真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
あらゆる娯楽にいえることだが、何かを楽しむのに個人の能動性というものはどうしても要求される。
それは大前提だ。
だが「楽しめないのは自分自身の問題」という回答だけでは、半分YESであり半分NOだろう。
客観的に見ても、コンテンツによって“楽しみやすさ”に差異があることは確かだからな。
それらを同程度に楽しめなかったとして、個人の問題だけで片付けるべきかどうか、という話だ。
更に学ぶべきは、遊具の多い公園の方が、必ずしも優れているとは限らないという点だろう。
私がこんなところでFAQを嗜んでいることからも、ネットの楽しめる多様性は随一だ。
だが、このような楽しみ方をもってしてネットの面白さを語っても説得力はないだろう。
今やネットはポピュラーな娯楽であり、遊具に溢れたテーマパークだが、上等でもなければ洗練もされていないということだ。
まあ、仮にディズニーランドとかだったとしても私はああいう場所は苦手なので、今回の例えは不適切なのだが。
なお、はてブや匿名ダイアリーが具体的にどのような公園、テーマパークかという問いに関しては私の手に余るので質問してこないように。
どちらが焼きそばで、どちらがカップ焼きそばなのかは、ここでは問題ではない。
今回学ぶべきことは、もしも私の言うことにキミが少しでも納得したなら、詐欺には気をつけた方がいいということだ。
「胸をジロジロと見られたくない」、「目を見て話して欲しい」という問題を一度に解決できる画期的なアイテムだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ここだけの話、私も少し前までは誰が作ったか見分けがつかなくてな。
今でも百合とか薔薇とか、右とか左とか、リベラルの種類やPCあたりは正直なところ記憶が怪しい。
ブクマの多さがホッテントリに密接に関係している以上、「ブクマしている人間がしょうもないから」というのが答えになってしまうな。
まあ、あくまで君の主張に則った上での回答だが。
つまり、その「“しょうもない”中に君が含まれていない」というのが本質的な回答になる。
君がその“しょうもない”人間に加担した覚えがあるなら自明の理だが。
今回学ぶべきは、「大局的に見れば、しょうもないモノの方が遥かに多い」ということだ。
その次元内では、しょうもないと思っていないからブクマしているかもしれないし、思っていてなおブクマしている人間だっているかもしれない。
幸か不幸か、私の質問会場はしょうもなくないことが多いが。
スープにできた膜を食べる仕事も大概だが、こっちはまだ理解できる方だからな。
昔の日本でも敵討ちは認められていたから、そんな感じになるだろうな。
そういったものを題材にした演目もいくつかあるので、私刑行為ってのは古今東西需要があったわけだ。
私が知っているレベルの時代劇とかでも、基本的には悪い奴らを非合法な手段や、超法規的措置で成敗するものが多いしな。
とはいっても演目になる程度には、理想と現実が異なっていることの証左でもあるが。
多くは返り討ちに合うか、そもそも仇相手と出会うこともないまま旅の途中で死んでいたようだ。
武家とかは仇を討たないと家督を継げないなんていう風潮もあり、嫌々やらされることも珍しくなかった。
つまり何かを公に認めるということは、しがらみも多くなりやすいってことだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
原因を探っていくために、まず己の中の天使と悪魔がどういったシステムであるかを知っておく必要がある。
君が善なる行動をすべきか悪なる行動をすべきかで葛藤したとき、天使と悪魔はそれを察知してほぼ同時刻に駆けつけるようになっているのだ。
誤解されがちだが、人間の中に存在する天使と悪魔は表面上では争っているものの業務提携しているのだよ。
どちらが勝つかは個人によって偏りがあるが、己の中の善と悪の戦いは誰もが一生続けるべき行為だからな。
戦いそのものが成立しないっていうのは、天使にとっても悪魔にとっても困る状態なのだよ。
よくあるのが、天使と悪魔で交通手段が異なるせいでズレが発生するってパターンだな。
電車移動なら人身事故が多発しているのか、車移動で渋滞に引っかかっているのか。
厄介なパターンは、君の中にいる悪魔の中にいる、天使と悪魔が戦っている場合だ。
もしも君の中にいる悪魔の中にいる、天使と悪魔のどちらかが更に遅刻しているようなら、かなり面倒くさいぞ。
こうなってくると原因が多岐に渡るから、責任追及や問題解決もややこしくなる。
根本的な解決にはならないが、とりあえず天使の駆けつける時間をズラしてもらうか、悪魔が来てくれるまで待ってもらうかってところだな。
天使はコンプライアンスに厳しいが、君の中にいる天使の中にいる天使に期待するしかないな。
物差しを多く持つ人間は、傍から見れば明確に使い分けているように見えるが、別にそんなことはないんだ。
だから気分で使い分ければいい。
私だって、そうしている。
長さを測ったり、線を引くことさえできれば、それは“上手く使い分けている”のと一緒だからな。
仮に物差しの違いによって弊害が発生して、それを他人に指摘されたとしても、「測るモノが違うから物差しだって変わるし、長さや線引きも変わる」って言っておけばOKだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
どういうことかってのは、私が言うまでもないだろう。
いずれにしろ、大人しく自宅のシェルターにこもって、去るのを待つのみだ。
私は傭兵時代にPTSDを患ったときも、女性関係でPTSDを患ったときも、そうやって克服してきた。
今でも、あれを越える最強最悪な女……いや、人類に出会ったことはない。
他に考えられるとすれば、人名の方が親しみやすくて覚えやすいからとか、じゃないか。
ちなみに、近年では男性名も女性名も均等に使われているようだ。
答えはNOだ。
かといって、別に何が嫌いかを語る方が尊いってわけでもないぞ。
要は何かを好きであることも、何かを嫌いであることも等価だって意味だ。
この世は何かを好きな人間と、何かを嫌いな人間が一つの社会で生きている。
批評において何が好きであるかが大事なら、何が嫌いであるかも同じくらい重要だろう。
美味しいものしか食べない人間は、その美味しいものの中から不味いものを選別する。
他人の好きを否定する人間と、その人間の嫌いを否定することに大した違いはない。
あると思っているのなら、それは君のポジショニングトークか、表現方法を選り好みしているからだ。
もちろん、それを選り好みすることは自由であるべきだが、他人の“自由”まで選り好みしてはいけない。
しかし、何らかの好き嫌いを表明することは、被害者であると同時に加害者にもなりうる。
『トイ・ストーリー3』が嫌いな人間だっているが、それでイコール自分の好きを否定されたと被害者ぶって、相手の人格攻撃を始めてはいけない。
おっと、「何かを好きである時点で誠実」、「何かを嫌いな時点で不誠実」だと思っているのなら、まずそこから降りたほうがいい。
先ほどもいった通り、それらは表裏一体だ。
どちらの態度を取るにしろ、片方を享受するならば、もう片方は甘受することが必然だ。
では“誠実さ”とは何か。
漠然としすぎているな。
まあ一例を挙げるなら、借りてきた言葉で表明した気になったり、それに乗っかって他人の好き嫌いを否定することは誠実といいにくいだろうな。
もしかすると、君のことかもしれないな。
学ぶべき教訓は、「他人の言葉じゃなく、自分の言葉で好き嫌いを語れよ」といったところだ。
仮にそうだとしても、私はそれを自分の言葉として昇華しているので極めて誠実だ。
そこ、ズルいとか言わない。
オタクは自分の好き嫌いに対してズルくなってしまう生き物なのだよ。
もちろん、私はオタクじゃないが。
元世界王者のジョージ・ヤオは5台のアイパッドを使い、シャワーのときすらビニールをかけてプレイしていたそうだ。
他にはスポーツチームの選手たちが夢中になりすぎて連敗し、監督が激怒しているってニュースもあったな。
あと出会い厨とか、親の金を大量に課金に使っていた小学生とか、一通りのことは起きているな。
もちろん、この話は『クラッシュ・オブ・クラン』関連、かつ国外での話であるから気にする必要はない。
こういうのにやたらと法を作りたがる者がいるが、ルールというのはそれがないと社会が回らないから必要なだけだ。
逆に言えば、なくても成立するならルールなんて必要ないってことになる。
日本の課金ゲーは運営も誠実で、ゲーマーも自己管理が出来ていて健全だ。
ユーザーたちも聡明で、万が一なにかあっても自己責任だと得心できる人たちばかりだから大丈夫だろう。
……いや、さすがにちょっと言い過ぎた。
自分もそういったゲームを多少はかじっているから、何とか取り繕いたかったんだ。
君に嘘はつけても、自分に嘘はつけないらしい。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
19世紀の頃いわれた「ロマンスは死んだ」とかが、それにあたるな。
ロマンスとは何かについて語っていてはキリがないので、ここでは「騎士道」などの「合理主義的ではない思想」程度の認識でいてくれ。
騎士そのものは形骸化し、文学などで語られることのほうが多くなっていた時代だから、そういった考えが出てくることは不自然じゃない。
この「ロマンスは死んだ」を誰が言っていたかまでは確証がないのだが、当時のイギリスの思想家の本に「ロマンスは死んだと言う人がいる」と書かれている箇所がある。
しかし、その著者自身は「ロマンスは死んだ」という説に否定的な態度をとっているが。
現代、騎士そのものについて言えることはないが、騎士道についてどうかというのは、私が語るまでもないだろう。
「死んだ」と言われて、それでも生き残ったものは「死んだ」と言われなくなる、ということだ。
まあ、本当に死んだものは「死んだ」とすら言われない、言ったとして大衆の耳には届かないという可能性もあるが。
いずれにしろ、少なくとも今のところは、ストーリーはまだ死んでいないということになるな。
むしろ他の国のほうが、この手の問題には熱視線が向けられているかもな。
Windowsみたいなのが普及していない、まだ映像メディアがVHSのころからファンサブってものがあったくらいだから。
翻訳の良し悪し云々の前に、字幕をつけることすら個人では困難だった時代だ。
それでも、一部の熱狂的なオタクは金と時間をかけ機材を揃えて字幕を打ち込み、それが無理なら翻訳した小冊子をつけるという荒業まで使って、当時はまだ狭かったオタクの村社会の中で作品を楽しんだり普及に努めたのだ。
非公式かつ違法であることを重々承知な上ではあったと思うが、当時は日本の多くの作品がローカライズされない、されたとしても大幅な改変をされることが多々あったからな。
どうしても見たい、或いはしっかりと楽しみたいならば、企業をアテにするのではなく自分たちでどうにかしたほうが良かったわけだ。
現代においては、(少なくとも昔よりは)公式もローカライズを積極的に行うようになった。
昔よりも容易く字幕を打ち込み、世界に発信することが可能になったからだ。
更に言えば、公式のローカライズは多くが“不甲斐なかった”というのもある。
近年の話だと、それなりに力を入れているとされるアトラスですら、「ペルソナ5」の翻訳は不評の声が多かったのが有名か(ゲーム内容そのものは好評だったが、それ故に不満が募るのだろうな)。
もちろん、そんなファンサブですら酷い翻訳は珍しくなかったし、ニュアンスの違いで意見が割れることも多々あったが。
公式、非公式問わず、そういった翻訳がネタにされやすいのは世界共通なので、画像検索すればいくつか出てくると思うぞ。
英語をかじった程度の私ですら、明らかに変な英訳だって分かるレベルだから安心したまえ。
このあたりの話を語っていたら、いくら文字数制限があっても足りないので、「どの時代も翻訳とオタクは面倒な存在」という雑な結論で締めくくらせて貰おう。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
お気に入り数の多い有名ユーザーが突撃しているというケースもあるだろうが、もうひとつ可能性があるな。
『スター連打』だ。
スターは1人のユーザーにつき1個までしかつけられないなんてことはなく、やろうと思えばありったけのスターを1つのブクマ(ブコメ)に対してつけることが可能だ。
試しに適当なエントリに、ブコメで「スターください」と書いてみるといい。
1人でも酔狂な輩の目にとまれば、ほぼ似たような現象が起きるはずだ。
自分で書いた記事に、自分がブクマ(セルフブックマーク、略してセルクマ)してコメントを書き、そのブコメに自分でスターをつけるなんてことも。
その疑問については半分YESで、半分NOだな。
基本的に人気ブコメ欄はスターの多い順に並ぶのだが、これは厳密には「多くのユーザーから星を貰った順」なのだ。
10人のユーザーから1個ずつスターを貰ったブコメと、1人のユーザーから10個のスターを貰ったブコメなら、前者が上にいくというわけだな。
人気コメ欄でスターが少ないブコメが上で、多いブコメが下に位置していることがあるのは、そういったケースであることがほとんどだ。
その点では、1人のユーザーが1つのブコメにスターを連打しただけで人気コメ欄を意図的に操作することは難しい。
スターを誰が、どのようにつけたかというのは、各ブコメの★マークのアイコンにカーソルを合わせるなりクリックなりすれば容易に閲覧できる。
だが大半のユーザーは他人のブコメについている星を、誰がどのようにつけたかなんていちいち閲覧しない。
ホッテントリの人気コメだけ見て、満足するような人たちもそこそこいるだろうな。
「うーん、この問題の是非について大した関心もなければ、言語化するだけの含蓄もないなあ。でも、ちょっといっちょ噛みしたい衝動に駆られるなあ。あ、この人気コメ。これだけ星が多くついているってことは、それだけ支持されているってことだよな。自分の持っている漠然としたイメージと近い意見のように見えなくもないし、迎合の意味を込めて僕もスターつけよーっと」
今回、学ぶべき教訓は「『いいね!』が玩具の宝石なら、星は石ころ」だ。
まあ、有り体に言えば無価値だ。
それ自体は人間の性だが、ふと俯瞰して見たとき「やっぱり無価値だ」と我にかえる冷静さが必要だな。
少なくとも、そのスターの価値を担保しているのは誰か、くらいは知っておけば損はしないだろう。
通貨と一緒だ。
余談だが、一昔前のはてブは人気コメ欄の影が薄い、影すらないといっていいデザインだったんだ。
人気コメ欄が今のように出しゃばってきたとき、仲間たちはかなり反対していた。
私が傭兵をやっていたという話すら信じてくれない。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ウィリアム・ハリソンみたくポックリいかれたら、アメリカ国民にとってはたまったもんじゃないだろう。
前例がある以上、慎重にもなるだろうさ。
余談だが、この質問に答えるために歴代のアメリカ大統領を軽く調べてみたんだが、割と地味というか・・・・・・繋ぎみたいな大統領も結構いたんだなあと勉強になったよ。
「地味なアメリカの歴代大統領、日本で例えるとどの人物?ゲーム」で友人と盛り上がった。
ハラキリってのが昔あったからなのも理由だが、現代でも自殺する人間が多いから。
だがそれがステレオタイプだって言われても、こちらとしてはすごい困るよな。
例えば『大阪の人に「バンっ!」とやったらやられたフリをする』ってイメージがあって、私も期待に応えて一応やられたらやるんだが、それみたいなノリで出来ないしなあ。
あと、手を合わせてお辞儀されると、いよいよ困る。
まあ、大なり小なり各国はステレオタイプのせいで苦笑いしているんだろう。
いい質問だ。
意味はあるように見せているが、意味がないようになっているというのが答えだ。
ふるさと納税と一緒だ。
誤解しているようだが、一般的に知られている桃太郎の話は、元の話をお子さま向けに脚色しているのだよ。
不思議な桃を食べた老夫婦が若返り、そのとき"あれこれ"して出来たのが桃太郎なのだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
「特に言いたいことが思いつかないけど、とりあえず難癖つけとけ」みたいな理由ではないことは確かだ。
そんなしみったれた人間は、はてブには一人たりとも存在しないからな。
意味が提示されていない場合、それは各々が見いだすものであるし、仮に見いだせなくても「意味がない」=「悪い」ではないからな。
「意味がないから」といって怒るような、さもしい人間はこの世界には存在しない。
なので私は「表現規制反対派の過激なメタファー説」を推したい。
多くの規制は作り手が自主的にやっているものだが、是非の判断については漠然としていることが多い(いや、まあ、ボーダーラインが可視化されてないからだろという指摘は、ひとまず置いといて)。
ドラ○もんという書き方は、○首や○ンコだけ隠れているものの、肌色率が圧倒的に高い絵みたいなものだな。
そして表現問題において、そういう可視化されていない境界線上のアウトセーフ議論が中々に厄介なのだ。
要はヤキモキする人が出てくる。
いっそのこと全部伏せ字にするか、或いは「エ」をちゃんと書いてくれれば、漠然とした境界線上をイ○イ○棒持って歩かなくても良いのに、と考えているのだろう。
・・・・・・いや、やっぱこの説はないな。
ああ・・・・・・そのようだな。
つまり、ドラ○もんの○には意味があったってことになってしまうな。
じゃあ「特に言いたいことが思いつかないけど、とりあえず難癖つけとけ説」にチェンジで。
これは質問者の君にも当てはまるから、意外にも有力候補になってきたな。
何か誤解しているようだが、巷の差別問題の大半は「人種」という枠組みの範疇でしか語られていないぞ。
人間を人間として扱うのは差別じゃないので、動物を動物として扱うことも差別じゃないだろう。
・・・・・・いや、当人が思ってなくても認定することは可能か。
じゃなきゃ、私は今頃チョウチョになってる。
そりゃあ、認定すべきだろう。
まあ、その個体を違う種だとするなら、除外しても良いと思うが。
「そういうことするのは差別じゃないのか」と言われても私は知らんよ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
手っ取り早いのは酒を飲むことだな。
いい感じに体が柔らかくなって、自分の腹に蹴りを入れられるようになる。
ウォッカとオレンジのスクリュードライバーが至高。
忘己利他。
この手の質問よく来るな……。
答えはNOだ。
それを同価値だとするには、“3万円の分の石”で3万円を交換できないといけないし、“3万円の分の石”を3万円払って欲しいものかという条件もいる。
だが一応、例外というか、“3万円分の石”を同価値として扱う方法はある。
そもそも金という貨幣そのものが交換のための道具だが、この“3万円分の石を貨幣として扱う”とするならばどうだろう。
現代の貨幣で様々なものが買えるというのも、ある意味で“社会というゲーム”に参加しているようなものだ。
それに参加した以上その石が貨幣、同価値だと了承しているというわけだ。
当然これは運営、つまり社会における強者の決めたルールでしかない。
だが社会における強者の決めたルールに従うのは、電子ゲームでも同じことさ。
ジェットコースターと同じ、乗った人間は笑って振り回されるしかない。
自由だと無秩序になりやすいという意見もあるが、そんなこと私は知らんよ。
流水行雲。
なれるわけがないだろ。
何を言っているんだ君は。
現代的な話で例えようか。
ゲームで欲しいキャラがいるとして、それをガチャ課金で手に入れるとしよう。
この時に「もう手に入れること前提で課金する」、「○円払っても出なかったら諦めよう」、「そもそも課金しない」、「というかゲームをプレイしない」には決定的な違いがある。
俯瞰して見てどれが良いかというのはともかく、少なくともこの中で最も耐え忍んでいるのは、理屈の上では「○円払っても出なかったら諦めよう」の人ということになる。
そもそも酒を飲まない人間を、「我慢強い」とは言わないからだ。
耐え忍ぶというのは、酒を飲みすぎないことをいうんだ。
「酒は飲んでも飲まれるな」、つまり“飲むな”とは言っていないわけである。
本当の意味で我慢強い人間とは、飲まない人間ではなく、飲んでも飲まれない人間だということだ。
……「分かっちゃいるけどやめられない?」
学ぶ対象は選びたまえ。
子虚烏有。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
トイレに行く前に手を洗えばいい。
身も蓋もないことを言えば、ブツを触るよりそこらへんの家具やオブジェのほうが遥かに汚い。
何かを汚いと思う忌避感は、大抵の場合は恣意的に区別された、個人的な問題だ。
だからといって、それを軽視することは人間関係において軋轢のもとではあるが。
だがありがたいことに、人間は多少汚いくらいじゃ支障がない体になっている。
体が健やかであれば風呂に毎日入る必要性はないし、三秒ルールで食べ物をとっても死にはしない。
愚問だな。
君はひょっとして低所得者だったりするのかな。
だったら答えは明白。
金の使い道をロクに思いつかないからな。
最低限の生活ができる環境さえあればいいと思っているから、金があったら使いたくなり倹約ができない。
そして恐らくジムに通うことになり、体を動かす快楽と、健康であろうとする自分に酔いしれる。
否定 ⇒ 怒り ⇒ 恐怖 ⇒ 取引 ⇒ 受容みたいなもんだ。
この5段階が何なのかは私は知らんが。
そうだよ。
人気エントリの追記を、別エントリで投稿する人間程度には信頼してよい。
これだと危険だし、何よりヤクザを可視化する術がないと排除できない。
時に“良識がある”と自認している人間は、物事の本質や現実を無視して、観念的な言葉で誤魔化す。
だが、そんなことを言っていられるゆとりがあるのは、“頭の悪いルールやマナー”のおかげで守られてるからだって考えることは大事だよ。
それで実際に排除されてるのが誰かなんてのは私は知らんよ。
……え? そもそも『ヤクザの公務員』という例えが意味不明だって?
ははは、なんだかんだいって日本は行政が機能しているほうだよな。
誰の仕業だろうか。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
そもそも「気持ちが悪い」というのは「否定」と同じってわけでもない。
私は自分の切った爪を瓶に詰めているが、それを気持ちが悪いと言われても心が傷つくぐらいで何の権利も奪われていないし。
偉大な功績を残した人物を、次回のプロジェクトから外す場合はリスペクトが足りない。
偉大な功績を残していない人物を、次回のプロジェクトから外す場合はリスペクトが足りてる。
まあ身も蓋もないことを言えば、その判断をする個々人が、その対象をリスペクトしているかどうかでブレるね。
……え? その判断をする個々人が、その対象をリスペクトしているかどうかの基準は?
その場合は見ればいい。
……まあ言論とか表現の自由は、批評の自由を奪うものではないので、有り体に言えば無視しても構わない理屈だ。
そういった話は、大抵なんかの聖書を読めば載っているぞ。
私が読んだのだと、他国を侵略したレバノン人が、レバニラの怒りを買ったと言われているな。
そのせいで肌が赤くなったらしい。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
では、言わなくて結構。
出来たらいいな。
私は超能力者じゃないので、100%正しく判断できる術は持たない。
そしてメディアリテラシーで必要なものはそういうものではない。
長々と語っても興味がないので、端的に答えよう。
そこから『あの人は酸っぱいものが好きなんだ』という「断定」。
……いや、この例えは違うな。
……いや、違うか。
なぜブックマークするかと問われて、栞だから後でまた読み返すためと答えるようなものか。
……これも違うな。
カラアゲにライムをかけるのは、一緒についてきたのがレモンじゃなかったからと言うようなものか。
……私はカラアゲ食わないしな。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
名前で呼べ。
つまり、そいつの名前がゲイだったらゲイと呼べばいいってことだ。
毒が薬として扱われていたり、本当の薬に発展したりもしたんだ。
毒にも薬にもならないものにも、何らかの効能は隠されているはずさ。
プラシーボ効果とか。
例えば私は酒を飲みながら、酒はトラブルのもとだと謳う。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
だが、学ぶべき教訓は「直せる内に直しておけ」である。
もちろん“直せる内”というのは、壊れている対象以外も包括しての話だ。
本当の意味での「動かない」とは、使う人間や求める人間がいなくなるときだと肝に銘じたまえ。
いい質問だ。
こう考えてみるといい。
その中にある“物語”を消費したいのさ。
だが、情報として消費するべきものすら物語を求めてしまい、結果として事実関係すら捻じ曲がってしまうことがあるのが厄介だ。
例えば秋葉原のヨドバシカメラで、Wii発売日にルイージが乱入したという有名なデマがあるよな。
実の所これは事件でも何でもなかったのだが、その当時のネットの書き込みで、とある人間がそこに物語を付与した。
それでも、彼らはその物語を持て囃した。
嘘だったとしても、大半の人間は痛手を負わないのなら尚更だろう。
そして、こういった精神が時に判断を鈍らせてしまうという好例だな。
今回、学ぶべき教訓は「リテラシーとは物語を求めないことである」といったところかな。
言うまでもないことだとは思うが、私の回答にリテラシーは必要ないぞ。
……我ながらしゃらくさいな。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
つまり、そういうことだ。
コミケとかでも金が取引されたとしても、モノは「頒布」と表現するだろ?
……この例えはちょっと違うか。
私のエントリに来て、それっぽい回答を思いついたときは返すこともある。
もちろん、「それっぽい回答」とは私のやってるFAQの枠組みでという意味だ。
月並みな返ししか思いつかなったり、不毛なレスバトルにしかならないと感じたら自重する。
そんな調子で他人の話にわざわざ首を突っ込んで、くどくどと持論を展開させていたら面倒くさい人になっちゃうだろ?
いい質問だ。
昔話をしよう。
とある人物A、B、C、Dが、とあることで熱心に議論していたときのことだ。
Cの意見は前向きではあるのだが、観念的なことを語っているばかりで中身がない。
Dはというとアニメを観ていた。
……察しの良い人間なら、すでに私の投げかけたこの疑問自体がミスリードであると気づいただろう。
つまり、そういうことだ。
あ、ちなみに私は上の話だとF的存在だ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
そうだなあ、YESでもありNOでもあるというべきか。
同じだといわれれば同じではあるが、違うともいえなくはない。
以前の私をスタンダードな回答者と定めるなら、今の私は夏バージョンの回答者だな。
時には職業を変えたり、ちょっと若返ったり、アナザーワールドの私が回答することもあるぞ。
特にイベントが絡まないときは通常の状態以外にも……ちょっとワルな回答者になることもあるかな。
おっと、そろそろハロウィンの準備を始めないとな。
前回は干し柿虎だったから、今度は牛泥棒のコスプレで行こうか。
見た目が差分だが、まあバレないだろう。
聞かないでくれ。
靴ずれのせいかもしれないし、私の首が回転するせいかもしれない。
だが最も有力な説としては、私の心臓が普通の人より一回り小さいせいかもな。
ああ酷い、最低の質問だ。
でも、それとこれとは話が別だ。
私の友人いわく「キャベツみたいなレタスは、キャベツとして扱う」らしいが、些か理解に苦しむね。
私の管轄外だな。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
『美女と野獣』を知らないのか。
城主は野獣になる呪いを受けてしまったが、ヒロインの優しさによって真の愛に目覚めるという話だ。
内面の美しさを見出した城主は呪いがとけて、イケメンに戻るわけだな。
人間ってのは総体的に評価するもので、そこに優先順位が各々である。
つまり内面が美しければ良いことだし、その上で外面も良ければなお良い。
もっとも、君が野獣側か美女側のどちらでもない、その地点にすら立てていない状況なら、そもそもナンセンスな質問だが。
具体的にそういったことを考える必要に迫られる対象が現時点で存在しないなら、より普遍的な答えになるのは当然の話だ。
いい質問だ。
この情勢に対して大人は現実をまともに見なくなったとかいうロートルもいるが、そんなことはない。
そして、この夢想対象としては「今の自分とは違う何か」が選ばれやすい。
なぜならスーパスターとして活躍する職業は、実際に存在しているものだったからだ。
現実逃避のための夢想であるのに、現実がかえって今の自分を苦しめるのだ。
そういった人のために対象となったのが、魔法少女であったというわけだ。
なるために要求される才能だとか、努力の方法といったものが不明瞭だからだ。
夢想するときに、そういったものをロジカルに考えることほど無粋なものはないからな。
夢想というものは、なって何をしたいか、何をすればいいのかだとかがフワフワしている方がよい。
その夢想対象で享受できる美味しい所だけ味わうために、魔法少女は都合が良かったというわけだ。
まあ私もニンジャになりたいとか、サムライになりたいとか言ったことはあるので、本質的には似たようなものだな。
もし現実で魔法少女が本当になれるような代物になったら、恐らくほとんどの人は色々と理由をつけてなりたくないって言うんじゃないかな。
「なりたいっちゃあ、なりたいけど、どうしてもってわけじゃあない」とか、「自分が思っていた魔法少女はこんなんじゃない」といった具合に。
まあ、何でもいいか。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ビデオ屋の店長と、ハリーポッターの何作目の役者が一番エモいか議論していたことだ。
私は4作目の炎のゴブレットのときがエモいと思うのだが、店長は5作目の不死鳥の騎士団がエモいといっていた。
ロン役のルパート・グリントのエモさが特にすごいことに関しては意見が一致していたが。
ビデオ屋で働いている友人は、ハーマイオニー役のエマ・ワトソンがエモいといっていたが、友人のいう「エモい」は何か趣旨が違うんだよなあ。
半分は本当だ。
例えとして、私の両親の話をしよう。
帰省したとき、その日は一段と暑かったのだが、電気代を節約したいといってエアコンをつけたがらないんだ。
仕方がないので飲み物でもと冷蔵庫の中を見ると、大量の食べ物が入っている。
あまり日持ちしないものが多く、家族みんな食が細いので食べきることは難しいであろう量だった。
と思っていたら、中に入っていた食べ物の半分は既に期限を過ぎているじゃあないか。
このことを尋ねると、「あ~そうなんだ」と意外にも反応は薄い。
どうするのかと聞くと、捨てるのだという。
私はその時「無駄になった食べ物をそもそも買わなければ、いまこの部屋は快適だったろうに」と思ったが、結果論をクドクドいっても仕方がない。
テレビや電灯をつけたまま寝る癖も相変わらずだったが、私の口からツマラナイ正論など聞きたくもないだろうしな。
さて、この話を聞いて、辻褄が合わないと思ったかな。
私も最初はそう思ったが、違うのだ。
食べ物を大量にためこんで、仮にそれらを食べないまま捨てることになったとしても、両親にとってそれは「無駄ではない」のだよ。
少なくとも、暑いからといってエアコンをかけて電気代を消費するよりはね。
要は、自分にとって欲しいと思うものは財布の紐は緩いけれど、そうじゃないものは頑なというだけの話さ。
ゲームのためにたくさんお金を払ったり、グッズを「保存用」だとかいって何に使うわけでもないのに買うのだって、その人にとって無駄ではない。
別に皮肉だとかではなくて、大局的に見れば生活に必要なもの以外は余剰なのだよ。
余剰なものは誰かにとって有意義なものかもしれないし、逆に無駄なものかもしれない。
そして、それをどう扱うかということも含めて、ね。
ニュースとかで様々な要因が挙げられているように、現代ではそれがより顕著になったということさ。
いや、仮に後悔しても、それすら糧にすればいいだろう。
私は、この質問に答えるためにかけた時間を無駄だと思っているが、悪くないとも思っているぞ。
というわけで、締めの教訓は「無駄も愛せば無駄じゃない」あたりにしておこうか。
まあ仮に走っている状態だとしても、君が跳んだときに電車が走った距離分、君も移動しているから同じ場所に着地することは可能だが。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
と思ったが、考えてみれば修正はされるものの陰部の描写自体はしっかりとあるのでこの例えは不適切だな。
パブリックドメインになっていて手軽に観れるものもあるから、興味があるなら自力で探したまえ。
今でこそ医学の進歩で治る病気は増えたが、昔は不治の病だといわれていたものも多い。
その時代の人々はどうしていたと思う?
立ち向かっても勝てない病は、受け入れたのさ。
死に至る病であっても、人によっては笑いの種にしたものもいるほどだ。
さしずめ、その時代の意志を受け継いだ“不治の病”が、重課金なのではないだろうか。
生憎、私は医学には明るくないので、それが不治の病かどうかは分からないのだが。
描く必要はない。
正確に言うなら、チキンライスにケチャップを使っているのだから、かける必要がないということだ。
誤解して欲しくないので念のため言っておくが、ケチャップなどのソースをかけていないオムライスはあるからな。
もちろん、ライスにケチャップを使わずに、卵部分にのみケチャップかけているオムライスも店も実際に存在する。
私の店ではない。
私は嘘は言っても間違いはしない。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
どこが笑って、どこで泣くべきか、それを担保してくれる。
更に、そうすることで感情は増幅する。
より楽しめるということだ。
自分のセンスを信じろっていうが、実のところ皆どこかで他人の顔色を窺わないと楽しめないのさ。
そりゃあフルチンさ。
おっと、「別の凶器の方が目立つからですね」みたいなクソつまらんジョークを言ったら脊髄を引きずり出してやるからな。
生憎だが私は神様じゃないし、人間は基本的に争いが好きな生き物だからな。
だが対症療法でよければ答えよう。
要は先ほどの回答の応用だな。
毛が生えているなら尚よし。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
これは9割でも1割でも良いという意味だ。
“事実”というものは酷く退屈であるか、酷く残酷なもののどちらかだからな。
そんなありのままの“事実”を、時間や金を浪費してわざわざ享受したいというのならば止めはしないが。
前提として知っておくべきは、アイドルというものは虚構(フィクション)の存在であるということだ。
有り体に言えば騙すことで成り立つ商売だ。
だが、これは必ずしも悪いことではない。
自意識に多少の差はあれど、受け手は積極的に騙されにいっているのである。
ならば作り手もそれに応えるように存分に騙してあげるべきだろう。
「ファンを愛しています。恋愛をしている相手は君たちとは別にいるけどね」は矛盾しない。
だがそれで納得する、成熟したファンがどれだけいるかということは、作り手も把握しておくべきことだ。
それを把握しておかなければ、その虚構の作り方が稚拙であると評価することは妥当だろう。
彼らの「裏切られた」という言葉も、要は「フィクションの作り方が下手くそ」だと変換してみれば分かりやすい。
極端な話、こっそり恋愛をしていたとしても、それがスキャンダルにならなければ問題ないのだ。
なぜなら可能性としては存在していても認識しなければ、それは存在しないことと同義だからである。
「アイドルはウンコなんてしない」みたいな文言も似たようなものだ。
冷静に考えればありえないことなのは分かりきっているが、「ファンは見たいものだけ見たい、見たくないものは見たくない」ということを象徴する名文句だ。
まあ、私の友人はスカトロ趣味らしいから「むしろイケる」とか言っていたが、まあそんな文字通りのクソリプするイレギュラーは置いておこう。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
昔のワルさ自慢なんていい大人のすることじゃあないが、まあ答えよう。
「こちら側のどこからでも切れます」を切れにくくするイタズラをしていた。
何を隠そう、君がたまにアレを上手く開けられなかったのは私の仕業だったのだ。
もちろん、あくまで子供の頃の話なので、もし未だに開けられない袋に出会うことがあるならば、それは君の問題だ。
噂では生業としてやっている奴も未だにいるらしいが、残業代は出ないらしい。
せいぜいサムズアップしつつも皮肉のあるレビューをすることで、不評を賛否両論に押し上げている程度のことくらいしかしない。
そういえば、Amazonレビューとかでも似たようなことはしたことがあるな。
レビューにかこつけた「隙あらば自分語り会」や、「知識お披露目会」とかを開催したことはあるな。
これが意外と参加者が集まってな。
今は私の元を離れて別の人たちが主催しているが、内容はほとんど変わっていないから大丈夫だ。
そうすることで、他人の評価なんぞアテにするもんじゃないってことを遠まわしに伝えてやっているのだよ。
……なんていうこともなく、単に自分本位にやっているだけだが、皆そんなもんさ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
頭の中は啓発者。
でも心はチーマー。
ストリートファイター2の種類くらいかな。
ああ、ちなみに海賊版は除く。
例えば茶色と一口に言っても、実際の配色次第で名称が細分化されているだろう。
茶色、薄い茶色、濃い茶色、まつざきしげる色、茶色みたいな色、ウンコみたいな色、といったようにな。
つまり我々は普段それを便宜上は茶色と言っているだけで、全く同じ色だとは思っていないのである。
ストリートファイター2もそう考えるとよい。
私は全てのソーシャルゲームを「阿漕な課金ゲー」と評しているが、それはこの茶色理論に則って言っているだけで、全く同じ阿漕だとは思っていないので誤解なきよう。
そして、その茶色理論に則って色覚異常がやるゲームだとも評したことはあるが、当然ユーザー全てが同じ色覚異常とも思っていないのでそこも誤解しないでくれたまえ。
ウィスキーだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
例えば、フライドポテト。
揚げ物ということで多いように見えるが、実のところ質量に対して脂質は大したことがない。
脂質の低いジャガイモを揚げたところで、たかが知れているということだな。
それに対して、マカダミダナッツの脂質は100gあたり約77g。
フライドポテトのおよそ7倍……化け物だな。
まあ、この話は有名だが、この事実だけで正しく認識することは難しい。
食用油には、サラダ油、オリーブオイル、ごま油、ココナッツオイル……
まあ色々あるが、これらが全部同じかといったら、(具体的に説明できるかはともかく)違う油ということは分かるだろ?
専門的なことはともかく、要は「脂の質」さ。
ひとまず、成分表記だけが全てではない、ってことだけ覚えて帰ってくれればいいさ。
まあ、最終的には食べたいものを食べることが一番であることは言うまでもないことだが。
私の酒の肴はポテチと、低俗な見出しと内容のホッテントリだが、誰にも文句は言わないぞ。
なんだその状況は。
まあ、答えはそれでもYESだ。
それで行為にもつれこんで相手に文句を言われたら、粛々と受け止めるべきだろう。
文句も言われずトラブルにもならなければとりあえずは大丈夫だが、それは結果的な話でしかない。
同意がなければ犯したことになるし、それが糾弾されていないというだけだ。
もしも互いが普段から仲の良い関係性を築いていたとしても、それは同じことだぞ。
相手は犯されるリスクを排除しなかったという点では落ち度があるかもしれないが、それと犯されたことの是非についてはまた別の問題なのである。
つまり、いくら相手が犯されるリスクを排除していなかったとしても、いずれにしろ犯した人間が悪いことには変わらないのだ。
自分のいれた紅茶を他人が飲むというプロセスは、それくらいに繊細で難儀であることを知っておくといい。
まあ私から言わせれば、そもそも自分で紅茶をいれて自分で飲むだけにしていれば、こんな面倒くさいことを考えなくて済むとしか思えないのだが。
ちなみに淹れるのが女で飲むのが男の場合、それを飲み干せば成立するのだろうかとか、そんなこと私は知らんよ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
それなりに波乱万丈な人生を送ってきた私も良くは知らないな。
私が出会ってきた人間は、ほとんど分かりやすく暴力的な奴らばかりだったから。
覚えている範疇でそれっぽいのは、「愛佳は俺の嫁。彼女はまだ知らないだけだ」みたいなことを言った人間かな。
まあ「お兄ちゃんどいて!そいつ殺せない」みたいなものだと思うので、話半分で聞いていたが。
玉乗りに挑戦していたんだが、飛び降り着地するときに勢い余って顔から地面に突っ込んでしまってね。
地面も砂利の混じったグラウンドだから、これが痛いの何のって。
なぜ顔から突っ込んでしまったのか、なぜ玉乗りなんぞをやったのか、今でも自分自身のことなのに理解に苦しむよ。
次点だと折りたたみナイフをたたむ時に、刃の部分を指で押し当ててたたんだことだな。
すぐには血は出てこないんだよ。
時間差で親指がパックリ開いた瞬間を見たね。
それでもテープの絆創膏を貼ってるだけで、傷も残らず治るんだからすごいよな。
おかげで酒の席で語れるような武勇伝がないのが個人的には悲しいところだが。
両方正解だ。