当時は学生。ちょっとしたドキュメンタリー番組で3日に渡って取材を受けた。本名も出ていた。
ただその内容は今となってはあまり人に見てほしくない自分の内面に関する悩みを吐くもので、当時は幼かったなと今となっては思える。
いわゆる黒歴史を本名と一緒にしてテレビで流してしまったのである。
番組は終了していて公式サイトは既に削除されているものの、当時放送を観た視聴者のブログ、SNS、2ちゃんねるのスレッドが数々出てくる。
少しぞっとしてしまった。
今後も変わることの無い本名であるため、一生当時の残骸が自分の看板のように検索結果について来るのか。
もちろん私自身の人に見せても恥ずかしくない活動内容も検索結果に出てくる。
本名で検索するとそれらよりも先にかつての放送の内容が出てくる。
件数としては活動内容2件に対して、かつての放送の記載のあるリンクが6件出てくる。
私がその放送に出たのはたしかに事実であって、今後消えないものだ。
しかし、当時とは比べようもない経験をし、新しい家族を得て、覚悟をもって生きている。
なのに私は今後も誰かにどのような人間か調べられる際にまずその放送のイメージが最初に刷り込まれるのだろうか。
さらに私は最近本名で活動することが多くなった。今後ますます増えるだろう。
過去の自分を否定するわけではないけれど、10年前のそのような内容が現在の自分を代表するかのように振る舞うのは少し、心外だ。
削除を求めるのは過去を受け入れられない懐の小さい人間だとも思っていた。
ただ、今後の私の人生がそのイメージひとつで誤解されるのはいやなのだ。
消したいわけではないが、大っぴらに公開したままにしておくのは違うと感じる。