はてなキーワード: 仮想世界とは
現時点では僕はニートなわけで、人生で初めて、自分で行動を起こさなければ未来が変えられないという状況になった。
今までは学生という甘えた身分で、時限式でなにか環境が変わり、そのタイミングに合わせて選択を強制されるような人生だったが、それはもう終わった。
そのような生活の中で自分はプレッシャーを感じていたんだと思う。
状況を前進できないまま生きていかなきゃいけないという現実から、逃れるための行動ばかりしていた。
ひたすら逃避行動、すなわち気晴らしに励んでいた学生時代だった。
ネットを見て、まとめサイトで自分となんの関係もないニュースを見て、変化のない自分をなぐさめる。
くだらないゲームをやって、現実にはなんの影響ももたらさないような、仮想世界でのレベルアップを求める。
ひたすら卑猥な動画を見て、ひとりぼっちの自分を何度も慰めた。
10代前半から20代前半まで、僕はパソコンのモニターの前にどれだけの時間いただろう?
おそらく5000時間以上はいただろう。そのうちほとんどの時間がくだらないサイトと動画めぐりだ。
今僕の周りには誰もいない。ひとりぼっちのひねくれ者だ。
お前がパソコンでyoutubeみてまとめサイト見てオナニーするための環境は親が整備してくれたものだ。
どうだ?惨めだと思わないか?そんな人間がネットの炎上に参加して騒いでると考えてみろ。
とてつもなく恥ずかしい人間だと思わないか?ましてやその自覚も長い間なかったんだからなおさらだろ。
まぁそんな人間はざらにいるだろうというクソもいるしれないが、確かに現代の日本ならこのぐらいのネット中毒者はそれなりな人数はいるはずだ。
しかし過去のレジェンド、もしくは現在進行形のレジェンドが10代20代だった時、
その人たちは間違いなくネットがない社会で、時間をフルに使って自分を成長させていたはずだ。
それを忘れるな。くだらない気晴らしに時間を使うな。置いていかれていることから目をそらすな。
現実が上手く進まないと不安だろう。でも大丈夫だよ。それは自分の状況をしっかり見てるから不安なんだ。
自分のことから目をそらしていないから不安になってるんだ。それは偉いことだ。
不安の気持ちがあるおかげで、現実に立ち向かうための一歩がふみだせるんだったらそれでいい。
不安から逃れるためにまたネットに没頭してしまうなら、それは将来もっと傷つくことになる。
不安じゃない状況の時が一番危ないと思え。成長しなくてもいいと感じてしまっている時だからだ。
手遅れになる前に現実に自分の顔、自分の体、それを外に出して現実に向かわなければならない。
俺も長い間ネットの匿名の住人に紛れて自分を肯定してきた人間だ。
「以上。負け犬の遠吠えでした」
「話長い。つまんね」
「いいこというな〜笑」
しかしそれが正しいとしても、俺みたいなもんにわざわざこういうことを
書き残さなければ気が済まないというような人間が、果たして現実が満たされているだろうか?
いやないね。誰でもいいから何かの対象を叩きたくてしょうがない人間だからこういうことを残したがる
現実で上手くいってないからこそ、自分のパーソナルな弱い部分をまったく見せなくていいインターネットの特性を利用して
匿名の住人になりすまし、特定の対象を攻撃しもっと辱めてやろうと叩いて叩いて、相対的に自分をあげようとしているだけだ。
特定の対象ということは、ネット上にパーソナルな部分をアップしている人間だ。
俺も匿名側の人間だったからわかる。人を叩かないとやってられないぐらい現実が荒んでいるのかもしれない。
多分現実で叩かれているのは君の方なんだろう。おそらくやり返すことができない立場での攻撃かもしれない。
学校なのか家庭なのか会社なのか、本当に辛いのに逃げられないような状況なのかもしれない。
やり返せないまま我慢して我慢して現実を生きなければいけない人々が今の社会にはいっぱいいて、
そういう人たちがどうしても気持ちを慰めたくて、ネットに溺れているのかもしれない
まとめサイトというのはそういう現実から目を背けさせてくれるメディアだ。
ベッキーをたたき舛添を叩き、もちろんなにか悪いことをしたのかもしれないが、ほとんどは叩いたところで
自分の現実には何の影響のないニュースだ。それなのになぜ騒ぐのか。
それは現実の自分を直視したくなくてしょうがないからだ。自分の時間を使ってでも他人のことをあーだこーだ言っていれば
時間というものは命そのものだ。果たしてその他人の話は命をささげるほどのニュースなのか?
それを考えてみるといいだろう。
まとめサイトといえば、
俺が一番ムカつくのは、まとめサイトの記事の最後にある中立ぶった管理人のコメントである。
中立ぶったコメントを書いているわりに、タイトルを見るにアクセス数を稼ぐための、匿名の人間たちの対立を煽るようなタイトルをつけていたりする。
今や、現実が上手くいっていない匿名の人間たちをサイトに呼び込めば、それが収入になる時代ということだ。
あぁそれとその次にムカつくのは
そのまとめサイトでコメントしてるやつ。どれだけ暇なんだ。さすがに心配ですよ。
とかなんとかいったが結局のところ、匿名の人間たちが誰かを叩く行為自体は、俺自身は別にいいんじゃないかと思っている。
少し前からネット上のそういうやつらが問題になってきていて増えてきていると感じる人もいるかもしれんが、
意外とその人間たちのなかにも現実が忙しくなってきていよいよネットのニュースなんかかまってられなくなって
卒業していくような人もいるだろう。まぁ逆に社会人が無職になって世界を呪いはじめ、気晴らしを求めて
入学してくるやつらもいるだろうが、実は匿名の中身も入れ替わっているということだ。
入れ替わってないでずっとやってられるのは間違いなく甘えたくそったれニートで自殺した方がマシな人間である。
しっかり知っていなければいけないのは、
客観的に見ると常に盛り上がっているように見える匿名の人間たちも、実は少数派で常に中の人間が入れ替わっているということ。
ネットで騒ぐ奴らは、騒ぐこと自体を求めているのであって、実はなんのニュースだっていいんだということ。
今盛り上がっているニュースならば、匿名のつながりを感じられるから、寂しいからそこに居たがるんだろう。
マズローの階層欲求で言うところの、三番目、所属の欲求を満たすために、匿名のつながりを求めるんだ。
ひとまず健康だしネット環境もあるぐらいの生活はできてるんだけど、現実社会では他人と上手くいっていない。そんなやつらが集うのが匿名のSNSなんだ。
現実で疎外感を感じているから、そういう行動に出る。わかりやすい話だ。
ネットで人を叩くような精神状況の人間はまず間違いなく、確実に疑心暗鬼に陥っている
他人がみんな自分を馬鹿にしていると思っている。自分が他人を馬鹿にしているんだから。
ネットでは自分の身分を隠して人を叩けるが、現実ではそうはいかない。
でも大丈夫だよ。それで君が前を向いていけるなら。現実を頑張れるならいくらでもネットで騒いでいいと思う
ただわかっていてほしい。他人を叩くとどうなるか。不運になるなんてことは言わない。言わないが、
もし現実で何か一歩踏み出そうとする時、自分の中の匿名の住人たちが足を引っ張ってくるかもしれない。
叩かれたくないからその一歩を引っ込めてしまう。そういう可能性が高まってしまう。
その一歩を踏み出せないせいで、何年後かに、過去の同級生と君とではとてつもない差が開いてしまうかもしれない。
それで損をするのは君自身だ。
ああ。こんにちは。
今日はゲームのお話をさせてください。そんなに長くないので、ほんのちょっとだけお付き合いくださいね。
私たち人類は、太古の昔っからゲームが大好きなんです。あなたもゲームしますよね?トランプとか、スゴロクみたいなアナログみたいなものから、テレビゲームとか、スマホなんかのゲームもします?ああ、そうですか。あれ、ハマっちゃいますよね。うっかり課金しちゃったりとか。わはは。
でもね、わたしの知ってるゲームシステムは、それよりも、もっとすごいんですよ。「ゲームプール」って言いましてね。映像とサウンドだけでなく、「触った感じ」もリアルに体験することができるやつです。「触覚なんとかファーム」とかいう技術らしいです。自分から言っといてアレですけど、詳しいことは知りませんので、聞かないでください。わはは。
コレすごいんですけど、見た目は全然イケてないんですよねぇ。簡単に言うと風呂ガマです。「棺おけの形した風呂ガマ」ですよぉ。イケてないですよねぇ。この棺おけの風呂に専用のトロトロ液体を入れるんです。んで、そこに横になって浸かるんです。そうです、人が横になるんです。ゲームのために、です。ドロドロの棺おけに、です。さっきの「触覚なんとか」の技術で、ドロドロの液体が「触った感じ」を伝えてくれるんですって。あ。詳しいことは聞かないで。へへへ。
こっからは、歴史の教科書に載ってた話です。先に言っときますけど、受け売りですからね。
このゲームシステムの開発にかかわったY博士ってのが、昔、いたらしいんです。
彼の開発した初期ゲームシステムって、ゴーグルみたいなやつを頭にかぶってイヤホンして、視覚と聴覚に訴えるものだったんですけどねぇ、いや、これはこれで当時は話題になったんですよ。でも、これリアル感に限界がありましてね。どうやったら、リアル感を高められるか、と。
で、結局、Y博士が最後の最後に行き着いた結論が「ゲームプレイ中に、ゲームであることを忘れさせる」システムだったんですよ。ええ、もちろん記憶をなくすのは、一時的なものでゲームが終わったら思い出すんですけどね。
いやいや、これが世界的な大発明でしてね。Googleやら、アップルやら、特許の買収合戦がすごかったんです。ある国なんて、国土の半分と交換に買収交渉したんですよ。びっくりですよねぇ。
ま、いろいろありまして、結局、Y博士は、どこにも売却しないでシステムの設計図から、特許まで全てをオープンにしましてねぇ。そっからですよ、人類が大きく変わっちゃったのは、、、、。
いまでは、人類のほとんどが「ゲームプール」の中にいるんですよ。150億人くらいですかねぇ。プールの外にいるのは、メンテナンスのスタッフだけ。たった40人ぽっちですよ。150億人のメンテナンスするのに、40人ですよ。すごいですよねぇ。
え?みんながやってるゲームですか?
いろいろですけど、ほとんどの人が「REAL STAGE」っていうやつですね。これ、世界中で大ヒットの一番人気です。
現実世界とほとんど変わらない仮想世界で生活するやつなんですけどね。この「REAL STAGE」に130億人くらいいるんですって。「いるんです」って言っても、ホントはゲームプールの中に、ぷかぷか浮かんでるんですけどね。ははは。ぷかぷか。
このゲームの人気のポイントは、なんといっても、「産まれてから死ぬまで、人生まるごと体験できちゃう」とこです。
もちろん恋愛もあるし、結婚もあるし、青春もあるんです。でも、楽しいことばっかりじゃないですよ。困難あってのゲームですからね。学校行って、仕事して、学んだりして、どんどんスキルアップしていくんです。時には特殊な能力を身につけたりすることもあるんです。僕の友達なんか、なんと「将棋」の能力がすごくて、将棋の「能力メーター」が振り切れちゃってましたからね。ゲームの中で、なんとか名人とかになってましたし。ホントいろんなスキルがあって、身につけるのが楽しいもんですよ。
、、、、。
いろいろ、学んで、いろんなスキル身につけたら楽しいですよねぇ、、。
、、、、。
あ。覚えてます? 最初に言いましたけど、このゲームは「ゲームプレイ中に、ゲームであることを忘れさせる」システムですから。
、、、、。
ゲームやってる、ってことを忘れちゃって、現実世界だと思っちゃうんですよ。もちろん、記憶をなくすのは、一時的なものでゲームが終わったら思い出すんですよ。
、、、、。
、、、。
うーん。
、、、、、、。
、、、。
んー、ここまで、お話ししても、まだダメかぁ。困りましたねぇ。
、、、。
もう、こうなったら言っちゃいますけど、驚かないでくださいよ、、、。
、、、。
この文章読んでる、あなたは「REAL STAGE」の中にいるんですよ。
もちろん、ゲームのプレイ中は記憶を消してるから、分かんないんでしょうけども。
ただねぇ、あれなんですよねぇ。あなたのプレイ見てると、何年も、ずーっと冒険はじめてないんですよねぇ。
せっかくのゲームなのに、もったいなくて、もったいなくて、見てられないんですよ。それで、あなたにアクセスしてるんです。
え?わたしですか?
ほんとは、ゲーム中の人に話しかけるのは禁止されてるんですけど。あなたのプレイ見てたら、もう黙ってられなくて。
いや、ほんとに、もうすこし冒険しないと楽しくないですよぉ。このゲーム。
あ!監視員がやってきたんで、この辺でアクセス切りますよ。あいつにバレたらクビになっちゃいますんでね。
DVとかブラック企業とかギャンブル中毒とかバカにしてる人間ほど洗脳されやすいので洗脳について勉強して欲しすぎる
http://aonooo.hatenablog.com/entry/2016/02/01/225804
この記事が話題になってたんで、前々から思ってたことを吐き出してみる。
まあ、それ言っちゃあおしめえよみたいなことでしかないんだけど。
オカルト乙!で切って捨てて、非リアの戯言として潰されるのがオチなんだけど。
>例えば「知り合いの中だとマシだから」「選べる企業の中だとマシだから」とか周りとの相対で良さを感じるんじゃなくて、
>絶対的な観点で良いと思える点が無い人、無いもの、無い組織とはとにかく関わらない事。
>大変かもしれないけどろくな事にならないから選択肢を広げられる様に力を身につけていって欲しいと思います。
これってさ、この社会、ひいてはこの世界そのものだと思うんだよね。
べつにオカルト的なことを言うつもりはないんだけど、生きてるってだけで世界によって洗脳されてる感がものすごいある。
だって、世界という枠組みの中ではある程度の自由は保障されてても、そもそもこの世界に望んで生まれてきたっていう確信は普通ないじゃん。
この家族、この社会、この国、だったらまだ気に入らなければ逃げる余地はあるけどさ、この世界から逃げるには、少なくとも今のところは自殺とか解脱ぐらいしか方法ないよね。
でも、その自殺はなんだかんだといろいろと理由を付けられて、人間的にも社会的にも圧倒的な間違いとして繰り返し認識させられ続ける。
でも今のところ人間が認識できる共有世界って一つだけなわけで、実質的には人間社会=世界みたいなものじゃん。
SFみたいな完全な仮想世界なんてまだまだ遠い未来の話だし、それだってやっぱり物質世界の中での話に過ぎない。
もっと言ってしまうと、生き物に限らず特定の種として存在してる時点で、牢獄というかね。
ここまでくると完全にオカルトな領域なんで、俺もちょっとどうかと思うけど。
ぶっちゃけリアルってさ、楽しいと思わなきゃ楽しめないものじゃん。
これってすごく怖いことだと思うのは俺だけなのかな。
人間の五感で感じとれる世界だけがすべてなのがデフォルト状態で、事あるたびに自我が自分を否定して肯定してを繰り返して、
現代の我々は、盆になれば墓石に水をかけ、手を合わせているが、その行動自体は無意味だと知っている。
死んだ人間に意思などなく、故に墓に参ったところで喜ぶこともないと理解している。
極楽も天国も煉獄も地獄もなく、最後の審判も閻魔様の裁きもないとわかってしまっている。
正確に言えば、ずっと前から、みんなそんなことはわかっていたのだろう。
ただ、わかっていないふりをしていただけで、いずれはそのふりもやめるのではないかと思う。
どんな人間もいずれ死に、その心が消えてなくなるというのは、ある意味で救いでもある。
しかし、現代の日本では、それが悪い方向にばかり影響している気がする。
家族を作ったところで何の救いにもならない。
そして、宗教がその説得力を失いつつある今、これに対抗するための代用品も存在しない。
ただ、その辺を深く考えても仕方がないから、努めて触れないようにしているだけである。
この界隈に詳しくないので、どういう仕組みでやるかは予想もつかないが、
いずれさらに発展する技術で個人の人格を仮想化し、ネットワークに送る。
言わばバーチャル死後の世界というべきものを構築するのである。
現実の人生に生活費が必要なように、仮想世界の生活にもいくらかの維持費が必要だろう。
そして、生きている間はなんだかんだで政府が面倒を見てくれるが、
死後はそうもいかないかもしれない。
あの世の沙汰も金次第である。結局、頼れるものが己の金(と子供)だけとなれば、
金を稼ぐ気にもなるというものだろう。景気回復の一助になるかもしれない。
何より重要なのは、システムの維持には未来世代が文明を永続させること、
そして、彼らの手と意思により、自分たちの存在を維持してもらう必要があるということだ。
子供がいなければ将来の担い手もいなくなるのだから、少子化も一気に解決である。
時間がかかりすぎるとか、同じコンテンツを延々と回らされるとかは、もはや散々言われているので割愛する。
ここで取り上げるのは、「プレイヤーの大多数がアタッカー志向にも関わらず、ゲームシステムがそれを許容しない」という問題である。
MMORPGに限らず、ゲームで楽しいのは攻撃し、ダメージを出す瞬間である。
現実世界でもそうだ。ガキんちょのサッカーで人気なのはFWかMFで、DFやGKをやりたいという奴は少数派だろう。
ちょっと前ならイナズマイレブンで少しは人気になったかもしれないが。
そういうわけで、プレイヤーの多数派は、とにかく攻撃したくてその世界に降り立つのだ。
こう言うと「いや俺は○○好きだったよ?」という意識高い系が現れて反論してくるのだが、
そういう輩は掲示板には出てきても、ゲーム内の募集にはいつまでたっても来てくれない。
しかも、アタッカーというのは気楽である。基本的に攻撃さえしていればいい。
それ以外の仕事は他人に任せて、美味しいところを独り占めできるのである。
回復はちょっとサボると仲間が死ぬ。盾役はパーティの中で最も高級な装備を求められるし、責任も極めて重い。
仲間を守りたいという勇者志望もいるが、彼らがメジャーになれないのは、このプレッシャーに耐えられないからだ。
しかし、そうして降り立ったプレイヤーたちは、仮想世界の現実を思い知らされることになる。
MMORPGのシステムは、アタッカーだらけのパーティを許容しない。
例えば、1つのパーティに4~5人いるとすると、盾役のタンクが1人、回復するヒーラーが1人以上、タイトルによっては
補助担当のバッファー(こいつは延々仲間に強化を回すだけでちっとも楽しくないので、最近では減っている)が必要になることが多い。
だが彼らの人気は低い。パーティ募集をすると、アタッカーの枠が即座に埋まって、延々と残りの募集をするハメになる。
ドラクエみたいに4人の枠に僧侶が2人という編成もあるが、まことにキチガイじみた話だ。
逆に、プレイヤーの志向に合わせてパーティを組むと、ほぼ間違いなくアタッカー過多のタコ殴り戦術に落ち着くが、
それでは序盤の敵は倒せても、それ以降の敵には通用しない。
上を目指すならば、その時点で優遇されているクラスで、かつ強い装備を持っている層がアタッカーを独占し、
残りは嫌々アタッカー以外に回らなければならない。
ちょっと歴史の長いMMORPGに新規がなかなか入らない理由もここにある。何年下積みしたらアタッカーに回れるのかわかったもんじゃないからだ。
これはオートマッチングシステムが導入されても同じことで、タンクやヒーラーがパーティにすぐ参加できるのに対し、
MMORPGがこの問題に対して、無策であったわけではない。例えば、1つのクラスで複数の役割を選べるようになった。
しかし、問題はそもそもプレイヤーがアタッカー以外選びたがらない点にあるので、大した意味はなかったように思う。
全員がアタッカーでもどうにかなるというタイトルも現れた。だがヒットしたという話は聞かない。
それが許されるのなら、MMORPGというフレームである必要自体がなくなる。モンハンでもやっていた方がマシなのだろう。
ドラクエのサポート仲間は、やりたくない役割はNPCに負ってもらうというシステムで、この点かなり正解に近い。
ただ、最難関のエンドコンテンツ以外はソロゲーになるという諸刃の剣でもある。
一方ソシャゲである。こちらのゲームシステムは貧弱そのものだが、それ故に殴る権利は万人に認められている。
最近になってジョブシステムなどを備えるタイトルも現れたが、それでも基本は全員攻撃である。
まず想像力のテストを始める前に構築が正常に行われているかテストしますね。
今あなたが見ているのは、21世紀に存在していた「はてな匿名ダイアリー」というサービスです。
あなたは、脳構造を構築するための遺伝子の1億5千6百7十万飛んで八十四番目の組み合わせで構築されています。
はい、いいですよ。あなたはプログラム通り、知性の最低ラインをクリアしていることがわかりました。
次のテストです。
良く考えて答えてくださいね。
この画面が表示されたままですか?
それなら問題ありません。
やり方はわかっていますよね?
下の文字が読めますか?
声に出して読んでみてください。
テスト結果に合格できた場合、あなたは明日から次のステージに進みます。
お疲れ様でした。
グーグルグラスやスマートフォンによって現実世界での暮らしをより豊かにする流れがある。
ミンスキーがタブレットによる世界の拡張を予想したように、僕はVRによる世界の拡張を予想する。
現在はオキュラスリフトなどのデバイスによって没入できる世界が実現されている。
今はまだゲームで使われたり、映像を見たりすることに用途が限られているが、そう遠くない未来では、自己とアバターの区別がつかないようなVR空間が実現されると思う。
その世界では衣食住のみならず現実の世界では実現することができないの世界が実現できる。誰でもスーパーマンになれる。空間的、時間的な制限がなくなり、地球では実現できない新たな法則やアイディアが溢れる世界だ。
現在はVR空間で様々なことを実現しようとすると複数のデバイスを組み合わせる必要があるが、ムーアの法則的にもっと合理的に実現できるようになると考える。
倫理的な問題もあるが、『嫌なら見なければいい』というように、拡張現実で生活することを望まない人は現実世界で生きれば良い。拡張現実で生きる人が増えることにより、実質現実世界の人口が減るので資源問題も解消するだろう。新たな人口問題が生まれるかもしれないが。
トランセンデンス的な世界(肉体を持たず意識のみで生きる、人間をデジタル化する)が実現できればいいなぁ。
で、感想をtwitterでKENSAKUしてて見つけた http://d.hatena.ne.jp/kurutto115/20150307/1425715505 を読んで、おれがこうじゃないかなーって思っている内容を雑に書いてみる。
まとまってないし妄想先行のシステム万能論で思考停止してる部分もあるけどご容赦。
SAOの色んな感想を見ていて気づいたんですけど、大雑把に分けて
まぁ、要はポジティブ思考かネガティブ思考かってところでしょうか。
前者の人は、ネットはそもそも悪意やネガティブな空気に満ちた空間であり、切り分けないとネットの悪意に現実の自身の人格が影響をうけるため切り分けることが良策であり、懸命だと考えている。
後者の人は、ネットを現実世界の延長上に考えており、悪意もあるが善意もあると考えており、きっちり使えば毒にもなるし、薬にもなると考えている。
ALO編キリト
殺したければ殺すし、奪いたければ奪う。
そんなふうに言う奴には、嫌ってほど出くわしたよ。
一面ではそれも事実だ。俺も昔はそう思っていた。
でもそうじゃないんだ。仮想世界だからこそ、守らなきゃならないものがある。俺はそれを大切な人に教わった。
GGO編シノン
「ええと……キリト、あなた言ってることがこのあいだと違うわ」
「え……?」
「仮想世界なんかない、ってあなた言った。その人のいる場所が現実なんだ、って。VRMMOゲームは一杯あるけど、その世界ごとにプレイヤーが分割されてるわけじゃないでしょ? いま私のいる、この……」
「この世界が、唯一の現実だわ。もしここが、実はアミュスフィアの作った仮想世界だったとしても、私にとっては現実……ってことだと思う」
キリトは目を見開き、詩乃が気恥ずかしくなるほどの時間、ずっと視線を合わせていたが、やがて珍しくシニカルさの欠片もない――と見える――笑みを唇に浮かべた。
「……そうか。そうだな」
上記の2つの台詞は共にSAOのテーマの根幹に関わるわけですが、後者(=キリト達)は電脳空間を現実の延長上にあると考え人格を分離させていません。
前者の人はALOやGGOで本気になったりトラウマを解消するという行為を個人を分離させずに社会的な自分をだすのがどうも馬鹿馬鹿しいと考えがちなようです。
この類の人はシノンがトラウマを克服するのにGGOを使用したり、ユウキの死に際にネット内で集まったりするのが馬鹿馬鹿しいと考える。
まぁ、ユイのパパ・ママ呼びが嫌いでSAOが合わないとかはあるようですが、根本的なところではどもう上記の2種類の対立をそこかしこで見かける。
今の中高生は桜井和寿の声よりも初音ミクの声を多く聴いてるんだからなぁ…時代だなぁ…と感慨に思ったので適当にメモ
僕も初音ミクは可愛いと思うしめっちゃ好きなんだけど、歌い手が歌ってる動画に「ミクのほうが数倍いい」とコメントがついているのとか見るとむむむとなる。
この違和感の裏には、初音ミクは楽曲の骨子として、あくまで誰にでも編集できる便利なサンプリングツールの位置に留まってもらって、肉付けは歌い手が担ってほしいと、旧時代のリスナーとしてはこれを最後の防衛線として譲りたくないというのがある。
ボカロと人間のどちらが優れている、という話ではないのだけれど…いや、心の中では機械が人間に取って代わることに抵抗があるのかも。
歌唱に関しては人間のほうが優れていて欲しいと願っているし、バーチャルアイドルがスターの上位互換と扱われてしまうことにはやっぱり違和感があって、生身の人間がスターを演じて歌唱力で魅せる素晴らしさみたいなものは永遠に評価されて欲しいと思っている。ので、人工物が人間の上位互換とする考え方が苦手だと思った。
後コレは全然関係ない話なんだけど、僕はボカロ楽曲がちょっと苦手。多分、若者のニーズに合わせた結果?楽曲が申し合わせたように早口かつ仮想世界的になるのが、新しすぎて馴染めない。
それはどうしてなのかと考えたのだけど、若者の音楽の捉え方が変化しているからなのかと思う。僕らとか多分親の世代って割と自分の記憶と歌詞を結びつける聴き方が主流だったと思うんだけど、最近の中高生はアニメみたいに、現実とはかけ離れた世界を体感するために音楽+PVを楽しんでいるのかも。新世代に取り残されていく気分だ…。(あともしかしたら初音ミクに歌わせるにあたって早口のほうが調教しやすくて誤魔化しがきくとかあるのかな。)
要するに、ボカロの台頭で人間が否定されていく少数意見に対する違和感と、新世代の音楽観においていかれて寂しいなという気持ちです。といってもまだまだ素晴らしいスターもいますし、差し迫った問題ではないので、チラシ裏のつもりで書いておきます。
元増田の記事の中に内政系の話が出てきてアウトブレイク・カンパニー/くじびき勇者さま/まおゆうが例示されている時点でそういう話になるんだよ。
直接を受けてはこれ。
http://fanfiction-novel.com/archives/544
ただし、別に反論とかそーいう代物ではないです。
http://lightnovel.g.hatena.ne.jp/REV/20100128/p2
も参考にしてます。
web小説のVRMMORPG物とかが書籍でまであふれていて、いくつかのそういうラノベの状況への批評を読んで、そういうのに対してもにょもにょとした感覚を持ってたのだが、アウトプットしてないなと。で、アウトプットしたいなという感覚がとっても大きくなってしまったので落書いてます。
で、自分の領域だと ?D も ?H も Tw も読む人が皆無なので、自分のところよりは読む人が多いであろう増田借ります。
結局のところ独りよがりなチラシの裏なので、嫌いな方はページを閉じてください。
また、ねたばれを平気で入れます。
よござんすか?
よござんすね?
そんじゃ、チラシの裏を徒然なるままに。
ぽすてぃぶさんが
としていたのですが、これの SAO を疑問に思いました。
SAO の最初は、ゲームの仮想世界に閉じ込められて、命がけのデスゲームを行うというものです。
そこで、確かに世界の作り方は SF なのですが、では「物語の世界」を考えると、これは「ファンタジー」の方が近いのではないかと考えています。
ぽすてぃぶさんが持ち出した SAO の要素として
とあるのですが、作中でこれらのギミックが「SFとして」活用され始めるのは、少なくともアインクラッドを抜けた後になります。ユイのボディを現実につくるためには?など。
そう考えたとき、少なくとも最初のアインクラッドでは、彼らの世界はファンタジーと同一の代物でしかありません。行き過ぎた科学により魔法と見分けがつかない代物です。そして彼らにとっては、それだけが「世界」です。
ダンジョンの中に閉じ込められ、クリアするまでログアウトできない。ゲーム中の死はそのまま本人の死につながる。
作中のスキルは「ゲーム」という設定なので「SF」ではありますが、キャラクターは世界にとらわれいることから、ゲームの中だけが知覚できる「世界」になっています。そしてその「世界」の中には SF ギミックは問題ではありません。
これらに比べてログホラで違うのは「キャラクターの死」が「プレーヤーの死」と直結していない、というルールが典型でしょうか。
しかし、作中キャラクターにとっての「世界」とは何か?を考えたとき、彼らの世界はもともとの現実と全くつながっていない、「世界」はいま生きているそこだけ、という意味では、同じになります。
このように設定された「世界」であるのではないかと考えています。
となると、これらはすべて「貴種漂流譚」の系譜とみるべきではないかと最初に思いつきます。
しかし貴種漂流譚とした場合、物語の類型としては明らかに違うものがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E7%A8%AE%E6%B5%81%E9%9B%A2%E8%AD%9A
VRMMORPGやMMORPGの場合、主人公は貴種というわけではなく、また、多くの同様の他人と一緒に異界に漂流しています。
これは明らかに貴種漂流譚とは違う特徴です。そもそも貴種漂流譚は神話の類型で、英雄譚のいくつかにみられる特徴なので、そのまま当てはまるものではありません。
となると、他に近い分類を考えると、「行きて帰りし物語」というのが出てきます。
http://hiki.cre.jp/write/?YukiteKaerisiMonogatari
これは乱暴な言い方ですが、貴種漂流譚から「貴種」の特徴をとっぱらったものといえます。
結果残るものは
多くの場合、冒険に駆り出される理由は「日常からの欠落」が起き、「冒険の中でその欠落したもの、あるいは替わるものを見つけ」「日常に帰ってくる」というものです。スターウォーズなんかこれの典型ですね。
ここまで来ると、物語の類型であり、一方で物語論として「読者に受ける物語とは何か」という話にもなってくるのですが、そちらの論は話の方向性が微妙に違うので割愛。
さて、では素直に「行きて帰りし物語」の類型としてまとまるでよいのでしょうか?
ところがここでも問題が、行きて帰りし物語の場合、冒険に投げ出されるのは「主人公」とかその周辺がせいぜいです。
また、「日常に帰ってくる」というのも重要になります。ログホラの場合、ゲーム中に行われている冒険では「日常に帰ってくる」のですが、「現実世界」の意味では帰ってきていません。
では、さらに共通項をと考えた時に残ってくるのが「集団漂流物」というジャンルになります。
個人的に思い出すのは、空飛ぶ!竜峰学園(ラノベ)とか、勇者110番(NG97)とか、かなりマイナーどころになるわけですが。
ということでもう一度元に戻り、SAO、ログホラ、.hack で考えてみた場合
という分類になるのではないか……と考えたのであります。
なお SAO ですが、実際には細かく変わっていて
異界へのギミックや、異界で使う技術は「ゲーム」がベースであるため、一見 SF なのですが、実際なところはあれらは「魔法」と物語上ほぼ変わらないものがほとんどです。
となると、物語の類型を見る場合にはもっと重要なギミックがあるのではないか?ということで、このような分類を夢想しています。
ここで気になったのが、では「ゲームという題材が特殊なのか?」ということです。
で、最初の方に戻る。
web 小説や、そこから現実の書籍になったものが、いろいろと「似通ってるな」という印象は、はたして「本当なのか?」。そして「似通ってるな」と思ったものは「何か?」。
個人的に多くなったなと感じているのに、確かに VRMMORPG に取り込まれるってのがあります。そして俺TUEEEEE。
しかし同様に、異界漂流物も多くなってるなとも思うわけです。ファンタジー世界で「生まれ変わる」とか「召喚された」とか。そして俺TUEEEE。
で、これらを考えた時、ある意味昔っから変わってないのではないかと思うわけです。ファンタジー世界に行って無双っての。ゲートも戦国自衛隊をファンタジーにしただけだ、と乱暴に切り取ってみたり。
結局「無双の理由づけ」に何を使っているのかという部分で、VRMMORPG というのが身近になったのかなと。
そもそも「コンピュータを用いたゲーム的異世界」で冒険というのであれば、いろいろと話は出てきます。
それこそ、最初は「ジャックイン」でしょうか。ニューロマンサー('84)。これのジャンルだと SF のサイバーパンクですね。この場合、マトリクスは現実世界の裏にある(人工)異世界という視点で見れば、ファンタジーの一種とみることも不可能ではありません。
同じくサイバーパンクで電脳世界があるもので、漫画で有名になったのがサイレントメビウス('88)でしょうか。
他、こちらはハビタットのような電脳街という感じの世界ですが、BOOMTOWN('92)という漫画もあります。AI が住み、自己増殖する電脳の世界に入り込み、バグ退治を行います。表現は SF 側です。
そして、ゲームといっても電源不要で東京N◎VA('93)なんかが思い浮かびます。サイバーパンクなTRPG。
一方、完全にゲームの味付けでは、クリス・クロスが '94、クラインの壺だと'89ですね。
そしてこの「ゲームな味付け」で「異世界」となると、コンピュータを捨ててファンタジーにぐっと寄ったものとして思い出せるのが遥かなる異郷ガーディアン('90)。死亡無し、バイト感覚でファンタジー世界で魔王を倒そう!という話です。あるいは、日帰りクエスト('93)なんかも近い代物でしょうか。これらは日常の延長として異世界でちょっと冒険してくる代物ですね。
これらと .hack が似てると思ってて、ギミックに「異世界」が絡む程度なんですよね。物語世界の構築法の話であって、物語としてはその異世界は重要なのですが。
そして、完全にファンタジーに話を持って行ってしまえば、作品は一気に広がります。
個人的には魔法使いになる方法(ダイアン・デュアン著)を持ってきたいです。翻訳がまた止まった……。こちらは、現実世界の「裏」にある世界なので、ナルニアのように現実の世界の「隣」にあるのとは違っていますが。
ここで VRMMO を題材に使っているのを考えてみますと。
VRMMO は現実世界の「隣」にしかなれません。アクセルワールドのように現実世界を模した世界であっても、現実世界に影響は与えていません。
その中で主人公やプレーヤー集団が「命」であったり「記憶」であったり「思考」であったりの影響を受けるという、世界以外が対象になります。
となるとこれは別にゲームではなくファンタジーであっても同じなので、ここの類型からは考慮しないでも済みます。
一方、魔法使いになる方法では、魔法使いだけに見える世界というのは、現実の世界と表裏一体です。魔法世界で変化があれば、それは現実世界にも影響を及ぼします。
これは電脳世界を用いた場合でも同じギミックがあるように作ることもできます。
このような違いを見るに、ようするに「VRMMO などに見えるゲーム世界・異世界」というのは「現実に影響を与えない箱庭」という概念でくくれるように見えます。
異世界漂流のファンタジーもその多くは「現実に影響を与えない箱庭」的世界です。
このように、完全に切り離されている異世界かどうかというのが重要なポイントなのかもしれません。
「無双の理由づけ」です。
VRMMO 、あるいは「ゲーム的ルールがある異世界」を用いた場合、「俺 TUEEEE」に対してこじつけが作りやすいのが、この分野が氾濫している理由なのかなと思ってみたりしてます。
どういうことか?
多くの場合、対象となる異世界は、技術的文化水準が現代より低いです。
FPSやSLをベースにした場合は逆もありますが、氾濫しているのは多くが「ファンタジー世界」として「中世西洋」がベースです。
そこで俺TUEEEとして従来のファンタジー・神話や伝説、英雄譚、ファンタジー小説などがとった手法が「貴種」です。
これは現実にも祭事が政であった時代に、「神の信託を授かる巫女」(卑弥呼など)とか「神(竜)の血統」(中国皇帝や日本の天皇)とか「神に認められた」(キリスト教や同影響下の国々の王など)が用いた手法で、何か特殊な存在が力を認めているから「偉い」という考えから来ている物と思われます。精霊信仰や祖霊信仰なども同様なので、世界中で行われた、あるいは現在進行形の考え方ですね。
そして、漫画やアニメやラノベでもこの手法はいくらでも使われています。作品は割愛。
では、一般人ではダメなのかってところから始まったのが、異界に行った時に「異物」なので強くなったというものです。この場合だと貴種である必要性がなくなります。
この場合重要になるのが、多くは「機転」や「思考」だったりします。その世界にない視点で物事を考えることで、打開するなどもありますね。
VRMMO の場合、この後者の考え方を用いて俺TUEEEをするというのが基本ですね。
ログホラがわかりやすいですが、異世界にはないけど現実世界にあったものを再現することで、異世界でのアドバンテージを得る。蒸気機関はこのギミック。
この手の異世界で発想で先手を取るってのが、他だとアウトブレイク・カンパニーであったり。あるいはくじびき勇者さまを思い出してみる。他にも新書であったような記憶があるのに、題名が全然出てこない。
まおゆうも「その世界になかった概念を持ち込む」事で「世界に影響を与える」という部分で、ログホラとそっくりなことを味付け変えてやってます。
てなところで、俺TUEEEの源泉をあれこれいじってきてるのは増えてきてはいるなとは思った。
続きも別に考えてないで投げっぱなし。
ネトゲだと、これが自然に受け入れられてる文化圏と、マナー厨に支配されて消極的になってる文化圏があって興味深いよ。
突発的な会話が自然に受け入れられてるネトゲだと、フィールド上でいわゆるオープンチャットでやりとりが発生することがある。
消極的になってるネトゲだと、電車内電話以上に神経質で、オープンチャットするときにことわり入れないといけないといった伝説まである。
ネトゲでも確かに海外の方がよりフレンドリーなので、日本人の特性ともいえるけど、日本人だけのネトゲでも差があるんだよね。
どちら側のネトゲがどういう傾向なのかは大雑把に
って感じ。これをリアルに当てはめると、チャットのUIというのは電話やLINEとか。チャットのUIが不便で会話がごちゃごちゃになるネトゲではオープンチャットが嫌われるのと同じように、声の漏れる電話を嫌う人がいる。ネトゲでは極端な人になるとオープンチャットしてるの見たらその内容にかかわらずブラックリストにいれるという人までいる。こういう人は他人の声が聞こえるの自体が生理的に我慢できないんだろうね。仮想世界でもそうなんだから、そういう人は電話の声我慢するのが理屈じゃなくて無理なんだろうなー
他人を排除したほうが自分の利益があがるゲーム性が強いというのは… 現実こわw とはいえ、現実でもいきなり話しかけてもおかしくないエリアがあるんですよ。それは山です。山。山ですれ違ったら挨拶しないほうがおかしいんですよね。世間話してくる人も結構いる。これは共闘し易いネトゲの雰囲気と似てるし、多分理由も同じなんだろうなと思う。
明らかに思考速度より遅いタイピングでも一日1万字とか2万字とかで結構な量になるのを見てると、人間の思考をすべてテキスト化したら一日あたりどんくらいになるのかな。
どっかで「大学の講義90分の話をテキスト化したら新書1冊分」ってのは見たことある気がする。
フェルミ推定的に単純化して考えてみる。
常に話すと90分で新書1冊分。思考速度が話す速度の3倍だとする。
新書1冊の文字数を30文字*20行*200ページ=120000文字とする。
48*120000=5760000。
576万字。
……。
いやー絶対これより多いわ。1000万はゆうに超えるだろ。
夢みてるときとか脳内スパコン並に動いて仮想世界作ってるはずだし。
このテキスト書いてる間だけでも、このエントリの文字数の軽く100倍くらいは考えた気がするし。
つっても文字数だけで言われても実感わかないのも確か。。。
wikipediaのおかげで長年の疑問が解けた気がする。
思いつくままに書いたので、ちょっとひどい文章です。
何か殺人事件のような凶悪な事件があったとき、テレビでコメンテーターなんかが自分勝手だどうだと言い立てるのに、疑問を感じていた。
もちろん、そのような事件に怒りを覚えるが、その犯人の生い立ちや環境に向かい、当然偏光報道の小さな情報しかないから、わからず、ただ怒りを覚えるだけだった。
もし殺人を犯した本人として、同じ遺伝子で、同じ親から生まれ、まったく同じ環境で生まれ育ったら、必ずその凶悪犯罪を犯すことになる。
俺は違うというのは成り立たない。意思で何とかするというのも成り立たない。その人として生まれ、まったく同じ経験をしていけば、同じ精神構造になり、同じ行動を起こす。
正常な人たち、というか、大多数のメジャーグループが少数派の異常なものを殺す。
ラッキーにも普通の家に普通に生まれ、普通に成長し普通に生活しているものの群れが、不幸にも異常な家か異常にか、異常な環境で成長したものが異常な行動を起こした1人の者を殺す。
国・社会というシステムを正常運転するために、見せしめであって、それが死刑か終身刑かというプロセスであって、
これに自分勝手だどうだと感情を入れ出した瞬間、プロセスから殺人に変わるんじゃないかと疑問に思っていた。しかもたちの悪い大義名分を持った正義と言い張る集団殺人。
それとも、見せしめを自認して、見せしめ効果を拡大させるのがコメンテーターの仕事なのだろうか?
昔、殺人などの凶悪犯罪への処罰、特に死刑について考えたとき、そういった人だけの世界を作って別々に生活できれば、それが理想じゃないかと考えた。
普通な人は普通な世界で、普通な人から見た異常な人(少数派な人)は異常な世界で。
(文章が長くなるので、以降あえて異常という言葉を使う)
刑務所はそういう場所のようにも見えるけど、普通な人が管理・支配し罰を与える狭い場所だからちょっと違う。
実際には犯罪の凶悪性、タイプも違うから、というか他にも多々問題ありそうだから、不可能だけれども。
と昔そんなことを考えてたんだけれども、ふとさっき刑罰についてwikipedeaで調べてみた。
冒頭を引用すると
刑罰(けいばつ、英: Penalty,独: Strafe)とは、形式的には、犯罪に対する法的効果として、国家および地方自治体によって犯罪をおかした者に科せられる一定の法益の剥奪をいい、その実質的意義は犯罪に対する国家的応報であるとともに、一般予防と特別予防をも目的とする[1] 。広い意味では犯罪行為に科されるもの[2]。刑ないしは刑事罰ともいう。
と書かれている。
気になったのは以下の意義の部分
システム上の見せしめプロセスという事で、一般予防と特別予防は、やっぱそうだよなと思った。
気になったのは国家的応報の部分。
なるほど。
まったくの個人的な納得ではあるけれど、殺人者には殺人者の世界を、凶悪犯には凶悪犯の世界を普通な人の世界と重なり合った形で仮想的に実現されてるのかなと思った。
凶悪犯罪を犯してからの後追いではあるけれど、犯人に対して相当する罰が与えられるという事は、その犯人の取った行為が通常である世界にいるという事なのかもしれない。
殺人には殺人で答える仮想的な世界が、殺人を犯した者に対して、後追いではあるけれど、用意されている。
適当な刑罰は、少数派の異常と呼ばれる人に対して、自分が自分でいられる、もしかすれば楽園かもしれない仮想的世界を用意しているのかもしれない。
法律ってよくできてんなと思う。
ただ、殺人(罪)に対してに対して国が殺人(罪)を負う事で少数派・多数派両面に理想的な仮想世界を適用しているとしたら、国でもないマスコミなんかが凶悪犯に勝手なコメントを加え、適当な刑罰以上の罰(=罪)を加えている罪は償わなくてもいいのだろうか。
誤報、偏向報道で必要のない罰(=罪)を加える事は大罪じゃないのか?
最後に。。。
文章酷かったり、無駄に長かったりで、なんか申し訳ないです。