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2019-03-24

[]浪人から大学受験勝戦

~~はじめに

 もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。

 (することになった,というのは,したくてしたわけではないかである。)

 人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。

 どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。

 そのとき書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。

 これは遠い昔の一受験生出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。

 時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。

 もっと大きな方法論の一例として見ていただければと思う。

 大事試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。

 人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。

 その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。

 なお,前提として,私は小中高と地方公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。

 高校時代部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。

~~気持ちの立て直し方

 それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生のものだった。

第一志望しか受験していなかったので,選択余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止め合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。

 それくらい,浪人するということについて,落胆していた。

 同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくともも一年,いろんなもの我慢して勉強に向かう生活余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。

 ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまたことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。

 現役で大学生になる身近な同級生想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまたことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。

 今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。

 またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。

 そうだとすれば,まだコントロール可能範疇に属している,未来を変えることで,過去出来事意味合いを変化させるしかないのではないか

 来年合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。

 期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか

~~戦略

 以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。

 再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実合格できなければ全く意味がない。

 このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。

 目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。

 自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。

 そうなるためにはどうしたらいいのか。

 以下は,自分の中で描いたイメージである。 

 受験において,本番で出題される試験問題のものコントロールできない。

 自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。

 そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分順位としては,一定の幅が生じると想定した。

 自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置自分の実力を示していることになる。

 受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることであるそもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。

 自分の実力を客観的見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないか分析した。

 この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。

 以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。

 このようにイメージした。

~~戦術

 次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。

 ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。

 それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。

 先に述べたように,受験の本番では,試験問題コントロール範囲である受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである

 この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。

 また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。

 これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。

 受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率得点につなげられるようにしておかなければならない。

 その観点から模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。

 知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである

 一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。

「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態絶対に起こしてはならない。

 そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。

 その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。

 以上は基本的自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較視点も生まれていた。

 正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである

 自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。

 このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単問題でも意外と間違えてしまっているのである

 この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機見出した思いがした。

 とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。

 難問というのは,どんな問題が出るかもわからいから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。

 しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。

 このとき受験生活の中で,初めて具体的な見通しがついた。

 時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。

 以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。

 自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。

 より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである

 知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである

 復習は徹底的に行うようにした。特に記憶重要となる社会の科目などは,一日の勉強最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。

 具体的には,使っているノート基準最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。

 ノート最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。

 これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。

 そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。

 当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。

~~結果

 以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。

 これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要試験だった。

 浪人生活を開始するにあたって,自分の中では目標があった。

 「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学模試で100位以内に入ることを目標としていた。

 当時,志望学部合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。

 蓋を開けてみると,夏の大学模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。

 自分で定めた目標クリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。

 想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。

 (それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)

 しばらく経つと,もう一つの大学模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分もびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。

 ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学模試では13位と14位という結果だった。

 受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。

 予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。

 合格確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。

~~まとめ

 方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。

 全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。

 それを前提として,自分浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。

 まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。

 何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。

 「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。

 それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。

 「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である

 そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。

 時間しろエネルギーしろ資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態自分を持っていくことが必要になる。

 不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である

 自分の周りの環境自分コントロールすることはできないということをまざまざと体感した。

 一方で,自分はいくらでもコントロール可能なのだ

 不合格回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。

 二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。

 先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。

 小中高と地方公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。

 自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベル受験生相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。

 後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまり想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。

 当時,浪人時代灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。

 生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。

 浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの

好きだった女の子の話

失恋しました。

失恋といえるほどのものでもないのだけど、でもきっとこれは恋だったと思います。私は忘れっぽいたちなので、忘れないよう、書き残しておきます。長いし、重いです。

出会ったのは小学1年生のとき。初めて友だちになってくれたのが彼女でした。誰とでも仲良くなれるような優しい女の子彼女は誰とでも仲良くなれる人だけど、私は違った。人見知りで、自分勝手で、今考えるとどうしようもないような性格だったと思います小学から中学校にかけての様々な件で私の性格はひねくれにひねくれ、自分いちばん醜いとまで思うようになっていきます。それでも小学から中学校までの9年間、ずっと仲良くしてくれました。彼女のことが一番大切だと思いました。

転機は高校ときです。彼女特殊高校に、私は普通高校に進学しました。彼女学校と私の学校そもそもシステムが違うため、長期休みが合うことはほとんどありません。臆病者な私は、彼女に連絡することを恐れるようになりました。彼女のことがとても大切だから勉強部活を私みたいな存在邪魔するのは、私自身が許せない。アルバイトを始めたと聞きました。なおさら、連絡なんてできません。そうなると(もうわかると思いますが)、あとは疎遠になっていくだけです。月日が流れれば流れるだけ、彼女神聖化したまま、私の記憶の中の彼女はやさしくてかわいいの子のまま美化されていき、とうといものへと変わっていきますもっともっと大切になっていきます高校生の間にも、数回遊ぶことがありましたが、私の前では昔と変わらずとてもやさしくて、素敵な彼女のままでした。きっとさらにすきになっていたと思います

はたちになると、成人式があります。いろいろな場所に散らばっていた友人たちも地元に集まります私たち同窓会をすることになりました。久しぶりにみんなに、特に彼女に会えることが嬉しくて、人一倍かわいくなりたくて、一番お気に入りワンピースを着て、時間をかけて髪を巻いて、丁寧にメイクをしていきました。かわいいねって言ってくれて嬉しかった。あなたにそう言ってもらいたくてそうしたのだから。この同窓会ときに、今度遊ぼうね、と約束しました。彼女卒業後は就職のため地元を出て都会に行ってしまうらしいのです。とてもとても楽しみにして、大学でのテストもいつもより少し頑張れました。彼女はまだテストがあったようなので、終わったらまた連絡してねと言って、そのときは終わりました。その連絡が来ないまま、彼女が都会へ既に向かっていたことを数日前に知りました。

「いつ遊べそう?」「春休みわっちゃうね」「遊べなかったね〜」「もう都会のほうにいるって本当?」何を言っても傷つけてしまうような気がして、この文章を書いている今も、どうメッセージを送ればいいのかわかりません。高校友達と遊んでいるのならば邪魔したくはないなあ、引越しの準備が思うよりも大変で忙しいのかもしれないし…と思い込むことでなんとか今日まで生きてきました。「どうして知らせてくれなかったのかな」とも思ったけれど、たまにしか遊ばない友達に出発の日時を教えるわけがありません。この結末はただの自業自得です。大切にしたくて、私がいちばん醜いと考えている自分から遠ざけようとして疎遠になるなんて、自分もびっくりするくらいのブーメラン。なんて救えない。彼女にとって昔よく遊んだ程度のお友達になっていただけなんです。どうしようもない、始まってすらいない私の初恋はここで終わります

こんなこと、誰にも話せないから、ここに書きました。友達がずっと恋愛感情を持っていたなんて知ったら気持ち悪がられるに決まってる。なによりこんなことを書いている私が、私のことを一番気持ち悪いと思っているのだから。そう思われたくない。彼女に嫌われることは何より怖い。好きだと言うことも今後絶対にない。叶うこともない。だって彼女女の子で、私も女。彼女はたぶん異性のことを好きになる人です。それでも話せるだけで嬉しかったし、満たされていたし、じゅうぶん幸せだった。ずっとずっと仲良くしてくれてありがとうあなたは私の救いで、大げさかもしれないけれど、光でした。あなたは強い人だから、きっとお仕事もうまくいきますあなたがこれから幸せであるようにここから願っています

2019-03-21

働き方改革反対

私、教員やってるんだけどね

働き方改革来年からいろいろ動くんだって

残業を無くしましょうとか、部活を減らしましょうとか、すごくいいと思う

部活なんてわずかな手当てで土日もなく働いてるから

で、部活を減らしましょうって働きかけるのはわかるんだけど、来年から休日部活手当てを25%減にするんだと

バカでしょ

土日手当て付くから部活頑張ろーなんて教員いると思ってるの?

やり方が違うでしょ

もう少し強制力を持って休日のどっちかを休養日にするとかさ

大会の数減らすとかさ

できることあるでしょ

手当て減らして勤務時間減ると思ってるのか

ほんと、上の方の頭がハッピーセットなせいで、教育現場疲弊してくよ

子供私立に入れたほうがいいよ

もっとみんなで騒いで待遇改善してくれよ

教員の数、増えないと質の低い教員増えるよ

なんで英語の補充がいないんだよ

来年度2人で何時間回せっていうんだよ

こんな仕事、誰もやりたがらないよ

2019-03-20

持って帰るのがただめんどくさかったからだったかもしれない。でもさ

海外から帰国して日本中学に馴染むのに苦労する息子に部活でなんだかんだと声をかけてきてくれた先輩がいた。

塾で担当する先生たまたま一緒だったというご縁もあって息子の口からくその先輩の名前が出てた。

この一年、人に合わせることに重きをおかず独立独歩で「変わったヤツだけど害はない」ポジションを獲得してきた息子。

移動時、休み時間も一人でいることが多かった息子のことを気にかけてくれていたその先輩が今日卒業式、小さな作品をくれたそうだ。

さな額に入った絵。

帰宅して開口一番にその報告を聞いた私、イベントセレモニーが苦手な変人(息子に遺伝してしまった)が、号泣してしまった。

今でもコミュニケーションが苦手で目から鼻に抜けるタイプではなく中々社会に馴染めないけれど、世の中にはこうやってそっと寄り添ってくれる人もいるということを学ばせてもらっている中学生活。

先輩に感謝。人の気持ち感謝

2019-03-19

APEXにはまって塾に来なくなった君へ

高校なんて行かない。だから塾も行かない。中学2年生の君はそう言って、塾に来なくなった。

塾の先生が困っているみたいのなので、なにかアドバイスのようなものを書いてみようと思う。

そういえば自分塾講師アルバイトをしていたんだ。

親御さんとは話せたけど、本人とは話せていないみたいだから

まあもしもその子が塾に来てくれたらどんな話をするかなと。

とりあえず説教するのはやめておこう。ゲームするな、勉強しろって言ってもどうせ聞かないでしょ。

このままじゃ高校受験が手遅れになるよとか、脅すのもよくないかな。

ネガティブアプローチおすすめしないし、好みじゃない。まあとりあえず本人の話を聞いてみよう。

でもさ、よく話を聞くっていうけどさ、先生が偉そうにさ、ほら話せって言ってもさ、なんか話したくないよね。警察尋問じゃないんだから

それが人の話を聞く態度ですかって逆に言い返したくなるよね。まずさ話せる雰囲気をつくろうよ。

とりあえず腹減ってない?なんか食う?喉乾いてない?なんか飲む?

近所の公園さ、桜咲いたからさ、ちょっと歩こうぜ。

夜桜だけどさ、ちょっと散歩しようぜ。

最近どうよ。塾こねーじゃん。とかいきなり本題に入るのも早いかな。

まだまだ心のシャッター降りてるはず。

最近先生友達から誘われてPUBGを始めたんだよね。

ゲームなんて10年ぶりだよ。最近やってたのはポケモンGOぐらいだよ。

歳とるとゲームやる元気もないのよ、仕事終わって家帰っても。ゲーム動画見てるほうが楽だね。

でPUBGは最初は死にまくり面白くないんだけど、誘ってくれた人がいろいろ教えてくれてさ。

だんだ勝てるようになってさ、初めてドン勝ちできたときは嬉しかったな。

最近バイオハザードゾンビモードとかあってまじでムズイのよ。

あと、橋封鎖して検問してる。あ、おじさん話長いね

APEXも面白いらしいじゃん。

動画見たけど、個別スキルみたいなのがあって戦略的面白そうだよね。

どんな感じなのよ。キャラ何使ってるの?なんでそれ選んだの?

ってところからなんでAPEX始めたのか、なんではまってるのか聞いてみよう。

かに夢中になれるって、人生においてそんなにないからね。

で、人がゲームにはまる理由というかモチベーションが何かあるはず。

ひとまずマズロー欲求段階説が思いついたよ。

生理的欲は親の保護があるから満たされているかな。

塾に通わせる事ができるぐらいにはお金あるみたいだし。

食事とか睡眠とか排泄とかできてるか、まずはそこから

あ、うんこ漏らしてない?

次が安全欲求だ。

もしも両親から暴力を受けてるとか、両親が喧嘩してて家の中めちゃくちゃとか

安心して眠れない状況があるなら、ゲーム世界に逃げるのも悪くない。

夜の街を出歩くよりは、ゲーム世界のほうが安全かもしれない。

マンガアニメゲーム現実を忘れさせてくれる素晴らしいモノだ。

現実と戦えって言われるかもだけど、待つとか逃げるっていう戦略全然悪くない。

もしも君がそんな状況なら、君からゲームを取り上げるのは良くない気がする。

君のいる世界絶望的で、ゲーム世界希望であるならば、

今を生きのびるためにゲームをしてもいいと思う。

いつか大人世界の嵐が落ち着くのを待とう。

もしも何かアクションできるなら勇気を出して動こう。

できることがない、もしくは動かないほうがいいと思うなら、ゲームをやってじっと待とう。

受験勉強どころじゃないんだろ。

おじさんも仕事がうまく行っていないとき

家に帰ってから一人でひたすら桃鉄っていうゲームをやっていたよ。

最強クラスコンピューター3人相手100年期間で全物件制覇とかしてたよ。

桃太郎ランド買ったときには大人になったなあと思ったよ。

あ、おじさん話長いね

塾の先生はそれとなく家庭の状況を聞いてみるかなあ。

家のどこで勉強してるのとか。家族の仲とか。

解決できることは手を出せばいいし、

手に負えなければ専門家派遣しよう。

さてお次は社会欲求、愛の欲求かいうやつだ。

から愛されてるかいもしかして毒親っぽい?

成績良くないとクソ扱い?無償の愛ではなく条件付きの愛?

兄弟姉妹はいる?めっちゃ区別されてるなーとか思うところあるかい

って直接聞いても本人知らねーよなあ。で、変えられないよなぁ。

無条件で家族の一員として認められてると感じられないとかなりつらいもんがある。

もつるむ友達がいればまだなんとか踏みとどまれる。

部活はやってる?塾の友達はいる?もしかして孤独

家族の愛が厳しい場合は、この友達関係所属欲求の基盤になる。

たとえそれが不良グループであっても。孤独よりはマシだと思うよね。

いわゆる居場所ってやつだ。

生きていくのに自分の居場所食べ物安全の次に大切ってことだ。

で、この友達グループもうまくいかない場合がある。

みんな苦労すると思うけどスクールカースト的な。

女子グループとか大変そうだよね。

おじさんはあんまり友達付き合いが上手くなくて、孤独を感じることはよくあった。

中学修学旅行の班はクラスであまった3人だったぜ。

自分は一匹狼だと思ってたけど、ただのつまんないやつだったぜ。

けれど家族比較的いい人だったから救われたかな。

親がアウトドアな人で、週末はとにかくどこかに連れて行ってもらった。

夏はキャンプで、冬はスキーみたいな。

学校がつらくても週末があるから頑張れるみたいな。

こどもが学校でつらい思いしてる場合、親御さんは週末にどっか連れて行ってあげたらいいと思うの。

旅行しよう。家から出てどっか行くだけでこどもの幸福度ってすごい上がると思う。

で、所属欲求の話にもどるけど。

家庭が地獄友達もできん、そんな場合は、依存的な恋愛に向かう人もいるよね。

同性の友達いないけど恋人いるかハッピーみたいな。

でも結構危うくて、恋人がいなくなったら世界の終わりみたいになっちゃう。

すんごい束縛するか、ちょっとでもフラれそうになったら次を見つけて切れないようにするとか。

この所属欲求が満たされてて自立した人同士の恋愛はまあ安定してるけど、

満たされていない自立してない人同士の恋愛共依存になるよね。

所属欲求といえば、野球とかサッカー特定のチームの熱狂的なファンもこれに入りそうだよね。

場所の一つだと思う。これは話が長くなりそうだから広げない。

家庭が地獄友達ダメ恋人とかありえない、不良グループとか無理。

アニメマンガ世界しか自分の居場所が無いって、まあよくあるよね。

で、君はそれがゲームだったのかもしれない。

最近オンラインゲームは居場所になりうると思う。

もしかしてチームとかに入っている?いっつも一緒にプレイする廃人がいる?

社会人や大学生と一緒にプレイしている?まったり雑談とかしてる?

君がゲームにはまる要因が、所属欲求でAPEXがそれを満たしているのであれば

それはそれで居場所がみつかってよかったと思う。

現実世界と折り合いをつけながら心の居場所にすればいい。

学校や家庭がつらくても、APEXに帰ればいつもの仲間と最高の体験が待っている。

もしもここで君からゲームを取り上げたら、せっかく居心地のいい居場所がなくなってしまうよね。

それは君の人生においてつらいだろう。

急に家族と連絡取れない状況になったらつらい。こどもに会えないとかつらい。

受験終わるまで友達と話せないとかつらい。しか自分だけとか。

家族恋人友達関係といった居場所食べ物と見の安全の次に必要ものから

ゲーム世界の居場所も同じように尊重してあげるべきだ。

先生どうしましょ。もしその子にとって本当にAPEXしか場所がないのであれば、

ゲーム以外の現実世界に居場所を作ってみるのはどうでしょう

塾は家でも学校でもない第3のスペースだから、こどもにとってのスタバになれないかな。

親でも学校先生でもない数少ない大人に会える場所から

あと、eスポーツ塾っていうの始めちゃうか。

ゲーム依存は、やる時間コントロール出来ないのが問題かと。

家ではゲーム禁止ゲームするのは塾だけって決めるの。

そうすればこどもの場所にもなるし、ゲームできるし、

親はゲーム時間制限できるから安心だし、先生はきっと儲かるし。

権利関係は難しそうだけど、地域サッカーチームみたいに

地域ゲームチームがあってもいいと思うんだよね。

eスポーツJリーグの発展を真似しよう。

さて、君はどうするか。APEXが重要な居場所だというのはよくわかった。

まあでも高校という居場所も悪くないよ。

いやな先生とか気に入らない先輩とかいるかも知れないけど、

まあ少しは楽しいやつに出会えるかもしれない。

高校に行かずにAPEXを自分の居場所とするのも悪くないかもだけど、

場所が一つしか無いというのは実は不安定なんだ。

さっきの恋愛依存みたいな感じでさ。

APEXがチートだらけで過疎ったり、よく遊ぶメンバー卒業しちゃったり。

必死過ぎてもう君についていけないというかもしれない。

場所複数あったほうがいい。

え、家庭環境はいいし、友だちもいるし、恋人もいるし、リア充だけど。

先生何言ってるの?

ならば次の段階、承認欲求に話を進めよう。

夜遅いので、続きは明日書く。

2019-03-18

KKOだが催眠アプリを手に入れた

催眠アプリってのは、いつの間にかスマホダウンロードされているアプリで、それを起動して相手に画面を見せるか、カメラでとると意のままに相手を操ることができるというエロ同人界隈で大活躍アプリである

 

土曜日の朝に起き、グラブルガチャピンモード10連で止まりムックモードも不発、せめて潤いのない人生水着ギャルに囲まれて暮らすにはゲームしかないっていうのに神はあまりにも残酷だ。

そのいらだちをいかにもモブって感じの絵から最近男に恋をしだしたからか美少女になったイオたんのエロ画像で抜こうとpixivを起動しようとホーム画面に戻ると、そのアプリはあった。

 

催眠アプリ

・このアプリの画面を見せるか、写真を取ればその人物あなた従順になる。

・解除をすると催眠中の記憶はなくなります

・解除はこのアプリしか行なえません。

・このアプリは日曜の朝が訪れると自動アンインストールされるが効果は一生続きます

 

実在したのか、という驚きと共に、素晴らしい力を得た感動で、早速誰に使おうか算段する。

期限は日曜日までだ。

 

まず、女友達のK子。

高校生の時、巨乳からと下心ありありで近づいたが結局友達まりで、趣味漫画で話があうものから高校生オタクグループ数人と共に交流している。

28歳で結婚し、今でも「勇気を出していれば」と考えてしまう。

しかしよく考えたらK子ももう2児の母。Twitterでは子育てを頑張っている様子と、旦那喧嘩をしながらも幸せな家庭を持っている事を実況している。

いい女にはい旦那がつく。結婚相手自分なんかが到底敵うはずもない完璧な人だ。一緒に何回か付き合いで飲んだこともあるが、その度「K子は良い人と付き合えてよかったな」と感動するほどだ。

俺にこれをぶち壊して、あまつさえそれ以上の幸せ提供できるのか、そう考えたらK子はなしだ。友人に毒牙をかけようなんて無理な話だ。

 

いや、散歩でもしながら手頃な相手を見つけるかと外に出た。

駅前に行くとファッションモデルさながらの若い女が目につく。この中の誰でもこのアプリにかかれば俺のものになる。

早速、アプリを起動してカメラを構える。

 

眼の前を征く女子高校生二人組が見える。やはり催眠アプリといえばJKと決まっている。見た所部活帰りだろうか。

カメラでとるため近づくと会話が聞こえる。

来年絶対コンクール優勝しよう」「うん、うちらが引っ張っていかなきゃ。」「去年いいところまでいったの、先輩達だけの力じゃなかった事を証明しよう」「1年の子も頑張ってくれているし絶対優勝できるよ。」

何かの文化部だろうか。来年3年生になって、部活に掛ける思いが伝わってくる。

シャッターを押す、

 

事を躊躇う。

 

彼女たちは自分のド直球だ。清楚な感じの青春ガール。言うならばラブライブ!の主要人物だ。それを生身にしたような人間が目の前にいる。

彼女たちの夢と、ラブライブ!の主要人物たちの夢が重なる。彼女達に無理やり催眠アプリを使い従わせることは彼女たちの夢を壊すようなものではないか

ラブライブ!エロ同人でたくさん抜いたが、それはエロ同人世界なら本編に影響を及ばさないからだ。では、この催眠アプリはどうだ。現実に「本編」と「同人」なんて境はない。

俺がボタンを押すことで彼女たちの夢は…。

押せなかった。遠くなるJK背中見送りながら、人が少ない方に逃げるように走るのであった。

 

気がつくと、住宅街公園にいた。

休日からか親子が多い。こういう公園の親子も催眠アプリでは定番ターゲットだ。

スマホを構える…が、頭の中に浮かぶのはK子であった。彼女たちも細部はわからないがきっとK子と同じように幸せなのだろう。

表情をみてみるとよく分かる。自分が得られない笑顔があった。

 

昼はだめだ。夢に溢れすぎている。

その夢を考えてしまうとシャッターを押すことができない。

 

夜だ。

夜の、男を相手にする商売の女ならいいだろう。

早速、安いファッションヘルスのいる以前から目をつけていた女に予約をいれる。

個室で話をするのだからちょっとスマホを見てもらうだけでいい。簡単だ。

腹ごしらえをし、シャワーを浴びて歯磨きをし、いざ出陣。

 

ありがとうございます、M美です、今日はお願いします。」

M美は元気にハキハキと話をする。

「M美ちゃんスマホゲームとかよくする?」

スマホを取り出す口実を作るとM美は

はいデレステとかよくしています!」

という、早速「マジで?俺のデータみる?」と催眠アプリを立ち上げた画面を見せる。

M美は静かになる。どうやら本当に効果があるようだ。

ここからどうすればいいんだ?

 

2分ぐらいの沈黙が続いただろうか、「じゃぁ早速はじめてもらおうか」というと、M美は服を脱ぎだす。

無言だ。

服を脱いでもらったもののどうすればいいかからない。

まずなめてもらうえばいいのか?いやキスからか?

いつもどうやってる?いや、よく考えたらこういう店を利用する時は嬢にいろいろやってもらっていたんだ。

てか、この後、連れ出せたとしてどうすればいい?

店の人に見つからず連れ出せるのか?

 

どうすればいい?

どうすればいい?

 

結局俺は、服を着せて催眠アプリで解除した。

「あ、すみませんちょっとウトウトしちゃったみたいで。早速はじめますね。」

と言ったところで、終わりのアラームがなる。催眠アプリを使い連れ出すからと一番短いコースにしていたのだ。

M美は「すみません、すぐしますね」といい早速はじめ、M美のペースに流されるまま5分もしないうちに果てるのだった。

 

から出て、夜の街を歩く女を見て、最後のチャンスだと思い品定めをする。

しかし、夜の街に一人で歩いている女はおらず、集団か男と一緒だ。

そうか、夜の街に俺の居場所は無いんだ。

行きつけの中華料理屋により、ビール餃子、そしてこってりラーメンを頼んで、ほろ酔い気分で帰宅

そのまま布団に潜り込み朝まで眠るのだった。

 

朝起きると催眠アプリは消えていた。

俺は最高のチャンスを棒に振って終わった。

でもそれでよかったのかもしれない。俺のエゴの埋め合わせはいつか必ずしないといけない。

そんな事を考えながら、ガチャピンのせっかくの30連も棒に振るのだった。

さて、いかにもモブって感じの絵から最近男に恋をしだしたからか美少女になったイオたんのエロ画像で抜こう。

そう思い、スマホホーム画面に戻ると、「二次元キャラを呼び出せるアプリ」がインストールされていたのであった。

2019-03-17

ピエール瀧 20代仕事について

僕の20歳は、「人生」っていうバンドをやりながら東京一人暮らしをしてて、医療系の専門学校中退した年ですね。臨床検査技師勉強をする学校だったんですけど、1年目の途中であんまり行かなくなって、2回目の1年生の夏に、ドラクエ のやり過ぎで辞めたんです。辞めたからといって地元静岡に帰っても仕方ないし、仕送りを止められたので、バイトバンド活動に明け暮れてました。あ、明け暮れてはいないですね。バイトをそこそこやりながら、あとは遊んで暮らしてました。すいません、ちょっと自分を良く言おうとしちゃって。お恥ずかしい。

このころは幡ヶ谷ワンルームマンションに住んでました。いまもバンドを一緒にやっている(石野)卓球笹塚に住んでいて、ちょうどその中間地点に練習スタジオがあったんです。当時はインディーバンドブームで、僕らも雑誌に取り上げてもらったりして、幾らか知名度はあるインディーバンドっていうようなポジションでしたかね。

仲の良い友達と始めたバンドから面白かったですけど、僕は部活みたいな感覚でやってましたから、とうていそれで食っていくってことを思いつくはずもな く、とくに将来のことも考えずに基本毎日ぷらぷらしてたんです。夢中でガチャガチャをやり過ぎちゃったり、CDジャケ買いして失敗したのが痛いとかで、 明日晩ご飯代がないみたいなことはありましたけど、そういう無目的若者でもなんとかやれる土壌があったというか、都市の遊びの部分に上手くハマってたんだと思いますけどね。

ただ21歳になるころ、インディブームからバンドブームみたいなものに変わっていって、僕らのバンドでやれることも飽和していたので、「人生」解散したんです。

当時はちょうどテレビ深夜放送が始まったぐらいのころで、よくバンドPVが流れてました。「人生」を辞めて僕はもうバンド活動はしないと思ってたから、それを見て、PV監督になりたいなぁと思ったんですね。それで知り合いが紹介してくれて、バイト四谷三丁目にある小さな映像制作会社に入ったんです。

そこは、地方CM企業宣伝用の映像とか、そんなにメジャーじゃないバンドPVを作ったりするような会社でした。20歳そこそこの小僧が見る世界としては、高価な機材とか目新しいものがいっぱいあるし、撮影現場で「本番!」みたい な感じがすごく面白かったですね。ただ会社が小規模なので、現場に付く下っ端が僕一人しかいないんですね。教えてくれる人もいないのに、現場はどんどん進んでいくわけですから、とにかくしんどかったです。辛くて泣きましたもん。夜中に帰って、当時一緒に住んでた彼女に「仕事が辛い」つって「うぇーん」って 泣いて、その45分後には「仕事行かなきゃ…」って言ってたりとかね。

そこで働き始めてしばらくしたら、卓球から連絡があって「こんど電気グルーヴっていうユニットを新しくやろうと思うんだけど、お前もやんない?」みたいなことを言ってきたんです。なんでまた俺を誘うのかなと思ったんだけど、「良いよ。でもこれは完全に趣味で、部活みたいにやっていこう」って言って、電気グルーヴ活動を始めたんです。

それで2回目か3回目のライブを見たソニーの人から声をかけられて、呼び出されて新宿寿司屋に行ったら「君たち、プロでやる気はないの?」って言われたんです。そりゃ、やりますよね。だって部活お金くれるんですから。とは言っても、条件は月給10万円。ザッツオール(笑)

ただこのとき、僕は、制作会社の人たちにはお世話になってるし、少人数の制作体制自分が抜けることの意味が分かってました。かといって二足のわらじはとうていムリですから、最終的には上司に「こういう話があって、すごく迷ってるんです」って切り出したんですね。そうしたら、「若いんだから絶対音楽の方に行った方が良いよ」って背中を押してくれて、それでデビューすることに決めたんです。僕個人としては「どうせこんなバンドポシャるだろうから(笑)、 まあ、3年ぐらいプロミュージシャン世界を見てきても、いま21歳だから24歳。まだいけんな」っていうのでデビューしたみたいな感じでした。だからプロになったっていう自覚あんまりなかったんですけどね。

すぐにレコーディングだってことで「マンチェスターニューヨーク、どっちがいい?」って言われたんです。「さすがソニー。金持ってんなぁ」みたいな感じでマンチェスターに行くことにしました。昔から好きだったニューウェーブとかギターポッ プみたいなものマンチェスターのやつが多かったですからね。向こうに2ヶ月ぐらい滞在してファーストアルバム作りました。当時「マッドチェスター」っ て言葉があって、マンチェスターが狂ってた時期の後半で面白かったですね。ライブを見たりクラブに行ったりすると、イギリス人にもゆるいやつとかメチャクチャなやつがいて、刺激はいっぱい受けましたね。まあ、こちらは21歳でなんも考えてないですからね。それはねぇ、そんなやつを自由にそういうところに行かせたら、やっぱり何色かにまりますよね(笑)

電気グルーヴふつうバンドと違って、主要な旋律はだいたい機械が出してくれるわけですよ。だから練習よりは、ライブの日のテンションの方が大事だったりするタイプバンドだったんです。僕は楽器をやるわけじゃなくて、たまにマイクを持ってがなったり、まあ歌ったり、歌を間違えたり、歌わなかったりとかもしますけど、ほとんどステージに出てフラフラしてるだけなんです。バンドって遊びの側面があるじゃないですか。僕の感覚としては、その遊びみたいなことをずっと続けてるのに近かったんですけどね。まあ客の盛り上がり加減を見ては「今日はもうちょっともっていけたのにな」って思うことはあったけど(笑)。だいたい、僕を見てるとは思ってなかったですもん。みんな卓球とかを見てて、たまに見られてる箸休め的な感覚でやってましたから。

2019-03-15

「本気を出せ」というやつは全員死ね

「全力」や「本気」という言葉が世の中で一番嫌いだ。

定量的ではない尺度からだ。

中高の部活水泳部だった。

練習がとにかく苦手で嫌いだった私は練習についていくことができなかった。そのたびに「サボんな、本気を出せ!」というようなことを言われ続けた。

どんなに力を振り絞っても練習についていくことができない。

俺が出来うる「本気」を出しても、「本気を出せ」と言われる。

なので、足をつったふりや、声出しで大きな声を出すこと、泣きそうなのを我慢するような声で返事をすることで本気を出しているように見せていた。

そうすることで本気を出せていないことになっている自分を守りながら、ずっと思っていたことがあった。

「本気・全力って何なのか?」

「他の奴らは本気・全力を出しているのか?」

本気っていうのは「真剣な気持」という意味らしい。俺なりに真剣気持ちでやっていた。苦手で嫌いだったけど、できる限りのことをやった。

全力っていうのは「もっている限りの力」という意味らしい。それこそやった。

練習についていけなかったんだ。俺は。

なんで俺は居場所が欲しいんだろう?

毒親じゃないかもしれないけど毒親だと思う

お金が無い、無いって言われて育つってマジで後々まで残るんだよ

新学期、進級するだけでお金ない

中靴を新調するのにお金ないって。身長伸びて 学校指定ジャージが小さくなってもお金ない、買ってくれない 私はつんるてんのジャージ 冬は足首がでててガッサガサだった。いとこのお下がりのへんなトレーナー

私服なんてないからほぼジャージつんつるてんの。

今思えば花粉症だったんだろうけど 病院なんて連れて行ってもらえなくてずーーっと咳して鼻水だしてた。

扁桃腺腫らして熱だしても病院つれてかれなかった

小学校卒業式だって服買ってもらえなかった おかんかいとこの服だった

中学進学で制服学校指定カバンと靴を買わなきゃいけないときなんか「10万くらいかかる お金ない」 買ってはもらえたけど

途中で少し小さくなっても靴がボロボロなっても買って、直しにだして、って言えなかった

部活の靴も小さくなったけど買ってもらえないから3年間我慢した

私服が無くて友達と出かけるのに服がなくていつも困った

いつも待ち合わせに遅れた 行くのが嫌になった

はいとこのお下がりとかおかんの変なかろうじて若く見える服

家に車がないっていじめられて馬鹿にされた 

おとんってそこそこの企業に務めてたはずなんだけどなんかお金なかった

お金ないって言う割に見栄っ張りだから自分たちはそこそこの服着てたと思う

妹は可愛かったか可愛い服買ってもらってた

親父が死んでからオヤジの代わりにされた

私の意思とか無視

付き合う彼氏収入やら出身文句ばっか

なんで私は家を出なかったのかな なんであんなヤツ養ってんの

もう歳だしどうしたらいいの

2019-03-14

東日本大震災

あの時まだ自分高校生で全校集会が開かれて、東北から遠く離れた九州なのに部活が中止になって早く帰された。

携帯ニュース地震があったのは知ってたけど、家に帰ってテレビを付けて津波が色んなものを流してる映像に衝撃を受けたのを今でも覚えてる。

そしてその後に原発が爆発して本当に日本は終わるんじゃないかと恐怖した。

きっとあの時にこの思いをした人ってたくさんいると思う。

震災から8年。

あの日の事を我々は忘れちゃいけない。

2019-03-11

ぶっちゃけ文化系部活なんてぜんぶ遊んでるようなもんだろ

anond:20190311132506

それだと部活じゃなくて同好会でいいんじゃね

anond:20190311123830

つか、学校の評判を上げるのに役に立たない。

「3年間eSports部で頑張っていました!」とアピールすることで試験が有利になる大学企業なんかほぼない。

就職者はまずおらず、大学受験も推薦ではなく一般入試を利用する生徒が殆ど進学校なら部活関係ないだろうが、

それはそれでそういう学校に子を入れる親が良い顔をしない。

それにそういう学校だと受験勉強がメインで部活は遊び程度しかやらないから、本当にただゲームで遊んでるだけ、にしかならないだろうし。

anond:20190310192251

そういう「普通の人」は男女とも婚活市場はいない。

高校大学の同期とか、大学部活仲間とか、職場とか仕事関係とか、そういうところに「普通の人」はいる。

ただし30超えるとどんどん売約済みになるけど。

いまがチャンス!

2019-03-06

10連休

毎日部活です。時給換算すると最低賃金以下の給料しか発生しない業務です。

あ〜〜〜10連休部活禁止っていう鶴の一声いかな〜〜〜

野球部出身者は雇わないほうがいい

野球サッカーバレーボールといった集団スポーツ部活出身者は、今の世の中では雇わないほうがいい。以下、その理由を述べる。

パワハラ体質である

この手の集団スポーツ出身者は、特定人物の行動を周りの人達の前で批判する行動特性が身に付いてしまっている。集団の中ではぐっとこらえてあとで個別に呼び出して指導という行動が取れない。

部活練習ではその行動がないと練習が成り立たないので仕方がないが、社会人としては今の世の中なら間違いなくパワハラ扱いされる行動だ。

綺麗な仕事ばかりしたがるため、仕事を任せづらい

彼等は身内から応援をもらえることを生き甲斐にして学生時代を送ってきた。だから、周りからまり喜ばれない汚れ役雑用は避ける傾向にある。社会人は時にそういう仕事をしなければならない機会があるが、彼等はそういう仕事をかなり嫌がるため、使いづらい。

限界値が低く、成長しない

試合とかで常に外部から評価され続けた影響か、自分はここまでの人だから、とガードを張る傾向にある。つまりまり成長しない。ちなみに評価がやたら高い人はそもそもそのスポーツの道でプロになっていく。

団体スポーツ出身の人にあるこのような傾向は、企業の人事も結構気づいてるのではなかろうか。

吹奏楽部演劇部出身者は雇わないほうがいい

吹奏楽ブラスバンド演劇部といった集団芸術系部活出身者は、今の世の中では雇わないほうがいい。以下、その理由を述べる。

パワハラ体質である

この手の集団芸術系出身者は、特定人物の行動を周りの人達が居る場所批判する行動特性が身に付いてしまっている。集団の中ではぐっとこらえてあとで個別に呼び出して指導という行動が取れない。

部活練習ではその行動がないと練習が成り立たないので仕方がないが、社会人としては今の世の中なら間違いなくパワハラ扱いされる行動だ。

綺麗な仕事ばかりしたがるため、仕事を任せづらい

彼等は観客から拍手をもらえることを生き甲斐にして学生時代を送ってきた。だから、周りからまり喜ばれない汚れ役雑用は避ける傾向にある。社会人は時にそういう仕事をしなければならない機会があるが、彼等はそういう仕事をかなり嫌がるため、使いづらい。

限界値が低く、成長しない

コンクールとかで常に外部から評価され続けた影響か、自分はここまでの人だから、とガードを張る傾向にある。つまりまり成長しない。ちなみに評価がやたら高い人はそもそも芸術の道でプロになっていく。

吹奏楽演劇出身の人にあるこのような傾向は、企業の人事も結構気づいてるのではなかろうか。

2019-03-05

【3年A組】とかい勘違いした大人の糞ドラマ

 こんな教師言葉が心に刺さるとかなんとかネットに上がってますが頭おかしいんじゃないでしょうか?何処からどう見てもクソ教師ですし、自分の命を最後

まで大事にできない人間教育なんかできないしその狭窄した思いにつきあわされる生徒の多くもPTSD発症するレベル虐待ドラマだよあれ。そもそも自分

ガン宣告されたからって、てめぇ勝手すぎるだろう。

2019-03-02

コミュニケーションに、正解が見えない

私は友達が少ない。

このことを認めるのに何年もかかった。

何でこんなに時間がかかったかといえば、その原因は私の性格にある。

私は、明るい方だ。面接や発表は大の得意だし、初対面の人とも気軽に話すことができる。部活でも役職についたりしていた。

だけど、友達が少ない。何故か。

役割が決まっていないコミュニケーションの、正解が見えないからだ。

面接や発表では、私に与えられた役割は明確だ。

面接では「明るくはきはきと意識を高く」

発表では「自信をもって正確に」

のように、幅はあれどある程度答え的なものはある。

同じ理由で、年上の偉い人と話すのも好きである。(相手がどう思っているかはわからない。何故なら、相手はい大人から)偉い人は、自慢話が好きな人が多いから、興味をもって傾聴して、時々質問していれば相手はにこにこしてくれる。私は聞き役に徹したら良いので、役割が分かりやすい。

では友達付き合いはどうだろうか。決まった役割というものが見えにくいのではないだろうか。

「明るくはきはき」ばかりではつまらないと言われる。それか、少し疲れてしまって明るくなくなったときに、イメージと違うといわれ離れられていく。

「自信をもって正確に」友達付き合いで正確さが必要なことは少ないように思う。自信満々?ナルシストあいつ我が強いよなーで一蹴される。

インターネットは便利で、友達を多く作るには?なんて質問にもたくさん答えがついていている。

でも、それが正解かはわからない。

'相手の話しをよく聞くことが大切?'

いつまで?どうやって?でも相手のこと聞きすぎたらプライベートなこと聞きすぎって意見もあったけどどうしたらいいの?

いつまでも天気の話でもしてろって?でもあの仲良しの子とはずいぶん深いところまで話してるよね。ねえ、その差はなんなんだろう。

距離感って、どうやってつめるんだろう。

私は、一気に迫ってくる人が苦手だ。でも恐ろしいもので、初対面で一度バリアを張ってしまうと、相手ってもう来なくなるんだね。私が仲良くなりたいと思ったときにはもう遅くて、「え、なに突然私達のなかに入ってくるの??」ってなっちゃって。

じゃあと思って最初から距離感を縮めようとしたら引かれて。

からない。押しても引いてもだめ。

インターネットでよくみる'陰キャ'にはあてはまらない。 

服屋でも美容室でもどんどん話しかけてほしい。客と店員という明確な役割があるからやりやすい。

初対面?どんとこい。一時間くらいの付き合いなら楽しくおしゃべりできるよ

でも、それだけ。深い友達はできないし、深くなろうと思って失敗して嫌われる。

公式定理があるなら教えてほしい。

コミュニケーションの正解とは、いったい何なのだろうか。

[]

2つ続けて見た

1つめ

ドリキャスがめちゃくちゃ流行ってて興奮してた

あんな古くて当時売れなかったのがいまさら流行るってすごくない!?!?!?!?!ってめっちゃ興奮してニコニコしながら隣の人に話しかけてる自分がいた

おかし

別にドリキャス特別好きだったことなんてないのに

この夢をみた理由は多分、寝る前に見てたまとめサイト記事で、沢城みゆき記事中村悠一がいっしょにうつってたんだけど、ドリキャスロゴ入ったシャツきてて、またこいつはそういうの着てるwwとイケメンなのに残念な感じにますます惚れちゃったところがあったからだと思う

2つ目

桑田佳祐波乗りジョニーPV撮影してる夢

砂浜で海に向かって一列で走るシーンで右はしの方にいた

すげーおれ桑田pvに出てるーって興奮した

こっちは別に桑田の夢みるきっかけ思い当たらない

特別好きってこともまったくないし

んでなぜかその撮影シーンの後で、PVエキストラオーディション参加募集受付のシーンになった

あれ、さっき撮ってたはずなのになと思った

でもこのタイミングになると俺があの桑田のpvなんか出られるわけないし・・と無駄にうじうじしてしまった

でもさっき未来?のシーンでちゃんPV出れてたじゃん!!もう未来は決まってるんだって大丈夫だって

って自分に言い聞かせて参加申し込みした

そしたら高校とき同じ部活だったミキオっていう運動神経バツグンのやつも参加してて、えーこいつがいたらやばい・・・おれ合格できなさそう・・みたいに思った

2019-02-28

だらだらと書き捨て。

私が小さい頃、父の会社の同僚達を家に招いてBBQやったりとか、同僚家族と遊びにいったりしてた。

会社辞めて別の会社に勤めるようになっても、父は昔の同僚と飲みに行ったりしてた。

姉がやってた部活の学外コーチみたいなこともしてた。

はじめましての人と会っても、気さくに話しかけてたから、うちの父親は社交的だなぁと思ってた。

2つ目に勤めてた会社で、新しく入って来た人ともめて、そこ辞めてからなんか変わっちゃった。

新しい会社に入っても、1年もたないってのが3回くらい続いた。

人間関係疲れた。って。

よくよく話を聞いてみると「自分からは一切話しかけないで、他からしかけられるのを待ってる」というのが判明。

え、それ人間関係築けてなくない…?勝手に疲れてるだけじゃない…?

て言ったら拗ねてしまった…でも自分からしかけないと1人でいるのが好きな人なのかなって思われたりするよ…昔はできてたじゃない…

去年の秋に、スマホデータ通信量をほぼ毎月追加してるからプラン見直した方がいいのかなって聞かれて、そんなに使わなかったはずなのになんで…と思ったら、昼休憩で食堂に行っても誰も話しかけてくれないか自分の車でぼっち飯→時間余ってスマホ…そら追加するわな。

年末実家に帰ったら父が妙にイキイキしてたので、もしやと思ったら、また会社辞めてた…

仕事さなきゃなーというので、どういう仕事がいいのか聞いたら、仕事内容とかより人間関係が良いところって返ってきたけど、たぶん今のままだとどこ行っても無理だと思うわ…

2019-02-26

anond:20190226213415

体育会系部活の延長みたいな職場は嫌だな。

上司の頭が良ければ若干許すけど。悪かったら最悪。

2019-02-25

パワポ

10年以上前高校の時、パソコンの授業の一環でパワポプレゼン資料作ってみんなの前で発表するっていうのがあった。

自分部活とか好きなスポーツ等について無難に発表してた人が多かったんだけど、あるパッとしない男子の発表が「星新一について」だった。

ショートショートとは何か からまり、どういうところがおもしろい等短くまとめられてて、素敵な発表だった。

今でも仕事で発表資料を作っている時ふと思い出す。

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