はてなキーワード: アラサーとは
俺はアラサー男だけども、男性向け成人誌だけじゃなくもっとやればいいと思う。どの事業者も。
世の中の表側からはアダルト(性的かつ下品、淫蕩的なもの)はぜんぶ撤去するべき。ティーン誌とか青年コミックも含めてね。厳しすぎるくらいでいい。
コミケなんかのイベントでもエロ同人での参加は禁止して、エロは通販やDL販売に完全移行したらいいと思う。
同好の士との触れ合いの場がほしいならまず外で話せるレベルの、健全なものも作ってから話してくれ。エロでしかコミュニケーションが取れない人間はネットから出てくるべきじゃない。
実店舗を持つ同人ショップからもエロ同人アイテムは撤去。公共の場には存在しちゃダメだ。
とはいえ、厳重にゾーニングされ、入店時にピピっと成人認証されるアダルト専門ショップ、といった感じなら商業・同人問わず実店舗もあっていい。あと現状のように歓楽街に隔離された形の風俗店も問題ない。
要するに、現実世界では非エロとエロが混在する空間があってはならない。健全なものを求める人間(未成年含む)がアダルト方面に迷い込むのが問題。
ただし、ネット上ならそういった類の迷い込みがあってもいい。もちろんフィルタリングなどの必要性を否定するわけではないが。
根本的にネットというのは、ほとんど精神世界だ。精神に歯止めは掛けられない。だから強い意志があれば未成年でもフィルタリングを抜け出せるくらいで構わない。
そういう空間と、現実の空間との区別は厳格であるべきだし、その分別を誰もがつけられる国民性を志向するべきだと思う。
誤解されそうだが、成人向けコンテンツの流通を縮小させる意図はない。むしろ、厳格に分ける一方で萎縮が起きないように気を配るべきだ。
アダルトを含めたあらゆる表現を手厚く守って、エロアイテムの流通は倍増させるくらいの勢いでいいとすら思う。
ただしその流通は、パブリックとは隔離された場所で、プライベート空間に直送される感じでやってください、という、一言で言えばそれだけの話だ。
中国じゃないんだから、アレなモノからソレなモノまで、公共空間にごっちゃ混ぜで陳列する必要はもう無い。
日本はもうカオスでいられる時期を過ぎた。もっと洗練されたスマートな社会のありようを本気で考えて、変えていかなくちゃならない。
平たく言うとみんなネット通販を活用しろって事だ。ついでにドローンとか無人トラックの認可を急げってね。
既存の流通からの変化を促すと、それについていけない人への配慮を~という批判が来る。
だが思うに、ネットも使えないような、コンピュータ音痴の年配というのは、大概知ろうとしない、学ぼうとしない。
必要に迫られてもできるだけ避け続ける。たとえば高性能なスマホを息子に見繕ってもらい、教えてもらっても、
難癖をつけるばかりで最低限の通話やメッセージング以上のことを断固としてしようとしない。興味を持とうとしない。
使っているモノの事をなにも知らないまま使い続けるような、恐ろしい感覚を持っている。
コンビニでエロ本を買っていた人間のうちで、撤去されたから焦って他の入手手段を調べ出せる能力のある人はまだマシだ。
そうでない人はきっと先に述べたような気質の人だ。入手を諦めてまた別のもの(風俗とか)に流れるのかもしれないが、
いずれにしても、自ら賢くなろうとしない人間が取り残されることまで配慮していては、人間をダメにし、社会をダメにする。
何か事情があって取り残されてしまう人の保護ならともかく、健常な人間は生きている限り常に賢くあろうとし、学び続ける姿勢がなければならない。
さもないと、資本主義・自由主義経済下の社会ではうまく生きていけないのが当然だし、なんならカモられハブられるの致し方ないことだ。
10:00
この日段階で予定日を10日過ぎていた。これ以上は延ばせないということでクリニックに入院開始。診察中に破水し先生方慌てるものの嫁は平常心。
診察の途中から私も参加、促進剤についての同意書にサイン、入院部屋に行く。
3人部屋だがカーテンで仕切られており、なにより今は私ら夫婦しかいない。
窮屈さはないし清潔感あって居心地悪くない。
入って早々地元訛りの助産師さんから説明、促進剤の点滴開始。まずは20mlから。
11:00
自体は当面は動きそうにないので、ここで一人散歩に出かける。薬局でマスク買ってファミレスでカツ煮定食を食す。アラサー、カツ煮定食のコスパに感動。
途中で胎児の心拍低下による促進剤停止という事態があり飛んで戻る。
12:00
嫁ランチ。野菜カレーとカレイの揚げ浸し、スープ、サラダ、パイナッポー。目を閉じ多幸感に包まれながら食事を楽しむ嫁。
あまりに美味し過ぎたためか完食した嫁、お腹いっぱいになりすぎその後やや後悔したようだ。
13:00
Toco値(なんの値かよくわからなかったが出産までの進行度合いと解釈した)を注視してみたが高い値になっても「生理痛よりはマシ」とのこと。
やはり痛覚は個人差あるのかな。
入院開始時は前駆陣痛が5〜7分間隔だったものがこの時点で3分間隔に。まだまだ笑顔。この時点で促進剤60ml。
14:00
2度目の外出。動けない嫁に雑誌を買おうと近くのコンビニを探す。
地元で有名な産科が近いからか出産関係雑誌が1角を占める。澤穂希表紙が目立つ。
めぼしい雑誌はなくクリニックに戻ると駐車場から車が消えていた。どうやらこの日は通院する人が少ないようだ。
15:00
16:00
18:00
嫁と食べ物縛りしりとりをしたりアキネイターごっこをしたりして穏やかに過ごす。
20:00
面会時間が終わったためお義母さんに送ってもらい一時帰宅。明日再度促進剤投与をする方針になった。
21:32
嫁から電話。胎児への負担を考慮して急遽緊急帝王切開を取ることになったと嫁。
一時的に心拍がかなり下がったこともあり無理はできないという医師の判断だった。
急行。
「ハンカチある?ないなら貸すね。何用かって?出産後に感動した時用よ」とお義母さん。ハンカチを受け取る。
22:00
オペの説明を受けて嫁は早速手術場へ。
元々立会い出産を希望しビデオカメラを持参していたが、使うこともなさそうだ。
廊下でオロオロしながら歩き回る昔ドラマでよく見た典型的なパパっぽい感じになる。
22:17
手術開始。手術室前のロビーにてお義母さんと二人。時間が永遠に感じる。
しかし胎児への負荷が大きかったようで、胎児に呼吸器をつけてなんとか酸素補給をしている状態とのこと。
23:50
手術後の胎児に対面する。
顔が青ざめており、ひゃっくりのような小さな呼吸をかろうじてしている状態。
我が子への最初の声掛けは「頑張れ」だった。
産後の嫁に付き添う。労いの言葉も胎児の容態が気になりトーンダウン。もうここは祈るしかない。
しばらくして先生から緊急搬送を取ることにしたと説明。救急車で隣町の大型病院へ。
25:30
お義母さんの運転が優秀だったのか、救急車より早く着きすぎる。書類を記載して提出。
緊急病院の待合室は独特のピリピリ感があって苦手だ。
この日はなぜかオカマさん(顔以外は限りなく女性に近い)がいて視線を奪われる。
26:23
26:33
カンファレンスルームへ。ここからどれくらい待っただろう……時間が永遠のように感じられた。
部屋には山ほどの赤ちゃん関係の本が。その中には「赤ちゃんの死を乗り越える」というタイトルのものもあり思考のネガティヴループが加速する。
気づいたら私もお義母さんも文字通り祈るポーズをとる。ただただ生きていてくれ。ネガティヴモードを振り切ろうと廊下を散歩する。
27:30
病院の看護師さんに呼ばれて私一人でNICUへ。熱を計り徹底的に手を洗い清潔な状態で入室。
胎児は全身を管に繋がれながらもさっきより顔色のいい状態でスヤスヤ寝ていた。なんと可愛い寝顔だろう。
全体的にむっちりしていて丸顔で。天使ってほんとうにいるのだなと確信した。
「触ってあげてください」と看護師さんに促され頭を撫でる。剛毛で真っ黒でややパーマ。これはお母さん似かな。
よく頑張ったねと声が自然と口から漏れた。看護師さんも笑顔だ。
息子は「胎便吸引症候群」により体に強く負荷がかかり、更に肺炎を併発させて窒息ぎりぎり手前状態だったという。
クリニックの先生の緊急搬送判断(別のお母さんがその時間に手術予定だったが、我が家を繰り上げで対応して下さったよう。感謝しかない)、
大型病院のベッド空き状況/立地……などなど様々な幸運が重なったことによって生きることができた息子。
まだ頑張るところだがまずは人生のスタートラインに立てたぞ。本当によかった。
27:50
NICU責任者の先生から契約書類の説明を受けサイン。息子の名前を初めて書面に記す。出生届よりも先に書くことになるとは。
「**(名前、産前にもう決めていた)っていい名前ですね!私の親友が同じ名前なのですよ。いいやつでね……」と先生。この人は信頼できるとなんとなく感じた。
具体的な検査結果は翌AM11時に説明させてくださいと先生。先生も寝る時間がほとんどないじゃないですか……おつかれさまです。
看護師さんから書類を受け取ったのち「忘れてた!」と息子の写真を渡してくれた。
「処置中は目を開けてて「ここはどこなんだろー」って周りをキョロキョロしていたんですけどねー」と目をつむった胎児写真を説明する看護師さん。
ここにいる人はみんな味方だ。
28:30
安心感からか涙が滴り落ちる。自身がめちゃくちゃ強張っていたことにやっと気づく。
iPhoneを起動、嫁と使っていた妊娠/出産情報管理アプリを開くと表紙が親子3人になっていてまた涙。
「ハンカチ、ここで使うべきなんですかね」と涙を拭いた。
その後息子2ヶ月弱の入院を経て帰宅、順調に成長し、障害もなく元気に育ってる。
エンディングノートを書いている。
数ヶ月前から。
焦って躍起になっていた三ヵ月前に、遺書書いて死んでしまおうかと思った。
若い時分はそれなりにモテた。周りは美人だの何だの褒めてくれたしスタイルも良かった。
二十歳からずっと結婚願望はあったし、お付き合いした人とは全員結婚したいと思っていた。
でも付き合っていた男のお眼鏡にはかなわなかった。
昔から自分に自信が持てなくて、嫌われないように必死になってばかりで自分の主張なんてしたこと無かった。
そんなこと繰り返しながらあっという間に29歳。
半端なプライドも捨てられず、日々劣化していく全身と、周りの評価が怖かった。
死のうと思ってエンディングノート書いた時、いつでも死ねることに気づいて憑き物が落ちた。
いつでも死ねる。好きなタイミングで好きな方法で死ねる。いつでも終わらせられる。
だからどんなに嫌なことがあっても、いつでも死んで逃げられることに気づいてから、生きるのが楽になった。
私には3年半付き合った彼氏がいました。
アラサーで、多忙な職種の人で、仕事が大好きで、多趣味で、友達や仕事の人間との関係構築も良好で、兄弟や実家との関係も問題なし。
何より私が勉強したいことや興味のあることを応援してくれる、まさかこれまで彼女がいなかったとは到底考えられないほど素晴らしい人でした。
私はこの人と結婚するつもりでいました。
一人暮らしが長いため生活力があったこと、自分の能力を以って稼ぎ続ける人だったこと、友人や家族・上司・部下といった人間関係の構築に一切の難がなく人望が厚いこと、貯金ができること、何より私を心から気遣って大切にしてくれる人だったことです。
そんな彼と私にはある共通認識がありました。
「自分みたいな非モテなんかが、ここまで異性に気に入ってもらえることなんて今後ありえない」です。
彼はアラサーになるまで仕事一筋、恋愛にも興味がないため、モテの何たるかを一切心得ていません。
デートでも鼻毛は伸び放題、身体に微妙にあっていないサイズの服。
でも私にとってそれは、好きな人と一緒に過ごす上では瑣末なことなので、鼻毛カッター買いなよと言ったくらいで別に気にしませんでした。
それゆえに彼は、彼のままでありつづけながらも離れない私を見て、前述した共通認識を持つようになりました。
彼氏がいると公言していたり、飲み会では自らを犠牲に笑いをとって盛り上がる側になる他、見た目にもそれほど気をつかわずに生きてきた期間も長いものでした。
またそもそもの人相があんまり良くない上にそれをカバーすることも特にしませんでした。
それゆえに私は「自分なんかにはもう異性に言い寄られることなんかないし、それでいい」と思うようになりました。
つまり、「もう今後誰にも言い寄られる可能性がない者同士」という利害関係の一致が、学生と社会人のカップルを長く続かせる要因になりました。
しかし、もうすぐ4年目にさしかかるところでこの関係は終わりを告げました。
原因は私の浮気です。
いい友達になれるかも!と思い、2回目に会って食事をしたとき、お酒の勢いで家に連れ込まれました。
なぜ断らずに家に入ったか。
から、です。
そこに、自分が信じ込んでいた「自分にはもう異性に好かれる可能性がない」という思い込みを壊してくれる期待が重なります。
それに、男性経験が一人の人生でいいのだろうか…?という考えもよぎります。
その上お酒の力で気分がいいので尚更判断力は鈍り、結果男の家にほいほいと入って行きました。
こうして私は初めて、彼氏以外の男と唇を重ね、セックスをしてしまいました。
その男は私とそれほど年が変わりませんが、かなりの高学歴かつ稼ぎも相当良く、身長が高く、運動部にいたためガタイもよく、見た目や服装に気をつかえて、人の話を膨らませて聞き役に回ることが非常にうまく、連れて行くと女性が喜ぶお店をたくさん知っていて、またセックスもとても上手でした。
ことを終えた後、酔いも覚めてきて、罪悪感に支配されました。
しかし男が持つハイスペックぶりと彼氏のスペックを比べたり、「私を好きでいてくれる男がいる喜び」に味をしめるようになったり、これまで経験したことがない性的快感にハマったこともあり、オフ会で知り合った男に入れ込むようになりました。
何度も何度も逢瀬を重ねるようになりました。
何日か経って、彼氏に会った時、自分の中に異変が起きていました。
デートなのにあまりにモサっとした見た目… 行く飲食店も変わり映えのしないところばかり… セックスもあの男の方が全然気持ちいいじゃん… といったこれまで気に留めなかったことばかりが目につくようになりました。
私は彼氏以外の男と交わることで、初めて比較対象というものを得ました。
これによって私は、これまで良しとしていた彼を「無理!!」と感じました。
何より「もう今後誰にも言い寄られる可能性がない者同士」という利害関係が崩壊したことが決め手でした。
こうしてもう彼氏として見ることができなくなり、気持ちが離れていきました。
3年半も付き合ってきたのに、あっけない終わりでした。
長かった彼氏との関係を解消し、オフ会で知り合った男にいよいよ本気になった私は徐々に、自分が所詮セフレ以上の存在にはなれないことを悟ります。
私以外にも同じように、オフ会で知り合ってセフレにしている女が何人もいたことを男本人から伝えられました。
私を好きになってくれたのではなく、ただの暇を繕う玩具として扱っていただけのことに気づきました。
あまりに経験が浅い私は、こんな人本当にいるんだ…というショックを受けました。
今まで彼氏は私一人を大事に扱ってくれたので、それと同じように、オフ会で知り合った男も私を大事にしてくれるのだと思い込んでいたのです。
私はやっと、彼氏がどれだけ愛情を注いでくれたかに気づきました。
男は私がだんだん本気になり始めたとわかると、連絡を無視するようになりました。
嫌われたんだというショックよりも、自分はもう用済みなんだという屈辱的な扱いに愕然としました。
何より「気持ちが離れたから捨てた」というこの男の行動は、私が彼氏にしたことと同じです。
なんとか彼女に昇格しようとして気を引くのも、気に入られようと努力するのも、全てが虚しく感じました。
こんなことをしても私は結局幸せじゃない。
しかし、その最低と言わんばかりの男からは、いくつかの素晴らしい贈り物をもらいました。
・恋をしたので見た目に気をつかうようになった(事実、母親や女友達やインターン先の女性社員から見た目を褒められることがグッと増えました。美容室で髪の毛を整えたり、自分に合うメイクを研究したり、ジムに通い始めたのも、オフ会で知り合った男がきっかけです。)
・「私を気に入ってくれる異性なんかいない、私にはもう次がない」などという後ろ向きな思い込みを捨てさせ、未来に希望を持たせたこと(穴扱いとはいえ、頭脳や見た目はハイスペックの選別するレベルにかなったようなので、私はちゃんとすればまだまだイケるんだ!と思うようになりました。これがたとえ盲信だったとしても、後ろ向きなまま生きるよりはきっと健康的です。)
・人はスペックではなく、人間性を何よりも重要視すること。スペックだけに目がくらんで作った人間関係では幸せになれない。
・自分もまた、見た目やスペックに加え、最後は人間性によって選ばれているということ。
・人から好かれるためには、まず自信を持つこと。その自信を持つために、自分がやるべき仕事をきちんとこなし、よりよい仕事をするための勉強を欠かさず行い、時間厳守や挨拶や気遣いといった人として当たり前のことを当たり前のようにやる。そうして昨日の自分より頭のいい自分になる努力を重ねていくこと。
フリーになって自分を見つめ直したとき、気づいたのはこれでした。
自分を無理やり切り替えて前向きに生きなおすための思い込みですが、「あの男との出会いは自分を次のステージに進めるための必然の出会いだったのだ。私はもう二度と同じような過ちをしない。これ以上不必要に人を傷つけずにうまくやっていくための気づきを与えてくれたのだ」と思うことにしました。
全くかわいくなかった、趣味は「ネットサーフィン」と答えていたっけな
あのとき、僕っ子はかわいくないし、わざとらしいし、変だとネガティブイメージがあった
でも
ああ、いいなあ、しみじみとエエなあと...
そして、僕っ子を受け入れた僕は年をとったなあと思った
大人になると味覚が変わってミョウガとか、シソとか好きになっていくのね
僕っ子を「しみじみとエエ」と思ったのはこんな感じかもしれんね
いや、初デートサイゼリヤで喜ぶ結婚適齢期アラサーって、そもそも美味しい物を食べたいから努力みたいな食にこだわりが無いのでは
男も美味しい物が食べたいとか相手を喜ばせたいみたいなのが皆無だからサイゼリヤ吉牛になる訳だし
手作りケーキは金がかかるし一日仕事なのに家でケーキを作るみたいな感じの人は、手作りでしか味わえない雰囲気や形、子供の喜ぶ顔が見たいとか、ケーキ作りに自信があるとか、食にこだわりがあるからやってるわけで
妹毎回ケーキを作ってるけど、美味しい店は妹に聞けってくらい外食もこだわる子だし
同じ予算でケーキ屋の美味しいのを買えるけど面倒だからスーパーで適当にクリスマスケーキを買う食にこだわりがない夫婦になりたいとかを目指す方がイメージに近いのでは
https://togetter.com/li/1171485
俺はアラサーの男で、人に性的な目で見られることがたぶんほとんどない。なので人に性的な目で見られることが不快かどうかは、正直よくわからない。
ただ電車に乗ったある日、ふと気づくと露骨に顔を覗き込んでくるちょっと普通の雰囲気じゃない真顔の汚い人がいて心底ビビったことがある。そして俺が気づいて顔をそらした後も、俺が下りた後もずっと俺を見ていた。自意識過剰も承知の上でとにかくかなり気持ちが悪くて、…まあいいや、すぐ忘れるだろ!と思ったけど3年以上たった今も覚えている。
たぶん「人に見られる」ということや「人に見られていると感じる」ことは、それだけでわりとストレスになるんじゃないだろうか。知らない人ならなおさら。あまり人の視界に入らない同族の方にも是非想像を張り巡らしてみてほしい。
そしてそれが「性的」となると、ただ不気味なだけではなく、より現実的な危機を予感させるものになるのだ。
性的な目で見られたことをきっかけに直接身体的な危機・被害があったり、そういうエピソードを伝え聞くことによって、性的な目で見られる=危険で回避すべき=不快、という感情トリガーと結びついて回避しようとするのは生き物として合理的だ。「性的な目で見られることが不快」という根底にはきっとこういう経緯と感情が流れている。
(他にも「性的=いやらしい」みたいな洗脳的教育の影響があるのかもしれないけど、こっちは意味がわからない。いやらしいって何?)
ともあれ「性的な目で見られること」は危機を感知させるものであり、「常に性的な目で見られているかもしれないと感じること」はいうなれば危機感知センサーが常に警報を鳴らし続けるということでそれはたいそう疲れ滅入るというか、結果として「キモイ」「ムリ」という感情が表れるのもある意味正常だよな、と想像する。
そしてそれがまして14歳などという中二前後、ヒトの最も繊細で危なげで多感な時期に「危機感知センサー」を鳴らし続けるのはさぞかし辛かろう。自意識過剰で感情の行き場がなくなりやすくてべらぼうに傷つきやすい人達が「これはもしかして、自分のことでは…?」と悩んでしまうとしたら、それはなんだかかわいそうだと思うのだ。その後の価値観・考え方にも大きく影響するだろう。
だから、本人が特定されようがされまいが、「もしかしてこれって私のことだろうか、私は常にこんなふうに誰かから見られているのだろうか」と誰かを不安にさせることは、思いやりの心を持った人間としては、極力なくしていきたいというものだ。人の目に触れないところで楽しむなり、創作だと断言したり、やりようはあるはずだ。
ちなみにあの件、SNSで拡散すればするほど、創作物を目にして自分のこと?と不安になる人も増えるだろう。作者だけでなくシェアした方々は己の影響力を過不足なく見極めていただきたい。想像力と思いやりのある人間ならば。
とはいえ人が人を性的な目で見ること、とくに男性が女性を性的な目で見ることは避けられそうにない。なぜならその外見の性的魅力への感情がトリガーになって生殖してきたのがヒトだから。なので本当の本当は、性的な目で見られる→危険!→イヤ!!という感情の結びつきが、その原因となる事案がなくなるといいよね。ヒトがヒトに優しくなれるように、できることや抑止力はないかなぁ…。
ところで、性的な目で見られること、あるいは二次元として創作されることが「消費される」「モノ扱いされる」とはどういうことなのだろう。それは何がいけないのだろう。記事を読んで懸命に考えたが引き続きわからないままだ。
一緒に行ったイベントのことを検索してたら、その裏垢がイベントのことを写真付き(私たちでしかなし得ないアイテムとか入ってたのでわかった)で載せてたのがきっかけで見つけてしまった。
見ちゃいけないと思って本人含めて誰にもバラしてはないんだけど、面白すぎると思ってたまに見に行ってる。
その裏垢での内容で、彼がナルシストであるこのも、女に対して最低な考え方をもってることも、自分がオシャレだと思ってることも(アラサーなのにいつも大学生みたいな格好してる)、ときどきフォロワー1000人くらいの可愛い女の子にクソリプおじさんみたいなリプとばして無視されてることも見てしまった。
録画してたバリバラを見た。
自分は、難病を患って闘病生活送った後に重度の身体障害が残ったアラサー女。
障害は今でも少しずつ進んでる。
NHK バリバラ | 特別企画 脱・MZK! (最もズレてる健常者)
http://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=590#top
私は、バリバラに出演されている方ほど自分の障害についての考え方を確立できていない。
できることなら今すぐ障害を取り去って走りたい、シロツメクサの上を転がりたい、海に飛び込みたい、雪に身体を埋めたい、境目がわからなくなるぐらい誰かを抱きしめたい。
放送を見てハライチの岩井さんについて思ったのは、たぶん素直な人。障害のある人を身近に感じられなかったがゆえの他人事感。
でも、障害のある人だって障害のない人や自分と別の障害のある人の苦労とか存在を身近に感じられていないことが多いと思う。
障害のある人同士でも障害の種類や程度が違えば、壁を作ったり差別している現場を見たこともある。
何が言いたいかというと、岩井さんと友達になりたいなってこと。
岩井さんが好きなロックバンドは、私が20年以上愛してきたバンド。同じバンドを深く愛せるっとことは、心の深いところでつながれるということだと思ってる。
一緒にライブに行きましょう。そうすれば、障害があるから違うこと、障害があるけど同じなこと、わかると思う。
「自分の障害が無くなる代わりに、他の誰かが障害者になるとしたら」という岩井さんの質問に対する私の答えは、
みんなで分け合えたらいいのになということ。約100年の人生の中の少しの時間、障害のある時間を生きてみたら誰しも得るものがあるはず。
障害のある人も、障害のない時間を生きてみたらどう思うかな。想像するほど自由じゃないかもしれないよ。
でも、そんなことはできない。でもでも、想像はできる。経験や想いを共有することはできる。そのことを加速させるために、学校、職場、趣味の場、街で、障害の有無とは関係なくつながれる社会にしていきたい。
岩井さん、ライブ会場で客席を見回してみてください。絶対に障害のある人がいます。同じ空間で同じように音楽を楽しんでいる障害のある人がいます。実は身近にいるんですよ。
姉に会いたい、と今朝コーヒーを一口含んだ時、不意にそんなことを考えた。わたしを甘やかしてくれる姉のことが、わたしは大好きだった。捉えどころのないあの人は、言ってみればこの漂うコーヒーの煙のような人であった。
わたしは誰がどう見たって可愛くない子どもだったし、自分でもそれを分かっていたけど、姉はいつも「あんたはこの子に似ているね」と外国の儚げな美しい女の子を指差した。姉は海外の雑誌を読む姿が様になる、姉が指差したような少女とはまた違った、けれどとても美しい人だった。父にも、母にも、勿論わたしにも似ていない人だったが、母方の祖母には、少し似ていた。わたしは祖父母も大好きだったが、やはり一番姉が好きだった。
姉は美しい人であったが、決してお淑やかな性格ではなく、奔放なところがあった。頑固者で、一方では生真面目でコツコツ努力する人間であった。さらさらと流れる水のように美しくて、掴み所のない女性だった。
姉とわたしとは四つ離れた姉妹で、似ても似つかぬ容貌と性格であったと思う。しかし背丈は似たり寄ったりであったし、服の趣味も似ていたので、髪型を姉に似せていたときには、双子かと尋ねられたこともあった。思わず姉と顔を見合わせて笑ったら、仕草までぴったりですね、なんて言われて、益々大きな声で笑ったこともある。懐かしい思い出だ。
姉に会いたい、というのは、姉が今はもうここに居ないためである。亡くなったわけではないが、年に一度便りが届くだけなのだ。
姉が大学を卒業した年、わたしは高校を卒業した。姉は家を出て、少し離れたところで一人暮らしを始めた。そうしてわたしがまだ大学に通っている学生だった頃、ひょいと家に戻った姉が布団にもぐったわたしにこっそりと、「日本を出るんだ」と告げた。まるで子どもの頃一緒に悪戯したときのような口調で、ニコニコ笑いながら、そんなことを。
姉には年の離れた恋人がいた。出会いは知らないが、大学生の頃に知り合ったのだ。彼を追いかけて、姉は就職先を彼の住む街に決めたことをわたしは知っていた。それで、その人が海外に行くというので、仕事を辞めてついて行くのだと姉は言った。前に言ったように姉は頑固者だったので、引き止めることは何の意味も持たなかった。だからわたしは代わりに「そっか、元気でね」と言った。姉は頭の良い人だったし、特に姉の英語はとても美しい響きを持っていたから、向こうでもきっと上手くやるだろうと思った。そしてまた、姉は恋人と別れても、きっとここには帰ってこないだろうなとも。この家も、あの街も、姉には窮屈すぎたし、姉はもっと広い世界に行くべきだと思っていた。だから当然だと、これで良いと自分に言い聞かせた。本当は、姉を奪っていくあの男が許せなかった。顔も知らない姉の恋人を、心の底から恨んだ。それでもわたしはもう一度、「元気でね」と言って笑った。少し声が震えた涙声になったのが恥ずかしかった。姉はわたしの頭をいつもと同じように撫でて「ごめんねぇ」とあまりすまないと思っていない風に言った。
「あんたはとびきり可愛いからね、これから先も、誰からも愛されるよ。私が言うんだから、間違いないよ」
わたしは布団にもぐったまま、声を殺して思わず泣いてしまった。わたしは可愛くないし、誰からも愛されるなんてわけはないのに、飛び立つ姉は無責任にそんなことを言ってわたしの頭をただただ撫でていた。酷い女だ。同時に、この人が世界で一番幸せになったらいいなと思ったし、できたらこの人が世界で一番幸せになるのを、隣で見ていたかったなとも思った。勿論、もう過ぎた願いだ。
姉は駆け落ちをしたわけではなく、きちんと両親には話をつけていて、わたしに報告をした翌日、家を出た。そして確かその三ヶ月後くらいに、日本を出て行った。最後に空港で見た姉の恋人は思っていたよりもずっと普通の、しっかりしたお兄さんという感じの人で、わたしは少し安心した。姉が飛行機に乗る前、二人で抱き合ってわんわん泣いた。ようやく泣き止んだところで姉は「あんたにあげる」と言って、大好きだった外国のモデルの女の子の切り抜きを沢山くれた。「この子、あんたに似てるから好きだったんだ」と姉は言ったけど、何回眺めても、やっぱりわたしには似ていなかった。それでもその言葉は嬉しくて、大切で、わたしはその切り抜きの入ったファイルを有り難く受け取った。
あれからもう随分経って、初めはこまめに届いていた姉からの便りも、今では年に一度、元旦の頃に届くだけになった。今でもあの恋人と一緒のようで、手紙には腹が立つほど仲の良さそうな二人の写真が同封されている。遠くに行ったとはいえ、今の時代、帰って来られない距離とも思わない。帰って来たらいいのに、と思う。とはいえ姉はあの時も思った通り、あの家には戻らないだろうなとも思っている。
わたしは、姉のお告げ通り誰からも愛されたというわけではないが、それなりに人の愛を受けて、人並みに成長した。きちんと独り立ちをして、今は都内の会社員だ。大企業ではないが、そこそこの収入と、有給をきちんと消化できる環境を手にしている。姉が会いに来てくれないのなら、わたしが会いに行ったって良いだろう。もうそのくらい、お互い良い歳になった。あの頃はまだスマホが普及していなかった。あと一年ばかし我慢しておけば、ちょうど普及していた頃だった。姉も流石に今は手にしていることだろう。SNSのIDなんかをしっかりと聞いて帰ってこよう。必ず、そうしようと考えている。
姉の誕生日は冬と春の境の、曖昧で美しい季節の只中だ。姉のそうした偶然のような美しささえ好きだったなぁと思う。好きだったのだ。なので、ちょうどその頃、きっと姉のもとを訪ねてみようと決めた。すっかり冷めてしまったコーヒーの匂いを嗅ぎながら、そんなことを考えた朝だった。
追(11/11) あんな時間に書いたのにこんなにたくさんブクマがついててびっくりしました。普段は夜中か夜明けに疲れたとかしか書いてないので姉のこと書いたのは初めてですが、こんなに伸びたのも初めてです。コメント返すのとかは面倒なのでしないですけど、わたしは本当にただのしがないアラサー会社員ですし、匿名である以上そんなの嘘かもしれないですし、創作だと思う方はそう読んでいただければと思います。褒めて下さった方も、色々と評価下さった方も、こんな長くてヤマもオチもない文章を読んで下さってありがとうございます。コーヒーの煙は自分でも笑いました。小説家でもないので、許してやって下さい。
高校からの付き合いの友達がいて、私達も気づけばアラサーなので、もう10年以上の付き合いになる。
出会いは文化系の部活で、この仲間を中心とした友達のグループは今でも年数回飲んだり旅行に行ったりしているし、メンバーの結婚式にも招待し合う(私のときも)ので、まあまあ良い関係を持続していると思っている。
ここ数年だと、よく集るのは私含めた3人ぐらいが中心。美術館や博物館、ちょっと素敵な店など興味が共通しそうなものを見つけると他の2人をよく誘ったし、旅行の後は楽しくて「おばあちゃんになっても一緒に旅行に行こうね」なんて言い合ってた。
その雲行きが怪しくなってきたのはここ1年程。
よく会う3人衆のうちの一人、Aに疲れてしまったのだ。
彼女は自分の話が多い。家の愚痴(毒親持ち)、職場の愚痴、職場でいかに自分が活躍しているか。職場の業務プロセス(超興味ない)を微に入り細に入り話してくれる。
彼女は他人の話を聞かない。他人の話に相槌も質問もしないし、最近はずっとスマホでゲームしている。
彼女は協力しない。旅行先では友人同士で「あそこ行きたい」「何に乗ってく?」「あれ食べたい」とか相談したり調べたりすると思うが、彼女はしない。我々はツアコン状態。
彼女はダサい。ユニクロなのは全然オッケーだけど、服に穴が空いてたり、旅行先では複数日同じ服だったりするので(まじかよ)となるときがある。
彼女は常識がない。例えば私の結婚式の時、(特定されそうだから詳細はぼかすが事前に回避できる理由で)ほとんどの時間行方をくらましていた。
上記のことが悪化してきたのはここ1年程で、それでも、結構ニッチな趣味が合うっていう部分とか、上記の彼女の嫌なところの大半は親の影響(というか押さえつけ)の所為だと分かっていたので、実家を脱出することで改善が見込まれると思っていた部分があった。
あと単純に、Aには私達しか友達がいないので見捨てるのは気分が悪いという理由もあった。こういう難しい子なので、大学時代の友達とかもいない。
他の友人とも「我々は長い目で付き合っていきましょうよ」なんて結論に達していたのだ。
ここからが本題。先週、私がとうとうAと友達を辞める決心をした出来事についてだ。
出来事としてはとてもどうでも良いことだった。
その日は地方に就職した子が帰省するということで、久しぶりにほぼフルメンバーで集まることになった。
段取りをするうちに11月はAの誕生日だと気がついて、ちょっと早いけどケーキを用意することにした。
前日には銀座の三越で美味しいチョコレートをプレゼントとして用意した。このチョコレート屋さんは私の夫が結婚記念日に買ってきてくれたところで、美味しいしパッケージも可愛いのであげるのが楽しみだった。
伊東屋でメッセージカードを選んで、動物好きの彼女が後で飾っても楽しめるような絵柄を用意した。
当日プレゼントを渡すと、彼女は(私のも他の人のも)プレゼントを袋から出すこともなくカバンにしまった。
それを見た瞬間は(えー、開けてみてよー!)とちょっとがっかりした程度。まあこういう時の振る舞いがよく分からないんだろうなー、喜んでくれると周りも嬉しいのになーとは思った。
私がプレゼントを開けてほしかった気持ちは、私が勝手に期待していただけのことで、期待が裏切られたから相手への好感度を下げるのって身勝手だよな!とか。
そうやって納得しかけた瞬間、ふと別の友達のことを考えた。次の週には別の友達の誕生会があって、そちらにもプレゼントを用意していたのだ。
そして、その子は絶対に、その場で開けてくれるし、自分が気にいるものでもそうでなくても喜んでくれるよな、と思った。プレゼントそのもの以上に、友達が気にかけてくれた気持ちとか労力とかに対して喜んでくれる。
それに気がついた瞬間、ちょっと泣けてきてしまって、Aとは友達を辞めなくちゃいけないと決心してしまった。
いままでどんなことをされても友達を辞めようとまで思わなかったので、プレゼントをその場で開封しなかったなんてことですっぱり辞めようと思ったことにびっくりした。
今後、Aが参加する会には参加しない。他の友達と会う機会が減るのは残念だけど、Aと付き合い続けることで減ってしまうものの方が大切だ。
前は怖くなかったんだけど。なんか現時点十全人生楽しめてない実感があるから。
俺頭悪いし、仕事もできないんだけど。
それでも都内で一人暮らしできてるし、十分恵まれてるとも思う。
あーあこんな歳になっても自分と他人を比べて苦しんでるのか。つまんないな。どうせどこまで言っても他人と比べたら大したことないのは変わらないのに。
例えば
ファイナルファンタジーなりドラゴンクエストの最新ナンバリングタイトルはわかるか?
こんな質問は
ゲームやアニメに興味がなくても15と11でオルフェンズとわかるはずだ
そんなことも知らない奴がいることがにわかには信じられないと感じる人すらいるだろう
でもそうじゃないんだ
世の中の人間は俺らの想像の10倍くらいアニメゲームに興味がない
例えば俺の職場(田舎の市役所)で最初の質問をすれば正答率は一割を切るだろう
子供がいないのにニンテンドースイッチを転売目的以外で欲しがる奴は筋金入りのコアゲーマーだ(転売目的で→転売目的以外でに訂正)
パソコンでゲームしていると言えば殆どの人にひたすらソリティアやマインスイーパーをしているのだと思われるだろう
最も、逆に彼らからすれば
「話題の恋ダンスが使われたドラマは何」という質問に皆目検討がつかない俺が
俺から見たドラゴンクエストの最新ナンバリングがわからない人間に見えるのだろう
みんながネットを「使うようになった」だけで
アラサーに突入してから若い子と話が合わなくなってしまった。年上の女性の方が楽しく話せる。
若い子ですげえ話せる子、もしくは年上でも見た目すごく若く見える人、どちらかを待ってる。あ、年上でも話がバカっぽい可能性もあるのか。
現在27歳。都内のOL。昨日で交際1年半を迎えた今の彼氏が本当に好きでびっくりしてる。
元彼が6人いる。美人ではないので学年1のイケメンの彼女なんかにはなれなかったけど、友達に紹介しても恥ずかしくないスペックの人と付き合っていた。友達に紹介しても恥ずかしくない、というのが重要で、逆に言えば、そのレベルなら誰でも良かった。自分に自信がないから、誰かに選ばれている証明がほしかった。"誰か"はxであり代入可能だった。
20代も半ばになると、みんな婚活を意識しだしてスペック重視はますます加速した。
私にも結婚願望があったが、半分くらいは「婚活とか頑張らなくてもそれなりのスペックの人と結婚できるんですよ私は」という見栄だった。婚活サイトへの登録や、アプリでのマッチングはしたくなかった。友達がしていても何も思わないけど自分がするのは無理だった。普通の女だと思っていたけど、私のプライドは鬼高いのだろうとその時気づいた。
んで、今の彼氏の話。会社の同僚で、付き合い始める半年前くらいに異動してきた。
見た目は普通。新宿を歩けば彼に似た人1000人くらいにすれちがいそう。周りを引っ張っていくタイプじゃないけど、意外にも皆をフォローして、要領よく仕事をこなしていくタイプ。私もかなり助けられて、そこからちょっと仲良くなった。平日にランチに行くようになり、デートに誘われたのでOKした(正直に言えばこの時は、彼氏と別れたばかりだったのもあり、誰でもいいからちやほやされたかったのもある)。
多分、昔からモテてきた人ではないんだと思う。初デートにスマートさはなかった。でも、「予約しとけばよかったです・・・」としょんぼりした顔はなんだか可愛かった。最初は「万が一告白とかされたらきまずいから、要所要所で恋愛対象じゃないですアピールいれとこ・・・」なんて高飛車なことを思っていたけど数回のデートでコロッと好きになったので自分でも呆れた。もう、超好き。1年経ったころからなお好きになった。
彼のいいところは沢山あって、優しいところ、約束を守ること、喜ばせようと(結果がイマイチでも、その努力を)してくれるところ、などなど本当にめちゃめちゃある。
はじめ、彼が何に対しても「何でもいいよ」と言うことにイライラしていたけど、それを伝えたらびっくりしていた。全部選ばせてあげた方が、私の思い通りになるので嬉しいだろうと思っていたらしい。それからはきちんと案をだしてくれるようになった。一度伝えれば、きちんと改善してくれること(当たり前のようで、できない人は多い。私も気をつけなければ・・・)もいいところ。
あと、彼と付き合って初めて気づいたんだけど、私は甘えただった。今までの彼氏にはしたいと思わなかった、バカみたいな甘え方を彼にしてしまう。
2人の時は、彼のことを「可愛い可愛いパグちゃん」と呼んでいる。ヤバイと思う。ちなみに私は「ふわふわマカロンちゃん」と呼ばれている。これもヤバイ。「抱っこして〜」「ぎゅーして〜」なんていう甘ったるい発言が録音されていて、万が一親兄弟同僚上司後輩などに聞かれたら死ぬ。
結婚したい、したいと思っていたけど、今の彼氏と付き合い始めてから、そこまで結婚に焦らなくなった。結婚という餌(ゴール?)なしでも彼と一緒にいたい。上に書いたような見栄もどうでもよくなった。あと私は、彼氏よ頼む幸せにしてくれ!!といつも考えていたけど、今の彼氏のことはめっちゃ幸せにしてあげたい。支えたい。彼の誕生日前には「彼氏 喜ばす」みたいなキーワードで何回も検索した(あまり参考にならなかったけど)。
彼が元気で、快適で、楽しく日々を過ごしてくれるといいなぁと思う。彼もそう思ってくれてることが伝わるから、コレ以上の幸せってあまりないかも?とアラサーになってから本当の恋愛(書いててちょっと恥ずかしい)を知った気分。彼との出会いがアプリだったら、そもそもマッチングしなかったかもしれない。私は年上の、年収700万円以上の男性を探しただろうし(ちなみに彼は同い年で、収入は私(600万)とそんなに変わらないと思う)。だから会社の同僚で良かったかも。
この度彼の転職が決まった。お祝いに焼肉を食べてる席で、結婚を視野に入れて一緒に暮らそうと言われた。やばいめっちゃ嬉しくてこんなに嬉しいと思わなかったからもうぴょんぴょん飛び跳ねてるので寝れない。結婚焦らなくなったと書いてたけど、嘘じゃないけどなんか本当死ぬほど嬉しくて万歳三唱したい。彼とずーーーっと一緒にいられる!!!!やばい。可愛い可愛いパグちゃんとの同棲生活絶対楽しい。