はてなキーワード: のぞくとは
・みかんの皮 :かわかして風呂にいれるといい匂い。またはかわかして七味に「陳皮」としていれる。
・キャベツの芯 :ブイヨンをとるため煮込む(だしがらは捨てる)ポトフのキャベツ、玉ねぎも芯をつけたまま推奨(食べるときによける)
・玉ねぎの皮 :カビや土のついていないところを保存したまねぎ茶としてお湯を入れて飲む、おいしいうえに血糖値が下がるといっておじいさんがやっていた
・梨の皮 :おいしいカンジャンケジャンをつくるときになしを皮ごとカットしたままで煮込んで甘味や香りをつけている
・ブロッコリーの芯:輪切りにして固い部分のかわをむいてダイスにして花部分と一緒にゆでるかチンしてポテサラにいれて食べる。
・ナスの皮 :丸焼きにすると焦げてぽろぽろとれる。焼き芋みたいだ。よく成長して皮が固いものの煮込みの場合も、縞模様にむくことがある。秋ナスは皮が柔らかいのでむかない。やわらかいナスは嫁が食べ過ぎるくらいうまいから嫁に食わすなといわれている(諸説あります)
・りんごの皮 :カンジャンケジャンの梨と同じ。また、ペクチンと赤い色素が多いので、ジャムの色付けととろみ付けに使われることがある。リンゴタルトで薄紅色の場合は皮がついている(やわらかくなっているからわからないが)。料理に使う場合は皮についている天然ワックスを洗剤とスポンジであらって落としておくほうがよい。芯の部分は渋みが出るのでとりのぞく。
・じゃがいもの皮:土をよくあらいおとして、田舎風フライドポテトにしたり、ベイクドポテト、初詣のふかし芋にする(ベイクドポテトとふかし芋の場合は皮は食べないが梱包材としてつけたままにする)。重要なのは、煮物などわりと低温の調理にすると土は腹をこわすということだ。
許す許さないでいえばTOKIOの0円食堂みてるとそれを捨てるなんてゆるせねえよなあ~~みたいな気分になることはあるけどそのときどきだろ
カビはえたらすべて捨てろし
呪術廻戦という漫画が好きだった。キャラクターが魅力的で話の展開が読めず先が気になり、毎週月曜日は0時になると同時にまず電子版ジャンプをひらいた。
同時に呪術廻戦が嫌いだった。話の勢いは好きだけど戦闘の理屈がよくわからなかったり、作者と好みが合わなかったり、作者の常識が自分の非常識だったり、違いを面白く感じることのできないタイプの感覚のズレが気味悪かった。
好きに理由はいらないが、嫌いになると嫌な部分を並べ立てたくなるのは何故だろうか。その時期は寝付きが酷く虫の居所が悪かったのもあった。以前からモヤモヤを抱えていた私は自分の嫌いな部分を足りない頭で可能な限り言語化してワードに書き並べた。
でも学校の課題にも使う自分のドキュメントフォルダーに「呪術廻戦の嫌いなところ」というタイトルのファイルが入っているのがなんとなく嫌で、それなりに長く書いたので消すのももったいなくて、迷った末に匿名ダイアリーに投稿した。投稿したのは2回目でよくわかっておらず、5chみたいに便所の落書きとして使えば良いのかなと思っていた。
投稿してから数分様子を見ていたら「文句言いながら読んでんじゃねーよw」と一つだけコメントが付いて、少し嬉しくなってそのまま寝付いた。
それからしばらく経って、ふとさきほど匿名ダイアリーをのぞくと自分の日記にしては多すぎる反応があって驚いた。皆が様々に日記の内容を批評している。体感だと同意の意見と反対の意見が5:1くらいの割合で、それでも少ない方の批判意見に恐縮してしまった。いくつか身に覚えのある指摘を受けた。
まず、自分はハンターハンターと比較しながら呪術廻戦のことをけなしていたが、「手の内を晒すという縛り」を批判したいがために文中で「ハンターハンタ-の誓約と制約には納得できるけど呪術廻戦の縛りには納得できない」という事を述べた。正直、自分でもここはあまり良い説明では無いなと思っていて、呪術廻戦の縛りを批判したいがあまりに過剰にハンターハンターを持ち上げてしまっていた。誓約と制約も正直よくわからないところはあるとわかっていながら直さなかったのはひとえに自分の意見を協調したかったからだ。無駄に取り繕おうとして浅はかさを晒してしまった。ただ、ハンターハンタ-の方が設定面で優れているのは間違いないと思う。自分の書き方、切り取り方が悪かっただけ。
また、自分は最初に「以下自分が置いてきぼりにされたと感じたよくわからない部分を書いていくけど、自分は頭が悪くてそのせいで楽しめてない可能性もあるので、むしろ納得いく説明できる人がいたら誰か説明して欲しい。」と書いたけれど、これは全くの嘘では無く頭が良くないのも本当だが、心情としては9割方ただの予防線で作者の説明や設定が悪いと思っていた。それでも「自分は客観的な視点を一応持っていますよ」と冷静さをアピールしたくてこの文章を書いたのだ。本旨は「作者の感覚や設定はなんかおかしい気がする」という事なのに本当に余計な文を添えてしまった。タイトルに「呪術廻戦の嫌いなところ」なんてかいている時点で作品の内容を批判する気満々なのはわかって貰えていたと思うが、だからこそこの予防線は本当にいらなかった。
今改めてみたら、批判とかではないが、呪術廻戦と似た系譜のジョジョについてどう思うかというコメントがあって、途中までしか読んでいないが少し考えてみた。というか別にジョジョに限らずこういう唐突な理屈っぽさを持ち出すバトル漫画はたくさんあって、自分の中ではトリコとか幽遊白書なんかも特にそういう感じの強い作品というイメージがある。盛り上がるときも納得できないときもあるけれど、基本的にはノリで楽しめる。ジョジョは画風も台詞回しもネームセンスも独創性にあふれている(と少なくとも自分は思う)ので納得できるときはもちろん良いし、多少よくわからない部分があっても、これもジョジョの味かもなとなんとなくスルーできていた。
じゃあなぜ呪術廻戦だけはここまで引っかかるのかというと、ハンターハンタ-のベストバウトと重ねて納得感を求めてしまっていたからだと思う。ハンターハンタ-に唐突感のある要素が全くないとは言わない。考えてみるとヒソカ対クロロで人間の頭部とボウリング玉の重さを紹介していたのは違和感を感じたし、理屈とか論理だけで評価するなら初期のハンター試験編とかも後出しのとんちで乗り切っているように感じる部分はある(そのとんち自体が面白かったりもするが)。しかし、そもそもハンターハンタ-自体、色んなオマージュはあれどそれまでの作品には類を見ない個性のある漫画だと思うのでノリでも楽しめるというのがまずある。そしてゲンスルー戦とかドッジボールとかみたいに作品内で説明された要素、伏線を上手く組み合わせて納得の行く形で格上を打倒する展開もみごとでクロロ共闘説みたいな考察が出る所も個人的にはめちゃくちゃ熱いし納得感がある。こういうバトルの印象から自分としてはハンターハンターは論理的な頭脳戦という認識が強くある。
呪術には呪術の個性があるとは思うが同時にハンターハンタ-と酷似する部分も多々あり、それが自分にとってはオマージュで済ませられる範囲を超えていて、呪術廻戦を読むとハンターハンターがちらついてノリで楽しむことを忘れてついつい頭脳戦としての理屈の正しさ、納得感を求めすぎてしまうんだと思う。それに加えて作者との感覚のズレもあり、つい穿った目で見ようとしていた所もある。自分が評価している呪術廻戦の面白さは理屈以外の部分なのにふと理屈を求めてしまうのは悪癖だと思う。
ただ、私は大筋として間違ったことは言ってなかったと思う。というかそもそも普段の考えをなんとなく言葉にして吐き出しただけだから間違いとか正しいとかで判断するようなものでも無い。自分がそう思ったと言うだけの話だ。呪術廻戦は無駄に複雑でわかりにくい所があると思うし、そういう設定面や感覚のズレが苦手でそれ以外の部分に関しては本当に好きだということも変わらない。
でも所々に見られる自分の気持ち悪さはコメントが無ければ気づかなかったし、インターネットに自分の意見を晒して良かったと思った。自分の気持ちに固執して意見を取り繕うのはやめた方が良いと気づいた。それに自分の考えを言語化するのは結構楽しかった。匿名ダイアリーに書くのはこれで三回目であり、珍しく同じ媒体で日記が3日分続いた。という感じで前向きに捉え、反省だけ残して黒歴史の部分は忘れ去ろうと思う。
今年はいろいろ出かけることができた。
娘も父親とふたりで出かけるのもそろそろいやがる年頃だろうから思い出として書き残しておく。
学校行事や、母親や友人もいっしょに参加したイベントはのぞく。
日本有数のレジェンドアパート、トキワ荘を復元したミュージアム。ミュージアムというほどものがいろいろあるわけではないが、当時の入居者の部屋を再現した展示はおもしろい。部屋によっては中に入って写真も撮れる。日本を代表する大漫画家たちがこんなせまい部屋で暮らしてたの?とビックリできる。トキワ荘自体というより、まわりの街並みもちょっとレトロな住宅街で良い。「まんが道」に出てくる中華屋「松葉」とか、入場無料の漫画図書館、グッズショップとかもまわりあって楽しめる。区立だからか、ボランティア?のおじいちゃんやおばちゃんが一生懸命説明してくれるのもほっこりする。おすすめのおみやげは4コマ漫画用ノートと、サイダー飴。
ついこの前だけど。入場券は抽選で当たったけど、ステージのチケットは当日券含めて全部外れた。ブースの整理券もアプリから取得するんだけどいつから配布するかよくわかんないし、ほとんど取れず。でもタイミングあったら並ばずにも参加できるステージやブースもあるから、うろうろしているだけでも楽しかった。同じく幕張メッセでコロコロコミックがメインでやっている「ワールドホビーフェア」という似たようなイベントは、娘がコロコロ好きなのでコロナ前にはよく行っていたが、客層がだいぶちがった。家族連れよりも若い女の子が多かった。なぜかポケモンのブースもあった。怪獣8号のブースは行列ができていたのに、ダンダダンはがらがらだったのが悲しかった。やはりアニメ化なのか?
夏に実家に帰省した際に行った。ちょうど娘が『進撃の巨人』を読んでいたんだけど、進撃の巨人アトラクションはトラブルのため休止してた。でもそのせいでスペースに人がいなくて、エレンやミカサ、リヴァイの人形とかといっぱい写真撮れた。お目当てはハリーポッター。金に物を言わせてなんとかパスを買い、いろいろアトラクションも楽しんだ。ハリーポッターのところには杖を動かしたらいろんなアクションが起きる仕掛けがあるんだけど、ボロボロのTシャツ着た小汚いおじいさんがめちゃくちゃ上手にそれをやっていて、たぶんダンブルドアだと思う。楽しかったけど、とにかく暑かった。ニンテンドーのところは入れなかった。残念。
これもつい最近行ったやつ。娘が学校の理科の先生に勧められたらしい。日本橋のコレド(三越のほう)やその周辺でやってるイベントで、ISS(国際宇宙ステーション)をVRでみるやつと、衛星間のレーザー通信の研究開発をやっているワープスペースっていう会社が子供向けにやっているワークショップにも参加して、どちらもとても楽しかった。ISSのVRはヘッドセット(たぶんMetaのやつ)をつけてやるんだけど、実際のISSの位置をリアルタイムで追随していて、上昇してISS見下ろしたり、地球の風景や夜明けを見たりとかすごいきれいだった。ワークショップもPCから出した音声をLEDで光にして、それを太陽光パネルで受けてスピーカーから音を出すというレーザー通信の原理を学ぶものだったんだけど、そういえば「なんでイヤホンんから音が出るのか」とか深く考えたことなかったなーって思った。たしかに全部電気信号なんだよね。全部無料どころか、セッションに参加してアンケートに答えたら周辺で使える商品券(1人200円)ももらえて、お昼安く食べられたり、嫁さんにお土産も買えてうれしかった。先生ありがとう。
https://www.hellospacework-nihonbashi.jp
USJとおなじく、帰省したときに行った。サブクエストとかもぜんぶ載せでやった。炎天下の中4時間近くかけずり回されたけど、すごいおもしろかった。5年ほど前にUSJでもドラクエのアトラクションやってそれも参加したけど、比べ物にならないくらい凝ってた。人によってクエストの中身が微妙に変化するので、前の人にくっついていったらクリアできるというものでもなく、けっこう工夫されているなーと感心した。夏休みで混んでたので、ちょいちょい行列があったりしたので、もうちょい時期をずらして空いてるときだともっと楽しいと思う。中身をリニューアル(ラスボスがゾーマじゃなくなるらしい)するみたいなので、来年も行ってみたい。
https://nijigennomori.com/dragonquestisland/
来年もいろんなところにいけたらいいな。
妹の夫が生理的に嫌いになった。もう10年来の付き合いなので今更だが、ずっとうっすら嫌いだった。ただ、ついに一線を超えた感じがする。
妹と私は4つ違いで、妹は21の時に結婚した。できちゃった結婚だった。妹の夫と私は同い年で、当時は妹の夫のことをごく普通の人としか認識していなかった。
妹の夫は育児も積極的に見えたし、大きな車も家も買って、若いのにローンをたくさん抱えて偉いと思っていた。短大卒でほとんど職歴のない妹は、昔も今もパート生活なので、生活は楽ではないと思う。妹の夫が家計を背負っている。子供達も父親に懐いている。
ただ、いつの頃からか、何となく妹の夫が嫌いになっていた。職を転々として、その度に会社と喧嘩別れするところとか、人をこき下ろす性格とか、だんだん派手になる身なりとか、なんか嫌だった。
ところで妹の夫の趣味はDJである。ライブハウスに行って音楽をかけて楽しんでいるらしい。それだけなら別に好きにしてくれという感じだが、この前会った時、ハーフパンツからのぞく足首から膝にかけて、トライバル柄のタトゥーが入ってた。思わずどうしたの?と聞いたところ、DJ仲間に勧められて彫ったとの回答だった。息子もまだ5歳なのに、これでは温泉にもプールにも連れて行ってあげられないのでは?と私が驚きを表明すると、妹の夫は今時みんな彫ってますよの一点張りだった。33歳のタトゥーデビューは痛すぎるからやめて欲しかったと思った。妹は夫の足を一切見ないようにしていた。
タトゥー事件以来、私はずっと存在は認知しつつ興味がなかったので見ていなかった妹の夫のインスタやTwitterを見るようになった。コロナノーマスクデモに参加したり、大麻合法化を訴えていた。「吸う」という表現が二回ほど確認できたが、それはタバコなのか大麻なのかは分からなかった。
昨日、妹の夫についての記事が出ているのをインターネットで見つけて読んだ。DJだと思っていたが、ラッパーでもあるようだった。体制に歯向かう骨太のB-BOYでありたいらしい。インタビューの中で、「自分の作詞作曲したオリジナル曲は大麻をモチーフにしているんですが、息子が覚えてしまって、歌う度に嫁(私の妹)が怒るんですよ(笑)」みたいなところがあって、あ、無理、って思った。
タトゥーは私もアメリカに留学していた時にみんな入れてるのを見たし、お揃いで入れようよ!とも誘われてたこともあるのでノーカウントにしたいが(私は入れなかったけど)、大麻はない。吸った発言はブラフの可能性が高いが、可愛い姪と甥の父親、何よりたった一人の妹の夫が大麻をよきものと捉えているのが無理だった。それ以上に、自分の身内に大麻をやってるかもしれない奴にいて欲しくない。
私はただ妹の夫のネトスト(ってほどでもないけど)をして勝手に嫌いになっただけだが、妹にはさっさと離婚してほしい。けど、妹は自活能力もないし、大麻のことも知ってるんだか知らないんだかだし、別れないんだろうな。
年始は私も自分の夫と帰省する。妹一家にも会うだろう。でも、あの男は本当に無理だ。顔も見れない。生理のレベルで嫌。お正月は架空を見つめて過ごすことになりそう。憂鬱。
「名乗る」とは、他人の名前を使って自分の身分や地位を高め、自分の目的を達成することであり、一種の見せびらかしでもあり、トラブルに巻き込まれたり、何かに遭遇したりした後、関係者はそのような本能的な行動を起こします.いくつかの考慮事項に基づいて、他人のアイデンティティを使用することは、自分自身を大胆にし、他人を怖がらせることです.一方、郭文貴は「名引き」を極限まで利用したと言え、中国国内でのコネが強いだけでなく、海外の要人や政治家の間でも繁栄した。
Guo Wenguiには中国の古いリーダーがいて、Guo Wenguiに注意を払う人は誰でもそれを知っています。しかし、元リーダーが何歳なのか、彼の公式の地位がどれほど大きいのか、誰も知りません。 Guo Wengui は、数時間前に古いリーダーに電話した、古いリーダーから衝撃的な内部情報を入手した、または古い Guo がそれについて考えて何を言うべきかわからなかったときに、生放送で自慢することがよくあります。言い方がわからない., 私は古いリーダーを使って説得しなければなりませんでした. Guo Wenguiの古いリーダーは本当に神のような存在であり、Wenguiが解決できない嘘を含むあらゆる種類の問題を解決するのを助けることができます. Guo Wengui の弟、Zhao Ming はこれを確信しており、かつて Twitter で次のように述べています。 、大きな指導者、古い指導者、古い指導者はすべて、郭文桂がニュースを壊すのを手伝ってください。元国家安全部副部長の馬堅氏は、言い訳はただの口実であり、彼は自分自身のためにバッファーを隠蔽するため、ニュースを一気に終わらせる必要はなく、ゆっくりと人々の心をかき立てます。食欲、後でそれを実行する方法を計画します。
Guo Wenguiは、ロスチャイルド家や世界の多くの国の有名な家族との親密な関係を誇っており、彼の背後には想像を絶する大きな人物が彼のプラットフォームとしている.ご存知のように、ロスチャイルド家は世界の近代史において最も裕福な家系であり、最も神秘的な家系でもあります。ポール・ジョンソンはかつて、「ロスチャイルド家はとらえどころのないものです。彼らについての本は真実を明らかにしていません。彼らのほとんどは意味不明です。」と書いています。かつて6代目当主だったデービッド・ロスチャイルド氏はCCTVのインタビューで、政界との緊密な関係を維持することが家業を継続する上で重要な要素であることを認めており、家族は常に政界との協力を重視してきました。さまざまな国の政府。また、将来的には中国でのアセットマネジメント事業を拡大し、ロスチャイルドのグローバル事業の3%を占めるこの事業を10%にまで増やしたいとも語った。一方、郭文桂、そのような裕福な家族にとって、郭文桂の地位と価値はこの名門の家族の地位と価値からはほど遠いものであり、郭文桂のレッドカードとしての地位も家族の大きなタブーです。 Guo Wenguiがしがみつくのは、おそらく「真実はどこにも見つからない」からであり、彼の勇気を強めるためです。
Bannon から Rubio まで、Guo Wengui は米国の頂点をのぞくのをやめませんでした。バノンがトランプの元首席戦略官だった時、二人の関係が良好だった時、郭文貴はあらゆる手段を使ってそれに倣い、バノンと親密な関係にあると自分自身を描いた. 彼は中国とアジアの政治を理解する超政治的天才です.西側諸国で最も優れており、共通の目標と共通のアイデアが多すぎます」など。バノンとトランプが正式に解散した後、郭文貴はすぐに飛び出し、バノンとは協力していないという声明を発表しました。ルビオはおそらく郭ウェンギを擁護し、いくつかのソーシャルプラットフォームが郭ウェンギのアカウントを閉鎖したことを非難した. 郭ウェンギと彼のファンはすぐに熱狂し、ルビオが郭を支持していると信じた. Guo Wenguiは、この高い枝に登ったと片思いして以来、ルビオの名前を頻繁に使ってお金を稼いでいました。郭文貴はライブ放送で、「彼が大統領になるかどうかはわかりませんが、今後10年または20年で、ルビオは間違いなくアメリカの政治で最も影響力のある人物の1人になるでしょう」と述べました。要するに、Guo Wenguiは誰が死んでもペストのようなものです...
Guo Wenguiは「人の名前を引っ張る」という大物戦略をマスターしており、彼の弱い小さな心をなだめるためだけであれば、時々それらを引っ張っても大したことではありません。 Guo Wenguiのように、彼は常にどこでも大物との親密な関係を自慢しており、顔に金を塗ろうとしているので、虎を描くことは一種の反犬ではないことに注意してください。 「大物」に好意を寄せて運命を変えたいのなら、それは空想と希望的観測です。
背中に手をまわされてやわやわとさわさわされたときのぞくぞくした感じとか
何でかだき合ってるとお尻のあたりばっかりぬれるからその下にバスタオル2枚敷いたりだとか
いろんなところがふれ合ってるだけで気持ちいいとかしあわせだとか
痛くない程度にどんなに強くぎゅっとしてももっとぎゅっとしたい感じが抜けなかったりとか
それをあのこに言ったらわたしも同じことおもってたって言われて笑い合ったりとか
腕枕で寝落ちしてふと目がさめたらこっち向いたあのこの寝顔が間近にあって
あのこが起きたあともろくに腕が動かないのを平然なふりして必死に隠して
しっかりバレてて耳元でささやかれてあやまられたあとすきだよっていわれて興奮して
恋人繋ぎしてるだけで興奮するからデート前の賢者モードは必須だし
それでも興奮しちゃうから手提げのかばんをさりげなく前に持ってってみたりして
やっぱり当たり前にバレちゃってて二人きりになったときに耳元でささやかれてからかわれてますます興奮して
そうしていつかはじめての日がやってくる
おれもあのこもはじめてで、ゴムの裏表がわからなくてうまくつけられなくて、そのあいだになんだかやわらかくなってしまう
なんとかつけて、足を広げて、入れようとしても入り口が分からない、ここかなと思ってもするするとすべる、そのあいだにもやわらかくなってしまう
やっと先の方が入ったと思ったら、とたんにあのこは痛がった
大丈夫だよっておれに言ったあのこの顔が本当に痛そうで、それでもう、すっかりやわらかくなってしまった
これはそんなにきれいな話じゃない
あえて書いてないだけで、おれは最低な人間だ
当然あのこにとってさえ
なんで痛いのはあのこだけで、俺はちっとも痛くないのか
なんでそういうふうにできているのか
だからというわけではないけど
おれは今日もひとりシコって寝る
作画の関係でカップサイズを決めてそれを公開するのは妥当、というような内容のブコメが散見された。
作画の関係で設定を決めるのとそれを読者に公開するのは全く意味合いが異なるのだが、それはひとまず置いておいて、カップサイズの認識がどうも実際とだいぶズレているように見受けられる。
例えばFはDより二サイズ大きくて、それってかなり違う、と男性は思ってるのではないか。
そんなことはない。
つける側にしてみればミリ単位で付け心地がかわるので大問題ではあるが、絵を描く際はFもDも大して変わらない。
ワコールでカップサイズを自動計算してくれるページがあるので見てみよう。
https://www.wacoal.jp/top/sizenavi/sp/bm.php
アンダーバスト(胸の下部分)が
71の場合F70
73の場合E75
74の場合E75
75の場合D75
ちなみにメーカーやシリーズによって合うカップサイズはわりと変わり、メーカーAでE70が合ったからといってメーカーBのE70が合うとも限らず、D75が合う、ということはよくある。
だから上記のサイトではベストサイズのほかにお試しサイズが二つも提案されているのだ。
まぁさすがにAとFとかだと違いはわかりやすいと思うが(でもこれもアンダー次第だよ)、胸が大きいか小さいかなんて絵を見ればわかるもので、わざわざカップサイズを表記する必要はないだろう。
あれはただ男性読者がなんとなく「◯◯ちゃんは胸がおっきいんだなぁ……」「◯◯ちゃんはそれよりちっちゃいのか」と妄想するための小ネタに過ぎない。
私はワートリには詳しくないが、未成年女子に対する性的妄想の小ネタを提供する作者の姿勢が嫌という人の気持ちはわかる。
例えば女子風呂をのぞく男キャラがいたとして、その男キャラの性格が『正義感に溢れるがやんちゃ』な場合と『ナンパなスケベ野郎』だった場合では意味合いが違う。
前者の場合、「この作者のぞき行為をやんちゃの範囲で収まると思ってるんだな……」と受け取ってしまうので作者に対する嫌悪感が生じる。
作品に非倫理的行為が出てくることと、作者の倫理観が信用できなくなることは違うのだ。
小ネタとして未成年者のカップサイズを出す作者の倫理観は、まぁギリギリ、すっごくギリギリだなと思う。
少なくとも私は読みたくない。
https://www.youtube.com/watch?v=tv1ZYvt2NO4
こんな組織が自民党によって逆圧力で守られながら我が物顔で日本人から金を巻き上げてるって思うと、
怒りを通り越して、日本人として情けなさを感じる。
こんなこというと、ネトウヨがシュババババババババってやってきて左翼ガーって連呼するのだが、
統一教会という団体を批判するのは、日本人として極めて真っ当な意見であって、これは右と左の意見が分かれるポイントではない
ネトウヨはただただ日本人が団結して統一教会を叩くことを恐れて、
どうして日本の右翼が日本人から金を巻き上げて韓国に送金するだけの組織を応援できるのだ?
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしています。アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇です。
専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本は中国全土を占領しようとか、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出。向田邦子の小説。芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。