はてなキーワード: テレビ番組とは
毒親の血を受け継いだのか、自分にモラハラ気質があるという自覚がある。
なのでささいなことでイライラしたり、そのイライラを人にぶつけたりしないように普段から気持ちにゆとりを持って生活するように心がけている。
言いにくいけどこれはどうしても言わなければ、ということを言おうとするときには必ず
というような自己チェックをする。
思い込みや誤解に基づいて意味不明な怒りをぶつけられ一方的に罵倒されることの理不尽さを小さいころから嫌というほど味わってきたので、それをわたしで断ち切ろうと思っている。
今日、一人で外出しているときに、母が倒れたという報せを受けた。
圧倒的に毒が強いのは父親のほうだが、そんな父と共依存状態の母のことも好きではない。
が、まあとりあえずその出先から直接、母が運ばれたという病院に駆けつけた。
命に別状はないが数か月入院になるとのこと。
父はごく軽度の認知症が始まっており、実家に一人で置いておくにはちょっと危うい。
お盆に久々にきょうだい揃って会ったときに、子ども達+その配偶者達で、現状を共有したうえで今後どう親の面倒を見ていくのがいいか、とかそういう話をちょっとした矢先の出来事だった。
報せを受けてすぐに、家にいる旦那にも電話して「とりあえず今日このまま病院に行くから」と伝えた。
帰宅してから、旦那に母の容態や父の今後のことを話そうとした。
「ねえ、聞いてる?」
と尋ね終わらないうちに食い気味で
と、怒りを露わにした口調で言われた。
呆気にとられた。
と言うと
と。
普段、たとえば「次の旅行いつ行こうか」みたいな他愛ない話のときはそれを言うが、今日はさすがにその余裕はなかった。
というか、夫婦なら当然、このようなときは容態を気にかけて帰宅を待っているものだと思っていた。
帰宅と同時に
「お母さん、どうだった?」
「親が入院したっていう話、そんなに軽い?」
と言ったら、当てつけのように乱暴にテレビのスイッチを切った。
何をどう話せばいいのか本当に途方に暮れてしまい、仕方なく遠方に住んでいるきょうだいにLINEで母の状態を詳しく伝えたりしていた。
途中で水を汲みに台所に立ったら、またテレビをつけて見始めた。
真剣に見入って「へー」とか「うんうん」とか言っている。
もう、その場にいるのが無理だった。
たまっている雑務をこなそうと思い、別室の自分の仕事スペースに移動した(自宅で仕事をしています)。
その別室に入るときに、ドアを閉める音が思いがけず大きくなってしまった。
故意にではないのだが、結果的にそれが旦那には当てつけと受け取られたようだった。
直後、旦那がすさまじい勢いで床をドンドンと踏み鳴らして、何か怒鳴り始める声が聞こえた。
けれどもとにかく怒っている。
また、呆気にとられた。
一体、何をしているのだろう。
わたしに怒っているのだろうか。
よく二人で一緒に見ている。
邪魔が入るのは確かに本意ではなかろう。
また、別にテレビを邪魔されたことだけでなく、他にもわたしに不満があるのだろう。
しかしですね。
今回はですよ。
今までたいていのことは我慢できると思っていたが、今自分の頭の上には「離婚」の二文字がくっきりと形になって浮かび上がっている。
ケンカしたくない。
わかってくれるのだろうか。
今まで何度か、カルチャーショックというかなんというか、「自分の尺度だけで相手を評価しちゃいけないな」と思わされる出来事はあったけれども、これは自分の尺度とか関係ないと思うのだけど、どうなんでしょうか。それが確認したくて。
ガキの頃から受験勉強の英才教育受けてきただけの人間が頭脳対決とか笑わせんなやw
絶対そんなやつよりクイズを専門に鍛えてきたやつの方がそういう番組での実力は上
同級生といっても、学校が違うので一度も会話したことがないが、田舎とはDQNであることがステータスであり、
とくに地元DQNの中でもスター的な存在で、地元のその世代じゃ知らないやつはいないくらいの有名人だった。
高校生ながらに飲酒喫煙セックスは当たり前、夜な夜な出歩いては喧嘩に明け暮れていたようだ。
当然、こいつにイジメられていたという奴の話も聞くが、こいつはDQNのくせに生徒会長的なこともしており、全校集会で「イジメはやめよう!」みたいな呼掛けをしていたというのはとんだお笑い草である。
教師側としても学校でふんぞり返るDQNのこいつがイジメしてることくらい把握してて当然なのだが、
田舎の教師というのはDQNに対して「元気があってよろしい」くらいのことを言い、DQNを腫れ物に触るかのように扱う。
いじめられた生徒に泣きつかれても「そんな事実は確認できない」「それはお前に原因がある」「生徒会長のあいつがそんなことをするわけが無い」などとロクに相手もせず、有耶無耶にしてしまう。
まさに、何をやっても許される無敵のDQNである。こういう無敵のDQNほど、田舎では憧れの存在となる。
そんなDQNなもんだから、つるむ連中もDQNそのものである。イレズミだらけのピアスだらけ、エグザイルみたいな見た目のまさに田舎のヤンキーである。
この地元のDQN有名同級生が立候補したとき、Facebookがこいつの話一色になった。
「みんなで応援しよう!」みたいな、地元のスターを仲間の力で絶対当選させよう!友情!努力!勝利!みたいな、漫画のワンピースみたいなポエミーな世界観で埋まっていて、まさに田舎のヤンキー臭がプンプンして吐き気がした。
山の中で、こいつがイレズミだらけのガラの悪い男たちと共に全裸ではしゃいでる写真が大量に出てきたのである。(さすがにチンコは映ってなかったが)
うちの地元には地域密着経済紙があり、この経済紙は地元の市議のくだらないゴシップばかり書き立てている。(明らかに記者の個人的恨みとしか思えない誹謗中傷が過ぎて、裁判に負けている。)
あの経済紙の格好の餌食や!立候補前からお先真っ暗や!と思っていたのに
そもそも街頭演説も、仲間(笑)のイレズミだらけのガラの悪い連中引き連れて練り歩き、「若者に権利を!」とか喚いてただけで、一般的な感性からすると不快でしかないものだった。
また、マニフェストは「今や重要なライフラインであるのに家計を圧迫するインターネット代を、市内の全家庭無料にします」である。バカな小学生が鼻糞ほじりながら考えたようなバカさだ。
これを東京でやれば、すぐネットでいじられて大騒ぎだったろう。
某芸能人が街の素人に声をかけ、面白ければオンエアされる、という番組だ。
その芸能人はカメラが回っていないところでも、駆け付けたファンにサービスし続ける神対応で、感動してしまった。
収録日は平日昼間だったが、俺は偶然休日だったので駆けつけることができた。
で、やっぱり。例のDQN市議もテレビに映ろうと、仲間(笑)を引き連れていた。
市議って、平日昼間でも気軽に遊びに行けるのか。
で、自称ユーチューバーな人が芸能人から話しかけられた際、「まさか今ネットで生中継してないよね!?放送前にされたらまずいんだけど」みたいな話になって、ユーチューバーは「もちろんしてませんよー」なんて言って和んでいたが、
それを受けてテレビ局のスタッフが「みなさんもネット生中継は絶対にしないで下さい!」と呼び掛けたのに、
そんな中、奴は影でコソコソとスマホをかざしてツイキャスしてやがった。
こういうとこが、やっぱDQNだよなあ。好きになれない。お前、市議だろ。一番言うこと聞かなきゃならん立場だろ。
テレビの収録中だってのにガラの悪い連中と下品にゲヒャゲヒャ大声で騒いでるし。
で、自分の番になればいっちょまえに「市民の皆様を思ってー」とかほざいてた。
なんでこんな奴が何の問題もなく当選して、いまも市議を続けられているのか。
もともとガラの悪い連中なので、仲間(笑)の数人はヤクザになったとも聞く。
当時は学生。ちょっとしたドキュメンタリー番組で3日に渡って取材を受けた。本名も出ていた。
ただその内容は今となってはあまり人に見てほしくない自分の内面に関する悩みを吐くもので、当時は幼かったなと今となっては思える。
いわゆる黒歴史を本名と一緒にしてテレビで流してしまったのである。
番組は終了していて公式サイトは既に削除されているものの、当時放送を観た視聴者のブログ、SNS、2ちゃんねるのスレッドが数々出てくる。
少しぞっとしてしまった。
今後も変わることの無い本名であるため、一生当時の残骸が自分の看板のように検索結果について来るのか。
もちろん私自身の人に見せても恥ずかしくない活動内容も検索結果に出てくる。
本名で検索するとそれらよりも先にかつての放送の内容が出てくる。
件数としては活動内容2件に対して、かつての放送の記載のあるリンクが6件出てくる。
私がその放送に出たのはたしかに事実であって、今後消えないものだ。
しかし、当時とは比べようもない経験をし、新しい家族を得て、覚悟をもって生きている。
なのに私は今後も誰かにどのような人間か調べられる際にまずその放送のイメージが最初に刷り込まれるのだろうか。
さらに私は最近本名で活動することが多くなった。今後ますます増えるだろう。
過去の自分を否定するわけではないけれど、10年前のそのような内容が現在の自分を代表するかのように振る舞うのは少し、心外だ。
削除を求めるのは過去を受け入れられない懐の小さい人間だとも思っていた。
ただ、今後の私の人生がそのイメージひとつで誤解されるのはいやなのだ。
消したいわけではないが、大っぴらに公開したままにしておくのは違うと感じる。
テレビ番組で問題あったらスポンサーに苦情いれるのが一番だってのははてなーくらいのリテラシーならわかると思うんだけど
互助会が糞だと話されているときも、互助連中だけじゃなくああいう連中に利用させやすくして広告クリックさせようとしてるはてな(株)の責任だろうということはしっかり議論されるべきだ
ブログシステム売ってるseesaaなんかも結構怪しいんだ、だいたいブログで違法なマンガとかテレビキャプやってるとプラットフォームここだから
http://jump-netabare.seesaa.net/article/450843184.html
やっぱseesaaだ
ここは広告サービスもやってるからむしろここも手を入れろよと思う。
youtubeなんかもそうじゃん
あれがなんでまかり通ってるのか理解できない
日本のITは貧テックだ~とかいうけど、俺からするとアメリカこそ貧テックだとおもいますけど
偉そうにグーグルとかがガイドラインだなんだと俺がインターネットの門番だみたいなことやっといて
言われたらさーせん対応するのみ
広告掲載の交渉でその点を指摘したら逆ギレ気味になったので新聞広告掲載は取りやめになった
弊社はインターネット広告を重視することにした
所詮小さな広告だから新聞社には何の影響もないかもしれないが、増田諸君のなかには大手企業で広告担当になっているものもいるだろう。発行部数を水増しして読まれない新聞に広告を出していたら金の無駄だ。新聞なんかに広告を出したらダメだ。
テレビもダメだ。増田はテレビ番組は録画して見たい時に見るが、広告はスキップしてしまう。テレビCMなど誰も見なくなってしまったのだ。テレビCMの費用対効果は著しく悪い。
新聞よりもテレビよりもインターネット広告のほうが効果的だ。いまや誰でもスマホを持っている。
インターネット広告から弊社のサイトへ来たこともしっかりと分かる。効果が肌で感じられるのだ。しかし、新聞やテレビではそうはいかない。
あのさ、
テレビ番組録画してみるじゃない、
翌日になって、
見た内容覚えてない、
あれ?何見たんだっけ、って
まあ、その時の番組は何も収穫がなかったってことね。
やっぱり結局は録ってそれで満足なんだわ。
きっと。
だって録画したことでさえ忘れちゃってるんだもん、
それは後から見て、
こんなの録ってたのかーって思わぬ発見でもあるけど、
レコーダーで録画出来るのは便利だけど、
なんかそれに追われるのもなんだかなーって思っちゃうわ。
今日はこのへんで
うふふ
しゃきしゃき感がたまらないわ、
しゃきしゃきキープ剤とか使ってるのかなーって思うと、
とか言っちゃったりなんかして。
またいい茶葉探してみるわ。
たぶん、
なんか最適な茶葉は、
水に浮くか沈むかで見分けると
案外沈む茶葉の方が美味しいような気がするわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私たちは「人の不倫をなじること」に侵されている~テレビは何時間不倫を報じたか~
https://news.yahoo.co.jp/byline/sakaiosamu/20170830-00075044/
立派なニュースキャスターが「やってるかどうか」を追及
なぜこんなことになったのか。これについては別の機会に分析を試みたいが、大まかにはここで説明できる。不倫のニュースはほぼ、週刊誌が最初に報じたネタだ。とくに週刊文春の情報収集力はいつの間にか、民放が束になってもかなわなくなっている。ワイドショーによく出る芸能レポーターも最近は、自ら取材せず「文春待ち」にしか見えない。テレビ番組は独自に特ダネを得る意欲を失い、週刊文春のプロモーション装置に陥っている。
文春が報じたネタはネットで記事となって飛び交う。それを見て慌てて文春の発売日にテレビが報じる。そこに視聴者がTwitterなどで反応し、拡散が竜巻のようになって暴れ回る。テレビは文春に受動的で、ネット記事やTwitterにおくれを取るまいと煽りまくる。そんな構図ができてしまった。
ワイドショーの専売特許だったはずの不倫ネタはいまやニュース・報道番組でも取り扱われる。立派な経歴を持つニュースキャスターがこぞって「今井・橋本議員はやったかどうか」を追及している。「やってないなんて通るんでしょうか」とベテランのキャスターやゲストの知識人が議論している。
不倫はいけないことだと私だって思う。だがそれを本当に責める権利は身内にしかないのではないか。夫もしくは妻、そして親や子どもなどの家族には不倫をした人間をなじる権利があると思うが、ニュースキャスターが「一夜を共にした男女が”やったかやらなかったか”」を、何の根拠もなく憶測で「やってないはずない」と主張するのはどんな社会的意義があるのだろうか。
テレビ局やニュースキャスターのみなさんはこのデータを見てどう感じるだろうか。「どうかしちゃってるな、自分たちは」そう感じてほしいと思う。どう見ても異常な状態だ。
そして誰より、私たち自身がこのグラフで目を覚ますべきではないか。テレビが取りあげネットが記事にするのは、視聴率やPV数が稼げるからだ。そしてそれは私たち自身がそういう番組や記事を読んでしまっているからだ。私たちはいま、おかしい。人の不倫をなじるのに時間とエネルギーをどれだけ費やしているかを考え直すべきだ。テレビやネットが取りあげても、もう振り向かない。そんな毅然とした姿勢が私たちにこそ必要だと思う。不倫の話題が馬鹿みたいに好きな大人を見て、子どもたちはどう思っているかを考えたいと私は思う。
今、日本では国民レベルでの議論を必要としている問題に直面している。少子高齢化、安易な自殺、怠惰な若者の台頭、道徳危機……、挙げていけばきりがない。中でも、安易な自殺は学校社会や若者社会を中心に話題になった。今起きている過労自殺というのはまさにその代表例である。日本以外はどうか。外国に目を向けると、民主主義や資本主義をめぐる国民と国家などとの衝突が発生している。例えば香港や台湾では中国との政治・経済関係をめぐり、香港や台湾独自の民主主義が損なわれかねないとして不安を感じた学生が議論を行い、それが決裂ないし過熱して、やがて蜂起した。恐らく日本においても議論が過熱しかねない民主主義や資本主義に関する社会問題というのは存在するはずだ。しかし、日本人は議論というものを嫌う傾向にあるので、根本的な問題解決ができず、小手先の問題解決に明け暮れてしまう。
そこで、私から提案があるのだが、日本の教育やメディア放送において、議論に関するスキルを養うカリキュラムや番組を組むのはいかがだろうか。教育面では小学校・中学校・高校の所謂総合学習の時間を議論に関するスキルを養うカリキュラムに割り当て、その授業の参加を通じて議論に関するスキルを養う。すでに高校を卒業している方のためにもテレビ番組でもどこかの民放において議論をテーマに扱った番組を放送する。また、テレビを見れない方向けに、YouTubeやニコニコ動画にて同じ番組内容の動画を配信する。劇的な効果は現れないものの、ゆとり教育と同じように、何年か時間がたてば次第にその効果が発揮されるだろう。
最盛期に比べれば大幅に減速しているとはいえ、グローバル化が進むこの現代。我々日本人には語学スキルやマナーのみならず、議論するスキルをも求められている。語学やマナーに関しては教育の浸透が進んでいるが、議論に関しては殆ど身についていない。世界がナショナリズムに完全に移行しない限り、議論に関するスキルは語学力と同じく生きていく上で求められる。もしかすれば、奨学金制度の改善や都市公共交通システムの改造以上に至急性のある日本の喫緊の課題なのかもしれない。
・なのでツイッターや匿名掲示板やメールに書くことはもうすでに書く前に全ての人に知られている
という前提。
・ツイッターや匿名掲示板はエゴサや検索されなければ見られないのと同じ感覚で書いている(エゴサ検索されればもちろん誰でも見られる)
・個人的な趣味嗜好が関わるメディア作品(テレビ番組全般含む)はめったに触れないようにしている。趣味嗜好が関わる分野(容姿とか技術含む個性とか)でやってる人がネガティブな感想をいきなり投げられたら窮屈になりやる気がそがれる。
・アニメは昔から好きだったしデザインの趣味嗜好は人権侵害にはならないと考えておりわりと見れる
・しかし最近ファンタジーやフィクションがつらいので現実的なデータばかり見てる。
病気です。
お薬下さい。
泣けて泣けて涙が出てきて
見終わったあと自分の部屋に隠れてひとしきり泣いた
事件のあらすじは、
交際経験のなかった36歳の銀行員の女Xが10歳年下のギャンブル狂いの男Yと交際を始めて段々貢がされていきとうとう銀行の金を横領までしてしまうという顛末なんだけれども
Xが出世してしまい自分の仕事を引き継がれて横領がばれそうになった時の動揺の手の動きの演技など、とても上手かった
何よりYとの交際当初の、
レストランで年下の恋人に頼られて「はいっ」とお金を出すところの笑顔と仕草がすごかった
愚かさや子供っぽさや健気さや幸福と悲しさが渾然一体となったすごい「はいっ」だった
自分の経験とXの境遇は似ていないし、Xに似た知人もいないし、
何が一体これほどツボに入ってしまったのか
事件の顛末事態もある意味凡庸だし、それほどXの境遇に時間をかけて迫っていたわけでもないし
なにより実在のX本人の人格や心情と再現映像のそれとはあまり関係のない別物と言っていいだろう
サクラクエストを見ていると、助成金が切れたら元通りになるなと、悲しい未来を予想できるほど現実志向なアニメだと感銘を受ける
ある著名な「内閣官房・地域活性化伝道師」は、補助金・助成金による地方創生は、薬物のように依存性があって危険だそうな
猛烈に、著書やネットで安倍政権の地方創生事業を批判をしている
以前、セミナーがあって著者が作成した依存の図を見たときはああなるほどと思った
せっかくなので、例文を作ってみた
例文はどれもGoogleで実際に検索結果にでてきたものを参考にした
実際、著者自身が補助金を覚醒剤だと批判しつつ、内閣官房の中枢に入り、経済産業省の補助金助成事業を支援する外郭団体に名を連ね、地方自治体、市議会、自民党青年会などのセミナーや講演会を生業にしていて、結局補助金で生きているという笑えない事態になっている
著者をはじめ多くの地域活性化伝道師は長年取り組んでいる。実態は一人社長の企業が多い
特に補助金は悪だという著者は20年間も取り組んでいる、成功したという話は本人からは聞くが、周囲からは聞かない
実際、成功したという地に足を運ぶと、シャッター商店街のままだったり、事業が止まったままだったり、実質的に他人の事業であることが多く、明らかに風説の流布となっている
中には、社会人や学生をタダ働きさせていた悪質な地域活性化伝道師もいる
それらの伝道師の下に、人が定着せず使い捨てが繰り返されている
地域おこし協力隊については、悲惨な実態が知れてきたが伝道師の方は公にされることは少ない、まさに闇なのだ
サクラクエストは、結局は地方創生といいつつ、みんなで補助金チューチューしている実態が、アニメで生々しく暴露されたに過ぎない
どれも10年以上前から実際のまちおこしの現場で行われてきたことなのだ
20代の女の子たちがまちおこしをするといいながら、何も成果を上げなくても、取り組みをメディアは美談として取り上げ、役所も、住民も黙っている
悲しいかなこれが現実の世界も同じだ、人口減少時代の潮流の中で、数十万人の移民受入政策などのの実施抜本的なパラダイムシフトが起きない限り、地方創生などありえない
地方創生自体が、与党の選挙対策(アメ)を与え、地域活性化伝道師が、セミナーや講演会を開き、地方自治体、観光協会が発注して、事業化して、受注企業が人を派遣する
社長が糞だ、上司が糞だなんていう観測範囲の不満はだれでも指摘できるんだけど
じゃあ厚労省や労働基準監督署やら労働組合はどうなんだって話でしてる人ってそういないんだよ
サッカーみたいに隣で色かえて監視してるわけじゃないから、馬鹿にはわからない
俺がネットでブラック企業って言葉をしってもう16年(2001年にネットはじめて2chで知った)だけどさ
ようやくなんか働き方革命とか言い出してんのな
そんでようやくブラック企業リストを実名で発表しますとか言ってんの
いやいやいや、遅すぎない?仕事しなさすぎにもほどがあるよね
(Rappin' Hood)
エリオポリスの隣の地区ヴィラ・アラプアーで生まれた彼は、2000年代のブラジルのヒップホップ・シーンを牽引したラッパー。
活動家でもある彼は、ヒップホップ・シーンに限らず、老若男女問わずブラジルの音楽シーンで広く尊敬される。
都市のストリート・ミュージックを紹介するテレビ番組で司会を務めるなど後進の紹介にも熱心だ。
彼は尋常性白斑を患っている。
http://gaga.ne.jp/street/column.html
https://pt.wikipedia.org/wiki/Rappin%27_Hood
Rappin' Hood - Vida Bandida
それに、無罪の証拠はたくさんあるのに精査しようとすらしていないあなた
↓↓↓
『テレビ番組に出演することもある夏野剛氏がそのコネクションを活かして加計学園問題についてのテレビ局ディレクターの本音を聞き出したと暴露した。
夏野剛「加計の問題っていうのは僕は捏造の問題だと思います。朝日新聞のフェイクニュースです。検察は動いていないから。立件できないもん。対価が動いてないから。忖度って犯罪性ゼロなんだよ」
津田大介「朝日新聞がつくったフェイクニュースなんだったら読売、産経は否定するわけじゃないですか」
夏野剛「いや違うの。、テレビ番組のディレクターに『加計の問題なんか全然関係ないじゃないですか』と言ったら、そのディレクターは『いや、そうなんですけど、このビックウェーブに乗らなきゃ‥』と」
夏野剛「他の新聞社も乗るしかない。結局、今新聞やテレビを読んでいるのは誰なのかって話。60、70、80の高齢者」
夏野剛氏は現場の実態はそうではなく、ただの視聴率狙いなのだと指摘した。番組のディレクターに直接聞いた話なので間違いないだろう。 』
「外来種全滅大作戦!!」っていう見出しはかなり悪趣味だと思う。
生態系を壊す外来種は駆除しなきゃならない、っていう理屈は分かる。
ただ、こっからここまで「殺してはならない生き物」で、ここから「殺していい生き物」ですよと平気で設定してしまう人間が怖い。
線引きを設定するその根拠が科学的なものであれ、宗教的なものであれ、根拠が明確で揺るぎないほど残酷に見えてしまう。
彼らは危険な外来種なんだから、生態系を崩す悪だから、殺した方がいい。殺した方が為になる。
実際、自分の子供が、カミツキガメの潜む池に近寄る所なんて想像したくもない。
人間のエゴで生きていい生命と生きてはいけない生命が設定されてしまうのは非常に傲慢だ。
外来種を駆除するに当たって、少なくとも、こういった人間の汚さや愚かさを忘れずに心に留めておくことは必要だろう。
社会的に存在が許されない「悪」が、軽薄なノリの芸人たちによって一方的にジェノサイドされる光景、それをお茶の間に流して見世物にするという神経が分からない。
約10年ぶりにモーニング娘。にハマった。モーニング娘。'17と表記する方が正しいか。
僕が以前ハマっていた時期は1999~2005年であり、所謂全盛期。人気の衰退と共に離れてしまったオタクの一人である。
当時はライブ遠征当たり前、出演するテレビ番組は全て録画するぐらいだったので本気で応援していた部類に入ると思う。
今は他のアイドルの現場に通う「アイドルと撮るチェキ最高~おしゃべりするの楽し~」って言っちゃう現代のアイドル事情を象徴するタイプのアイドルオタクである。
そんな僕がちょっとしたきっかけでモーニング娘。'17のライブ映像やMVを見たところ圧倒され、ここ数年間のMVやライブ映像をYoutubeで貪るように漁った。
卒業したメンバーである鞘師里保がエース格だったことぐらいしか事前知識がなかったので何もかも新鮮だった。
今のモーニング娘。は僕が10年前に見ていた当時の子達とは売り方も違うから一概にも言えないけどもパフォーマンスという観点から見れば今の子達の方が上であるのは間違いない。
そして一番感動したのが以前好きだったころの歌を今も歌い継いでくれていること。しかもそれがハイクオリティ。
そんなモーニング娘。は今年で結成20周年になるらしい。20週年記念イベントのために曲投票も行われている。
履歴書の趣味のところに書くと無難どころかありきたりすぎて面接のときに触れられない趣味、堂々たる第1位はきっと読書。かく言う自分ももちろん趣味の欄にはそう書いている。読書。筆圧の濃い癖字が履歴書に踊る。
以前、学生の頃は読書家を自負し、講義中も本を手放さなかった。ついにはラテンアメリカ文学の講義中に真ん前で読んでいて教授に
とマイク越しに注意された。ラカンかっこいいと思っていた自分が心から恥ずかしい。おもしろい講義だったのに本当にすみません。
でも今は本を読んでいない。読みたいなと思うし読もうとして本を開いても、同じ行ばかり読んでしまう。言葉の意味が頭にはいってこない。大きな本屋にはいると情報量が多くてなにも考えられなくなる。うろうろして吐きそうになって店をあとにする。パニック。蕎麦好きの蕎麦アレルギーと同じく、これは一つの悲劇だと自負している。
思うに、普段会社にいて使う頭の部分と読書をして使う頭の部分が同じなのではないか。で、自分は要領が悪いので仕事をするとヘトヘトになってしまう。その行き帰りに本を読もうとしても、スリープモードになってしまっているので、文字を読んでも頭にはいってこないのだ。
だから会社から帰ると、気分転換に以前はよく録画した映画を観ていた。読書に比べると右脳使ってる感じがするな〜と思って観ていた。でも映画すらも筋が追えなくなってきて、今度はもう普通のテレビ番組。「ここ見てくださいよ」というのが演出ではっきりとわかる類のものを見て、パブロフの犬みたいにだらしなく笑っている。記号→即リアクション。ゲラゲラ。間寛平おもしろいなぁ、みたいな感じ(間寛平が悪いわけではないけど)。文明が発達していない未開の地域の部族にテレビを見せると、過剰なリアクションをするとどこかで聞いた。だとしたら文脈とか高度に様式化された部分を読み取ってこその文明人だと思うんですよね、自分は。
でも読書が高尚な偉い趣味、というわけでは全然ない。これはあからさまな偏見だが、読書が好きな人は大抵スポーツが苦手だからしょうがなく本を読みはじめた人が多いと思う。本当に偏見だ。だが懲りずさらに偏見を言い続けるが、本を好きな人は本を好きな自分偉いって思っている節があるから大抵鼻持ちならないイヤなやつだ。家にこもって黙って一人で本を読むことのなにが偉いものか。友だちと会え。それか浜辺でゴミを拾え。読書は別に偉くもなんともなく、運動不足につながるクソみたいな趣味だ。でも読みたくなるから自分クソだなって思ってしてしまう、それが読書。