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俺はアラサーの男で、人に性的な目で見られることがたぶんほとんどない。なので人に性的な目で見られることが不快かどうかは、正直よくわからない。
ただ電車に乗ったある日、ふと気づくと露骨に顔を覗き込んでくるちょっと普通の雰囲気じゃない真顔の汚い人がいて心底ビビったことがある。そして俺が気づいて顔をそらした後も、俺が下りた後もずっと俺を見ていた。自意識過剰も承知の上でとにかくかなり気持ちが悪くて、…まあいいや、すぐ忘れるだろ!と思ったけど3年以上たった今も覚えている。
たぶん「人に見られる」ということや「人に見られていると感じる」ことは、それだけでわりとストレスになるんじゃないだろうか。知らない人ならなおさら。あまり人の視界に入らない同族の方にも是非想像を張り巡らしてみてほしい。
そしてそれが「性的」となると、ただ不気味なだけではなく、より現実的な危機を予感させるものになるのだ。
性的な目で見られたことをきっかけに直接身体的な危機・被害があったり、そういうエピソードを伝え聞くことによって、性的な目で見られる=危険で回避すべき=不快、という感情トリガーと結びついて回避しようとするのは生き物として合理的だ。「性的な目で見られることが不快」という根底にはきっとこういう経緯と感情が流れている。
(他にも「性的=いやらしい」みたいな洗脳的教育の影響があるのかもしれないけど、こっちは意味がわからない。いやらしいって何?)
ともあれ「性的な目で見られること」は危機を感知させるものであり、「常に性的な目で見られているかもしれないと感じること」はいうなれば危機感知センサーが常に警報を鳴らし続けるということでそれはたいそう疲れ滅入るというか、結果として「キモイ」「ムリ」という感情が表れるのもある意味正常だよな、と想像する。
そしてそれがまして14歳などという中二前後、ヒトの最も繊細で危なげで多感な時期に「危機感知センサー」を鳴らし続けるのはさぞかし辛かろう。自意識過剰で感情の行き場がなくなりやすくてべらぼうに傷つきやすい人達が「これはもしかして、自分のことでは…?」と悩んでしまうとしたら、それはなんだかかわいそうだと思うのだ。その後の価値観・考え方にも大きく影響するだろう。
だから、本人が特定されようがされまいが、「もしかしてこれって私のことだろうか、私は常にこんなふうに誰かから見られているのだろうか」と誰かを不安にさせることは、思いやりの心を持った人間としては、極力なくしていきたいというものだ。人の目に触れないところで楽しむなり、創作だと断言したり、やりようはあるはずだ。
ちなみにあの件、SNSで拡散すればするほど、創作物を目にして自分のこと?と不安になる人も増えるだろう。作者だけでなくシェアした方々は己の影響力を過不足なく見極めていただきたい。想像力と思いやりのある人間ならば。
とはいえ人が人を性的な目で見ること、とくに男性が女性を性的な目で見ることは避けられそうにない。なぜならその外見の性的魅力への感情がトリガーになって生殖してきたのがヒトだから。なので本当の本当は、性的な目で見られる→危険!→イヤ!!という感情の結びつきが、その原因となる事案がなくなるといいよね。ヒトがヒトに優しくなれるように、できることや抑止力はないかなぁ…。
ところで、性的な目で見られること、あるいは二次元として創作されることが「消費される」「モノ扱いされる」とはどういうことなのだろう。それは何がいけないのだろう。記事を読んで懸命に考えたが引き続きわからないままだ。
本来女性が望むセックスっていうのはお互いをリスペクトし合い、お互いが体を使って愛してると伝え、もっとあなたを感じたいと伝え合う行為なのですよ。握手→ハグ→セックスとい...
でっていう
そんなの誰が決めたの? 「本来」でいえば生殖を目的としたルールなしの本能行動に過ぎない 人間が例外なんて勝手な思い込みはやめていただきたい