履歴書の趣味のところに書くと無難どころかありきたりすぎて面接のときに触れられない趣味、堂々たる第1位はきっと読書。かく言う自分ももちろん趣味の欄にはそう書いている。読書。筆圧の濃い癖字が履歴書に踊る。
以前、学生の頃は読書家を自負し、講義中も本を手放さなかった。ついにはラテンアメリカ文学の講義中に真ん前で読んでいて教授に
とマイク越しに注意された。ラカンかっこいいと思っていた自分が心から恥ずかしい。おもしろい講義だったのに本当にすみません。
でも今は本を読んでいない。読みたいなと思うし読もうとして本を開いても、同じ行ばかり読んでしまう。言葉の意味が頭にはいってこない。大きな本屋にはいると情報量が多くてなにも考えられなくなる。うろうろして吐きそうになって店をあとにする。パニック。蕎麦好きの蕎麦アレルギーと同じく、これは一つの悲劇だと自負している。
思うに、普段会社にいて使う頭の部分と読書をして使う頭の部分が同じなのではないか。で、自分は要領が悪いので仕事をするとヘトヘトになってしまう。その行き帰りに本を読もうとしても、スリープモードになってしまっているので、文字を読んでも頭にはいってこないのだ。
だから会社から帰ると、気分転換に以前はよく録画した映画を観ていた。読書に比べると右脳使ってる感じがするな〜と思って観ていた。でも映画すらも筋が追えなくなってきて、今度はもう普通のテレビ番組。「ここ見てくださいよ」というのが演出ではっきりとわかる類のものを見て、パブロフの犬みたいにだらしなく笑っている。記号→即リアクション。ゲラゲラ。間寛平おもしろいなぁ、みたいな感じ(間寛平が悪いわけではないけど)。文明が発達していない未開の地域の部族にテレビを見せると、過剰なリアクションをするとどこかで聞いた。だとしたら文脈とか高度に様式化された部分を読み取ってこその文明人だと思うんですよね、自分は。
でも読書が高尚な偉い趣味、というわけでは全然ない。これはあからさまな偏見だが、読書が好きな人は大抵スポーツが苦手だからしょうがなく本を読みはじめた人が多いと思う。本当に偏見だ。だが懲りずさらに偏見を言い続けるが、本を好きな人は本を好きな自分偉いって思っている節があるから大抵鼻持ちならないイヤなやつだ。家にこもって黙って一人で本を読むことのなにが偉いものか。友だちと会え。それか浜辺でゴミを拾え。読書は別に偉くもなんともなく、運動不足につながるクソみたいな趣味だ。でも読みたくなるから自分クソだなって思ってしてしまう、それが読書。
テレビばかり見てるとバカになる