はてなキーワード: ぼんやりとは
ああ、やっぱり凹む…。
自分の書いたものは、使いまわしのコピペの回答がふさわしいんだな、と。
たけど私は若くないし、その回答は私のぼやきのような駄文には微妙に合っていない。
年齢だけは初老だというのに、若い人向けの回答のコピペがふさわしいと思われるほどに浅いのだな。情けない。
コピペ回答にあった「あなたは素朴」というのが自分にも当てはまるのか、コピペだから合わない部分もあるだけなのか?
どんな意図でコピペしてくれたのかわからないから、「どこが素朴なのてすか?」とは訊けやしない。
「え、素朴とか書いてありましたっけ?前に見かけた回答を貼っただけですよ〜」とかだったら恥ずかしすぎる。
「ええ、素朴ですね。批判してる訳じゃないし、年をとっても素朴な人は素朴ですよ」とかだったらもっと情けない。
素朴とセットになるべき善良さがないのに…。
物語の中には、そういう登場人物も出てくるし、ぼんやりと生きている人がいるのは見聞きしたことがある。
そうはなりたくないと思っていたけれど、…いつかは成熟した人に「あなたはこっち側ではないんですよ」と言われないようになりたかったけれど…
はー、凹むわ…
今日も朝からカンカン照りで、別に空にどれだけ雲があるか確かめたわけではないがイメージとしては「雲ひとつない青空」が広がっていた。
…はずなのに、お昼過ぎ、小さく「ごおっ」と聞こえた気がする。いや、聞き捨てていたのだが2回目の「ごおっ」でさっきも聞こえていたと認識する。
遠くの雷鳴だ。
まだ空にはたいして雲はないが、変な風が吹いているようないないような…。
夕立ちになったら嫌だな。と考えるとフラグが立ってしまうじゃないか。早く駅につかなくては…新しい靴なんだから…などと焦るほどフラグが立っていく。
駅に着き、電車に乗ったところで一天俄かにかき曇り、雷鳴とどろきボツボツッと大粒の雨が動き始めた列車の窓にぶち当たる。ガラスに斜めの水の線がたくさんできる。
窓は換気のために開けてあった。しかし開口部が10センチくらいの狭さなのと風向きのためか、車内にはあまり雨が降り込んでは来なかった。
線路沿いの道路はあっという間に濡れた黒っぽい色になり、土砂降りの雨が跳ね返って煙る。夕方のように陽はかげり、幾重もの雨の幕越しに向こうの建物がぼんやりと見える。
ついに30歳になった、なってしまった
20代を週3、4日程度のアルバイトやパートばかりで履歴書に書ける職歴は白紙、特技も趣味も志望動機も全部白紙、なんにもない女と、相成ってしまったのだ
18のころだろうか、急激に足腰の悪くなった母の介護で過ごして恋人もいない
まるで親の介護をしていたせいかという言い方だが親のせいだけではない
勿論30歳にして処女だし異性と手を繋いだ経験すら数えるほどしかない
交際経験は、続いたとして3ヶ月、セックスまですらも行かずに終わった物ばかりなので交際経験なしと言った方が早いだろう
おまけにコロナの関係で仕事をクビになって無職の引きこもり、やることといったら炊事洗濯家事くらいの物でなににもならない
とことんまでクズなのだが、せめて私が20代も前半ならよかった、まだ若いから許された
外に出ないから異性との出会いは完全にゼロだし(これは言い訳だ、どんな状況であれ出会う人は出会っている、)、こうなる前から異性に食事に誘われてもなにを話せばいいのか解らず結局どうにもならなかった
相手に不愉快な思いさせてしまったのだと言うことだけは理解できた、次もまたという世辞が恥ずかしくてみっともなかった
親はコロナが落ち着くまで外にでるのも怖いから、と仕事探しはゆっくりしたらいいと甘やかしてくる
家にいてじっくり面倒を見て貰えるのがうれしいと世辞を言ってくれる
暑くても雨でも寒くても足は痛む、リハビリに付き添いながら、関連書籍を読み込んだが
結局年齢によるもので根本的解決はないとばかりがかかれていた、あえていうなら筋肉をつけることだとわかった
私には実兄がいる、忙しく飛び回っているのでなかなか顔を合わせることは出来ない。それでも出来うる限りは安否確認の連絡をくれている
忙しい中で時間をとってくれて大変ではないだろうか、余り無理をしていなければいいがと思っても私に出来ることはなにもないのだ
そんな兄もまた、今は私家にいて母の面倒を見て貰える方が有り難いと世辞をくれる
それがいけない、甘やかされると甘えてしまう、元来甘やかされれば増長して驕る女なのだけれど
流石に今回ばかりはゆっくりしていていい年齢ではないのことは理解できる
自分は別に人間は恋愛をして結婚しない事を否と論じたいわけじゃなくて、
事実として、もしかして自分は所謂人を愛せない女のではないかと調べてみたことがあった
(あまりにも細分化されており本だけでは解らなかったがそういった人たちのいるお店には人生で立ち入ったことがないので少々怖じ気づいてしまい足を踏み入れることが出来ず、結局よく解らなかった)
それならそれで一人でも生きられるように自立して生きる道を見つけないといけないと思っているわけで
というか、だけどそもそも前提として自立すら出来ていない人間が他者と生きるなんてもっと無理があるんじゃ、と余談だが色々と考えてしまう
私も恋人とまでは言わなくとも会話できる異性くらいはほしいと思っている
だけれど恋愛偏差値のあまりにも低い私は異性と話すとイコール恋愛に直結してしまう
これはいけない、相手に迷惑だ、とそこまで思ったがそもそも今は会話する相手すらいないのだった
それに、いざとなるとなにを話せばいいか解らなくて、会話が終われば酷く疲れて気持ち悪くなってしまう
人と話すと疲れるものなのは当たり前だとは思うけれど、これではどうにも恋愛に発展しようにない
友愛は解る、友人と遊びに行くのは大好きだ
それでも終わって帰れば疲れが出てしまう
その上恋愛としてデートという名目がつくとなにもわからず気持ちが悪くなってしまう、比喩ではなく、戻してしまうのだ(汚い表現になってしまい申し訳ありません)
あまりにも相手に迷惑だと気がついてから、誘われても余りに乗らないようにして今となってはお誘いはゼロで
閑話休題、とくとくと私のどうにもならない恋愛に関して吐露してみたが差し当たっての問題は恋愛よりも仕事だ、お金が必要だ
それは少し寂しいかもしれないけれど生きることは出来る
だけどお金は直接的だ
いまは、みっとももなくも貯金と親の金で何とかなっているけれどかこれからどうする
私にはなにもない、才能もなく、なにも特技がなく、性格もよくなく、粗忽でドジで、人に好かれるタイプではなくそれでいて不真面目だ
親は、恐らく余程のことがない限り私よりも先にいなくなる
いっそ順序が逆であればよいのにと言うのは余りにも身勝手な親不孝だろう
一人、初めて自立しなければならなくなるとき、必ず遠くはないいつかやってくるその時
その時に私に残された者は親の遺産の家が一つと、職歴一つなく自分一人で稼ぐことも出来ない女なのだ
兄に頼る? 忙しくも飛び回って、それでも常にこちらに気を配っている兄弟に迷惑をかけられる筈がない
子供の頃から色々とあった我が家のせいで結婚すら出来ていない兄にこれ以上の迷惑をかけるわけには行かない
私には、認めたくないけれど血縁上姉と呼ぶべき女性がいる、ちなみに父とは数年前数十年ぶりに事故にあったとかで緊急治療室で顔を見てから一度も会っていないが生きてはいると思う
姉は、今生活保護を貰って生きている
親を謗り、兄弟を羨み、自分一人で生きていくと行って夜逃げした姉は今どうしようもなくて、行政を頼って、生きている
それは別に悪いことではない、どうしようもないとき行政を頼るのは国民として正しい姿勢だ
だけどどうしようもなく、私は姉と呼ぶべきその女に自分の未来を重ねてならない
これは完全に私が姉への恨みの色眼鏡で見てしまっていることだって理解している
書きたいことを書いて、羅列も言葉もめちゃくちゃできっと読みづらいことこの上なくて申し訳ない
私には文章を書く才能すらないのだ。なにも特技も才能も継続する力すらもないまま、30歳だ、ハッピーバースデートューミーだ
日々、明日も生きているという事に恐怖する
電車に乗りたい、正しくは乗りたくない
電車を見逃して、見逃して、ぼんやりと過ごして誰も自分も見ていない
雑踏の中でただ一人何時間も何時間も過ぎていく電車を眺めたいと思ったのは、恐らく思い出が美化されているからだ
結局あの時は帰路の電車に乗り込んでいつも通りにただいまといった
あのときはそれが正解なんだと思うと、言った
体調不良はもちろん即報告、そしてすぐ院内でできるPCR検査を受けさせられる体制ができています。
職員には「食事会の自粛」「流行地への渡航の自粛」が求められている状態。
実際にどの程度守られているのかはわかりません。
幸い徒歩圏にスーパーやドラッグストアがあるから、日常の買い物はできます。
「配達員の苦労を考えて云々」というネット上の意見を読んで以来、ネット通販を使うのも気が引けてしまっています。
感染者が落ち着いていた6月に美容院に行ったけれど、その後は怖くて行けていません。
「そういうお仕事だからね、寂しいけどね」と言ってくれるのはありがたいことです。
公共交通機関を使わず、できるだけ家で仕事をして本人なりに気をつかっているようだけど
万が一どちらかが感染しているときに会って…と思うと会うのはためらってしまう状態です。
どれだけ「今」相手の体調が万全でも、明日には発熱しているかもしれなくて、そうすると「今日会った私」は
濃厚接触者になってしまうのがとっても怖いです。逆もまたしかりです。
けれどこの3つから外れた人と会うのはどこまで許されているのだろう。
私が誰かに会ってそこで感染して、職場から「同居家族以外との接触禁止」なんて通達が出たらどうしたらいいんだろう。
(実際に世の中にそういう病院はあるらしい)
自分が感染して身体的に受けるダメージよりも、世間の目や職場からの締め付けが怖くて仕方がない。
このご時世に仕事があって、定額のお給料が振り込まれるだけとても私は幸せな境遇です。
しかし数ヶ月はもっても、これが年単位で続くのかと思うと気が狂いそうになります。
ぼんやりとした不安、恐怖がずっと渦巻いているからか、早朝覚醒と喉のつかえ感がとれなくなりました。
「医療従事者として節度ある行動」は、一体どのようなものですか?
何が正しい行動で、どういったことなら許されているのですか?
(追記)
職場と家の往復は徒歩です。もう1ヶ月以上公共交通機関は使っていません。
酷暑の中、1時間以上かけて電車で通ってくる人たちよりはるかに恵まれています。
30過ぎても、推しの舞台やファンイベのために、チケット代より高い交通費を払って上京する。
…いや、していた。
新型コロナ、というものが中国で流行り始めた、日本に入ってくるのも時間の問題だ、という程度のぼんやりとした情報しかなかった頃、推しの舞台に行けなくなったTwitterのフォロワーさんからチケットを買い取り、追い観劇などしていた。
あと2公演見られるぞ、次はオペラグラスで推しだけを追うか、などと考えていたところ、
その公演は千秋楽を迎えることなく中断、そのまま打ち切られた。
私の手元には、2枚のチケットが残り、そして所定の手続きを踏んで払い戻した。
複雑な気持ちだった。
ぼんやりしているうちに、推しもリモートイベントや映像配信などをやり始めた。
それにももちろん参加した。自分用に、バカみたいにスクショした。顔がいい。
けれどなんだろう。このぽっかりと心に空いた穴は。
某イケメン人狼の直前、少しずつ、対策をしながら舞台を再開する動きが出てきていた。政府の、イベントの人数も緩和されたし。
でもそれも、某イケメン人狼の件でぐちゃぐちゃになった。シアターモリエールは完全に巻き込まれ事故だったと思う。いや、詳しいこと知らんけど。
私は、7月から始まる次の舞台に行く気満々だった。FC先行で取っていたチケットは一度払い戻しになり、客席の数を絞って、ほぼ倍値になったチケットを、もう一度抽選かけて一枚確保していた。
やっと舞台が見られる。
劇場に直行直帰、余計な寄り道はしない。都内で食事もしない、など、思いつく限りの自衛をして行くつもりだった。
しかし、日に日に東京で増えていく感染者。認めたくないが、第2波としか言いようがない。さすがの私も怯んできた。
「事前登録制」になったのだ。
誰か、いつ、どの席で観たか控えられるのだ。
それまで私が想定していた『自分が感染するかしないか』の2択が、『カンパニー、スタッフ、そして同じ日に観劇した客と一蓮托生になる』ことが確定した。発症者が出れば、濃厚接触者としてリストアップされて保健所に情報が行く。
地方遠征組の私にとって、「社会的な死」(大げさに表現したが、このご時世に東京に遊びに行った、なんて田舎で知られたらどんなことになるか…)を迎えるリスクが光の速さで上がりやがった。これはもう無理だ。はい詰みー。
ちなみに、公式としては素晴らしいリスクマネジメントだと思う。今回は、主催が大手なので、そこまで手を打ったのだろう。
ここまですることは、大変だろうに。
もう、しばらく生で推しを見ることは叶わないんだな、と半ば諦めのように思う。
もし私が23区住みなら、行っただろうか。いや、働いてたらやっぱり劇場には行けない。
Twitterのオタク仲間たちと、「早くまた現場でお会いしたいですね」などと言っていた。いつか、ワクチンとか薬が実用化されれば。それまでの辛抱だと思った。
「推し、ちゃんとごはん食べてますかねww」なんて言いながら。
そしたら、三浦春馬が亡くなった。
「…は?」
しか出なかった。意味がわからない。え、ドラマやるっしょ?NHKのレギュラーもあるっしょ?え、キンキーブーツ再演あるなら観たかったんだけど。
本当に、その人たちには、とにかく生きろ、としか言えない。
男女問わず、アイドルを推してると大体引退したり結婚したり干されたりたまに逮捕されたりする。
我々もまた、ライフステージによっては、推しより優先しなければならないものを抱える可能性もある。現場に行けない時期だってある。それでも、ファンである気持ちは変わらない。推しがいるだけで、人生は明るくなる。
仮定してもいなかった。
私たちオタクが、推しに生かされていることは、奇跡なのかもしれない。
推しにだって心がある。キラキラした面だけでなく、一人の人間であることに変わりはない。
そもそも、明日、私が交通事故で死ぬことだってある。(パソコンはHDごと叩き壊してください。グッズは、Twitterのフォロワーに形見分けしてくださいよろしくお願いします)
今はこの言葉が、尊く、そして、重い。
乱文失礼しました。
普段は楽しめていたはずの動画鑑賞、Netflix、Twitter、ゲームなどもすぐに頭がぼんやりしてきて集中が続かない。
人と通話などする機会があるとその時だけは元気で楽しくなれるが、通話を切った後にドーンと虚しい気持ちに襲われる。
なんかやばいかなと思って、でも会える人もいないしとりあえずめっちゃ歩いてみることにした。
熱中症だけは気をつけねばと思い帽子や水は用意して家を出発する。
06:30くらいに家を出た。既に太陽はまぶしくて目につくものがやけにくっきりして見える。
歩きながらいろんなものが見えた。
古い団地のベランダに見える室外機は早朝からうなりをあげていた。
60代くらいだろうか、日焼けしたグラサンおじさんが黙々と走ってる姿は素敵だけど同時に少し切ない気持ちになった。
そんなんでゴールはできないぞと叱られてしょんぼりする少年の目線は白い花に向けられていた。
ずいぶん平べったくなった信号機はなんだか威圧感がなくて、もっとごつくていいのではと思った。
乱反射するペットボトル、謎の生き物の鳴き声、遠くで聞こえるなにかの番号を読み上げる声。
様々な現象が周りに溢れかえってるように感じた。俺はなにかキメているんだろうか?妙に明確で華やかだ。
一番良かったのは凸凹の砂利道を歩いた時だった。
舗装された道と違って、歩くことそのものに気を配る必要がある。
それまで歩きながら周囲のいろんなものに気を取られていたのが、足元にフォーカスが移る。
なんとも心地よかった。足の裏で形を感じるのっていいなと思った。
うまく表現できなくてもどかしいのだがコケかけて咄嗟に足が出た時のようなハッとする感覚、あれの小さいのが1歩ずつにあった。
家に帰ってからも穏やかな気分でいられている。
いつもある焦燥感が薄れているのがわかる。
なにが良かったのかよくわからないが(単に運動するだけではなかなかこうなってくれないので)
もう少し効果を確かめるために条件を変えてまた歩いてみようと思う。
学生時代の友人がよく「時々自然の中にいかないと気が狂いそうになる」と言っていたのを思い出した。
まあそんなもんなのかもしれない。
Vtuberをやっている。
もし仮に今この瞬間に活動を停止したとしても向こう5年は生きていける。
だから自分の動画と配信を見に来てくれる人、スパチャを投げてくれる人には嘘偽りなく感謝の気持ちがある。
その人たちがいなければ収入には繋がらなくなり仕事とは呼べなくなるから。
自分の能力・嗜好にマッチした仕事をいただけることに感謝してもし切れない。
見つけてくれたからには配信者としての矜持を見せなくてはならないと思っている。
色々企画を練ってはいるものの、GOサインが出ずに実現に至らないものがたくさんあるがそれでも誰かを楽しませることを常に工夫するように心がけている。
ただ、この業界の、というよりはこの国の、ひょっとしたら人類規模かもしれないがこの業界の基本構造はとても残酷だなと同時に感じている。
それがタイトル。
著名イラストレーターが描いたヌルヌル動くLive2Dで女の声で喋るだけでこんなに自分のことを好きになってくれる人がいるという事実が、嬉しいけども困惑している。
楽器が弾けるとかの特技も何もなく、雑談も歌もゲームも別にうまくもないのに、言動は全肯定される。ファンアートもたくさん描いてくれる。勿論アンチもたくさんいるけど。
大手事務所を除いて男だとまずそれだけで活動ハードルが上がるんだな、女だとまずそれだけで活動ハードルが下がるんだなと思った。
どっちかがフラットで標準なのではなく、性別により大きな差がある。これはリスナーの性別比がそうなっているからだと思う。
女のファンもいるけど、怪文書、男根画像、LINE IDを一方的に送られるなどが日常茶飯事だと男のファンが圧倒的に多数なのだろうと思う。
私は自分を偽ることが出来ないので配信は「誰かの悪口は言わない」ということだけに注意を払って、それ以外は何も考えずに思ったことをそのまま口にしている。
だが、いい意味でも悪い意味でも配信中と配信外とで人格がまるで違う人もいる。
配信中は底抜けに明るくてアホなことを言ってリスナーからツッコまれ続ける人が、配信外では冷静に物事を分析するとても頭のいい人だというのを目の当たりにした時の衝撃は大きい。
テレビの中でしか見たことがない芸能人のオフの姿を直接目にした時の感覚に似ている。
それはそういうキャラクターを売っているからだと芸能人に例えて漸く納得がいった。
良い悪いの話ではなくその人はそういうキャラクターを売りにするという選択をしたという単なる事実の話。
私には出来ないがその人は出来ると判断してその方向に進んだのだから、そういう意味でも尊敬している。
タイトルの「アホな女」は流石に言い過ぎとは思ったが、隙のある女だったら男は守りたくなる、それがこの業界のビジネスの基本構造なんだろうなと思った。
私は突出した能力はないけど仕事を与えてくれる存在として誠実にファンに向き合っているつもり。
それでファンがいてくれるのはありがたい。けど、もし私が男だったらこんなにファンはつかなかっただろうなという恐ろしさも同時に感じる。
男女平等にしろとかなれとか言うつもりはないけど、実態がこんなに残酷だというのは恐ろしい。
今の所その様子はなさそうだけど、ジャニーズがタレント・ユニットごとにyoutube配信をし始めたら勢力が変わるのかなあ、なんてぼんやり考えている。
背もたれにはバスタオルが2枚、だらしなく引っ掛けてある。
白いのと紺色のだ。
白いバスタオルは元はベージュだったのが消えそうなチェック柄から分かる。
紺色のはいかにも安物のようで、向こう側が透けて見えそうなくらい薄い。
どちらもゴワゴワでこれで体を拭いたら擦れて痛そうな、却って気持ち良さそうな固さ具合だ。
乾いているのだからたたむべきか、誰かが使ったのだろうから洗濯してから仕舞うべきか。
暑いから今から洗っても日付けが変わる頃には乾きそうだ。しかし洗濯機の音は近所迷惑になるだろうか?このアパートの防音がどの程度のものかはわからないが、やめておいた方がよさそうだ。
などとぼんやり考えながら、アマプラで何の映画を見ようか、さっきから延々とスクロールしている。
氷水が飲みたい。
似たような指摘してる人がいるけど、フリーになるってアルバイトみたいに「入りたいときに入る」って感じじゃないからね?
期日も納期もあってそこは自己管理だから、「妊娠したので納入が遅れます」なんてことは当然許されないし、途中止めにするなら引継ぎ資料も全部自分で作る必要がある。
まぁ、バイトみたいな仕事もあるけど、だれでも良い仕事だからバイトに色付けたくらいの金しか出ないよ。んで全部自己責任だし。
これはさんざん言われてるけど、経費処理とかも基本自分だし、勉強する方向性も全部自分で決めなきゃいけない、その辺の事出来る自信あるの?
「好きな仕事が出来そう」「時間が自由そう」くらいの認識でフリーランス選ぶなら、もうちょっと考えた方が良いよ。
育休に関しては、企業は実績が欲しい段階だからある程度でかい会社に入ったら普通にとらせて貰えるだろうし、そういうところは勉強することに対してサポートもしてくれる。
自分がやりたいことや求める条件と合致する会社があるかを調べてからでも遅くないし、ぼんやりwebデザイナーくらいならいくらでも会社はある。
・ほろよい
・ピザポ
・唐揚げ
あとなんかオススメ教えろ
ーー追き
今帰ホテルして飲んでる
以下買ったもの
・唐揚げ棒
・ナナチキ
・われせん
・ナトリ薫製三種
しめて3000円。
自粛コロナテレワーク実家暮らし介護で突発的に家出しちゃった28のOLわよ。ビジホ生活3日目わよ。家出、人生初ですわ。ビジホも人生初ですの!ガイジの弟の顔面をぶん殴ってしまいましたの!これも人生初ですわ!
ホテルは3千円、7割引はコロナのお陰ですわ!何故かキングサイズのベットがありますの!ひとりで寝そべるのですわ!実家は布団だから楽しいですわ!コンビニで好きなもの全部買いましたの!ピザポテトはお取り扱いしていないようでしたけど。まあ庶民の店だから仕方ないですわ!ちなみにお夕食は人生初の1人ラーメンでしたのよ!趣味はストレス解消の過食ですの!こればっかりは辞められねえ!ですわ!
普段お酒は飲まないから半分以上残して酔っ払いですの。今は肩上げポテトを摘んでおーいお茶を飲んでますのよ。ペットボトルのおっきいお茶が好きなのよ。無限に飲めるの!黒胡椒ベーコン、めっちゃベーコン!美味しい!
家に帰りたくないですわ!でもお金がどんどんなくなりますのよ!
ー追追記
ついにビジホを出ましたのよ!このままじゃダメなんてことわかってるのですわ!朝一で暑い中バスを乗り継いで家の前まで来たのですけれど、足が重くてお家に入れなかったのよ!だから街中に戻って各停の電車に乗ってぼんやりですのよ!もう県外にいますの!10万円使ってgo toですわ!
車内は涼しくてガラガラで快適ですわよ!ボックスシート大好き!ですわ!独り占めの時限定ですけれど!
高3の夏、高校から海まで乗り過ごして夏季補習をサボりましたら職陰湿に呼び出されてその日の担当教科を含めて10人に謝罪参りをさせられたのを思い出しましたのよ!何をしても嫌なことを思い出し発狂わ!
駅を出るときに久しぶりに文庫本を買って見たのですけれど全然読めないのですわ!
朝ご飯はセブンのぶっかけうどんでしたの!駅のベンチですすりましたのよ!天かすと麺つゆの組み合わせが大好き!コラボレーションですわ!半熟卵みたいなやつは凄いですわ!技術わね!セブンは割高クソクソクソチェーンの癖に美味しいから悔しいですわ!店に入るとバイトのトラウマがフラバしますの!しねしねしねっ!ですわっ!
ガイジの弟はパワー系池沼とも言うやつですわ!大事な弟ですの!他人が見たら気持ち悪いでしょうけど結構可愛いところもありますのよ!でも家に帰ってくるなりちんこ弄り、精子のついた手で近寄られると泣きたくなりますわ!やっぱきもい!のしかかられると色々な危機を感じてきついですわ!弟はきっと悪くないのですわ!まともな療育につながらなかった期間が長すぎるのですわ!クソガイジ死ね!って言ったのは悪かったですわ!自分でもこんな言葉がでる自分にびっくりしましたの!殴ったのは知りませんわ!こちとらいつもアザだらけですわよ!
弟の面倒を見るのはいいのですわ!いいのですけれど今は嫌なのですわ!20代ももう終盤なのですわ!普段はカロリー気にしてますのよ!乙女ですもの!でも彼氏なんかもう10年居ませんの!なんのためとか考えると泣きたくなりますわ!電車で涙目ですわ!
そういえば年甲斐もなく駅ビルでショーパンを買いましたのよ!身軽で気ままな感じが気に入りましたの!服はビジホに洗濯機があったのですけど、ムカついたから捨ててきましたわ!でも膝の青タンが馬鹿みたいで嫌になりますわ!
クソ暑いからアバンチュールしてみたいですわね!汗だくでラブホにもつれ込んでクーラーガンガンかけちゃうのが素敵ですわ!背がすごく高いと興奮しますわ!夏は筋肉質な人がいいわね!とか言っちゃいますのよ!火遊びでコロナなんか貰ったらクソゴミ肥溜田舎に帰れなくなっちゃいますけれど!それもいいかななんて自暴自棄になってみたいですわ!出来たらこうはなってないでしょうね!一度ぐらい全部捨ててみたいですわ!それで一晩寝た男の子供を産むのはどうかしら!こんな城から出て行く切符になったらいいのにですわ!赤ちゃんはだいすきなの!
最近母性を持て余してつらいですわ!性欲なんかよりよっぽどやばいのですわ!おかあさんといっしょの子供が踊ってるのを見ると何かが溢れて感極まって泣きそうになるのよ!気持ち悪い独身わよ!あの保育園の乳母車から1人ひょいとわたしのものにしてしまいたいわ!やばいこと言ってしまいましたわ!でも一生抱きしめてられるぐらいかわいいのよ!なんであんなにかわいいの!
JRをぐるっと回って帰りますわ!正直もう連泊する元気はない三十路手前なのよ!でも心が回復しても家に近づくと歩けなくなりますのよ!実家と同じ家族構成の子連れがそばに来たのも心を削りますわ!そろそろ一旦降りてラーメン屋さんを探すのですわ!一度ハマると続けて食べちゃうのよ!バリカタで味卵と餃子をつけるのが良いと思いますの!味卵を作った人は天才ね!海苔はコスパとか思っちゃうからつけられないのですわ!スープにひたひたの海苔はおいしいですわね!こんな日だからノリ三枚に100円払うのぐらいいいかもしれませんわ!
語り部となった老人はまだ子供だった当時、パーマを掛けた女性に石を投げはやしたてたそうだ。
それが許される時代だった。それでもこっそりと「闇パーマ」をかける女性はあとをたたなかった。
その記事を読んで、なんだか心が落ち着かなかった。
7月頭からリモートワークを再開して、そのまま夏休みに入った。
夏休みといっても旅行に行くわけでもないしネット配信のドラマをみるくらいしかすることもない。
なんだかくさくさして近場にある新しくオープンしたカフェに行ってみた。
朝なら空いてるかと思って早起きして行ったのだが、役所が近いせいか、道中思いの外たくさんの通勤者とすれ違った。
その人たちをぼんやり眺めながら、別にこの人たちは私に害を与えるために働いているわけではないのだなと思った。
通勤している人たちはコロナを蔓延させて私に感染させるために働いているわけではないし、家にいて自粛している人たちは私を守るために自粛しているわけではない。
テレビのニュースでは海水浴場でスキーのマスクみたいのをかぶった人たちが取材に答えて「このマスクをかぶっていれば安心です」と言っていて、バカなんじゃないかと思った。
まああの人たちはバカなのかもしれないけど、すべての人がバカなわけではない。
コロナが心配で、感染してしまったらどうしよう、嫌だなあと思いながら通勤している。それが自分の生活だから。
なんだかんだ言われながら夜も営業している飲み屋の店長とかもそんな感じなんだろう。
友人は5月の緊急事態宣言の始まる前に、感染が怖いからと自ら職場を辞めてしまった。
それ以来、ずっと家にこもったまま、週2回スーパーに買い物に行くだけの生活を続けている。
家族が協力的でないと腹を立て、自粛しない世間に腹を立て、情報が操作されていると腹を立て、ネットで情報を検索しては怯えている。
何が正しいのかなんて、80年くらいたった後にわかるんだろうな。当時の人々はなんて愚かだったんだって、未来の誰かが笑うんだろう。
まあその頃まで人類が生き延びていればの話だけど。
口ひげというかうぶ毛か
小6の時クラスの割と可愛い女子がビン牛乳飲んでたのを何となく見てて
そしたら牛乳の飲み跡が口周りのうぶ毛にくっついてるのに気付いて
それ以来すっかり忘れてたけど、今日牛乳を飲んでる時にふと思い出した
いい年して女の口元じっと見てたら気持ち悪がられるし
女って口ひげ…じゃなく口のうぶ毛生えてるのが標準なのか?
昨日、千日参りに行ってきた。
コロナもあり、出店もなく大盛況とまではいかないものの入れ替わり立ち替わり人が来て、決して都会ではないたまにいっても静かな空間の寺がかなりの賑わいを見せていた。
いや、だってすごい。一日参れば「四千六百日のお参り」と同等の価値がある、とかもうサ終するソシャゲも真っ青のサービスっぷり。だって四千六百日って126年毎日かかさず365日毎日参ったのと同じ分ってことになるんだよ。私は中学生の時も一回千日参りに行ってるから倍ですよ。252年?分ですよ。
一体どうしてこんなことになってんだろうかって参拝待ちしながらぼんやり妄想しちゃう。
ここからはもう本当にただの妄想の垂れ流しで独り言みたいなもんなんだけども、
もしかして、こうやって押し掛けることでサマーウォーズみたいに一種のサーバー落ちさせて、バグ起こしてんのかなぁとか。
パチンコのサービス日みたいにやっぱりご利益の倍率?を操作して、実質200日程度と同等レベル、とかだったら面白いな~とか。
もし私が死んで、閻魔さまの前で最後の審判を受けるとき千日参り二回も行ったんだよ、功徳は結構積んでるよ、ってアピールしたとき、閻魔さまのスタッフみたいな人に「あー……千日参りはね、そこまで功徳の功績にはならないように500年ほど前に変わったんですよ~ 不公平って意見もありますし、まずあのイベント自体がちょっと公式との見解が違いまして……」とか説明されたりして。
そこで泣きつく人もいたり、「あっ、そうなんすか~ じゃあ実態は何日分くらいのご利益になるんすか?」って聞いたら地獄謹製のコンピューターかそろばんみたいなガジェットをぱちぱち弾きながら「えーっと……行かれたのは四天王寺と…葛井寺…で間違いないですか?でしたら合わせて482日分になりますね。」とか教えてくれたりして。
なんでそんなガセ誰が流したんでしょうねぇ~!よく考えたらさすがに一日の120ウンネンの価値とかすごいインフレですもんね、でもほんとだったら嬉しいし参拝しますもんね、はじめは何だったんでしょうねぇ~とか聞くと「たぶん1000年くらい前に九死に一生を得た者がここでの功徳換算を中途半端に聞いて広めたのかも知れないですねぇ…当時はもっとここ(閻魔さまの裁き)もどんぶり勘定でしたしこれ(功徳演算ガジェット)もなかったですし……」とか言って苦笑いしたりするんだろうか…って考えたらなんか萌える。エモい。全部妄想だけど。
20代最後の盆休み。大学入学からもう10年以上経つ。私自身をとりまく環境は数年に1度大きく変わるのに、私自身は何ひとつ変わらん。
大学は実家から通って、親父が仕事クビになって奨学金貰って学費稼ぎながら勉強して、大学院から違う大学行って貧乏一人暮らしを経験した。シンプルにキャパオーバーで、ずっとうすぼんやりと死にたかったことを覚えてる。のち無事に就職して縁もゆかりもない土地に来て仕事して、そろそろまた違うところに転勤。金こそ困らなくなったが、ずっと学生時代の金銭感覚だし、奨学金返すのキツイし、友人こそ居ても恋人はおらん。大学以降での友人も、そこまで深い付き合いにならず、引っ越したらそれっきりが多い。そして何より、焦りというものが全く無い。精神年齢が18歳で止まってる感覚。
来月で30歳。そこそこやりたい仕事もできてる、転勤はあれど納得はしてる、給与に不満はない。でも恋人もおらず、深い友人づきあいもせず、一生家賃5万で適当に過ごしていくんだろうか。学生時代に欲しかった安定した収入を得て、それを何年か続けることもできて、なんか仕事も好きになってきて、人生に余裕が出てきたからこそ、生き延びる以上の何かを考える、考えてしまう暇が出来てしまったのか。院生一人暮らしで死なずにすんだのも、学生のうちに一人暮らししてみたかったというモチベーションがあったからだ。仕事をやってこれたのも、自力で生き延びるという成功体験が欲しいというモチベーションがあったから。今、何もモチベーションにつながるものがない。
生き延びることは、多分出来る。生きることを、やりきる自信がない。あのうすぼんやりと死にたかった感覚は、余裕のなさという環境ではなく、自分の根源的な何かである可能性が見えてきた。
自分の根源的なものなら、どうにか折り合いをつけて生きていくしかない。肯定は出来なくていい。来月で30歳。次は30歳と1ヶ月を目標に生き延びよう。
盆帰りの夢を見た。
知らない親戚と畳に座して手を合わせた。新品の線香とは別に燃えさしが乗った皿があった。質が悪くて途中で燃え残った線香をそこに取り分けたとのことなので、そこから一本取って煙草から火をつけて灰に差した。
墓掃除に出かけて、近くの水場から桶に水を汲んだ。柄杓で墓石の上から水を掛けると片端から蒸発してシュウシュウ音を立てた。今年は暑いのだなとぼんやり思った。
仏花と煙の匂い、蝉の鳴き声、遠くで話す男女の声と読経が聞こえていたが、それだけだった。ふと足元を見ると、濡れた墓石から垂れた水の中に胎児のような小さい生き物が丸くなって横たわっていた。
桶に入れて水場まで持っていき体に纏った膜のような滑々したものをすべて取ってやった。人の形をしていた。家に持ち帰るまでにどんどんと大きくなって、いつの間にか普通の女の子みたいな形になっていた。
家に帰ると祖母と叔父が台所に立っていたので料理を手伝うことにした。素麺を茹でて、粗熱を取って、氷と一緒に皿に並べた。
胡瓜を薄く刻んで、胡麻を挽いて、赤味噌と和えたのに出汁と醤油を加えて溶いた。
気づくと墓石のところで拾ってきた女の子が、皿の用意、揚げ物の用意であるとかを、まるで自分の家のことのようにやっていた。
祖母も叔父も特段その子には構わず、各々の調理を進めていた。なにせ客が多い。
居間の横の縁側に面した応接間は2つの横長のテーブルに親戚が既に15名ほど集まっている。襖からは酒や煙草の匂いやガヤガヤと騒ぐ声が漏れていた。
一頻り作り終えて給仕を終えたらどっと疲れてしまって、洋室に引っ込んだ。
ライトアップのピアノがあったが、鍵盤が幾つかない。後ろの書架には医学関連の洋書がたくさん並んでいた。一つを手にとって読んでみたが、何にも分からなかった。
冷蔵庫にあったカナディアンクラブを飲んでいると、洋室にあの子が訪ねてきた。ピアノが弾けるとのことで、何か弾いてくれないかと頼むと、知らない曲を幾つか披露してくれた。
器用に軽やかに動く指を見ていると、段々と指の皮が萎びてきた。先程まで20もいかない女の子だったが、いつの間にやらすっかりお婆さんになっていた。
その後は一緒にウイスキーを飲んだ。その人は洋室の机の抽斗に煙管を見つけ、吸い始めた。色々と話したがよく覚えていない。気がつくと目の前で燃えていた。
他人に性的魅力を感じない、あるいは恋愛感情を抱かない(アロマンティック)性的嗜好のことを指すらしい。
あなたは他人に性的魅力や感じない、あるいは恋愛感情を抱かないということを想像できるだろうか。
私は想像できない――自分が他人に性的魅力を感じたり恋愛感情を抱いたりすることが。
誰かとセックスするとき、相手の何に欲情しているのか、何に愛しさを感じるのか、教えてほしい。そこに充足感は、あるんだろうか。
私には学生時代から3年半付き合いを継続している恋人がいる。週末に会えばセックスをする。セックスは好きだ。気持ちいいから。感じやすい身体をしているし、相手を気持ちよくさせることも好きだ。
それでも時々強烈な違和を感じる。場に合わせて自分が口にした「好き」という言葉がひどく空々しく聞こえる。慣れないだけかもしれないと思い何度か繰り返したが、むなしくなるだけだったから今はもうやめた。恋人の欲情した目を見て、すごい目をしているな、と客観的に思う。重なる手や唇の感触が、思春期の頃に感じた離人症のように、画面越しの他人事のように思えた。とめどない身体的な絶頂と息の荒さだけが現実的だった。
恋人とハグをするのは好きだ、温もりや匂いを感じて安心するから。寝顔を見て愛おしいなと思う。
だけど、キスやセックスをするときに、自分を見つめて触れてくる相手に対して、何を感じればいいのかわからない。
この日記を書こうと思った理由は、一昨日ある記事を読んだからだ(恋愛的・性的に惹かれない人たち――「アロマンティック/アセクシャル」にとっての恋愛・結婚像/https://news.yahoo.co.jp/articles/c716935ea75a5eea8369ceae4b01406148ddfd1e?page=1)。
「性行為が一般的に愛情表現としてのコミュニケーションとなることに理解・共感ができず、多幸感を感じない、相手のアクションに対し感情が動かない」という文章を見て、ああこれが自分の違和感の正体か、と思った。
アセクシュアルという単語は以前から知っていたが、それを自分にラベリングしようとは思わなかった。自分の性質をラベリングするのはアイデンティティを確立させるため、ひいては自己承認欲求を満足させるためだと考えているが、私は自己の価値やアイデンティティを考慮する際に恋愛や性別にその重きを置いていない。他人と接するときにも性別を強く意識することはない。
メタ的に計測すると、街ですれ違う人の容姿や仕草に好意を抱く回数は、男性相手より圧倒的に女性の方が多い。メイドカフェに行ってかわいい女の子にどきどきする。生涯、この人以上に好きになることはないだろうと、諦めにも似た憧憬を抱いた相手は女性だった。だから昔は自分のことをレズ寄りのバイなのかもしれないとぼんやり思っていた。セックスは男性としかしたことはないが、おそらく女性ともできる。
魅力的に映る他人の肌の質感を想像することはある。でもその誰に対しても、触れたいだとか、服に隠れた素肌を暴きたいとは思えなかった。その肌の感触を確かめるのは私でなくていい。
他人に恋愛感情を向けられると驚く。付き合うとか、そんなこと想像していなかったから。
付き合って知ったのは、私は嫉妬することが少ないこと、独占欲がほぼ存在しないということ。恋人関係とは男女関係におけるファストパスの進呈で、そういう契約関係だから、期限も終了時の条件もある程度決めておくものだと思ってた。友人にそう話すと計画的すぎると笑われて、みんなはそうじゃないんだと知った。
創作物を読んで相手に恋愛感情を抱いたりの欲情したりすることへ共感はできた。
実感だけが、いまだに手元に降ってこない。
不義については触れずに、話を聞いてほしい。
事情があって、顔が最高にタイプの男性の友人と何度かセックスをした。布団に横たわって、相手の体温を感じると心臓がおかしくなったのかと思うくらいどきどきした。
触れ方が優しくて、ゆっくりだから、すごく気持ちよかった。セックスの最中、暗がりの中で相手の輪郭を視認して、唇を重ねて、高い鼻がぶつかって、快楽を感じて、抱き合って背中を撫でて、試しに耳元へ「好き」とささやいてみて、その後「きみとセックスするのが」と付け足した。何度目でも変わらなかった。
顔が好きな男に抱かれていると意識してみたが、そのことに特別何かを思うことはなかった。ハグをしたときの方がよっぽど滲むような充足感を感じた。
男女問わず魅力的な相手にはどきどきする。でも肌を暴きたいという感情が理解できない。
たぶん私は誰とでもセックスできるから、相手を限定するように気を付けている。そこに"特別"を付与しようとしている。
他人に性的魅力を感じない、恋愛感情を抱かないと恋人に告げたら、きっと恋人を傷付ける予感がしている。
ただ、相手を尊重することができれば恋人関係を維持することに問題はないから、打ち明ける必要もないと考えている。
それでも、教えてほしいと思うことがある。