていた場所です。我々は自分たちに、これについては言及せざるを得ない、と言い聞かせました。ここで起きた歴史的なイベントは世界中が知っています。私たちはそこにエネルギッシュであることを求めました。だからゴジラです。そして、斬首されたマリーアントワネット、その両方。私たちは顔を突き合わせ、私たちが価値を見出していた(後述する)ロンドンのエリザベス女王とジェームスボンドを改めて思い起こしました。これだ、これだ、と。
パトリック・ブシュロン:そうですね、まず私たちがやった、みたものは、完全に、楽しく、集合的であったと考えています。そしてそれは全く同じく、議論するつもりがないことです、正確に。議論するつもりはないのです。私たちが見たものはまさに、さきほど述べられた通り、似ているのです。この多様性の物語、これが私たちのあり方だと、私たちが、大胆に主張している、複雑さと。それらは、あの歴史的なモニュメント(コンシェルジェリー)と、その美しさ、威圧的であることを望まない美しさ、私たちを勇気づける過去と一緒に示されました。私たちは誇りを回復しました、国家はアイデンティティではなく、あくまで政治的プロジェクトなのだ、という誇りを回復しました。私はそれらを若者に見せることができてとてもうれしいです。私の娘もコースでそれを見ました。あの悲痛なものを見たのです。それこそが全てです。シンプルです。私たちは、わずか数分の間にバスティーユを奪還したのです。
(中略)
ホスト:ダミアン、実際にこのセレモニーは、世代間的でもありましたね、だれにとっても自分事であるような感覚、ミュージカルレベルでもそうですし、サウンドトラックはすばらしかった。ダリダもあったし、クラシックもあった。とてもエモーショナルでした。とても美しかった。そして、話を変えるが、橋の上でのクィアたちとの最後の晩餐。かれらと一緒に生きているというシーンでしたね?ダミアン。
ダミアン:その通り。クィアはいた。でも付け加えるなら、フランスのすべてがあった。背が高い、低い、太っている、痩せている、黒人、白人、アラブ人、みんな違う衣装で、同じプレイリストを踊ったんだ。グアドループ(カリブ海)の音楽、オーヴェルニュの音楽、ヨーロッパの音楽を、同じ時にね。
トーマス・ジョリー監督に選ばれたパトリック・ブシュロンは、このセレモニーに寄せられる期待や懸念さえも承知の上で、「私たちに似た」物語を望むと改めて表明した。 「私たちはバカバカしいことや傲慢にならないように努めます。それをやったら、とんでもなく長い道のりになってしまうよ」と冗談を言う。
(中略)
「最初のシーンには、『エミリーパリへ行く』シリーズを観たアメリカ人などが期待する、パリで見られるものをすべて詰め込みました。きっと反応は「ありきたりなだな」だろうけど、それは違う。少し忍耐が必要です。所要時間は 3 時間 45 分です。紆余曲折があるでしょう。次に、これらのイメージは正反対の方向に進み、スノードームが転がるように、私たちはエッフェル塔(私たちが期待しているもの)を目にするでしょう 。私たちはすべてを揺るがすでしょう。違うものが出てきますよ。 」
(中略)
共同執筆者たちは、過去の開会セレモニーを研究しました。そして、アテネの謙虚さと、ロンドンの自虐性を継承することとし、北京の誇張されたナショナリズムを拒否することにしたのです。
「ディベートの仕方を知っている国に生きることはとても大きなアドバンテージです。おそらく、(この国に暮らす)外国人たちが我々にもたらしている、楽しい面のカオス、それには多くの憤りと尊敬が同居していますが、私たちはそれを見せなければならないのです。」
開会セレモニーの原点は、セーヌ川の流れとともに進む、という点である。
「私たちが見せる、このゆっくりとした流れるイメージ、この空想上のパレードは、パリが示すべき力の中にあります。このステージは軍隊のデモンストレーションパレードではないのです。フランスはもはやー私は全く望んでいませんがー世界に対して、我々の歴史について講釈を垂れるような立場ではないのです。私たちは、持っているもの、信じているものでやるしかないのです。我々が込めたメッセージはシンプルです。言葉で、あるいは映像で、伝わればうれしいですが、そうです、それは、”すべてがある、それでも私たちは一緒に生きていける”ということです。」
パリの歴史から離れて、歴史家は、パリジャンの通勤のあり方についても、言葉を用いずに示すつもりだといいます。
「英雄的物語の反対にあるもの」を語る、というこの歴史家が大量のインクを費やしてきたフレーズにおいて、彼は、その立場を明らかにした。「私たちはしゃべりすぎです』と彼は笑う。宣言も挑発もない。オリンピックゲームは、包括性、平等性、多様性という価値観に基づいています。セレモニーはそうでなければならない。私は歴史家だから、ナポレオンの話をしなければならないなら、どうすればいいか知っているし、そうするつもりです!しかし、それだけではありません。絵画(Tableau)ではより完全なものになります。私たちは何も削除していないのです。追加しているんです。セレモニーは軍事パレードではないが、謙虚でないのに謙虚なふりをするつもりはない。その一方で、私たちは互いの違いに連帯感を示すことができる。誰もが楽しめるものになるでしょう。」
少し考えた後、彼はこう付け加えた。
「私に、世界(の見たくないもの)に対して目をつむることを期待しないでください。パリに世界を迎えるのであれば、ありのままの世界、ドラマなども含めて歓迎します。オリンピックは原義的に政治的なものですから、政治的なものを排除するということはありえません。しかし世界の最も公正な感覚の中にあってほしいとのぞみます。」
彼は微笑みながら、「こんなに複雑なものに参加することになるとは思ってもみなかった」と話した。
(増田はルモンドやリベラシオンに課金はしていないので、まとめ記事が助かった)
(略)
ジョリーと4人の作家が2022年末に共同の冒険を始めたとき、ルートはすでに決められていました。
東のアウステルリッツ駅から始まり、ノートルダム大聖堂、マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリー、ルーブル美術館、 ガラスのドームが特徴のグラン・パレなど中世の遺跡を通り過ぎ、エッフェル塔のふもとで終わります。
「私たちはダウンジャケットを着て、アウステルリッツ橋からエッフェル塔 までボートで川を上下しました」とジョリーはル・モンドに語った。
「私たちはパリの歴史の一部であるあらゆるものを見ました。通り、記念碑、広場、彫像。文学的な書簡、映画、ミュージカルも調べました。」
彼らは何度もブレインストーミングした後、約9か月間秘密裏に執筆を続けた。
フランスのカルト映画「アメリ」やアメリカのネットフリックスシリーズ「エミリーパリへ行く」の夢のようなパリに引き込まれることを警戒し、 彼らは「常套句やアメリカ流のフランス解釈についても、茶化さずに扱わなければならない」とわかっていたとジョリーは語った。
彼らはショーを12の絵画(セーヌ川沿い、セーヌ川の上、さらにはセーヌ川から出る)に分割し、約90隻の船に乗ったアスリートのパレードと掛け合わせた。
3,000人を超えるダンサーや俳優が岸壁や橋の上でパフォーマンスを披露し、それぞれの絵画は、パリのシンボルと、過去と現在の両方について呼び起こすものを描いており、世界をパリの歴史と建築の旅へと誘う。
例えば、ノートルダム大聖堂は、ゴシック様式の記念碑であり、19世紀の作家ヴィクトル・ユゴーとのつながりであると同時に、猛烈な地獄でもあるなど、人によってさまざまな意味を持っています。
「世界が最後にテレビでノートルダム大聖堂を見たのは、火災のときでした」とブシュロン氏は言う。「誇りと壮大さの物語だけではなく、感動の、再建の物語でもあるのです。私たちが演じたかったのは、どんな困難にも負けずに共に生きていこうとする粘り強く創造的な意志の物語です。」
自らを「現代を愛する歴史家」と称するブシュロン氏は、式典はできるだけ多くの人々に語りかけるものでなければならなかったと語る。
「パーティーを開いてお気に入りのプレイリストをかけるのとは違います。世界からフランスへ、そしてフランスから世界へ語りかけるものでなければなりません。私たちはただ、人々が共感できるように、当時の状況を描写しようとしただけです。」
(略)
エマニュエル・マクロン大統領は、セレモニーでは1789年のフランス革命から1948年の世界人権宣言まで、「解放と自由の偉大な物語」を提供すると述べた。
セレモニーの詳細は秘密のベールに包まれているが、フランスの価値観が何らかの形で讃えられると推測されている。フランス系モロッコ人の小説家であるレイラ・スリマニは、パリが集合的であろうとする努力に価値を置いていることーそして力を合わせることで考えられないようなものを生み出せるーを高く評価している、とル・モンド紙に語っている。
4人の作家は、自分たちの物語に寛大な精神を持たせたかったという。
「喜び、模倣、動き、興奮、輝きがなければならない。フランスが時に自信過剰に見せたがる伝統的、哲学的、価値観だけでなくね。」
(略)
一方、昨年9月にパリで開催されたラグビーワールドカップの開会式は、「反例となった」とブシュロンは言う。
『アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダンが、ベレー帽にバゲットという出立ちで、1950年代のフランスの村々を再現した模型を自転車で巡り、ミルク絞りの女性やダンサーに手を振るというこのショーは、多くの批評家から、時代遅れの陳腐なフランス表現だと非難された。そして、非常に内向きなフランスだった。
「ただの古臭い過去のイメージや、現在の単純な賞賛ではないものでなければならない。歴史は揺らいでいるもので、国家はアイデンティティではなく、政治的プロジェクトであることを忘れてはならない。だから未来を語るのです。だから、私たちはセーヌ川を大旅行し、みんなを巻き込もうとしています。」
ブシュロンは、最も感動的なショーとして、ジャン=ポール・グードによる壮大な舞台美術を伴った、1989年のフランス革命200周年記念式典を挙げている。
当時20歳だったブシュロンは、それを見て歴史家になろうと決意した。
「それは歴史を痛感した瞬間でした。1989年、ソ連、中国(天安門広場の抗議活動)など、世界では多くの出来事が起こっていました。当時、私たちは多文化フランスと呼ばれていたものの価値を声高に明確に宣言することができました。それはより困難になり、ある種の幻滅感もありますが、私たちは怯んではなりません。」
数週間前、フランスでは議会選挙後に極右政党「国民連合」が政権を握るかもしれないという懸念が真剣にあった。その場合、ショーは「ある種の抵抗のセレモニーに変貌していただろう」とジョリー氏は語った。
結局、マリーヌ・ル・ペン氏の党は好成績を収めたが、セレモニーの書き直しを必要とするほどではなかった。
「私たちは、切実に、いたるところで起こっている暴力から離れて、平和の瞬間、止められた瞬間を共有することを必要としています」とスリマニは言った。
「私は本当に、7月26日にみんなが流れに身を任せてくれることを願っています。私たちの中の子供の部分、発見する楽しみを思い出してほしいです。今では本当に珍しいものになってしまいました」
と思っていたけど、セーヌ川、コンシェルジュリーが先にあることがわかった。ルイ16世でない理由もそこにある。またマリーがサン・キュロット版のア・サ・イラをうたい上げた後に上がった数多くの血しぶきは、その後のコンシェルジュリーで数多く処刑された人々のものであろうとも思う。なぜなら、マリーはすでに断頭済みだから。そして、ガブリアック氏、ブシュロン氏のコメントから、別に完全に誇っているわけでもないこともわかりました。やるしかねぇな、と言っているのですから。またブシェロン氏はdéchirer(悲痛な、引き裂かれる痛み)という言葉を使って、あそこで起きたことを示しており、歴史家である彼は当然革命期のその後の悲劇を知っているわけですから。それでもなお、彼は「バスティーユを奪還した」といい、国家は終わるもので、政治的プロジェクトに過ぎないのだ、ということを「誇って」いるという点が印象的でした。右派が怒ることなども承知の上でしょう、なにしろ、「ディベートの仕方を知っている国に生きている」のですからね。
開会式全体に込められたメッセージから判断すると、別にキリスト教を揶揄はしていないんでしょうね。挑発はしているかもしれませんが。クィアは存在する(キリスト教がないものとみなしている)ということを目ぇ開いてしっかり見ろ、ということが言いたいのでしょうから。真正面からね。
要は、暴力やクィアなど、みたくない、特にオリンピックにおいて、というものも当然パリは包摂してるぜ、外国人問題とかもカオスだけど、でもちゃんと一緒に生きてるんだぜっていうメッセージと受け取ったね。論争が起きるのとか、まさに狙い通りでしかないんじゃないですかね。