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2024-01-26

子ども産みたがるのは女の本能」的な論、まあおそらくはそれがマジョリティなんだろうけど当てはまらなかった少数派としては非常に居心地が悪いのよね

日頃性別属性で語ることに敏感な人が多いように見えるはてなですら、「若いうちは色々言ってても40近づけば子どもを欲しがるようになる」とか書かれちゃうんだもんなぁ

40過ぎても子ども欲しくならなかったよ あとは1日も早く生理が上がるのを待つだけ

そういう女もいるよ

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

オタクの俺には「日本人らしさ」が分からん

攻殻機動隊少佐スカーレット・ヨハンソンが演じたときの事。

海外では「日本人の役は日本人やらせるべきだ」って批判が出た。

白人キャラ白人化する——…ホワイトウォッシュという差別の一形態とのこと。

俺は30年近くオタクをやってるが、「?」でしかなかった。

全身サイボーグ草薙素子少佐の見た目が日本人的かどうかなんて考えたことない。

今でも、そんな事はどうでもいいとしか思えない。

アニメ漫画をばかり見てきたせいか日本人らしい見た目と白人の差が、そもそも分からんのよ。

皆さんは例えばポケモントレーナーの中からアジア系ピックアップしろ、と言われて出来ますか。

俺には無理です。

日本人らしい美しさとかキャラ人種とかどうだっていい。

線引き出来ない曖昧な「らしさ」を頑なに守る必要がありますか?

マジョリティ画一的美的基準侵食からマイノリティを守るのが反差別かいうけどさ。

別に混じっちゃってもいいじゃない。消えてしまって、何か問題があるのか。

俺には、不必要に空中に境界線を引いて、その架空ライン実在の人の心の傷つきよりも優先して守る事の方が、よほど差別的に思えるよ。

手前味噌なっちゃうけど、この「キャラの・人間人種に全くこだわりがない」所。

これ、個人的には、日本オタクのいいところの1つだと思ってる。

anond:20240125182239

共産党の内部のことじゃぜんぜんないよ。日本全部の話。

我々は戦後教育ってものを受けてて、ほぼ全員が反戦リベラルだ。ウヨには後から染まるだけで、それは当然染まる人の方が少ない。

もっかい言うぞ。

維新マイノリティだけど、どうなんだ?

あいつらの政策実現してるんか?

リベラルマイノリティの味方か?

 

我々は反自民です、これはいいだろう。

でもそれと「我々の敵はマジョリティです」は全然違う。

マイノリティの敵でもあるだろ。

自分マイノリティ定義することで、自分正義にしようとしてるじゃん。実際には、ちょい少ないぐらいよ。40%と30%で30%側がマイノリティ弱者とか名乗ってなんの意味がある。

 

アメリカは、南部北部にわかれてる。

白人と非白人金持ち貧乏人にくっきり二分される。

でもこの日本はそんな黒と白に分かれてないんだよ。

マイノリティマイノリティマイノリティマイノリティバラバラに居て、それらがたまたま合わさった時に多数を形成するだけだ。

これは英米が変なんだよ。本来社会ってのはそうじゃない。

選挙で負けたか弱者です、ではない。次はどっちに動くかわからん無党派のほうが多いんだからな。忘れがちだけど。

 

2024-01-25

anond:20240120190246

増田がそう思ってるかは分からないけど、

マイノリティ多数派ゲームに乗るべきだ、

マイノリティマイノリティのまま扱ってくれるマジョリティ側の人=理解のある彼くん(と揶揄した呼称をしてよい)、

と思ってるなら多数派に偏った危険な考え方だ

2024-01-24

カム映画化ポリコレ棒を振り回してる人たち

カム映画化で「主人公アイヌが演じるべき」って自称映画好きの人たち(笑)が言ってる。

原作の段階からアイヌの人や研究者の声を聴きながら作られてるんですわ。

映画独自アイヌ監修シーン入ってるんですわ。

すべての人が納得するのは難しいけれど、頑張って作ってくれていると思う。

ポリコレ棒で叩こうとしてる映画好きの人たち、

「蒙昧を啓蒙してやろう」って魂胆が見え見えなんですよ。

上映されるまでほとんど作品のことを知らなかったでしょう。

ハリウッド複数作品で、実際の聴覚障碍者聴覚障碍者の役を演じている。

そのおかげで聴覚障碍者演出が向上しているし、社会理解が進んでいる。

それはいいことだと思っています

日本には29万人の聴覚障碍者がいるらしい。

それに比べてアイヌは1万人もいない。

年齢もだいぶ上に固まってる。

聴覚障碍者フレームを雑にアイヌに流用するのは、聴覚障碍者にもアイヌにも失礼。

ここ20年くらいでアイヌのあつかいはだいぶ良くなったけど、私の祖父アイヌだったと成人してから初めて聞いた。

早くに亡くなっているので私は覚えていない。

おばあちゃんに聞いたら悲しい顔をしたので詳しいことは聞けていない。

幼い私がいじめられたりしないように秘密にしてくれたのかな。

札幌小学生だったころ「アイヌの人は指の第一関節にまで毛が生えているんだって!」と無邪気に友達に言われて「そうなんだ。私は違うな。」と思っていた。

でも背中に毛が生えてる女なのよ私www

そしてアイヌの血が流れていたわwww

平成初期にアイヌだと知っていたらアイデンティティの構築に影響があったと思う。

多感な時期に「みんな(※マジョリティ)と違う」って病んでいたかも。

カムマンガアニメ映画で、ポジティブにとらえるきっかけになった若い子たちがいるといいな、と私は思っています

人と違ってもいいし、受け入れられたら個性にもなる。

それを「1か0か!」「俺たちの倫理に合わないクソキャスティング」「これだからジャパンは!」って大味で叩いてる人たちには辟易しました。

社会ちょっとずつしか変わっていかいから、ちょっとずつ進むしかない。

そのきっかけを摘もうとしていませんか?

アニメ最終章映画第二弾でもっとファンが増えることを祈っています

自分アイヌの血が流れていることを知らないで生きている人もいるんだろうな、と思って書き散らし。

anond:20240124092659

日本国内で言うなら、マジョリティなのは日本人の血を引いてる人たちであって、白人の見た目だとむしろ色々な場面で差別される側だろう

2024-01-23

これは「文化の盗用」認定していい

個人レベル外国人和服を着るとかは別に何とも思わないけれど、

よりによって「日本らしい美しさ」をテーマにしたミスコンウクライナ人(白人)が優勝するのは

文化の盗用といって差し支えないと思う。

こんなの日本人に対する人種差別以外のなにものでもない。

まぁミスコン自体ルッキズムなので嫌いだけど、でもだからといってこんな差別放置するのは無理だよ。

だって日本らしい美しさ」のミスコンって、本来白人よりも容姿に劣る日本人に活躍の場を与えるための、それこそアファーマティブアクション一種な訳で。

容姿勝負する場面において白人は圧倒的強者なんだからわきまえろよ。

しかウクライナって、露烏戦争で同情票を買いたいのが見え見え。

国籍日本だとか言ったって、この人がウクライナ人の外見を生かしてモデルとして活動しているのは明らかじゃん

白人マイノリティじゃない、マジョリティだ。

持て囃してる人達もどうこの人が黒人アラブ人だったら真逆の態度を取るんでしょ?

つくづく日本における最上級白人なのを痛感して嫌になるよ

ミス日本2024>ウクライナまれの椎野カロリーナさん「お母さん、グランプリ獲ったよ」 日本人として認められたい思いで応募

https://news.yahoo.co.jp/articles/59148883e3577601088160024b906a90c5fdafae

anond:20240123113234

肩入れしてる方にの正義があると思うのが日本人ってもんよ

ウマ娘うったえたコンマイはボロっクソに貶されてて「こういうことをやったときアンチがどうなるのか」分かってるのに

ニンテンドーには「訴えろ! 訴えろ!」の大合唱

訴えたあとのニンテンドーの受け止められ方がどうなるのか、微塵も考えちゃいない

マジョリティからぜったいに勝てると思い込んでるんだろうな、日本人

ニンテンドーはそこまでバカじゃないっぽいけど

 

なおブコメはしね

他人に対してワガママに絡みに行って害を与える」系の狂い方をする独身男性

ある一定の年齢まで独身でいると何かのスイッチが入って人が変わったかのように有害野郎になる、

かのような認識ネットで広まりつつあるが、そんな変身などほぼ起こらないと主張したい。


周りを見る限り、すっかり「狂っている」と見なされるようになってしまった有害弱者男性は、もともとチーズ牛丼として生きてきた割に妙に気が強かったり他人に対してガンガン行くタイプだったりするパターンばかりだった(炎上してるような撮り鉄なんかこれかな?)。

なんの準備や駆け引きもなく突然女性告白したり、旅行に誘ったりして断られたら、傷ついてあっさり引くなんてことはせず、イライラを爆発させながら本人に対してガンガン詰めにかかるチー牛なんかがこれ。この前死刑判決くらった山梨少年もこのタイプかな。




一方、

異様に臆病で傷つくことをとにかく恐れる性格弱者男性(これがマジョリティ)。

このタイプがある年齢で狂い始め、まるで人が変わったかのようにセクハラ言行に走ったり、

「女!お前が好きだ!お前は俺の寂しさを埋めろ!」とでも言いたげに身勝手ガンガン絡みに行ったりするなど、ストレスコスト他人転嫁するマネをするようになるパターンはほぼ見たことがない



臆病系弱者関係なのにも関わらず、この「フラれただけで女を刺しかねない」系有害弱者男性に大変身したパターンは一つだけ周りであったが、彼はそれ以前に運悪く重度の鬱病を患ってしまっていた。

2024-01-22

ゲイからみるペドフィリアを殺せ問題

最初に明記しておくが、これは個人の感想である

私自身は性犯罪絶対に許さない。

特にそれが子供という身体思想もおぼつかない相手対象にしたものに対しては一等嫌悪感がある。

けれど、昨今のそういう嗜好や性癖を持っているだけの人を殺せという論調を聞いていると何とも言えない焦燥感がある。

私は今年35歳になる男で同性愛者だ。

今でこそボーイズラブやLGBTQなどという横文字が広がって多少はスルーされることが多くなったかもしれないが、それでも自分同性愛者ということをゲイコミュニティ以外で一切カミングアウトしていない。

それはゲイであるというカミングアウトだけで強烈な迫害がある人生を引いてしまたからだ。

私は男性しか好意を持てないし、性的な興奮ができない。

かといって同意なしに男性を襲うなど言語道断であり、どれだけおだてられても自分が襲われる立場になったらと思うとゾッとする。

しかしそれは世界で大多数を占める異性愛者でも同じことだろう。

異性愛者だろうが同性愛者だろうが、同意なしにセックスをすればそれはただの犯罪だ。(中には金銭目的美人局もあるだろうがそれはまた別の話)

ではペドフィリアはどうだろう。

もちろん、自分欲求のためだけに幼児を襲ったり、そうでなくても追いかけたり盗撮したりは非人間のすることだ。

万が一相手同意が取れたところで、未成年同意大人同意と同じ効力はないし、真に受ける人間社会性を失った猿だと思う。

ではただ黙々とそういったコミュニティに属して空想を繰り広げているペドフィリアはどうなのだろう。

彼らを気持ち悪いと思うのは自由だ。

正直、私も気持ち悪いし怖いと思う。

しかし、「ペドフィリア」という看板を掲げたコミュニティをわざわざ覗いて「こういう思想を持っ人間危険から排除すべきだ」と晒し上げるのは少し横暴だと感じてしまう。

百歩譲って、覗いて気持ち悪いと投げかけるまでは個人の感想だと思う。

ただ「そういった思想を持っている人間すべからく社会から排除すべきだ」とまで飛躍するのは、かつてのゲイコミュニティが受けていた差別と全く同じ構造ではないだろうか。

何も犯罪は犯していないのに、男が好きというだけで迫害される時代場所は確かにあった。

ゲイペドフィリアは違うという人もいるが、ゲイ個性ペドフィリア性癖からという理論は正直意味がない。

どちらもその対象物を性対象にしている時点で同じだし、それは異性愛者もそうだ。

自分の嗜好や指向を満たすために対象物があって、同意がとれないままセックスをすればそれは須く犯罪なのではないか

だったら異性愛者の恋バナや片思いけが合法になりうるのはおかしいのではないだろうか。

書いていて自分でも横暴な論調だとは思うが、内心の自由すら取り締まるというのなら、異性愛者の「あのアイドルとヤりたい」とペドフィリアの「子供セックスがしたい」も、そう思った時点で同じく犯罪になってしまう。


ただ「そういった思想がある時点で排除すべきだ」と主張する人の理由もわからなくもない。

だって世間一般、もしくは自分想像から大きく外れた思想を垂れ流している人物がいたら避けたいのは動物としての本能だろう。

ましてや子供を持つ親なんて、例え関係ない架空ペド話でも自分の子供への警鐘から排除したいと思うのは当然だ。

かつてのゲイに対するイメージもそうだ。

若い人には想像もつかないかもしれないが、私がまだ学生の頃はオカマやオネエキャラというピエロにとしてエンタメ昇華されたゲイ以外ほぼ許されなかった。

もっと上の世代ではそれこそ同士でのカミングアウトすら危険を伴い、還暦を過ぎ、妻を看取り、時代がゆるやかになった今やっと言えたという人も珍しくはない。

なんなら最後まで隠し通し、自分に向き合えなかった悔しさと、妻を愛したふりをしたまま騙してしまったという相手への罪悪感のまま天寿を全うした人もいたかもしれない。

少し話がそれる。

今まで友達のように接していた人間から「お前も性別だけで言えば範囲内だ」とカミングアウトされればたじろぐ人が多いと思う。

その気持ちはとてもよくわかる。

信頼の証としてカミングアウトすることはただの自己満足だ。

それはこちらがどれだけ「人間が好きだからといって全人類きじゃないのと一緒だ」と説明しても拭いきれない猜疑心だと思うし、ある意味当然であろう。

ぐるみから男根が生えたという女性記事を読んで、ああいうのが近い感覚なのかもしれないと思った。

自分が性対象範囲内に見られているかもしれないという疑いは、思ったより不快感があり気持ち悪いのだ。

私は長年友人だと思っていた異性愛者の女性から告白を受けたときにこの気持ちを味わった。

と同時に「なぜ彼女片思いは淡い失恋として美化されて、私はその気持ち悪さを口に出すことすら憚られるのだろう」という醜い嫉妬もした。

結局は恐怖心なのだと思う。

ぬいぐるみからペニスが生えていなくとも、全く関係のない遠くの人間から「ロン毛は全員性対象だ」と言われたら気持ち悪いと思うロングヘアの人間がいても何もおかしくない。

ゲイも、ペドフィリアも、その他のマジョリティも、例え世間一般常識であっても、人間自分想像する範疇から少しでも外れれば多少なりともすべて恐怖の対象なのだ

珍しいものを怖がるのは生き物としての本能だ。

では逆に内心の自由保護されたとして、どこまでが内心になるのだろう。

例えば自分脳内で思うことは完全な自由無罪だ。

そもそも第三者に確かめようのないことだし、確認のしようがない。

では同士で語り合ったりするのはどうだろう。

これはインターネットの発達と、そのインターネットに対するイメージの差が大きい部分もないだろうか。

私にとってインターネットは雑踏の中にある架空秘密基地であった。

恋愛相談がしたい」「ねこの話がしたい」「ただ眺めていたい」「死について語り合いたい」

たくさんある部屋の中から私は「ゲイ同士話してみたい」の部屋でずいぶんと救われた。

好きな人結婚して、友達のふりをして泣いた」と、ゲイとして言えるということは現実世界ではあり得なかったからだ。

といってもそれはインターネット内での話なので、それが実話だろうと証明する方法はないし、相手の慰めの言葉も嘘なのかもしれない。

しかしそれは確かめようがない。

逆にその空虚さが居心地の良さを生んでいた部分もあるだろう。

VIPからますたwwwで荒らされても「まぁインターネットだしな」と溜飲が下がる部分も多かったろう。

インターネットは気軽な逃げ場だったのだ。

かつての生き物苦手板を知っている人はどれだけいるだろうか。

面白半分で覗いて後悔するナンバーワンの宝庫であり、いわゆる動物虐待の話をメインにした場所だ。

勘違いされないように改めてここでも言っておくが、私は犯罪は許せないし動物虐待にも強い嫌悪感がある。

ここで写真つきで虐待実況をしたものは明らかな動物虐待だろう。

しかし、ただ猫や犬をいじめるのが好きだと語る場合果たして内心の自由になり得るのだろうか。

もちろん明らかな犯罪予告や一種誹謗中傷にあたるようなものダメだろう。

しかあくま架空妄想という共通認識の集まりで、「もし自由にしていい猫がいたら、こういう酷いことをしてみたい」と書き込んだ場合、それは内心の自由になるだろうか。

嫌なら見るな」の立て看板の先とはいえネットで全世界に見えるように書き込んだ時点で内心ではないので取り締まるべきか?

だったら「あのイケメンアイドルキスしたい」とか「あのキャラでヌイた」とかも内心の自由ではないセクハラとして取り締まるべきか?

そもそも架空妄想と銘打った時点で例え言語化されて出力されたものでも内心の自由ではないか

そうなってくると、第三者が取り締まるのはどこから基準になるのか?

それが個人単位気持ち悪いだった場合、明確な基準もなく個人感情で取り締まられるのではないか

こういったことをぐるぐると考えてしまう。

もっと正直に言えば、私は他のマイノリティペドフィリアなぞどうでもいい。

そもそも妄想のはけ口がないと発散できない時点で人間としてまずい部分は多かれ少なかれあるのでは?という偏見が私にはある。

かといって、それらの妄想が全てそのような危険なはけ口だとも思わない。

私はそれらの嗜好をただ持っているだけの普通の人への取り締まりが始まれば、いつかはそれがゲイコミュニティに回ってくるのではないかという自己中な懸念がある。

私はマイノリティが大ぴらに権利を主張するのにもあまり乗り気ではなく、それは一部の人団体がただ己の自尊心気持ちよくするために、平等ではなく、同情で弾圧優遇を叫ぶからだ。

理解はできないし気持ち悪いけど、別に何もしないなら普通に生きてなよ」という態度がどれだけ救われるか。

ペドフィリアが全員殺されたら、今度は自分が殺されるかもしれないという恐怖が私にはある。

内心の自由はどこまで許されるのだろうか。

2024-01-21

anond:20240120235242

それは差別だろ。

単にお前らがマジョリティからという理由でお前らが本能的に常識と思っているものマイノリティーに押し付けているに過ぎない。

やはり健常者どもは猿から進化しきれていないようだな。

2024-01-20

別に普通」という単語自体はお前の"然るべきあり方"を規定してない

 「普通に」は「然るべきあり方」を規定するだろうか。

何が言いたいかというと、「普通に」とか「普通」という表現は、「普通である様」として「それが本来あるべき姿、様式」を決めるものなのかという話。


なんか最近

普通という言葉に苦しめられてきた」

普通普通ってそれが当たり前なのかよ、普通じゃなきゃいけないのか?」

「それを"普通"って表現するのって差別じゃないですか?」

みたいなものをよく見る気がするが、それは本当に「普通」という語によって定められる何かを基底とする固定観念なのか?と思う。恐らく"そういう"意図で「普通」と言う表現を使う人達の考え方にによって苦しめられたり差別を受けたりしたこと事実だろう、そこを否定したいのではなくその真因は「普通」という語そのものではないんじゃないの、と思う。

引用元の本題は違う話だけれど、以下のようなもののことを言っている。


そもそも、僕はいつもこの「ふつう(以下、普通)」という言葉に脅されてきた。「大学に行って就職して正社員になるのが普通だ」とか「30過ぎたら結婚して家庭を持っているのが普通だ」などという、有形無形の圧力に、僕はいつも押しつぶされそうになっている。他の立場で言えば、LGBTの人たちなどは、「普通は異性と恋愛をするものだ」「普通は男はスカートをはかないものだ」などと普通の性の体現押し付けられて、アイデンティティを抑圧され続けている。

赤木智弘."赤木智弘眼光紙背".BLOGOS

<https://blogos.com/article/70762/>


ここでもう一度、「普通」という語の意味確認する。

どこにでもあって珍しくないこと(さま)・他と比べてとくに変わらないこと(さま)・一般的であること(さま)・広く通用する状態のこと、である一般的であるというのは、"普"という字のあまねくという意味と通じており至極妥当であると思う。

 例えば、「大学に行って就職して正社員になるのが普通だ」について、文部科学省によると2019年就職して正社員になる割合は70.2%、非正規職員として就職する割合が2.7%、そして大学卒業後に大学院等へ進学する割合10.5%である。また、異性愛者の割合について、調査方法や標本のとり方に(なぜか)ブレが多く、正確と言えるデータが少ないのは事実調査意図世間の風潮を考えると実際より数値を高くだしたい)だがどれも90%を超えるし、そもそもヒトは有性生殖である

これらは普通表現しても、つまり、「大学卒業後に正社員になることや異性愛であることが、珍しくなく他と比べて特に変わりない」と考えても差し支えない割合ではないだろうか。


そして、「珍しくない」「他と比べて変わりがない」「広く通用する」ということに、「"そう"でなければいけない」「本来そうあるべきだ」という意味は含まれていないことを強調したい。つまり普通だ」が意味するところは単に、それが広く通用するほどに十分な割合であることやそれが特に他と比べて変わりがないと考えられるほどあまねく見られる要素であるということであるはずだと思う。


 「普通であることを当然のように考え、それを強要したり、「普通」でないもの排斥しようとしたり、時に差別したりすることが悪いのであって、広く一般にみられる要素や大部分の割合を占めるものを「普通だ」という形容動詞形容することが悪いわけではないと思う。

普通ではない」ことを悪いことだとする考え方が問題となっているのであって、それを「普通」を定義すること自体が悪であるすり替えるのは、また別の問題を生むように思う。


例えば

普通このパンツだったらこの革靴を合わせそうなもんだけど、そこにあえてスニーカーを合わせるのか...おしゃれだなぁ」

豚骨ラーメンと言えば普通は細麺なのにこの店は太麺なんだよ。これが美味しいんだよ!」

おにぎりといったら普通は握るのに、握らないから"おにぎらず"かぁ」

 おにぎらずは、おにぎりなのに握らないという意外性がうけた食べ物である

普通でない」ことが良い場面は確かにあって、それは日常的に多く感じているはずだし、十分に理解しているはずなのだ。「普通」を定義する或いは一般的であるさまを「普通」と表現すること自体が悪でないことは知っているはずだと思う。


 「普通」という表現を嫌う人が多いのは、多くの日本人が平均から大きく外れないこと、周囲の人と同じであること、詰まるところ「普通であること」が良いことであり、そうであるべきだと考えているからだろう。

有性生殖を行う生物普通、雄は雌を求め、雌を雄を求める」且つ「ヒトは有性生殖を行う種である」、これは生物学的な事実である。だから、「男はふつう、女が好きだ」は正しい。悪いのは「男はふつう女が好きなものなので、男が好きな男はおかしい、間違っている」である。これらを取り違えていいものなのか?


 LGBTとか一般的でないキャリアとか、属性に付随するイメージとは異なる行為とかも先に挙げた例と同じように、「普通でないけど、良い」と捉えれば良いのではないか。「普通」は統計的事実として確かに存在するんだから

そもそも、"性的マイノリティ"と呼ぶけれど、「普通」という語が単に「一般通用する、特に他と変わりがないさま」を表すのならば、

"A=マジョリティ" ⇔ "A=普通"

であり、つまり

"A≠普通"(⇔"A=普通でない") ⇔"A=マイノリティ"

 ってことになるんじゃないのか。

マイノリティってのはつまり多数派じゃないってことで、「普通」が単に多数派であることを示すなら(示すんだけれども)ば、「マイノリティ」って言葉は要は「普通じゃない」ってことじゃないのか。

 今、【マイノリティ普通でない】に違和感を抱いた人は多分、「普通」という語に定義以外の、「当然であるさま」というような意味見出しているんだろうと思う。

2024-01-19

どう生きていけばいいかからない なんとなく 適当 大儀がない 疲れた

疲れたって言っていいんだっけ 死にたい 死のうかなって 別に死ぬ気ないけど言いたい それほどその言葉にパワーがあるのか

うつ病理解できない まだフラッシュバックのほうがわかる ショックだった データが消えた取得できなかった というそれだけ

さあ くらい 他人事 ただぼーっとしてる ショックすぎて つかれた どうやって生きていけばいいんだろう

前兆はあった 回避できた だけどできなかった 予測が足りなかった 疲れた どうやって生きていけばいいんだろう

この声なんだ この思考というか 脳からくる声思考 カ ビ BL 通らずに 小学生のうちホムペ作った9割は通ってしまうといわれている

あめ 木魚 そこでもならんか あめ 雑用は任されてるけど 刺激的なことしたいってそれどっち側の欲なの その欲は共有されているのか あめのことをずっと考えている

絶滅している もしずっと寝ていたら 全人類が 知的がいしゃ 全人類なってたら絶滅している

思考とは生き残ることだ 

この世界マジョリティマイノリティが逆転すれば彼女に会える 彼とは絆でつながってないんだ 性  転換に肯定的ではない

anond:20240118215718

はてなに限った話ではないよ

はてサはてウと上っ面の右左で争ってるが、それは余裕のある証拠

ネット騒動は全部そう。男女クサレのやつも

そういう娯楽でやってる連中の騙る「正義」なんてもんに価値はない

連中がNISAすすめてる最大の理由は、参加するマジョリティが増えれば増えるほど、元手のない増田のような奴に対する社会保障費用節約できるから

そういう自助手段が懇切丁寧に整えられてるのに、使わないオマエが悪い、ってね

NISAやってりゃ黙ってても増えてたのに、今までオマエ何やってたんだ?」って麻生太郎を堂々とできる悦びが、連中が薦めるその原動力

2024-01-18

最近オタクの作文能力

なろう小説みたいなのが流行るだけあって、殆ど支離滅裂怪文書みたい。

痙攣する絵で喜んだり

自分オタクだと思ってたけどいまいち今のオタク共感できないな

XのオタクたちはTikTok知的障害のありそうな男女をバカにしてるが、私にはオタクマジョリティ殆ど彼ら同じに見える。

もうオタク向けの作品から知的な喜びを得る事は無さそうに感じている

2024-01-16

anond:20240116135115

普通とか、一般的にとかの言葉嫌う人もいるけど

生物としての大多数の分類とか、人間として大多数の意見で言うもの存在するから

それがなくなると、秩序ってもんがなくなるよね

そもそも論だけど

自分否定してほしくないと主張するのは自由だし

本当そういうことです量少数派に目を向けすぎて世の中そういう人ばかりと思い込んでる人たちがいるのが本当怖

LGBTQの話でもよくあるけど

今どきマイノリティの声に耳を傾けすぎて

マジョリティ存在を忘れすぎ。

マイノリティから発信されて目立つだけだよ。

なんか危険だよそういう考え方。

他人否定される筋合いないと私も思うんだけど

否定してきた人の考え方を否定してる人ってのは

やってること同じってことに気づくべき。

2024-01-15

マイノリティ伝統文化尊重した結果、マイノリティ内部での差別が強化されてしまった」

みたいな問題20年くらい前には既に議論はされていたと思うんだけど、結論としてはどうなったんじゃろ。

素人考えでは、マイノリティマジョリティかは関係なく単に古い文化がイケてないだけで、古くてアップデートに堪えない価値観博物館にでも保存して現実から駆逐してしまえ、と思ったけど。

anond:20240114234529

コミュ力と理性のどっちを先に獲得するかの違い

コミュ力先で理性が後のやつが社会マジョリティを占めてる

最初は仲間内同調力を高める一環で虐めをやって、後から社会性を得て大人になる

そういう大人からすれば、子どもの頃の虐めなんて社会勉強過程しかない

大人になったときに虐めやってなければいいだろうと、そういう気持ちなんじゃないか

算数勉強中だったのに、お前は積分が出来なかったと叱られてもなぁ 笑 みたいな、理不尽だが

2024-01-14

anond:20240111222400

落とし穴 確度A

落とし穴 確度B

落とし穴 確度C

2024-01-11

文化の盗用とM2Fって何が違うのかわからない

文化盗用とは、ある特定文化圏の宗教文化の要素を、他の文化圏の人が流用する行為のことだ。 はっきりとした定義はないが、一般的には社会的に強い立場にある人々(マジョリティー)が、社会的に弱い立場にある人々(マイノリティー)の文化に対して行った場合に論争になりやすい。

出典:https://ideasforgood.jp/glossary/cultural-appropriation/

M2Fのトランスジェンダーって、社会的強者マジョリティ)の男性が、社会的弱者女性文化を盗用しているよね。

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