はてなキーワード: 互助会とは
SNSのいいねをはじめとして、はてなでさえスターシステムによって共感が力を持っている時代。
いかに「それわかる、いいね」と言いあい、いかに連帯するかが数値となって現れる世界では、共感こそが力であり発言力といっても過言ではない。
そうそう、ここからは全ての主語に「多くの」がつくが省略することをあらかじめいっておこう。主語論で争うのは本筋じゃないからな。
さて、突然だが男は共感というものを持っていないわけではない。持ってはいるが、自分と他人に境界がある。相手は相手、自分は自分。
だから、相手の気持ちはわからなくもないが、それはお前の感情であってオレの感情ではない。お前に何かあればお前の責任だし、オレに何かあればやはりオレの責任だ、というように。
男は良くも悪くも自己責任論の中で生きている。自己責任論の世界では男は自ら救われるもので、他人に救われることはないと考えられている。
比較的少数ではあるが、誰かに救われたいと助けを求めることもあるが、マイノリティ故にその声はどこにも届かない。
逆に、女は女の世界の中で共感を生存戦略にしている。共感が武器となり仲間を増やし、一方で共感できないものを排除さえする、まさに共感が支配する共感世界の住人だ。
共感こそが精神的な互助会として機能し、女として生きていくことの困難をシェアしながら生き抜いてきたのだろう。
さて、先に述べた通りSNSでは共感することで数値がバズることに直結する。誰かが共感を求め共感をする時、それは具体的な形となり世論を形成する。
女性による女性固有のトピックに対していいねが数万単位で集まるのを皆さんも見たことがあるだろう。
小さくは主婦の夫に対する不満から、大きくは女性議員数の話まで。まさに、個人的な悩みが社会的な悩みに昇華されるのだ。
一方、男性固有のトピックについてはいいねが千単位でさえつけられることは稀である。むしろ炎上する。かく言う自分でさえ、そういった他人の愚痴に対して、自分のことは自分でなんとかしろと思ってしまうように、男とは他人の悩みに対して一見ドライである。
勘違いしてほしくないのは、ドライだから心動かされず単に見捨てているというわけではない。苦しみを乗り越えればお前はより強くなれる、だから頑張った方がいいとか、そう言う考えを本気で内面化しているから、心の中で応援しているのだ。少なくともオレは。
なぜ、男がそんなふうに思うかというと、男は子供の頃から、弱くても苦しくても男からも女からも大人からも助けてはもらいづらく、そもそも強くあらねば生きづらいからなのだが……この手の話は、じゃあまずは男がマチズモを捨てればとかそういう話にすり替えられてしまうのだが、いよいよ趣旨がズレるのでやめておこう。
何が言いたいかというと、男は共感力がないというよりも、共感という行為を具体的なアクションとして実行しない傾向があるということだ。
いいねなんて今すぐすればいいと思うかもしれないが、むしろいま誰の助けも借りずに乗り越えなければ将来より辛くなるぞ、今頑張れ!と思うだけである。
思うだけの男と共感連帯して大きな声となると女では、数値のレベルで敵うわけがない。
共感の訓練を続けた女は基礎体力が違う。
男は女に勝てない。
ただし、覚えていてくれ。悩んでる男たち、オレはお前らを応援している。ただし、するだけだ。
大変だったね……女性同士や実の親ですらひどい言葉返ってくることもあるから、言えないのわかる
被害を受けた人向けの互助会とか不定期に開催されてるので、あまりつらいようなら調べて行ってみてもいいかも
俺は学生時代からずっと楽器をやってて、社会人になっても惰性で続けていた。
楽器は、単音楽器だ。だからひとりでやっても音楽として完結しにくいしあんまり面白くない。だから、いつも何かしらのバンドに所属していた。
バンドといっても、ロックバンドのような4ピースバンドとかそんな感じの規模感のものではない。
ビッグバンドとかスカバンドとか吹奏楽とかオーケストラとかそう言うイメージ。
俺は社会人になってから、いつも平メンバーとしてどこかしらのバンドに所属し、たまに雑務をやることもあったが、大体はただプレイヤーとして参加していた。
地方のこの界隈では俺は割とプレイングスキルがある方で、プレイヤーとして重宝されがちだった。
その一方で俺はめちゃくちゃコミュ障で、活動後の飲み会とかはあんまり参加しないor参加してもすみっこで延々と生ビールを舐めてるだけだった。
ただ、活動の時は割と大人数の中でも目立つくらいに「上手い側」の人間だったからか、そんな感じでも声をかけてくれる人がいたり慕ってくれる人がいたりした。
楽器自体はもちろんアクティビティとして好きだったが、それ以上に対人スキルがなくても人と接するツールとして重要だった。仕事が忙しくてなかなか時間が取れないとき、辞めようと思うこともあったが、そのことを思うと辞められなかった。半ば惰性になっても、続けていた。
20代も後半に差し掛かった頃、ネットで新たにバンドメンバーの募集があった。
そのバンドはこれから新規で立ち上げるバンドだそうで、設立メンバーを募集していた。
そして、そのバンドがやるジャンルが、俺がずっとやってみたかったジャンルだった。
おもえば、長い年月ですっかり忘れていたけど、これがやりたくて、この楽器を手に取ったんだった。そんなジャンルだった。
俺は今までになく熱量を持って応募した。
ジャンルが珍しかったためか、楽器経験はあるがバンド経験がないという人は多かった。このバンドの発起人自身もそう言う人で、とても驚いた。大人になってから楽器を始めた初心者もいた。
楽器経験も長く、バンドもいくらか経験があった俺は、右も左も分からないその烏合の衆に頼られて、俺は初めて「運営側」となってバンドに参加することになった。
運営側って大変だった。
これまで平メンバーとして参加していたバンドで、何となく知ったことや、耳に入ってきたこと、実際自分がやってきたこと、それらの知識を総動員して運営して行った。
まずは実務の部分。最初に会計の整備、予算をざっくり出して会費などが決まったら、名簿や規約の整備、活動会場の選定や手配、地域の施設を利用するための組織登録、連盟(社会人サークルの互助会のようなもん)への登録申請。
ある程度軌道に乗ったら、広報活動。SNSやWebサイト、チラシなどの運用。メンバーはまだまだ足りなかったので、かき集めなければならなかった。募集要項のとりきめ。
演奏が様になってきたら、次は披露する場を設けたい。公民館はその手のイベントを各週末にやるために奔走してる場合が多いので売り込み。他にも自主開催のために箱を手配。また会計、広報、そして楽曲の利用許可申請。
珍しいジャンルのバンドだったためか、ズブの素人から俺のように経験が長いのもいたし、セミプロみたいなのも入ってきて、メンバーはカオス状態だった。
俺はプレイングの面でもメンバーを引っ張って行かなければならなかった。
まず、ガンガン高難度の楽曲に挑戦したい人、易しい楽曲を楽しく演奏したい人、それらの要望をなるべく公約数化してセットリストを作成。もちろん著作権などの権利的に可能な範囲におさめなければならない。
そして、できるひと、できないひと、その人の得意なこと、苦手なこと、把握して、アンサンブルの整理と調整。
俺が今まで1プレイヤーとして肌感覚でやってきたことを言語化したり、音楽理論として頭に入っていることをわかりやすく噛み砕くなどして、わからない人にも伝える。そして、俺よりウエの腕っぷしの人からは、吸収したり、教えてもらったり。
メンバーたちの不満の聞き取り。あの曲は難しすぎて苦痛とか、今回のセットリストは好きな曲が少なくてしんどいとか、あの人の演奏は不快だとか、あの人が臭くてとなりで演奏するのが苦痛とか。
要望の聞き取りもした。こんな音楽や楽曲やってみたいと言う話から、合宿をしたい、BBQをしたい、とかそんなことも。
運営は大変だった。
俺には向いてないな、なんて思うこともいっぱいあった。
でも、ここでは俺がやりたかった音楽ジャンルができる。ずっとやりたかった音楽ができる。そのためなら、円滑に運営を転がすために、そしてできる限り良い演奏をするために、できることはなんでもやった。
色々やっていく中で、俺は成長した。
俺はいままで、「趣味は音楽」と言ってきたが、そうで無かったことに気づいた。俺が今までやってきたのはアクティビティとしての楽器に過ぎなかった。
生まれも育ちも暮らしも楽器経験も年齢も性別も違うまわりの人たちと一緒に、できるだけ「みんなが」納得できる演奏をするために必要な調和。その結果出力される演奏が、音楽だった。と、個人的な感想を得た。
これは、
ぶつかることは多いし、納得ではなく妥協を求めることも求められることもあるし、
アクティビティとしての楽器演奏より、だいぶ不快で、難解で、不合理で、不条理で、とても楽しかった。
次に、対人コミュニケーション能力の向上。
立場上、大きなものから些細なものまでメンバー同士のトラブルに第三者として接する機会が多かった。
コミュ障でもできる相手vs自分のとりあえず共感だけしておけばそれなりに円滑に進む(し円滑にならなかったら切れば良い)人間関係とは違って、
生々しい本音と建前と解決課題がある他人vs他人の関係に目をくばせ時にバンドのために(と言う立場で)口を挟まねばならない状況で、人の心の機微というか、人間の本質のようなものをたくさんインプットした。
このインプットによって、アウトプット=俺の対人技術も、それなりに向上したように思う。
ところで俺は社会人になってずっと、一日VSコードを触るタイプの仕事をしていた。言われたことを淡々とこなすだけと言って差し支えない仕事をしていた。
30にも差し掛かると、同じ会社に居座るにしても転職するにしても、ディレクション側というか、マネジメント側というか、そういう立場への進化を求められる気配がする。
ずっと「無理だなー嫌だなー俺には向いてないしなーでも一生ドカタの最前線(というほど先進企業でもないが)で新しい技術や言語を身につけていかなければならないのもつらい」と思いながらグダグダとitドカタをやっていた。
しかし、昨年、この「趣味」の経験から、「なんかいけそうじゃね?」と思えて、一歩踏み出すことができた。
ほかにも、このバンドで恋人もできた。今までの俺の、卑屈で根暗で斜に構えた人生では望むべくもないような、
強く優しく気立てが良く、心の底を打ち明けられる素敵な恋人ができた。
思えば、俺は趣味自体はずっともっていたわけだが、このように「自分が本当にやりたい音楽ジャンル」に触れた瞬間、人生がこのように切り開いた。趣味も突き詰めれば自分の人生の糧となる。
趣味は素晴らしいよ。はてなのみんなも、斜めや上から構えたはてな特有のセンテンスで集めたスターも確かに人生の素晴らしい糧ではあるが、
外に出て人と接する趣味もまた良い。
ジャンプ+のコメント欄で通報されたら通る率が上がってきている。
どうも手当たりしだいに通報してコメを消すことで自己効力感を得るという虚しい遊びに目覚めた奴らがいるらしい。
このせいで今までは0時になったら即アンチコメを書いたり、アンチコメに噛み付いたりすることでいいねをジャブジャブ出来たのが無理になった。
前は大型AAを不人気マンガのコメ欄に0時貼りするだけで翌朝には500いいね溜まってたのに、今は翌朝見ると削除されている。
許せねえよ。
これじゃあ俺はどうやって承認欲求を満たせばいいんだな?
互助会方式で駄サイクルを回していいねをつけ合うだけのフォロー5000フォロワー1000のしょーもないBlue Skyアカウントでも運用しろと?