はてなキーワード: マイノリティとは
裁判官のお言葉「暇空を女性差別主義者やデマ屋だと信じるのは、暇空の普段の言動から仕方ないことだよ。そんな風に述べてしまった人に故意や過失はないよ」
https://note.com/1623354/n/n6ef72c6fc8f0
>原告が、生物学的な性差から労働や知能の点で女性が男性に劣るという趣旨の投稿を行っていた(乙49~51)ところ、本件団体の代表者を否定的な意味を込めて「自称フェミニスト」などと呼称し、女性の権利向上を志向する本件団体の活動に対しても、具体的な根拠を挙げることなく「公金チューチュースキーム」等と批判を繰り返す(甲18,19、乙11~13,16,17,42)中で、公金の不正受給が行われたことを理由とする本件住民監査請求を行った(前提事実)という経緯に鑑みれば、被告において、本件住民監査請求を含めた本件団体に対する原告の諸活動は、社会的マイノリティである女性が行う普及啓発プロジェクトに対する妨害活動に他ならないと信じたことに相当な理由があったといえるから、故意又は過失は認められない。
>具体的な根拠を挙げることなく「公金チューチュースキーム」等と批判を繰り返す
>具体的な根拠を挙げることなく「公金チューチュースキーム」等と批判を繰り返す
>具体的な根拠を挙げることなく「公金チューチュースキーム」等と批判を繰り返す
俺悔しいよ暇さん・・・
根拠ならあるのに!
隠し玉ならあるのに!
脅されてなかったらいくらでも隠し玉出せるのに脅してくるナニカグループ許せねえよ・・・
つれえよ・・・
控訴するらしいから次かもしくは最高裁で勝ってくれるよな・・・
1億近くお金溶かしてcolaboの不正の一つも挙げられない暇さんだけど増田の皆は暇さんを信じてるよ・・・
暇空さんの弁護士の渥美陽子さんは監査役をしているキッズラインって会社で監査を全然できてなくて、キッズラインは公金不正受給で国から2690万円の返金命令出たそうじゃん
年内にはcolaboから2690万円を超える額の返金命令が出るような不正出してくれるよな?
トランプはなぜこんなに強い?言動は問題だらけ、でも有権者は「違う部分」を見ていた…既に事実上の共和党候補に【混沌の超大国 2024年アメリカ大統領選①】 | 47NEWS
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1124563166125818331
この記事のブコメを読んだんだけど、なぜトランプが支持されるのかについてはみんなで自分の思うところをあーだーこーだ言うよりもベースとなる認識を共有したほうがいいんじゃないかなと思ったので、以下の記事をオススメしたい。
2016年大統領選挙に関する実証研究の知見と2020年大統領選挙
https://www.jiia.or.jp/research-report/post-16.html
2020年の記事なので少し古くはあるけれど、今でも大きく変わったところはないんじゃないかと思う。
読むのが面倒な人向けに一部抜粋すると、
「それよりもトランプ投票に決定的な影響を与えたのは、人種的マイノリティに対する反感である。」
ということが書いてある。
『technocutzero 「トランプ」に本体はなく、リベラルが掬いあげてない層があげてる呪いの塊、がしゃ髑髏クラスの怨霊みたいなもんなのでその呪いそのものを解かない限り何度でも復活するよ 攻撃は効かない』
について言及すると、ここで言う「呪い」というのは人種問題と言えるし、「リベラルが掬いあげていない層」というのはマイノリティを嫌う白人層ということになる。
リベラルを支えているマイノリティ層や反差別意識を持つ層と、このマイノリティ嫌いの白人層とは水と油なわけで、両方にいい顔をすることは原理的に不可能と言える。
よって、リベラルがちゃんと白人の不満も掬い上げていないがためにトランプが台頭したのだというような論に対しては、「無茶言うな」と言うより他にない。
埼玉県の各地の河原でクルド人が動物の解体をしているという話は疑わしい - 電脳塵芥
https://l.pg1x.com/nQ2JnxsPDjTiqEMb6
「一事が万事」ってのが行き届いているジャップランドだからこそ「積載量オーバートラックの解体業者がクルド人共だ」っていう起点から始まってるわけで。
実際あったとしても些細じゃん、物事の側面(如き)じゃんってのがこの電脳なんちゃらの人の立ち位置だけどね(マジョリティは常にマイノリティに席を譲れ!)。
実際のところ解体屋や廃品屋の利権争いが発火点の可能性はあるだろうけど、裏の話だからね。俺も手を突っ込む気にはならんし、知り合いにも聞けない。聞くにはそれなりに礼節か、利得がいる。本件では持ってない。
マジョリティはマイノリティに席を譲るのはいいけど、法律違反、人命への致命的な行為が「1つでも」あってはいけないでしょ。
ジミン共がやってるんじゃねぇか!っていうのは無しな。クルド人たちの話しかしてねぇから。
あとジミンもジミン支持者もクルド人じゃねぇし、選挙権振りかざして対応しているから。票無しで政治家が動くのは「それで他から票が取れるから」だけだよ。
あと後ろ暗い点があるならそこはぶっ刺される(正統政府であるトルコのお墨付き)のは政治策動としては当たり前の領分だし、誰でもやってること。
むしろそれに目を瞑るほど誰も優しくなかった、ってこと(ここでみんな積載量オーバーのトラックの危険運転を思い出すんだよ。「被害に遭うのは日本人が大半だ!」ってね)。
実際動物解体しててもそれは狩猟の人や、ジビエ愛好家の可能性。
だが、これを「地方の政治を起点に、ネトウヨ、その彼らが支持するジミン的価値観の批判」に使うのは全くの悪手でしかねぇよね。
大体ネットのリベサヨは自分の勢力に都合が悪いことが起こると、必ずネトウヨ批判を展開するから。
こんなので京都敗北、共産党支持者拡大、あるいは隊伍を整えるためのシュプレヒコールになると思ってたら、さすがにおめでたい。
他人とは違う自分とかマイノリティである事にかっこよさを感じるのか知らんけど、自称レズビアンの「私レズですけど?」みたいな態度なんてまさに中二病のそれ
女は自分が最強のマイノリティだと思ってるからそういうの無駄でしょ
都合のいい時には他者を尊重するフリをしても、自分の利害が絡んだ途端、手のひら返して100%女の都合を通そうとする
イージーモード(???)引き換えに女は全体に弱体化かかってんだよね
性犯罪の被害99%の性であり、生理痛、出産するなら死にかける出血、健康でも給料が 正規も非正規も男より平均が低い んだよね
絶対男のほうが生きるの楽だよね?イージーのことなんだと思ってんの?出世や取引でセックスさせろ+断ればキャリア終わりなんて経験を生まれてから死ぬまで1ミリも心配しなくていい人生のほうが絶対質が良いよね?
でもまあ
平均をあげる強者がいれば下げる弱者もいる、そのマイノリティを弱者男性だとして
男のマイノリティ=女の普通、っていうのすら受け入れられないの?
「同じ給料低い仲間だね」ならともかく、更に下の一番可哀想なポジションにいきたがるわけ?お前は痴漢の心配生きててしたことねーだろ、毎月確定の痛みで泣いたことないだろ?
弱い、というのは、きもちのもんだいじゃなくて、「「「「「現実」」」」」の犯罪や激痛の被害の話をしている。で 現実だよ、ってなんの決め台詞?
そういうところがき なんだよ
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。
そいつとは元々は数多くいる友だちグループの一人として付き合っていたんだけど
ある時「どうしても好きだという気持ちを抑えきれない、交際出来るとは思わないけど気持ちを打ち明けてスッキリしたい」と言われた。
で、告白されたんだけど、俺自身は普通に同性愛者では無いので断った。
当時交際していた彼女がいたんだけど、俺が浮気してるだのマザコンだの無い事無い事吹き込まれて喧嘩になり別れる羽目になった。
落ち込んでると元友人が寄ってきて寂しいなら一緒に飲もうぜ、みたいな事を言われた時はぞっとした。
いきなり冤罪をかけられて誰が嘘吹き込んだんだって思っていたから、直感的にコイツが犯人だと思った。
あとで元彼女や元彼女友人らから色々話を聞いて元友人が犯人だって分かったんだけど逆ギレされた。
そうなると良くも悪くも人が良い連中揃いだったから、元友人を理解してあげなよとか、仲良くしてあげなよとか余計なお節介。
いや変な嘘ついて貶めた時点で普通の友人としても付き合い無理だろって思ってたから断ったら俺がハブされる様に。
結局それで当時のバイトもサークルもゼミも居心地が悪くなり一気にボッチ化。それで精神病んで大学を退学する羽目になった。
それで終わればおかしな奴に粘着されて散々な目にあった、で済んだけど、それだけでは済まなかった。
数年後、治療を重ねて何とかマシになって退学してから一年後ぐらいにリハビリ兼ねて務め始めたバイト先の正社員登用試験を受けて合格。
人より遅れたし学歴も失ったけどけど何とか正社員に戻って働き始めた矢先に、元友人が俺の眼の前に現れた。
久々に仲が良かった筈の大学時代の友人に誘われていったら、何故かその友人らと元友人がいるんだよね。
元友人がいるなら行かないと思ってたから散々確認はしたんだけど。
その場で断って帰ろうとしたけど空気壊すなって言われて強引に飲み屋に。何故か元友人と隣同士。
元友人と友人らの話によれば、どうしても俺を諦めきれないということで場をセッテイングしたらしい。
「あれから時間も経ったし、お前も就職して落ち着いただろ?付き合えとは言わないけど、いい加減仲直りしてやれよ」
って言われて、激怒してその場は帰った。大学時代の友人含めて全員着拒した。
それから程なくして会社に謎のクレームが入る様になった。やれ俺の接客が最悪とか、詐欺紛いの営業されたとか。
弁解はしたけど、実際にクレームは凄く入る様になって、庇った上司の顔も潰してしまい、俺は会社での立場を無くし退職する羽目になった。
落ち込んでいると、またも元友人からSNSを通じて連絡がきた。
今度会わない?あの時は自分が悪かった、直接謝りたい。せめて一人の友人として向き合って欲しいと。
というか誰にもSNSのアカウントなんて教えてないのに、どうやって特定したかも謎だった。
気持ち悪くなってアカウントは削除したけど、どこから元友人がやってくるか分かったものでは無い。
LGBT法みたいなのが出来ると、こんなでも俺がLGBTのアイツを差別した極悪人の犯罪者で、アイツは守られるべき存在なのだろう。
何故被害者の俺が悪人扱いされて苦しんで、加害者のアイツが大手を振って歩けるのか。
同性愛者だろうがストーカーはストーカーだろ、何故同性愛というだけで一方的に正しくなってしまうのか、本当に理不尽だし理解出来ないし苦しい。
これがゲイ差別なら、俺は差別者でもいいからアイツと一生関わらない人生が送りたかった。
トランス女性だって「元は男」だから男時代に男枠で就いた高給職を維持できるし「元男と思えないぐらい美しい」って甘めに容姿評価される
それなら男体化した上で女装して甘めに容姿評価されればいいじゃん。
心無い言葉を浴びたりそれ以上に酷い扱いを受けるよりもチヤホヤして貰える可能性が高いと本気で思ってるなら。
なんなら生まれつきの男性(シス男性)でいいから転生してみて貰いたいな。
トランス女性なんてゴリゴリのマイノリティが一部で恵まれたり気遣われたりしてるのをちょっと見ただけで、あいつらの方が得してて私たちの方が可哀想だなんて考えちゃうような頭の人間が、男性に生まれたところでどれだけの人生を歩めるのか見てみたいね。
別にウクライナ系がミス日本になろうがアフリカ系が選ばれようがそんなことは問題にならない
単に、マイノリティであることが強みになって、普通に日本人やってるだけではこの手の賞レースに勝てなくなるってのが問題なんだよ
ミスコン以外でも文学とかいろんな領域で、そういうカワイソウなマイノリティの掘り起こしっていうのをずーーーっとやってきたんだもんなぁ
今更「政治利用」とか言われたところで、散々アイデンティティポリティクスのダシにしておいて、本当に何を今更という感じではある
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37