はてなキーワード: 根付とは
会社が評価するのは(私が受けた)プログラムが、再休職をしないことを目標とするプログラムだからです
つまり継続して勤務できるようになる、会社にとっても部署に根付くことなく再度休職してしまうのは困るからでしょう
さて
増田がどれほど深刻な状況か測りかねますが、素人の意見を聞かずに、まずは自治体に問い合わせましょう、この一歩さえあれば就職出来ると
思います
これは安易な励ましでは無く、実際に支援プログラムが始まると人格が云々とごねている場合じゃなくなります
例えば、まずは日常生活のリズムを整えることから始まり、単にリズムが整ったということではなく具体的に一日の行動を記録させられます
その中から自分がどういった生活の傾向があるとか、ストレスを受けやすい場面とか、体力についてもどれだけ回復しているか分析しながら考察し
数値で評価し、今後起きうる状況に対処するための記録文章として残すといった具体的、また半ば機械的なカリキュラムでプログラムが進みます
この日々何週間も記録することもストレスなのですが、これもストレス耐性を付けるといった違う面でのプログラムの一部です
次に支援室に通所する段階に進み、ストレス対処法、認知行動、ライフワーク、コミュニケーション法などを座学で履修します
この通所も通勤を想定していて、毎日決まった時間に出所して、数時間拘束されて、その際のストレスを把握して対処方法を身に付けていきます
つまり何をどうやったら分からないといったことに悩む必要は無く、カウンセラーとの話し合いで自分に合ったプログラム、自分に足りないところを
_
この支援プログラムは自己啓発セミナーではありません、プログラムの中で実際にやってみて(やらされて)身に付けていきます
また受講生はお客さんでは無く、この支援プログラムではストレスに晒されます、ストレスに晒されてもうまく対処できる方法を身に付けます
カウンセラーやスタッフは復職支援のプロで、彼らは増田が思うより復職の難しさ知っていて、しかしその難しさを乗り越える方法も知っています
考え悩んで家で悶々としているより、この復職支援プログラムの乗ってしまうのです
残念ながらこの支援では就職の斡旋してません、資格取得はできません、再就職先に支援プログラム受講といっても通じないと思います
私が受講したプログラムは随時30名(2週間ごとに5名程度卒業、で受講生が入ってくる)
受講生のプライベートなことは探ったりしませんが、上記の通り模擬職場を想定したプログラムでしたので1名くらい再就職するためのスキルの
ために受講している方もいたような感じでした
就職の際にカミングアウトするか否かは彼らプロに相談すればいいのです、とにかくソフトランディングする方法を探るのです
_
個人の状況によって受講プログラムが変わると思いますが、私は準備に半年、プログラムが3か月でした
また病気の罹患状況によっても、精神デイケア、社会復帰または復職支援と変わると思います
_
また書いていると「私は私は」とダラダラと長くなってしまいますので質問があったらどうぞ
いやー書くのに2時間かかったよ
追記
スポット・コンサルティング仲介ビジネスって今後流行るのかな?
ここ最近経験したスポット・コンサルティング仲介ビジネスについて増田で書いてみます。
まず、これを書くきっかけになったのは、ちょっと前に LinkedIn で経由でやたらと
connection 依頼が来てて、どうせいつものヘッドハンターからだろうと
とりあえず放置しておりました。(ほぼ海外の方からで職業が Consultant やら Analyst だったので)
そこに、海外在住と思われるの日本人の方から connection の依頼と共に
その方が私にコンタクトした理由は、あるクライアントから技術的なコンサルティング依頼があり
それに対応可能な人間を探していたところ、私を LinkedIn で見つけたので
連絡を取りたかったということでした。。
(おそらく私以外にもたくさんの方を探していたことでしょう)
で、その方は海外のWEBを使用したスポットコンサルティング仲介業者の方で
クライアントとのコンサルティングを仲介するのが仕事だとのこと。
ちょうど仕事の谷間で時間があったのと個人的に興味があり面白そうだったので
気軽な気持ちでコンサルティングのアドバイザーになっても良いと返答しました。
また、報酬などの条件がお互い合わなかったり対応が無理そうな場合には
コンサルティング自体成立しないという事もありうるということでした。
で、アドバイザー登録をしてからコンサルティングが成立する前に
私が依頼を行うに適切かどうかを判断するための、いくつかの事前質問が私に届き、
回答を行うといった流れで、この時の質問は業界で最新の開発及び技術動向、
競合状況などをある程度把握している人間ならば答えられるといったもので
それからコンサルティングを電話で行うか、文章ベースで行うかを
決めるの事になるですが、電話で不安な場合も通訳を使用することも可能ということでした。
結果的に文字によるやり取りになるのですが、通訳を使用する場合には
で、実際にコンサルティングを行う事になったのですが、
依頼事項の内容を見た時に私は驚くことになります。
まず、この質問を送って来た奴は出来る!
事前質問が余裕で回答出来る内容だったので正直舐めていたのですが、
実際のコンサルティング依頼での中身はかなり際どく、
アドバイザーは機密に関する内容やコンプライアンスに抵触する内容で
あれば答えなくて良い決まりになっているのですが
その機密にぎりぎり抵触しない内容だが、実際に開発に携わっていたり
技術論文の内容を正しく把握していないと回答出来ない質問であったり。。。
会社で資料を見ればすぐに分かる回答も、自分が過去に開発した時の記憶や
専門サイト、論文検索、各社のプレス内容を調べてから文章にしていくとなると
思ったよりも時間がかかる。。。
一旦、引き受けた以上は出来るだけ真摯に取り組みたいと思い、
回答を図や文章にしていくのですが、請求可能なコンサルティング時間に対して
もっと高くしておいたのにな~と多少後悔も。。。
それで、回答を送る時際に仲介の方から依頼先の情報をもらうのですが、
これが大手コンサルティングファームの人間という事が発覚!
なんだよ~大手のコンサルファームが企業相手のコンサルティングする際の
大手だったらかなりの報酬を企業に請求するだろうし、もっと取っても良かったな~と。
でも、やはり大手のコンサルの人間は出来るというもの同時に再確認。
開発に直接携わっていない分、情報として分析したりまとめあげるために
で、回答を何とか送り、依頼者が結果に満足しているということで
安心していたところ、追加でお願いしたいのだけど対応可能か?と再び連絡あり。
最終的に3日に渡り延べ10時間以上を回答に費やし10円万以上の報酬を
得ることになったのですが、もう1回依頼が来たら対応するかは
その時の気分次第かな?
やっぱり私は開発に携わっている方が性にあっていると感じたり。。。。
今回依頼を仲介したのが海外のところで基本的に英語でのやり取りなのですが、
偶然見ていたワールドビジネスサテライトで知ることに。。。。
ちょっと内容見てみたのですが、海外のところに比べて価格が安いですね。
日本語オンリーで相手も日本企業・日本人が相手だというのもあるし
元々コンサルティングビジネスがまだ日本には根付いていないのか?
ビザスクは今回の私のケースみたいに積極的にアドバイザーを探すのではなく
仲介をメインにやっていくのかな?
ここら辺がこれからの課題になりそうな気もしないではないです。
って考えたりもしたけど、英語化する手間もあるし
そもそも優秀なアドバイザーがいるのかな? と思ったり。
うまくビジネスとして成立するのだろうか?
物理学者の知り合いは1人しか知らないけど、アインシュタインほど掘り下げて考えている物理学者は少ないと思っている。
相対性理論ではなく量子論の話だが、コペンハーゲン解釈というものがあって、超ざっくり言ってしまうと哲学的な議論には踏み込まないスタンス。
量子論に限らず反証可能性の低い問いについては踏み込まないというのが一般的な物理学者の態度と見ている。
時間の問題に置き換えた場合、過去、現在、未来という概念に意味があるかどうかを問わなくても物理学を営む上で支障はないのでそんなことを考えるのに時間を割くのはやめようという感じ。趣味として考えている物理学者はいるだろうけど、そういう人でも学問的スタンスとは切り離しているのが普通じゃないかな。
キリスト教が根付いている地域だと事情が違うんじゃないの?と思われそうだが、話を聞く限りでは大差はなさそう。
それはそれとして、是非とも以下の書籍を読んでもらいたい。もしこれを面白いと思えるなら、相対性理論と量子論を勉強する価値はあると思う(文系向けの書籍もたくさん出ているので)。
よくよく中年男性が10代の少女を買春するという話が話題にされて来ましたが、
例えば10代の男子が売春してたら世の中年女性は彼らを買わないって事はないんですかね。
倫理的にいえば、中年が若者に固執するのは致し方ないように思います。
日本では、中年のおじさん侍や大名は10代前半の少女と婚姻し10代の内に何人も子供を産ませてますので、
中年が若者に執着するというよりは、子孫を多く作るといった目的の為に若い女性が使役されてるというイメージが根付いてる感じです。
欧州を見渡すと、中年女性貴族が市場で少年男娼を買い集めたり、奴隷市場に出向いて買った若い男性を館で楽しんだ殺したといった
なので、日本では中年女性が若い男娼を買い漁るという風景にあまり出くわさないでも世界的に見れば割と一般的に男娼が存在し、
要するに、日本ではこれまで男娼の存在が一定数未満でも存在していたかもしれないが、それでも世間では女娼が多かったという先行イメージのせいで
中年男性が若い女性に執着するものだという認識が一般的でした。
しかし、現在は男娼も少なからずいますし、彼らを買う中年女性も少なからずいるのではないでしょうか。
世間一般のイメージに凝り固まってるから、中年女性が若い男性を買う事はないというイメージが出来てしまっている。
しかし、10代の男娼がいれば、中年女性の皆さんは絶対に買いませんか?
そんな事はないと私は思うのです。
「デブ、ブス、ハゲ、いい歳して独身の人は笑いものにしていい」というテレビの常識はおかしくないですか
http://ninicosachico.hatenablog.com/entry/2016/01/26/115453
俺はこの問題、少なくとも日本においてはだけど、文化共存の問題そのものだと思ってる。
超大雑把に分けるなら、西の笑いと東の笑いの違いが根本にあって、それがメディアによって広く浅く拡散された結果じゃないかと。
社会には許される許されないのボーダーラインが、それは曖昧ではあっても確実にある。
それが笑いに置いては、日本という枠組みの中ですらかみ合ってないんだと思う。
あえて大雑把な分け方で進めるけど、西には西の笑いが社会の中で文化として根付いてきちんと形成されている。
それは東でも同じであって、だけどこれだけ移動手段が増えた今でも物理的距離のせいか、本当の意味で社会は融け合っていない。
そんな中で、ボーダーラインが違う人たちが集まって、情報メディアという物理的距離に縛られないシステムを使って一律配信している(全国区向けの場合)。
加えて視聴者側の声も圧倒的に届きやすくなった今、歪みが表面化してくるのも当たり前の話なんだと思う。
メディア配信側に本当の意味での悪意なんてなくて、いろいろとイケイケゴーゴーで細かい部分をすっ飛ばしてやってきた日本社会が作り出した問題。
社会意識と社会意識がかみ合わないって話だから、解決にはそれより大きな権力側が、どうしても零れ落ちる弱者を掬い取ってやる仕組みを作るしかない。
世界では未だに宗教が原因で戦争やいがみ合いが絶えないのに、日本ってすごい。
何がすごいって誰もが信仰を全くといっていいほど意識していないこと。
それなのに初詣は行くし盆と彼岸にはお墓参りに行くし、お賽銭は投げるしお葬式にはお焼香するし。
かといってクリスマスを祝うこともウェディングドレス着て神前で永遠の愛を誓うことも咎められない。
しかもその上で、新興宗教に対して一定の自浄作用も機能してて、外国からの宗教がほとんどはいってこないわけじゃない。
それなのにほとんどの人が信仰を意識してないってことが本当にすごい。
ソーシャルゲームのガチャ確率騒動の反応を見て、何が良い、悪いをここで断じるつもりは無いんだけど、なんとなく「ソーシャルゲームは悪いもの」という認識が大分根付いた上で大きな騒動になってるな、という印象を受けました。
ところで、ソーシャルという言葉すら無かった90年代、今でこそゲーム脳等という戯言を信じる人はいないでしょうが、ビデオゲームというものは社会問題になっていました。頭を悪くなるという事もそうですが、ドラゴンクエスト3の恐喝事件や、ゲームセンターは不良のたまり場であるとか、結び付けられた例はいくつもあり、ビデオゲームそのものの問題であるかどうかは疑わしくも、悪いものであるという印象は強まっていくばかりの風潮があった事は否定しがたいかと思います。
そんな中、1996年に現在のCESAであるコンピュータエンターテインメントソフトウェア協会が設立されます。初代会長は上月景正氏。そう、ゲームが嫌いと噂される、コナミ創設者であり元会長その人であります。
ゲーマーにはあまり知られておらず、逆に経済界等ではそれなりに名が知られた方で、84年には自身のポケットマネーから教育財団を設立し、現在までに多くの教育や文化振興に関する支援を行っており、いま活躍するクリエイターやスポーツ選手にもこの支援を受けたという人は多くいるかと思います。
その経緯もあり、ゲームクリエイター上がりの経営者ばかりで、経済界やロビー活動に疎かったゲーム会社各社を取りまとめ、『コンピュータエンターテインメント産業の振興を図り、もって我が国産業の健全な発展及び国民生活の向上に寄与することを目的』としたCESAを設立に大きく寄与した訳です。
その後は皆さんもご存じの通り、ビデオゲームが悪者として扱われない為、市場規模のアピール、ゲームによる悪影響の調査、CERO設立による自主規制といった活動を続け、ビデオゲームは社会的にも認められる娯楽となりました。
コナミは99年にロンドン、02年にニューヨーク、それぞれの証券取引所に上場し、現在まで続いています。米国の凶悪なSOX法(企業が不正行為を行っていないか、財務状況は適正かを厳格に調査されるし、その体制の維持)を乗り切る為、その企業体質はまさに"健全"そのものです。
一方で「最強法務部」と揶揄されるのは、法令順守に取り組み続けた結果負け知らずだが、融通が利かない会社という認知の現れなのでしょう。
ゲームは嫌いだけど、嫌いなゲームを誇れるものにする為に、その健全化に尽力した結果、今のビデオゲーム産業があって、ゲーマーからは嫌われてしまったというのはまあ、幸福な王子じゃありませんが、皮肉な話です。アンチヒーローじゃありませんか。
もしかしたらソーシャルゲーム会社の経営者の中にも、「ソシャゲなんて格好悪い。本当は大嫌い」なんて人が居たら、その人が能力をフル活用して健全化に取り組んだりするなんて、都合の良い話がその後聞けたら面白いなと思う訳です。
質問の件に触れる前に前回の補足と今回の質問に関係する部分をお話ししたいと思います。話が長くなって申し訳ないです。くどかったら飛ばして下さい。
ものには何でも「値ごろ感」とでも言うべきものがあり、それはその値段の歴史でおおざっぱに決まっているようです。原価や需給のバランスというのは経済学的には価格決定の要素として解説されるのですが、マクロにはともかくミクロや日常レベルではそこまでビビッドは要因にはなりません(人間の目は店頭で需給バランスが可視化して見えるというわけではないですからね)。書籍で言えば文庫本って500円から1000円弱くらいだよなあ。ハードカバーって2000円から3000円くらい? そういう肌感覚です。もちろんこれは永遠不変のものではなく、値上げしたり値下げしたりがおこなわれ、受け入れられ日常化する繰り返しです。いまから10年ほど前、おそらく文庫本の平均価格は50円ほど安かったと思いますし、僕たちが子どもの頃(というとばらつきがありますが)週刊少年ジャンプは200円を切っていました。
前回はなした「ハードカバー3000円ほどで売り出して、後に廉価版で700円ほどの文庫で出し直す」というのも、この値ごろ感が関係した結果です。最初から3000円の文庫でだし、部数が伸びるに従って値段を下げることは(少なくとも法制上や原理上)不可能ではありませんが、みなさんの「値ごろ感」が邪魔をして、3000円の文庫は購入してもらえないのです。なかには「いいや俺は本棚圧縮のために喜んで金を払うね」という方もいらっしゃいますが、それは少数派です。
さて、値ごろ感の話ですが「ハードカバーって2000円から3000円くらい」の本は売れます。多くは売れません。しかし少なくとも、その規格の本が現在でも毎月出る程度には、世間に受容されているわけです。「この大きさの商品に2000円から3000円くらいは払うよ」というのが一定読者層からは理解を得られていると考えられます。それは文庫も同じです。文庫サイズで500円から1000円弱(じりじり値上がりしています)は世間に「まあ、そんな値段のアイテムだろう」と思われているわけです。パッケージと値段のセットはセットであって、たとえば「ハードカバーと文庫の間の大きさで、値段も真ん中くらい」とか自由に決めてもなかなか浸透しません。書棚のサイズの問題や整理の問題もありますし、なにしろ値ごろ感は皆さんの内部の常識ですからそれを固定化するのに時間やコストがかかります。
角川ホラー文庫とかあとハヤカワとかの、
さてやっとこの話が出来るのですが、「B6程度のソフトカバーで1000円~1500円程度の小説を売る」というのは、最近「発明」されて「根付いた」新しい値ごろ感なのです。
いやいや昔からあったよ、という指摘もあるとは思いますが、いまほど安定できたのはごく最近のことだと思います。(さらに以前はカッパノベルスなどのノベルス判型があった地位なのですが、仮想戦記没落のあたりで徐々に廃れて行ってしまいましたね)
この新しい値ごろ感は、Web小説などをきっかけに広まったように思います(ここは私見です。きちんと統計などを蒐集すれば別の経緯かもしれません)。
新しい値ごろ感の発見というのは、そのまま、新しい読者層の発見でもあります。いってみれば「文庫しか買ってくれないと思っていたライトノベルユーザーが、少し大きめの判型であれば1200円だしてくれるのだ!」というエウレカでした。はっきりとした統計データなどはもっていませんが、現場の肌触り的な感覚で言えば、a)初期ラノベを読んでいた読者の皆さんが年齢を重ね可処分所得が増えた結果、1200円程度のレーベルでも購入してくれるようになった。b)すべての国内大衆小説が多かれ少なかれラノベの影響を受ける中で、文庫判型ではないライトノベル(の隣接したなにか)が要請された――などの実感を持っています。
日常的に書店に行く皆さんであれば判ると思うのですが、ここ数年の間に書店ではB6判型ソフトカバーのライトノベル的な書籍がふえていませんか? Web小説が主流ですがそれ以外の参入や、ボカロ小説と呼ばれるものや、自動文学的なもの、推理小説とライトノベルのハイブリットのようなものも見られると思います。それはこの「新しい値ごろ感」=「新しい判型と価格のバランスポイント」が皆さんに受け入れられ、希望があると出版社が判断したからです。もちろんそれが全面的に善だとはいいません。まだ固まっていない規格でぼったくってやれ、というような出版社やレーベルがあるかもしれませんし、読者的には「文庫で良かったのに」と思われるかもしれません。
とはいえ、新しいチャレンジなど10して1つか2つ成功すれば万歳ですから、この「B6ソフトカバーで1000円~1500円」というチャレンジは、最近の出版業界では(かなり)成功した部類だと言えます。
金沢市民ではないので、情報の抜けや謝りがあるかもしれないし、伝聞も含む。
・金沢は空襲を受けていないので、道がくねっていたり細かったりする
・地下鉄や路面電車は無い(石川県は基本的に鉄道冷遇)故に地下道もほとんど無い
・主要な観光地(兼六園や21世紀美術館など)は駅から歩けないことはないけど歩くと微妙に遠く、微妙に坂道
・観光地の位置がそれぞれ近く、金沢市内の観光地だけなら周遊バスを使えば1日で回れる
土日は金沢駅から主要観光地へ向かうバスが10分毎に出ているが、新幹線効果でそのバスも今年はかなり混雑している。
ここまでが前提。そしてこれがマラソンのコース。
http://www.kanazawa-marathon.jp/course/index.html
駅から金沢城に向かうコースは、上述の周遊バスをはじめほとんどの路線バスが通る超重要な道である。
南の山側環状は国道に接続している幹線道路で、年中交通量が多い。正気か?
町中が道路規制されることはマラソン以外のイベントでもある。百万石まつりとか。
でもそれで規制されるのは駅~金沢城のみで、ひがし茶屋街方面や山側環状は規制されない。あと長年やってて根付いてるしね。
文句を言ってる人は市に文句を届けて欲しいし、市はちゃんとそれを汲み取ってほしいと思う。
以下は大体伝聞。
もとは市民の台所だった近江町市場はただの「市場風の観光地」になってしまって、地元民は寄りつかなくなってしまった。値段は観光地価格になった上に「観光客がその場で食べられるもの」以外はあまり売れないらしい。
市民のなじみの店だったお店も、観光客が大量に来たことで予約しないと入れない、あるいは予約すら取れない店になってしまったとか。今度はミシュランまでできるとか言うし。
ホテルは軒並み値上がりした上に大体埋まっている。
新幹線1年目でまだ市も市民もノウハウがなかったり慣れていなかったりする面も多い。
女性に対して酷いとか企業の甘えだみたいなのがブコメでもあって強い違和感がある。
資生堂は、世の中の2歩も3歩も先に行ってて、だからこその今回の報道なんだけど、それが判ってないコメントが多いと思う。
(資生堂ショックとは、資生堂が美容部員の時短勤務者に土日や夕方以降のシフト入れを促す施策の事)
資生堂は離職率を公表しており、2013年度の国内資生堂グループ(管理・総合職)で3.2%だ。2014年度4.2%。
しかし、結婚・出産・育児理由は、0.03%にすぎない。2014年度は、ついに0.00%になった。
美容職で、離職率2013年度 3.1%(結婚出産育児理由0.80%), 2014年度 3.7%(結婚出産育児理由1.00%)。
他にも、育児期間中の転勤への配慮、配偶者の転勤に伴う異動考慮、等など。
「企業内保育所設置!」に「そこは資生堂が12年前に通った道だ……」とかやってほしい。
あえて書かないが、ググれば復職率・定着率の高さにたぶんビビると思う。(ヒント、9割は超えてる)
化粧品業界の最前線に立つ一万人以上の女性の集団をコントロールして、離職率をここまで抑えているのは驚異的だと思う。
「守る対象から戦力へ」と言い出したのが、この資生堂だというのは念頭に置く必要がある。
こう言う時、オトコは、とか書くと炎上するのだろうが、一般的な目線で見ても「企業は人を採れば良い」となりがちだ。
美容部員(想像し辛い人は、化粧品売り場で働く、相手に化粧を施して売り込む店員だと思えば良い。男性も少数だが居る)対象だから女性だ、というのは実は本質ではなくて、
これは、男性であっても女性であっても、育児短時間勤務が今後一般的になってきた時に、必ず起こる問題になる。
なぜなら
この場合、「男性社員を雇えば良い」とはならない。男性は育児をしないと企業が宣言しているのも同義だからだ。
また「育児休暇を取らない社員を雇えば良い。出産育児は権利であって義務でないので、使わない人間も居るだろう」というのは退化だ。
採用面接で「女性は寿退社or出産or育児で働かなくなるからリスクがある」と言うサラリーマンは、残念なことに未だに一定数居る。
こうすると、
2番が実際に根付いた資生堂は、日本企業としてはかなり進んでいるだろう。(実際、常に10%程度が短時間勤務者)
そして、ついに3番に手を付けた、というのが今回の「資生堂ショック」の話になる。
これは、ほぼ女性のみの美容部員だから生まれた問題ではあるものの、何れ日本社会全体にこの問題が来る、と信じたい。
(実際には、介護の話が避けがたく先に来るので、そちらから整備されていくのだろうけども……)
念の為補足しておくと、美容部員の短時間勤務者のために、夕方以降の店頭活動を代替する「カンガルースタッフ」という派遣社員が1600名ほど在籍している。
ただ、このカンガルースタッフの育児を犠牲にすれば良いかというと違うので、結局またその店頭活動サポートのサポートが必要になり……と根本的な解決にはならない。
(実態はバイトだしキャリア蓄積という意味でも難しい。わりとこのカンガルースタッフは常時募集しているので、はてなでもやってた人がいるかもしれない)
基本的に、上記の二択だった。(下手すると時短勤務を取れず育児専任女性)
当たり前の話だけど、こうするとキャリアを積むのは、育児を犠牲にした人か、(育児もキャリアも積み上げた)超人だけになる。
(働きたい人だけが働けば良いというのは、キャリアを積みたいなら育児は犠牲にしろと言ってるのと同義なので意味が無い)
この内、1番の「キャリア重視なら育児が犠牲になるのはやむを得ないよね」というのにハッキリ「ノー」と言ったのが資生堂になる。
育児は当然の権利なのでそれは尊重した上で、キャリアを積み重ねるのは、この方法だという方針を打ち出したと言って良い。
「私はキャリアを積み重ねるルートから外れた」と時短勤務者本人や周りに思わせないよう宣言した、とも言える。
キャリアを積み重ねて欲しいと言って採ったのならば、その道筋を引くのが企業の責務だろう。
理念だけでは回らない現場に寄り添ったガス抜き施策じゃないかな、と思う。
露悪的に言えば、婚期を逃したお局様みたいなBC(ビューティーコンサルタント)は、キャリア的には実績もあるしバリバリ働く。
あっちで短時間、こっちで短時間、結局土日や遅番は子供の居ない連中で回すんかいという不満が現場に蓄積される。
「キャリア指向」だけではなく「育児もキャリアも」でやりくりして土日に出ている「育児女性」にも不満が出る。
産後2ヶ月後には私は働いていた!半年も休んだ上に短時間とは軟弱だ!とソコココにそういう空気が流れる。
結果、「出産育児理由では無いんですが」と「職場で働き辛い(一身上の都合)」と、辞めていったりする。
(キャリアを積む道筋が無ければ、育児重視で行きたいと思った女性は「バリバリ働きたい人の雰囲気には馴染めず」となりがち)
そういう不満に対して「制度にべったりではなく、出来る範囲で努力はしてもらう。そういう内容で啓蒙もしてる」と証拠を見せるのが大きな目的の一つだとは思う。
(繰り返しになるが、たぶんそこらの企業よりよほど産後復帰しやすい環境を整えておいて、なお、同じ職場の女性に不満が溜まりがち、という事)
短時間勤務者は、「育児期間中の保護対象社員(特別な扱い)」から「一般社員(ただし育児時間中)」になった。
これでもし、「短時間勤務者にしわ寄せが向かう」のであれば、それは「短時間勤務者だけが育児を担っていた」事になる。
「資生堂ショック」とは、資生堂で働く女性短時間勤務社員に対してではなく、その伴侶であったり、周辺の環境に対しての事だと思う。
この報道で「男性の育児休暇推進に向かえよ他の企業は」というコメントで盛り上がらないのは、ちょっとどうかと思う。
ここ数年で日本のハロウィン事情は大きく変わった。街全体がハロウィンムードに包まれるまでにもなった。それに関して、個人的に言いたいことがある。
お祝い事(お祭り)としてキリスト教文化圏には古くから根付いているものだし、文化そのものに関しては全く否定しない。その文化が日本で受け入れられるようになったのは、グローバル化の中で自然の成り行きだと思う。
それぞれが衣装を着たり、お菓子の交換をしてようとそんなことは構ったことじゃない。やりたい人は自由にやればいい。
ただ、「やりたくない人を巻き込むな」と声を大にして言いたい。ハロウィンに関心も興味もない人間を、無理に個人の世界に連れ込まないでほしい。ここはあくまでも日本であって、ハロウィンは初詣のように国民的宗教行事じゃない。
具体的に言うと「〜くん女装したら?」と声をかけてきたり、音楽を大音量でかけて人の邪魔をしないでほしい。「一緒に楽しめばいいじゃないか」とかそういう話はしてない。
楽しむのは内内でやってもらって、関係ない人を巻き込まないでほしい。何をするにせよ、ある程度場所と程度をわきまえてほしい。
SIerが欲しがるプログラマーなしでもシステムできちゃう製品あるでしょ。
分岐をアイコンのようなやつでつなげるとか、ものっすごく単純にしたドメイン固有言語をコピペするだけでシステム完成するやつ。
パソコンのノの字も知らないオッサンは、上流の設計をそのまますぐに設定をしてお客に売る。
人月がめっちゃ安くなるよ―!!っていうアイドルと付き合えちゃうくらいなレベルの妄想をもっているらしい。
でもね。
今まで見てきたけど全部燃えてたよ。
ガソリンがたんまり仕込まれている焼夷系の地雷なんだよあれは。
大体お客さんは安い安いとか言っときながら、SIでシステム買おうとしているから絶対に自分らの社内ルールに合わせた複雑な要望を持っている。
社内ルールをパッケージに合せることや、システムの設計と社内のルールを歩み寄らせるというのは理想だが根付いていない。
本来ならばシステム担当役員が企業全体のフローごと改革するような強い権限を持っていればいいが、システムを買う窓口になっているお客サンがわのSEは普通の平だし、ヘタしたら外部の人間だし、
だから企業ごとのカスタマイズが必要になるのだが、あのノンプログラマー大丈夫系製品はほっとんどかゆいところに手が届かない。
ノンプログラマー大丈夫ってことは、プログラミングでの抽象度の高い操作を極力無くしてほぼ設定段階で済ませようとしているのだとおもう。
そしてノンプログラマーでも大丈夫系製品なので本当にノンプログラマーで構成された上流たちが、お客の要望をきいて「できそうじゃね?」「販売元にきいてみっべ」「いざとなれば誰か外注すっか」みたいなノリでやりがち。
で、「仕方ないプログラマ様にきていただぐべ」とかなるんだけれども
プログラマ様も謎の製品について学習するコストもかかってしまって余計時間がかかってしまう。
はっきりいってピュアJavaで書いてくれたほうがわかりやすい。
この手の製品で本当に挙動が分からなくて、サポートに電話しても要領を得なくて、でも上からは「おら、やれよバカ」っていわれて
しかたないからClassをデコンパイルして読んで、できません…っていうこともできないから、結局別プロセスで動かす逐一データを変換するような物をつくらなくちゃならなくなった。
それ誰が面倒を見るの?
納期に迫られてしかたねーしかたねーでとりあえず作ったし、オレは外部の人間だからすぐ抜けちゃうけどさ
こんなことここ五年で4回くらいみた。
簡単にする仕組みは良いよ。
ブラックボックスだし小回り聞かないし、でも色々な要望がでてきて結局袋小路に追い詰められるんだよ。
使って良いのはプログラミング言語の上を覆うくらいのフレームワークまでだね。
あとね。
作っている途中で思い出す感じなんだよ、
そんな状態なのに機能が制限されている簡単ツールなんて使うなよ。
ねえねえ。
俺はいい年したおっさんなので、「日本でハロウィーンなんか流行るわけないだろ」と思っていたのだが、ここ数年でハロウィーンが根付いてしまったことには本当に驚いている。
と同時に、ハロウィーンなんて意味分からんし下らないと思う気持ちも根強い。
過去にクリスマスやバレンタインが日本に定着しつつあった時代のおっさんも同じ感情を抱いていたんだなあと思うと、なんだかしみじみしてしまう。
実際、今の若い人たちがどんな風にハロウィーンを楽しんでいるのかよく知らないし興味もない。
なんとなく、クリスマスやバレンタインと違って恋人たちのためのイベントではなさそうな感じがする。
クリスマス前に慌しくカップルが出来たり、とか、バレンタインのそわそわした空気感とか、そういう性愛とは無縁のイベントであるハロウィーンって、若者の恋愛離れとか言われる今の時代に合っているんだろうな。
Amazon.co.jp: ドイツ人はなぜ、1年に150日休んでも仕事が回るのか (青春新書インテリジェンス)
年間休日183日。「日本一休みが長い会社」:日経ビジネスオンライン
岐阜発「楽園企業」、年休140日で驚きの高年収 | 日本一“社員”が幸せな会社の「うらやましすぎる真実」 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
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ヤフー、最長3カ月長期休暇「サバティカル制度」導入 “支援金”も支給 - ITmedia ニュース
6年後に復職できる「育自分休暇制度」 サイボウズが目指す人材戦略とは? (1/4ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)
サバティカル制度を導入してほしい!6年働けば6か月~11か月の長期休暇がとれる! : TenkiKidsの生活
企業人よ 長期休暇「サバティカル」で力を覚醒せよ :日本経済新聞
日本に長期休暇サバティカル、根付いてほしい? 1か月、3か月、1年…「新たな成長の機会に」 : J-CAST会社ウォッチ
欧米の古典を読んでいると、ギリシャ・ローマ時代の偉人の格言の引用に頻繁に出会う。
先日読んでいた本で引用されていたのが、
"et nihil humanum"
という言葉で、紀元前2世紀のローマのテレンティウスが書いた喜劇の冒頭の一節だそうだ。
「エット・ニヒル・フムマム……人間的なことはどんなことでも自分とは無縁ではない」
という意味だという。
つまり、酒を呑むことも恋をすることも、他人を羨ましく思うことも誰かを助けてやりたいと思うことも、
すべてひっくるめて人間の行為であり、それは自分とは無縁のことだとは思ってはならないという、
この言葉は、ヒューマニズム=人間主義のモットーとして欧米でよく知られているという。
「つまづいたって
いいじゃ
ないか
にんげんだ
もの」
相田みつをのこの言葉も、近年よく日本人が引用するようになった。
そこに、一時期もてはやされた相田みつをのこの詩が日本流のヒューマニズムのモットーとして
利用されるようになった機縁がある。
西洋から移植されたヒューマニズムが日本人の中に根付き、そこに相田みつをの言葉がピッタリとはまるようになったのだろう。
彼等の根っこには、ギリシャとローマという、合理主義的で民主主義的な、今の時代を覆う思想の花開いた文明がある。
だから深みがあり、強い。
それに対して、日本人、いや、韓国人も中国人もベトナム人も、王による独裁的な支配を当然とする思想を
二千年間信奉してきたために、近代までの思想に、現代の思想に利用できるものが少ない。
よって深みがなく皮相的だ。