はてなキーワード: 雑貨とは
僕は大学生で実家暮らし。車も持っていないし遊ぶことも少ないし飲み歩くこともない。
バイトはたまに単発でやる程度。そうして稼いだお金は大抵まとまった金額の商品に消えていく。
僕の家は裕福ではないがだからといって日常生活がそれほど変わったわけではない。
確かに親は野菜の値段が上がった、肉が、魚が、ガソリンが、灯油が、などと言っているがそれほど前と変わったようにも見えない。普段の食事が貧しくなったわけでもない。
今年で20歳になり、衆議院選挙の投票にも行く。別にどこの政党にいれようかなどと迷っている訳じゃない。大して知識も政治にたいする興味もない大学生にとってはどこの政党もおなじた同じだけど自民党が一番ましに思えるからとりあえず自民党、という風に考えている。
公約やマニフェストには当然経済政策が挙げられているけれど果たして実行出来るのかと疑っている。
こんな風に何の知識もない大学生に、20歳になったからというだけで選挙権を与えるのはどうかと思う。
選挙というのは国民のため行われるもので、国民というのはその生活のために投票するはずだ。
経済を肌で感じるようになるのは社会に出て働いたり、主婦として家計を預かるようにならなければわからないと思う。そう思い僕のような人間が選挙に行くことの意味に悩んだ。
年末で他の人の買ってよかった物・悪かった物とか出てきているのでなんか書きたくなったので書く。
と言っても今年の商品というわけでもなく家電に関しては廃盤モデルが多くメーカー独自の特徴が無ければメーカー名や商品名等は書かないので経験談みたいな感じですが。
樹脂製ならばコーティングを気にせず使え、また250度以上の耐熱性があれば揚げ物やホットプレートに溶ける心配なく使えて非常に便利。
(Siセンサー付ガスコンロは通常モードで最高250度に抑えるため。)
TESCOMの電源ケーブルとピーターを収納できるケース付の物。
ケーブルを余すことなくきっちり巻き付けて収納できるように工夫されているのが地味に良い。
オーバルタイプから象印のワイドスクエアのセラミックコートのモデルへ買換え。
やはり大型化すると便利です。
セラミックコートも他の人が金たわしで洗浄(説明書的にはダメ)して数年使っているのを見たことがありますが特に問題がなさそうです。
しかし一年経ちますがコーティングに関しては底部分は勿論大丈夫ですがふちの部分が剥げているのが気がかり。
大容量化と強力な冷凍能力には満足。調味料や粉物もきちんと保管できます。
ただ温度設定がチルド室と冷蔵室が独立していなく、冷蔵室の温度設定が高めだとチルドが殆ど効かず肉や魚が持たない。
因みに現行モデルは真空チルド室の温度切り替えができるみたいなので問題なさそうです。
現状二台持ちなので魚肉は面倒ですが別の冷蔵庫に保存しています。
20年物の15Lクラス(当時2万程度?)から30Lクラスの二段オーブンレンジ(4万前後)に買換え。
オーブンの予熱は少々遅くなったが今までの3,4倍は一度に調理できるようになったので結果として非常に早く調理できるようになった。
前の電子レンジのオート調理モードは使い物にならなかったのが非常に精度が良くなったので常用するようになりました。
タイガー(IH)→三菱製(NJ-VV184相当の特定販売店モデル)へ買い換え
10年物でパッキンの寿命かカートリッジがすぐバラバラになったり、蓋に水が溜まるようになったり、数時間で乾燥してしまうようになったりと不具合が多発し今更パッキンだけ変えるのもということで買換え。
蓋が外れるからという理由でここ数十年タイガー製ばかり使っていましたが、現行モデルはミドルレンジ以上だと上部ヒーターがあるせいか内蓋ごと一度に外せなく面倒になったので他社も検討することに。
その結果スクエアデザインで掃除し易くカートリッジが内蓋と一体化していて外れる心配が無いということで三菱製のミドルレンジのモデルに。
日常の手入れが内蓋(と一体化しているカートリッジ)と釜で完結するので楽。
置けないと思っててここ数年まで導入していなかった代物。利便性は書くまでもないですね。
現状卓上タイプは実質パナソニックの独占状態なので選択肢なんてありませんが特別不満はありません。
強いて言えばメンテナンスが大事でパッキンをメンテナンスを怠ると水漏れが、残さいフィルターの掃除を怠るとポンプが空気を噛むような音がして非常に煩いです。
今まで両面焼きグリル付を使ってきて買換えということで探したのですが無駄に揚げ物温度維持機能やタイマー機能がついた多機能モデルしか無い状況でした。
半分仕方なく買ったような物ですが色々多機能なので少しは期待していました。
だけど揚げ物は一度に大量に揚げるので実際殆ど低温で調理するような状態になってしまって現状は常に強火で使用している状態です。
ただ炒め物等で結構頻繁に焦げ付き防止機能は働いているので黒子的に活躍しているとは言えるかもしれません。
この両方を兼ね備えたケトルが探しても無い。
修理して使っているがそろそろ新しいのが欲しい。
親は教育熱心なひとで、物心ついたときから近所の公立図書館に連れられて育った。
一方、実質母子家庭のような家庭環境で、そこまで裕福でもなかったうえに、完璧主義者の母親であったので、自分でお小遣いをもらって好きなものを買うという環境でもなかった。
母については、わたしたちのために苦労してきたのだなと申し訳なく思うし他にも色々思うところはあるのだけれども、それは本題ではないのでここには書かない。
とにかく、娯楽のない状況だったので、図書館で本を借りるか、サンテレビの野球中継を見るかくらいしかお金のかからない趣味はなかった。友達に漫画を貸してもらったりもしたけれども。正直、そのことをさして不満にも思わなかった。
(我が家にお小遣い制度というものはなく、欲しいものがあればその都度申告して買ってもらうという方式だった。本だけは何も文句を言われなかった。ありがたいことだと思うけれども、正直この制度は欠点も多いなと思っていて、わたしは今でも本なら自分で選んで買うことができるのに、服を自分で選ぶことができない。いつかお金持ちになったら、ドンキでいいなと思った雑貨を罪悪感を抱くことなく好きなだけ買いたい)
持てる限りの記憶力をハリー・ポッターの登場人物のプロフィールと呪文の暗記に注ぎ込んだ小学時代。はやみねかおるも好きで、小学6年生のとき図書室で『踊る夜光怪人』を見つけて、この世にこんな面白い本があるんだと思った。
中学生のころに森博嗣を好きになり、京極夏彦や西尾維新を夢中になって読んだ。今思えば、お前森博嗣とか大してよくわかりもしないまま読んでただろという感じだし、今でもだいぶわかってないと思うんだけどさ。荻原規子も茅田砂胡も乙一も島田荘司も恩田陸も読んだ。辻村深月が大好きだった。とにかく、中学高校時代と、講談社ノベルスに関わりのありそうな本はたいがい手を出した。近所の公民館でパソコンスペースがあったので、時間があるときにはハリポタやダレン・シャンのイラストや考察サイトをめぐって過ごした。
高校生の頃『活字倶楽部』という雑誌をたまたま見つけ、そこで『銀河英雄伝説』という小説があることを知った。当時は絶版だったので、近所の図書館の地下書庫から出してもらって一気読みした。そのままの勢いで友人に「とにかく、最初の20ページは飛ばしてもいいから読め! 2巻までは読め!」とすすめた。銀英伝が好きすぎて、その夏にすくってきた金魚すくいの金魚たちに提督たちの名前をつけた。
「おかあさん、ヤンが死んでる!」
ちなみに銀英伝ではないが「巽」と名づけた金魚もすぐに死んでしまった。今の実家では、フリッツとオスカーとアーダルベルトだけが生きているんだけれども、どの金魚もそろそろ寿命という感じだ。
進学させてもらって、大学生になってからはもう少し色々読んだ。
際立った傑作というのはない気がするんだけれども、カポーティが一番好きだ(正直『冷血』は好きじゃないしもっと彼らしい作品があるだろうと思う。ちくまから出ている短篇集がいちばん好き)。サリンジャーも好きだし、4月に亡くなってしまったけれどアリステア・マクラウドという作家がもっと知られたら良いのにと思う。
3年ほど前、人生で読める本は限られているなということに気付いて、それからは注意深く本を選ぶことにしている。最近好きなのは皆川博子と津村記久子とコナン・ドイルだけど、だから何だというわけでもない。
そんなわたしも、四捨五入してもう30という年になってしまった。
好みのタイプは?という話題になり「本が好きで穏やかで裏表があんまない誠実なひとがいいな」と答えたら「聖☆おにいさんのブッダでいいんじゃね?」と返され、
「ルーピンは現実にいねーんだよ」と別の友人に説教され、正直今に至るまで毎日小説のことばっかり考えてて自分あたまおかしいんじゃないかなって思う。
これはただの、本を読むくらいしか趣味のなかった女の回想みたいなもので、なんのオチがあるわけでもない。
ただ、わたしは毎日ばかみたいに小説のこと――主に、その登場人物のことばかり考えながら生きている。
腐った妄想をしているわけでもなく、『白鳥異伝』の菅流かっこいいよなあ、とか考えながら生きている。
ハリー・ポッターの本命キャラが殺されたことを未だにねちねち言う。
島田荘司の作風の変化を残念に思い、既刊を全部読むのが勿体無くて法月綸太郎をちびちびと読む。
ちなみに、こんな感じの人間だったので、高校途中まではオタク仲間とつるんでいたんだけれども、一番好きなジャンルが違ったので在学中から疎遠になった。同じように本が好きな友人が1、2人いるので、彼女たちとは今でもよく話す。それは幸福なことだと思う。正直、他にも同じような本の趣味をしている同級生はいたし、当時はよくその話をした。ただ、彼女たちがわたしと同じように、未だに毎日現実かそれより重いレベルで小説の登場人物について考えているとは到底思えないので、積極的に連絡をとろうとは思わないし、話題が切り出せない。自意識過剰なんだろうけど、そんなふうに、未だに地に足を十分つけるわけでもなくふらふらしている自分をときどき怖く思う。
ジャンルを変えればどこにでもごろごろしている話なんだとはわかっている。長い上に固有名詞がだらだら出てきていやみったらしいのはわかっている。
追記:
ブコメありがとうございます。正直コメントがついたとしても「キャラ読みしかしてない腐女子」的なことしか言われないかなと思っていたので、共感してくださる方がいてびっくりしています。本当に、子どもに本ばっかり読ませても、子どもの性格によっちゃ、いつまでもこんな感じで現実に地に足つかない感じになる可能性もあるわけで、何事もほどほどが一番だと思います。黒出目金のジークフリードは早いうちに昇天し、コメットのフリッツは年をとってだいぶ動きが緩慢になってきました。
この世代のオタクの女の子には、アニメではなく講談社ノベルスや電撃、角川某レーベル系の文庫本、その他とにかく面白そうな小説を読んで、感想をお互いに共有しながら育ってきた子がいるのだということを少しでも知っていただけるとうれしいです。ミステリ界隈ではキャラ萌えだろうとよく批判されますが、みんな各々好きな読み方をして、好きな作家の新刊は未だに追いながらも、各々それなりに幅広く読んでいる感じです。今でも。すいませんだらだらと。
気持ち良かった。
・購入
人の多いドンキで買った。
一般雑貨とコーナーが分かれてなくて、驚いた。
レジに持って行きやすく・持って帰りやすいように包装がしてあった。知らなかった。
デザイン好みのが無かった。パステルカラーのピンクが可愛かったのでそれ。
すげーどぎついパッケージもあって何か全体的に嫌だった。
本当は人の少ない地元で買おうと思ってたんだけど、
いくらベルを押しても店員さんが来なかったので諦めた。
今更だけど知り合いと遭遇しなくてよかった。店員さんが知り合いだったのかもしれない。
・使用
とりあえず豆に押し付けてみた。
持って気持ちいいとこグリグリ探ってみた。
ひ、く、あ、や、ん、っ、は、ってあたりの声になるんだなぁ。
・感想
男性キャラにローターを使用した際の反応の参考にしていいか迷った。
やっぱ全然違うよなぁ。
http://anond.hatelabo.jp/20140527131920
「嬉しいけど置く場所がね・・」とさり気なく伝えてみる。それでも買ってくるなら
お母さんには「ありがとう」と伝えて服はそのままチャリティーにだそう。
奥さんが処分すると誤解を生むかもしれないから増田が処分しよう。
1年に一回くらいまとめて持っていけばOK。
あちこちに自治体やボランティア団体による回収サービスがあるよ。
回収された服は途上国のワクチンになったりチャリティーオークションにかけられる。
捨てられらないアナタへ!洋服のリサイクル&リユース情報2014|All About(オールアバウト)
捨てられない人必見!H&Mやユニクロ、丸井の古着回収サービスを利用しよう! - NAVER まとめ
よく都会の方が田舎を批判、見下すブログを書いたりしてますが、「田舎暮らし」そんなに悪くないですよ。
(ここに書いてあることは私の住んでいる田舎限定の話です。ちなみに東京神奈川で10年程の生活経験ありです。)
確かに少ないですが大抵の人に必要なものは揃ってるのであまり困りません。
近場にお店が無い時は地方都市(車で一時間程度)と言われるようなところに買い出しに行きます。
田舎人がよく使うお店はこんな感じです。
イオンや地域密着型のスーパー、農協などいろいろあるので困りません。
あまり変わった食材や調味料などを売っているお店はありません。
車で一時間程遠出すれば、カルディ(スーパーではない?)などありますがめったに行きません。
個人的に困ったことと言えば、「少しいい果物」をプレゼントしようと思った時に、売っているところが無くてあきらめました。
スタバやドトールなどはありませんが、田舎の人は出かけついでにコーヒーを飲むというような習慣がないので困りません。
コーヒー飲みたければあまり頻度は高くないですが、個人経営の喫茶店に行きます。
おしゃれなカフェなども数店舗ありますが、10代後半~20代前半独身の人たちは
近場でデートしようとしたら行く場所かなり限られるので不満があるかなと思います。
選択肢が少ないので不満ではありますが、いつものところに行く安心感はあります。
選択肢としては創作料理、洋食、中華、定食系、鉄板系、若者向け居酒屋、バーのような居酒屋のようなよくわからないお店、スナックなど
いろいろ?ありますが子供がいるとだいたい決まったところにしかいきません。
種類も店舗数も少ないですが外食についての不満はあまり聞きません。
外食するお店がありたまーに外食できればそれで満足です、私は。
壊滅的です。私は購入できるお店がありません。パンツすら満足するものを買えません。
地方都市的なところに行っても、男向けの服はまともなものがありません。小さいお店など多少ありますが品ぞろえも悪く割高です。
ユナイテットアローズ的なデザインも品質も値段も普通なものがないんです・・・
女性向けの服の場合は、田舎では安いパチものみたいな服は買えますが、地方都市的なところまで行けば多少選択肢が増えます。
靴やバッグなども同様で壊滅的ですね。
ではどうするかというと、県庁所在地的な都市(ファッションビルがある)に行くか、東京などの大都会に行くかです。
私は遠出するのが面倒なので、服や靴なども通販が多くなってきました。
家具はないです。大抵はニトリ系のお店で済ませます。私は嫌いなので通販か都市まで遠出します。
雑貨は個人経営のお店が多少ありますが高いですしフラッと立ち寄れる感じでもないので行きません。
なにがあるかな。
田舎の味方ホームセンターは沢山あります。毎週のように遊びに行きます。
もちろんです。
都会だと電車、バス、タクシーがないとどこにも行けないように田舎では車がなければどこにも行けません。
個人的には電車が嫌いなので車のほうが好きです。
気に入らない人もいれば気の合う人もいます。
だれだれの家がどうした、あの家の息子がほにゃららなど、地域に人間の話の回転は速いです。
監視されていると感じる人もいるかもしれませんが狭い地域の話なのでそんなもんかという感じです。
私は興味がないので近所の話はいまいちわかりません。
あとは掃除や廃品回収、かっぱらいなどいろいろありますがそこに住んでいる以上しょうがないです。
都会でも団地などでは月一度の掃除などがある場所もあるみたいですね。
一つの地域で20人くらい必要らしいですが若手の頭数が減っているので人集めが大変そうです。
私も入っていますが団員たちは大体20~40歳の働き盛り、これから地域をまとめるようになる人たちです。
付き合いがあればなにかと有利ですが、活動に参加しない幽霊団員になったりすると冷たい目が向けられます。
少ないです。
そして土方は給料いいのでいい生活してます。うらやましいです。
私は意識高いことに興味もないし低学歴なので、土方でも工場勤務でも収入さえあればそれで満足です。
最近都会ではランニングが流行ってますね。田舎では目立つのでできません。できなくはないですが、、
ちなみに私は夜にこっそり走ってます。
私は人の趣味にけちを付けてる人を見たことがありません。
10代くらいだといろいろあるのかもしれませんが30、40代以降になるとみんな自由ですよ。
よく田舎は選択肢が少ないから嫌だ、可哀想という話を聞きますが
そんなに選択肢って必要ですか?選択できないことって可哀想なことですか?
あなたはいろいろと自分で選択したいのかもしれませんがそれって本当にみんなが必要としていることですか?
小さいころからの友達とつるんで、選択肢のない仕事をして、いつものラーメンを食べて、
家族と夕飯を食べに行ったり、だれかが死ねば親戚と酒を飲み、家族の誕生日にはいつものケーキ屋のいつものケーキを食べて、
休みの日は畑仕事して、今の時期は山菜取りに行ったりして、それを毎年繰り返して。
この生活に不満のない人間はたくさんいると思いますが可哀想ですか?
今目の前にある道路や水道などのインフラはいつまでこの状態を保てるんだろうか。
子供が出来るころに田舎を見てみると10代のころとは少し違った田舎が見れるかもしれないよ。
=追記=================
すみません。「かっぱらい」です。
草刈り機を使って地域の川などにある草、薮などを刈り取ることです。
いいところなんてたいしてないですよ。
盗みなんてやり放題だと思います。
鍵をかけない家も多いですし車の鍵も付けっぱなしなので
おもしろいですよね。育った場所や適正でまったく逆になるなんて。
ちなみに私の兄弟は東京にいますが田舎なんて無理、東京から離れる気は一切ない、だそうです。
近くにはないです。車で1時間程度走ればなんとか。
たまーに文化会館的なところに有名な人来たりするようですがどんな状態でライブが行われているのか不明です。
みんな座ってるんだろうか…
都会にいてもマンション買ったり子供の学校のPTAやったりすれば同じような状況になるんじゃないですか。
…マンション買ったこともないしPTAやったこともないのでわかりません。
あとランニングの件、単純に人に見られたくないんですよ。見られたってランニングにけち付ける人はいません。たぶんね。
何処かの家で「あの家の父ちゃんはランニングしてるな」くらいの話題にはなるかもしれませんが。
受け入れるも何も退屈にならないように好きなようにすればいいとしか思いませんよ。
誰かを田舎に押さえつけておこうとも都会の人を田舎に呼びつけようとも思いません。
田舎で満足している選択肢を求めていない人間もいるんですよと書いただけです。
影響ないかと。大会の練習でポンプの使い方は覚えるかもしれませんが
規律訓練、通常点検などもなんのためにやってるのやら…
まぁ年に一度団員を集めて結束を高めるという意味ではいいのかもしれませんが。
都会の人は冷たいなんて言ってる人見たことありますか?私はないです。
体型が最高に貧弱なのでジーンズショップ的な量販店の服はサイズが合いません。
田舎は基本的にゆったりしたM,Lサイズしかないんです。私には致命傷。
その上昇志向ってなんですか?偉くなろう!稼ごう!みたいなものですか?
今ある仕事をまじめにこなして、仕事に必要な技術があれば習得して、
家族を養える給料をもらってほどほど?なんとか?ぎりぎり?の生活をする。
仕事を定年までがんばってそれ以降はシルバーで働いたり畑をやってみたり。
私はこれを貧しいとは思いません。
限界集落でもない限り野球好きな青年9人くらい集まるでしょう。
ずっとスウェットでも問題ないですよ。っとスウェットなのはヤンキーくらいですが。
田舎話の時はいつも病院を気にする人いますが私のいる田舎は病院の心配はないです。
なにを見てそう感じるんですか?
なにを見て釣りだと思ったんですか?
釣りは私はやらないので書いたリストに入ってなかったですがやってる人はたくさんいますよ。
渓流も大きめの川も海も池も。
【追加】
★基本の3点セット
・靴下(白、グレー、薄手と厚手をそれぞれ2足ずつ)
・リラックスウェア(ちょうどサイズのスウェット上下など、寒くないもの)
★フォーマル7点セット
・コート(真冬ならウール、その他ならコットン、無地でよけいな飾りがないもの)
・ダークスーツ(必ずジャストサイズで買うこと、喪服にもなる)
・テーラードジャケット(チャコールグレーが便利)
・パンツ(グレーが便利、靴がちょっと隠れるくらいにしてもらうこと)
・シャツ(薄いドレスシャツ、厚いシャツをできれば1枚ずつ。白が便利)
・ベルト(黒、茶、いずれか1本、あるいは1本ずつ)
・革靴(黒、茶、いずれか1足、あるいは1足ずつ、プレーントゥというものが便利)
・ビジネスバッグ(黒、茶、ナイロンか革製で外側のポケットは2つ程度)
・アナログ腕時計(白い文字盤、読みやすい数字、革のベルト、飾り少なめ)
・ポーチ(革製か布製、小物をまとめるのに使う)
・財布(革製、できれば長財布)
★カジュアル4点セット
・カットソー(Tシャツ。無地で丈夫でちょうどサイズを1枚。白、紺、灰が便利)
・デニム(ジーパン。色が濃い生デニムというのが便利。ちょうどのサイズを1本)
・スニーカー(白、紺、灰が便利。色は多くて2色。キャンバスというのは春夏専用)
・トートバッグ(無地、色は多くて2色。革製か硬めのコットン。黒、紺が便利)
・ショルダーバッグまたはデイパック(無地、色は多くて2色。黒、紺が便利)
★余裕があったら持っておきたい6点セット
・ニット(セーター。冬は厚手の編み込み、春は薄手のカシミアが便利)
・カーディガン(脱ぐのが簡単なセーター。基本はニットと同じ)
・ワークブーツ(茶、黒、どちらか1足。防寒になる)
秋:ちゃいろ/だいだい/あか/きいろ
まずいのいちに言いたい。
自分の周囲にも結構いるが、「30代半ばを過ぎて“可愛くならなきゃ”の呪縛から逃れたら、今まであんなに憎かった可愛いものが悪くないなと思えるようになった」というケースは多い。問題は「美醜」の基準そのものじゃないんだよ。「可愛い・キレイetc」に過剰な価値付けがされる結果として、他のさまざまな評価軸が軽んじられている、というアンバランスさであり、その表出方法の問題でしょう。可愛いもの・美しいものを愛でる楽しさまでも全否定する、という態度もそれはそれでナイーブすぎる。
ものや人をかわいいみにくいと思うのは基準じゃありません感性です感性は無理に否定したり変更したりする必要はありませんと何べん言ったらわかるんですか。
いっぺんしか言ってませんがいっぺんで理解しましょうね。横入りしてる立場なんだから。
全く自覚はありません。というかどこがどう何故極端なのか説明して頂きたい。評価軸と感性とをごっちゃにしてるから「随分極端」に見えているだけでは?
というか元増田のところの「『人の能力は美醜と関係なく評価する、そんな簡単なことが何でできないんだオラオラ』というおシバき」だってガッチリ美醜の評価軸を無効化してるじゃないですか。
このおシバき自体も超特殊で極端で一種理想主義的なお叱りの例だとか思ってるわけですか?
苛烈な市場競争に晒され続けて疲弊している人に向かって、「いったん降りましょう」とアドバイスする時、それは一時的に「市場における優劣」という評価の場から距離をとってみようという話であって、市場という場(やそこでの評価基準)そのものの無効化を訴えているわけじゃないよね?
「市場における優劣という評価」が人生全般において絶えずされる可能性があるということは元増田も認めているところです。
つまり「距離をとってみる」という比喩が意味するところの避難先が無い。
無ければ作れ。自分を軸に。というのが元増田の言らしいですが、肝心の避難所形成の方法である「心中ランキングの廃棄」ができないとかほざいているうちは作れません、という話であるだけです。
元増田が言いたいのは、「美醜」という基準が前面化している社会状況がまずおかしいが、その状況は当然容易には変えられないから個々人の側で距離の取り方を再考しよう(=自衛)、という話だと理解している。「美醜」という基準そのものはおそらく無くせないし、そもそも無くす必要がない。数ある評価軸のなかで「美醜」による判断、「可愛いか/不細工か」みたいな評価ひとつでその人のもつ他の美点を丸ごと否定してしまう風潮だったり、あるいは、それを内面化して自身の存在が全否定されたかのように感じてしまったり、そこから「降りる=負け」だと思い込むような価値観、といったものが問われているのだと思う。
何が「問われている」のかがよくわからないというか、どうしてここまで「風潮」「社会状況」を個々人と切り離してしかも対立させて考える事ができるのかが理解できません。
美醜という基準が前面化しているという社会状況があるならば個々人の心中にもそれは基準化されて内在している可能性は高いし、それを個々人が「距離を取る」ようにするならば個人レベルでは必然的にその基準を捨てる・無効化する方向になると結論できると思われますが、何でそこで「距離」という比喩に逃げ込んでしまうんですかね?
それとも比喩ではなくて物理的にある種の人やメディアとの接触を断つことを指してるわけですか?
感性の徹底排除や無効化は生半なことでは完遂できませんが、ランキング無効化はそれと比較すれば別に難しい事ではないです。
「自分の評価軸を自分自身に移す」というのは、自分の外部(他者)の視線を完全に排除することではないはずだし、そもそもそれが可能だと考えるのは幻想にすぎない。「美醜」を含めたさまざまな評価軸を、自分の納得のいくバランスでの組み合わせとして選びとることが重要なのであって、「美醜」を必ずしも棄てねばならないとは思わない。
自分の外部の視線を完全に排除するっていうのは幻想かもしれませんが結構誰でもやってますよ。
まず他者の視線が内在化されてるっていうのが、具体的かつ極端に行くと「ここの雑貨屋のかわいい雑貨が好きなわたしかわいい!」っていうタイプの思考法であるわけで、みんな別に普段こういうカンジで生きては居ないだろうし。
本を買うにあたり少しでも出費を抑えたいと考えて、クレカ会社のオンラインモールをまとめてみました。
これは、特定のクレカで買い物をする場合に、カード会社のモールを経由することでポイント還元率が上がるようなサービスです。
さらにポイントサイトも比較対象だったりします。面倒すぎますね。
そうか?
ショッピングセンター行こうとかを買い与えるためだと読んだのならそれは危険だと思うが。
買い与えることがメインよりも、買い物にいくことがメインだったり、買ったのちにそれを使ってできるいろいろなことが
メインだったりするようなことしか書いてないと思うんだがなあ。
別に雑貨を買い与えたり、服や宝石を買い与えてるわけじゃないしな。
映画とか城下町とか行ってるって書いてるんだけど、それはだめなのか?
だいたい、嫁にも興味がむくものと向かんものがあって、登山やバトミントンやスポーツジムやらは
納品は弁当だけなら一日三回だな。チルドや菓子、タバコ、本、新聞を入れたら合計何回になるかは知らん。昼間は入ってなかったからな。
品出しに決まった時間はない。入れるだけいれて、あとは少なくなっていたら足していくだけだ。陳列棚がスカスカじゃなけりゃいい。
発注は俺の居た時間帯では1回しかしてないが、追加発注なんかを考えると店長が合計何回やってたかは知らん。
清掃は昼間はポリッシャー無理なので深夜一回だろう。業者頼んでる所は月1、2回できっちりやってもらってる。
掃き掃除等の軽い清掃なら、時間が空いてる時に軽くやってたが、それも決まった時間はない。
時間帯で区切ってちゃ回らないよ。客が少ない時に全部やるだけだ。つーか回数とかもう昔すぎてそんな覚えてない
そもそもこんなん聞いても経験してるかわかんねーだろwwwググれば全部出てくるわwww
実際にやってないと分からないのはどういう細かい業務があるかだ。
本の処理(検品、返本処理)、お菓子やジュース、雑貨、本等の陳列棚作り・配置替え・前出し。
期間限定のポップの貼り付け、期限切れポップの除去、トイレ・駐車場の清掃、灰皿・ゴミ箱の回収、
宅配・郵便の処理、マルチコピー機の使い方を全部覚えて説明出来るようにする、レジのシステムが変わればすぐ覚える。
カードの発行、予約商品の受付、売れ行きを予測してホットスナックや肉まん・おでんの調理、深夜に調理器・住器の清掃を毎日行う。
スタンプラリー等があれば子供の相手もするし、あまり売れない商品棚には埃がかぶりやすいから羽で飛ばして清潔さを保つ。
夏場であればガラスに虫が大量について、クソを塗りつけていくからそれを深夜のうちに剥ぎ取る。冬場であれば雪の凍結等を考えての雪かきを行う。
発注する時には、売れ行きや天気、店の特性を考えて発注するし、よく来るお客さんには決まって買っていくものを用意しておいてやるとか(タバコとか)
キャバ嬢が泣きながら保護求めてきたら警察呼ぶとか、急性アル中の患者が来たら救急車呼ぶとか、色々あるだろ。
こういう事プラス普通の接客がコンビニ店員に求められてるだけだ。量も少ないしどれも単純だろ。
これで満足ですかね^^?
あえてリボを選ぶ理由のある人ってのは、実は2パターンだけある
リボって要は支払いをドンドン先延ばしにする手法だから、当然利息がかかり続ける。
つまり、カード会社モリモリ儲かるから、ポイントだの何だので一見お得に見せて誘導する。
で、このお得分だけを掠め取るって方法がある。
例えば食費&生活雑貨で普段から4万程度しか使ってないなら、リボ払いと一括払いは同じになる。
で、たまーに誕生日だから贅沢、みたいにして5万をちょい超えても、払いは5万まで。
ちょいとだけ(例えば1万オーバーで140円ぐらい)利息はかかるが、次の月の払いに合算される。
こうすると、ほとんどお得なポイントをもらい続けながら、自動一括払いと同じになる。
リボって要は支払いをドンドン先延ばしにする手法だから、当然後で払う時に使える。
無収入で貯金が30万の時に、生活費を全部リボ払いにしておいて毎月利息込み1万円コースなら、2年半保つ。
勿論その間の借金には年率15%の利息がかかるわけだが、それぐらいは必要経費だから早く再就職しろよ
毎月利息込み1万円コースで、生活費に2〜3万とか使っちゃう。
で、大抵このタイプ家計簿とか付けない上に請求書読まないから発覚が遅れる。
ふくれあがるね。オオゴトになるね。
ボーナス2回を越えて、ボーナス4回分で払えば良いや、みたいな買い方
その利息で結構なモノが買えるから、まともな企業に勤めてフリーローン組め。無担保でも10%以下だよ。
ブラック企業に勤めてて限界なら、貯金が無くてもカード作ってから辞めたらええねん
で、リボ払いでしばらく体調を整えて、再出発したらええ
実際のところ生まれも育ちも充分な田舎に暮らしているが「車がないと生活が成り立たない」というわけではない。
(基本的には周囲10km圏内は田んぼか畑か家であり、店は雑貨生鮮食品を扱うものが1件)
もちろん車がないと生活が成り立たない田舎というのもあると思う。
ただ、まあ若ければ自転車と徒歩でどうにかなる田舎も経験的には多いように感じる。
生活に必要とか、そういう話ではなく、田舎の車というのは出来ることの幅が違う。
逆に都市に行って車に乗っているとストレスが溜まる。非常にストレスが溜まる。
都市で車に乗っているストレスを考えれば、歩いたり自転車に乗ったりする気持ちは十二分に分かる。
都市で車に乗っていれば車なんぞ絶対に必要ない無用の長物であるようにすら思えてくる。
しかし田舎では車は非常に便利なのだ。信号が殆どない、他の車に邪魔されることがない、渋滞がない、路線で迷うことがない。
100mだろうと自転車より便利、数十kmまで何のストレスもなく走ることが出来る。
色んなところへ短い時間でいける上に、様々なものが楽しむことが出来るために必需品といえる。
言ってしまえば、都会にとっての車はダイヤルアップのネット回線をつなげたパソコン、田舎にとっての車はADSL以降のネット回線をつなげたパソコンといっていいぐらい便利さが違う。
画像一つすら開けるのに時間がかかるパソコンは仕事で使う以上には、マニアにしか価値のないものだろうが、
すばやくいろいろなものが楽しめるネットにつながったパソコンは多くの人にとってなくてはならないものだ。
なくても生活できるだろうが、「ネットがない生活なんて考えられない」という人が多いのと同じ意味で、田舎にとって「車がない生活は考えられない」という存在なのだ。
無知の知? って奴かな。
これについては読んだような気がするけれど俺にとっては高尚過ぎたので気付いたら部屋を彩るオシャレ雑貨と化していた。
自分で言うのもなんだけど、20年間生きて来て、俺と同じくらい本を読む同年代の人間には出会った事がない。
本を読み始めた切っ掛けは13歳の頃に定期テストの結果を無かった事にしたことが親父にバレて部屋の漫画を全て処分されたからだ。 あんなにあったナルトやブリーチが綺麗すっかり消えていたことには本当に驚いた。 驚いたというか、悲しかった。
漫画という最大の暇潰しを失い、暇で暇で仕方なかったけれど、また漫画を本棚に入れると叱られそうなのでとても漫画なんて買う事が出来ない。
暇で暇で仕方なかったのでとりあえず小説を買うことにした。 確か伊坂幸太郎だった気がする。 面白かった、抜群に。感動するくらいに。 この感動は面白い漫画と出会った時と同じものだった。 それからは小説を買い漁るようになり、高校に入ってたから小説以外も買うようになった。 セネカとかショウペンハウエルとかまぁそのへん。 そんな感じで今まで生きて来て、俺より読書する奴には会ったことがないけど、俺なんかと比べることがおこがましいくらいに賢い奴らとは遭遇した。 そいつらは読書を全くしないらしい。いつかはしなきゃな、とは言ってたが。 すこし驚きだったけど、まぁ賢くなりたくて本を読み始めた訳ではなかったので、多少納得した。 本当に頭のいい奴らは読書の有無如きに左右されないのではないかと。
「いざとなったら、地方に移住すればいい」という「逃げ道」を持とう : ihayato.書店
東京での暮らしは正直、ぼくら世代にとってはキツすぎます。特に家賃負担。年収の30%が家賃に消えている人も少なくないでしょう。
この記事を読んでいるとき、ふと自分の状況はどうなんだ?と考えて、愕然とした。
前提として、
私は中小企業のWeb担当で、奥さんは某アパレル&雑貨のチェーン店でバイトしてる。
奥さんは8万くらい?(知らない)
奥さんのバイト代は全額奥さんの小遣い。ネイルやら服やら雑貨やら…。
そのうち家賃は120万だから、自分だけの年収換算で年収の36%が家賃に消えてる。
こんなんで貯金がたんまり貯まるわけなく、1年で30万くらい余るだけ。
タイトルの部分について監督が映画をつくっているわけではないというのは大阪城を立てたのは大工さんというクイズみたいな理屈です。
本文は「つくっているものは映画またはそういうジャンルのものではない」というものだと理解しています。
監督というものが何をしているかというと、見て楽しんだりダメだししたりする仕事です。ポケットマネーで作っているわけでなければ「作った」のが誰かという所在には諸説でてくるものです。
美術、撮影、演技、その他各監督が監督が何をしたいか伝え聞いてそれを纏めて現場に指示して成果を監督に献上してご意見を伺いOKであれば作品として追加されるという流れです。
つまり監督のお気に入りをつくるために多額の資金と大勢のスタッフが動いて一品つくります。
他の商品も「芸人○○完全プロデュース弁当」とかコンビににあったり化粧品やその他アイコンになる芸能人を掲げたものがあるでしょう。
つくったのは製作スタッフです。資金提供したのは大企業です。商品を「作った」ということに関しては掲げた看板芸能人のものになります。
まったく同じ内容の商品で他の人間やタイトルであれば売れないかもしれないという点を補って一つの製品化をしています。
企業の形も同じです。社長がなにをしているかといえば自分のしたいことを人に指示して結果に満足したりダメだししたりするだけです。
その社長のお気に入りを作るためにお付きの人がその下に指示を出しています。
松本氏が動画を取って映画界で評価を受けたという構図について「この著名人が笑った」というタイトルを冠する動画を「撮りたい」と願ったスタッフが集まりその案に資金提供し企業アピールもできるのではないかという会社が後押しし「完全プロデュース」みたいなタイトルのかわりに「監督作品」となっているだけです。
動画が長編でスポンサー形態や発表場所を「映画と同じ陳列にしよう」という結果映画とジャンル分けされているまでで、そこに流入してきた対象に映画界が評価を下し始めるのは自然な流れでしょう。
「映画としては異例のユーチューブ配信」とかになれば単なる長編動画俗称「映画」になっていたかもしれませんしそれでも映画界は評価をしてくるかもしれません。
各種媒体もその完成した製品を取り扱って部数や売上を伸ばしたいと考え陳列するでしょう。
松本氏の感性はすぐれているしかしそれは映画むきではない、という話だと思いますが「なんで松本おまえ映画なんてとるんだよ」という質問では「そりゃみんなが撮りたいって言ってきてくれるから」という回答に帰することになるんじゃないかと思います。
映画という結果についてであれば「なんであの人の脳のなかを映像化しようとかおもったの。それ撮り方とか発表や媒体の選び方が別にあるでしょう?」と製作スタッフ一同もしくはスタッフ内の有力者について苦言を呈すべきものじゃないでしょうか。
酢豚にパイナップルいれてパイナップル本人に「なぜ入ってきたの」と問い詰める図はおもしろいですが、酢豚について考えるならそれをつくった料理人に問うのが筋でしょう。
松本氏が映画を撮るという松本氏としての人生の一部でおきるイベントについて問うなら本人にでしょうけれども、作品ひとつについてどうしてこうなったと問うのは「松本氏がこれなら満足するんじゃないか」と思案して提示してきた内容を「実際につくった担当」でしょう。
料理人、つまりスタッフが「酢豚にパイナップルを入れるのは料理界では定説だ」としていたとしても監督、役割としては店主的な人間が「それはなしだ」または今回だけは、その客には等と指示をだして「酢豚にパイナップルをいれないという作品」を作ることも、料理人が店主と交渉して「かならず入れる」という結果、最終的に映画や料理といった結果が世に出ることになるでしょう。
「これ、おもしろいんじゃない?」といってくる松本氏に「それいいっすね、絵にしましょう」というスタッフと「松本さんこれどうっすか」と提示してくるスタッフのじゃれあいの結果が収録された長編ビデオが、映画界でいまいちだったということでしょう。
パイナップルの入った経緯がいろいろあって、それを商店街で出したとき酷評だったとかそういう話です。銀座の一等地ならヒットしたかもしれないとかそういうことはあるでしょう。
社長や監督は赤子でも中学生でもできます。それを中心に「その人を満足させるため」と動く実働員に実績があり交渉において信頼があり決定について実際に動かせる経験、蓄えられた実力や資金がある人が動くことで計画が前に進みます。
ただ大人もバカじゃないので商品として「その社長が売り出したもの」という冠を使って商品化したときに価値がでるものに就いていきます。話題の中学生社長が雑貨を扱っていたとして、その雑貨の購入者が「これ中学生社長の」ということで商品価値を上げることができるものであれば、その案にのる大人もいるでしょうし、それならおっさんが売っても一緒だろというのであれば資金力を目安に支持する人間を選ぶでしょう。
映画について内容がとか評価がというのは、いじり方を間違えたプロデューサーが「監督役をミスキャストした」という話です。
まとめて、松本氏は自然にしていると面白いのに仲間内で面白くいじろうとすればそれを収録した絵はいまいちだったり、いまいちと大勢から評されることがあるという話じゃないでしょうか。
独裁者1人を倒したとしても、それを支えて構成していた人間の行動力を挫かないと第二代三の指導者がでてくるのと同じでアイコンは挿げ替えできるし、アイコンを挫くことでそれに連なる行動力を低下させることができるようなものでしょう。
同じ絵はおそらく他の誰かでも撮れたかもしれません。ただ今回据えたトップに批判が集中するのは「評価は下されたが撮影技術など他の実力を否定されずに延ばし続けることが出来るよう」監督が一身に受けることで現場を保護し「作成したけど評価されない」という立場の人の、作ったというメリットと批評というデメリットの集約点でもあるし、何百人というスタッフが作ったのに「ボクの作品」と言う特権と責任でしょう。
かわいい女子は、撮影するだけで絵になりますが、あたまのなかがかわいいおっさんはいまのところどう撮影してもバラエティ番組であいかたのおっさんに突っ込まれなければその絵がとれないという現状なんじゃないでしょうか。