はてなキーワード: 路線とは
「MIRAIには未来はない」理由を、理系のはてなーにわかるように書く の続きで、バス・トラックのFCV化の可能性について書こうとしたんだけど、そこからだんだん水素社会自体について考え始めてしまったのでダダ漏れで書きます。
前増田のブコメで「バス・トラック分野についてはEVよりFCVのほうが優位なのでは?」という指摘を何件かもらった。技術的には概ねその通りだと思う。前増田で挙げたFCVの諸課題は、(2代目MIRAIが実際にそうしたように)車全体のサイズを大きくするほど希釈・軽減されていく性質がある。一方でEVのほうは、車が大型化し、求められる航続距離と出力が大きくなるほど必要な電気容量も増え、それに伴ってバッテリセル部の大型化・重量増・充電時間の長時間化という問題が重くのしかかってくる。
だから、FCVを自家用車のスケールに展開しようとすると技術的に無理が生じてくるし(たとえば、軽自動車サイズで実用的な航続距離を持つFCVを作るのはあまり現実的でない)、逆にEVを大型商用車のスケールに展開しようとすると実用性の面で問題が生じてくる(高価格・高重量で給電にも時間がかかる)。言い換えれば、EVとFCVは、その特性が活かせるスイートスポットが違っている。EVは二輪車〜自家用車レベルに向いていて、それより上へのスケールアップには課題がある。FCVは大型商用車用途なら一定の強みを発揮できる可能性があるけど、自家用車以下へのスケールダウンには向いていない。だから「乗用/大型商用で線を引いて棲み分けする」という選択肢は確かにありうると思うし、当のトラックメーカー側も、日野・いすゞ・ダイムラー・ボルボあたりは現状はEVとFCVの両ベット戦略で進んでて、しかもFCVのほうが将来有望だと考えているように見える。
※大型商用車のEV化については、バス・トラックのバッテリセル部がモジュール化されて、トラック向けの幹線ガソリンスタンドのような「バッテリ換装ステーション」でメーカーや車種を問わずに換装・課金される仕組みが整う可能性もあるんだけど(外付け換装型の商用EV自体は日本では川崎市のゴミ収集車などで、中国では大型トラックで導入されている)、かなり大規模なインフラ変革になるので、バス・トラック業界全体が早急にこの方向でまとまるとは考えにくい。
一方で、実際に大型商用車がEVとFCVのどちらに寄っていくかは、単純に技術的・コスト的な優位性だけでなく、社会や行政がモビリティの分野で「EVベースの電気社会」と「FCVベースの水素社会」のどちらがリアルな選択肢と考えるかによって大きく左右されるかもしれない。個人的には、大型商用FCVは技術的にはEVに対して現状優位にあるけれど、この「社会的なリアリティ」という点から見ると、だんだん厳しいことになっていくような気もする。国と資エネ庁は、モビリティ分野に留まらず我々の社会全体に水素というエネルギー源が浸透する「水素社会」という壮大な絵図を描いて、自家用FCVをその中核的存在と位置づけてきたわけだけど、自家用FCVの将来が怪しくなってきた今、「水素社会」というエコシステム全体にも、それが翻って大型商用FCVの未来にも、陰が差し始めているんじゃないかと。
資エネ庁の水素社会の見取図には、実現しつつある「水素社会」の具体例として、
が掲げられている。このうち①②は、ガス網を経由して送られた天然ガスを改質して水素を作り、さらにそこから電力と熱を取り出す技術だ。この反応過程に水素が介在していることで、「水素社会」の尖兵みたいな扱われ方をしてるけど、改質段階で結局CO2を排出してるので、実は全然カーボンニュートラルではない。天然ガスの持つ反応ポテンシャルを余すことなく高効率に使ってるだけ。
③④は、水素を何らかのインフラ経由で地上の固定設備に輸送し、そこで電気を取り出す技術だ。カーボンニュートラルな水素には、主に「グリーン水素」(再エネの電気で水を電気分解して作る水素)と「ブルー水素」(天然ガスなどを改質して水素を取り出し、同時に発生するCO2はCCSで地下や海底に圧入貯留する方法で生産される水素)の2種類があるけど、グリーン水素で③④をやるのは「電気で製造した水素を物理的に運んで、その先で水素を使ってまた電気(と熱)を作ること」に等しい。そんなエネルギーロスを繰り返すぐらいなら最初から送電網で送った電気を使えばいいわけで、基本的に③④はブルー水素でしかやる意味がない。
ところが日本政府が「水素社会」実現時期のベンチマークとしている2050年にはブルー水素はグリーン水素よりコスト高になるとの予想も、いや2030年にはそうなるという予想もある。そうなった時点で、③④は「電気より割高なエネルギー源」を使って電気を作る、社会的に無意味なアプリケーションになってしまう。
そう考えると、実は「水素社会」のビジョンって、石油・ガスなどの化石燃料エネルギー関連産業と、その産業に紐づく重電系企業・商社・省庁が、既存の資源や技術やインフラを使い廻しつつ「我々もカーボンニュートラルできます! やります!」つって延命するために目いっぱい膨らませてみた風船なんじゃないか、という気がしてきた。
エネルギー企業はこれまで通りLNGや石油を掘り、それを改質し、ブルー水素を取り出し、CCSでCO2を地中に送り込む。商社は既存エネルギーと同じようにそのブルー水素を輸入する。重電企業は既存のLNG火発のガスタービン技術を使って、ブルー水素で発電する。ガス会社は既存の都市ガス網やプロパンガス供給網への水素混入度を高め、情勢を見つつ緩やかに水素ガス供給網に転換していく。こういう、既存の産業構造がそっくりそのまま生き残れる「ありき」の姿から逆算して「水素社会」のビジョンが立ち上げられ、そこに①②③④が繰り込まれてるんじゃなかろうか、と思ってしまった。
このパンパンに膨らんだビジョンを針でつつくと、「水素社会」の絵図の中には⑤の燃料電池自家用FCV・フォークリフト・バス・トラックだけが残る。確かに「設備と送電網を結線して、そのまま電気を利用する」ことができない分野=非結線のモビリティ(自動車・気動車・船舶・航空機など)なら、エネルギーを一旦「水素」という物体に変えて持ち運ぶ必然性が出てくるし、コストや容量の面でも「送電網から無際限に送られる電力」ではなく「有限のバッテリに蓄電される電力」と競うことになり、水素陣営から見た競争条件はだいぶマシになる。でも前増田でも書いた通り、そのモビリティ市場の核となるはずだった自家用FCVは、技術的にだんだん死に筋に入りつつある。
…と考えているうちに、自分は大型商用FCVの将来にもそれほど明るい見通しが持てなくなってきた。「水素社会」の現実的な利用分野が大型商用FCVぐらいしかないとしたら、我々の社会はそれでも「水素社会」路線を推進するんだろうか。そのとき、FCV向けの高純度水素は現実的な価格で流通するんだろうか。もしかしたら大型商用FCVはEVに対する技術的優位性を発揮して、LPG・CNGバス/トラック/タクシーみたいに(一般人には馴染みが薄いけど、社会を支える縁の下の力持ち的な存在として)地道に普及していくのかもしれない。あるいは、この分野のためだけに「水素インフラ」を全国的に整備するコストを社会が負担できず、大型商用車分野でもバッテリ換装や超急速充電などを駆使してEV化が進んでいくのかもしれない。どっちにしても、いま官民が推し進めている「水素社会」の壮大なビジョンとはだいぶかけ離れた、なんだかシケた未来像が思い浮かんでしまった。
モビリティ分野の他に、「水素社会」の普及・浸透が見込めるような「これだ!」って新分野はあるんですかね〜。水素焼肉? 速い水素乾太くん?
この4月くらいに、いきなりSixTONESにハマった人です。
そのプロモーションの中で、個人的にもやっと感じたことがあったので、忘れないうちにこちらに残しておく。
さて、今回の「マスカラ」
表題曲は売れっ子の常田さんからの楽曲提供ということもあって、期待通りのとても良い曲。
SixTONESは、歌のレベルが高いグループだと思う。実際、その路線で売っている。
でも生放送の番組に出演するとガタガタになってしまうことが多い。
いつもと異なる環境からか、リハーサル不足か、はたまたプレッシャーゆえか。
まあ他のアーティストさん見ても、生放送の番組は難しい環境なんだろうな、とは思う。
でも結果、歌路線で売ってるくせに歌下手だなーと思われてしまう。
これは仕方ないこと。
おそらく本人たちも理解しているだろうし、きっとそういう経験も彼らの成長に繋がると信じている(誰目線?笑)。
良かったよ、悪かったよ、これは感じ方は人それぞれなのでわかる。
問題は、
「マスカラは彼らの良さを引き出せてない」
「今歌下手って言っている人たち、こういう曲だったらこんなにカッコいいんです!」(過去の楽曲のパフォーマンス動画と共に)
・・・・・
いや、それは違うくない?楽曲のせいなの?
それって楽曲提供してくれた人に対して失礼じゃない?
誰だって自分の好きなものに対するマイナスな言葉を聞いたら、反論したくなるだろう。その気持はわかる。
ふと、ずっと疑問に思っていたことを思い出した。
それは、やたらとスト担のアンチ(SixTONES本人ではなく、スト担に対するアンチ)が多いこと。
私は生まれてこの方ジャニーズはおろか男性アイドルに興味がなかった。
彼らが「スノスト」セット売り(VS売り)されて、ファン同士が争って精神をすり減らしたことはなんとなく知っていた。
でもなんか…
リアルタイムでスト担の周りが見えていない言葉を見たときに、これがアンチが多い理由なのかもって思った。
私個人としては、アイドルはガチガチに歌が上手い必要は無いと思ってる。
でも、いつかみんなの想像を上回るようなすごいパフォーマンスをかましてほしいし、
仮に最悪のコンディションでも、常に70%くらいのパフォーマンスが出せるようになったら良い。
彼らが良いパフォーマンスができるのは、
飛行機には履歴書みたいなものがある、という話を anond:20210809215439 で書いたところ、少し反応があって嬉しかったのでもう1個書いてみる。
今回は2021年7月半ばに引退したばかりの「JA01VA」について話そう。JA01VAはANAのエアバスA320型機で、2010年代から最近にかけてのANAの苦悩が見える機材である。
https://www.planespotters.net/airframe/airbus-a320-200-ja01va-all-nippon-airways/ey1ly5
日本で本格的にLCCが登場したのは2011年である。ジェットスター・ジャパン(GK)、ピーチ(MM)、エアアジア・ジャパン(JW、当時)の3社が相次いで設立された。
GKはJALとカンタス航空の合弁、MMはANAと香港の会社の合弁、JWはANAとエアアジア(マレーシア)の合弁で設立された。
かくも合弁企業ばかりなのは、日本における航空会社の外資規制(全株式の1/3まで)があるからだ。
このうち、ジェットスターとピーチは上手くいっていたのだが、エアアジア・ジャパンは失敗してしまった。というのも、エアアジアとANAでLCCを巡る運営方針に大きな違いがあったからである。
喧嘩別れによってエアアジア(マレーシア)はジャパンの運営から手を引く。これにより、エアアジア・ジャパンは「バニラエア」に社名を変え、ANAの100%子会社として再出発した。
(なお、その後エアアジアは非航空業界の日本企業と連携して再参入を図り、名古屋に2代目エアアジア・ジャパンを設立するも再び失敗した。日本での事業があまりにも下手なようである。)
このとき、JWに5機あったA320(JA01AJ~JA05AJ)はエアアジア持ちだったようで、全機が東南アジアに移籍していった。
だが、この喧嘩別れの前に発注されていた機材がある。製造番号5844、JA01VAである。
一般的に航空機は、新造時にメーカー(エアバス、ボーイングなど)にて航空会社の塗装を実施して納入される。
しかしこの製造番号5844は納入先がゴタゴタしており、エアアジア塗装でいいのか、そもそも別塗装になるのかわからない状態で納入が進められた。
結果、真っ白な状態でエアバスから成田に回送され、大阪伊丹空港のANA整備拠点でバニラエア塗装が施されることになった。
https://flyteam.jp/registration/JA01VA/photo?sort=phototime&order=asc
さすがに内装は着工完了していたらしくらしく、エアアジア仕様、外装はバニラエアという機体が出来上がった。
ちなみに初期のバニラエアはANAから退役前の古いA320を転籍させるなど、JA01VA以外にもゴタゴタした機材が多かった。
こうして、ANA(ANAホールディングス)は自社傘下に2社のLCCを抱えることになった。
当初は「成田はバニラエア、関空はピーチ」「バニラはリゾート路線・訪日外国人に注力」などと素人目にはちょっと苦しい言い訳をして2社が棲み分けをしていたのだが、その境界線はどんどん曖昧になっていった。
LCCとしてのブランドはピーチの方が強く、業績も良かったことから2018年にはピーチへの統合が発表された。
バニラエア機材の大半はピーチ仕様に改修ののち、移管された。なお、日本の法令では国内で一度登録した機体番号は会社が変わっても変更できないため、ピーチ移籍後も「JA○○VA」となっている。
しかし、当然ながらピーチもそこそこの規模で機材を持っており、15機全部を移管すると過多になってしまう。そこでJA01VA~JA03VAが余り物となったのである。
この余ってしまった3機は2019年にANAが引き受けることになった。まだbeforeコロナの時代の話である。
ここでANAの機材運の悪さに触れておかねばならない。
ANAは老朽化した機材を三菱スペースジェット(MSJ、MRJ)、ボーイング737MAXなどで置き換えるプランを立てていたのだが、MSJの相次ぐ開発遅延(のちに中止)、737MAXの事故による世界的な運航中止など、どちらも見込みが立たなかった。
加えて、次世代の主力機としていたボーイング787のエンジン設計上の欠陥により改修作業を余儀なくされ、コロナ前の旺盛な需要の中、機材繰りがギリギリとなっていた。
余談だが、ANAはコロナ直前に明らかに供給過多で時代遅れなA380も掴まされて、クソ機材によって本来被らなくていいような赤字まで被っている。機材担当チームのセンスがないか、あるいは強烈に運が悪いかどちらかであろう。
ここでちょうどよく転がっていたのが旧バニラのA320である。ピーチとの統合で余ったとはいえ、機材のリース期間満了までは当時の段階で2年ちょっと残っていた。
しかし、これをANA仕様に改修するには時間もコスト、改修認可の手間も掛かる。その結果として「1年限定で、LCCの詰め込み仕様のままANA機として飛ばす」という奇策がとられた。
通常のANA仕様のA320なら166席のところ、LCCは同じサイズの機材に180席も詰め込んでしまっている。これをANAは機材コード「32G」と称し、塗装だけANAにしたのちに2020年1月から一部の路線に投入した。
ちなみに料金が安くなるわけでもない。何も知らず、ANAに乗ったと思ったらこの機材に当たった人は気の毒である。実際、ANAユーザからは「ハズレ機材」と言われていた。
2021年7月、JA01VAは予定通り約1年ちょっとの運航を終えて引退し、沖縄・那覇空港に回送された。おそらく現在、那覇にあるANAの整備拠点でリース会社に返却するための引退整備(片付け)をしていると推測される。
機齢は若く、まだ最前線で活躍できる。そのため、リースバック後には海外のどこかで活躍するだろう(尤も、コロナの影響でどうなるかわからないが)。
次はどこの航空会社に引き渡されるかはまだ不透明だが、製造番号をキーにしてまた追いかけることができるので楽しみである。仲間のJA02VA・JA03VAもまだ国内に留まっているが、順次同じ手続きを取ると思われる。
ザ・コンサルタントっていうアメリカで発達障害が主人公の映画あったけど
医者がこの子は発達障害なんで療育と投薬治療で何とか普通の生活をできるようにしましょうとか言ってるのに
オヤジが息子の主人公と医者に向かって「発達障害なんていう障害者であるこの子が普通の人生を歩めると思ってるんですか」とか言ってて
結果的に、無茶苦茶戦闘技術とか諜報技術や会計士としてマネロンスキルとか仕込んで、殺し屋とか職業犯罪者して生計立てられるようにしてたって内容の映画なんだけど
発達障害みたいなのを使い物にするための研究が世界一進んでるアメリカですら、ネットでここ数年いっぱいいる自己意識が毒虫のように肥大化した発達障害の望む願望をかなえる程度に生きるキャリアを考えたらこういう仕事させるしかないって結論なのが見ててなんか引っかかるものがあった
まぁ、発達障害めっちゃ多いはてなでさえ、動くものすべてを攻撃し始めて最後は無関係なオッサンを包丁持って刺し殺しにいって捕まったジョジョのノトーリアスBIGみたいな思考回路の低能先生とか、
発達障害のくせに思いあがって、富裕層でもそんなの手に入れられてるの中々いねーよっていうクラスの金や異性や社会的地位とかを欲しがって「こうなればテロや暴力しかない」とか煮詰まった増田とか見てたら
アメリカはまだこういう特殊工作員でも仕事あるからいいよなーって思うよね、だって日本じゃ発達障害は職業的犯罪者以外生きる特性がありませんとか言われたら、そんなん実質死刑宣告やん
まだ昭和なら、ソ連から雇ってもらって日本赤軍みたいなテロリスト路線で食えてただろうに今そんな時代でもないし、ホント発達障害には生きづらい時代だよね
昭和の終わりくらいに国鉄に配備されJRに引き継がれた、205系という車両がある。
多くの通勤線区で走っていたのも昔の話、投入線区の殆どで既に新しい車両に置き換わって久しい今となっては、
走行音も乗り心地も著しく見劣りというか、コイツに乗ることは「ハズレ」以外の何物でもないわけで、
それで関東では、一昨年くらいにやっと相模線以外から駆逐された。
まあ今でも相模線で使われている時点でどうかと思うし、
相模線自体も単線=路線そのものが随分と前近代的なので、早く複線化とセットで車両更新しろって感じ。
それがここ数年は、やたらこの車両を有難がる鉄オタが多くて閉口している。
自分も私鉄車両だけど西武5000系はなんとか廃車前に富山に乗りに行きたいし、
113系もたまに乗るくらいならまあ…という感じ。
自分もハイスペで、多分非モテだと思う(若いからまるで誰にも相手にされないわけではないが、それが相手の勘違いや穴モテだとは理解してる)。お互い大学四年生で、内定先の平均年収は私の方が200万円ほど高い。しかし、私は彼と別れる気など毛頭ない。
最近とても幸せで、周りにも「インスタに上がる写真の表情が凄くいい」と言ってもらえることが増えた。
在宅勤務により難を逃れたが、件の事件はまさに、私が通勤するのに利用している路線だった。時間も被りかねないものだった。
私がこのまま彼と結婚するなら、それは下方婚に該当するのだろう。それでも、外から見て私が「幸せそうな女性」に見えるなら(実際幸せだし)、刺されたのは私だったかもしれない。
BLといえば、まるでプラスチックみたいなツルッツルツヤッツヤの完全無欠スパダリ攻めと女にちんこ生えただけみたいなブリブリ不憫美少年受けが、ベタな展開によりセックスに溺れているだけの大したことない漫画でしょ? くらいのイメージとは、だいぶかけ離れた作風なのが、朝田ねむい先生だ。なんというか、『世にも奇妙な物語』のホラーじゃない回みたいな作風。ストーリー構成力が高い。メインキャラはあまり救えない感じの社会的弱者男性である場合が多い。ガチのセックスシーンをあまり描かないのに、時々なにげに火力の強めのエロスをぶっこんでくる。筆ペンでザクッと描いたような味のある画風。画力が高い。そんな異色のBL漫画家。
短編集。デビュー作らしいけど、初っ端からぶっとんだ独自路線を爆走していらっしゃる。
主人公のツヅキはチンピラで、友達とつるみ、美人局をやって荒稼ぎをしていた。ある夜、ツヅキは十年間消息不明だった兄に再会する。何やら羽振りの良い兄に、ツヅキはタカろうとするが……。
初めて読んだとき思ったのは、絵が目茶苦茶上手いということ。子供独特のプロポーションや手足の華奢だけどお肉がむちむちしてそうな描写とか、赤ちゃんのお腹の丸みとか、そういう細かい部分の絵のリアルさに目を奪われた。もちろん、メインカプのハジメ(兄。攻め?)とツヅキ(弟。受け?)も、男の色気があって良い。
朝田先生の描く男の横顔の特に鼻のラインと刈り上げた後頭部は大変よい……と学習した。
風俗嬢に貢ぎ多額の借金をし首が回らなくなったケイは、自殺を図った。ところが目覚めると、彼は椅子に縛りつけられていた。そして強面の男から、借金を返済する方法三つのうちから一つを選べと迫られる。
いわゆる男娼ものなのだけど、お仕事のシーンよりは舞台裏での男娼たちの日常がメイン。登場人物がなかなかに濃ゆい。メインカプ(表紙の美人な方がシロさん、普通っぽい方が主人公のケイ。どっちが攻めだか受けだかよくわからない)のエロがほとんどない。ハートウォーミングな物語。
ロース神父はカルト教団にハマった青年リブを助けようと教団のアジトに乗り込むが、逆に囚われて監禁されてしまう。(他1編)
本作もあまりエロはないけど若干エロス。登場人物の名前が何故かことごとくお肉系。ロース神父は真面目系キャラだけど、言動の端々からこの人昔は札付きのワルだったんだろうなと察せられる。キャラの背景事情を説明文ではなくて絵で表現してしまうのすごい。
麻薬を使う描写があるが、幻覚症状が誇張っぽくなくリアリティーある。麻薬を嗜んだことないから知らんけど。
バイトを辞めたばかりで金欠のハルヒコは、ゲイ風俗の店員のふりをして、うだつの上がらないサラリーマン風の男アキヤマを騙し、金を巻き上げる。ハルヒコは味をしめてアキヤマとパパ活もどきの関係を続けるが……。
ハルヒコの性格が弁明不可能なほどのドクズなのだが、なんか憎めない。ハルヒコのドヤッたおすまし顔に手塚治虫みを感じる。
『兄の忠告』みたいなオチになりそうだなと予想して読んだら、まさかの斜め上展開だった。それでもハートウォーミングなラスト。エロ少だけどちゃんとはっきりBがLしてる。
BLアンソロジーCannaでまだ連載中。ゾンビものっぽい。さっきタイトルを打ってて気づいたけど、登場人物がリビングにいることが多いような。でも月末に発売される単行本は改題されて『スリーピング・デッド』になってる。佐田、ほぼほぼパジャマ姿だし?
私はこれを雑誌で3話か4話から読んだので、肝心の佐田が何故ゾンビ化してるのか知らない。ゆえに単行本の発売が楽しみ。私が読んだ範囲ではエロ少だけど、ばっちりBがLしてる。佐田が攻めでマッドサイエンティストの間宮が受けらしい。意外にも……。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2021/08050557/?all=1
掲載は先週だが、「次週表記の号を前週に売る」という慣行のせいで5000人超になった日と号の日付が重なるという奇跡を残した。
木村盛世なんか使ってるのがおかしい。新潮は文春と同じ調査報道&スキャンダル路線を模索しているようだが実力が天地ほど開いてしまってもう無理というのが窺われる記事。品川から京浜急行快速特急に追いつけと京浜東北線に乗ったが蒲田止まりだったような侘び寂びを感じさせる。
島田裕巳はオウムシンパの宗教学者だった。地下鉄サリン事件の前からオウム真理教に惹き起こる疑惑に対し、教団施設を取材しては「オウムとは無関係」という結論を書いていた。
1995年3月20日の地下鉄サリン事件に関して東京新聞に問われ「私が中まで見たところ、サティアンは宗教施設であって毒ガス工場などではない」とコメント。3月22日の同紙に掲載されたが、同日に警察は大々的に第7サティアンを捜索、それがTVや新聞で通常番組を差し替えて報道されている日に島田の「サティアンは宗教施設で毒ガス工場ならず」のコメントが掲載される珍事となった。
これを受けて島田は翌月の宝島30に『「罪深き」私にとってのオウム』を寄稿する事になった。
島田の舌禍はこれに留まらず、TVなどで名指しで散々批判罵倒を受けた。当時、オウムを近代への疑義と評価するのが知的とのスノビッシュな風潮があり、それに乗っかっていた文化人たちが批判逸らしの為に島田をスケープゴートにした為に更にバッシングは苛烈さを増し、島田が勤務していた日本女子大にもクレームや脅迫が殺到して島田は解雇された。
オウムは島田の擁護を最初から利用しており、教団へのバッシング逸らしの為に島田の居宅のあるマンションの玄関を爆破した。教団側の島田を狙う犯行があると見せかける為であった。
中川八洋はアフガン侵攻等を受けて80年代にソ連が攻めてくるから軍備を急げとの主張を論壇誌で繰り広げていた。
ところがゴルバチョフが書記長に就任してペレストロイカとデタントを進めると当然に西側諸国の態度は融和になり、同時に西側でのゴ書記長の人気は絶大なものになっていった。
これに対して中川は「ゴルバチョフの政策が反動化している」「ゴルバチョフ路線が侵略主義に転じている」と論壇で主張し続けた。
だが実際にはそんな局面は無く、バルト三国の独立を認め、東欧の衛星諸国にも改革と自由化を迫るなどしており、ベルリンの壁崩壊など劇的な自由化の流れが起きていた。
要するに「ソ連」という敵が無くなると反共アイデンティティの拠り所がなくなってしまうので固執していたのである。
西側の心配というのは寧ろ一貫してゴ書記長の失脚により東側の自由化とデタントの流れが巻き戻る事であった。それほど急激な変化が東側で起きており、後発の政変になるほど革命や崩壊と呼ぶべき状況が発生していた。
その心配の通りにソ連共産党守旧派はクーデターを敢行、それは鎮圧されてソ連邦は廃止されるという劇的結果になった。
ところが中川は相変わらず論壇誌にゴルバチョフ脅威論を書いていた為にクーデター、ソ連崩壊と同時か直後に「ゴルバチョフソ連が攻めてくる」論が発表されるという珍事に至った。
これによって中川は反共論者として干されてしまい(市場の前提が無くなったのだからそりゃそうだ)、主に徳間書店から黒表紙の陰謀論本を出すようになった。当時は陰謀論とオカルト本が流行っていたのだ。
ところがオウム事件が発生するとオカルトと陰謀論が氾濫しているのが原因だというもっともな反省が起こってその市場も無くなってしまった。
高市早苗を自民党総裁に推す動きがあるようだが正気だろうかと思う。高市にはナチスシンパと取られる言動の過去があり国際社会に対する国家の顔とするにはヤバすぎる。
2014年にはネオナチ政治結社との記念撮影写真が問題視されて海外でも報道された。
https://www.theguardian.com/world/2014/sep/09/neo-nazi-photos-pose-headache-for-shinzo-abe
更に1994年には『HITLER ヒトラー選挙戦略』小粥義雄著という本への推薦文を寄せていてこれも火種となる可能性がある。(記事中に推薦文画像)
https://buzzap.jp/news/20140910-takaichi-hitler-book/
因みにこの本の著者は自民党東京都支部連合事務局広報部長である。
でも高市がなんでこんな軽挙妄動をしたのかは説明が要る。これは彼女のキャリア形成に大きく関わっている。
まず、1990年代前半には安定と思われていた戦後民主主義への疑義、反発を表す論壇でのブームがあった。それで国法学や地政学、カール・シュミットやナチスに関わった人物を再評価する流れがあった。例えば福田和也の『奇妙な廃墟―1945』はフランスのナチス詩人達を再評価して同国の極右文芸を論ずるものだが、書かれたのはフランス革命200周年の1989年である。
この福田が論壇文壇に上がって来たのは『HITLER ヒトラー選挙戦略』の前~前前年ぐらい。民主主義(仏革命)への異議がナチス再評価へ至るディレッタンティズムな流れだ。鬼畜系などのサブカルクソ野郎はこの底辺である。
高市は松下政経塾に入塾し保守的政治家への指向を最初から持っていたのだが卒業後はコングレッショナル・フェロー制度により米民主党のパトリシア・シュローダー議員の下で働いた。同議員は女性の権利を強く志向する議員でありその後の高市の立場とは相容れない。
政治家になる前に松下政経塾入塾、米国でコングレッショナル・フェローというのは売りになる立派な経歴であるが、高市は後者の経歴、特に師事した議員の事をずっと表に出さなかった。数年前にコングレッショナル・フェローの経歴虚偽疑惑が噂された原因の一端はこの為だ。
シュローダー議員への師事を終えた高市は帰国してCNNデイウォッチなどのTVキャスター等を勤めた。Wikipediaの高市早苗の項では1990年がTVキャスター初登板のように書かれているが間違いである。
CNNデイウォッチでの政治的立場はリベラルだが、仏革命200周年のフランスの祭典のニュースでは反仏革命の思想を紹介するなど保守的な立場を窺わせている。
ところで自民党の票田には神道周辺の右派が居り、老人や学校の先生など一般社会からやや外れた人らを構成員としていた。神社の寄合を核とした緩い繋がりで、その社会的妥当性をやや欠く集団を自民党が票田としつつ、自民党の現実主義が暴走を防ぐという構図である。例えば遺族会の会長には右翼的な政治家を当てないという知恵が自民党にはあった。
90年代の自民党は旧態依然の族議員が幅を利かす男社会であって女性議員が活躍する筋は無かった。高市は三バンのうちTVキャスターで看板はあるが世襲ではない為地盤はない。その為無所属で当選した高市も最初はリベラルを標榜して自由党に入った。
地盤が無い議員が地盤を持つにはどうしたらいいか?族議員の様な支持基盤を持つには?特に居場所がない女性議員であれば?
その答えが神道系固定票へのアピールであったのだ。教育勅諭には良いことも書いてあるとかユルい事を言っていればいい。現実政治との擦り合わせなんて立場は出さずに思想的に理解を示すのが支持に繋がる。
『HITLER ヒトラー選挙戦略』の出版もそれへの推薦文も自由党時代の事だ。これはつまりナチス再評価のサブカル&ディレッタントなブームへの迎合と高市のその後の支持層への秋風だったのである。
高市はこうしてリベラル議員への師事の隠避と宗教右翼層へのアピールにより自民党で女性議員が活躍する道を拓いてきた。総務族と言っても良いキャリアも出来た。
しかし問題なのは高市の開拓した道以外に女性が自民党でやっていく道筋が無い事だ。小泉時代には経済自由主義での道が見えたかに見えたがその後無くなり高市路線だけが残った。
これが安倍チルドレンなどの新人女性議員が差別発言をわざわざするという原因になっている。女性議員はそれまでの人生的蓄積やキャリアをアピールせずアンビバレントで複雑な大人の人格を出さず、イデオロギー的純粋さを見せること。これのカリカチュアライズされた子供アニメの悪役みたいなバカが杉田水脈であるのは言うまでもない。
そもそも現在の自民党は世襲がきつすぎてキャリアのある人が登用される可能性がほぼない。それで高市コースだけキャリアパスが確立されていればそこを歩むしかないのは必定である。
今の就職活動では同じ色のスーツを着るのが常識になっているが、嘗ては特に女性は色付きのスーツを着る自由があった。
それで白いスーツを着ていき、面接で「あなたの色に染まります」と言うキモイやり方があったのだが、高市の拓いたパスはまさに白いスーツの女性議員の量産と言える。その原初は高市の米民主党議員に師事したキャリア隠避だ。
以上が高市が『HITLER ヒトラー選挙戦略』への推薦文を寄せるという軽挙妄動の原因とそれで拓いたキャリアパスである。
こんな過去があって、更に数年前にネオナチとの写真が流布されてサミットとかに出るのは無理なんではないか?
高市の総務省キャリアは放送行政に寄っている。だとすると女性版ゲッベルズとか書かれるのが目に見えている。自民党への不信に対抗するのに女性、と考えたのだろうが安直だし、それはそもそも支持基盤の保守論壇(嘗ての宗教右翼系)の視野を外から見てないから気が付かないのだろうと言う外無い。