はてなキーワード: スーツとは
AEDではないが、川に飛び降り自殺した人が沈んでいく様子を見たことがある。
橋の上から5.6人が下を覗き込んでいたから、イルミネーションかな?と思って私も見てみたんだ。
スーツのおじさんが浮いたり沈んだりしてた。
近くの人が110か119に電話してる様子だった。
そこらへんにロープもハシゴもなくて、飛び込んだところで私は泳げないから無駄死にするだけだ。浮き輪になりそうなものもない。
帰宅ラッシュの時間で、オフィス街にある橋。いつの間にか人が無数に集まっていた。
おじさんが浮いてる時間はだんだん短くなっていく。私は何も出来ない。
しばらくして、おじさんは浮いてこなくなった。時間にして5分ほど。
近くにいたおばさんが「あ~あ、沈んじゃった」おじさんが沈んだ後にきたカップルは「え!なに?なにかイベント?!」「クリスマスのイルミネーションかな?」なんて話している。
私はただ、立っていた。
自転車のおじさんに何があったの?と聞かれたが、声が震えて答えられなかった。おじさんに謝られた。
いまだによく、沈んでいくおじさんが頭の中に浮かんでくる。その度に苦しくなる。
自殺願望のある私にとってはおじさんが羨ましく、そう感じてしまう私自身が悔しいからだ。
あの時、近くに交番があった。私はそれを知っていた。あそこに走り込んでいれば、という後悔が大きい。
今回、おじさんは自殺だったのでこれでよかったと思えるが、AEDはまた違うんだろう。
自分は大阪府下の決して裕福ではない家庭から公立小中高に通って、旧帝大を出た立場だけど、とても共感できた。
恵まれない環境に生れ落ちると、苦境や不都合を何とかすることを「努力」だと勘違いして、人生の大半をそこに費やしてしまって、人生をかけてやりたいことを探す時間を作れない恐れがある。
そして商社の名前や機能なんて大学に入るまで知ることも意識したこともなかった。
貧乏人救済の為の社会制度(奨学金制度も授業料免除制度)も自分で調べた。
(これは高校の進路指導で教えてくれよとも思ったが、多分こういう制度を必要とする家庭がその高校では少ないからかその手の制度には疎かったのだろう…)
そして大学で感じたのはやはり生まれの違いによるどうしようもない格差。
友達に、月の仕送りが30万円という学生がいた。親は地主で、弁護士もやってるらしい。その子は異性との出会い目的でスタバでバイトしていた。
その子にとっては僕がやっていた免許取得費用を稼ぐ為のバイトなんて馬鹿馬鹿しくて仕方なかっただろう。
英語は堪能ではないが、日常会話は難なくこなせるし、ビジネス英語への適応も難しくはないだろう。
自分は就職の為に必死で英語を勉強したが、「海外で暮らしたことがある」事実の前には足元にも及ばないだろう。
そもそも就職の為にそもそも仕事で使うかすらわからない英語に時間とお金をかけて勉強しているのが虚しかった。
スポーツで全国大会に出たことのあるバリバリの体育会系もいた。
自分は運動神経も悪くテストで良い点を取ることしか能のない人間だったので、大学に入ってその条件でふるいをかけられた後は、もはや何ひとつ取り柄のない人間だった。
他には、お金の勉強をするために親から出資を受けて投資をしている、という学生もいた。思い返すだけでも「恵まれた」エピソードは多種多様なネタがどんどん出てくる。
対して「恵まれなかった」エピソードはほとんど浮かばない。恵まれなかった、けど努力した、制度を利用した、受かった、だからここにいる。それだけ。でもそのルートに膨大な時間を割いていた。
何というか、自分が努力して勝ち得たと思っていた、貴重だと思っていた学歴が、彼らにとっては「ついで」でしかなくて、自分の受験人生は何だったのかと辛くなった。
自分が奨学金制度や授業料免除制度を調べ、金銭的に通える大学を探して、行きたい大学と行ける大学の間で悩んでいる間、「彼ら」は何をしていたんだろう?
入った大学の名前以外に何もない自分が、将来困らないように英語を勉強したり、親族で誰も着ていないスーツを選んで、ネクタイの巻き方をネットで調べて、就活に励んでいる間、「彼ら」は何をしていたんだろう?
が、恵まれなかった人間がその努力に多くの時間を割いている間に、恵まれた人間は別のスキルを身に着けたり、様々な魅力的な経験を積んだ上で、そのついでに学歴を手にしているのだった。
幸い、就職活動は景気の良さもあって(こればっかりは時代に恵まれた側だった)、結構良いところに就職できた。
でも、「それなり」の大学を出た以上、この先に待っているのも「それなり」以上の集団との競争が続くだけ。正直厳しかった。
人と人間関係を構築して信頼を勝ち取って良いビジネスを作る。これが仕事の基本。
他人に頼らず自分か行政機関に頼って何とかするしかなかった人生だったので、そういう人対人のコミュニケーションが致命的にできなかった。
何か困った時は「こんなこと頼んだら嫌がられるのでは?」という思考から始まるのがスタンダードだったので、仕事に時間がかかった。
恵まれた環境で、出来ないことは他人に任せて、その代わりに自分はできることに集中する。そういう健全な助け合いの生き方をできた人は仕事でも成果を挙げていたように思えた。そういう人たちが心底羨ましかった。
恵まれなかった自分は、自分にとって不利な条件で戦わせられ続ける競争がもう限界だった。
将来は、継ぐ財産のある人間を横目に家や車を買うために働き、嘘と妥協を重ねて「婚活」に励み、趣味を我慢して、老いた先には払い損の年金が返ってくるだけ。自分は死ぬ瞬間に何を思うのだろう?と考えると恐ろしくなった。
無事、うつ病になった。
他人と比べる人生は、上ばかり見て報われぬ競争に命を燃やすか、下を見てマウントを取る卑しい人間になるしかない。
高学歴の落ちこぼれに対して「大学で大したことなくても、世間一般では学歴があるだけマシ」と言う気持ちはわかるが、「世間一般」に対してマウントを取って生きていきたい訳ではない。
本当は、一々自分と他人と比べなければ幸せになれるのかもしれない。
でも、他人と比べなくてよいのだったら、自分は勉強なんてせず好きなテレビとかゲームばっかりして不相応な世界なんて知らずにテキトーに無責任に生きていたい。努力してもどうにもならないものは沢山ある。ほどほどに見切りをつけておくべきだった。
自分の人生のピークは間違いなく大学入学時だろう。世間を知らず、現実を知らず、健全な努力が何たるかを知らず、「自分は順調だ、努力は報われる」と勘違いしていたあの時が一番幸せだった。
将来は社会の役に立つ人間になりたい、世の為人の為に頑張ろう、かつてはそんな思いがあったが今はもうなくなってしまった。
でも、国が社会が憎いとも思わない。そしてこの現状を変えたい!とも思わない。もう何かの為に頑張ろうと思えなくなった。
まあ、これだけ格差の拡大した世の中で、しかも不景気だから、見渡せば自分よりもっと恵まれていない人間は沢山いるはずだし、そういう人から見れば自分は甘えにしか見えないと思う。
甘えでごめんね。
でもこれだけやって何も返って来なかった、なのにまだ盲目的に頑張ってくれると思う方が随分甘えた考えだと思う。
これから将来はもう、取り柄のない人間らしく適当に無責任に生きて適当に死のうと思う。
とりあえず生きて、貯金も何もかも失ってホームレス寸前になっても、そこで死にたくなったら死ぬし、そうでなければ、いざ死ぬのが怖くなったら生活保護がある。
今、自分が一歩一歩確実に「無敵の人」へと進んでいる実感があるが、それでも誰かを傷つけたり復讐してやろうという気は全くないので、そこは「いい子に育ったな」と自分を褒めてやりたいな。
スーツでも着てればいい。
この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。
私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市の象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。
私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。
そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。
家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段はテレビと新聞と学校の図書室だけだった。町には本屋もなかった。
私は決して学校の勉強から遅れることはなかった。地元の中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまりに偏差値が違いすぎたため、バスや電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。
あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidのポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領のアカウントをフォローした時には、テレビや新聞の世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。
同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強をしたことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間で本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書を立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォンに参考書を自分で朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。
その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学に限定した。仕送りも必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビでしか見れないものだった。運良く私の家はBSを契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画はテレビやYoutubeの予告編でしか見れないものだった。アカデミー賞やカンヌを取るような映画は大抵東京で最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市に限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷のミニシアターでヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生に優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。
私はどうにか大学受験をして東京のとある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。
初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供のときに見ていた日曜日昼の番組で中吊り大賞などというのがあって週刊誌の記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。ときに週刊誌の卑猥なコピーが小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京で最初に印象に残ったことだ。
私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルはインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。
そこである東大と慶応の学生たちと出会ったことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場の従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事や三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井は遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業を渡り歩いているらしかった。全員都内に実家があった。
私は、自分と彼らの家庭環境のあまりの格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族の仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校や大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンドで仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。
他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中学高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校のカリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験の勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校のテキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかりやすく説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。
私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大の過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちから囲まれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語の勉強のために夏休みにカナダに語学留学をさせて、ネイティブな発音などを身に着けさせていた。私は英語の勉強が好きだったが、流暢な発音は馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3でダウンロードした英語のスピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれた環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。
私は自分の人生を激しく呪うことになる。生まれた場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学は別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。
私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。
私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴を武器にこの後は一流企業に就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京や大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間はそもそもいらないのだと。だから勉強する環境も手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。
私が大学を卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣が大学試験について「地方の学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府の本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ。地方は土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである。高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。
また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネットと地方で使うインターネットはまるで別物である。インターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCのプログラミングというものの存在を私の田舎で認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供はプログラミング教室などに通って小さいころからそういうものの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報の存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態でインターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場の人間の発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供に奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親から生まれた子供だけである。田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。
私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎ものを必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語の勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。
とにかく必死だった。帰る場所も必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金で奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金を自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去と日本が課した呪縛から逃れられていない。
こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かに読まれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定のいいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。
追記1
めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。
高校には社長の息子とか医者がゴロゴロいたでしょって話について。
同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子はもっと都会の私立の学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方は公立の方がレベルが高いので。
同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。
友達は床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。
でもみんなよく勉強してました。
同級生は殆どは地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebookで検索したときにインターネット系の大手で働いている人はいました。
追記2
追記を書きました。
う〜ん、下方婚をするかしないかっていう質問自体が、条件で足切りしていくマッチングアプリとか結婚相談所的発想だと思うんだけど。全然知らない男性が沢山いて、その中から誰を選ぶかって言われたら自分と同じぐらいの学歴と収入の人を選んでしまうと思う。バックグラウンドが似てる人の方が自分と合う確率が高いだろうから。
同窓会で昔すごい好きだった人と再会して、その人もたまたま独身だったとか、容姿や性格がめちゃめちゃ好みの人と出会ったりしたら収入なんて二の次三の次になると思うんだけど。
重要なのは収入に見合った生活をできるかどうかで、仕事用のスーツはブランドものじゃないと嫌だとか、毎日飲み歩いて一日で何万も使ってしまうような人だったらいくら年収が高くても全然貯金なんて出来ないだろうし。できることなら、普段は質素に暮らして特別なときだけちょっと贅沢できる程度の生活が理想だな。
勤務日の8割以上は在宅勤務で、なんかずっと続きそうなんだけど。
わりと堅い会社なので新卒の入社時は、これから40年間ずーっとスーツかと思ってどんよりしたけど、その後すぐにクールビズが始まって、いまとなってはなし崩してきに出社時もスマートカジュアルくらいでよくなって、世の中の変化ってわからんなー。
あんまり変わらないと思った。まあ、厳密には駅じゃなくて、電車だったんだけど。
以下、独り言。
ここのところはいつも時差出勤で、9時半くらいの電車に乗れば十分間に合う生活が続いていた。
その気楽さが雰囲気に出ていたのか、席がちらほら埋まった電車の中をふらふら歩いているとき、突然、座っていたおじいさんが「なんや、お前はこんな時間に遊んでいるんか」と発話した。
ちょうど空いている席がその人の前の席しかなかったので、どうしようかと思ったが、(まあ、架空の人に話かけているかもしれないし。仮にこっちに話しかけているとしてもどうでもいいしな )と無視して、座ることにした。
座ったあとも、おじいさんのお話は続いていて、「これから遊びに行くんか。こんな時間に電車乗ってからに。どうなってるんや。ちゃんと働かなあかんぞ。わしの息子やったらどついてるぞ」等と話していた、一人で。
(いや、スーツ着てる奴に対して、遊びに行くと思うわけないし、やっぱ架空の人と会話しているのかな。というか、ご自慢の息子さんは結構暴力的なのかな。なんにせよ、ヤベー奴だな)とは思ったが、どうでもよかった。
なぜなら、出社したら課長協議をするべき事項が二つほどあって、どんなロジック・順序で話を展開するか頭の中で復習しつつ、課長がどんなことを気にしそうか、それに対して係長がどんな頓珍漢な返しをしそうか、さらにそれをどうフォローしようか、考えを巡らせていたからだ。
昨日、日付が変わる前まで資料を作っていて、でもまだ山場は終わっていなくて、仕事で頭がいっぱいだったのだ。
おじいさんは、飽きることなく話を続けているが、言っていることはループしていた。
課長協議のシミュレーションが大体終わったので、僕はスマホで株式市場を眺めていた。
どうやら、eSIM関係で日本テレホンが急騰しているらしい。さくっと買って、後場が始まる12時半には上がっていようと上がっていまいと売るか、と考えた。
まだ、おじいさんの話は続いていおり、ホームレスのような匂いも漂っていたが、特に気にはならなかった。
おじいさんはあらゆる人に無視されており、 近くに大学生くらいの女性の二人組がいて、至極なごやかに楽しそうに会話していた。
(というか、さっきのは、もしかして、僕がこのおじいさんの息子だったら、教育的意図で殴っている、っていう意味だったのか?)とふと思ったが、まあ、どうでもよかった。
スーツを着て遊びに行くわけがないし、時差出勤を理解できなくても、出張帰りとかいくらでも可能性があるのに、それがわからない、年だけとった世間知らず を哀れに思った。
それに、どうせ、あと五分で目的駅に着くのだ。本質的に自分の人生には関係がない人だった。
トンネルを抜けて、目的駅に着いたので席を立ったら、「〇〇駅か」とおじいさんが発話した。
(マジで僕に話しかけてたのか)と少しおじいさんに興味がわいたが、面倒くさいという気持ちが勝ち、背格好等を観察することもなく、さっさと降りた。
課長協議の一つは無事に終わり、もう一つは課長に急用が入ったため流れた。
21時くらいまで残業して、帰り道、まあまあ仕事が上手くいったな、と思い返しているときに、ふと今朝の出来事の意味を考えた。
あのおじいさんは、なぜ突然通りすがりのアラサーのおっさんに説教をはじめ、全く聞いてももらえなかったのに、それを延々と続けたのか。
一つは、自分の常識に照らして不道徳な行いを目にしたと感じ、それが気に入らなかったから。
もう一つは、自分は知性に優れ、適切なアドバイスができる人間であると認められたい、という承認欲求があるから。
さらには、そもそも鬱屈したものを抱えており、それを解消する話相手もいないから。
大体こんなところだろうか。
こういった動機で、求められてもいないのに無関係な人に話しかけ、誰も聞いていないのに、それをやめない。
なんか、最近のニュースに対する僕のはてブのブコメもそんなに違わないなと思った。
過剰でずれた正義感と知性を見せびらかしたいという自己顕示欲求、さらには承認欲求。
誰かを馬鹿にしたい(=自分がその人より優れた存在であると思いたい)といマウンティング欲。
それだけではないにせよ、絶対そういうものが混じりこんでいるよな、と思った。
一週間前くらい前、「進撃の巨人が最近また面白さを盛り返している」という趣旨のスレのまとめをみて、そのまとめサイトのコメ欄も絶賛一色だったので、なんか違和感を感じ、異論を唱えた。
「作者はなにがしたいのか、もうファンタジーでもなんでもなくて、迷走しているだけじゃないか。テーマもクソもない」という趣旨のことを書いたら、レスがついて、面白さを熱く語ったあげく、「その面白さに感じるところがなく、そもそもテーマがどうとか気にする奴はお呼びじゃない」という言われた。
で、そこでふと醒めて、(まあ、確かに、そもそもアンチスレではなく、面白さを語り合うスレだし、そのまとめだし、自分が場違いなだけだったな)と反省した。
なんでもかんでも一言モノ申すマンになってるの、自分でもおかしいと感じた。
ちょっと前にツイッターで見かけた「Twitterとかいう全員が低い方向へ流されていくどうしようもない川。」というツイートを思い出した。
少し、いろいろと過剰だよな、と思った。
そんなことを考えていると、家の最寄り駅についたので、ココイチによって晩御飯を食べることにした。
いつもの習慣でなにか漫画を読もうとすると、『進撃の巨人』が目に入ったので、それにしようかと思ったが、今はまだ余計なものが自分の中に残っているように思われたので、またにすることにした。
いつか、心が落ち着いたときに読み返せばいいし、そのときにまとめサイトでのやりとりを思い出してもいいし、思い出さなくてもいい。
どちらでもいい、と思った。
平成ではカチカチ山でたぬきが改心するという終わりになったが令和ではもっと教育に良いように変わっていくだろう。
まず舞台は昭和になる。当たり前だ。昔話といっていつまでも室町だとかの時代設定していたのでは前に進めない。
昭和と言えば第二次世界大戦であるがそこはデリケートなので避けて、結果的にバブル期ぐらいが舞台になるだろう。
そこに土地転がし屋のたぬき野郎が悪徳手法でおじいさんの財産(土地や家)を奪おうとするわけだ。
結局うまい話に載せられたおじいさんは自殺、もしくはなんらかの病気が悪化し入院。おばあさんは悲しむ。
それをみた兎がたぬきに仕返しをする。
狸はうまい話だと思って一山当てたいと思い兎とオフィス街を練り歩く。
兎がやたら「価値、価値」と言っているので「おい兎。なにの価値だ?」と聞くが兎は「やだなぁ、この山(案件)の価値でしょ」という。
狸はそんなもんなんだなぁと思っていたが実はこの「価値」という声が火打ち石で火をつける音だった。
狸は兎に仕返ししようと兎を探すが兎は新規事業の立ち上げを行っている最中だった。
「狸さんこのまえはすみません。新規事業を立ち上げようとおもってるんですが共同経営しませんか。」と持ちかける。
資料を見せられ狸は聞いてみる限り悪くない案件だと思い船に乗りかかるが、その資料は兎の罠で全くのデタラメなデータと実績で作られたものだった。
そこにおばあさん(もしくは退院したおじいさん)がやってきて出資。なんとか機転を利かし事業を立て直す事に成功。
狸はおじいさんにした仕打ちを謝るのでした。
これは車や地方・東京がどうこうではなく、“年収の話なんだな”って理解した
たとえば、これが 『時計』 や 『スーツと靴』や 『ブランド鞄』の話 だったらこうはなってないと思う
もう少しだけ具体的に書くと、
『時計』は億でも数千万でもブッ込もうと思えば幾らでもお金を注ぎ込めるけど、
そこそこいい時計付けてますよマウンティングに使われるのは高くてもスズキアルトレベルでしかないし、
興味が無ければ『売ってもいいなら貰うけど?(素)』『へぇ。スマホ か Apple watch でいいです(素)』ってなる
『スーツと靴』も同様で、ハイブラでスーツや靴をフルオーダー、一見様お断りの呉服屋や靴工房でフルオーダー、そういうガチセレブは別として、
高くてもそこそこのロードバイク並みの値段でしか無いし、維持費も要らないし、
興味が無ければ『営業職でも商社勤めでも無いので(困惑)』 『クローゼットに空きがあれば貰うけど、現金とスニーカーがよかったな』 ってなる
『ブランド鞄』も同様で、掛けようと思えばいくらでもお金を掛けられるけど、
そこそこいい鞄を持ってますよマウンティングに使われるのは高くてもスズキアルトレベルでしかないし、維持費も要らないし、
興味が無ければ『売ってもいいなら貰うけど?(素)』『えっ、売っちゃダメなの?(困惑) じゃあ○○にあげよう』ってなる
車が本当に価値観の違いでしかないのなら、エキサイトせずにこのくらいの温度感で終わる話なんだよな
もっとも、この辺の話もブクマカさんみたいな謎の見栄っ張りならスルーして良い話では無さそうだけど
住まい・食・教育・娯楽(スポーツ・旅行含む)・貯金 にお金を振り分けた後に、更にお金が余ればやることだからね
この辺にお金を使える人は、”お金を持っていない人では無い“ よね
まぁ、ブクマカさん(とブクマカ兼ねてそうな一部の増田) は、ケンタにフードコートは金持ちの選択 (anond:20200910192150) なので、
だから、不動産のネタと、高額な購入費と維持が掛かる車の話は、エキサイトするのだろうね(anond:20231021234250)
慣れないテレワークをやり始めて数か月たった人も多いと思うんですけど、どんな感じ?みなさん
正直ベースでいうと
テレワ前は、業務時間中は8の仕事して2が集中できてない感じ、業務時間外は2くらい仕事しちゃってる感じ。
テレワ後は、業務時間中は5の仕事して3が集中できてなくて2を別の作業しちゃってる感じ。業務時間外に3~4仕事しちゃって取り返してる。みたいな
家にいるんだからすぐ閉まる近所の八百屋が開いてる時間に行けるじゃんとか、ちょっと銀行に行けるとか、私物PCで私的作業(通販とか)とか、そういう用事やっちゃわない? やっちゃうよね。
テレワいうても業務時間内はチャットにすぐ反応できる状態じゃないとアカンやろ、というのはわかる。
でも離席状況を正直ベースで逐次報告する? というと微妙な気もする。というか、そのへん業務ルールが明確になってない。あいまい。
いや薄くルールあるっぽいけど、周知されてなくて認知が薄いような気がする。
でもうnkは許してほしい。物理出社してるときでも会議中でもuんk最優先でしょ。
あと衆人環視がないのでダラけがち。やっぱり「見られてる」ってのは心理的に重要なので、
「業務時間内カメラつけて誰かが見てる可能性がある状態」に自分を置いたほうがマシな気がする。
なぜかTwitterでは「リモートワークでもスーツ着ろ」みたいな上司の命令に対して大反発、下半身パンツで会議するのが当たり前だろみたいな同調圧力論調が不思議なんですが、服装や身だしなみを取引先に会える状態にするのって重要だと思うんですが。
じゃないとダラけて仕事に集中できないし。業務時間の内外のメリハリがつけられない。
あと通勤なくても朝夕にエア通勤みたいな感じで近所を散歩して戻ってくると、メリハリスイッチにしやすい。 理想的にはそうしたいけど(できてないけど)
それに、外に出るということは、外に出られる格好をする必要がある。身だしなみのモチベーションになる。
サラリーマンがスーツにユニクロのカーディガンを合わせてるの、萌えません?
私は95年生まれで、学生のカーディガンといえばユニクロ一択な世代だった。そんな学生の代名詞みたいな、青春の象徴みたいなカーディガンを、いい歳こいたサラリーマンがスーツと共に来ているのが、なんかキュンとくる。セーラー服やルーズソックスになんとなくキュンとくるように、青春を思い出すのでしょうか。
でもそのことを直接言うのはセクハラだったかな、という反省の日記が以下です。
昨日の職場での話。
上司:部署は同じだが直接の上司ではない。30代前半でめっちゃ若い。私が休職したのと入れ替わりくらいに新しく入ってきた。
で、昨日、その上司がスーツにユニクロのカーディガンを合わせて着てきていたんですね。
それで夜遅く帰る前に、私と上司含む残ってた数人で雑談していた時に、ふと上記のことを思ったので脳直で「このカーディガンめっちゃ萌える」と(本人の前で)言った。
「なんだよ口説いてんのか、やめとけよ」「俺には妻子がいるのに…!」「やだ違いますよ」とふざけてコントして軽く流れたのだが、今冷静に考えると私めっちゃセクハラだったな、と反省している。
私が部下だし、女→男だし、職場は男所帯で下ネタ多めだし、コンプラなんてない会社だし、復帰したすぐで早く馴染みたいなという思いもあって、割とそのへんの意識がゆるかった。
家の中にものが少ない。
家の中が清潔。
こんなに快適なことがあるだろうか。
旦那は一緒に住み始めるときにあまりものを捨てずに転居してきた。
リビングにソファとテーブルがあるのに(置くと二人で決めたのに)、大型のカウンターテーブルとチェア2脚を「捨てるのがもったいないから」「次引っ越した先で使うかもしれないから」という理由で持ち込んだ。
ちなみにカウンターテーブルとしての役目はついぞ果たされず、ずっと荷物置き場になっていた。
持参したシェルフも80%旦那の荷物(同居中、一度も開かなかった本)に占拠され、残りの20%は私のわずかな仕事の成果物と金融書類や家電の保証書など共有の荷物を入れた。
クローゼットもスーツ職のはずの旦那がチェストをほぼ全て使用した。ちなみにリビングにはスーツ類をかけるハンガーラックが頓挫している。
備え付けの収納部屋は「上司にもらって捨てられない」らしい数年使っていないゴルフ用品と空っぽのクリアファイルなどが入った開かずのボックスで占拠された。
一度「収納部屋やシェルフの中を整理して、表に出てる荷物を入れさせてくれ」とお願いしたが「それって今すぐやらなきゃダメなの?」と不機嫌な態度を取られた。
もの、モノ、物。
4面すべて物にかこまれたあの家が本当に苦手だった。お互いの家具を持ち寄ったため、インテリアに統一性がないのもうっすら嫌だった。
そんなに広い部屋ではないのだからと、引っ越し前に金を払って色々とまだ使えるようなものも回収してもらったのに、なぜこの人は片っ端から持ってきたんだ?と結婚中常々考えていた。
ふと開いた箱のなかに、用途不明のケーブルがしこたま入っていた時はめまいがした。HDMIケーブルLANケーブルminiUSBケーブルVGA端子etc...何をそんなに繋ぎたいのか。
私は収納少ない家ってわかった時点で預けたけどな。
掃除もやらない人だった。
掃除機だのクイックルだの、結局片手で数えるぐらいしかやってないと思う。
髪や埃が落ちていようが、ゴミ箱から悪臭が出ていようが、シンクがぬめっていようがあまり気にならないらしい。
洗面台もお風呂場も自分が洗って、床や壁も自分が掃除した。洗い物とトイレ掃除はお願いしていたが、最後の方は8割私がやっていた。
別居するかの話し合いになったときに「いうほど君は家事やってないからね」と怒られて心がスンとした。
気になる方がやればいいというスタンスの人だったので、こまめに掃除はしていたがやはり二人住んでいると当然汚れるスピードは二倍。
旦那曰く「髪の毛の質量はロングヘアの君の方が多いはずだから、この家に落ちている髪の毛はほぼ君のもの」だそうだ。へえ。
トイレも汚しても掃除しない人だった。初めて汚されて放置した日は悲鳴をあげた。うん○が便座に飛んでいるのだ。
お腹壊しがちな旦那のうん○便座を何度掃除したかわからない。こんなこと、小学生の時に教えられるだろうに。本当に悲しくなった。
そしてなんやかんや別居が決まり、荷物整理をしていたら、私のみたことないガラクタがわんさか出てきた。
カビが生えてヨレヨレになったブランドバッグ。質屋でもきっと買い取ってくれない。
黄ばんで変色したシャツや、潰れた靴など、明らかなゴミがどんどん出てくるのだ。当然使うわけでもなくしまっていたわけだから、私が知る由も無い。
それを「これもうダメだよね?」と言いながらどんどんゴミ袋に突っ込んでいく。
絶対に捨てない!と言っていた趣味の本も一夜にして資源ごみと化した。売るわけでもなくゴミになったのだ。
一悶着おこしたカウンターテーブルもあっさり捨てた。ほかにも粗大ゴミになりうるガラクタたちを片っ端から捨てていって、処理費用は3万を越した。
(ちなみに私も不用品を出したので費用は折半だそうだ。いまだに納得いかない)
ああそうか、この人は「他人が困る」という事に関して無関心なのかとそのとき気が付いた。
自分が気にならないから、困ってないからものが溢れていようと、妻の荷物が入れられずにお金払ってストレージに預けようと、関係ないのか。
別居に一抹の寂しさを感じていたが、そんなおセンチな気持ちもおかげで全部吹っ飛んだ。
そして自分の新居。
7畳ほどの1Kだが、セミダブルベッドにテーブルのみなのでそこまで狭さは感じない。
お気に入りの家具、お気に入りのディフューザー、真っ白なファブリック。毎日掃除するしロボット掃除機もある。
服を床に脱ぎ捨てるひとがいないし、飲みさしのお酒をそこら中に置かれることもない。
過去片付けてほしいとお願いしたらキレ散らかしたのでそれ以来言ってない。
お気に入りのスマート照明のなか、まっさらな壁にNETFlix照射して1日の終わりを楽しむ。
旦那の歯周病臭で部屋が充満することもない。濡れたバスタオルをドラム式洗濯機の中に突っ込まれて醸されることもない。
さきほど旦那から「ダブルベッド置いたら部屋が狭くなって後悔してる」とLINEがきた。
そりゃ8畳の部屋にソファとテーブルと40型のTV、ダブルベッド、ハンガーラック置いたら詰むでしょ。
こんなに快適な生活が送れるなら、もっと早く別居していればよかったと思いつつ、
別居をこんなにも快適に感じている自分に少し引いている。