はてなキーワード: 同人活動とは
女性向けスマホゲーの大手カプの漫画描くのを止めて(同人関係のトラウマで二年くらい描けなかった)、ふと大手スマホゲーの普通規模のカプ漫画描いて支部にアップしたら一週間しないうちに30ブクマついて死ぬほど嬉しい。
絵を描くことさえ怖くて全然上手くは描けなかったけど、頑張って漫画描いたら「ブクマしてくれる人がいる!」って改めて認識できて死ぬほど嬉しい。
前ジャンルはアップしてすぐに70~100ブクマついてこのカプ人気なんだな~って他人事みたいに思ってたけど、今は「トラウマと戦いながら一生懸命に描いた漫画にブクマしてくれてありがとーーーっ!!」って感じ。
同人活動を再開するかって言われたら怪しいものがあるけど(長い話が全然作れない…)板タブを見るだけで吐き気が出て、クリスタのアイコンが怖くて変なフォルダに入れてた頃を考えると、メッチャ回復してるじゃん!という前向きな気分である。
そのままいい感じに回復していって、楽しい同人誌が作りたいな~~!とも思っている。
私は自分の作品が大好きなので(精進すべきところはたくさんあるけど)、この世に一つでも多く自分の作品を作りたい気持ちでいっぱいだ。
全ての創作者はすごいよね!
色んなことを乗り越えながら、楽しみながら、絵や漫画や文章や立体物を作ってて、そんなのその人以外にできる人いないじゃん!?
あなた以外にあなたの作品が作れる人はいないってすごくない!?
使い古された言葉かもしれないけどオンリーワンだし奇跡じゃん!?
いやーすごい!!
解読しながら読まなければならないので、大変。
私は長年字書きで女性向け界隈にずっといるのだが
最近、特にツイッターが同人活動に本格的に必要になって来たころから
絵描きと字書きの明確な差が顕著になってきたと思うようになってきた。
同じジャンルにいても絵描きは絵描き様とありがたがって持ち上げねばならず
字書きや読み専買い専はたてついてはいけないという、なんとなくのルールがある気がする。
字書きとしてやってきて思うのはその中でもヒエラルキーがとにかく低い。
神字書きと言われる人もいるだろうが、絵描きから比べたらいないに等しい。
同じ二次創作者ではなく感想&よしよし要因、もしくは便利に使える買い子や企画の場合は都合よく使える財布。
そんな扱いが溢れている。
せっかくなので書き直してみた。
常々思っていたのだが「絵描きと字書きの扱いの差」が釈然としない。
それと同時に「絵描きと字書きの扱いの差」がさらに顕著になってきたように思う。
同じジャンルで活動していても絵描きに対しては「絵描き様」とありがたがって持ち上げねばならない。
字書きや読み専、買い専は楯突いてはいけないという不文律があるらしい。
個人的な感想だが、字書きは読み専、買い専と比較してもさらにヒエラルキーが低い。
中には扱いの良い「神字書き」と呼ばれる人もいるだろう。
しかし持ち上げられている絵描きの人数と比べればゼロに等しい。
同じ二次創作者としてではなく
として扱われがちだ。
力尽きた……。
「明確な差が顕著」などの意味の重複が多い。
文章を水増しする癖があるのでは?
私は長年字書きで女性向け界隈にずっといるのだが
最近、特にツイッターが同人活動に本格的に必要になって来たころから
絵描きと字書きの明確な差が顕著になってきたと思うようになってきた。
同じジャンルにいても絵描きは絵描き様とありがたがって持ち上げねばならず
字書きや読み専買い専はたてついてはいけないという、なんとなくのルールがある気がする。
字書きとしてやってきて思うのはその中でもヒエラルキーがとにかく低い。
神字書きと言われる人もいるだろうが、絵描きから比べたらいないに等しい。
同じ二次創作者ではなく感想&よしよし要因、もしくは便利に使える買い子や企画の場合は都合よく使える財布。
そんな扱いが溢れている。
自身の漫画やイラストには否定的な事を言わずほめたたえた感想を欲するが
読みもしないし、読んでも感想など言わない。
一番の逃げ道は 語彙力がないから字書きさんには感想言えない。
これ言っておけば書かなくて済む。
しまいには絵を描かない人間に感想言われてもと言うひねくれ者までいる。
そのくせ、何万字以上ないとやらここの表現はなどとこちらには言ってくる
字書きがそれを言えば字数でしかマウント取れないやら高尚様とまで言われるのに。
字書きが絵描きの原価言った日には字書き風情に絵描きの労力がわかるかときっとフルボッコ。
字書きが踏み込んだらフルボッコにされる話題も絵描きならされない。
ここまで字書きとしてまぁされた事や見た事などつらつらとあげつらなった訳だけど
じゃあ結局こうなる根本てなんだと思ったら
という構図にかなり当てはまる。
ピクシブはイラストコミュニケーションサイトなんだから字書きは来るな!
という発言を見た事があるけどあれ日傘男子が流行った時に似たような発言みたなって思った
いつでもちやほやしてくれて八つ当たりをさせてくれて我儘言っても黙って金を出してくれるそんな男が理想の人、多い。
男なんだから情けない。男の癖に女々しい。見下してるよねぇ?
痴漢やその他一部の男の犯罪者が悪いのにひっくるめてだから男はって言われて
まともな男の人が委縮する。
現状絵描きにすり寄りして表紙や人気にあやかろうとする字書きが嫌われているだけなのに
字書きはさ~とひっくるめて言われる。
これだから女はと言えば一緒くたにするな!
って言われる
絵描きも字書きも一緒の創作者と分け隔てなく接してくれていた絵描きさんは大抵いなくなる。
数少ない、平等に接してくれる人に感想などのアクション起こせば
選り好みだなんだと言われる。選り好みして敬語で失礼ないように送ったリプを無視する癖に。
そんで関わりのない字書きのアイディアをパクッても気にしない。
むしろこっちがパクったと言われかねない現状が嫌になってブロックすれば
1文にまとめると勉強を頑張る為に同人活動を休止してツイッターを消すことにしました。
というだけの話です。
ただ自分にとっては同人活動もツイッターも、生半可な気持ちで断てるようなものではなかったのでここから語る事の経緯は自分の感情を整理するための自己満足です。
えらく長い上読んでもこれっぽっちも楽しいものではありませんが、それでもお付き合い頂ける方は読んでみてください。
勉強を今一度頑張ってみたいと思いました。
思ってみたもの、今まで散々頑張ってこなかったことなので正直既に全然自信がないんですけど。
本当に自信がないです。散々頑張らなかった人生なので。
ただ、自信無いなりに、まず頑張る為に今まで頑張れなかった原因たる要素を外的要因から潰していこうと思ったのです。
その1つが自分で学費を持った上で、勉強をする為に学校に入ることでした。
ざっくり勉強と申し上げましたが4月から資格を取得するために専門学校に通うことにしたのです。
同資格を取得するにあたって大学に行っていたのですが、親の金で通っていた当時は正直な話どこか甘えていた部分があったと思います。
実家から独立して社会に出て数年、時間もお金も有限なんだと本当に今更痛感しました。
勉強する為にお金を出して与えてもらった時間を使って勉強をろくにしてこなかった今まで、本当に勿体ないことをしてきたなと思いました。
大学当時、資格取得の試験に落ち、翌年仕事をしながら自主学習しても身が入らず結局試験は以来受けていませんでした。
フルタイム勤務に月20~40の残業が発生した状態で実際時間もなかったのですが、結局仕事をしているから、と勉強から逃げていたと思います。
今一度、腰を据えて勉強する為に学校へ行きたいのだと親に伝えたときも父親からは甘えていると言われました。
本当に、その通りだと思いました。
私が社会に出て数年働いても全く届かない数百万というお金を出してもらい4年間大学へ通い、試験には落ち、卒業しても得られたものは何もない状態で社会に出てのんべんだらりと数年を過ごした私には2、3年だとしても学校へ通う為の資金などはなく。
またどこか親に頼ろうという気概が自分の中にはあったように思うので。
実際、学費と学校へ通う間に生計を立てていく問題を本気で考えたのはその後でした。
まず、今年から資格取得の為に受けられる給付金制度が拡充したことを知りました。
次に、検討していくうち決めた4月から行くことになった専門というのが本来2年制の学部でしたが、大学で同資格取得の為の科目を専攻していた関係で前例もある特例として1年制として受け入れて頂けるということでした。
資金的にも現実的な額面になってきたこと(それでも情けない話ではありますが結局親に前借りする形になりましたし、口座の残高はパート勤務でもしないと工面できない程度にしか残せていませんが)、
特例の1年制というのは学費的にも大きかったですし何より親の金で無闇に過ごした時間が多かった大学での4年間が少しでも無意味にならないように思えたこと、
新年に引いたおみくじが末吉にしてかつて類を見ないレベルの手厳しさであった上で「学問:自己の甘えを捨て全力を尽くせ」と言われていたこと、
年齢も正直先日27になりまして、あと数年で三十路というところまで差し掛かっている身としてはあまりにも将来性のない日々を送っていたこともありました。
ともかくその他いろいろ踏まえても今踏み切らないともうどうにもならない気がしました。
フルタイム勤務はもう無理なので今の仕事は今月いっぱいで辞めます。
前述の通り隙間時間で入れるバイトを探して当面はやっていきます。
学費を振り込んだ今残った口座の残高数十万円は試験半年から数ヶ月前にはバイトも辞めて勉強だけ集中するためのお金なので来年の今頃には本当にほとんど一文無しの予定です。
口座に余裕がなくて本当に良かったです。
長い目で見ればリターンがあるからとか言って本でも作れば向こう数ヶ月はご飯が食べられなくなる寸法です。
資格が取れなければ本当に何も残らない状況で、これで頑張れなければ本当にただの屑だと思います。
要は、自主的に意欲を持って頑張れない自分が頑張る為にまずあらゆる退路を断つ必要があったのです。
もう後が無い環境を意図的にでも作って追い込まないと自分は間違いなく何かに甘えてしまう人間だったので。
そんな感じで経済的・将来的な逃げ道を絶つ環境を整えることを決めたからにはしておかなければいけないと思ったもう1つ。
この文面を此処まで読まれる方でしたら私が見事なまでの限界同人オタクなことはご存知のことと思います。
高1頃から同人活動を少しずつ始め、彼此10年以上同人誌を作ってきましたが、作成ペースは年々悪化の一途を辿り、前年では15冊発行してましたし、もうここ何年も年間10冊超ペースで発行している有様でした。
正直、学生時代勉強に身を入れきれなかった大元の原因が同人活動にあったと思います。
原稿をしている間は人間的な生活が送れない、みたいな限界同人オタクあるあるも私からしてみれば「人間的な生活を送らない理由にするため原稿をしている」ような節がありました。
自己解釈をアウトプットすることが人生で何よりの生き甲斐なのは間違いないのですが、それが同時に生活を怠る免罪符にもなっていました。
イベントに参加して自身の本を取ってもらう、気の合うオタクと喋る、時として感想を貰う。
同人イベントにサークル参加されたことのある方であれば分かる方もいると思うんですけどこの一連の流れって本当に癖になってしまうんですよね。
ただでさえ自己解釈のアウトプットが生き甲斐だった私に関してはもはや本を作ってイベントに出る行為は依存症みたいなものだったと思います。
原稿にかける時間が人生で何よりの優先事項で、次点が最低限の生活を成り立たせるための労働、あとは気が向いたときに行う基本やれなくても仕方のないこと。
自分の中では完全にそういう考え方ができていました。
自己の思考をアウトプットすることそのものが生き甲斐な自分にとってツイッターでのツイート行為もまたある種の依存行為だったと思います。
自分の交友関係は社会に出ている間に学生時代の関係がほぼ残らず、今やツイッターで形成されているものでほぼ占められていたのでツイッターを完全に消してしまうことは自分の人間関係の大半を喪失させてしまうことのように思っていて、それが余計に自分の中でこのツールを離しがたいものにしていたようにも思います。
というか消すまでしなくても程々に運用したらいいのではって話なんですが。
物事を切り替えていくのが本当にへたくそで、特に一つの思考に耽るのが楽しい性分だったことも助長してツイッターでひとたび1つの話題を見つけると数時間でも半日でも延々とそのことについて考えてはツイートをして時間を浪費する日々でした。
共通の話題で盛り上がる人が居ると余計に、自分以外の誰もその話題をしていなくても一人でもいつまでも。
やらなければいけないものできればやりたくないことが後に控えている程にその傾向が強かったように思います。
その手軽さが現実逃避すらも容易にさせてしまっていたと思います。
自身の思考に共感を得てくれる存在が数値として見えるこのツールでは欲している感情が簡単に満たされてしまって、少しでも苦しさを感じる現状に対する手軽な逃げ場になっていたと思います。
息抜きと現実逃避というのはニュアンスとして紙一重だと思うんですが私は息抜きのつもりで一度楽しいことを始めるとそのまま本来の楽しくない作業には戻れなず逃避になっているタイプでした。
人生において欲している感情を与えてくれる要素は現実から逃げる為の要素でもあると思います。
自身にとってツイッターと同人活動は人生において欲している感情を与えてくれる要素のほぼ全てでした。
だから、本当に本当にすべきことを前にツイッターを、同人活動を並行するという可能性を少しでも残せないと思ったのです。
今生の別れでも何でもない、本当に一時的な措置であって数年後の私が目標を達しているいないに関係なくきっと私はツイッターも同人活動も再開すると思うのです。
人生の中でみれば些細な制限に対してここまで長文の記事を作るなんて自分でも正直馬鹿げているなとも思うのです。
これは少しでも隙があればきっとまた今までのように現実にある目前のすべきことから逃げだしてしまう自分に対して仕方ない、仕方ないと言い聞かせる為の文章です。
ここまでしないと、ここまでしても尚駄目かもしれないどうしようもない自分をせめて戒める為にこの文章を作っています。
いくら生き甲斐だったとしても生き甲斐を続けるだけの人生に将来性なんて何もありません。
自分の生き甲斐はあくまで趣味であって、万に一つでも趣味を続けた先にそれが将来性のある何かに繋がるとは微塵にも思っていません。
自分の中で此処まで分かってるなら私は学生時代からもっと勉強をする習慣に慣れておくべきだったと今更のように思います。
結局、その場で満たされる感情やもしかするとなんて夢を見ることでこのままでは良くないと分かっていた現状から逃げ続けていただけだったんだと思います。
手遅れだと諦めるには何もしてこなかったですし半端な気持ちで居続けて「もう手遅れだろう」とか「どうにかすべきだった」なんて言う前に、私はまだどうにかなるものならどうにかしたいと思っています。
逃げ道をいくら塞いだところで1日寝て過ごせば日々は過ぎてしまうわけですから自分が本当に頑張らない限り、どうにかしたいと気持ちだけ口にしたところで結果には何も繋がりません。
ここまで包み隠さず全部言って、それで1年後試験に落ちたら何かもういよいよどのツラ下げてという感じなので正直、どう転ぶにしても後々くまなく喋りすぎたことを後悔すると思ってるんですけど、こうして状況を明記すること事体が退路を断つ一環でもあるので致し方なかったのでした。
最後に「頑張ろうと思います」なんて口だけ言っても仕方ないので自分では言わないでおきます。
(今見直したら冒頭1行で言ってましたけど)
なので此処まで読んでくださった方におかれましては「頑張ってください、応援してます」なんて軽はずみにでも本気でもどんな心づもりでも言えるその言葉を自分に向けては出来れば言わないで頂けたら助かります。
それでも結果を残して戻ってこれたときには軽はずみでも良いので「おめでとう、お疲れ様、おかえりなさい」などのお声を頂けたらとても嬉しいです。
最後の最後に、これからの1年、このブログやフォロー数0のアカウント、もしくは本垢そのものが浮上しても息抜きレベルだと思えるものでしたらどうか見逃してください。
最後まで現金な感情にお付き合い頂いてしまってすいません、ありがとうございました。
それでは。
半ナマのマナーについては時代の動きによってかなり揺れていると思います。そもそもOLなどは漫画やアニメ業界と同じように、二次創作(ファンアートくらいに捉えているのかもしれませんが)も販促になって良い、くらいの歓迎ムードを公式から感じます。実際どうかはわからないですが。
ナマについては、色々な考え方のご本人様がいらっしゃることなので、ご本人様と自分を守るためにまだ昔ながらのルールを遵守すべきだとは思います。
時限販売は列ができない工夫があれば問題ないと思いますね。〇〇時に戻りますという紙に「スペース前での待機はおやめ下さい」と添えたり、「離席中です」というツイート自体は時限販売に関わりないですし、「スペース戻りました」と戻ってからのツイートも当然問題ないと思います。
ただ、サークル主が思っている以上に人気があってそこを読み切れなかったり、同人活動ではいろいろなイレギュラーが発生するので、できるだけ無難に、明記されたイベントのルール遵守で行動するのがよいと思いますね。イベント会場こそ秩序やそれを守る意思が強く必要で、普段の生活よりさらに細やかな思いやりや想像力を働かせるべき場だと思っています。
ずっと好きでいるみたいなこと、気軽に言うなよ。信じちゃったじゃん。
信じちゃったから、あなたのこと、嘘つきって思っちゃったじゃん。」
以上の、この記事のまさに核心と言える部分の4文。増田お前...一度好きになったものはずっと同じ熱量で好きでいろと、本気で言っているのか?自分もそうしているのか?増田には前ジャンルがないのか?前ジャンルの作品も同じペースで生産し続けているのか?もしそうだとしたら、いつか許容量超えしないか?つまり、増田の望みを叶えることは、物理的に無理なんじゃないか?って言いたい。
小さい頃から好きだった食べ物を死ぬまで変わらずに好きで、なおかつ同じ生産者にコンスタントに金を落とし続けるなどの「(増田にとって)信頼感ある」行動まで必要で、それができる人間以外は増田にとってはみんな「嘘つき」なのか。いやもうこの世の全員が嘘つきだし、増田にとっては「信頼できない存在」なんだな。
他人の好きな物が変わり、その行動が変わったことに対して、誠意?などの倫理観まで踏み込んだ感情をいだくというのは、実年齢(想像)と噛み合っていない精神性を感じる。
自分の好きな人が、自分のために好きなことをしてくれなくなった。
その事実を「好きな人」の精神的欠陥のせいだ、と罵る感覚は、多くの人が幼児期〜児童期に折り合いをつける類の精神的葛藤だと思う。増田が小三くらい(この世界での滞在がまだ10年)だったらこの記事は最もだな、がんばれ!と思うが、文体からおそらく18歳以上と思われるし、いいかげん分別をもった思考をしてほしい。
「超お気に入りのお菓子の販売が終了した。メーカーは全然違う味で、似たような見た目の商品を販売しそれが大ヒット。私の大好きなお菓子は販売終了にしたくせに。メーカーが憎い。今までの宣伝や製造はなんだったの。一度作り始めたものは私のために永遠に作れ。メーカーは嘘つきだ。」商業製品と同人作品の違いは大きいが、同じ製品を何十年も作り続けることは本当に難しい。ミルキーとか森永のキャラメル、カプリコ、チョコモナカジャンボ、ガリガリ君、そういった錚々たるラインナップしか思い浮かばない。
そんな恐ろしいほどの数の支持と企業努力の果てに生産され続ける製品と、いち同人作家の生み出すいちカップリングの創作物との次元の違いを考えれば、増田の望む「半永久的なカップリング愛」というのは、そもそも無理な話であることがわからないか?
あと、個人的に気になった点だが、増田はその神と同じカップリングで創作していたんだよね?同じカップリングものとして、尊敬する神をフォローするのはふつうのことだし、そこから交流が始まって、神のAB熱を刺激することで、神とABとの関係もまた変わったのではないかと思うとすごく勿体ない。そこまで神に期待するなら、読み専ならともかく、書き手であるならさっさと好意を表明して、物理的な囲い込みをダメ元でも試みるべき。
なんの努力もしないで相手を嘘つき呼ばわりするって、そうとう危険な思想だと思う。増田は自分をやべぇやつと認識しているようだが、「やべぇ」の内訳をしっかり把握して、矯正したほうがいいと思う。そんな幼稚なクソデカ感情をかかえて生きていて、友達や職場から弾かれていないか?とか勘繰ってしまう。同人活動における自分の異常な(少なくとも平均からかなり外れた)感覚や行動を材料にして、人間としての成長に繋がる自省をしてみることを強く願う。
仕事柄オタクが多く、また、同人活動をしている人も多い環境です。
教育係を任されたこともあり、よく会話をしましたし同人誌を出しているジャンルが同じだったこともあり仕事後に食事に行くことも少なくはありません。
ツイッターも特に抵抗もなくお互いにフォローをしあっていました。
しかし、彼女はギリギリにならないと原稿に手をつけられないタイプのようで毎回のように徹夜、もしくは朝方まで原稿→翌日会社をサボる……ということがあり不満が募っています。
この1年で5回以上ありました。欠勤に至らない、しかし大幅な遅刻も含めると両手では足りない程です。
寝坊をしましたなど正直に話せばいいものを他の社員には体調不良と伝えているためみんな心配をして仕事量をおさえめにしたりと気を使います。
私はツイッターをフォローしているため原稿が修羅場なこと、前日4時頃まで起きて原稿をしていたことなどを知っているので体調不良といわれても全く信じられません。
ギリギリになってしまうのがわかっているのだから原稿前に有給をとってみてはどうか、当日急に欠勤はまわりに迷惑がかかるし
連絡がないのは心配もかけるのでせめて連絡はしたほうがいい。
というように一度注意をしたのにも関わらず直らないためいいかげん堪忍袋の緒がきれそうです。
1人休めばその分他の人の負担は増えますし、同じイベントに参加する予定の私もそのせいで残業になったことが一度や二度ではありません。
まわりには気遣われ心配をされているため事実を知っている私だけが後輩に対して冷たい態度をとってしまい、きっと職場では
思いやりのないやつだと思われています。
欠勤した日は必ず証拠隠滅のように前日の原稿作業中のツイートを消しているのも腹が立って仕方ありません。
念のためすべてスクショをとっていますが、こんなことをしている自分が嫌で嫌で仕方がありません。
上司にすべて伝えて糾弾されてほしい気持ちもありますが、私の心が狭く気にしすぎだと思われてしまったら、プライベートなことを晒してこちらのほうが悪者になってしまいそうで、できません。
後輩のことを気にせずバカなやつだな、と関わらないようにしてサッパリ割り切って考えたいです。
まったく無関係の人が「ギリギリ入稿で会社サボったww」のようなことを呟いているだけで腹がたってしまいます。
どうにか後輩のことを考えないようにしたいです 助けてください。
二次創作同人誌の値段設定が時々話題になるけれど、私は印刷代以上を受け取る理由が理解できない。
交通費とか宿泊費とか言っているけれど、それはその人の都合でしかない。
同人誌以外の表現活動に目を向けると、絵画も彫刻も写真も交通費や宿泊費がかかったからその分を徴収するアマチュアはほぼいない。
しかし,なぜか同人誌だけは赤字を回収することが許される、許そうとしている。一次創作なら理解できるが二次創作なのに。
私は二次創作の同人活動は名前を売るためだけにした方がいいと考えている。
(なぜか二次創作界隈は売名行為を嫌うのだが印刷代以上を受け取らなければ文句は言えないだろう)
二次創作の赤字は広告だと割り切り名前を売って、一次創作で収益化するべきだ。
こういう話題の馬鹿の一つ覚えみたいな趣味なんだから金惜しむなよやらなきゃいいじゃんって意味分かんないわ
ペイする事を含むなら趣味じゃないって単なる一価値観による暴論だしその人がやってる趣味嗜好の範囲を他人が決めるって意味わかんないじゃん
自分でやるならそうすればいいけど値段のどうこうやノベルティや無配含めうまいことやりくりするそれ自体も趣味の一環て人もそりゃいるでしょ
同人二次創作って枠上不必要に利益は出ないようにってそれを一種の遊びだと思ってる人も当然いるだろうし
それを金勘定を含まない趣味をいちいち挙げてホラこの趣味はお金なんて気にしてない!って知らんがなって感じ
そりゃそうでしょそういう趣味を例に持って来てんだからっていう
世の中金絡む趣味なんていくつもあるのに恣意的にも過ぎるでしょ
同人イベント参加とネットの活動が同じものだって括ってんのも意味わかんないしそれも何勝手に言ってんの?って感じ
同じだって思ってる人もそりゃいるだろうけど人によっては被る部分があるだけの完全な別物でそんな場合WEB掲載なんて代替になんてならないし代わりにこっちでいいだろってどこ目線だよって思うわ
何回も言うけど何で人の趣味を勝手に定義してんの?何でネットで公開する事が同人活動って趣味においてその人が得られる感慨や充実感の代わりになり得ると思うの?どんだけ解った気になってんの?何を根拠に少なくとも何万人かはいる同人を趣味にしてる人間が同人活動へ求めるそれぞれのものがネットでのそれで代替可能だなんて考えに至ってんの?
そもそも同人の頒布っていうグレーさの部分に限った問題提起へのひとつの手段としてのネット公開って話を趣味としての代替として足るものって捉えてるの物事の区別つかないまま人にどうこう言えると思うその自信はどこから来るの?何なの?ってなるわ
ていうかそれならそんなの買う側だって金出したくないならイベントなんて行かずネットだけ見てればいいじゃんて話だけどそうでもないじゃん
それでいいって人も大勢いるけどそれだけじゃないからもっと刷ってくれればいいのに安くなればいいのに装丁なんていらないのに再販してくれればいいのに通販してくれればいいのにネットで公開されればいいのにDL販売でいいのにって声があがるんでしょ
本の形になる事でネットだけでは必ずしも得られないものを目にする機会もあって単純に代替になるかって言ったらそうじゃないじゃん
そういう現実として買うだけの参加でさえ例え不本意だとしてもイベントとネットでの得られる経験の差異があるのに作る側のイベント参加の同人趣味がネットでのそれで代わりになるんだからそうすればいいのにってハァ?って感じだわ
だから無料でのネット公開はそういう意味でも望むんだろうけどそんなのはただの自分の都合なわけじゃん
本にするのは作り手側の趣味の上の都合だけどそれを自分の中で否とする自由があるように個人の都合で他人は縛れないでしょ受け入れるのも振り回されるのも自由だけど
個人的にだけどジャンルの値段設定って風潮も正直馬鹿馬鹿しいわ
そんなの部数だけじゃなく使う印刷会社や入稿時期や装丁で単価なんて変わるしそれこそ費用カンパで頒布て前提として揃える必要なんてどこにもないでしょって思ってしまう
別にそうしたくてするのは自由だけど同人て定義を大きく逸れるものでもないなら人の値段に口出すのも同調圧力もやっぱり意味分かんないわ
読んで欲しい手に取って欲しいからって気持ちは理解できるけど元増田のみたいな部数による値段の推移やそもそもの本作りにかかった分を出して貰う事での頒布って感覚が理解できてない人の意見なんて単に知識がない事での疑問や勝手な思い込みなんだからそこに寄り添う事なんてしなくても本来は問題なんてないでしょって
いやそういうスタンスで行くんだって思うのも自由だよでもしたくもない気兼ねして気疲れして本末転倒になっててほんと理解出来ないわ
趣味だからこそ布教や交流やプレゼン的な部分をメインにして頒布を目的に値段を抑えて調節するのも自分の思い描いたものを形にする事自体に重きを置いてその結果単価が上がってその通りに値段付けるのもそれは嗜好によってそれぞれでしょ
シンプルに大量に刷って安価でイベント跨いでまた通販で頒布するのも高価になる豪華本を予約とって刷って1回のイベント限定にするのもどっちもその人の趣味としての楽しみ方なんだからそこに最低限の同人の原則以上の基準を設けるなんて何の意味があるのって思うわ
本出して頒布する事より周りと交流して足並み揃えてその中で楽しめる事が趣味としての同人活動で大事に思うからってならまあそれはそうなんだろうし本末転倒でもないんだろうけど
あと装丁なんて自己満足なんだからってのも結構聞くけどいや全部そうでしょって毎回なるわ
何で中身は自己満足じゃないみたいになってんのって
その自己満足の結果を同人て大きなジャンルの中の別の趣味として金払って自己満足で手に入れるってそれだけの話でしょ
どっちも全部が自己満足なんだよ
装丁は自己満足で~とかそんなのただ自分が趣味として求めてるものじゃないからそこに価値感じないってだけの話じゃん
求めてるものが得られたとしてもそれは自己満足として作られた中に合致するものがあったってだけでしょ
自分が欲しいものがあったからそこは自己満足じゃないそれ以外は自己満足って主観も客観もねえなって感じで怖ささえあるわ
その本がその装丁でその値段でその場で頒布されてるのがその人の趣味の結果なんだから気持ちはどうあれ行動としては欲しいなら買うかいらないと思ったなら手に取らなきゃいいだけの話でしょ
中だけ読めればいいのにってそれただのワガママだしそれで他人の趣味の形に文句つけて要は思うような形にしろよってどんだけ傲慢なんだよって感じだわ
いや言うのは自由だけどそこには言われた側に引き受ける義務は少しもないでしょ
応じてくれたとしてもそれはただの厚意で大いに感謝すべきものだわ
客と店の関係ならハンバーガーのオニオン嫌いだから抜いてなんてある程度通るのかもしれないけど趣味だって散々言っといて注文つけるって何勘違いしてんのって思うダブスタじゃん
アンソロの一人分だけしか読みたくないのに~!全部値段払わなきゃいけないのおかしくない?それ主催の自己満足でしょ??データ別売りすべきでしょ!!!みたいな馬鹿と一緒だわ
別に義務でもないんだから作る側がパッケージとした値段の価値があると思わなきゃその場去る自由もその選択権も自分にあるのに何でその責任をその本の方に乗っけようとすんのって
それこそ趣味に金惜しむなって言っといてしっかり損得考えての事なわけでしょ
趣味として作られたものに自分が欲しいもの以外は省け安くしろって要求は完全に頭おかしいけどでも自分がその値段払うのに装丁や別作家が損になるって考え方自体は悪い事じゃないし趣味の上の買い物では極普通の思考なわけじゃん
こっちでこの値段出したらあっちの買えないから我慢してこのDVD特装版フィギュアいらないから資料集だけ売ってくれ~いや資料集だけ抜いて他売れば相場はなんて気持ちとして普通にあり得るでしょ
それを趣味なんだから読みたいなら買えよ金無いならバイトでも何でもすればいいじゃん損得考えて悩むならそんな趣味やめてしまえってわざわざ言わないし言う奴余計なお世話だしお前その0か100かみたいな思考なんなの?ってなるじゃん
だって生活の中で何を選ぶかどう金を趣味に使うかは当人が決める価値観の範囲のものなんだから
逆に趣味なんだからこそその範囲は個々に裁量の自由が許されるでしょ
現状公儀で許容され得る同人の原則ルールの範囲内での値段設定という前提の下ならそこにどれだけ赤許容するのか何に金を出すのかどこまでを値段に反映させるのか交通費参加費印刷代装丁再販再録既にネットで公開していたものを本にするならどうするか数刷って在庫抱えても単価下げるか通販値下げ無料配布ノベルティグッズでの帳尻あわせ本当は全部個人の判断に委ねるべきものでしょ
それぞれへの個人的な価値観の表明も意見の殴り合いもやりたいならそれは自由だけどそれは前提として同程度の情報や知識の共有とあくまで最終的な決定権は個々にあるってその尊重意識あってじゃん
理解は出来ないけど元増田の友人さんみたいに自分で決めて自分でやめるのもまた戻るのも自由ではあるし他の描き手の値段設定も高めに値段付けてたサークルもそうじゃないとこもそこに皆合わせていった事もそれを同人活動においてのある種問題の象徴のように思った元増田もそれは全部そういう意味では何も間違いではないけど趣味としての遊びにそれを趣味としない人間がそもそもその趣味は趣味とは言えないその趣味ならこうすべきだこれが代わりになるからそれでいいだ何だって趣味としての正当性と倫理性を問う事と趣味と定義した中での懸念と問題提起を混同させて区別もつけられずに一方的に何にどう価値を求めてどういう範囲で金を使うかの幅までそこに定義してそこから漏れるならそれは趣味じゃないやめてしまえってマジかよって笑っちゃうわどの立場なんだよって権威か何かなの?
ほんと何なんだろ
その人はネタを変えつつ同人をテーマにした長文投稿を繰り返してる人なので、内容は実話じゃないですよ
投稿によって数年前から同人活動辞めてたり彼氏がいたり結婚してたり地元に住んでたり東京住まいを辞めて帰ったり設定変わるから
https://anond.hatelabo.jp/20181224134419
https://anond.hatelabo.jp/20181224003438
https://anond.hatelabo.jp/20181213162650
https://anond.hatelabo.jp/20181101021657
人の値段設定にケチつけ出すとそれこそ「自発的で手弁当な」同人活動なんて無理になるやん。市場を守るって何?市場なんてあっちゃいかんでしょ本来。ちなみにワンフェスとか公認のものはここでは考慮してないよ、勝手にやってる同人誌ソクバイカイね。
安すぎるからどうにかすることを検討してほしいってクレームくるしたまに叩かれるんだけど、どうにもこうにも、これが自分の同人スタイルなんだけどと言いたい。印刷費も参加費も公式の懐に入らないんだから、自分は持ち出すべきだと考える。それくらい稼いで初めてできる趣味でしょ。って。
てか少部数サークル守るって何だよ。いま支部もあるし別に無理して本にしなくてもいいし、完全赤字でも出したいから出すもんでしょ。
逃げちゃダメだ逃げちゃダメだっていうのが染み付いてる世代のせいかって思ったんだけど、私あれ地上波一挙再放送で観たんだった。オタクデビュー遅かったし。
それはともかくとして、いつからか、逃げるのはよくないと思うようになっていた。
実は数年来悩んでいることがあって、詳細は控えますが、原因のメインは私自身のことではない。けど、人間関係と捉えると私のこととも言える。
ずっとそのことは脇に置いて、仕事頑張りつつ、楽しいことをたくさんしてきた。解決されないまま時間は流れ、これでいいのかなとふと思ったんだった。
ここらで向き合おうかな。私自身の成長にもなるかもだし、とか思った気がする。
今思えばその頃から、心がどこか、少しおかしくなった。基本的には大丈夫なんだけど、ふとしたときに体が言うことをきかない。なんかおかしいことをしてしまう。例えば仕事中突然パズルゲームするとか(別にスマホ触るの禁止されてはないけど)。おしゃれしようとしたのに途中でどうでもよくなるとか。
あと、私同人活動してるんですけど創作意欲が落ちた。めっちゃ落ちた。
心療クリニックで(私はそういうところへ行くことに全然抵抗がない)悩みについて話してみたけど、あまり伝わらなかった。たぶん状況が特殊すぎるせい。全部説明するのも難しい。
強迫症?神経症?そんな感じのこと言われた。つまり「そのことを考えすぎ」ってことだそう。「あなたは何がしたい?それをもっと考えないと」と言われて、好きなことはたくさんしてきましたと言っても伝わらない。「もっと、具体的に考えてみないと」と言われる。「あなたが主人公なのだから」いやそんなんわかっとるわ!他人が主人公やったらいややろ!使い古された言葉つかわんといて!!「あなたからは恋愛の話も聞かないし」「いや興味ないんで」
この先生、常識人すぎて理解がないのでは?と思い、もうやめよう、他のクリニックに行ってみようとも思った。
でももう少し、と思って続けてた。
なんか、そういうパワーのある先生だった。
急激にやばいと思う日があった。無理、と思って、嘘の用事を作って会社を出て、ひたすらうろうろしてた。悩みの原因のことについて、私のせいだと思った。私のせい私のせい。独歩かよ。川を見たり地下鉄見たりしてた。この日のことよく覚えてない。
その数日後、夢を見た。
私はイケメン若手俳優になっていて、同じくイケメン若手俳優とホテルの部屋で話している。
途中で予想がついた。そう、そうです。商業BL顔負けのセリフが交わされ、私は彼に抱かれた。
めっちゃすごかった。ほんとすごかった。
後日談まであり、そこでは視点が変わり、二人の気持ちがわからなくなっていた。すごい。私の好きなやつだ。
途中で目覚めた。続きをくれ!!!!!
あっ私、腐女子です。
その日、推し俳優の大舞台抜擢が発表された。心臓が爆発しそう。死ねない。楽しい。なにこれ。急に楽しくなった。
ちなみに夢の2人は推し俳優ではない。でもとりあえず2人が絡んでるツイートは検索しまくって、2人一緒の写真はスクショした。仕方ない。これは仕方ない。
結論から言うと、その日を境に、私の創作意欲は回復し、今はその夢をもとにオリジナル俳優BLを書いています。(公開できそうなものになったらしてみようと思う)
例の悩みが少し遠くなった。
なるほど、そういうことかと思った。何がしたいか考えろというのは、何も人生を必死に考えろということではなく、自分以外のことよりも自分が楽しいことを考えるほうがいい、ということか。
今までずっとそうしてきた。
それは逃避だと思ってきたけど、向き合ってもなかなか解決しないことに、死ぬ思いで時間を割くほど、私は暇じゃない。きっと誰でもそうだよね。
昨日、靴を買った。靴が好きだったことを急に思い出した。最近スニーカーばっかりだったなぁ。今日は服にもこだわってみた。昨日たまたま読んだ、なめられない服装ってやつ。ファッションを戦闘服みたいに考えるのも結構好きなんだった。
楽しいことをたくさんしている人へ、それを逃避だとふと思ってもやめないで。それは罠です。楽しいことをやめてしまったら、人生は結構暗くて怖くてやばいです。
そのふちを少し覗いた私から、誰かに届けばいいなと思い、この文章を書きました。
みんな楽しいことしような!!
同人活動というか、こう、特定のジャンルにハマって、わーっと二次創作して、そこから交流が生まれる…みたいなの久しぶりにして、
しみじみと思うんだけど、めちゃくちゃすごいひとが世の中に溢れている。
感動の連続なの。絶え間なく、毎日、心動かされる作品が、目に飛び込んでくるの。
本当に。天才かよ!って天を仰ぐの。
趣味でかいてるのでたいしたものでは〜とか言ってるひとが多いんだけど何者なんだよ本当に。
趣味だからとか言って誤魔化しているつもりなのか?天才なのに??
この国はさあコミケがあって、ものすごい人数がサークル参加に至る同人活動をしてるわけだよ。
それが当たり前になってる気がしてくるけどめちゃくちゃすごいなって思うんだよ。
自分は特に絵とか文章とか音楽で今まで生かしてもらったと思ってるから、
それがじゃぶじゃぶもらえる環境なわけで、対価はどこへ振り込めばいいんですかって常に思うよ。
その感動をさ、行き場のない大きな感情をさ、伝えると、高確率で「えっ!?」みたいに驚かれるの。
「そんなに見てくれてるひとが居るなんて思いませんでした!」「感想もらったことないので本当に嬉しい」とか
そういう反応が返ってくる。もう意味がわからない、あなたは天才なのに。
ここでは恒常的に話題に上がる、作家に感想を送ろう、という類いの話をしたいわけではない。
何かに感動して、心動かされて、絵を描く、小説をかく、グッズを作る、考察をして文字にして伝える、
衣装を作るメイクをする、好きだ!とTwitterなどで呟く…そういった活動はすべて天才の所業である。
フォロワー全然居ない、とか、部数が…とか。誰も見てないとか、文句言われたことあるとか、そういったことはすべて関係ない
ここに、ひとりの人間が、人生の時間を費やして、あなたの作品を享受して、心打ち震えているのだ。
すごいと思うんだよ。めちゃくちゃすごいと思うんだよ…
壁打ち萌え語りとか誰も見てないと思うなよ、フォロワー居なくても鍵かけてなきゃ検索とかで絶対誰かの目に入ってる、自分のような人間の。
そして心で「ほんとそれな」「わかる」としみじみされていたりする。
それで救われる日もある。
なんでこんなのが普通に行われているんだ…
世の中天才が多すぎると思う、本当に。
コミケで15サークルから本を買ったら4サークルには感想を送る。といっても全員フォロワーなんだけれど。
同人活動をする上で、感想は必ずしも必要ではないけれど、あると嬉しいものの最たるものと思う。私生活の時間を削って成した作品を、読んでくれた相手がいると実感できて、かつ自分の思いを受け取ってくれたことを確認できるのだから。
いい作品を書いてくれて有難うという御礼の気持ちと、これからも頑張ってねのエールと、あとは打算だ。私はコミュ障で、かつ駄文を書き散らしている。だから「褒めてあげるからこれからも仲良くしてね」と「私が書いた時も感想くださいね」が、フォロワーに感想を送る裏の意図として、まあ普段は言わないけれど存在する。自分の性格が悪いことは重々承知している。
さて、そこで結果はどうか。相手の性格にもよるが、まあ4人に送って1人から返ってくればいい方である。相手が漫画描きの場合まず100%返答はない。これは、まあ100歩譲ってしょうがないと思う。ことにしている。問題は同じ小説書きだ。
文章を書くのに慣れていて、私の小説も確実に読んでいる(新作を投稿するとイイネ等をつけてくれるし、新刊を買いに来るときに挨拶もしてくれた)。でも感想はくれない。感想送りますね、と言ってくれた人も、新刊を出して半年経ったけれど後沙汰無しだ。ちなみに私はイベント直後に感想を送った。
ちなみに私は、感想をくれた人が何か作品を公開している場合、一度は必ずお返しの感想を送る。そうでなくても有難うございましたと返信する。褒めてくれて有難う、だから私も褒めてあげるね、である。上から目線かもしれないが、私はそれでも褒めてもらえたら嬉しいからそうすることにしている。っていうか感想くれたら感想送り返すのは人としての礼儀だと思っていた。
感想を送り続けてわかったことは、感想を書かない人ほど感想を求めるということだ。
感想を書くのにはパワーがいる。一度読んで、要点をまとめつつ二度読んで、感想文を推敲しつつ三度四度と目を通す。感想を書くことを念頭に入れて一度目を読んだとしても最低三度は読み返す。その労力を、全く理解せず、もらった感想をぺろっと読んですぐ忘れる。
そういう人は、感想を求める頻度も多い。感想ください、という人は、自分が素晴らしい作品を物していることを疑わない。気軽でいいなあと思う。しかし、相手が感想を書くことにどれほど労力を割いて感想を書いて送っているかを、送られる側はもっと理解してほしい。
感想を書くことが大変だということを知っている人は慎ましい。くださいと言うこともあるが、頻度はそれほど多くない。だから私も褒めてあげよう、頑張ってもらおうという気持ちになる。
一番腹が立つのは、私が感想を送った後、味を占めてもっともっとと感想を求め出す人だ。私の感想だけでは物足りなかったのかと悲しくなる。
私は友達が少ない。だから外交手段として感想を用いている。でもそもそも私は彼女達と友達ではないから、私の感想は彼女達にとって「たいして嬉しくない」のだ。友達から褒められた方が嬉しい、それはわかる、それは理解できる。痛いほど。
それを認めるのが悲しくて苦しくて、こんなことをつらつら書いてしまったけれど、つまりそういうことなのだ。内容に問題があるのかもしれない。文章が拙いかもしれない。筆者が意図したものを汲み取れていなかったのかもしれない。でも私はどんな感想も等しく嬉しいと思うし、もらった感想は何度だって読み返す。感想をクレクレする人は、根本的にそういう配慮に欠けている。と、思いたいのだ。私は。
【追記】
いつの間にか沢山コメントを頂いていて驚いた。反応、ブコメ、すべて有難く拝見しました。こういう相談をできる友達がおらず悩んでいたのでとても参考にさせて頂きました。
私にとっての感想はコミュニケーションツールとしての意義が大きいので、書きたくもない感想を無理やり書いたこともあった。これが「感想をほしいと嘆いていたので書いてやったたら増長して求めだした」パターンにあたる。正直これがめちゃくちゃしんどかった。
この投稿の後、感想文に対する御礼状を頂いた。御礼を強要していることにものすごく申し訳ない気持ちになったし、「見返りを求めている」自分に気付かれた気がしてめちゃくちゃ恥ずかしくなった。
実際、感想を書くことで悩んでいる間は創作意欲が全く湧かなかったし、書いても全然楽しくなかった。感想を求めすぎていて、でもそれを素直に言葉にできなくて、感想に固執していたのは誰よりも自分だったんだと気付くことができた。
感想互助会なるものがあることは知らなかった。だが以前、自然発生したそういう趣旨の会合に(今思えば)所属していた時期があるため、互助会意識がいつの間にか植え付けられてしまっていたのかもしれない。
「あなたの感想に救われてる人もいる」と言ってくれた方、有難うございます。そういうことを言ってくれる人のために私は感想を書きたいと思ったことを思い出した。
これからは素直に書きたいものにだけ感想を書いて、書きたくない人には書かないでおこうと思う。私は友達からも、友達じゃない人からでも、もらった感想は等しく嬉しい。でも頂いた感想について御礼をすることはやめないでいるつもりだ。とりあえず、思わず感想を送りたくなってしまうようなものが書けるように頑張りたいと思います。
いや、もう元小説書きになるのかな
子供の頃からずっと本が好きで、漫画でも小説でも絵本でも雑誌でも広告でも
衝撃だった
恋愛は男と女がする物だっていうそれまでの当たり前が、初めて触れたその世界には存在しなくて
そういう一つ一つが私をときめかせて
一目惚れという言葉を、人でも物でもない、概念に対しても使用して良いなら、それは一目惚れでしかなくて
それでいて、きっと今まで続いた長い長い片思いだった
好きなキャラを二人隣に立たせただけの棒立ちイラストに一人で沸き立って一喜して
その頃は、というか子供の頃の私は絵を描くのが好きで
だけれども、どれだけ描いても私の絵は上達しなかった
今でも、時々落書きをすることはあるけど、絵は人に見せないことにしている
どちらにしても、もう絵を描くこともないけれど
初めて同人活動をするのがイベントではなくインターネットの世代だったので
当たり前のように当時流行していた携帯サイトを訳も分からず作成して、ポエムのような会話文ばかりの文章を何本も何本もアップし続けた
ブログにはノートの落書きを写メってアップしてリアタイなんて置いて
本当に今にして思えば思い出したくもない黒歴史過ぎる行動を全部やった
少しずつ感想が届くようになって
web拍手に一言添えられた「萌えました」や「面白かったです」を何度も何度も、本当に何度も、読み返して
それが嬉しくてまた小説を書いて
ずっと繰り返して今まできてしまった
初めて、同人イベントに参加したのは高校1年生の時で初めは地元の小さなイベントに一般参加した
当時は同人誌に限らずラミカや便箋をどのサークルも当たり前に作っていて
誰かの書いた私の好きな二人にお金を払って
書いた人と少しだけ話して
出来るかな、よりも先にやりたいが生まれて
そのまま帰ってすぐに本を作った
本を作ったといっても勿論自宅で印刷したコピー本、それも殆ど文字のないスカスカな5ページ程度の、本と呼ぶのもおこがましい、表紙すらついてない物だったけれど
それでも、その時初めて、自分の作品が形としてそこにあることの、えもいわれぬ感動があって
バカだった私はその本を友人に配ったのだ
今思い出してしまった、殺して欲しい
ただ友人も私に本を渡してきたのでお互い様だ、こんなお互い様嫌だ、やっぱり殺して欲しい
まあ、そうやって本を作る楽しさを、文字を書く楽しさを知ってしまえば戻れなくて
中学生の時ハマっていたジャンルとも高校生の時ハマっていたジャンルとも違うジャンルで参加して
そこから、私はずっとそんな感じ
小説だからとかカプが王道じゃないから、とかありきたりな言い訳を差し引いても売れるのなんて10冊20冊、良くても50に届いたことなんて一度もない
酷ければ、なんて言葉を使えない程の頻度で5冊ほどしか売れないことも沢山ある
サイトを携帯からパソコンに移行して、pixivを初めて、それでもやっぱりサイトを作るのが好きで
今まで一度も違わず早割を使い続けてきたのは、私の唯一の自慢
逆に言えば、それしか自慢はないんだ
ランキングに乗ることもなくて、誰かの目に留まることも殆どなくて
時々、本当に時々貰える感想が本当に本当に嬉しくて
だからここまでやってきた
やってきてしまった
ずっと好きで、BLのことは勿論、書くってことが好きで
ずっと同人活動してきて、最後まで好き以外、なにも得られなかった事に気がついた気持ち
読み辛い文章だなって
私の表したかったものを、私の文章じゃ表現できないんだって、気がついた気持ち
釣り合いが取れなくなる前に
自分の好きが汚れる前に辞めなくちゃいけないと思った
だけど私は、私の好きな話を書けないから
無職27歳!
新卒で就職した会社は三ヶ月で辞め、そこからず~っとフリーター!
みんないい人で仕事内容も楽だったしなんの不満もなかったのに~
頭痛や耳鳴り幻聴のおかげで眠れなくなったので、心療内科に行くとどうやら双極性障害のようだった。
唯一、同人活動という趣味があるおかげでなんとか生きてるけど、オリジナル漫画を持ち込みに行くと面白くない、キャラの見分けがつかない、これじゃ生き残れないと言われる!
とても心が弱い人間なのでボロクソ言われたせいで持ち込みが怖くなってしまい、4度ほど投稿を繰り返すも全て空振り!
まあそうだよね~~~~~
心が折れそうだけどなんだかんだで新しい漫画を描いてる。
これもまた面白くないと言われて二度と見たくなくなる漫画になるんだろうな!
というか、絵を描くのが好きというわけじゃないことに気がついた。
オクやフリマアプリ、同人活動やハンドメイドで確定申告するくらい(20万以上)稼いでいる公務員って、『副業』バレないんだろうかとふと気になった
税務署に申告して税金を納めているんだから、この職員って○年目だから給与○万くらいなのに年収や税金高いけど何で?とか…
臨時職員なら副業してるの?って聞かれても一ヶ月休みの間に稼ぎました!とか言い訳できそうだけど(それでも20万以上稼ぐの大変だよね)、正規職員はどうなんだろうと思ってしまった
身内に役所勤めの正規職員がいて、自分が同人活動(小手サークル)で単価高めの再録本を出したら結構売れてしまったので確定申告しようと色々領収証とか集めてるんだけど、もし公務員じゃない自分じゃなくて公務員であるその身内だった場合は?と疑問に思った
TwitterもPixivもしていて、有り難いことにイラストや同人誌の感想もぽつぽつ貰っている
相互フォローしている中には基本的にイベントは行かないで通販で買いますって買い専もいる
その人が何気なく呟いた「冬コミの○本と●本が発送された!(どちらも同じCPの本)」というツイートをたまたま見てしまった
あれほどTwitterで好きです好きです言ってる割には、冬コミで出した私の本は買わないんだねって寂しくなってしまった
本の内容はありふれたものだったからその人には買わなくても良いリストに入っていたのかもしれないし、書店委託だと手数料高いからあまり本は買えないのは分かってるので、その人は悪くない
ただ、イベントでお金を出して本を直接買ってくれたり、書店で買いましたって報告してくれる人の『好き』こそ信じられるって気持ちになってしまった自分が嫌だ
めっっっっちゃくちゃよかった~~~~~~~~~~!!!!!!
アクセサリーも食器も洋服も文房具も家具もお菓子もある~~~~~~~~~!!!!!!!???????
えええ~~~~これみんな手作りなんですか!!???すげ~~~~~~~~~~
このモチーフをアクセにする発想力!!!!て、て、天才~~~~~~~~!!!!????
アイデアを練って、デザインに起こして、材料を仕入れて、時間を作って、イチから製作して、完成させたの!!!!1???こ、こ、行動力の化身~~~~~~~~~~~!!!!??????
しかも!!!!???みて!!!!?????この繊細な作り!!!!!!!絶妙なサイズ感!!!!!!!心地よい手触り!!!!!!!完成された仕上がり!!!!!!!・・・・・・・素晴らしい、シェフを呼んでくれ(目の前にいる)
という流れをどのサークル(サークルっていうのか?)でもやってしまう。(クソ客)
自分が手先爆裂不器用人間だから、ハンドメイド品を作るっていうのがまず神。
そのあとハンドメイドのマーケット(ハンケ?)に申し込んで、有明まできて、設営して、スペースに立って手売りするのがさらに神。
趣味で同人活動してるオタクだけど、もともと即売会の雰囲気が好きだからめちゃくちゃ楽しかった~~~~~~~
同人誌即売会よりサークル主さんが営業してくれる人が多く、作品のコンセプトとか製作過程の話とか、同人誌で言うと後書きみたいなことが創造神から直接聞ける!!!!すげ~~~~~~~~~~
みんなハンドメイド好きなんだな~~~~~~~~~ってニコニコしてしまった。自分も萌えが高じて本作ったりするから、同質の好きエネルギーを感じて嬉しくなった。営業が消極的な人でも、購入したあとすごく丁寧にお礼言ってくれたりする。
資本主義社会において、何かにお金を払うことはそれを肯定することが含まれると思ってるので、上記のような感動とか作品にめちゃくちゃ価値を感じてることとかが、サークル主さんに少しでも伝わってたらいいなー
友人に誘われて初めて行ったけど、行ってよかった~~~声かけてくれてベリーサンキュー友~~~チュッチュ
オタクのノリで購入後の感想をサークルさんに送ろうとして、ハンドメイド界隈って感想送り合う文化あんのか?とコシり、日記にしました。ハンドメイド界隈で感想送るのってどうなんですかね?
あと、クレカ決済を導入してるサークルさんが多いのも文化の違い感じた。手元の現金なくなっても買えてしまうの、普通にやばい。服を着た物欲になってしまった。
彼女が同人誌を作りたいと言ったとき、身内で本を出していたのは私だけだったのでかなり親身にアドバイスをしていた。
「初めてならオンデマンドで50部くらいがいいんじゃない?」と提案したのは私だった。
初めての同人誌制作は大変だったようで、でもADHDだろうがなかろうが誰だって最初は大変なものだと思う。
いくら障害があって作業が遅くても仕上げが全部他人任せならどうとでもなるでしょ。
知人の同人誌は会場で完売し、書店委託では追納し、結局200部だか300部だか刷ったらしい。
「オンデマンドなんかじゃなくて最初からオフセットで刷っておけば良かった」と何かの折に聞かされた。
当時私の本は会場60部程度がせいぜいで、知人もそのことは知っていたはずだ。
初めての同人誌で成功した知人はもうノリノリで、次の本は最初からオフセットで刷ると決めていた。
その時私は2冊原稿を抱えていたため知人を手伝うことができなかった。
結果分冊となってしまったようだが、オフセットで数百部印刷したというツイートを見かけた。
その分冊の続編が出ることはなかった。
何かしらの障害があったって同人活動をしている人はいるし、そういう意味であまり関係ないんじゃないかと思っている。
健常者だって部数読みを外して大いに売れ残ることもある。
たまたま知人がADHDを公言していただけで、健常者でも部数マウントしてくる人もいる。はず。
私は今も同人活動を続けていて、何とかオフセットで印刷できるようになってきた。
もう一年くらい同人活動(漫画)してないんだけど、その理由が話が思いつかなくなったから。
一枚絵は一応だらだら描いてる。
結構長年そのジャンルにいて、同人誌ハイペースで出しまくって、
直近の2冊は自分の中でやりたかった話を過去最長ページで描いた。
やり遂げた感が強い。
反応がめちゃくちゃ悪くてちょっとショックだったけど、自分が描きたいもの描けたからまぁいいかと思うようにしてる。
ジャンルは相変わらず大好きだし萌えてるし燃料もあったしイベント出たいから新刊出すかーって話練るんだけど、もう何も思いつかん。
スカスカ。
インプット足りないのかと、色んなもの見聞きしたりもしたけどストーリーには繋がらない。
どんなプロット書いても、過去に出したものの焼き直しにしかならない。
自分のテンションが上がらないのに原稿するのはキツイので、新刊出せないままでいる。
引き出しが少なかったんだな、というショックと、ここまで長期間何も描けないショックがずっと続いてる。
漫画ってどうやって描くんだっけ。
もうなんだか自分で何か話を作れる気がしない。
イベント出たい・新刊作りたいという気持ちばかりが空回りしてて辛い。
この正月休みで本気出そうと思って途中まで話を書いたけど、なんだか全然面白くなくて、こんなものを最後まで作画する自信がなくてボツにしてしまった。
私生活も仕事が忙しくなってきてるので、今後同人に割ける時間はどんどん少なくなっていきそうなのに。
もう結構いい大人だし、オタクとして落ち着いてしまったのだろうか。
一通りやりきって燃え尽き症候群なんだろうか。
ただのスランプみたいなものだと思っていたけど、1年ともなるとそういう問題でもなさそうだ。
熱い気持ちを取り戻したい。
穏やかになりたくない。