普段は楽しめていたはずの動画鑑賞、Netflix、Twitter、ゲームなどもすぐに頭がぼんやりしてきて集中が続かない。
人と通話などする機会があるとその時だけは元気で楽しくなれるが、通話を切った後にドーンと虚しい気持ちに襲われる。
なんかやばいかなと思って、でも会える人もいないしとりあえずめっちゃ歩いてみることにした。
熱中症だけは気をつけねばと思い帽子や水は用意して家を出発する。
06:30くらいに家を出た。既に太陽はまぶしくて目につくものがやけにくっきりして見える。
歩きながらいろんなものが見えた。
古い団地のベランダに見える室外機は早朝からうなりをあげていた。
60代くらいだろうか、日焼けしたグラサンおじさんが黙々と走ってる姿は素敵だけど同時に少し切ない気持ちになった。
そんなんでゴールはできないぞと叱られてしょんぼりする少年の目線は白い花に向けられていた。
ずいぶん平べったくなった信号機はなんだか威圧感がなくて、もっとごつくていいのではと思った。
乱反射するペットボトル、謎の生き物の鳴き声、遠くで聞こえるなにかの番号を読み上げる声。
様々な現象が周りに溢れかえってるように感じた。俺はなにかキメているんだろうか?妙に明確で華やかだ。
一番良かったのは凸凹の砂利道を歩いた時だった。
舗装された道と違って、歩くことそのものに気を配る必要がある。
それまで歩きながら周囲のいろんなものに気を取られていたのが、足元にフォーカスが移る。
なんとも心地よかった。足の裏で形を感じるのっていいなと思った。
うまく表現できなくてもどかしいのだがコケかけて咄嗟に足が出た時のようなハッとする感覚、あれの小さいのが1歩ずつにあった。
家に帰ってからも穏やかな気分でいられている。
いつもある焦燥感が薄れているのがわかる。
なにが良かったのかよくわからないが(単に運動するだけではなかなかこうなってくれないので)
もう少し効果を確かめるために条件を変えてまた歩いてみようと思う。
学生時代の友人がよく「時々自然の中にいかないと気が狂いそうになる」と言っていたのを思い出した。
まあそんなもんなのかもしれない。
睡運瞑菜は万能。
よいエッセー
ダイゴも思考のクセを思考によって変えるのは難しいから体動かせっていってるな