真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
年老いてから運動を怠れば不健康まっしぐらだが、やり過ぎたりやり方を間違えれば間接は磨り減って二度と戻らず、悲鳴をあげることになるだろう。
体にいいものを食べるとか、運動を心がけるといったものは側面的な話に過ぎない。
バランスを保つのに必要なのは、保たれたバランスを知ることだ。
肉を食っているときに野菜を食えといったり、ラーメンのスープを飲み干そうとして止めてくる人間がいれば、それはただのウザい奴だ。
少し前の私なら、ここで健康食品をススめているところだが、今は別の仕事をやっているから適当なことしか言えないな。
つまりはスーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス……
ウィルスバスターがあれば、ファイアーウォールもOSのセキュリティ更新もしなくていいか?
仮にそれも良かったとして、お前はそれで安穏と暮らせるか、って話さ。
自分の部屋のどこかにいるであろう虫の存在が、常に頭の片隅に残ったまま就寝することになっても知らんぞ。
虫の駆除以上に、その残骸の掃除が嫌だって人も多いんだからな。
ウンパルンパドゥペディディー……
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
己の手だ。
次点でお湯だ。
逆に言えばこの二つ以外のものが要求されるときがあるならば、別の側面からアプローチして洗う手間をあらかじめ軽減したほうがいい。
少なくとも、他の食器にまで影響を及ぼすほど汚れまくっている皿を流しに突っ込んでくる人間は悔い改めるべきだな。
いや、また始めた。
動物番組とかで、テロップとか声優とかが吹き替えているものがあるよな。
100%じゃなくて、50%くらいの精度で翻訳するのがコツらしい。
私も最初は不安だったが、上司に「愛玩だとか、人間の理屈で動物の是非を決めている時点でエゴまみれなんだから、堂々としてろ」と言われてからは吹っ切れたね。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
そもそも主語を使わなければ話が通じないという固定概念を捨てたまえ。
ネコイヌは4本の足が尻尾になっており、ヒゲは背中に生えている。
耳は腹に一つだけあり、人間の言葉を理解し、喋ることができる知性がある。
ちなみに口は通常と同じく後ろの方にある。
何が言いたいかというと、もし君が私のネコイヌの説明に引っかかりを覚えたなら、それこそが目論見だったと考えてもらえれば分かりやすい。
私は枢機卿。
独占配信以外に評価すべきところなんて、数える程度にしかないんだぞ。
あと、決して私はNetflixの回し者ではない。
そういえば先月、友人に「お前は例え話が下手だ」と言われたが、そんなことないよな。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
まずはテーマ作り。
差別的な扱いをされてきた歴史のある、例えば黒人の半生とかをテーマにするとよいだろう。
麻薬とか、貧困だとか、同性愛だとか、センセーショナルな要素もあるといいかもしれない。
やや狙いすぎだと思われる可能性にも配慮して、ノンフィクションをモチーフにしたと謳っておけば、観客もそう安々とは批判できないはずだ。
或いはブロードウェイミュージカルとかやっておけば間違いない。
多少のストーリーの整合性だとか陳腐さだとかも、歌って踊れば誤魔化せる。
後はちゃんと手を抜かずに作れば、「なんだかんだで良い映画」って感想になるだろう。
きっと何らかの賞には引っかかってくれるさ。
恐らく、そこまで多くないだろうな。
国によってはほぼ同時期に公開されたこともあったらしく、よほどの映画好きじゃないとノミネート作品を全て観るのは難しかったはずだ。
場合によっては動画サイトなどで独占配信されているものを観た方が手っ取り早いかもしれないな。
まあ観なければ賞賛も批判もすべきではないとはよく言われるが、観ない範囲内で可能な評価の仕方もあるんじゃないか。
どれもなんだかんだ言って良作揃いだぞ。
あと、決して私はNetflixの回し者ではない。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
君が考えた対策を当ててあげよう。
「どっちも大事」、何も分かっていない。
では何か。
答えは簡単だが、その前に君は知っておくべき2つのことがある。
1つ目は、「取捨選択の天秤に乗せるものは、とても細かくてはいけない」ということ。
君が天秤に乗せるべきは、正確には「ゲーム」と「彼女」ではない。
例えば親の葬式があったとして、それを彼女のデートよりも優先するのは、別に「彼女」よりも「親」が大事だからというアンサーになるわけではないだろ?
そして2つ目は、物事の比重は不変であり、常に一定ではないということだ。
「ゲーム」と「彼女とデートをすること」で、いつだって「彼女とデートをすること」を選ぶわけではない。
何が比重を占めるかってのは、「ゲームでいまいいところ」だから、「期待の新作の発売日で早速やりたい」とか、そういう些細な理由で十分だ。
「『ゲーム』と『彼女』ならいつだって彼女を選ぶが、『ゲーム』と『デート』ならゲームを選びたい気分のときもある」ということだ。
つまり答えはこうだ。
実にスマートな回答だな。
もちろん、それで納得するかどうかは君たちの問題だが。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
まずは「肯定している可能性」と、「否定はできない可能性」の区別をするとよい。
そもそも、この世は危険で溢れているし、自分がそれに巻き込まれない可能性は排除できない。
いくら注意したところで、だ。
高いところから物が落ちてくるかもしれないし、雷に打たれて死ぬかもしれない。
車は毎日走っているし、あらゆる交通機関で事故の可能性は伴う。
階段から転げ落ちるかもしれないし、浴槽に浸かっていたら溺死する。
それでも私たちが安穏と生きているのは、別にその可能性を知覚しているからでも否定しているからでもない。
正確にはあらゆる可能性を“肯定していられない”と言ったほうがいいかな。
私は批難袋と非常食を常に用意し、シェルターも保有していて、有事の際のもろもろを多く身に着けている人間だ。
だが、それは肯定している可能性のベクトルだとか数の問題で、絶対的な安全だとか、万全な準備などを意味するものではない。
サメに襲われることを恐れて海水浴をやめたり、自動販売機に殺されたくないから喉がカラカラになっていくのを我慢したりはしない、というわけだ。
あらゆる可能性を肯定しなければ生きていけないのならば、人類は既に絶滅しているといっても過言ではない。
私は不幸や不条理で死ぬ可能性も、自業自得で死ぬ可能性も明確に区別していないし、できるとも思っていない。
そんな世界で「否定はできない可能性」に怯えて生きる方が、むしろ正常ではないと思うぞ。
断っておくが、仮に私がその「否定は出来ない可能性」によって死ぬとしても答えは変わらないからな。
まあ、答えは変わらないとは言っても、死人に口はないのだが。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
つまり、あくまで筆者個人の語りを代弁させているというわけだな。
なので会話の内容は覚え書きが不可能なほど、不自然に長いことがほとんどだ。
まあ、本当にやっているとしたら録音でもしないとダメだろうな。
内容なども加味して、パブリックな場所でそれらの会話を他人が聞き取れて、なおかつ記憶できるというのは考えにくいため、まあ十中八九は架空だ。
その会話の内容の導入部分や、場面が不自然なことがウケて、この方式をとる人が多いというわけだな。
このあたりは媒体によって様々で、動画だと「総統閣下シリーズ」とか、「ゆっくり解説」など語り手に加えて仮想の聞き手も同時に配置することがあるな。
歴史を辿れば、別の人物を複数設けて作り手の主張を代弁させるというやり方は、ずっと前から普及している。
なぜ個人で語ればいいことを、わざわざそのような形式でやるかは諸説ある。
聞き手と話し手を配置することによって、話の構造を理解しやすくするため、だとか。
「自分」という存在を、その話から排除しつつ語りたいから、とか。
自分以外の誰でもいいから、そういった代弁者を求めているのかもしれない。
自己主張と、自分という個のギャップに苦しんだ結果かもしれないな。
まあ対談形式であろうが、なかろうが、本質的には同じなのだが。
おっと、念のためにいっておくが、「同じ」というのは私はもちろん君も含まれているぞ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
君のそれは、本当に子供の頃と“変わらない在り方”といえるのかな?
同じものに付き合い続けたとしても、“付き合い方”は変わる。
付き合い方が変わる、言い換えれば、それは「変えなければ付き合えない」からだ。
それは君自身の趣味嗜好が、実質は変わっていることの所作だと言っても過言ではないだろう。
結婚してから数十年経った熟年夫婦の仲が変わらず良好でも、セックスはしないだろうっていう話だ。
ちなみに私はそんな熟年夫婦を一組知っているが、話の趣旨が逸れるし、そんな話をしたくもない。
食べ物で例えるなら、ラーメンを今でも食べるが、スープは飲み干さなくなったみたいな話だ。
私は飲み干すがな。
……ピンとこないか。
……あ? ピッツァ?
……チッ……お互い歳はとりたくないものだな。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
レバニラはマズい。
だからといって、レバノンやレバニラが中村恭平や村中恭平と相関関係にあるわけではない。
日常系のことだ。
例えば裕福であったりだとか、争いだとか漫然とした不安の存在しない、問題のない世界。
もしも、それを享受するとするならば悦楽的だろう。
当然、そんなことを完璧にこなすことは現実的ではないので、建前だけでも目指すならば虚構を含んだり逃避する必要がある。
人々が社会と共にあるのは避けられないことではあるが、意識下においては二人三脚というわけではなかった。
それを反映させるなり、象徴的に描く媒体として、フィクションが都合のいいものであった側面は否定できないだろう。
もちろん、そこに停滞感があると恐れるが故に、それらを破壊するフィクションも一定数は好まれているが。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
エイプリルフールってのはな「嘘をついてもいい日」だ。
「嘘をつくことが義務の日」ではない。
なので私が嘘をついてもつかなくても、それはエイプリルフールとさして関係のないことだ。
つまり、答えは「気分次第」となる。
それで出てきた内容の真偽、そして是非の判断は君がすることだ。
まあエイプリルフールだろうが、なかろうが、基本的に嘘はつかないに越したことはないさ。
「許されている」ことと、「認められている」ことは近くて遠い。
いい質問、ではないな。
「この社会は努力が報われるように出来ていると思いますか」ではなく、「どうなった場合に努力が報われたと感じますか」と質問すべきだ。
そもそも何かを目的にして努力をすることは、ほとんど個人的な問題だ。
その報酬の中には、一部だけ社会から得られるものもあるので、錯覚するのも無理からぬことだが。
身も蓋もないことをいえば、個人の努力が報われるかどうかなんてこと自体は、個人以外にはどうでもいいことだ。
君の好きなゲームで例えてあげよう。
君が毎日シコシコとログインして吟味しているそれらは、一体全体どのようなものを期待して、報われると思ってやっているものだ?
つまりは、そういうことだ。
君は努力が報われるかどうか以前に、そもそも“努力”というものの恣意性と多様性についてもう少し考えてみるべきだ。
その時、改めて質問したまえ。
まあ、本当にちゃんと考えているなら、そもそも私に質問なんてしてこないはずだが。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
もし君が採用する側だとして、履歴書にズラーッと資格が列挙されていたらどう思う?
「頑張っているなあ」と思うと同時に、「努力の方向音痴」、「バカみたい」だと思うだろう?
実のところ資格ってのは就職をそこまで有利にできる代物ではない。
ラ・ラ・ランドだって、やたらめったら色んな賞をとっていてバカみたいだが、だからといって面白い映画であることは揺るがないだろう?
……でも主題歌賞はシング・ストリートとかに取って欲しかったなあ。
答えはNOだ。
運は責任を取れない。
学ぶべき教訓は、「要因と責任は必ずしもイコールではない」ということだ。
責任も運以外の誰かがとらないといけない。
そして、その可能性を減らす努力はすべきってのが社会の大意になるわけだな。
ああ、だからといって「エロい格好をしたからお前はレイプされた。だからお前が悪い」とか言うのはやめておきたまえ。
要因だとか責任は必ずしも比例しないし、イコールとも限らない。
エロい格好をしても、しなくても、レイプはされるかもしれない。
まあ、それはそれとして可能性を減らす努力を、あくまで側面的に語ることは無駄ではないと思うがな。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
一見すると遠慮しているように見えるけど、その実は主張が激しいという決まり文句。
それみたいなもんだ。
ああ、そうだ。
ジャンプカットされたバンズや、ボイスオーバーのパティがふんだんに使われていて、それが当時は画期的だったらしい。
潮流は私が生まれるよりもずっと前になくなっていたようだが、今でも調理法は現代に残っていて、実写映画だけでなくアニメなどでも使われている。
特に「シャフト」というスタジオは“アニメ界のヌーヴェル・ヴァーグ”と呼ばれているらしい。
……おい、はてなキーワードにヌーヴェル・ヴァーグあるじゃないか。
畜生が、分かっていればこんな質問に乗っからなくて済んだのに……。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
例えば君がアイドル好きだとしよう。
でもだからといって、君自身がそのアイドルの服を着たいわけではないだろ?
つまりは、そういうことだ。
……え、着るのか。
ひょっとして、アイドル界における暗黒時代って奴がきているのだろうか……。
確か「店員に服のサイズを尋ねてください」みたいな問題文だった。
私はその問題文にあった隙を突いて、「この店の舞台は英語圏じゃないし、店員も外国の人じゃないから、日本語で答えてもいいですよね」みたいなことを書いて、英語ではなく日本語で答えを書いてやったのだ。
察しの通り、私はもとから真面目に答えるつもりがなかった。
だが、英語の先生は、その問題で貰える点数のうち半分をくれた。
「理屈は分かりましたが、これは英語のテストなので英語で答えてください」といった丁寧な補足を答案用紙に書いて、だ。
私はその時思った。
「え、点数くれるんだ」、と。
今回学ぶべき教訓は、「屁理屈も理屈の内である」ということだ。
詭弁は人を救いはしないが、だからといって役に立たないわけではない。
……念のため言っておくが、君が学ぶべきは私の屁理屈の方ではなくて、先生の理解しようと歩み寄る方のことだからな。
つまり、回答をした時点で私の役目は終わっている。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
「何ですか」と言われてもなあ……。
“そういった性癖・嗜好・病気などの人たち”が集まる匿名掲示板でよく使われている挨拶だよ。
そこから波及してネットの色んな所で使われ始め、ここ匿名ダイアリーでもよく見かけるようになったな。
ここでの用法としては、以前に私が回答した「ねこみこれいむあいしてる」と似たようなタイプだな。
別段仲良くもないが、近所なので顔を合わせるときがあって、その時は軽く会釈なりする。
時々、何をしているか分からないが、何らかの工事をしている音が聞こえる。
その人たちが引っ越しの準備をしているとき、何の感慨もないけれど「ああ、あそこの○○さん引越しするんだ」という、見たまんまの感想を思わず言ってしまうような存在。
いい質問だ。
もし君がその日ガムしか胃に入れていないなら、きっといつもの色と違う明らかな便が拝めるはずだ。
私も子供の頃はガムをよく飲み込んでいたが、ある日の便はツートンカラーだった。
いつもの色と、私が食べていたガムの色が見事に分かれつつも、ひとつに繋がっていた。
その時、私はバリウムを飲んで白いウンコが出るといった話を思い出していた。
それと似たようなものだと思って大して気にも留めていなかったが、いま考えるとヤバかったなと思うよ。
分かっていると思うが、くれぐれも真似しないように。
下手したら厄介なことになる。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
私がレイシストかどうかはともかく。
つまり動物や人間などといった種の違いはレイシズムには該当しない。
だから私がレイシストであろうがなかろうが、動物の好き嫌いとは関係がない。
君が動物好きだったとしても、レイシストである可能性はなくならないぞ。
もしも君がそこにレイシズムを感じるなら、それは君がファーリーだからだ。
そんな奴は友達ではないな。
行くなよ、動物の森。
誤解しているが、そもそも言語というものは現実を語るのに適さない。
だが人は言語でしか現実を語れないので、その手段を使わざるを得ないのだ。
つまり漠然とした現実という概念に対して、近いか遠いかだけの差である。
もし君が私の言語を非現実的だと見るならば、それは君が現実や言語といったものを正しく捉えていると自負しているつもりなだけである。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
そういう時は「カニンガムの法則」だ。
これは「インターネット上で正しい答えを得る最良の方法は質問することではなく、間違ってる答えを書くことである」というものだ。
例えば、「ヒロインが序盤で妊娠&出産をしているアニメ」があるか知りたいとしよう。
このとき、「ヒロインが序盤で妊娠&出産をしているアニメはありませんか」と質問してはいけない。
「ヒロインが序盤で妊娠&出産をするアニメは存在しない」と書くべきだ。
こうすることでむしろ訴求力が上がり、参考になる回答が多く出てくる可能性が増す。
私もこの方法で、ヒロインが第1話で既に妊娠しているアニメが見つかった。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
答えとしてはYESだが、残念ながら人間ほど整備はされていないのが現状だ。
このあたりは近年でもちょくちょくメディアで取り上げられて、機械にも人間と同じ労基を望む政治屋もいるが、「機械に人権はない」という論調が主流だな。
なのでフル稼働で働きたいだけならともかく、もし人一倍働いて人間より多くの給料を手に入れるだとかを期待しているなら気をつけたほうがいい。
油断すると、まともに貰えないかもしれない。
なので念のために、交渉用の武器をオプションで搭載してもらおう。
俗に言う五次元だな。
その爪を見つけたいなら、何とかして未来にメッセージを届けるしかない。
そしたら未来の人が見つけてくれる。
後はその爪を持って元の時代に戻ればいい。
もし君がそんなことをせずに爪を見つけたのなら、そこには未来の人間たちの才能と愛情があったことを噛み締めて欲しい。
君がこれまで生きてきて、他人の言ったダジャレを聞いたときに「死ね」と思った回数だよ。
或いは、自分でも面白いとは思っていないのに、ほぼ無意識に言ってしまったダジャレの数だ。
720という数字はそのどちらかだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
親子丼は卵と鶏肉を使っているので親子丼ということなのだが、その卵と鶏が親子関係かは真偽不明である。
その親子丼となった鶏肉と卵は、親子ではないが親子としてドラマを紡いだのではないだろうか。
私が読んだとあるグルメ漫画では、「真の親子丼」として本当に親子関係の鶏肉と卵を使った料理が出てきていたが、私から言わせれば全ての親子丼は親子である。
仮にそれら親子丼を、他人丼と呼ぶとすると、「そもそも人じゃねえよ」ってなるしな。
私が読んだとあるグルメ漫画では、「新の他人丼」として他人の人肉と卵管を使うという料理が出てきていたが、私から言わせれば全ての親子は他人である。
エントリーカードはユーザーカードが自分の場に出ているときしか出せない。
ここまでは君も理解できているようだな。
じゃあ、ユーザーカードとエントリーカードに書かれている属性の欄を見ろ。
例えばア属性のついたユーザーカードが場に出ていて、この状態で漫属性のエントリーカードを出したいとする。
この場合は出すことができない。
つまり、場に出ているユーザーカードと同じ属性のエントリーカードしか出せないということだな。
もし漫属性のエントリーカードを出したいなら、追加でユーザーカードを場に出すか、ユーザーカードの属性を変えるトラックカードや新たに属性を付与するトラックカードをバックヤードから取り出す必要がある。
ユーザーカードの中には複数の属性を持つものもあるが、色々と制約があったリスクが高かったりするので初心者にはむしろ使いにくいな。
上級者は複数の属性を使いこなすことも可能だが、ひとまず初心者は属性を統一させたデッキレシピを採用した方がいいだろう。
炎属性に追従系カードを出張させたのか、デ属性をまとめたものが現環境のトップだが、私としては匿名統一テーマも環境に刺さっていると思うぞ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
上手に騙してね~嘘は嫌いで好き~
ペンキが乾くのを観察することだな。
答えはYESだ。
もし私が質問に答えていないとすれば、それは期待に応えていないだけだ。
私は少し前、『ソーシャルネットワーク』でとある質問を投げかけられた。
「オタクだからモテないのではなく、君の性格が最低だからだ」と明らかな答えを提示した。
だが、これは彼の期待に応えるものではなかったようだ。
答えを答えとして知覚できず、答えを応えと混同し、その答えに堪えられないなら、それは愚問である。
断っておくが、質問の内容が悪いから愚問というわけではないぞ。
セーフじゃない。
まあ、原作初期の頃は普通に殺していたわけだし、ファンからすれば今さらな話だな。
おまわりさん早く来て!
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
或いは、1回につき時間制限を設けているなら、その制限時間が3倍になるのだろう。
ちなみにその場合のパンツの色は赤の可能性があるから注意しろ。
まあ、少なくとも緑よりは赤の方がいいとは思うが。
……あ? 緑の方がいいのか?
いい趣味してるな。
おっと、忘れていたが見せてもらうなら、その時と場所の指定はしておいたほうがいいと思うぞ。
女子がその気になれば、パンツを見せるのは10年20年後ということも可能だろうからな。
……あ? それでもいいのか?
大した奴だな。
だが、それでも気をつけろ。
ほら、3000円の料理が1000円の料理より、量だとか美味さが比例しているとは限らないだろ?
だから君が何らかの期待をしているなら、念のためもう少し多めに出しておけ。
5000円くらい。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
答えはNOである。
なぜなら、利用規約とは愚かな人間でも分かるようにだとか、愚かな人間にそれを守ってもらうためにあるのではない。
社会通念を理解できぬ愚か者をつけ上がらせないためのモノだからである。
世の中には色んな……本当に色んな消費者がいる。
顧客の知能をいちいち選別していられない以上、企業側は色んなケースを想定して運用しなければならない。
ルールとシステムをがっちりしないと足元を掬われることになるのだ。
そして、よほどのことがない限りは社会通念を理解できぬ消費者よりも、そんな消費者対策の詰めが甘い企業が悪いというのが現代の社会通念なのである。
もちろん、愚か者のためにどうするかを考えるのは企業の方なので、そういったエピソードが出てきたら私たちのような野次馬は、愚かな顧客も詰めの甘い企業をも肴に焼酎をかっ食らえばよい。
ああ、私は下戸なので遠慮しておく。
いい質問だ。
アイドルなどにたくさんのチョコが送られているのは知っているよな。
現実的に考えて、恐らく送っている側も食べてもらえるとは思っていないだろう。
実在しない人物、二次元のキャラクターにすら送るケースも珍しくないらしいからな。
まあ、ああいったものは送る気持ちを具現化したわけで、それ自体は問題じゃない。
だが、やはりチョコが勿体ない。
そこで私が考えたのは造花ならぬ「造チョコ」だ。
食べてもらえないなら、最初から食べられない物でも問題ないはずだ。
素材は全て可燃性で、燃やしても変な成分が出てこないものばかりで地球に優しい。
もちろん、「造チョコ手作りキット」もあり、個性を出したい人や手造り派にも応える。
ゆくゆくはチョコだけではなく、贈答用に使われることの多い食べ物も扱っていく。
これは売れるね!
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
なぜなら「本来の意味」は、“本来の意味でしかない”からである。
例えば「ヤブ医者」は本来は名医を指す言葉だったというが、そうはなっていない。
腕の悪い医者が偽って名乗ったことから悪評が広まり、藪医者は腕の悪い医者を指すこととなった。
つまり、「ヤブ医者=名医」は“本来の意味”でありながら“本来の意味として使われていない”のである。
今回、学ぶべき教訓は「本来の意味が本質とは限らない」ということだ。
もしも「役不足」を、みんなが本来の意味ではない使い方をしている世界があるとしよう。
それが「本来の意味」ではなかったとしても、その世界では「正しい意味」として機能することだろう。
きっと我々が気づいていないだけで、「本来の意味」で使われていない言葉はたくさんあると思うぞ。
でも、それは「正しい意味」で使われている。
というより「本来」ってのは「元々」といった意味以外にも、「それが当たり前であること」という意味もある。
つまり、「本来の意味」が当たり前のように使われていないなら、それは「本来の意味」の方が間違っているのだ。
まあ、「本来の意味」という言葉の意味が君の世界で本来の意味で使われていなければ、私が何を言っているかも君に伝わっていないかもしれないが。
ひょっとして君は五次元から未来を変えに来た人間だったりする?
ユリイカ!