はてなキーワード: ありがちなとは
○ご飯
朝:なし。昼:なし。夜:マクド。間食:チョコ。ハッピーターン
○調子
むきゅーはややー。13連休9日目。
・前提
僕はタイプムーン作品やインタビューなどを網羅的、横断的に追うことはしておらず、本作品以外の情報は仕入れていないので何か過不足があった場合それは悪意ではなく無知なので、ご指摘していただければと思います。
・はじめに
奈須きのこの未発表小説として度々インタビューなどで言及されていた作品を元にしたノベルゲーム。
1980年代後半、町の発展が進む三咲町を舞台に、そこを魔術的な意味で管理する蒼崎青子と久遠寺有珠が、山から降りてきた純朴な静希草十郎と出会うことから始まる、公称ジャンルはジュブナイルストーリー。
ノベルゲームながら静ではなく動を意識したルックがめちゃくちゃすごかった。
ストーリーも伝奇物のバトルシーンの痛快さに、衒学趣味たっぷりの小難しいパートと言ったエンタメらしい部分と、山から降りてきた少年目線で見た都会の息苦しさとそこに住む市井の人々の魅力を情緒たっぷりに読めて非常に面白かった。
群衆劇めいた部分が強くあるわけでもないのに、町そのものが主人公のように思えるのも印象深い。
そして、タイプムーン作品として横断的な言及が必要となる第五魔法を巡るエピソードも、この作品を点だけ見ても面白いと、どこを切っても面白いしかないすごく大好きな作品だ。
・凝られたルック
まず目を引くのが真正面以外の立ち絵と背景を利用した多角的なビジュアル。
ビジュアルノベルという立ち絵と背景で構成されたゲームながら、様々な表現でそのときそのときのシーンに応じた絵作りをしている。
大量のスチル絵を用意しているのではなく、背景と立ち絵の組み合わせでカットごとの構成を魅せる作りは圧巻。
細かい動きがあるシーンも多く、常に動き続けるアニメよりもむしろメリハリが効いて効果的とまで思える。
ヒロイン達がおでんを食べる何気ないシーンですら、たっぷり工数がかかっている手の凝り様で、終始飽きずに楽しめた。
・伝奇物らしいバトルシーンの魅力
そんな絵作りが特に生きるのが、伝奇物をベースにした魔術バトル。
魔力を打ち出す蒼崎青子、童話の怪物を具現化する久遠寺有珠などの、特徴的な戦闘描写がスチル絵一枚だけでなく、それぞれのパーツが効果的に動きの演出で魅せてくれるのが楽しい。
特に久遠寺の童話の怪物にまつわるエピソードは非常に魔法使いの夜らしい映像映えするシーンの連続で、バトル面での活躍では大好きなキャラクタになった。
ビジュアル面だけでなく、作中の魔術が一定のルールを持ったものであり、それを打ち崩すために知恵も使う展開があるのもとても良い。
最初の山場である久遠寺率いるフラットスナークの居場所にまつわる幾つかのシーケンスは、ビジュアルノベルらしさが光るシーンで、ここで一気に伝奇バトルパートも好きになれた。
そのように魔術バトルはルックだけでなく、テキストでもたっぷり楽しめるのだけど、伝奇物らしく衒学趣味らしい解説パートも沢山楽しめる。
ここはタイプムーン作品として色々な作品と繋がりがある部分らしく、新参者としては全てを理解できなかったのが惜しい。
しかし、そんな小難しいパートは、主人公の静希草十郎は田舎から出来てきた魔術を何も知らない青年であるため、彼の目線でわからないものはわからないとしてストーリーを楽しめたのも良く、入門にはピッタリだったかもしれない。
作中で何度もわかるところだけわかればいいと繰り返されているので、ある程度はそういうものとしてフワッとした理解のまま読み進めれた。
とはいえ、要してしまうと、その様な設定の妙を直接的に理解することよりも、それらの設定が魔法使いの夜の視点人物の一人静希草十郎の理解を進めるための要素になっているのが面白さの重要な点だった。
電話すら知らないという導入だが、本当に何一つ知らないらしく、貨幣の概念に関心するぐらい常識から外れた人間。
彼の目線で物語は進むのだけど、この点は情緒たっぷりで読んでいてひたすらに面白くて、一番好きな部分だ。
街に馴染めず田舎を恋しく思うのだけど、それでも街を理解しようと試行錯誤色々と模索していく様が面白い。
アルバイトを頑張ったり学生生活を頑張ったりといった日常的なパートと、魔術を使った伝奇バトルなパートが、同価値の未知さで描かれている彼の特異さあってこそなのが面白い。
ここがとても楽しくのめり込める。
作中の世界では魔術は秘匿するもので、魔術師と呼ばれる特異な人たち以外はその存在を知らない。
また魔術師達は独自の価値観で生きており、一般人とは生死の考え方からして大きく異なっている。
そのため、蒼崎青子はまだ日が浅いながら自身を魔術師として律して一般人とは異なる価値観であることを強く主張する。
しかし、山育ちの草十郎にとってみれば、町に住む大勢の人間とそもそも価値観が合わないのだから、当然魔術師とも合わない。
これが皮肉の効いた良い情緒的な描写になっていて、たまらなく面白かった。
自身を特別視するキャラにそうでないよと悟らせるような読み方もできるのだけど、そうではなく、近代化していく町と同じように人の思想や価値観も移り変わって行き、変化することは当たり前で、青子が魔術師になるような大きな変化は確かに希少だけれど、大なり小なりあるものだと思わせられる丁寧な描写が続く。
この丁寧さは本当にしっかりしていて大好き。
発展して近代化する町を、何も知らない山から降りてきた純朴な少年の目で描写する。
そこに伝奇物としても作者独自の設定を、同じように未知のものとして紛れさせる。
そうすることで、ヒロインの特異な価値観すらも並列に扱え、二人のジュブナイルが瑞々しい読感になるのが素敵だった。
そんな価値観を相互理解しようと、様々なエピソードが尽くされており、コメディありバトルあり衒学趣味あり情緒的なただの日常ありと、一貫してこの点に着目した文量が費やされているのも好きだ。
・魅力的なキャラクタ
主人公以外にもメーンヒロイン二人蒼崎青子と久遠寺有珠を筆頭に沢山の魅力的なキャラが登場する。
個人的に気に入ったのは、青子の姉であえう蒼崎橙子とその姉弟子の周瀬律架の二人。
絡みのあるシーンはワンシーケンスのみだが、印象深くもっとこの二人の絡みが読みたかった。
なお周瀬律架が本格ミステリを好んでいる設定も面白く、番外編での推理をしたがりゴネるパートの可愛さは一押し。
・三咲町
キャラクタにばかり着目したが、本作の真の主人公は町そのものだった。
群衆劇ではありがちな感想になるが、本作は主な視点人物は二人の三人称視点なので、色々な登場人物がいるから街が主役だと感じるのではない。
相互理解が必要な多様な価値観が生まれるには、生きていくだけでない余暇が生まれる町があってこそだからだ。
田舎の自給自足でも物々交換でもない、町の資本主義の貨幣経済が発展することで、はじめて彼らが自身の独自の価値観を持つことが出来、伝奇物らしい魔術師という独自の価値観さえもその一種にすぎない。
だから、草十郎と青子の二人が相互理解を深め、それでもまだ理解し合えない魔法使いの夜の主役は町なんだと思った。
・謎を残す蒼崎の魔法
彼女が使う蒼崎の魔法は全容が明らかにならないまま終わっている。
消化不良なわけではなく、草十郎よろしくわからないものはわからないまま理解をしたので、作品として不満があるわけではない。
ただ、作品を通うじて、価値観の相違と理解、それが生まれる土台には住む町の文明化が進むことが不可欠である主張などから、人の関係値をエネルギーに変換するみたいなことかなあと思いました。
・おわりに
ビジュアルノベルとしてルックもテキストの両面が優れており、ジャンルを代表するような世間一般の評価も納得だった。
ストーリーも発展が進み近代化していく町で、それについていこう理解していこうと草十郎が試行錯誤するパートがよかった。
彼にとって、伝奇パートにおける魔術も、日常パートにおける電化製品も乗り物も同じぐらい未知の物なのが、よくできた設定で面白く読めた。
ここまで
☑ マスコミ与圧
☑ 警察が登場
☑ レコーダー回収
この後は
☐ 「機器は正常だった」(各種記録を見ながら)
☐ 「そこでとめて」(レコーダーを聞いて、行き違いが明らかになるシーン)
の後に
☐ 「慣れている場所なのに…なぜ勘違いしたんだ?」「勤務状況を調べてみよう」
☐ 「機長と副機長、二人居るのになぜ?」「ボイスレコーダーに戻ってみよう」「(ナレーション)ボイスレコーダーには様々なノイズも記録されます」
に分岐かな?
「あえて」だけどね。
「あえて」どっちが上かを考えるならってことね。
なんつーか将棋棋士って今ですら完全にAIに頼り切ってる(変にこじらせて使ってない人はボロカスになってる)のに、AI技術者を下に見てる所あるよね。
異世界チートに出てくるヤラレキャラみたいなムーブっていうか。
「お前なんてただカタカタピコピコしてるだけだろwww俺たちには一生勝てないから荷物持ちしてろよwww」みたいな感じ?
それで1巻の終わりには完全に追い抜かされてざまぁwされてる定番ムーブ。
わざわざ謙れとは思わないけど、最低限謙虚な態度でいるべきだと思うな。
それこそ伸び悩むF-1レーサーにありがちな、メカニックを「天才になれなかった可哀想な秀才の集まり」と勘違いしてるタイプの人みたいな言動してる人がおるやん?
ダサいよね~~~
ウィンドウモードにして以下のサイトを見るのが鉄板(デフォルトでウィンドウモードで動作しないのは意味不明)
第1~第7世界まではこれを繰り返すことになる(第7世界クリア後はW8のスカラーの村に飛ばされるが、第7世界のトリビアの洞窟をクリアしないと外に出れない仕様となっている)
町・ダンジョン名 | 大陸 | 備考 |
---|---|---|
メルボンの町 | 第1大陸 | |
大地の洞窟 | 第1大陸 | |
ピラミッド | 第1大陸 | 推奨、しなくても攻略はできるが後半で時間がかかる |
風の塔 | 第1大陸 | 第2大陸へのダンジョン |
ハラーレの村 | 第2大陸 | |
ハラーレの訓練所 | 第2大陸 | ハラーレの村内の北にある、クラスアップ推奨 |
カナンガの大森林 | 第2大陸 | |
北の砂漠 | 第2大陸 | サボボイベント、大体ここで詰まる |
エストの町 | 第3大陸 | 北の砂漠を川で隔てた右側の橋から行ける、生命の洞窟には寄らなくてよい |
ラビリンス | 第3大陸 | |
ジャック・ザ・リッパー | 第1大陸 | メルボンの町に居るジャック・ザ・リッパーを倒す必要がある |
蜃気楼の塔 | 第3大陸 | |
炎のほこら | 第4大陸 | 蜃気楼の塔から北東にある橋から行ける、フレンズダンジョンは寄らなくてよい |
炎の洞窟 | 第4大陸 | |
???? | 第1大陸 | メルボンの町の北にある墓から魔界へ行ける |
魔界の村 | 魔界 | ワープを取ってないならスルーしても構わないが、RTAでもない限りは通常寄るべき |
ラストダンジョン | 魔界 |
誰かと一緒に行かないとワープが使えないという時代は終わっている
実はサブキャラを作ってスイッチの上で切り替えれば一人で行けることが判明している
出現する場所は砂漠であることに間違いはないので、エンカウントするまでひたすら動くしかない(なぜエンカウント率まで上げないのかは全く意味不明)
マディスライムや生命の洞窟で全体攻撃できる奴らを使えば戦闘の労力は減る
また、第一世界のサボボであっても第二世界以降でも条件はクリアできるということを覚えておくこと
第4大陸へ行くには、ラビリンスと蜃気楼の塔、そしてメルボンの町に居るジャック・ザ・リッパーを倒さなければならない
よくありがちなパターンとして、ラビリンスの後に蜃気楼の塔をクリアして、メルボンの町まで戻ってジャックを倒してからまた行くのは非常に面倒で無駄な往復でしかない
そこで経験値25倍を利用して蜃気楼の塔を攻略する前にジャックを倒せば、蜃気楼の塔へ行った後にすぐ第4大陸まで行けるようになる
IPアドレスレベルで行っている可能性もあるが、実際はキャラクター削除でしかないらしく、新しく作ればプレイすることが可能なことが多い
MACアドレスで登録している可能性もあるのだが、もしそうだとしても工夫でどうにでもなる
ユーザー登録時の郵便番号や生年月などは、かつてゲーム内のシステムで使っていた名残で残っているだけなので、完全な架空でも問題はない
というより自分自身の情報を入れてもリスクでしかないので完全架空が推奨される
今は募集するよりもやることを失ったプレイヤーとかがCコースでAコースを開けてくれている可能性があるので、便乗してしまうのもあり
また1時間以上居ると追い出される仕様だが、戦闘中に経過しても生命の洞窟に居るという扱いになる
自動ログアウトもないのでピラミッドのスイッチなどでは必要分のキャラクターとクラウドなんかを使えばずっと押しっぱなしも出来る
戦闘のゲージは戦闘時に一番敏棲が高いキャラクターが一番速く、値に合わせて進行が遅くなる計算となっている(自爆でもない限り最低戦闘時間が短くなることは永遠にない)
チャットルームが売りだったけど管理人が見ていることで価値無し、現在は別のSNSなどでそのチャットを作っていることが多いので意味がない、吹き出しはログに残らない
ましてや通常の利用である協力要請をしても妨害されるし、チャット発言したら無視されたりリア凸される危険しかないため、ゲーム内チャットは使わないというプレイヤーも多い
〇どこで何買っても似たり寄ったり
〇大して喜ばれない
子供じゃないんだから、お土産用お菓子の小分け用小袋一つ渡されても
なのにみんなこぞって買い求めるのはなぜなんだろう。
味はみんな同じだし。
こういう事を書くとマジ切れ発狂顔真っ赤になる人達いるだろうけど
バイアス抜きに客観的事実だけを抜き出せばマジでその通りなんだよね。
・ふとしたきっかけで公金の使われ方に疑問を持ち、調査した所大規模な不正疑惑が発覚
・相手は政治的なバックを持つ権力者であり、疑問を追求した者に恫喝めいた嫌がらせを行う
・権力者側と戦う為に住民訴訟を起こし、様々な人間を巻き込み広範囲に拡散していく
・リア凸や個人情報晒し等の野蛮な妨害を嫌い、あくまでも正しい戦い方、リーガルのバトルのみで正々堂々と戦う
・政治的なバックは一切無く、戦う為の資金は自前や支持者のカンパのみ
・戦う事による報酬は一切求めない、お金に対しては清廉潔白な姿勢
横暴な権力者と戦う市井の一般市民というヒロイックな像はまさしくリベラルの理想そのものであり
リベラル界隈(の間だけ)で持て囃されていた、かのアカデミー賞受賞映画「新聞記者」も
筋書きとしては「巨大権力者に疑問を持った市井の人間が立ち向かう」というものだったけど
今暇空がやっている事を、どこぞの自称新聞記者で女性では無く、
本当にただの一般市民、しかもオタクのオッサンに盗られた事が非常~~~~に、悔しいんだろうな。
暇空批判には、どうにもヒステリックだったり感情的過ぎるものが散見されるが
中には「本当は俺たち私達がやる筈だった事・得られる筈だったポジションを奪いやがって!」という
もはや誰も読めないので小学校などでは「みんな平等で苗字呼び。あだ名も禁止」というパワー的解決をしているらしいが、あだ名禁止はいじめにもつながるしという観点もあるらしい。ちょっと寂しい気もする。
しかしそんなことはどうでもいい。
子供の名前は平成中期あたりまでに普通にあった名前にすべきだ。少なくとも読み方はそうすべきだ。
なぜなら、ときメモGSシリーズが1〜3までSwitchに完全移植することが発表になったからだ。
なので奇抜な名前をつけるゲーム実況者が毎回初期設定で詰んでいることも多い難解なゲームだ。
これは単純に声優が大量に名前を収録しているだけなので、よくある名前なら大体は呼んでくれるが、キラキラネームなどには対応してくれない。
想像してみてほしい。
ときメモをやったとき自分の名前が無く、ありがちなあだ名しかない気持ちを自らの娘が味わう気持ちを。
親は恨まれても仕方がない。
想い人が自分の名前を呼んでくれないと泣く娘の前でゴメンね…と謝ることしかできないのだ。
娘と言ったが、男性実況者も結構ハマっているようだし息子も使える名前にしておくべきかもしれない。
「けい」とか「そう」とか。
今後ときメモGSシリーズが5、6と展開していく場合、キラキラネームにくわえて昨今の流れも含めて男性名を多く登録する可能性もあるが…。
問題となるのは3が名作だということだ。
できれば3までにある名前で名付けてほしい。
4まででもいいが、やはり3…発売決まったし3…。
いや本当は1の声優が死ぬほど豪華なので1の時点である名前がいいかもしれない。
だって以下※1の声優に名前を呼んでもらい愛を囁いてもらえるんだ。
子供からときメモGSを100%でプレイする楽しみを奪わないであげてほしい。
※1
・守村桜弥…石田彰
・蒼樹千晴…森久保祥太郎
最近ゴジラにハマった女子に呼ばれたので観てきた、クソ混んでた
評判良かったから観てきたけど、割と良かった
悪い言い方をすれば、90年代に観たハリウッド映画を日本ドラマでやった感じ
良い言い方をすれば「こういうので良いんだよ」
最近ハリウッド的な映画少ないからウケてるんだと思う、こういうので良いんだよおじさんがたくさん
いわゆるポリコレはゼロ、ただし戦争物あるあるの国批判みたいなのはある(エンタメの範疇だと思う)
演技は臭すぎた、日本ドラマはこういうところが嫌い、何か舞台を見せられてる感じがする
VFXは成長したなあと感心した、シンゴジレベルを出せてるし、音響も良かった
ただゴジラの人間が映るシーンはやや少なめだったので、低予算感を覚えた、B級映画でありがちなやつ、ちょっと冷めるからやめてほしい
リアリティはまあこんなもんだろう感、贅沢言うと足りない感じはする
登場人物の量は良かったと思う
メインキャラの関係性も上手いなと思った、めんどくさい説明をしなくて良いようにしてる、やや舞台装置感は出たが
上手く感情移入できるようにできてた
総合すると楽しめた
監督許した
先日異次元フェスというアイマスとラブライブの合同ライブがあり、そのライブのゲストに対する誹謗中傷行為が行われている様が現在進行形で多くの人の目に触れていますね。
同じく、今週末開催のグラフェスに対する反応でも同様の誹謗中傷が多数見られます。イベント名で検索すればいくらでも出てきます。
結論から言うと、「アイマス・ラブライブ・グラブルのファンの言う『この作品に触れて感動した』『尊い』『推す』という感想は大嘘だった」という事です。
アイマスもラブライブもグラブルも、外部から招待された人を非難する行為なんて推奨してません。むしろそのような悪しき行いを挫き、手を取り合い輪を広げ協力する事を善しとしています。当然ですよね。
しかし彼らファンはこの作品に触れて感動したと言ったその口で、親の仇かのように出演者を苛烈に叩くのです。目を疑うような光景です。何に心を動かされていたのか理解が出来ません。
この自称作品を大事に思っていると主張するファンのような何者かが、どれだけ作品に対して不誠実であるか書いていきます。
まず「異次元フェス」とは公式サイトに書いてある通り、コンテンツの垣根を越えてコラボを実現する為の音楽イベントシリーズであり、アイマス×ラブライブはその第1弾でした。
にも拘らず、アイマスとラブライブのファンは勝手に「アイマスとラブライブの為のイベントである」と曲解し、果ては「アイマスとラブライブ以外の要素は許されないイベントである」と完全に主旨を無視した自分勝手なルールでゲストを苛烈に叩き始めました。
そのゲストだって事前に応援大使として選ばれた、イベントを広めて盛り上げるれっきとした仲間です。応援大使が外部から選ばれる事だって極めて常識的な話です。まるで侵略者かのように目の敵にしておりますが全くもって的外れな主張です。
そしてゲストが登場した時だって同じ場所には彼らが神聖視する声優も立っています。ゲストを迎え、来てくれてありがとう、一緒に盛り上げましょうと手を取り合っています。しかし彼らはそんな声優の言葉すら足蹴にして自分の嫌いをごり押すのです。
「あくまで俺はゲストに対してだけ悪態をついておりそれが正しいファンの意見として通る」と勝手に思い込んでいるようですがそんな訳も無く、自分達のステージを無視された声優は相当なショックでしょう。
イベントの主旨も理解せず、メインの声優の呼びかけや努力さえも蔑ろにし、あたかも自分は被害者であるかのように誹謗中傷を正当化する様は、精神年齢が子供のまま狡賢い逃げ方ばかり学習した駄目な大人そのものです。
ゲストが登壇する事に非常に嫌悪感を示しており、その理由が「作品と無関係」「キャラクターではなく生身」と、子供の駄々をこねるような感情的な意見が目立ちますね。
グラブルフェスは過去にも作品と関係の無い(キャラを担当していない)声優がゲストに複数回来ており問題なく進行しております。また、しばらくしてグラブルの格闘ゲームの宣伝役として何の縁も無い生身のゴールデンボンバーが紹介されたら「こっちがゲストに来れば良かったのに」と、その時その時に脊髄反射でゲストを叩く為に自分達の主張を都合よく変えています。
コラボグッズが公開され「グラブルキャラと一緒に映ってないならコラボの意味も無いだろ」という意見も多く見られます。
コラボグッズが競演してないイラストで販売する事など何も珍しい事でもなく意味不明です。そもそも、ゲストが世界観を壊しグラブルキャラと一緒にいることをこんなにも不快だと喚き散らしているなら、むしろグッズで競演してない事に安堵するんじゃないんですか?
「やり込んでないのにゲストに来るな」という意見も非常に多い。まぁこれは他ゲームでもよく見る「プレイ期間が長い・やり込んでいる者はヒエラルキー上位である」というありがちな勘違いではありますね。見てて恥ずかしいですね。ゲームを長くやっているとゲストに来る条件を決められる権利まで得られるのでしょうか。
今回ゲストに来る方々は、名前ばかり有名な古戦場がどういうものなのかを複数回体験・未プレイユーザーに伝えていますし、中にはグラブルのメインストーリーを1から追っていくという、ニッチでありながらグラブルの物語としての良さが多くの人に伝わる配信を行っております。この活動が運営から見て良い影響があったからコラボが実現したんでしょう。マイナスであったならコラボなんてしません。会社なら当たり前です。
「ゲストを見にきたんじゃない、フェスがゲストに乗っ取られた」と過剰な被害妄想で暴れている点が共通しています。
先ほども書きましたが、ゲスト共にメインキャストも一緒にイベントを作り上げています。「ゲストと何を話しどんなリアクションを残すのか」は紛れも無くメインキャストの普通では見られない貴重なシーンであり価値があるものです。ファンを名乗る人間にとって、メインキャストよりゲストへの興味の方が強く大切な感情である事の証明です。
あと本当にこれが一番頭おかしいと思うのですが、それぞれの主催は異次元フェスはバンナム・サンライズ・ランティス、グラフェスはサイゲという非常に大きな会社です。対してゲストは会社どころか文化そのものが生まれて数年の若輩です。主催に上からごり押しを通せるような立場ではとてもじゃないですがありえません。ゲストにイベントを支配されたと本気で言ってる人は認知の歪みが極まり過ぎです。
このように「個人的に嫌い」という感情を世間の目に届けて気持ちよくなる事を最優先に考え、それを正当化するために尤もらしい理由を後付けする事によって、言えば言うほど破綻しています。
「その作品の熱心なファンを自称していながら、その作品のメッセージや出演者の想いは全く届いておらず、それらより自分勝手な悪感情を撒き散らす事の方が何より大切な娯楽であり、被害者面をしながら誹謗中傷を正当化する人間」
これがただゲストが来るだけの事に異常な執着と憎しみで暴れる人間の正体です。
異次元フェスで起きた帰れコール、出演者無視という行為が行われた事実を元に、「グラフェス参加者も同じ事しようぜ」と呼びかけるポストが続々と投稿されています。実現が可能な攻撃であると認識されてしまっております。
果たして彼らは仮にも愛していると主張する作品を尊重し会場一体となってイベントを盛り上げるのか、それとも作品や出演者のメッセージなど気にかける事無く我侭を通し自己満足の暴挙に満足しその行為を承認欲求の為に嬉々として投稿するのでしょうか。
「日本に教育格差がない」なんて台詞を、一体どのくらい教育現場を見た上で言っているのかはなはだ興味がある。(皮肉)
すげー適当に記事をあさっても、こんな状況くらいポンポン出てくるので、「教育費保護者負担」とか、せめて「教育格差」でググるくらいのことはしてほしい。
〇子どもの教育費への保護者負担の割合は、先進国中日本がトップ(=保護者の貧富が子供の教育に直結する)
https://www.smtam.jp/report_column/pdf/cat_10/HPVol.620191030.pdf
〇日本に存在する教育格差は主に相対的貧困から生じ、その割合は6人に1人
https://www.worldvision.jp/children/education_12.html#d0e9d87eb78fa54e47cd213ca7606442
まあ、こーゆーのって、大体さほど教育崩壊していない公立学校出身で「努力して」それなりの学歴を得た中流家庭出身者なんかにありがちな誤解だけどさ、
・さほど教育崩壊していない公立学校に通える場所に住んでいること
・図書館など公的な文化的施設が充実しそこへのアクセスに費用が掛からないこと
・「みんなと同じようにふつーに」塾など通わせてもらえること
・自室や自分の机など学習に集中できる環境が用意してもらえること
・参考書などを購入できること
・PCの使い方など身近に手本を見せたり教えたりしてくれる大人がいること
・学力をつけて進学しそれなりに成功したモデルが身近にいること
……なんて、どれひとつとっても全く「ふつー」ではねーんだわ。6人に1人いる相対的貧困な状況の子は、このうちの複数もしくはほとんど全ての状況を奪われてるのが現状で、そんな状況で「ふつー」の家庭出身者が「俺らも『努力』しんだしさー、受験てフェアな競争だよね」みたいに言うのは、ちょっとね。
とりあえず、「教育格差の有無」なんて大きな問題、個人の印象やお気持ちで軽々しく口にできるよーなことかどうか、そうやって妙なムードをつくることが下手したら多くの人々の一生に関わるかもしれないって意識をもった上でもう少し考えてみた方がいい。
バブル景気を経験し、団塊世代は比較的順調な経済成長の中にいた。その結果その子供世代である団塊Jr.の世代は団塊世代と比較してもかなり高い率で大学に進学した。就職して3年が目安だった結婚適齢期は大幅に後ろにずれ込み、この世代は30歳で結婚しないことが珍しくなくなった。また高等教育を受け、海外の文化に触れたりすることにより、伝統的価値観に縛られない自由(リベラル)を大切にする価値観が主に高学歴の層に芽生えていた。
1990sはCDの全盛期でカラオケもブームであった。この頃すでに女性の社会進出は始まっており男女共働きが増えてきていたが、ここにきて平松愛理が「部屋とワイシャツと私」でコテコテの昭和の価値観の曲を歌い流行。その結果、団塊ジュニア女性の専業主婦志向が強まる。ちょうどこの頃、大黒摩季も「あなただけ見つめてる」で男に尽くす昭和的な女性像を、「ら・ら・ら」で結婚を前に一生を見つめて戸惑いつつ妥協交じりの結婚を考える女性を歌っており、当時においても昭和的な価値観の歌はヒットしていた。一方で、中島みゆきは「ファイト!」で辛い境遇の中でもがく女性を叱咤しつつ応援しており、この頃に適齢期の男女の中でも、女性は依存しながら男性を立てるといった昭和的な価値観から女性も自立して活躍する価値観にシフトしつつあった。しかしながら地方では依然として男が働き女が家を守るという考えが根強いところもあった。
小泉内閣のせいにされることが多いがこの頃から非正規は増えていた。バブル期に入社した世代は右肩上がりに給与を上げ、そのとばっちりを受ける形で新卒採用が減り労働力市場で供給過多となった。非正規が増えた影響が顕在化するのがITバブルの崩壊とリーマンショックだがその爆弾はすでにこの頃に日本に埋まっていた。
Windows95が発表され大学が主戦場だったインターネットは一気に広まった。パソコンは当たり前となりADSLやケーブルテレビでの高速通信が普及した結果、インターネットブームがさらに加速され動画コンテンツが増えるようになった。この頃、東風荘やYahooでゲームに興じるインドア派が増える。娯楽の充実は恋人と過ごすことに競合する余暇の過ごし方として今後も存在感を増していく。
DVDやCDではエロ動画が視聴できていたが、ブロードバンド+dmmでエロコンテンツへのハードルが下がる。男は金、女は体という暗黙の結婚の武器のうち、女性側の武器が弱体化され恋人の役割を右手が肩代わりすることになる。不景気も相まって女優のレベルが高く男の性欲を満たすには十分すぎるほどであった。さらにXVIDEOSやPornhubなどの無修正、高画質のVRとおかずの進化はとどまることを知らない。
さらにニコニコ動画のブームにより、市民権のなかったオタクに市民権が付与される。ブロードバンドは田舎にも浸透していたため、インターネット上の娯楽の充実は都会、田舎関係なく訪れた。その結果、恋人がいなくても夜の退屈さがなくなり、社会全体としてデートのニーズが相対的に弱まった。
永久就職とかつて呼ばれた結婚について、配偶者を探す活動を就活になぞらえて婚活と呼んで始まったが、相手があっての結婚ではなく目的化した結婚になった結果、その前段階である出会いにステータスが入り込み、逆に恋愛のハードルを上げてしまった。テレビ朝日ワイド!スクランブルに出演した玉の輿にのるために38万円の高額婚活会社を利用するR子さんの「年収400万円では化粧品も買えない」は当時派手にバズり、完全なATM扱いに適齢期男性がドン引き。この人が悪いわけではないが2005年の女性専用車両のネットミームも背景にこの頃から男女に分断が生まれ始めた。
団塊ジュニアが続々結婚し始めた頃、Facebookの流行で学歴や経歴をオープンにする機会が増え、ステータスが可視化された。その結果夫の収入でマウントを取る女性が続出し女性側のカーストにもつながった。配偶者のステータスでマウントをとること自体は昭和の時代からあった女性にありがちな行動だが、SNSによってそれが町内という小さなコミュニティから同級生や会社単位に拡大され、妥協して結婚するよりも高めを狙う傾向が顕著に。さらに、この頃すでに子供がいる世帯ではキャラ弁の写真をアップする主婦が現れる。賛否両論あり否が優勢のまま終息したが、時間のかけられる専業主婦が共働き主婦の普通の弁当にマウントを取る形で「共働き=負け組」を印象付けた。この世代は家庭科の必修が小学校のみなので女性が働いていても女性に家事が押し付けられることが多かった。ちょうどこの頃、負け組としてコンプレックスを抱いていた男により、秋葉原で大量の通り魔事件が発生する。
サブプライム住宅ローンに端を発した金融危機はリーマン・ブラザーズHDの破綻を招きそこから連鎖的に世界金融危機が発生した。これにより多くの非正規の雇止めが発生し、特に女性において非正規社員と結婚しようというインセンティブが大幅に下がった。
食洗機、ロボット掃除機、ドラム式洗濯乾燥機といった時短家電(いわゆる新三種の神器)が普及した。これにより、独身でも仕事をしながら掃除、洗濯、食事に概ね困らなくなり、家事の分担需要が相対的に低下した。
団塊Jr.世代(1970~1980生)は高学歴化によって結婚の年齢が4年~6年程度その親の世代よりも遅くなり、30歳で結婚していないのは珍しくなくなっていた。ちょうどその世代の適齢期となる00年代は娯楽が充実、進化をして男女ペアにならなくても楽しめるエンターテインメントが爆増したこと、価値観のアップデートができないまま専業主婦として高収入を望む女性と、その視界に入らない男性、娯楽の充実で配偶者を必要としなくなった男女といった形のニーズのミスマッチが発生。金さえ配ればなんとかなる的な政治家の思いとは裏腹に決定的な解決策が見つからないままタイムアップを迎えた。