はてなキーワード: 有効とは
Go Toをやめる気がないことがわかって落胆している。
あまりのクズ政府ぶりにストレスマックスだが、もう腹をくくるしかない。
感染拡大傾向は、今日の時点で、感染経路不明者の週平均が前週の約2倍の77.3人となったこと、
たったひとつ、この指標だけをとってみてもほぼ決定的だ。来週、150人になれば間違いなく感染爆発コースの軌道に乗ったといっていいだろう。
感染経路不明者というのは、いわばコントロールできていない感染者。今の対策状況が継続すれば
4週間後には感染経路不明者だけでも16倍に、8週間後には256倍になる(つまり一日平均トータルで2万人を超える感染者がでる状況に)。
本日の東京都の発表で、国際感染症センターの大曲氏はその可能性を示唆した。
8割おじさんがまた登場して旗をふり、都心部をゴーストタウンにすれば、また状況は変わるだろうが、
政府にも東京都にもその意思はなく、ウィズコロナなどというあいまいな表現のもと、ある程度感染者拡大に覚悟をきめたようにもみえる。
しかし、事態はウィズコロナなどという優しげな雰囲気で収まる保証はない。
本日の政府の質疑で尾身氏が自民党の質問に答えて、現在の感染状況は4月と似ているが異なると説明している。
その一つとして、医療提供体制の余裕を上げている。彼も含め、医療の専門家は、最近はすっかり【経済が持たない】という声に遠慮がちになっている。
しかし、医療体制の充実は事実ではないだろう。東京都など大都市圏でもせいぜい一日数百人のペースの感染者に備えているようにしかみえないし、
https://www.stopcovid19.jp/:tittle]
地方、島しょ部では4月と状況はほぼ変わっていないのではないか。容赦なく指数関数的に感染経路不明者が爆発した場合に備えているとはとてもいいがたい。
島しょ部はデータをあげるまでもなく、ある意味、物理的に医療提供体制を強化しようがない。
いまだ有効な治療法が確立しておらず、ワクチンの提供はかなり将来的な話。
離職者も相次いでいるという。
医療提供体制に余裕がある、という表現はとても失礼だし、実態を正確に表現していないと思う。
政府はGo To キャンペーンを停止する意思はないらしいが、島しょ部も容赦なく巻き込むんだよね?
感染者は爆発的に増加せず、重症者、死亡者も欧米・途上国で発生したようには増えない、という楽観的なシナリオもありうるし、ぜひ期待したい。
しかし、おそらく、4月~5月の努力を台無しにするような感染者の急増が今後、起こるのだろう。
現時点では、Go Toは経済との両立ではなく、純然たる経済の推進。
ドイツのように最適化された状態を数値モデルでシナリオをつくり、便益分析したうえでの経済の推進ならともかく、
あるいは、経済との両立の定義づけが法的になされているならともかく、
【緊張感をもって注視】だの、【しっかり対策する】だの、【危機感】だの、
百年早いのではないか。
Go Toがなにがなんでも全国一律というのも、結局のところ、頭を使いたくないからなのだろう。
スペインは7月から開国している。これにはいろいろ問題も多いのだろうが。。
自宅待機とテレワークの間みたいな謎なことになっていて暇
サボってもあまり業務に支障をきたさないためこのおうち時間を有効活用したいのだけどなんか毎日増田見て終わってしまうので原因を考えていた
・一応罪悪感めいたものがあるので仕事とかけ離れた動作がしづらい(宿題の残っている夏休みの小学生のような状態)
・上司が時々オンラインになり、まれにチャットで話しかけてくるためその時に対応する必要がある
原因2:合間合間に一応作業も進めている(どちらが合間か曖昧だが)ので、その作業の性質に脳のモードが引っ張られている
・仕組みや文章を考えたり文字列をPCに打ち込んだりするモードと画像処理やアナログ作業、ゲーム等をするモードが多分自分の中で違いうまくスイッチできない
・目の前に紙とPCがあるとPCのほうを見てしまうし、理解する必要のある難しい文章と流し見すればいいネットの書き込みだと後者を見てしまう
・増田はTwitterのように書き込んでも生活時間がフォロワーにばれないし5chのようにスレが進んで流れが追えなくなることもあまりないしIDも表示されないのでいろんな話題を見たり書いたりしやすい
原因4:けじめがない
・原因2とも通じるがとにかく切り替えが苦手
・実は終業後もこの切り替えができず趣味の事などを始められず結局増田などを眺めて終わってしまうし寝つきもすこぶる悪い
どうしたら効率よくさぼったり働いたりできるだろうか
ちょくちょくツイッターやらなんやらのインターネット空間の場で、日本の学校教育(特に公立小中学校)が個性を認めない!学力が正当に評価されない!みたいな話が流れてくる。
まあ実際、そういう個性認めないというか認められにくいというのは場所によってはけっこうあるだろうし全体的には事実なんだろう。
ここで同時に話としてついてくるのは、「日本の教育は底辺(あえてこういう表現をする)に合わせてるせいだ」とか「頭のいい子をそいつらと別に頭のいい子の都合のいいように指導しろ」とか「底辺は底辺だけ集めて指導して学力がある子は学力はある子だけで指導すればよい!」みたいなのとかである。大体は「個性を伸ばす指導をしろ!」みたいな感じでまとめられている。
自分にとってはこれがクソほど不快で大っ嫌いだ。吐き気がする。何が個性を伸ばせだ。気持ち悪い。
他にも、趣旨はさっきのやつと違うが、「暗記をするような教え方が悪い!」みたいな話もついてくる。これもクソほど大っ嫌いな話だ。
まあ、これらの言ってることは確かに理屈は通ってるし正しいかもしれんが、自分はこれらがクソほどに不快で気持ち悪い話ということは終始述べておきたい。
底辺の妬みって言われたらそれまでだが。
まず第一に、この手の話を言ってる奴らなんて勉強できない底辺の実態なんて一切知らないってこと。
基本的にインターネット空間でこの手の話をしているのって高校がいいとこ(ここでは偏差値55以上の高校)で大学も国公立!みたいな志望を持ってる/持ってたような奴らである。(もちろん、例外もある。だけど、この手の話をしている奴らって基本的にそういう「奴ら」なのだ。大学にいた/いることが前提のような「奴ら」なのである)
そういう奴らは基本的につまずくことはあれど、なんとかできる奴であって、底辺みたいに「なんとかならない」奴とは似ても似つかぬものであること、そして、インターネット空間でそういうことを言えるほどの知識、教養がある。
現実でも、インターネットでも、そのなんとかなる空間で集まっている人間が個性を伸ばす教育しろって言ってるのが実に滑稽で腹立つ。
こんな文章を読んでる奴は九九ができない大学生とか聞いたことあるかと思うが、この話のように本当に底辺は「なんとかならない」というのをわかっていない。
そして、これが大事な話だが、たとえ天才秀才でもこの底辺に「なりえる」こと。
これはつまり、今まで天才秀才でいた子が底辺になったとき、その子を見捨てることと同義なのだ。だって、そいつの周りには残った天才秀才しかいないし、底辺は実質そいつだけなのだから。
こんな馬鹿話、「ありえない」と思うだろう。実際、自分もそうだろうと「思っていた」。だって、自分が「そうなった」のだから。
自分語りになるが、自分は地方の高校の名門進学校に通っていた。成績は悪いか良いかと言われたら悪いと思っているけど、それでもテストで高得点をとることはあったし、とある科目でクラス一位をとることもあった(別にイキっているわけでもなんでもない)。
そこまではよかったのだが、高二の冬ごろから精神疾患を患い、授業にもでれず、勉強もできない底辺に成り下がった。本当の本当に勉強ができないのである、読んでも書いても聞いても理解できない、本当に地獄だった。あいにく、自分は教諭のサポート(注意しておきたいが、このサポートは「卒業」に関してのサポートである、決して授業理解のサポートではない)があって卒業はできたのだが、それがなかったら、高校を退学していただろうし、誇張表現抜きで最悪この世にはいないだろう。このように、底辺へのサポートがなければ、今の自分は存在しない。
「それはお前の話だし、そもそも、その底辺でもサポートできるような進学校行けていいじゃないか、何が悪いんだ」や「名門進学校行っている時点で底辺とは言わないぞ」みたいな反論があると思う。
自分が言いたいのは、「底辺を知らない」のことの問題であって、自分個人の問題ではない。確かに自分は名門進学校に通っていてサポートを受けたが、そこで、実際に勉強が一切できないという「なんとかならない」状態になったのである。底辺は「卒業」はできるが「勉強はできない」「理解はできない」。これが、底辺が「なんとかならない」ということである。それを理解してほしい。九九ができない大学生が典型的な「それ」である。
これを知らないで底辺を別に指導できるかって言われたら無理だろう。自分でもどうすればいい?と思う。経験していてもわからないのである。
そして、底辺に落ちた場合、拾ってくれるような人がいたらいいが、拾ってくれないとどうするんだ?底辺が一人増えたところで変わらんとか言われそうだが、いきなり一人増えると増えないとでは大きな差がある。「勉強はできない」「理解はできない」を治せばいいのかもしれんが、なんで「勉強はできない」「理解はできない」のか、理解したことあるのか?理由は精神疾患だけとは限らないのに。
まあ、こんな自分語りと藁人形論法はこれまでにして、次の話に移るか。
次の話は、田舎(ここでは、周りには田んぼしかなく、交通網もバスが少ししかないような地域のことを指す)に住んでる天才秀才をどのように底辺と分離するかだ。
ここで注意しておきたいのは、自分は田舎を侮辱する気は一切ない。両親、親戚が田舎出身なのもあり、侮辱するようなことは自分としては許せないし看過できない。ここで述べられている事項は田舎で本当にあることなのである。
まず、ご存知の通り田舎では人が少ない。そのため、子どもも少なく学校も本当に少ないし小さい。
で、基本的にそのような学校は「公立」である。都市圏に存在するような「中高一貫」という概念なんて存在しない。正直言って地方でもその概念が存在しない場合もある。
そして、田舎で一番の問題となるのが、周りに「進学校」というものも存在しないのである。
周りに「進学校」がないと、どうなるかわかるだろう。長い道を使って遠方の「進学校」に行く必要があるか近くで下宿する必要がある。
先ほどあった自分語りのように、自分は高校の名門進学校に通っていた。そこでも、田舎から片道一時間かけて通っている人はいた。
けれども、その人の通ってた小中学校はどのくらい「進学校」にいったのか?
もしかしたら、その小中学校は頭いい人が多く「進学校」に行っている人も多いかもしれない。
けれども、田舎は「子どもも少なく学校も本当に少ないし小さい」。
もし、そこで底辺と天才秀才を分けて指導しようとする、するとどうなると思う?
田舎の学校という人が少ない場所で、底辺と天才秀才を分けれるような人数いると思うか?
それに、もし天才秀才がいたとして、そいつを指導するための知識提供者が周りにいないだろう。たとえインターネットや本で情報を得ようとしても、地方や都市圏と比べて情報の取得量は格段に少ない。
底辺と分離しようとしたら、答えとしてたどり着くのは、田舎から「出ること」である。
田舎から「出ること」、それはつまり、田舎では底辺と天才秀才の「分離ができない」ということの意味そのものを指している。
そして、田舎には天才秀才というものは消えていく。人も消えていく。残るのはなんだろうか。廃墟か?
結局のところ、これの最終的に行き着く先は階層の再生産なんだろう。
底辺が残ることで底辺が同じ場所で一生を過ごし、そしてそこで新たな底辺を生み出す。逆に天才秀才は場所を移動して、その場所で新たな天才秀才を産み出す。同じ人間で同じ人権を持っているはずなのにこんな差が生まれる。
かなり暴力的な表現だが、親の文化資本と学力や成功の関係を見ると必然的にそう考えざるを得ない。
個性を伸ばす指導を行うためには田舎を捨てる必要がある。だって、田舎では底辺と天才秀才の「分離ができない」だもん。
自分は地方でも周りに進学校があるような割といいところに住んでたし、言うのもあれなんだが、中流階級(安定した場所に住んでたことと割と安定した収入を持った父親がいたのでそういう分類にした)であったので、本当はこのような田舎問題を語る資格はないかもしれない。
けれども、「個性を伸ばせ!」と言っている奴らは田舎問題のことは無視してスマートフォンやパソコンの画面を光回線が繋がった家や整備されたアスファルトの上または電車の中で見ながらこういうことを言っているのである。腹立たしい。
最後に、「暗記をするような教え方が悪い!」の言及だけして終わりにするか。
これね、一個目で言ったように底辺は「勉強ができない」「理解ができない」。たとえ、方法やその原理を教えたとしてもそれらができないせいでまともにその方法を使えない、いわば、馬の耳に念仏、猫に小判のような状態になっているんですよ。
だから、その底辺に有効な手段としては暗記が一番で、暗記がなければ底辺はまともに覚えることすらもままならない。
もちろん、一個ずつ丁寧に教えれば理解するかもしれんが、それにいくら時間かける必要がある?誰がやるの?そして底辺全員にできるの?これらの問題を全て解決できますかと言われたら無理でしょう。
増田読んでると色んな人の生活とか人生観とか色んなものが見られてすごく面白いから自分もまとめてみた。
正直事務とかふつうの仕事は無理だろうなと高校のころからうすうす思っていた
注意欠陥までいかないと思う…けど、色々と普通のことが普通にできないからだ、銀行とか絶対無理なタイプ
ていうかコンビニバイトも無理だったしスーパーのレジ打ちもおぼつかなかったし後述するけど倫理観がちょっと常人とくらべてガタついてるところもある(あった)おまけにコミュ障すぎずコミュ強でもないが自分はセンスいいと思っている最悪な部類のやつだった
進学高でもなんでもない普通の学校で成績は中の下か下の上だったので受験ははなから選択肢になくなんとなく選んだ専門学校に行ってた。学費免除の特待生は受からなかった。
うだつの上がらないままコネで待遇もよく確認できないまま新卒入社したところは所謂技術職で入った、専門学校で勉強してたのとは全然関係ない仕事だった
初任給10万切ってたけどはじめてお給料もらえた時はめっちゃうれしかった。仕事ぶりはというと今振り返るとはっきり言ってかなり低能で、つかえねー部下だった
生意気な口ばっかりきくし特段仕事ができるわけでもない…人望もない…若いだけのクズ…デブ…ミス多い…でもその割に上司はふつうに接してくれたと思う
激務すぎてやめた、社内のやりたい仕事へのルートすら能力が足らなくて開けないし、かといって激務のなかでこじ開ける努力をするのは困難と感じたのもあった。あとなんか2年目くらいからストレスのせいかめちゃくちゃ太りはじめて怖かった
でも4、5年くらいいたかな…お世話になりました…まじで…10万ちょっとで月400時間くらい働いてたと思うけど…感謝…
こっから流浪の派遣生活が暫くつづく、この期間が暗黒、黒歴史、一番社会人としてやばかったと思う
度を越した長時間労働・低収入だったから派遣になったとたんもらえる賃金と自由に使える時間が爆上がりしやっと一人の人間になれた気がした
それはいいとして、そのうちの一社で業務中に別のことに夢中になってたのがバレて(犯罪行為ではない)即効契約終了になったりしたのも懐かしいが、っていうかほんと今考えるとありえなすぎる
でもこれやりたい!と思うと我慢できなくなっちゃってたんだよな、我ながら怖すぎるだろ
他の就業先でも契約満了になったの直接いわれてないけど業務中のネットサーフィンがどうしてもやめられなくて、あれが原因だったんだろうな
どうも破滅するってわかってるのにそれでもやめられないみたいなところがあり、本当に怖い。今は加齢して枯れたのか人間としてちょっとましになってきたのかここまでやばいことはなくなった
暗黒期はそれなりに長かったが色々あって収入は増えたはずなのに初期はとにかくめちゃくちゃ金がなかった、お金なくて100円の野菜買おうかどうか腕組みして棚の前で15分くらい考えるくらいには金ほんとになかったよ、よく生きてたな実家帰れよって今なら思う。
理不尽なのはそれくらい貧乏だったのにデブはそんなに変わらなかったこと
そっから一応技術的な成長とか将来性とかも考えて直雇用で転職したが…次はまあなんかヤンキー体育会系ベンチャーって感じだった。2年半くらいはいたかな
つるんでる会社もまあ数年前は話題になってたけど近年は資金繰り悪いとかそんなばっかで斜陽、パッとしない感じだった。だっさ…ていうか情弱かよ…?って正直思ったりしていた
なんか体質的に合わねーな、ハッスルハッスルしすぎだろ、ていうのが決め手になってやめた。あんまり自分のスキルアップも見込めなかったし
ベンチャーって社長のワンマンだけど「一緒に目標に向かって頑張りたい」と「なんでお前のキラキラストーリー達成のために自分の時間を搾取されなきゃいかんのだ」の差はどこに出てくるんだろうね
体育会系の方法論って小規模から成長するときには有効というのが傍でみててよくわかった、しかし理解と自分に合うかどうかは別
やめた後も薄目でみるかぎりスケールしてる(っぽい)のは素直に何よりです、みなさまとプロダクトのご多幸を影ながらお祈りしております
やめたあとは半年くらい充電休暇しつつ勉強しつつ転職活動だったがまあ引っかからなかった
今思えばお祈りあたりめーだろ、って感じの間違った自己アピールしてたな。その時採用試験受けて落ちてしまったけど感じのよかった企業は未だに好感度高い
ここで暇だから自宅で筋トレしてデブは脱却した。管理ハイになると体重って結構落ちるね、ほんとハイになりすぎて必要ないとこまで絞ってしまい風邪ひきやすくなったりコスパ悪くなったので計画的に太った。すぐ戻った。BMI31→19.5→23。いまはもうちょっと太ったかもしれない。わからん。体重計乗ってない
話がそれたが手元に残ったのは人材紹介から紹介されたまあ今までの経験は活かせるがガラパゴス業務、母体はでかそうだけど成長につながらなそう…って感じだったのでしかとしてたが、いよいよのっぴきならなくなってきたのでそこに行くことにした
試しに100万弱年収アップ交渉してここは割りたくないって言ったら満額じゃないがまあまあ通っておいおい~まじかよって衝撃だった。逆に元々どんだけもらってなかったんだよってこれまでの自分にちょっと引いた
そんなこんなで最初に配属された部署でいじめにあう、3年間くらいかな
配属されたてのころにここでそんなこと言うなよなってレベルの失言をうっかりしたことがきっかけでまあ詳細は割愛するけど地味なやりかたでいじめられたわけだが逆にここでメンタルは相当鍛えられた
いじめてくるやつの仕事ぶりを見て絶対自分のほうがうまくやれるって思ったし実際自己評価でしかないけど絶対自分のほうがいいものを作れてた
自分もいじめてくるやつも役職なんかついてないヒラで(いじめてくるやつのほうが年上で年次は上だったが)上司は公平でいてくれたのは助かった。技術職は仕事で自己満できるのが相当強いな
でもいじめは理不尽だしつらいし鬱一歩手前で家に帰ると何も手につかず風呂に入れなくなり汚く臭かったので上司面談されたりしてたが
これを念じてたら頑張れた。いじめのせいで仕事休んだことなかったし(休んだりやめたら負けだと思った)仕事をかなり前倒しして仕上げて自己肯定感爆上で帰路につくのが超幸せで、今までで一番万能感に溢れてたな。家につくころには次の日の朝がいやでまたつらさが襲ってきたが。いじめられてて汚いが退社するときはめちゃくちゃ自己肯定感はあるというねじれ構造だった
世間はこれをたぶん自己満て呼ぶんだろうしうるせーなその通りだよ、でもあの時の周りの人たち本当にごめんなさい。意味わからんときに涙だけ出てたりしたしカオスすぎた
ちなみにいじめてた奴はどっかにいるはずだがそれから社内でみることはあんまなかった。今は涙もでないし風呂も入れてる
そんな数年を過ごした後何回か移動もありつつ新しい仕事が降ってきた。自分で色々精査してるうち結構デカい案件に育ちそうだなーって思った。わりに普通の小規模案件として扱われててとくに注力しなそうな感じの雰囲気が漂ってた
適当にまわせばいいから、ってかんじでなんも社内資料とかなくて、まじかよってなりながら時間つかっていい許可もらってめちゃくちゃそのへんを整備した、例の一件で属人化には懲りてたから
(いじめてくるやつがそういうのに関心が低く年次が上のやつが口伝していくみたいなクソ状態だった、今思ったけど自分の地位をキープするためわざとか?!)
そしたらなんかそのへんが評価されたらしく、その案件がでかくなってきたのとまあいい歳だったのもあり管理職になった。なったが、仕事は増えてるのに一向に給料があがんねーーー!!!!バーカバーカ状態
なのでもらってる金以上の仕事はしないっていうのが確固たる信念になってきた
言いかえると会社には何も期待しないし程々手を抜いても回るように整えていくって感じ、逆に効率化重視の動きに割り切れて自分はやりやすくなった
(会社にはめちゃくちゃ自分の就労倫理に基づいてそこまで求めてないやろってくらい根詰めて働く人もいるし、いろんな働き方をする人がいるからいい塩梅で回ってるのかもなって思う事も多々。自分みたいなのばっかりでもダメだしオーバーワークばっかりもだめだろう)
でも管理職ってやってみると結構面白いなと思うようになり、色々好き勝手暴れまわってたら任される仕事が増えてきた。
このへんで給料がぽんと上がりはじめる、管理するようになっておお、って額が昇給してた。おお、は単に今まで塩だった反動ではあるがなんのかんので前のわっしょいベンチャー退職時より1.5倍くらい年収あがったから運がよかったとしかいいようがない
でまあ半年くらい前にもうちょっと上の役職にならんか、と言われた
評価されたのは管理の実績らしく、業務としてはそのへんの割合が増えてくるってかんじらしい。おちんぎんがどうなるかはブラックボックスだって言われた。なんでだよ、最早期待してないからあがるかどうかはどうでもいいがそういう無責任な不透明さが本当に嫌いだよって辟易通り越して悲しくなった
でもなーー、管理もおもろいけどもうちょっとプレイヤーでいたさもあったからスキルの棚卸のついでに転職活動してみようかな、と考え始めた
自社で使ってたBtoBサービスが使いやすくて、最初になんとなくその会社のサイトみてたら募集があって風通し良さそうだなと思ったから
気軽なかんじでオープンポジションで応募したら受かった。面談も自分にフィットしそうな内容で、やっぱ職ある状態の転職活動は御社が転職に値するかこっちも見極めますよ、って側面もあるから楽だった。不採用になっても受けてみてよかったなあと思っておでん食べてたら採用通知が来た。他のところは今回受けてないから転職しよっかなーから採用まで一か月くらいだった。働いてた会社は淡々と退職期間に入ったけど、社交辞令でも最終日に上司や同僚がつらかったら戻ってこいって言ってくれたのは嬉しかった
転職先は新しい領域もいちからはじめないとなのもあり提示された年収だと手取り若干減りそうだけど手当が色々あるらしいからとんとんくらいか、まあ減額でも前職より学習環境は良さそうなので全然メリットある。あとする気ないが今まで見なし含だった残業代が出る。まあ昇給機会が多いそうだから健全な会社ならなんとかなるんじゃね?でもコロナもあったし無理かな、まあいいや程々にやってくぞ、8月からまた1年生だ。
まあダメだったらウバーイーツの配達員とかも楽しそうじゃん。何個か仕事かけもちも良さそうだしご飯ほどほど食べれて雨風しのげればいいよ。
③職歴振り返るとその時周りにいた人に改めてお礼を言いたい気持ちになった
④失言が多いな、気を付ける
⑤文章を書くのは面白い。特に誰にも話せないことを書きちらすのは気持ちいい
⑥働くのは面白い
いい年のわりに未婚で恋人もおらずで友達3人くらいだが今のところそれで自己肯定がそんなに損なわれることはない
とくだん年収がめちゃくちゃいいわけでもなんでもないし子供のころからめちゃくちゃやりたかった仕事でもないしほどほどに会社というものが好きで嫌いだが
低収入だろうがハゲだろうが童貞だろうが処女だろうが空気読めなかろうがギャンブル好きだろうが非正規だろうが正規だろうが
ひとに迷惑かけず犯罪行為もしてなかったら自分がアガってる状態キープできてるなら別に何でもよくない?
そりゃ自己肯定のもとが人によって仕事だったり家庭もつことだったり子供だったり配偶者か自分の稼ぎだったり趣味だったり恋愛だったり、もっと別のことかもしれん。将来の不安する必要がないとか…?他にも色々あると思うけど。
まあでも自分は持ってるスペックにしてはよくやってるよな(他からの評価は知らん)ていうのが強い、結局自己肯定最強だなって振り返りになりました。全部前職でいじめてきたやつのおかげかもしれない。感謝なんか絶対しないが勉強にはなった。
批判されているGO TO キャンペーン。問題は人の移動によって新型コロナの蔓延が危惧されるところにある。しかし観光業界は旅行してもらわないと苦しい。経済と人命を天秤にかけるような二進も三進もいかない状態だ。
そこでGO TO 券を販売するのはどうか。何年先も有効でお得な旅行券。消費者は新型コロナが落ち着いた頃に使用すれば安全だし値段も安い。旅行業や宿泊業はとりあえずは収入を得られるでしょう。観光地の飲食業や製造業などはちょっと申し訳ないけど。別の案を考えないといけないけど。
最前線で戦う医療従事者の方々に感謝を捧げてきた日本国民、今度は存続に苦しむ観光業界の方々のためにGO TO 券を買って応援しよう。とテレビで流そう。
山中先生の専門は再生医学だから、感染症と公衆衛生の舞台である新型コロナ対策に上がってくるのはおかしいと思う。どれくらいおかしいかというと、イチローがサッカーの指導をするくらいおかしい。しかし、多くの人々はイチローがサッカーの指導をするのがおかしいことは理解できても、山中先生が新型コロナ対策に出しゃばってくるのがおかしいことは理解できないのだ。
これは、多くの人にとって医学がスポーツに比べて身近でないこと、医学をひとまとまりで認識していること、権威主義などの要素が関係している。
医学はスポーツに比べて身近ではない。スポーツ、特に野球やサッカー、相撲といった国民的なニュースは毎日報道されるし、テレビでも毎日放送される。しかし、医学のニュースは大きな発見がされたときしか報道されない。このことによって、野球とサッカーの違いは分かっても、再生医学と感染症学の違いがわからない市民が出来上がる。
多くの人は再生医学と感染症・公衆衛生の違いがわからず、一塊で「医学」と認識しているのだ。だから山中先生が何かを言えば権威主義的にそれに従ってしまう。
しかしこれは当然のことであり、仕方のないことでもある。例えば、私は建築学や文学やITの中にどんな学問があるのか知らないから、その分野の知識が必要になったらとりあえず有名な人に意見してもらおうと考えるだろう。実家から古文書が出てきたときに、古文の大学教授がいてくれたらなんと頼もしいことか。その古文書が例え漢文で書かれていたとしても。
だから医学の場合は、とりあえずノーベル賞で有名な山中先生に意見をもらおうというのは、当然であると言えなくもない。
このことは一般の方々にも言える。医学だけで細かい発見をいちいちニュースにしていたらいくら時間があっても足りないし、医学だけ特別扱いするわけにもいかないし、そもそも市民は医学の細々とした発見に興味がない。だから、市民が医学についての詳しい知識を持ち合わせていないのは当然のことなのだ。
問題点は、メディアなどが過剰に持ち上げることにある。ノーベル賞を受賞したといっても、山中先生は感染症学の専門家ではない。さらに臨床での新興感染症対策の経験もない。感染症対策については本質的には素人で、新興感染症について適切なアドバイスはできないということは本来なら理解できるはずだ。
だから感染症を専門とする先生を専門家として呼ぶのが正しいはずだ。しかしノーベル賞という看板に惹かれたか、そもそも感染症の素人であることがわからないのか、山中先生を新型コロナの専門家という立場に据える番組などが後を絶たない。終いには山中先生自身が「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」というサイトを立ち上げ、専門家会議(分科会になったんだっけ?)のメンバーとして祭り上げられてしまう始末である。
確かにノーベル医学賞を受賞し、有名なインフルエンサーである山中教授が新型コロナウイルスについての情報を拡散するのは理にかなっているのかもしれない。しかし短期的に見れば有効でも、長期的に見ると民衆を馬鹿にしている(ダブルミーニング)ように思えてならない。
SNSで見た主張として、「山中先生は新型コロナが出てからそれについて一生懸命勉強した。だから新型コロナ対策の知識は十分にある」というものがある。これに対して反論したい。
確かに山中先生は新型コロナについて、それが発生してから懸命に勉強したかもしれない。しかし、高々数ヶ月の話だ。日本は何年何十年と懸命に感染症について研究してきた専門家をたくさん抱えている。高々数ヶ月の勉強とは、文字通り桁違いの経験を積んできた先生方である。新型コロナに限らず、感染症対策に関する知識も、経験も、その言葉の重みも桁違いである。だから、「数ヶ月勉強したから知識は十分だ」という主張は、その分野で飯を食ってきた本物の専門家に対する侮辱にも等しいのではないかと思う。本来はそういった本物の専門家をお招きしてアドバイスをいただくのが正しい筋であるはずなのだ。だが、本物の専門家は往往にしてなかなか表舞台に出てこない。メディアが学問や専門性が高い分野を扱うときは特にそうだ。専門家は忙しいのか、恥ずかしがり屋なのか、報酬が割に合わないのか、はたまたメディアがそういった専門家を知らないのか・・・
ここまで散々ノーベル賞に乗っかる諸々をディスってきたが、私は権威主義を否定しているのではない。むしろ迎合するくらいである。
最近は「誰が」主張したかよりも「何を」主張したかについて主眼が置かれる風潮がある。確かに主張の内容は重要であるし、自身の専門分野や興味のある分野については、主張が正しいかどうかを精査するのは極めて重要である。
しかし一方で、我々のような一般大衆にとっては精査は仕事ではないのだと思う。自分の知らない分野に対してその主張が正しいかどうかを判断するのは難しいし、それに誰の主張についても考えていたらいくら時間があっても足りない。さらに、自分でどれが正しいかを考えると、自分の考えのバイアスがかかる。しかもそのバイアスがド素人のバイアスなので余計にたちが悪い。だから、自分が知らない分野については「何を」主張するのか考えるのはやめて、「誰が」主張するのかを考えた方が、幾ばくか合理的であるかもしれない。
そして私が最も強調したいのが、「その権威が正しい権威なのか」を考えることである。
権威が正しいのかを考えるのは、主張の内容が正しいのかを確かめるよりも簡単だと思う。例えば、建築の専門家が建築の指示をするのは正しいが、コップ製造の指示をするのは正しくないだろう。全ての主張についてこれと同様に考えれば、自ずとどの言い分が「正しい」のかわかる。
もちろん、この方法では間違えるかもしれない。例えばニュートンは「光は粒子である」と主張した。しかし実際は「波と粒子両方の性質を併せ持つ」ことは高校物理でも学ぶ常識であるし、高校物理をとっていなくても知っている方が多いと思う。しかしそれは現代の視点から見た話であり、1600年台後半の民衆にとっては光は粒子であることは「正し」かったのである。
科学は日々進歩するものであり、現代の「正しい」が後世にわたって永遠に「正しい」というものはない。そして、その分野特有の思考を持ち合わせない素人が、どれが正しいかを判断するのは難しいものがある。ニュートンでさえ間違えたのだから、その分野の知識がなく、興味もない素人ではなおさらだ。そんな中でひとまずの妥協点を見つけるのが科学者や専門家の仕事でもある。その仕事に乗っかるのもアリだろう。
自分の興味のない分野、わからない分野については専門家の言っていることに従う。しかし、その専門家は本当に「その分野の専門家」なのか、といったことをちょっと考えてみるのも重要だと思う。
NHK調査で最新の内閣支持率が36%と発表された。コロナウィルスの再拡大が進む中、有効な対策を一向に取れない内閣を一体誰が支持しているのだろうか?支持者の意見を聞いてみたい。
私の場合、政治思想的には保守派だが、習近平氏の国賓対応で中国からの入国規制が遅れたり、実効性の低いアベノマスク配布に時間をとられ、予算やマンパワーを浪費したり、マイナンバーでの給付金やCOCOAアプリの完成度の低さと言ったIT関連への適応力のなさ、感染再拡大の局面でGoToキャンペーン前倒しと理性的でない政策判断と言った実務能力の低さに嫌気がさして最近は不支持派になった。
なんというか、仕事のできない人が上司になって感じるストレスのようなものを今の内閣に感じるからだ。ちなみに同様の理由で都知事選は小野氏に入れた。(ちなみに前回2016年は小池氏に投票)
従来の反安倍政権といえば、政治的立ち位置の違うリベラル層や、スキャンダルを嫌う層がメインだったと思うのだが、直近だと政治思想的には保守派でも、私のように実務能力に不満を感じる層が増えているはず。それなのにあまり支持率に影響ないのはなぜだろう。支持者の意見を聞いてみたい。
参考になりましたか?
一般的なスキンケア用品は「薬事法」により、「医薬品」「医薬部外品」「化粧品」のどれかに分類され、効果・効能の範囲が明確に分かれています。
- 「医薬品」とは、病気の「治療」を目的とした薬のことで、厚生労働省より配合されている有効成分の効果が認められたものです。医師が処方するものもあれば、ドラックストアなどで購入することもできる大衆薬(OTC)もあります。ワセリンや保湿外用剤などがスキンケアに用いられる医薬品です。
- 「肌荒れ・荒れ性」「にきびを防ぐ」「日焼けによるシミ・ソバカスを防ぐ」「皮膚の殺菌」など、効果のある有効成分が配合されているのでその効果を訴求できます。また「薬用」とは「医薬部外品」で認められている表示ですので「薬用=医薬部外品」となります。
横だがもちろん有効だ。そのうえで、検査が有効な場所を狙ってどんどん増やすということだと思うよ。無論検査体制を整えた上で増やせる場所は増やしたほうがいい。それこそ全国民に2週間に一度検査しても耐えられるほどの規模を構築できれば全国民にしたらいい。
偽陽性巻き込みは一方の陽性見逃しとのバランスではある。多少の巻き込みもあるが100人に一人だろ?大した問題じゃない。それから、海外ではさかのぼり調査をしていなかったという話もある。
当方,人間の♂,アラフォー,結婚10年目,子供が二人.で,妻がガンになった.病気が判明したの自体は1年半前で,その時は落ち込んだりしたけど,今は落ち込む暇があったら,母親役もしている.会社にもかなり無理言ってほぼシングルファーザーとして生活を結構余裕を持ってしている(コロナで在宅勤務もできるようになったのがでかい).
で,教えて欲しいのは夫としての役割の方だ.妻のガンは治療の甲斐なく,再発をしており,主治医は「時間稼ぎ」と言っており,実質,延命治療に入っている.正直,次の正月は怪しいかもな...と思っている.子供が今年,七五三なので,それだけはしてあげたいな(自分も七五三の記憶は残っているから,イベントとしての価値を認めているところ)てくらいが希望だ.あとは諦めた.何かと話題な1/2成人式は確率論的に無理だろう.というか,そこまで生きられても,もう私の精神や金銭がもたない.
なぜ,精神が持たないのか,が今の最大の悩みだ.それは夫としての役割にもなると思う.妻が病気となって甲斐甲斐しく世話する夫というのはドラマ的だが,それは妻がきちんと弱っており,且,それを本人が認識しているからできることであって,弱っているのにもかかわらず,本人が認識してない場合は,夫は施しようがない.傍目から見て,妻は転移箇所の問題で,この1年で認知能力や忍耐力がかなり落ちた.ちょっと難しい会話は成立しない.なんなら,10歳にもならない子供の方が遥かに複雑で難しい会話ができる.他にも家事もできない.料理を作らせると食材がもったいないレベルの飯不味になり,子供が食べられないから,基本,私が作っているし,掃除もやってくれと頼むと(そうしないとそれすらしない),ただ掃除機を空いているスペースをかけるだけだ(事前に整理整頓しようとかそういうのはない).1番の問題は買い物で,列に並ぶのがめんどくさいという理由で,会計をスキップする.もちろんそれは犯罪なので,何度が警察のお世話になっている.なので,普段は買い物に行かせないのだが,私と子供がいない間に勝手にいく(そして警察から連絡が来る).子供と一緒に行ってもスキップする疑いがあり,子供が私に「ママはお金払ってないと思う」と告げ口してから連れて行かなくなった(本人は否定したが,子供が正しいと思っている).家にはそのようにして買われて使われてない食材が冷凍庫・冷蔵庫・食器棚を占拠しており,やめてくれとお願いしている(が,買い物をすることで気が晴れるようで,買い物をやめない.お金?もちろん私のお金もしくはそれが還流されたものだ).
私は夫としてどのように振舞えば良いのだろうか?蝋燭が燃え尽きようとしているのに,我慢しろっていうのも酷だが,並ぶのがめんどくさいという理由で会計をしない人間を買い物に行かせるのも反社会的だろう.警察にお世話になり始めたころは,我慢しろと強く言っていたが,そうすると,(見え見えの)嘘をつくようになり,犯罪組織が地下に潜って実態が見えなくなるかのように,妻の反社会的行為も地下に潜るようになってしまった.一緒にいくと言っても,普段は,疲れた・眠いと言って寝ており,私が外にいる隙を見計って行っている.一緒に行っても,勝手にいなくなり,妻のカバンに品物が入っている(買ったレシートを見せろと言っても捨てたと言って見せてもらったことはない).正直,三方塞がりである.警察にも相談したが,会計をめんどくさいとスキップする人に有効な手段を見つけられない.医師にも相談しているが,体の治療が優先的なので,なかなかそこまで手が回らないようだ.スーパーにサブスクリプションがあればいいけど,身近なスーパーはすでに出入り禁止なっているので意味ないな...
このような状況なので,金銭感覚がまともなわけもなく,1回の買い物で数万円分の食料品も買ってくることもある(そしてそれが冷蔵庫に入っていて,もらったといい,もらった人にお礼を言うからっていう会話から嘘が発覚する).そんな1人前が何千円もするハレの日の食材なんて,ハレの日にしか食べないから,ずっと残っており,それも頭が痛い.(無くなるとまた買ってくるのだから,それを含めて使えない).
以上を鑑みると,妻はめちゃくちゃだ.それが病気のせいだと分かってはいるけど,家族を巻き込まないでほしい.とういうわけで,夫としてのメンタルは崩壊している.父親としての立場から,延命治療(とは医師は言ってないけど,治らないて言ってるんだから似たようなもんだ)に進んでいるけど.夫しての立場だとそこまでしなきゃいけないのか(暴言・暴力も受けている),損切りしたほうがいいのではないかと思っている.正直,こんなめちゃくちゃな人間はいなかったので(祖母が認知症でめちゃくちゃな人間になってしまったけど...),対応方法が分からない.
どうすればいいんでしょうか,教えてはてな
4月頭段階でこれじゃよ
臨床結果のページは増田においてなかったので適当にググってくれ
貼ったClinicaltrialsarena内にもあったはず
WITHDRAWN: Experimental Treatment with Favipiravir for COVID-19: An Open-Label Control Study
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2095809920300631
ついでに、論文の変更措置は「訂正」「懸念表明」「撤回」 があって、「撤回」が最も重い
ただ、こっちではアービドールと比較して好ましい治療と考えることができるとなってるね
Favipiravir versus Arbidol for COVID-19: A Randomized Clinical Trial
https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2020.03.17.20037432v2
でもまぁいずれにしてもさらなる大規模臨床試験結果待ちってとこかな?
However, the small sample size of 340 participants, the comparison with lopinavir/ritonavir, whose efficacy to treat SARS-CoV-2 is questionable as reported in a separate clinical trial, as well as the addition of interferon-alpha without controlling for its efficacy separately, should lead to caution about the results until more data are available.
(Clinicaltrialsarena.comより)
あとレムデシビル推し。米国と中国はフェーズ3に入ったってさ。そりゃ催奇性強い薬でたぶん有効は避けたいよね
As for other Covid-19 treatment options being investigated, Gilead’s remdesivir, currently in Phase III in the US and China, is arguably the most promising drug and led to such strong demand for compassionate use that Gilead had to restrict access to pregnant women and children. Additionally, due to increasing pressure building up from non-profit public interest groups worrying about high prices and a long-term monopoly, Gilead asked the FDA to pull remdesivir’s orphan drug designation.
(Clinicaltrialsarena.comより)