はてなキーワード: 忠告とは
それだけ努力してるんだよ
実力つけるために努力してるんだよ。プライベート削って努力してるんだよ
その努力無視して「才能あるやつはいいよな」みたいな態度とるなよ
こういう舐めたこと言う奴は俺が生まれた時からプログラム書けたとでも思ってんの?
そりゃ、プログラム書くの好きだよ?
新しい物もすぐに試したくなるよ?
プログラムを書く才能あると思ってるよ?っていうかあると思ったからプログラマになったよ?
でもさ、「プログラマとして優秀である」のはそんな簡単な話じゃないだろ。
「好きなことを仕事にすると不幸になる」みたいな忠告されたし、
「プログラム書くのは新人の仕事だから、それを職にしても年取ったらどうしようもなくなるからやめとけ」って本気で心配されたこともあったよ。
露骨に「就職先、こいつには勝ったわ」って態度とってきた奴もいたよ
それでも、プログラム書くのが好きだから「プログラマになる!」って周りを振りきってプログラマになったんだよ。
それからずっと恐怖と戦ってんだよ。
「人に好かれる」とか「人を楽しませる」って能力ないし、そういうの鍛える職業でもないから、
プログラマでいられなくなったら仕事なくなると思って、必死にプログラム書いてんだよ。
プログラマに見られてからは「これ書けなかったら、プログラマとして認められないな」と思って必死にしがみついたし、
実力があると思われてからは「失敗したら、普通のプログラマに見られて35で辞めさせられるな」って思って必死で周りができないのも作ってるよ。
「出来る」って言ったのに出来なかったら信用失って2流に見られて首になるから「本当に出来るか」必死で考えるよ。
プログラムの世界なんて、毎月新しいの出てきて、半年もすれば流行変わって、1年すれば使ってない奴は「時代遅れ」になるから、必死で新しいの探してんだよ。
新卒とかは新しい方法しか知らないしそれが普通だと思ってるから「時代遅れ」は許されないんだよ
2年前の知識で役に立つのはコンピュータ・サイエンスにあるような基礎的な知識とか、経験から得た「よくこんなの見つけられましたね」って言われるようなバグ探し能力とか、
初めて見たものを「どうせこんなもんだろ」って感じで操れる能力ぐらいだよ。
こういうのは、経験すれば手に入るんだよ。
今は、隣のやつよりすごいプログラマかもしれないが、隣のやつが経験積んだら同じように出来るようになるんだよ。
そもそも、ネット見てたら明らかに俺より凄いのがゴロゴロいるんだよ。
そいつらぐらいにならないと35を超えられないんだろ?年取ってるから凄いんじゃなくて凄いやつしか年取ってプログラマ出来ねぇんだろ。
あと何年でそこまでいきゃいいんだよ。
そこまで行けなかったらプログラマ辞めなきゃいけないと思って、必死で走ってんだよ。
映画行ってる間に本読んでんだよ。
飲んでる時に新しい流行探してんだよ。
それを「プログラム好きなんだね」とかふざけんなよ?
「プログラム好きな奴って休日もプログラミングしてるんでしょ?かなわないわー」とか本当にふざけんなよ。
俺からプログラムとったら死ぬと思って必死でプログラムと付き合ってんだよ。
それを、「好きなことを仕事にしてる奴には勝てない」って一言ですませんなよ。
お前が努力してねぇだけだろ。俺が凄いんじゃない、お前が何もしてないんだよ
http://anond.hatelabo.jp/20161219072939
学生時代は遅刻三昧。遅刻の累積が原因で留年しそうになったのでむしろ欠席して帳尻を合わせたくらいには遅刻魔でした。
増田と同じように成績は中の程度を維持。いくつかあった赤点は、その他の得意教科で相殺され無事留年なしで卒業しました。
人を待たせることも当然で、人に待たされることも全く苦ではありませんでした。
そんな生活も、学生時代では一見不都合がないように思えますが、いざ社会に出ると評価の尺度が激変します。
その中で最も優先されるべきは学業の成績で、次に出欠状況、生活態度が続きます。
ところが社会にでると、この成績というものが実に曖昧な評価になります。
能力という言葉に置き換えられたりもしますが、この能力というものの評価を正しく数値化することがとてもむずかしいのです。
なぜなら、特別な能力があればそれがお金に結びつくかは誰にもわからないことであり、能力が高くても売上に貢献できないなんてことがざらになってくるからです。
これがよく言われる答えがあるかないかの違いであり、結果ばかりが重視されて手段を選ばないことが不満として囁かれてしまう原因です。
そこで、社会では人を評価するときに信用という言葉を使います。
企業や個人の業績は信用という評価のうちの一つにしか過ぎず、その人の信用を判断するには数多くの尺度が用いられることになります。
この辺りを最もシビアにチェックしているのが金融関係であり、ローンを組める金額=その人の社会的価値と置き換えてもほぼ差し支えがありません。
さて、不特定多数の人間が集まる学生生活と違い、社会人生活というものは少なからず皆が同じ目的をもって集まります。
言葉を変えると、不特定多数の中から自分にあった人間だけと付き合える学生生活に比べて、同じ目的を持って集まった以上人間を選ぶことができないのが社会人生活です。
そんな社会人生活の中で、能力という数値化が曖昧な評価以上に大切にされるものがあります。
それが、時間に対する誠実さです。
時間というもは、誰にとっても5分が5分であるように、最も価値を共感できる尺度であると言えます。
先程挙げた能力のように見方によっては評価が変わってしまうものに対し、時間に対する誠実さというのは誰から見ても同じく評価できる尺度なのです。
つまり、社会人生活において、時間を守る守らないということはその人を評価する上での最もわかりやすい尺度だといって差し支えがないわけです。
「君の能力は認めるのだが時間管理ができてない限り一緒には仕事を続けられない。」
同じ理由で3つほどの会社をクビになってやっとそのことの重要さに気がつきました。
そうした真っ先に信用に直結する尺度を捨てるか捨てないかは増田の自由ですが、現段階において増田が勘違いしていること(もしくは当時の自分が勘違いしていたこと)を2つ指摘しておきたいと思います。
まず第一に、教師は職業であり、教師が最も重視することは自分の成績にあるということです。
本人の精神状態が安定していると判断できる中では、成績が著しく悪い場合を除いて基本的に進学・卒業させることが優先されます。
一番に大切なことはその結果によって生じる教師の評判で、そんな人間を進学・卒業させることと、自ら受け持つクラスに留年が発生することとが天秤にかけられます。
著しく成績が悪いわけでもなく、学校の評判にそれほど影響がないと判断できるのであれば、更生する手間をかける必要はないと判断されて遅刻問題は放置されます。
なぜならそのための労力はお金にならない無駄な労力だからです。
本当は個人の評判のためなのに、当時の自分は優しい先生だところりと騙されてしまい、遅刻を放置したことに対する批判は封殺されてしまっていたわけです。
第二に、あなたが友人にしょうがないと受け流されていると思っている現実は、あなたの遅刻が許容されている現実ではなく、あなたの遅刻を許容できる友人だけが残っているという現実です。
つまりあなたは、自覚がないままに友人に選ばているということになります。
学生生活という出会う人間の多い中であればその間違いが及ぼす影響は小さいものかもしれませんが、目的達成のために人を選ぶことが難しい社会人生活の中での影響は甚大です。
果たしてあなたから離れていった友人の中に、あなたの遅刻が原因ではない人間が一人もいなかったと言えるのでしょうか。
いままで付き合いの無かった人間と何かをともにするときに、あなたの遅刻はすべてが許されるのでしょうか。
そのことに気づくことができない限り、あなたはあなたを許す人間のみで作られた狭い世界から抜け出すことができません。
しかしはじめに挙げた通り、時間に対する誠実さは、他の能力に比べて評価もされやすくそれでいて身につけることが他の能力に比べて圧倒的に容易なものでもあります。
これを見てオレはこの焼き鳥屋の店主は経営者としては失格だなと思った。
この人がどんなにいい焼き鳥を作っていたとしても経営者としては失格だ。
ブログジャンルが「社長」となっていたが「職人」にした方がいいんじゃないか?
そもそもどうやって食べるのかは客の自由だし、
そんなに串から外して食べられるのがイヤなら、
規約でも作って入店前に見せて同意できる客だけ入店させたらいいだけの話である。(そんな店行きたくないが)
それをグチグチ言うのは本当に気持ち悪いし、本当に腹が立った。
それと串から外してみんなでシェアするのは自然な流れなんだよ。
今はシェアの時代。店主知ってるか?今は”シ・ェ・ア”の時代なんだよ。
Airbnbで家もシェアするし、駐車スペースはakippaでシェア、洋服もシェア、オフィスもシェア、他にもライドシェアとか子育てシェアなんかもある。
それをわかってないのか?この店主は。
お前は潰れた町の本屋になりたいのか?
違うなら時代に合わせるのが経営者としての仕事なんじゃないのか?
串から外さずにシェアできる方法を考えたらいいだけの話じゃないのか?
なぜそれをしない?
なぜそれを考えようとしない?
時代に乗り遅れたら待ってるのは死だけだ。
よく覚えておくんだな。
同姓同名の友達がいる。山田花子と山田華子くらいの違いはあるので、正しくは“ほぼ同姓同名”になるのだけれど。血液型も生まれ年も同じで(私たちは早生まれで、私たちが出会ったとある集団におけるその年の生まれは私と彼女だけだった)ちょっと運命めいたものを感じている。すべての人に運命の出会いというものが用意されているのだとしたら相手は彼女だろうな、と思うくらいに。
先日、ふたりで旅行をした際、彼女から「男じゃなくてごめん」と謝罪された。「私が男だったら、私たち、絶対に付き合っていたよね」と。それから前世はまちがいなく夫婦だったということや来世ではたとえ男同士に生まれていたとしても結婚しようというようなことを話した。私と彼女は慣れない日本酒をそこそこのペースで飲み終えたあとで、完全に酔っ払っていた。素面ならば彼女は同性愛に嫌悪感を示す性質だろう(と私は思っている)。それでも、否、だからこそ彼女の言葉はほんとうに嬉しかった。
いつか、彼女が結婚したら同姓同名ではなくなるのだと思うと寂しい気持ちになる。できるだけゆっくり彼氏を見つけてください。そうして、ゆっくり結婚してください。ただ、友達として忠告しておくと、長瀬くんは現実にいるけれどいないようなものなので諦めたほうがいいと思います。
相手の男は就活等で散々お世話になった40代の会社員。過去に彼女に対して好意を持ってアプローチしており、ブランドもの等も買ってもらうパトロンのような存在だった事もあるらしい。
俺と同棲し始めてからは、俺の存在を相手の男にも伝え、好意を持たれても恋愛関係にはなれない事は伝えているらしい。彼女は、相手の男には友人として感情しかなく恋愛感情は一切ないと言っている。今はプレゼント等ももらっておらず、数ヶ月に1度食事に行っているだけとの事。
これが本当かどうか、確認するといい。たぶん、本当だろう。
だとしたら、「別れない方がいい」と忠告しておく。
過去がどうだったかじゃない。これからの自分たち二人がどうかが問題だ。
ここで別れたら、のちのち、ずっと後悔するだろう。彼女に匹敵する女性は、たぶん現れないだろう。
相手の男と彼女との関係みたいなことは、長い人生ではしばしばあるんだ。
増田はそれが理解できないのだとしたら、たぶん非モテ人生だったのだろう。
長い人生で、最初に出会った一人だけを生涯愛し続ける、なんてことは、あまりない。
増田の彼女はたぶんその男性を(少し)愛したことがあるのだろうが、
その愛情を増田が捨ててしまうのだとしたら、あとできっと後悔するだろう。
増田は彼女が嘘をついているのではないかと疑う。今後も寝るのではないかと疑う。
それはある意味、仕方ないかもしれない。また、その可能性は皆無ではない。
彼女が増田を裏切っていないのに、増田が彼女を捨てたとしたら、
それはたぶん取り返しの付かない人生の大失敗となるだろう。
「たとえあとで裏切られてもいい。自分はこの女を愛する。だから信じる」
と思ったのなら、その言葉を彼女にはっきり告げるがいい。真っ正面で。
オマケで一つ言っておく。
「自分は愛されていないのかも」という疑心暗鬼が、真の愛情をぶちこわす。
どれほど愛しあっていても、疑心暗鬼があると、愛情はあっけなく壊れる。
トラバに答えておく。
彼女がその男性をいくらか思いつづけるということは今後もあるだろう。というか、きっと思いつづけるだろう。
だけど、それは、「寝る」というのとは違うよ。
相手の男もそれはわかっているはずだ。
まあ、恋愛経験の少ない男には、違いはわからないだろうけどね。
※ 特に、知性的な男女の場合には。(知性の低い男女を除く。)
http://toyokeizai.net/articles/-/140774
こちらのエントリを読んで、長谷川豊氏の「自業自得の透析」を思い出した。
教室内の生徒たちの間にも休み時間と同じ光景が広がっている。一人の生徒の席の前に数名が集まって、にぎやかにスマホでゲームに興じているグループがいくつもある。教室の後方では数名の男子が、「うけるんだけど~」と言いながら相手の肩をばしばし叩いて、大声で笑っている。その足元では、まぐろのように伸びて一人の男子が爆睡している。
件のエントリの冒頭で描かれている「モンキー高校」の日常風景だが、これ、長谷川豊氏が「取材した」という病院風景に驚くほど似ている。
文章の「生徒」を「患者」に、生徒の行動をそれっぽく変えてみるとこうなる。
病院内の患者たちの間にも健常者と同じ光景が広がっている。一人の患者の席の前に数名が集まって、喫煙をしているグループがいくつもある。病院の後方では数名の患者が、「うけるんだけど~」と言いながら相手の肩をばしばし叩いて、酒を飲んでいる。その足元では、まぐろのように伸びて運動をしようともしない一人の患者が爆睡している。
長谷川氏は数名の医師からこのような現状を聞き、病院でこのような光景を目にして、そして義憤にかられてあのようなエントリを世に出した、と言っている。
「モンキー高校問題」と「透析自業自得説」は、共通した問題から出発している。
つまり、「いざという時に自分を律することが出来ない人がいる」という現実だ。
高校にしろ病院にしろ、日常的な選択肢の一つ一つが将来の生活なり生命なりを形作る以上、
教師なり医師なりの言うことをキチンと聞いて、ある程度窮屈な時間を我慢しなければならない。
でも一部の人はそれが出来なくて、指示や忠告を守れず、「易き」に流れてしまう、というものだ。
キチンとした「アリ」からすれば、疎ましく見える「キリギリス」なのだろう。
さて、同じ問題意識から出発している二つのエントリではあるが、結論は全く違う。
「透析自業自得説」で長谷川氏は、そんな自堕落な者は殺してしまえ、と言い、今も考え方を変えていない。
なぜそんな者たちを、若者の金で救わねばならないのか、と。
「モンキー高校問題」で朝比奈氏は、そんな自堕落な者は退学させてしまえ、とは言わなかった。そうではなく
忘れてならないことは、彼らは家庭環境や、学校の教育環境、さらには周囲に気付かれなかった病気や障害などの理由で「教育困難校」に入るしかなかったという点だ。そんな彼らをこのまま打ち捨てておいてよいのか。それは、そこに通う生徒にとっても、日本社会にとっても大きなマイナスにならないか。
と、その者たちの「自らを律する力」はどこで欠如してしまったのか検証し、手を差し伸べるべきなのか、いかに手を差し伸べるのか考えよう、と言った。
朝比奈氏のこの考え方は、長谷川氏が自業自得だと息巻いた透析患者にも当てはめることができると思う。
家庭環境なのか、病気や障害なのかはわからないが、彼らはどこかで自分を律する力を身に着けそこねたのだ。
だからこそ、本当に大切な指示や忠告を守り通すことが出来ず、その結果、健康をそこなってしまうのだ、と。
このように考えた場合、自堕落にして病に冒されることは、はたして純度100%の自業自得の結実だろうか。
来年から男子校のようなもので教師のようなものをやることになったので、昨今の若者にウケるアニメネタの一つもカマしたいんだ。そこで、アニメ評論に自信アリアリな増田諸氏にここ2-3年で流行った作品の推薦をお願いしたく。
オタサーを卒業して早10年。当時は自然と流行りのアニメの話題が耳に入ってきて、やっぱ流行ってるだけあってオモロイわ、などと思っていた。いまはオタクっぽいなんて思われたら潰されかねない職場なので、自分の感性とネット上の紹介だけを頼りにアンテナに引っかかったアニメだけを見ている。そうすると流行のアニメが分からなくなってきて俺もオッサンになったなと痛感している。
印象に残ったアニメ
2015年:監獄学園、プラスティック・メモリーズ、櫻子さんの足下には死体が埋まっている
(追記)
みんなありがとう! 優しい増田たちはやっぱり博識だなあと嬉しいです。
おまけに、ヲタクネタを振りすぎるなよと忠告もしてもらって、はっとさせられました。何事も控えめが肝心。
ありがとうね!
何も見えない。言葉を発することも出来ない。
ただ口元に少女の温かさと重さを感じるだけだった。
光と言葉、そして、手足の自由を失った僕はあの日、暗闇の中に放り込まれ、仰向けになっていた。
でも、僕には助けなんていらなかったんだ。
なぜなら、今から始まらんとすることを、不安と恐怖、期待と喜びが織り交ざった複雑な感情とともに、僕は迎え入れようとしていたのだから。
「 ねぇ、口開けて。 」
その少女の呼びかけはたった一度だけだった。
しかし、それは何度も繰り返し発せられたかのように僕の頭の中に響き渡り続けた。
ねぇ、口開けて・・・
ねぇ、口開けて・・・
ねぇ、口開けて・・・
その少女の言葉が僕の頭の中でリピート再生される度に、不安や恐怖、期待や喜びといった感情はそれぞれ膨れ上がった。
僕の体内の血液はそれを察してか、ギアを一気に上げ、何度も何度も僕の心臓に激しく衝突を繰り返し、「この先に行ってはならない!」と忠告をして来たんだ。
でも、僕は覚悟を決めた。もう戻ることが出来ない世界へ導かれることに・・・
緩く閉じていた口をギュっと強く閉じ、最後に生唾を大きく飲み込み、そして、僕は真っ暗な闇の中で口を開いた。
少女を迎い入れるために。
そして、僕の口の中に少女を迎え入れた瞬間、それまで感じていた不安や恐怖などの負の感情は消え去り、
そこに残された感情は喜びだけであった。
さらに、僕は口の中に入ってくる少女を躊躇することなく体内にも迎え入れ続けた。
全てを迎い入れ終えた後、放心状態になっている僕に少女は言った。
「 一滴も残らず飲めてえらかったね。 」と・・・
そのたった一言で僕という存在の隅から隅までが完全に幸福感で満たされたんだ。
その少女が立ち去った後も僕の中に宿り続けていた。
この体はもう僕だけのものではないんだ。
僕はその少女に内から支配され、そして、自分の内に宿るその少女の存在を持って、僕は幸福に満たされていたのだ。
ずっと、このまま一緒にいてくれ・・・
光と手足の自由を取り戻した後、僕は暗い部屋の中で一人、そう願っていた。
「ニューハーフにケツを掘られ男女のSEX後の反応の違いが初めて分かった」
http://anond.hatelabo.jp/20140326001228
あれから公の場では語ることが出来ない体験を1年ほど前にしましたので、
今回、その時のことを記事にしてみました。
以前増田に書いた記事と異なり、生々しい具体的な表現ではなく、
抽象的な表現を用いましたが、まーどういうことかは想像にお任せします。
年齢は当時、18歳であったことは明記しておきます。
俺はいま大学3年?くらいの年で、今流行りの起業みたいなことを、一昨年からしてる。一応大学には籍がある。5年ほど前にできたばかりの大学で、よく広告を見かけるあの大前研一の大学だ。
んで起業した会社はとてもうまくいってて普通のサラリーマンの3倍くらいの収入はある。大学も行ってないし出勤もお遊び程度しかしないので時間もある。
中学の頃から好きだった女の子とも去年あたりから付き合い始めて、その彼女は東大生なので学歴のない俺が欲しいものも手に入れた。地元には精神年齢の高いよくできた親友が数人いる。
だが毎日後悔してる。常に死にたいと思ってる。死ぬ勇気もないんだが。
普通に大学生になってウェイして、大企業に就職して同僚の女の子と赤提灯で上司の愚痴を言っていたかった。
そんなことは知ってるがこんな道を歩まなければ後悔することもなかっただろうと思う。
これらは本当の幸せには繋がらない。
俺の周りの、めっちゃ金持ってるオッサンたちもみんなサシ飲みとかすると急に死にたいとか鬱な感じになってくる。みんな虚しいらしい。乗り越えたけどやっぱ虚しいよねみたいな。
大学中退して起業するみたいなアホな奴がこれから出てきて不幸にならないために増田に書いておく。先輩からの偉そうな忠告でした。
東大教授の玉井克哉が twitter で発言して、話題を呼んでいる。
「残業100時間は何が何でも悪いんじゃ?、ガー」という人が次から次へと沸いてきて驚いているんだけど、そういう人は、震災の後の自衛隊員が何時間働いたか、想像つかないのかな。あのときに「けしからん、長時間労働は止めさせよ」と言ったんなら、首尾一貫するとは言える。賛成はしないけどね。
これに対して、前後の発言を読め、という批判があったので、読んでみた。10月09日の発言。
http://twilog.org/tamai1961/date-161009/asc-nort
http://twilog.org/tamai1961/date-161010/asc-nort
要するに、「月 100時間の残業以外にも問題点はある」と言っている。それだけだ。
ま、それだけならば、めくじらをたてるほどのこともない。ただし、上記引用部のツイートは、たとえが悪い。「震災の後の自衛隊員が何時間働いたか」なんて、全然別の話だし、これを出せば、「月 100時間の残業は問題点はない」と言っているのも同然だ。当然、批判される。
本人がいくら、「月 100時間の残業以外にも問題点はある」というつもりだ、としても、その趣旨では受け取れない。単に上記ツイートだけを見て、「月 100時間の残業は問題点はない」と言っていると理解される。
ま、本人からすれば、「誤解された」というつもりなのだろうが、そのつもりだとしても、そういう趣旨の文章になっていない。自分の意図したとおりの文章を、自分で書けていない。文章力が低いせいで、意図が伝わらない文章になった、とも言える。
以上をまとめれば、こう言える。
「まともな論説を書きたければ、ツイッターなんかに書くな。ブログなどを使って、ちゃんと長文で書け」
学者ならば当然、そうするべきだ。140字の制約のある短文しか書けない媒体を使うなんて、根本的に狂っている。
その上で、表現未熟・推敲未熟な文章を書いて、「誤解された・誤読された」と勝手にわめいている。自分で自分の首を絞めていることに気づかない。
この人は基本的に、文章能力が低すぎる。だから、 twitter なんていう媒体を使っている。そのあとで、自分の文章能力の未熟さを、「短文しか書けない twitter のせいだ」と責任転嫁している。
バカを言え。そんな媒体を選んだのは、自分自身だろうが。すべては自分の責任だろうが。
この人に忠告しておこう。
と。
とはいえ、いくら忠告しても、それは実行されないだろう。なぜならこの人にはもともと長文を書く能力がないからだ。それがあるなら、とっくに実行している。
結論。
「まともに長文を書けないほど文章能力が低くても、東大教授になれる」
「一日中 ツイッターなんかをやっているような人間は、たとえ東大教授であっても、ニートと同類だよ」(まともな研究もできないし、まともな長文も書けない。)
ブコメに返信
あなたは誤読しているようだが、私は「玉井教授には業績がない」と言っているのではない。「 twitter をやっていると、仕事をする時間がなくなる」と言っている。当然ながら、それが影響するのは、 twitter をやり始めてからだ。上記のリンクページによると、
とあるから、この日以後についてのみ成立する。それ以前については関係ない。( twitter の影響はない。)
ボスとうまくやれない。
仕事は士業。
仕事に対する意欲はあった。なんでも挑戦したいと思っていたし、経験を積みたいと思ってた。
でも、就職して、ボスとうまくいかなくてっていうか、私が一方的にストレスを感じて、プライベートでもいろんなことが重なって体調崩して休職した。情けないけど。
私とボスの間には誰もいない。
だから、相談できる人もいなくて、私ははじめての社会人だったし社会常識もないし、私の心が弱すぎるのかぼすがちょっとおかしいのかわからなかった。
ボスは、悪い人じゃない。いい人。
たとえば、事務員(20代半ばの女性)にBMI値を平然と聞いてしまったりする。私に対して「あなたにはわからないだろうけど、美人っていうのは苦労するんだよ」とか言って来たりする。美人じゃないのはわかってるけど、やっぱり傷つく。
漠然としてる。
わからないでやるより、マシかなって思ってた。
けど、ボスはせっかちで、説明するのが面倒くさいらしくて、質問に答えてる最中に
「あー、もういいや。自分でやった方が早い。」と言って、私に任せるのをやめてしまう。
私が質問したのが悪かったのだろうか?
ボスには言わないけど、お歳のせいもあるのか、うまく言葉が出てこないのか、ボスの説明はボスが知っている事実を私も知っていることを前提に話してきたりして、結構分かりにくい。
知識不足なら私のせいだけど、ボスが打ち合わせでお客さんから聞いた情報とか、私が知りようもない事実を前提に説明したりする。
なので、わかるまで聞き返す。
最初は理解力のない自分が情けないと思ったし、遠慮もあって聞けなかったけど、それで一度ミスをしたのでわかるまで聞くことにした。
そしたら、「もういいや、自分で~」という流れになって、任される仕事が減っていった。
どうしたらいいのか、わからなかった。
前任者は仕事が雑だったからほとんど仕事を任さなくなって最終的に契約更新せずに切った、という愚痴を何度も聞かされていたが、前任者が雑、というより最低限の仕事しかしなかったのも無理ないと思った。
でも、その話を聞いていたから、任される仕事が減っていったとき、すごく不安になった。
期限ギリギリになって、間に合わなくなって、私に仕事を回してくることが多かった。
しかも、帰り際に「明日までによろしく」と資料を渡されることもあった。
締め切り前のボスは遅くまで帰らない。
夜の8時とか9時で仕事してたりする。
たまに週に一度ぐらい早く帰る。7時過ぎぐらい。
新人は誰よりも多く経験を積んで仕事をすべき、と思っているのかもしれない。
私が先に帰る日が続くと、「お先に失礼します」の挨拶を無視されることもあった。
なので、仕事が減って、やることがなくなっても、することもなく職場にずっと残ってた。(もともと残業代はでない職種)
それも新人の仕事だし、円滑な関係を築くのも仕事だし、と思って最初は何も思ってなかった。
けど、私は体力がなくて、そのうち、何も仕事がないのに職場に残ることに疲れてしまった。
年齢のせいもあるし、性別のせいもあるのだろうが、価値観があわないこともよくあった。
仕事は計画的に前倒しして早く終わらせるのがいいという私の考えと、ボスの考えは違った。
期限より早く書類を提出すると「手抜き」だと言われた。どこが「手抜き」だったのかは、教えてもらえなかった。
なので、時間をかけて仕事をするようにしたら、今度は「遅い」と言われた。加減がわからなかった。
ボスに雇われている以上「ボスの価値観」で働くのが正解だと私は思っていた。
だから、内心の葛藤はあったけど、雇われの身で、私は新人で、ボスに合わせるべきだと思った。
他にも色々とボスの価値観と合わないことがたくさんあったり、自分が言ったことを忘れたり、言葉足らずなことがよくあった。
愚痴を聞くのも仕事のうちだと思って最初は聞いていた。けど、話を聞けば聞くほど、心が荒んでいくのでやめてほしかった。
早く帰ってしまうだの、事務所にあまりいないだの、仕事が雑だの、色々と。
「私はそうなったらクビだ」という遠回しな忠告 だと思うと同時に、裏で私も何を言われているかわからない……と、ボスが怖くなっていった。
どんどんボスと会話するのを避けるようになった。
私の心が弱く、「仕事だから」と割りきれず、必要なことも聞けなくなっていった気がする。
そんな頃、
はじめてことで、すごく嬉しかった。
自分なりに頑張ったし、お客さんとも話を進めていった。
私なりに、たまに報告もしていた。
取引先から別のオファーがあり、手に入る金額は下がるだけど早く進行できるというメリットがある内容だった。
夜だけどいち早くお客さんに伝えた方がいいと思って電話でお客さんにその事を伝えると、お客さんがそのオファーを受けてもいいと言った。
翌日、その事をボスに話すと
「なんでそんな重要なこと、俺に相談せずにそんなこと決めちゃったの?電話でそんなこと決めるとかあり得ないでしょ。」
と言われた。
ボスは決して怒鳴りも怒りもしなかったけど、明らかにイラついた口調だった。
私が決めた、というより、お客さんに報告したらお客さんがそれでいいと言ったのだ……私はどうすればよかったのだ?と、すでに泣きそうになっていて言葉がでなくて「すみません」としか言葉が出てこなかった。
私の報告ミスもあったと思う。私が悪い部分もたくさんあったとは思う。
でも、どんどんボスとコミュニケーションをとるのを避けるようになった。
でも、ここに書いたこと以外にもいろんなすれ違いやわからないことがたまってきていて、
もうボスが私に何を求めていて、何をすべきだったのか、わからなかった。
悪い人じゃない。
せっかちで、気が利かないけど、いいところもたくさんあるのだ。
理不尽なこともたくさんあるし、不機嫌になるけど、理不尽に怒鳴ったりはしない。
新人を育てる気もなくて、
質問すると不機嫌になって、
本人には注意しないけど陰ではいろんな不満を他の社員に漏らしていて、
私も何か言われているのではないか……と、
仕事を振られるのが、怖い。
質問するのが、怖い。
早く帰るのが、怖い。
そしてなにより、怖いがゆえに、ボスに質問したりすることを後回しにしてしまう自分が情けなくて罪悪感でいっぱいだった。
人目はあまり気にしない性格だったので、こんなことはほとんどはじめての経験だった。
精神的に疲労してしまったけど、早く帰って休むこともできなくて、誰にも相談できなくて。
そのすぐあと、プライベートで不幸なことが重なって、私は体調を崩して、そのまま休職した。就職して一年も経っていなかった。
申し訳なさでいっぱいだった。
仕事には、戻りたい。
私にも改善すべき点はたくさんあった。
報連相を怠って、逃げた私が悪い。
そう思ってる。
ただ、立ち向かえない私が弱いだけ。
ちょっと注意されたり、不機嫌になるからといって、コミュニケーションをとるのを避けた私が悪い。
でも、正直、どうボスと接すればいいのかがわからないし、戻ることを思うと吐きそうになる。
直接「ダメだ」と言われた訳じゃないのだし、
顔色をうかがわずに気にしないでいるのが正解なんだと思うけど、
「気にしない」でいられる方法があるなら、やってるよ、と思う。
あー、情けない。
いじめの様子を目の当たりにして、僕は劇場に来たことを後悔した。
原作である漫画は全巻読んでいて、事の結末まで全て把握しているはずだった。
それでも、イラストだけでなく映像という形で視聴する事で、これが初めて観る作品であるかのような衝撃と胸が締め付けられるような感覚を得た。
いじめを招いてしまった当事者のみんなも、いじめに対し悪気は無かったのだと思う。
けれども、将也を中心とするいじめは次第にエスカレートし、植野はそれを一緒に楽しみ、佐原は辛くなり途中で逃げ出し、川井は見てみぬふりをした。
(川井の台詞は後の将也に対するいじめの決定的な理由を作った。)
高価な補聴器の紛失と故障がきっかけとなり、硝子は転校し硝子へのいじめは収まった。
ただ、いじめの矛先は将也に切り替わっただけで、硝子へのいじめが明るみになった事が、いじめそのものを無くす方法にはなっていなかった。
将也と硝子の自殺未遂に共通していた未遂の発端は、2人の弱さにもあったと思う。
作中、周りの生徒の将也に対する誹謗中傷の台詞は、将也自身の声が当てられていたが、卑屈で自意識過剰になった将也のメンタルが反映されていたと思う。
また、自分へのいじめは見て見ぬふりが出来たものの、想い人が嫌な目に遭っている事に、ついに耐えきれなかった硝子。
小学生の当時から生きやすいように、自分にとって都合の悪い部分から目を逸していたものの、それを直視せざる得ない状況になって限界を迎えてしまった。
決して2人だけが悪いという話ではない。
かと言って、誰が悪いというわけでもない。
コミュニケーションのぎこちなさが、微妙な噛み合わなさが、作中の登場人物が置かれたいびつな状態を作り上げてしまったと感じる。
ただ、2人に関わった人達が硝子の未遂と将也の転落事故をきっかけに少しづつ変化し、将也の通う高校の学祭を迎える事となる。
そこで、ついに将也の雨空のような視界が晴れやかとなった。「×」が付いていた周りの人達の顔から「×」が全て剥がれたのが、将也自身の心境に変化が生まれた証拠だろう。
硝子についても、植野に対して手話で「バーカ」と言い返していた。人に対し言いたいことをきちんと言えるような人に変化したのかもしれない。
物語終盤は、2人の未遂を乗り越えて成長した人たちの様子が描かれていたが、同時に視聴者である僕達の変化も期待されているのかもしれないと感じた。
この作品におけるいじめは、身体障害を持つ硝子の身にのみ起きたものではなく、健常者である将也の身にも起きた。
聴覚障害という硝子の身体障害がきっかけではあったものの、それが無いと起こり得ない話だとは感じられなかった。
作品の中で植野は「西宮が最初からいなければ良かった」と硝子に対して直接言ったが、後にその植野自身が手話を覚えたという事実だけで、硝子のネガティブな気持ちはだいぶ軽くなっていたと思う。
聴覚障害者、ひいては身体障害者が持つ障害という名のちょっとした壁を、たったそれだけをきちんと考慮し、周りの人が受け入れ取っ払おうと努力する事が出来れば良い話なのかもしれないと感じた。
それは身体障害者だけではなく、他の極一般的な人たちに対する差異の理解にも通ずるものだと思う。
万人がそういった感覚を持つことが出来れば、いじめは無くせると思う。
そういった理解を助けになったこの作品を視聴することが出来たことは良いと思えた。
もう当初の後悔は無い。
がん〔グワン〕【頑】
[ト・タル][文][形動タリ]かたくなに人の言うことを受け入れないさま。多く「頑として」の形で用いられる。「忠告を頑として聞き入れない」「頑として節を枉(ま)げず、反骨を貫く」
こんなもんを張ってる人はやっかいなだけだ
眼張る(目をつける見張る)が転じたのが最も有力で
もう一つは我を張るが転じた説
どちらにしてもろくな意味ではない
次に頑張る英語でググってみると下のように出る
頑張るWork hard
頑張ってなら気楽に言えるがハードに働いては気楽に言えない重さがある
恋人と別れた。
原因は自分の裏切り。未だに自分では裏切ったつもりがないのが、自分の人間としての出来の悪さを思い知らされるようで嫌になってくる。
こうやって自己嫌悪する時点で結局自分は相手のことを想ってなかったんだと考えると、さらに嫌になってくる。
最初申し訳なさを2割って考えてたけど、増田に書きちらかそうとしてる時点で超自分本位だ。
以下本題。
ただ後悔だけはものすごい分量が自分の心の中に渦巻いてるけど、多分明後日には立ち直ってるだろうなと思っている。
忘れることはないだろうけど、自分のメンタルがこれでヤバイことになってしまうことはないと思っている。
というのも、運動、睡眠、野菜の習慣をつけはじめて以来、xevra氏のコメントに目がつき始めて、確かに精神状態調子いいなって思ってたから。決して逆ではない、影響された訳ではないとワザワザ付け加えたくなるのが氏の特徴でもあると思うが。
(まだ瞑想ってほどの習慣はつけてないのでなんとも言えないけど、運動後静かに頭を空っぽにする時間は瞑想に入るのだろうか?)
今では確信を持って言える。不健康な生活は精神まで不健康にする。逆もまたしかり。
少なくとも自分はそうだ。
ただ、今はそれが少し怖い。
というより別の方向で不安になってきた。
氏は、上記氏のキャッチコピーの他に、謙虚さと反省を忘れないよう忠告するブコメも多い。
運動、瞑想、睡眠と野菜はメンヘルに陥らないための最低限の行為でしかないとも言っている。
ただ、キャッチコピーが与えてくれたものは、それとない自己肯定感だけだったと思う。
今謙虚さと反省に向き合う段になって、自己肯定感は罪悪感に変換されている。
すべきことはなんだったのか、そのあとどうすればよかったのか。
が、それより怖いのが簡単に自己肯定感が上回るだろうなということだ。
日々成長していくことを人生の目的に据えて生きているつもりなんだが、今は完全に詰んだ感がしている。
根だけ増やしているが枝の伸ばし方がわからない。
そしてここに及んでなお、自分のことしか考えていないのに唖然としている。
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それでも自分の今後のメンタルに安心を抱いている自分を感じて、
そういえば増田でxevra先生話題に出てたな。と思って思わず書いた。
今となっては逆にメンタルって何なのかと意味が解らなくなってる。
運動とかすれば死ななくて済むよ!生きるの辛くなくなるよ。
でも、生きるの辛くないのが辛い。なぜ辛く感じないのかが辛い。
なまじっか生きるの辛かった時期を過ごしたことがあると、辛くないのが変な気分になる。