はてなキーワード: 聖人とは
https://www.youtube.com/watch?v=Sz-ZCB7ioEY&t
動画内容をまとめると
・逃走中で賞金150万円を獲得(これは詳しくない)
・「一人一個まで」の購入制限のあるNintendo Switch有機ELモデルを、スタッフやUUUM社員に頼み40台購入
そもそも、ツイッターのプレゼント企画自体に議論の余地がある。
欲しいものがあればお金を出して買うのが当然で、無料で欲しがる無気力な人間を助長する、乞食の可視化をするといった醜悪さがあり、
さらに応募者に対し成りすましや詐欺アカウントが攻撃しやすい状態も作る。
しかも応募者は当然botだらけで、抽選ツールで弾こうとしても巧妙なbotは弾けないし、人間にしても別に欲しくないけど無料だからなんとなく応募する人が大半。
まあそれでも例えばヒカキンが前回配ったiphone100台なんかは別に品薄ではないのでまだよかった。
iphoneが欲しい人は普通に買えばいいし、それとは別にヒカキンが無料で配っていても勝手にすればいい。
しかし今回の有機EL版Switchはamazonでも売り切れになっていたりと、まあまあの品薄商品であり、
実際店頭で販売制限されているものをヒカキンはわざわざ人を動員して大量購入したというのだ。
これは転売屋と何が違うのか?
転売屋の言い分に「本当に欲しい人に届ける」というものがある。
ペットの療法食やガンプラといった商品は転売屋が買い占めなければほぼ誰でも手に入る状態だったので、これは転売屋に擁護の余地は無い。
しかし例えばPS5なんかは転売屋がいようがいまいが買えないので、転売屋のおかげで「定価以上出せば確実に買える」という状態となった。
なのでまあ転売屋の言い分は一応成立する。
しかし今回のヒカキンのSwitchは、いくらお金を出しても買えない。
乞食やbotの抽選を潜り抜け、数万分の一という幸運に恵まれた人間だけが手に入れることができる。
言ってしまえば転売屋よりヒカキンの方が本当に欲しい人から商品を遠ざけているのだ。
というわけでヒカキンの行為は批判されても仕方ないのだが、何故かネットではヒカキンを転売屋ではないと紛糾する人が見受けられる。
あきらかに転売屋の問題の本質を理解できていない発言だが、そもそもヒカキンはこのプレゼント企画で明らかにフォロワー数や名声といった利益を得ている。
ヒカキンは聖人ではない。どこにでもいる普通の人間で、たまたま聖人のふりをすることにメリットがあるから聖人を演じているだけだ。
さらに横。
でも、友人に推し事(推す活動をすることね)に勤しむ人種が結構いて、だいたい3タイプいる気がする。
→いわゆるファンのイメージ。対象が好きなので大抵のことは「推しがやりたいことなら好きにやってほしい!」と言う。見返りが欲しい人もいれば見返りなどいらない聖人タイプも。なおガチ恋勢の場合、推しに異性の話が出ると理性と感情の間で病む。
2.好きなものが永続してほしくて推す
→これもファンだけど、推し個人と言うよりも推しのキャラ含めた推しの作り出すものごとを愛するタイプ。対象が消えてしまうことを推すことで防ぎたい。路線変更や本人の趣味が変わることなどで「昔のほうが好きだったな」などと離れていくこともある。
→対象の「がんばり」にお金を投げる。vtuber界隈でよく見る。推しをさらにがんばらせたがったり文句を言うなど、推すことを隠れ蓑にしてコントロールしたがるのもこのタイプ。なお、同一人物が同じようにがんばり続けても飽きるのか、わりところころ推し変する。
僕は自分に対してそう感じている。なぜなら、
婚活女性を選ぶのは、恋活の女性からすると、自分は少し見劣りすると思うから。
学歴はそれなりだけど、容姿は優れているわけではないし(劣っているとも思わないが)、インパクトが少し弱い。
それに、婚活女性は相手選びには真面目な人が多いから、遊んで飽きたら終わりというのがない。
あと、婚活するほどだから恋愛経験が少ない女性も多いのだと思う。
ワンチャン、セックスできればいい。ていうか、必ずセックスのことを考えてる。
もちろん、ムードというか、そこに至る過程を楽しむ感じだけど。
セックスをしなくても、自分に興味を持ってくれる人と会うのは楽しい。
でも、結婚には二の足を踏む。
仕事が好きだし、それなりに時間を使う仕事だから、負担を増やしたくない。
でも、僕はクズだ。
結婚に前向きな女性を、僕は、自分の欲望を充足させる手段にしている。
僕は30代前半だから、同じ年代〜30代後半の女性を狙っている。
どのようなアプローチの仕方が良いのかを、本命ではない女性で実験できる。
でも、僕は聖人ではない。
欲望と理性との兼ね合いに悩むことはあるが、それも人間…と考えるのも1つの考え方だ。
追記:
正直、真剣な悩みだったりする。
つまく伝えることができないが。
うまくいかないことが今日1日でありすぎて、体調が悪くて横になりたくて仕事を切り上げてきたのに、全然眠れない
コロナで地元にも帰れなくて、楽しみにしてた予定はキャンセルになって、あーなんて孤独なんだろうと思った
サイフを落として、やけになって食べて、明日も仕事で、財布を探さないといけない。家に帰りたい
表では誰の悪口も言わないようにしているけれど、近頃は増田で愚痴ばっかり言ってて、そういうのって多分人にわかるんだ
全ての人から嫌われているように感じてしまって辛いけど、こんなクズみたいな自分にもちゃんと話しかけてくれるんだから優しいよな 仕事だとしても
今優しくしてくれる人が、今まで自分がちょっと疎ましく思っていた人だったり、
頑張って良い関係を築こうとしても空回りで、
元カレから自立して絶対結婚して幸せになってやるなんて思ってたけどやっぱり無理だよ
こんな私にずっと優しくしてくれたのは親と地元の少ない友達と元カレぐらいだよ
多いじゃんってもしかしたら増田では言われるかもしれないけど、心のありどころが地元にしかないのに帰れないから今は独りぼっちだよ
元カレが応援してくれたから頑張ろうって思って、いつか幸せになって元カレにもう1回会いたいと思ってたけどほんとはそんなの求めてないな
田んぼがなんかめっちゃ広がってるところで元カレと二人っきりで彼が死ぬまで過ごせればそれでよかったのに
私のめちゃくちゃな我儘に何年も付き合ってくれたあの人は多分聖人だと思う でもそんな彼の堪忍袋の緒を切らすほどのクズ女だった
他の人探したい探さなきゃ、でもちょっといいなと思った人はぜったい別の人のものなんだもう あーあ今だってあの子と仲良くしてるんだろうなあ
そのたびにやっぱり元カレが好きだと思うの、なんだかとっても最低なしぐさだなと自分でも思う
でも別に振られなければ元カレ一筋だったしなあしょうがないじゃん
なんか書いてたら自分でもクズすぎて笑っちゃった。一人だと気がくるってしまうんだ
こんな私にもしんぱいしてくれる親がいて、でもああ、依存してばかりじゃいけないよね
子供が小さいので、ここ数年、きかんしゃトーマスを観させられている。
改めてみてみると、なかなかこれはこれで面白いもんだなと思ってた。
見始めたころは。
レギュラーというのは、トーマスと同じ機関庫で休むやつらで、当然出番も多い。
確かに、交代するのもわかる。
まず、男女比が5:1で、車体の色も青が3台、緑が2台、赤1台、ダークグリーン1台っていう偏りっぷり。
降板のエドワードは青くて優しい。とにかくもう聖人といっていいくらいに優等生。
アフリカ系のステレオタイプの腫れぼったい厚い唇だ。気の利いたことをいったり、面白いアイディアを思いついたりする。
もう一人は黄色い機関車のレベッカ。カラダはデカくて力持ちだが天然お嬢様。
もうポリティカルコレクトというやつでうんざりだが、まあここまではいい。
もう少し具体的に言うと、アメリカからきた黒人系の女性発明家が移り住んだ。
これもポリティカルコレクトってやつなのか?
トーマスの時代設定は明らかにはされてないんだが、いくらなんでもないだろ。
この女性発明家、初登場は劇場版からなんだけど、まあ劇場版が酷い。
それで、電気で走る夢の超特急(完全に見た目は新幹線)が出てくる。
空飛ぶ車の次が電気で走る列車ってのがよくわからんけど、アメリカ人は電気ならエコだしスゲー速いだろくらいに考えてるっぽい。
超特急だろうがなんだろうが、列車じゃどこまでいっても駅で捕まるだろっていう野暮い突っ込みはとにかくとして、ロボットが暴れたりいろいろあったけど最後はロケットブースターで加速したトーマスが追い付いて列車を止める。
子供向けだからってさ、なんか派手なシーン作っとけばいいだろっていうガバガバ。
いろいろあって、いや別に理由はないんだけどトーマスの島に居座ることになった発明家。
使われなくなったものも修理して使う!エコだね!エコ!みたいな感じ。
ここまではまあいい。
2足歩行する橋だとか、人工雪を降らせまくるとか。
結局のところ、アメリカ人のエコなんてこんなもんなんだろうな。
風力発電とか太陽光発電で発電すれば、いまよりもっとエネルギーが使えるぜ!
馬鹿なアメリカ人が馬鹿なアメリカの子供のために低俗な番組を作ってる。
アメリカ人の5割くらいは、二酸化炭素排出量なんてEVに乗るようになれば全部解決って思ってるんだろうな。
アメリカ人はそれより前に24時間全館冷暖房つけっぱなしにする空調システムをやめろよ。
景観条例で外干し禁止だから全部乾燥機とかアタマ沸いてるだろ。
馬鹿でかいSUVに乗って、ヨーロッパから輸入したミネラルウォーターを飲んでる意識高い系、自分でオカシイって気づかないのか?
炭水化物は体に悪いから取らないとか、オーガニック食材じゃないととか、塩素は悪魔の元素とか、そういう無知が二酸化炭素排出につながってるんだぞ。
最後の章になる。
地方自治体はどんな人を欲しているのか、及びどんな人が職員として通用するのかしないのか、それらを説明して終わりにする。
とはいえ、もう4万字を超えそうだ。ここまで読んだ貴方は忍耐力を持っている。地方公務員に適合した人材である可能性濃厚である。
キャリアの棚卸しにしては壮大になりすぎた感がある。まずは、先達の書いた日記をひとつ紹介して記述量のショートカットを図る。
https://anond.hatelabo.jp/20200923212241
この日記を書く前に、はてな匿名ダイアリーで見つけた日記のひとつだ。短く簡潔にまとまっている。内容も概ね正しいと感じる。明白な誤りはない。単純に面接を突破したい人間はこれを見るといいだろう。惜しむらくは、上の日記を書いた人は公務員試験の面接官ではない。
せっかくの機会だ。民間時代を含めると十年以上に渡って面接官を務めた者として、採用可能性が高い人材の傾向を三箇条として述べてみたい。その後、面接評価表にはないポジティブチェック・ネガティブチェックの一部を示そうと思う。
モデルケースを挙げる。採用試験を受けようとする市町村で生まれ、小中高をそこで過ごし、進学や就職を機に都会に出たけれども、また地元に戻って働こうとする受験者がいたとする。
はっきり言おう。満点に近い。もうその時点で、「面接評価では4を取ってください! お願いします!!」と面接官に期待の眼差しで見られている。K市ではそうだった。というのも、そこまで地元愛のある若者はほとんどいないからだ。
覚えておられるだろうか。当時のK市の人事行政の問題点のひとつに若手職員の離職率があった。3年以内離職率が3割超えという高い数値の原因のひとつが、『他市町出身』の職員数の多さにあった。
採用試験を受けるまでの人生で、K市と接点のあった受験者があまりに少なかった。原因はシンプルであり、県庁や政令市や特別区の滑り止めで受ける人間が多かったことによる。みんな現役で地方公務員になりたいので、第一志望に落ちた後もなりふり構わず受けまくるのだ。採用された後も、第一志望の自治体に入るために勉強を続ける。いわば仮面浪人だ。
「何をもって他市町出身なのか?」を定義するのは困難である。ここでは30才以下の職員について、市外在住率(K市に住んでいない者の割合)が『他市町出身』の代替指標として機能するとしよう。さて、K市の市外在住率はどの程度だったと思う?
正解は……30才以下の若手職員のうち、8割がK市に住んでいなかった。私が辞める年には7割を切るところまで改善されていた。新人職員が居住地をK市に選ぶ割合が増えたことによる。改善のミソは、採用試験で評価されやすいポイントを変えたからだ。後述。
これはひどいな、と当時の私は思った。素人考えでもわかる。市外在住率が高すぎる。もし災害が起きたらどうなる? 全員すぐに集合できるのだろうか?
すべての年代になると、市外在住率は約5割になる。K市の近くにある政令市などが魅力的なのもあるが、市町村合併でK市に編入された先の市町村職員が、「もう義理を果たす必要はない」とばかり、こぞって自分が住みたい町に移住していく事情もある。全国的に見ても人が多い地方であるため、魅力的な市区町村が多いのだ。
では、上の『後述』の内容について。私が総務部長に提案したのは、「K市を愛することのできる人間を採用する」というものだ。試験を受ける時点ではK市が好きじゃなくていい。K市出身でなくてもいい。入庁した後にK市を好きになることができる、そういう素地のある人に高い評価をつけるようにした。
申し訳ないが、具体的な内容は部外秘とさせてもらう。公開すると、ネット検索によってK市がわかってしまう可能性があるからだ。ご了承願いたい。
社会人として一番大事なことは何かと問われれば、30代前半までの私であれば、『実力』又は『正しい過程で正しい成果を出し続けること』と答えるだろう。
今の私であれば、『尊敬によって他者との繋がりを保ち続けること』と答える。これが社会人(使用者も労働者も)にとって一番大事な事柄であり、能力でもある。これは、Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である(Amazonのページに飛びます)といった名著においても明らかにされている。
このように自分のために何かをしてくれた人に対し、きちんと感謝の言葉をかけられる人が果たしてどのくらいいるだろうか。
あなたの人生にもキャディのような役をしてくれる人はいるのではないか。あなたが存分に仕事ができるよう、目に見えないところで条件を整えてくれている人、成功のための下地を作ってくれる人、ゴルフバッグのような重い荷物を代わりに持ってくれる人、困った時に助けになってくれる人。そんな人たちがいるのではないか。
たとえば会社の中では、誰もがそういう「裏方」の役回りをすることがある。あなたの会社は、そんな人たちの貢献に注目し、正しく評価する体制になっているだろうか。あなたは自分を日頃から笑顔にしてくれる人に、感謝の気持ちを伝えているだろうか。
単に協調性というと、「みんな揃って前ならえ」のイメージがある。今の日本社会では、善悪両方の社会的資質と見なされることが多い。
私が持っている神の辞書によると、協調性とは概ねこんな意味合いになる。
・異なる立場や環境、利害関係にある者が互いに力を出し合って問題を解決すること
本来はこうである。みんな揃って前ならえ、ではないのだ。仕事は1人ではできない。一般事務職として採用される公務員は、民間企業でいうところの総合職だ。常に誰かに依存し、依存されることで仕事を前に進める。
だが、自分ひとりで成果を出していると勘違いする者が後を絶たない。空しいことだ。こういった人の残念なところは、その知性の程度にあるのではない。俺だけが、私だけがスゴイ。もっと自分に注目してほしい、といった自己本位的な動機で仕事をしていることだ。
どんな仕事も、社会に生きる人間一人ひとりを幸せにするために存在している。彼らはそのことに気が付かないか、気が付いても自分の気持ちばかりを優先する。
百歩譲って、20代までは良しとする。だが、30代になっても学校の勉強や部活動で高い成績を上げ、周りに注目されて喜んでいる中高生と同じレベルでは困る。
あなたは、見知らぬ人に対して敬意をもった行動ができるだろうか。自分と考えの異なる人間を尊重できるだろうか。嫌いな人や敵に対しても、悪い感情に心を乗っ取られずに意思の疎通ができるだろうか?
面接においては、この人格的態度を最も高く評価する。私が市職員になる前からそうだったし、K市の面接官として責任を受け持つようになってからも変わらない。
話は逸れるが、あなたが面接官の経験がある人だったとすると、「この人、面接の時とぜんぜん違う!(もちろん悪い意味で)」みたいなことがあったはずだ。面接で猫をかぶるのが上手い人だ。そういう人を見分けるコツがある。
印象がいい――これに尽きる。あなたにとって印象がいいし、他の面接官にとっても印象がいい。特に、ハキハキとした明るい話し方。面接官全員にとって好印象だったのなら、その人は危険だ。本当に使える人が面接に来た場合、面接官が3人だったとすると、大抵1人は、「うーん……」と頭をかしげることになる。採用判断が下しにくいということだ。
それが普通だ。みんなにとってイイと感じる人格をもった人間はまずいない。いたとしたら、それは猫をかぶっているか、はたまた聖人のどちらかだ。
技術職や、職人芸を要する分野で人を雇う場合は特に気を付けよう。それに適合した人との面接では、極度に緊張した様子が伝わってくる。身体は縮こまっていて、声はたどたどしく、自己アピールも乏しく、挙動不審――そういった人が最高の素質(タレント)を持っていることがある。
一流の面接官であれば、誰が試験に来ようと、その人のいいところを最大限に引き出せるよう心がける。履歴書を読み込んで、実際のシミュレーションをし、面接ではよい雰囲気を作るよう心がける。その人が職場に適合している証拠を質疑応答によって全力で探すのだ。受験者が喋るのに苦労しているようであれば、なんとかして悪い雰囲気を壊そうとし、その人の考え方や過去の行動を引き出そうとする。
飲食店などアルバイトの採用では、あなた1人で面接を担当することもあるだろうが、それでも上記のことに気を付ければハズレを引くことは少ない。印象がいいな、と感じた人に気を付けよう。初対面で印象のいい他人はまずいない。たとえ面接官に嫌われようと、素の自分をちゃんと出す人間を採用した方がいい。
猫をかぶる受験者への具体策としては、面接が始まる前と終わった後の行動をこっそり監視するといい。椅子をちゃんと戻しているか、出入口で人とすれ違う時の仕草や、駐輪場で他人の自転車をぞんざいに扱ったとか、車の運転に危険があるなど、それなりの確率でボロが出る。
公務員に限らず、組織で働く人間にとっての血であり肉である。ここでいう知的能力には、知能であるか、知性であるとか、創造性とか言われるものを含む。
すなわち、数値計算やスケジュールの段取り、ある規則に従っての並び替えといった正解がある分析的分野から、新規事業の企画、プレゼンテーション、利害を巡っての交渉や調整といった正解(不正解)がいくつもある総合的分野に至るまで、脳を働かせて答えを導き出すありとあらゆる分野を含んでいる。
官公庁に特徴的な仕事の傾向として、業務の幅の広さ(薄く広く)が挙げられる。特に地方自治体だと、ひとつの役場で多種多様な仕事を行っている(この機会に、あなたが住んでいる市町村の組織図をみてみよう)。民間で例えると、とんでもなく多角化が進んでいることになる。
数年おきに全く新しい仕事を覚えることになるのだが――その意味の幅の広さだけではない。役場を訪れる人間も多種多様だ。男性も、女性も、一般市民も、民間企業も、若者も、中年も、高齢者も、子どもも、障がい者も、何らかの病気にかかった人も、とにかくいろんな人が来る。
それらすべてに対応(問題解決)しようと思うと、まずはその職員が賢くないと無理だ。これは、市役所の現場で働いたことのない私でも確信できる事実だ。傍から見ていてわかる。
礼節や態度は大事だ。植物であれば、花弁や果実など目に見える部分がこれにあたる。それらを支える意味で必要なのが枝であり、幹であり、根である。もっと細かく見ると、細胞質や葉緑体や核ということになる。職業人でいえば、脳というOSがこれに当たる。
このOSが大したことのない物だと、いかに素晴らしい性格や気質を具えていても結果を出し続けることは難しい。正しい答えや行動を相手に示すことができないからだ。市職員が、受付窓口で手早く計算をしたり、各種申請書の書き方の指導ができないと、市民や企業が何度も窓口に来たり、無駄な申請費用を払う羽目になる。
スポーツだと、柔道における心技体がわかりやすい。ある一流の選手がいたとして、その人の精神がどれだけ優れていても、技術が優れていても――風邪で高熱がある、骨や靭帯に損傷がある、五感の一部が機能しないといった事情が生じると、たちまち三流以下の実力になる。
多くの人は錯覚している。例えば、どんなスポーツでも面白い試合というのは――両者ともに拮抗している。心技体のうち、技と体が同じくらいのプロ選手がいたとする。となると、勝負を分けるのは必然的に『心』となる。
実力伯仲の者同士、わずかな差で勝負が決まれば当然盛り上がる。それが、スポーツで一番大事なものが心→技→体の順番と皆に思われる最大の理由だ。
官公庁が筆記試験を必ず行う理由がここにある。現在の公務員業界では、筆記試験(性格適性検査を含む)の作成をリクルートなど民間会社に委託する方向で進んでいるが、今後何年が経過しようと、筆記試験自体が廃止されることはないだろう。組織人として働く上での血肉であるところの、知的能力を客観的に測定できる唯一の機会だからだ。
松田聖子と神田正輝に「今の気持ちは?」と聞いた記者がいたことがいたく炎上していた。
それは当然だ。実の娘をなくして憔悴しきった人に聞いていいことじゃない。
しかし、記者を叩いている連中もその次の瞬間に前山剛久に辛辣な言葉を書き込んでいる。
というか、アレが本物だったとして、前山叩きに走るとしてもあまりにも安直すぎる。
前山を擁護できるような情報は書かないし、神田が一方的に被害を受けているようにしか書かない。(まあ、よく読めば誓約書書かせるのは「えっ?」ってなるけど)
文春砲が放たれた後、前山は自分を擁護するツイートにいいねしたり、追悼文を出したが、これに対するネットの反応は
「本当に悲しかったらエゴサなんてできない。この期に及んで自己保身とは。やっぱり文春は正しかった」
「薄っぺらい追悼文。このタイミングでわざわざこんな追悼文出すのは文春が正しい証拠」
総じてこんなものばかりだった。
いやいや、もともとあんたらに「文春は正しいと信じたい」という気持ちがあって、それに沿うように前山の行動を解釈してるだけじゃん。
前山が自己保身のことを考えていると言って、悲しんでいないことの証明にも、文春の記事が正しいことにもならないよ。
例え大切な人を亡くして悲しい状況であっても、ゴシップ紙に悪評垂れ流されて食い扶持と選手生命を同時に失いかけてたら気に掛けるのは当たり前だ。
私もそうだし、多くの人はそうだと思うのだが、ネットの住民は人格者の集まりらしい。
(ただ、擁護ツイートにいいねをしたのは隙を見せたという意味で安直だったと思う。)
あと、感情で繋がった恋愛の「愛」は血で繋がった親子の「愛」とは違う。
自分がときめかなくなれば、例え相手が自分を好きなままでも別れようと言うのは至極当然だ。
フられた側は愛情が裏切られたと感じて傷つくが、それは誰が悪いとかそういう問題じゃない。
ときめく・ときめかないで別れたり別れなかったりするのが恋愛なんだから、例え絵にかいたような聖人君子同士の恋愛だろうと「傷つける」ということは起こりうるはずだ。
テレビは仮面ライダーとプリキュアくらいしか見ていないのになぜかお笑い番組に文句をつけるオタクのみなさんは知らないだろうけど
ここ数年、お笑い界は物凄い勢いで価値観のアップデート(笑)が進んでいて
コミカルな容姿、要するにデブスだからこそ面白がられてテレビに出ている田辺さんやあんりやかなでがデブ、ブスと男性芸人から罵られることは一切と言っていいほどなくなっている
(ダウンタウンの浜田だけはそういうことを言う、そして浜田だから……と何となく許されている)
第七世代の芸人の中には宮下草薙・EXITをはじめ「乳首NG」を正直に表明して
水泳の企画だけど上半身裸になるのが嫌な人は海パン一丁ではなく半袖Tシャツを着用している場面もある
コロナの影響もあって出川・上島ですらノリでキスをしたりズボンを脱がして局部を晒すようなこともなくなった
タライの位置は痛みのリアクションを取れないほど近くになり寿司の下のワサビは甘口かつごく適量になりハズレなのかどうか判別できないほどになった
ゴールデンタイムはコンビニスイーツを紹介したりみんなで健康体操をしたり節約レシピを紹介したりコストコを巡る主婦と老人向けの番組が中心になっている
雛壇でブラマヨとチュートリアルがお互いを罵り合い暴露大会を繰り広げているようなのは遠い遠い昔の出来事なんだよ
今はもうなくなってる状態なの、何年も前に
でも人間は稲ちゃんを「肌きたねぇな」「ハゲてるな」「すげえアゴだな」って思うことを止められないし
あさこや光浦さんを女性として愛する男は現れないし
サンドウィッチマンや鬼越に「人殺してそうな顔」という印象を持つし
対する松陰寺がツッコミ、かと思いきや突っ込まない、っていう二段階の裏切りを用意するギミックがあるから
「ダブルボケ」の笑い飯、「ボケツッコミ」のオードリーみたいにセオリーを崩すのが斬新だっただけ
どうせテレビなんか見ないポリコレ戦士に勘違いされて勝手に持ち上げてるけど
お笑いだって小説や漫画みたいにプロットから書き起こして舞台みたいに「台本」を作ってそれを覚えて2人が喋ってるんだよ
キャラクターなんだよ
フェミニストが漫画やアニメなんか見ないくせに横から文句言ってくるのと同じでお前らオタクくんが見もしない番組に文句つけてやってることは表現の規制なの
お笑い芸人も視聴者もいいかげんお前らみたいなのにうんざりしてて今は相当フラストレーションがたまってる状態だから
「不細工の社会進出の機会を奪うな!」「腫れ物に触るみたいにするな!」「面白い物は面白いだろ!!」って蜂起する時が近々来ると思う
ももの台頭はこれを機にテレビ業界がルッキズムを見直して云々ではなく
とっくに見直している上で揺り戻しの時期が来ることを示唆しているのだと思う
もうお笑い番組は全部ある程度の大人向けってことにして注意書きをすればいい
不快になる表現が含まれている場合があります、了承できる人だけご覧くださいってさ
チャンネル替えればいいんだからそんなこといちいち言わなくても了承してる人だけが見てるのが前提なんだけどな、本来
ミルクボーイの漫才だってコーンフレークが好きで好きでたまらない人が見たら傷つくんだろうから
人を傷つけない表現なんて無理だよ
わかったら増田はもうこれから仮面ライダーとプリキュアしか見ないでね
美男美女しか選ばれない世界ではなくハゲた歯無しのおっさんや糸目のブスが主役になって楽しむことができる世界であってほしいから
JKローリングに出てくるハリーの父親がクズということが一部で定説だ。
その理由が作中人気キャラのスネイプを虐めていたということなんだけど、実際はスネイプもハリーの父親を嫌って呪いをかけたり、マグル生まれを虐めていたりどっちもどっちなんだよね。
それはともかく、何故ハリーの父親が聖人君子では無かったのかと言う理由に、「JKローリングが父と不仲のシンママで、離婚した元夫がクズだから」という人が居る。
しかしそれにしては、リーマスやウィーズリーの父親、マグルの父親など、「父親」というものに対して悪いイメージ自体はつけられていない。
それはJKローリングが「クズ男が好きだったから」のではないかと推測する。
ハリーの父親はヤンチャで自己肯定感が高く、アメリカのカーストで言えば「ジョック」のような人物だったと言える。そういうヤンチャな男が落ち着いて自分の夫になる、というストーリーを描く女性は一部にはいる。
つまり、JKローリングは「自分の理想の父親像」をハリーの父親に投影していただけで、別にハリーの父親を下げようとは思ってなかったのではないか?
スネイプに関しては、逆にJKローリングは彼のことを嫌っていたのではないかと思う。作中の「闇の組織」はヒトラーなどが元になっていると考えられ、JKローリングからしてみるとスネイプは
「一途な非モテで、ヒトラーを信仰している差別主義者」的な存在だ。JKローリングみたいなダメンズ好きは、スネイプのような「一途な非モテ」を毛嫌いする傾向にある。
作中のスネイプは、結局一途故にリリーに人生を捧げ、ボコボコにされて死んでいくという可哀想なキャラだ。あそこまで無慈悲に虐められるのは、JKローリングは恐らくスネイプは異性として嫌いだったからだろう。
作中でハリーの父親がスネイプを虐めていたシーンにショックを受けた人は多いが、しかしJKローリングにとってあのシーンは「そこまでの衝撃」では無かったのではないかと思う。
JKローリングは「いじめ」はいけない事だと認識していうるし、いじめをする人は好きではないが「いじめができるひと」は好きなのだ。
恐らく自分の恋人が過去のいじめを武勇伝のように語ったのにショックをうけた経験でもあるのだろう。しかし彼女が好きなのは、そんな「調子に乗って差別主義者を虐めてしまうが、改心するモテ男」なのだ。
ハリーの父親に関して悪いイメージを抱いてしまう人は多いかもしれないが、JKローリング自体はそこまでハリーの父親を嫌っている訳では無いと思うのだ。
まあそんなことはどうでもいいです。
外食中などで他人の会話が耳に入ってくると時たまタイトルみたいなことを言う人がいるのね。
流れ的に男女のあれこれの女性のグチがやや多めのアレ。あと男グループで温和な人をチョイ弄る系で出たりする。
世の中には在野の賢人がたくさん居るのだなあと独り言ちるんだけど、居ない。我の周りに聖人君子皆無。見かけるよ。レッドリストにな。
我の基準がチョモランマ?そもさん聖人君子とはなんぞや。知らんがな。他人からの評価だろうからな。一人一派では詰みである。あ、それと現代でよ?現代。昔の徳なんて上流階級の独占禁止法ガン無視じゃろ?この腐敗した世界のスタンドでアローンな現代に堕とされてなお徳詰みタワーバトルが上手い人とはなんぞやとくどくど知りたいわけよ。
それでも標本を集めて比較すれば何かが見えてくるかもしれない。世界に散らばる聖人君子の条件を広く集めてGet and 評価。神龍出てきてこんにちは。ぼっちゃん願いをかなえましょう。聖人君子ってどんな人か教えておじいさん。それはね、そんなことを聞かない人よ。
するかーい!そんな面倒なことするかーい!
日本にあまた居るタレントどもよ。我が家のTVの前に聖人君子を映したまへ。
大食いオカマアスリートに霊能力者。なんでもござれの芸能界から聖人君子キャラのタレントを鮮烈デビューさせたまへ。ASAP!
何?芸能界は汚れきっててタレントとして成立しない?ふーむ水濁れば聖人君子棲まず、というわけだね?ねーよそんな言葉!まだねーよ!俺が作るんだよ!
しかもアレだよ。表題が真とするならばタレントとして売れる要素がないじゃないか。TVに居ないことがつらまいことの証明だ?えーい中学校からやりなおせーい。もう中学生だと?お前はおっさんじゃーい!
はぁ、はぁ。うん、タレントはないね。アイドルにしようぜ。聖人君子9×4とかで36人グループ。いろいろ見れていいじゃない。聖人君子だから握手会も好評。偶像崇拝に最適です。おひとついかがです?
とにかくおりゃーよぉ、聖人君子を目にしてよぉ、この人はなんて聖人君子なんだぁ!!っつー清冽な感情を励起されたいワケよ?おわかりびあん?
つまらなくても良い。聖人君子だと思わせることが大事。そんな聖人君子にのびのびと育ってほしい。そして我が家に存在しない恩を返しに来てほしい。給付型聖人君子。
見るからにガタイが良い男同士がけんかしていたら、相手の記憶に残らぬようその場から逃げるはずだし、警察経由で自分の身元を相手に暴露される可能性をなくすため110通報しないはずだ
相手を危険だと見做している場合で、かつ直接的に自分が被害や攻撃を受けていないケースなのに、その場で相手をどうにかするという発想は余程の聖人君子ヒーローでもない限り有り得ない
どうして元増田がわざわざ「危険」に介入するのかといえば、介入したいがために「安全そうな相手を危険だと宣伝してるだけ」が真実だから
「ユダヤ人がドイツを搾取している」プロパガンダや、「朝鮮人が井戸に毒」デマや、「精神障碍者が凶器をもって襲い掛かる」漫画と同じ
自分に勝てないだろう弱者を攻撃したいけど、ただいきなり殴っては自分が犯罪者となってしまう。だから「彼は悪党だ」と濡れ衣を着せてから攻撃したい、それだけなのだ