はてなキーワード: 朝ごはんとは
私たちは離れられなくて、別れることなんて絶対ないっておもってた
こんなにお互いを必要としてたのに別れちゃったなんて
彼は今どんな気持ちなんだろう
ひたすら仕事して紛らわしてるのかな
はー、もう、嫌なことたくさん思い返してもまだすっごくすき
すきですきでしょうがない
駄目男で周りにもよりを戻しちゃ駄目だよって散々言われてるのに
毎日毎日一緒に居て、仲良くてたくさん話して泣いて笑ってたのに
もう二度とそんなふうになれないなんて
かっこよくて話がうまくて空気が読めて嫌なことはそっせんしてやってくれて
優しくて頭なでてくれて甘えさせてくれて仕事ができて私のすることにひとつも文句をいったことなかった
朝わたしよりも早く起きて朝ごはん作ってくれた
彼も一緒だとおもってた
どこで間違えちゃったのかな
あそこで考え直せばよかったのかな
連絡したいけど駄目だーー
会いたいな
好きすぎて好きすぎてちょっとも嫌いになってなくて辛いよ
あんなに駄目なひとなのに
亡くなり方がわたしにとって理不尽で衝撃的で納得いかないものだったこともあり、未だに受け止めきれない部分があって、年に二、三回程ふと思い出して発作的にボロ泣きしてしまうことがある。
泣いているときは、悔しい、悲しい、わたしのせいではないだろうか、会いたい、等色々な気持ちがごちゃまぜに溢れてきて、泣き止むまでにも、その後気持ちを落ち着かせるまでにも、結構時間がかかってしまう。
昨日の朝、仕事に向かうために支度をしながらテレビを見ていたら、うっかり父を思い出してしまう内容があって、発作的なボロ泣きが始まってしまった。
ちょうどそのとき、遠距離恋愛をしている婚約中の彼氏と、「おはよー」「朝ごはん食べた」「化粧なう」みたいな毎日習慣になってる朝のテキトーなやりとりメール中だった為、
「テレビのこんな特集を見て父を思い出してボロ泣きしてしまっている」
とメールした。
そのメールに対する返信が、
「あらま。せっかく化粧したのにね」
だった。
違うんだよおおおおわたしのほしい返信はそうじゃないんだよおおおおおお!!!!!
じゃあどんな返信がほしかったの?
って言われるとこれ!って即答できる内容は正直ないんだけど、化粧の心配してほしいんじゃないことは確か。
「大丈夫?」でも「つらいね」でも「元気出して」でも「君の中でお父さんは生き続けているんだね」でも「( T_T)\(^-^ )」でもなんでもいいから、【死んだ父について考えて泣いている私】を慰めようとしているのが伝わってくる返信がほしかった。電話かけてきてくれたってよかった、ってかちょっとそうしてほしかった。
悲しすぎて辛い心に寄り添ってほしかった。
そう思ってメールでわざわざ泣いているって伝えた。
そしたら化粧の心配された。
わたしにも悪かったところはある。
わたしは彼氏の前で、このボロ泣き姿を見せたことがない。だから、どれくらい辛くて慰めて欲しいのかとか、メールの文面に書いてもないんだから彼氏には理解しようがない。ほろりと涙が一粒溢れた、くらいにしか捉えられていない可能性がある。
彼は両親も兄弟も健在だから、自分に近い肉親が亡くなった経験が(恐らく)ない。だから、わたしが父親亡くして受けたショックを想像するためのサンプルがないと思われる。
この辛さの大きさについて、彼氏は理解するための情報が何一つない状態だった。
……こう振り返るとわたしのほうが悪いように感じられる。察してちゃんが空振りに終わって一人で憤ってるわがままな人間でしかない。
それでもそれでもそれでも!
彼女が「泣いてる」ってメールしたら「大丈夫?」って心配してくれる彼氏だと思ってたんだよね。
普段、疲れた、って伝えたら、お疲れ様、って返してくれるし、買い物した荷物が大きいと自分から持ってくれるし、思いやりの気持ちはあるんだ。それだからこそ好きで付き合ってる。今回の件で別れようとも思っていない。
ただ、今後結婚してずっと一緒に暮らす中で、同じようなことが何度もあって、蓄積されて……、と考えると、いつかキレてしまいそうな気がして嫌だ。
化粧したのにねメールには、「父のことで発作的に泣くことがあるから、近くにいるときは抱きしめたりして慰めてほしい」と伝えた。「近くにいたらね」と返信があった。
とりあえずこれで、近くにいるときならちゃんと慰めてもらえると思う。でも、以前慰めるって返事しちゃったからなー、って気持ちで慰められるのではと考えると、もやもやしてたまらない。
わたしがそうしろと言ったから、って理由じゃなくて、本心から心配してもらえるようになるためには、どうしたらいいんだろう?
悲しみに寄り添ってもらうためには、彼氏にどういう風に伝えたらいいんだろう?
ここ数日残業続きで、
今さっき日付が変わる直前に家に帰ってきた。
家に入ったら目に飛び込む大量の洗濯物。
朝ごはんの皿も机にそのまま。
彼はスヤスヤもう寝てるし。
彼はお風呂洗いを気が向いたとき、ゴミ出し、私が夕ご飯を作った時だけ皿洗いをしてくれる。あと洗濯物も一緒に干してくれる。
届くと剥いて~と子供みたいに頼んでくる。
あとなぜか、アイスのゴミを机に置いたり(あとでベタベタくっつく)鏡に歯磨き粉を飛ばしたりする。つまり普通に暮らしてるだけで私が片付けることが増える。こまる。
私の方が朝出るのが早く、帰りも遅い。
帰りスーパーによって、クタクタでドアを開けるとだいたいゲームをして待っている。
先に帰ってるならなんかやってよ、洗濯物たたむとかって思うけどそれを言ったらでも30分くらい前に帰ったとこだし帰ってすぐなんて何もできない、って言う。
その30分遊べるのが羨ましい。30分っていったら家に帰って寝るまで3時間くらいだから凄い多いじゃん。
わたし家のドアあける30分前スーパーにいましたけど。その次の30分はご飯作る。
私が体調壊して寝込んだりするとすぐ家の中が荒れる。このあいだ風邪引いてる間に流しに置きっぱなしにしてたらしい皿にヌメヌメしたものが生えててびびった。
一人暮らし3年もしてたから家事できるっしょと思ってたのに。今までどうしてたの?と聞くと
男の一人暮らしなんて普通、家事なんかしないよとニコニコ笑って言われた。わからん。元彼は家事とてもうまかったけどなあ。
みんなどうやって分担してるの?
いつも帰り道、家が近づくにつれて家事と言う名のタスクで頭がいっぱいになる。
ちなみに、明日から彼の親戚の家に行くんだけど、プランを彼に任せっきりにしたら新幹線のチケットとってないので始発を目指すぞ!と言われた。
たぶん早く寝る使命にかられて早く寝たんだろう。
なんか口角上がったまま寝てるし。幸せそうだなこいつ。
不満はあるがかわいい
うちの彼はちょっと凄い。
だいたい私の方が遅く帰るんだけど、
でも、どれも絶妙に美味しい。
昼間むかついた取引先の顔も、
なかなか仕事覚えてくれない後輩の顔も、
全部吹き飛んで、ふわわーーーーってなる。
私がふわわってなってると、
おかえりのキスをしてくれて、彼はまた台所に戻る。
ふわっと香ると、私のお腹もぐうっとなく。
マジで安くない?」なんて楽しそうに報告してくる。
もう、そんな彼の顔見てると、可愛くて嬉しくて
本当にどうしてくれようかと思って、いそいそと
そうこうしているうちに、夕ご飯ができあがった。
神様、今日も幸せな晩ご飯をありがとうございます。
朝ごはん: 納豆、焼き魚、ご飯、味噌汁。洋食の時は、トースト(パンはペリカン)にバターとジャム。あとはハムエッグ。目玉焼きは中濃ソース。週末の朝食は、フレンチトーストやスクランブルエッグだった。すごく楽しみにしていた。
昼ごはん:お弁当はオムライス、タンドリーチキン、牛肉のしぐれ煮、玉子焼き、昆布の佃煮など。ロールパンにケチャップで炒めたソーセージとサニーレタスを挟んだサンドイッチもあったな。
夜ご飯:家族が呑んべえなので、基本白米は無し。焼き鳥、酢の物、すき焼き、近所の店から買ってくるおでん、刺し身、菜の花のお浸し・・・大体居酒屋メニュー。
今振り返ると、鍋物意外、全て小皿に取り分けられて出てきたなあ。
カレーといえば、鶏の手羽先の、スパイスがきいたスープカレーだった。パスタといえばペスカトーレ。ホワイトソースのマカロニグラタン(底にごはん入り)の日が一番うれしかった。
結婚して10年。子無し。
普段は優しいし、DVも無い。概ね彼に不満はない。
それはそれとして、夫は自分の否を認めない。
昨日も食パンとミルクを買って帰るように頼んでおいたのに、忘れて帰ってきた。
「朝、食べるものないんですけど?」
というと。
『朝ごはんぐらいたべなくっても死なないよ。だいたい、朝ごはんを食べるという習慣は……(以下聞き流す)』
と話を変える。
ある時は、お風呂を後で入ったら、換気扇を回してねと何回も何回もお願いしているのに忘れるので、
「お風呂場カビるでしょ(怒)」
『カビたらカビをとればいいよ』
「カビってなかなかとれないんですけど?」
『その時は引っ越すから』
わたしも朝からオペが続いており苛々しているようだ。
ちょっとザワついてると、至近距離でも言葉が聞き取れないのでなにかと同行者に不快な思いをさせてしまう。
発達障害由来だろうということで、自分で何とかしようと思ってもあまりできることがなさそうなので困っている。
先日も妻と二人でスーパーに買い物に行って商品を見て回りながら、妻がふと発した言葉がほぼ100%正確に聞き取れなかった。
さっぱり意味不明なら聞き直すし、それっぽいことが聞こえたときはオウム返しして合ってるかどうか確認して、なるべく誤解のない会話を心がけてるのだけど、
少しザワつきがひどいと2回目同じことを言ってもらっても注意してるのにやっぱり聞き取れなかったりする有様だった。
妻も私が耳からの情報処理能力に難があることは知っているけれど、何を言ってもずーっと聞き返しになってしまうので、
「2回も3回も言うほどのことじゃないし……」という感じで最後には会話することを諦めてしまったりするので申し訳がないし、私もさびしい。
正「よかったトウモロコシまだある」
誤「ウリとキウィやなあ」
正「割と小さいなあ」
誤「スイカのみ別やね」
正「スイカの季節やね」
誤「朝のパンにパニーニ?」
正「朝ごはんにパンいる?」
誤「ゴーヤチャンプルー苦かったマズイかな」
正「ゴーヤチャンプルーにはまだ早いかな」
誤「タマゴみつかった」
正「軟骨なかった」
誤「ワクテカッ」
正「肉でかっ」
誤「遠くまで草津 and 蓮」
正「豆腐はまだ二つあったはず」
正「納豆まだあるよね」
誤「サンドパン並に塩?」
正「晩御飯なににしよう」
誤「えばだでっちニュアってョ」
正「枝豆あっちに売ってたよ」
誤「Ready and Go?」
正「レジいくで」
なんかもう、一緒にいるだけでストレス溜まるだろうと思う。
ざわつき+不意打ちでかなり精度が落ちている感じがするので、「今から喋るよー」というときに肩でも叩いてもらえば注意や視線をそちらに向けられて多少認識率が上がりそうなものだけれど、
いちいち発言前につついてもらうというのは、妻はまだしも普通の友人知人相手ではなかなかお願いしづらいものがある。
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追記
http://anond.hatelabo.jp/20150204110623
(2)を書いたすぐあとに病院から連絡があり、週末から入院、週明け即手術の打診があった。
断ったら次はまた空きが出るまで待つことになると言われ、2つ返事でOKする。
その直後から入院までの3日間、連日深夜帯まで仕事をし、各種調整と、
どうしても終わらせたい仕事だけは何とか終わらせて、病院に飛び込んだ。
勿論そんな感じであるから入院の準備をする余裕は全く無かったので、
全て妻に頼ってしまった。
【手術日前】
CTとレントゲン撮影、保護テープの邪魔になる為髪の毛を剃る、
【手術日】
手術着に着替え、点滴をされ、出番を待つ。
呼ばれたら歩いて手術室の方に向かいまして、
起きたら手術が終わっていて、ICUで寝ていて、体のあちこちに管が繋がれていた。
…続きはまた。
中年童貞なんだが、生れて初めて彼女ができてGWに彼女の街へ行って来た。新幹線だと遠いが、飛行機だと早いものだ。いきなり泊まるのも憚れるし、迷惑かけてもと思って彼女のアパートの近くに、ちょうど良い安宿があったので、そこで連泊。中休みもとって割に長くいたので、毎日、一緒に朝ごはんを食べて、一日を過ごした。観光してみたり、彼女が通っていた大学周辺を見てみたり散歩してみた。
手をつないで歩くことが、こんなに楽しいだなんて思わなかった。小さなすべすべした指を絡める感覚の度に嬉しくなった。また彼女が腕を組んでくれたとき、胸があたるので、正直、反応してしまった。バレないかと焦って微妙に挙動不審だったかもしれない。一緒に映画にいって、ごはんをあーんしてみたり、彼女が食べ切れないものを僕が食べたり、すべてが初めての経験で楽しかった。
本当は、飛行機から下りて彼女を見た瞬間に手をつなごうと思ったけど、勇気がなくて出来なかった。でも、前に一度、二人の時間を過ごせていたので、すぐに打ち解けた。だから、毎回、夜、彼女の部屋を出て僕が宿に帰るたびにハグした。三日目の夜、彼女があまりに可愛いので、思わず持ち上げて抱きついた。重いよ、と言っていたが、たぶん45kgくらいだろう。大して重くなく、普通に持ちあがった。彼女は足をバタバタさせながら「持ち上げられた!持ち上げられた!」と喜んでいた。何なんだ、この可愛い生き物。
彼女の買物にも付き合った。よく分からないが、ブラのサイズが合わないので、と下着を買いにいった。どう考えても僕一人だと不審者なので、彼女のそばを出来るだけ離れないようにした。女性ものの下着というのは、随分と繊細に出来ていて、男物より随分高いんだなと思った。男兄弟しかおらず、高校も男子校だった僕としては、ちょっと恥ずかしかったが、一緒にいれることは嬉しいなと思った。それに発見だったのは、様々な柄やデザインの下着を、好きな女性が身につけるところに意味があるのだと知った。まだ見てはいないんだけど。
妙な話だが、今まで、僕の異性の消費の仕方はパーツだった。またはシチュエーション。要するに興奮すれば良いという。しかし、彼女と一緒にいて、性ということが人格と結び付く形で、より良く機能するんだろうな、と思った。人格との関係性の中でこそ、性が意味の重さを持つのだと知った。
最終日、長いと思っていた休みも終わり、飛行機に乗る前に、思わず頼んでしまった。
「あの…、チューしてみたい。」
彼女は、一瞬驚いて、笑って、少し恥ずかしそうな顔をして「そっかぁw わかった、よしっ」と僕の頭に手を回して、ワケの分からないまま、ひどく柔らかいものが僕の唇に触れた。彼女がさっきまで飲んでいたカフェオレかもしれないけど、ほんのり甘くていい匂いがした。断られるか、笑って流されるかと思っていたので、あまりに突然の出来事に思考が止まった。茫然、唖然という状態になった。が、またしても僕は反応してしまった。座っていたから良かったけども、しばらく立てないくらいだった。いや、立ってるんだけどさ。
30代半ばになるまで童貞、彼女なし。僕の初キスは、初めて降りた街で、初めて出来た彼女と初めて長く過ごした日々の終わりにやってきた。嬉しくて、もう一度ってお願いしたら、またしてくれた。
出発25分前、搭乗口で、また彼女を抱きしめてキスをした。目を閉じてくれて、彼女のキス顔を始めてみた。きれいだった。すぐ後ろに並んでいた女性が、前にいる中年馬鹿男女に怪訝な顔をしていて、ちょっと申し訳ないなと思ったけれど、まあ、おっさんにとっての一生に一度の奇跡みたいなイベントだったんだ、許してくれ。
そして安全チェックを過ぎて飛行機搭乗口へ。やはり、舞い上がっていたのか、来たときのチケットを当てて、一度はじかれた。機内に入っても、ぼーっとしていて来た時の席に座り、その席の持ち主に迷惑をかけた。で、避けた際に、カメラを別の席に忘れ、その席の人に訝しまれた。やっと座り、シートを締め窓の外を見ると暗くなっていく。僕の街に着く頃には、もう夜だろう。
が、対して、僕はさっきの初チューのせいで、舞い上がり、耳まで赤くなっていた。ぐるぐると彼女と過ごした連休が頭を回り、心臓を叩く。飛行機が動き出し、彼女の街が眼下に沈んで明滅する無数の灯りに変わっていく。今回、お互いに金を使ったので、次にいつ会えるか分からないけれど、早く会えたらいいなと思った。疲れ過ぎていたので、飛行機が斜めになっている間に、寝てしまった。機内アナウンスで目が覚めると、既に、僕の街の夜景が見えていた。
夜11時、無事に帰宅。彼女にスカイプをかけて、スコット・マーフィがカバーした初めてのチューのアドレスを送った。彼女の笑顔や指の感覚、僕の腕に当たっていた彼女の身体性、そして、ほんのりと甘かった唇の跡が、強く優しい記憶になった。
追伸
【追記】
予想外に多くの皆さんに読んで頂いて有難うございました。気持ちをことばに残そうと思って書いたのですが、たくさんの励ましのコメントを頂戴し恐縮しています。先程、彼女にも見せたらスカイプの向こうで「ワイン飲みながら読む」って言ってました。何か書く?と聞いたら「何を言っても、騙されてる疑惑あるし…」と笑ってました。皆さんから思わぬ祝福を受けて、良い記念になりました。嬉しかったです。ありがとうございました。
最近自分が他の人より記憶力とか注意力のようなものが著しく劣っていることに気がついてそれで悩んでいる。
たとえば
・郵便物をポストに入れようとカバンに入れると家を出る時には忘れてしまい2,3日そのままになる
・普段は徒歩だが、たまに車で会社に行くと徒歩で返ってきてしまう
こういうことが当たり前のように発生する。
面倒くさいからやらないのではなく、まったく思い出すことがない。
本当なら生活に支障がでるレベルなのだが、私は物心ついたころからそうなので、自然とこういう欠点を仕組みで補うようにしていて、これが特殊だとは気がついていなかった。
たとえば
・明日忘れてはいけないものは思いついた瞬間にカバンかクツの中に入れる
・家の掃除であっても3つ以上タスクがあるなら紙に書き出す。思い出そうとすると非常にストレスになる
といった具合だ。ただ、仕組みで解決しているのでイレギュラーなことが発生するとすべてが崩壊して少なくともその日一日は無駄になる。
例えば「この時間はオフィスに居るはずだ」「この時間までには一度は手帳を見返すはずだ」という前提で行動しているので、それが変えられてしまうと約束をすっぽかしたり、なにかの提出期限を守れなかったりする。
ただ、悪いところばかりではなく、徹底して仕組みでフォローする性格がビジネス上では幸いしてうまくいっている。
それに記憶もスケジュールとか約束が覚えていられないだけで、読んだ本や映画などは人より覚えている方で、学校での成績も良い方だった。
つらいのは家族との約束を忘れてしまった時や、些細な事でも忘れてしまったことにより自分を責める時だ。
特に家族は私が家族との約束を優先順位が低くおいていると思っているのも悲しい。(土日の約束など全く覚えていないので、毎日「今度の土曜日ってなにするんだっけ?」と聞いてしまう)
発達障害などの一種なのだろうと思っているのだが、トレーニングや薬で改善することができるのだろうか。
悩みのような悩みじゃないような・・とにかく書き出せる増田があってよかった。
いわゆる大人のADHDなのではないかと思うよ。
ネット上のADHDの診断とかでは1/3ぐらいしか当てはまらないので、軽度のそういう症状なのかなと思っていました。
ギリギリで締め切りは守れるし、他人の話も聞けますが、両方共すごく苦労して獲得したスキルな気がしなくもないです。
プログラマです。
そのとおりですね。自分で気がついていませんでした。メモするようにします。
これも怖いなと思います。35年ぐらいこれで生きてきたので、別人になると思います。
私もあります!
自分の部屋とか通勤路に記憶をしていくっていうのをやってみたら驚くほどできました。
僕みたいな人は、記憶の仕方の勉強がたりないという可能性もあるのかな?
ほんとこれですね。30半ばになって、家族ができて仕事仲間も増えてやっと「あれ?俺っておかしいのかな?」と思うようになりました。
で、いざ親しい人や妻に聞いてみたら「気がついてなかったの?」と言われて驚いています。
僕はすごく普通でまともな人間だとおもってやってきていました。
みなさんの周りの「こいつ頭おかしいだろ」って人も自覚がない可能性ってすごくあると思います。
すごくわかります。海外の小説は人名が覚えられないのでメモ書きしながら読みます。日本人っぽい名前なら全然問題ないし、むしろ普通の人より読むタイプなのですが。
クツの中に入れる >ファッ!
靴の横だと忘れるのです
これのN-backやってみてー
こういうのは多分得意です。電話番号とかも覚えようと思えば覚えられます。
「覚えよう」と気持ちがなるかならないかの問題なのかもしれません。
こんなの絶対無理なので、ここ数年は「なにかのついでに」「次にコンビニに行く時に」ということは一切していないです。
まあやっぱりそうですよね。メモで改善できるところはしようとおもいます。
難しいのは、息子が水曜日の午前中に習い事に行っているのですが、私は常に「息子の習い事は水曜日だが意識しないと思い出せない」「今日が何曜日かわからない」という状態です。さらに「週に一度は習い事ででかける」ということも忘れています。なので朝ごはんの時に妻が出かける支度をしていると「今日どっか行くの?」と聞いてしまいます。
そこで、「今日は習い事でしょ」と言われて初めて、意識的に息子の習い事の曜日と、今日の曜日の2つを思い出して「あぁ、なんで忘れてたんだろう」となります。
妻も不機嫌になるのでいつも妻が出かける準備をしたりすると「これは僕が聞いたことある用事ででかけようとしているのか、それ以外ならどこに行くか聞いてもいいのか」とビクビクします。
自分も同じ症状。 予め仕組み化したことの打ち返し力はすげー高いんだよね。 自分のことだけならまだいいんだけど、PMするのには致命的な欠陥だということが判明したので半ば諦めている。 睡眠時間増やすと若干緩和す
悪い点ばっかり書くと悲しくなるので良い点も。
睡眠時間は重要ですね、私の場合8時間にするようにして集中力があがり記憶力もかなりましになりました。
仕事では、メールは「後で思い出したら返信する」ができないので5分以内に返信します。
さらに会議の内容は翌日には会議したことを覚えていないので、会議後すぐに議事録をつくり共有します。
あらゆる書類はどこに置いたか忘れるのでスキャンしてEvernoteに保存してあとから自分が検索できるようにしておきます。
名刺も電子化して、会議や懇親会・パーティー会場で知ってる顔を見つけたらすぐに検索できるようにしています。
やっぱりがんじがらめなところが書いてて悲しくなってきましたが、
これぐらい徹底的にやることで仕事は平均より多めの報酬をもらっています。
(同じ症状で仕事ができないと思っている人がんばろうぜ!私は企業内にいますが個人事業や社長などがむいているように思います。普通の組織内だと大変だとおもいます。)
やはりカバンには常に同じものをいれておいたり、日常使うものは必ず同じ場所に戻すようにしています。
さらに忘れそうなものは「忘れそうな物入れ」という箱に”絶対に”いれます。また大事なものも「大事なものいれ」にいれます。
その点は数年かけて徹底したので、物の置き場所を忘れても「あ、これは覚えてないけど大事な物入れにあるな」というところまでは思い出せます。
逆に、印鑑をポケットに入れて持ち出したり、保険証を財布に入れて持ち出したりすると本当にろくでもないことがおきるので絶対にしません。「大事なものを入れておく小袋」に入れて持ちだして帰ったらすぐに戻すようにしています。(書いてて悲しくなってきた)
仕組みでフォローするのが素晴らしい
やることリスト・・・Trello(https://trello.com/ )家族とも共有
メモ・あとで読む・・・Evernote(https://evernote.com/intl/jp/ )(寝る前の一連の手順、掃除の手順などもマニュアル化)
名刺・・・Eight(https://8card.net/ )有料プランで契約
ファイル管理・・・Dropbox(https://www.dropbox.com/home )
各種サイトのパスワード・・・1Password(https://agilebits.com/onepassword )
みなさん、コメントありがとうございました。励まされたり、一人じゃないだとか、自分の甘えにも気付かされました。
そしてなにより楽しかったです。
いや、洗濯の時間は取れるがアイロンかける暇が惜しいんだよな。
土日に夫の実家に行く用事があって土日も使えないと、月曜からのYシャツがない。1枚も。
普段は私が出すが、午前中に打ち合わせがあって、それまでに他の家事終わらせて…と考えると微妙にクリーニング屋に行く時間がない。
だから夫にお願いした。会社行きがけに出してほしい!と。夫は今仕事が暇らしく、朝時間がある。
いいよと言ってくれた。助かる。「助かる!ありがとう!」と言った。
でもそこから夫がグチグチ言い出した。「でももっと早く言ってくれればいいのに…一昨日とか暇だったし。昨日夜も行けたわ」
イラッとした。文句言う夫に仕事押し付けてるみたいなのが嫌で、結局自分でクリーニング屋行った。
そのとき洗濯機回してたから、洗濯終わるまでの間にクリーニング屋に行けたわけだ。実際行けたし洗濯も干せたし打ち合わせも間に合った。
でも、行ってくれても良いじゃないか。仕事暇なんでしょ?朝ごはんの後布団でグダグダしてる時間はあるんでしょ。
でいうかいつまでも布団でグダグダしてるから洗濯が始められなかったのもあるんだよ。
ていうかお前のYシャツじゃねーか。
クリーニング出すよって言ってくれて、心底助かったー、ありがたいと思ったんだけどな…。
文句言われてまでお願いしたくないんだよな。
ギリギリでお願いするのも、結局自分で行く時間あるのにお願いするのも私の怠慢ではあるが。でも気付いたのが今朝だからしょうがないんだよ。
疲れた。
疲れたな。普段は仕事の息抜きにアイロンかけるぐらいの時間は全然あるんだけどね。
なんか余裕もエネルギーもないな。
よし、仕事しよう。
私は母が病気で倒れた時に1年毎日家で料理を作らされ貶され倒して、最終的には料理をしたら吐気がこみ上げてえづくようになって、味覚がおかしくなったのか得意料理ですら失敗しまともな味付けも出来なくなって料理から開放された。
胸が引き裂かれる思いで泣きながら母にどれだけ辛かったか一言でいいから謝って欲しいと求めたら鼻で笑われ、癒すのを諦めて忘れるのに徹する事にした。
思い出すだけで傷口を開くような痛みがあって涙が出るし誰にも話せていない。
夫は美味しいありがとうと笑顔で食べてくれる人で、失敗して落ち込んでても何で?美味しいよと笑ってくれて、結婚して料理が楽しくなった。
子供も出来て幸せだったが、今日3歳の子が食べるのを嫌がっておかずを私の皿に入れてきたりしたので「ママのご飯がまずいって言うの?」と言ってしまった「まずい!!」子供が言った。
我が家はまずいという単語が出ないせいか、子供がまずいを勘違いしていて好きじゃない物を食べた時には何でも「からい」と言う、オウム返ししているだけでまずいという意味で言ったわけじゃない。
それなのに古傷がいきなり開いて涙がボロボロこぼれだし吐気がこみ上げてきた。
子供は異常を察知して私を撫でながら「よしよしごめんしゃいごめんしゃいママ怒った?」と必死に謝ったり、「ほらママばぁー!!!」と笑わせようとしたりしてきたが表情を作れなかった。
子供はいつも遊び食べをしたがり食べさせるのに苦労する、子供にご飯を作るのが辛いとさっきから急に頭をグルグルしだしている。
私の手が死人みたいに白い何だこれ。
ドラマとかでよくあるショックを受けた人にあなた顔真っ青よ!みたいなのって本当にあったのか。
自分がここまで親として弱い人間だと思っていなかった、死にたい。
ーーーーー
書いた後に泣きながら寝落ちし、昨日は目が覚めた瞬間から涙がボロボロ出てきて、いつもは一晩寝たら引きずらないので驚いた。
食べずに遊んだら頭に血が上るかもしれない、まずいと言う人に作るのが怖いと、子供に朝ごはんを作るのに変な抵抗があって、子供には食パンとバナナだけ出して食べさせ遊んでも放置していた。
夫が「どうしたの?」と驚いていたけど「実は料理をまずいと言われるのにトラウマがあって、昨日子供が言ったのでこうなってる」としか言えなかった。何も作りたくない外食したいと思ったけど、壊れた蛇口みたいに涙が出るぼてぼての顔で出かけられるわけないし作らなければ・・・お弁当を作るついでに晩御飯も作っていると少し元気が出た、作れるのに安心もした。
「大丈夫?」と不安げに夫は仕事に行った、いつもは子供と一緒に駅まで夫の見送りに行っていたので子供が「いくー!!!」と怒っていた、正直1人になりたく2人きりで乗り切れるか不安もあって無理だけど夫と一緒に出かけてくれたらいいのにと内心思っていた。
気力が出ずアンパンマンをつけて涙をボロボロこぼしながら座っていた、昼ごはんは炒めたしらたきにレトルトのパスタソースを絡めただけの物を子供の分も取り分けて食べさせた。
泣きすぎて頭がしびれてボーっとしていて子供の「トイレ」に反応がのろのろしてしまって、パンツを脱がせている時に手の上にうんこをされた。
子供から「ホッケーキつくって」と言われてホットケーキを作った、作るのが怖い抵抗感が消えていて、子供にご飯をちゃんと作れると安心し涙が止まった。
子供がこけて泣き出したので痛いの痛いの飛んで行けー!をしている時に思いついて「お母さんも痛いから痛いの痛いの飛んで行けやってくれる」とお願いしたら、何度も「いたいのいたいのとんでけー!!」とやってくれた。
それから一緒に絵本を読んだりブロックで遊んで子供を寝かしつけた。
夫が帰ってきてから「朝言ったとおり母に貶されたりしてまずいと言われるのがトラウマだった、今日は驚かせてゴメン、あなたから不味いと言われる心配はなかったけど、この子は言うだろうからどうしよう」と言っていると「もっと子供向けのご飯にしないとな」と言われた(まずいといわれた日のおかずは鰆と菜花の煮物、イカと里芋の煮物、小松菜の胡麻和えで確かに子供向けではない感じだった)
ずれているけど、子供受けするご飯は私も良く解らず難儀している所だったので、明日はもう少し子供受けを考えてみようと思った。
ーーーーーー
今日起きたら少しすっきりしていた。
涙で濡れて不快だったので寝心地のいい寝具と部屋にしようと、毛布&枕&シーツの洗濯や大掃除を始めた。
温かい言葉をありがとうございました、心配してくれてる人も居るしとりあえず続きを書いたほうがいいだろうかと思い書く事にした。
何でこんなに傷ついたのか考えてみた、私は大型地雷を持っている自覚はあったので、万が一まずいと言われた時の防衛策&自分の料理に自信が全くなかったのもありおひたしのような簡単な料理でもいつもきっちりレシピどおりに作っていた「このレシピまずかったねー次からは作るのやめとく」と流せる予定だった。
子供のまずいの意味も解ってない連呼でこんな事になるとは思わなかった。
一昨日の方が過去よりも傷ついていたように思う。
今いい所に居るから辛い過去は消えていくものだと思っていたのに、覚悟なく不意打ち的に過去に戻ったから傷ついたんだろうか。
正直トラウマとかメンヘラとか対岸の火事だと思っていて、可哀想に治るといいねなどと思っていたので、私がそうだったのか確かにこの反応は病気だと頭を抱えた。
病んでいると思うと罪悪感と羞恥心がわいてきた、知らなかった旦那ゴメン恥ずかしいとか。
何でこんなに罪悪感がと考えると、母がたまに傷口をえぐってきた時に「その話はやめて」と言うと「まだ恨んでるの?いつまでもネチネチと恨みばかりで私はお前の為に言ったのになんでそんなに」と切れて責められていたので、(自己紹介を私に押し付けるな、傷つけられなければ地雷なんて出来なかった)と反感を覚えながらも忘れないのは悪いと刷り込まれてたのだろうか。
反論はしたかったが、母に訴えた時に「お前のせいで体重が減った!!美味しいって言った時も本当は全部無理して我慢して言ってあげてたの!美味しいって言わなきゃしょうがないから!」等々散々責められ鼻で笑われ、ごくたまに美味しいと言われるのを心の拠所にしていた事もあって、自分で引き裂いてた傷口をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたくらいのダメージを負ったので、母相手にはひたすらに触りたくなかった。
母の親が兄弟に差をつけるタイプの毒親で母がいつも親からされた酷い事を嘆いていたのを見て同情すると同時に、親が死んでからも恨みを引きずり楽しい会話に割り込んですぐに暗い過去を話しだす母のようにはなりたくないと思っていて、それに私が近いかもしれないと怖いのも原因かも。
押し込めて幸せに生きていれば薄れて忘れて大丈夫になっていくと思っていた。
まずいと言われなければ大丈夫だけど、こんな大型地雷を抱えて子供の思春期突入はヤバイ。
病院に行けという意見が多いけど、私の周りに2人病院に行った人が居て、一人は躁鬱傾向だけど普通に働いていたのが薬を飲みだして壊れて電車にも乗れなくなって働けなくなった、もう一人は老人なのにいつもハイヒールを履いて社交ダンスや華道をするくらい元気だったけど、心配されたくなって病名を貰おうと健康といわれまくりながら病院めぐりをした挙句にやっと欝の病名を貰って薬を飲んだとたんに1時間おきに死ぬ死ぬと電話をしてくる本物になって足腰が立たなくなって亡くなった。
薬には不信感と恐怖心が大きすぎる、薬を飲まずにこの地雷スイッチを消せるんだろうか、子供に言われる覚悟をしておけば何とかならないだろうか。
連鎖といわれると怖すぎる、母みたいに親にされたタイプは避けられても違うタイプの虐待に走ったら最悪だ。
今は大丈夫でも更年期と大病が重なったら自分が制御できずに子供にあたって傷が向かうかも知れない、でも治せるのか。
といった具合にグルグル回っている状態。
思い出すだけで涙が凄かったのに、ここまで書くのに涙が滲む程度であまり出なかった、マシになっている気はする。
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帰りにすき焼きを食べ、家に帰ったら疲れ果てていたけど、ここ4日ジクジク痛んでいた物が消えていた。
昨日はここに書いてなかったけど料理にジクジクと不快感が残り、子供の遊び食べに真剣にイライラしてしまい、危機感を募らせていたので安心した。
ここを見ても涙も出ない、消えたか深い所に押し込めるのに成功したのか、料理しなかったから楽なだけか、久しぶりにいい牛を食べたテンションで一時的に持ち直しているのか。
気力も体力も湧かなくて外出せずに家の中でずっと縮こまってたのが良くなかったんだろうか。
家族に言えてネットにも書けて涙をまとめて出したのが良かったんだろうか。
落ち着いてよかった、地雷が残っていない事を願う。
数日前に大量の飲み物を摂取して、それから胃が痛かったり痛くなかったりを繰り返してる
元々かなり少食な方。
外食行ったりすると、食べ過ぎで急性胃炎なんて割りとしょっちゅうなる
大人1人分全部食べたら、その日の夜か次の日、ほぼ確実に胃痛がくる
しばらく絶食して寝てれば治るんだけどね
ただ、飲み物で胃が痛くなるのは初めて。
でこれが結構辛い
胃が痛いけどお腹はすくからいつもの量のご飯を食べたら、痛みが増して寝込むはめになった
それ以来いつもの半分くらいの量のご飯を心がけてたんだけど
4日くらい経ったのでそろそろいいだろうと、さっき朝ごはんをいつもの量食べたら・・・胃痛が・・・
病院行ったほうがいいのだろうか
市販の胃薬とかでもいいかな
買いに行く元気ないけど
原稿の段階においてはこれまでより表面的な文章それ自体に関する事柄が重要となる。冲方はこの段階を「肉書き」「皮書き」の2段階に分けるが、原稿の執筆と推敲をそれぞれ意味しているに過ぎない。本稿では表現上の混乱を招くだけであるため、特に冲方の分類には従わない。
さて、西谷のように本一冊を使ってこれを解説したているものも存在するが、その内容は全て基礎的な日本語文法の復習であり、独自の知見は少なく、例えばうなぎ文などを交えた日本語文法それ自体に関する細やかな議論があるわけではなく、また修辞技法に関する詳細な分類と効果について言及しているわけでもない。会話文の閉じカッコの前に句点は付けない、中黒ではなく三点リーダを偶数個使う、といった些末な作法をめぐるこれらの内容について本稿では特に言及しない。
文法、作法上の間違いではないが避けた方が好ましい表現についても、断片的ながらそれぞれの作家ごとに主張されている。例えば水島の「同じ語尾を連続して使わない」「台詞以外で「である」「なのだ」という語尾を使わない」「三点リーダと感嘆符の多用を避ける」、榎本の「三行以上にわたる一文は避ける」「会話の順番を固定し、誰がしゃべっているのかフォローの文なしでも理解できる方が良い」、西谷の「物事が起こった順番に書く」などである。
とはいえこれらは絶対に避けねばならないものではない。例えば同じ語尾を重ねることは畳語法として効果的に機能しうる一つの技術である。会話の順番を固定する、というのも、例えば5人の登場人物の会話順が完全に固定されて順に発言しているような状態が自然な会話文として望ましいとは思えない。それぞれ場合によって使い分けられるべきであろう。
よって本項では各作家によって提案されたいくつかの修辞技法についてを断片的ながら俯瞰するにとどめる。
水島は「明るい文」「ラノベ文体」として、「難しい表現を使わず、何が起こったのか一目でわかる」こと、「読者がハイスピードかつリズミカルに読める」ことが望ましいとする。
具体例として次の例を挙げている。
「すごい美少女だ!」
俺は驚き、つい声を上げた。と、同時に……、
――ドカーン
背後で、謎の爆発が!
なぜ難しい表現を避けるのかといえば、「読者は気合いを入れて読んではくれない」「メインターゲットとなる読者である中高生は学校の登下校、勉強の合間などに読むので、集中して読んでくれない」からだとする。「ラノベは読み飛ばされるのが宿命」だと水島は言う。これに近しい意図を持つ指摘としては、榎本による「ガイド」の提案がある。ガイドとは榎本独特の表現であるが、「シーン冒頭に「これがどういうシーンなのか」がわかる描写を書き込む」もので、つまりそのあとの文を読み飛ばされても何が起きたのかざっくりとは理解してもらえる、という効果が期待されているものである。
何が起こったのかわからないような文章を避けるべきなのは当然だろうし、テンポ悪くだらだらと薀蓄を書き連ねたようなものは(それをウリにしている作家もいることは事実だが)大体の場合避けるべき、というのはさほど違和感のない話である。
とはいえ学校の登下校、勉強の合間などに遊ぶテレビゲームや携帯ゲームは集中されないのか、といえばそうではないだろう。読者が集中してくれないのではなく、読者の集中を誘うだけの内容が無いからではないのか。
読者はバカだからバカでもわかるように書きましょう、というのは、逆に言えば中身の無さ、文才の無さを読者に責任転嫁しているに過ぎないとも考えられる。筒井は様々な実験的小説を書いてきたが、それは「読者の理解力に対する理解があってこそであった」と自分の読者ならわかってくれるという確固たる自負が見て取れる。もちろんそれは既に作家としての名声を確立した後だからこそ、という面は否定できないが、作家から読者をバカにしていく、という水島の姿勢はいささか理解に苦しむところである。
クーンツは作家に与えられたチャンスは最初の3ページだという。第一文から始まる3ページで面白いと思わなければ読者はそこで読むのをやめる。そして読者を3ページで魅了するための技術として、過激なアクションに始まること、ユーモアを含ませ、一度冷静に状況説明をしてから再度緊迫した場面展開に話を戻す、という手順を紹介している。
一方で西谷は望ましい書き出しについて、いくつかのラノベの冒頭を並べてその傾向を述べており、主人公の描写、自己紹介、考え方から始まるタイプと、主人公の目に映るものを描写する書き出すタイプの2通りのいずれかが望ましいとしている。
また忌避すべき典型例として「壮大な書き出し」を挙げている。例えば人類の9割が滅んだ世界であることを厳かに説明するような文章は避けるべきと言い、それくらいなら他愛もない会話からはじめ、その途中で人類の9割が滅んだことを明かす方が望ましいとしている。
人類の9割が滅んだ、とは物語背景となる情報であり、重大だが具体的な動作を連想させる情報ではない。それに比べると会話文は動作とひもづくものであり、その意味ではクーンツの「アクションに始まる」という内容と大きく矛盾するものではない。
しかしながら、これも絶対的に忌避されるべきかといえば難しい。
例えば名作と名高い「猫の地球儀」は
と、まさしく壮大な書き出しで始まる。「同じ語尾を連続して使わない」に余裕で違反する3連続の接続助詞「で」に加え、何の説明もなく独自の専門用語を第二文目で出すなど言語道断である。
しかし筆者は、上述の水島のドカーンをはるかに凌駕する圧倒的な魅力をこの書き出しに感じる(もちろんそうは思わない人もいるだろうし、それを否定する意図はない)。
作家に与えられたチャンスは最初の3ページだ、というクーンツの主張には、一読者としての経験則的に筆者も同意できるところではある。しかしではどういった書き出しが望ましいのか、といえば一概にこうでなければダメだ、というのは難しいように思われ、筒井による「いい書き出しかどうかは結局のところ作品全体の出来に左右される」という指摘がもっとも妥当であるように思われる。
従って、アクションから入ろうが主人公の身の回りから入ろうが壮大な書き出しで始まろうが、3ページで読者を作品世界に没頭させる内容が実現できればそれで問題は無いと言えるだろう。
頭に浮かんだ順に適当に書いていくと散漫な記述になりがちであるとして、西谷は「自分が描こうとする場面を実際に図に書いて、どういう順番で描写するかを決める」のが効果的だとする。この主張はその場に存在する様々なものを具体的に詳細に想定しているかどうかの事前確認という意味合いが強い。
また、「目に見えるものだけを書いていると、リアリティーのない文章になってしまう」として五感への意識を促す。嗅覚については言及されることが少ないが、特に音については場所、方向、登場人物の存在を示す役割を果たす効果的なものだとする。また西谷独特の主張として、足下の変化は触覚という点で効果的であると主張する。
こうした西谷の指摘に加えて榎本による「静止したものだけでなく動作する物を混ぜる」という指摘を考慮すると、情景描写の臨場感とはその情景における時間経過ではないか、と筆者は考えている。
止まった絵ではなく、音や匂いを含めた一定の時間の流れを含めた「図」が望ましいという意味では、作家は西谷の言うような「図」ではなく「絵コンテ」を書くべきだと言ってもいいだろう。
仮に作家が自分の想像を完全に文章化でき、そこから読者が作家の想像通りに完全に場面を想像できるとした場合、静止画が再生されるよりも動画が再生された方が臨場感が高いのは言うまでもないし、そこにに音や匂いも付与されているのであれば、臨場感はさらに高くなるだろう。
絵コンテという考え方はまたカメラワークへも影響すると考えられるが、映像作品におけるカメラワークのセオリーとこうした娯楽小説における情景描写の順序や方法の類似点、相違点については十分な調査と検討が必要と思われ、本項では今後の検討課題として割愛したい。
より良い場面の切り替えについて、クーンツによる指摘に触れておきたい。クーンツは「ひとつの場面が終わったら、すぐさま読者を次の場面へ案内しなければならない」こと、そして簡潔さを重視する。例えば主人公は一人自室でテスト勉強をしている場面Aと、学校でテストを受けている場面Bを連結させるとする。この間にはもちろんさまざまな出来事、例えば寝て起きて朝ごはんを食べて家を出て電車に乗って学校に到着する、といった過程があるはずだが、それらをだらだら書くべきではなく、場面Aが終わった次の文ではテスト中の主人公を描くべき、という。
これは場面の切り替えにやっつけ仕事めいた過程を描く必要は無い、という単純な指摘に留まらず、各場面はプロット上必要不可欠な要素であるべきで、必要のない場面を含めるべきではない、とも理解できる。例えば場面Aのあと電車でヒロインと遭遇させる必要があるのであればそれを場面Cとして独立させ、プロット上場面AとBの間に配置すべきである。
クーンツは会話は全体の20~30パーセントは必要だとする。一方で30ページ以上続く会話文も問題であるとしており、当然であるがバランスが必要である。
その場に登場人物が2人しかいないときに、いちいちどちらの発言か説明しないと読者が理解できないようならその会話が悪い、という指摘や、「「言った」という動詞が連発しないよう、表現を工夫する、などというのは過ちである」というのはなかなか面白い指摘と言えるだろう。クーンツは発言内容が重要なのであれば、それ以外の「言った」という表現を「尋ねた」「口を開いた」「聞いた」など必死に工夫する価値はないとする。一方でアクションシーンでは動詞の選択は重要だとしており、その場で強調すべき要素とそうでない要素を区別することを要求している。英語と日本語の違いはあれど、これは文章のメリハリを付ける上では面白い指摘と言いうるだろう。
ヒックスは会話の機能として、「ストーリーを前進させること」と「登場人物を明らかにすること」を挙げるが、特に後者については人物の性格を読者に理解させる重要な要素だ、と換言できるだろう。
このようにクーンツ、ヒックスはともに会話文を重要な位置づけにあるとみなすが、一方でラノベ作家陣からの指摘として、榎本は「キャラクターの会話ばかりで「そのシーンはどういう状況なのか」「今どうなっているのか」が全く書かれていない作品」を批判する。
この点については筒井が「描写や展開が面倒なのですべて会話で片付けようとする」ことを批判しており、何のために会話文を書いているのか、という目的意識に違いがあるように考えられる。すなわち情景描写が苦手だから、間が持たないから、といった問題を正面から解決するのではなく、会話文で埋めることでごまかすようなことが榎本や筒井の批判するところと言いうるだろう。
説明するまでもないが、小説では一人称体、もしくは三人称体が多く用いられる。この人称に関しては、どの創作技術本でもありがちなミスとして、一人称体にも関わらず語り手の知り得ない情報を記述してしまう、という点がよく指摘されるところである。
一方で三人称体は登場人物の知りえない情報を記述することができるという利点があるが、一人称体がその語り手が同化する先の人物への感情移入を惹起しやすいのに対し、三人称体はその点で劣ると言えるだろう。
このことから水島は、「楽しさ重視のコメディは一人称」が望ましく、「複雑なストーリーは三人称が向いている」としている。では一人称体と三人称体を組み合わせて書けばいいのではないか、という意見については、それは読者の理解の混乱を招く手法として否定し、また三人称体においても実質的には「主人公が今どうなっているか」を中心に描くことが望ましいとしている。
一方で飯田は三人称体をとるメリットは「キャラクターそれぞれの内面が描ける」点にあるとしている。実際「インフィニット・ストラトス」を例に、飯田は一人称体と三人称体の混濁を否定せず、それどころか「主人公の一人称視点と、ヒロイン寄りの三人称視点を使い分けて全ヒロインからの愛され感をもたらしている」と高く評価している。
とはいえ三人称体として振る舞いつつ登場人物それぞれの視点に入ったり、といった視点を「神の視点」と表現し、これは避けるべきものだとする論調は少なくない。
一切言及されていないが、現実には三人称体に一人称表現が入り込む技法は自由間接話法と呼ばれて存在し、主人公の知る由もない情報を描けるという三人称のメリットと、感情移入を容易にする一人称のメリットを同時に享受できる極めて強力な技法である。
なぜ言及がないのかといえば、これを多用する作家はさほど多くなく、むしろ全く使わない作家の方が多いことから、おそらくはプロの作家自身、これを人に説明できるほどうまく扱える自信が無い、ということが原因ではないかと思われる。
他方、これと似て非なる技法に「神の視点」があり、これについて触れたものとして、クーンツは「ストーリーの途中で作家が登場人物を批評したり意見を述べるのは19世紀の時代遅れな手法」としており、もはや使うべきではない技法だとしている。
端的に言えば「あぁ、神よこの男を憐れみたまえ」といった大仰なそれに対する指摘であるが、例えばH.P.ラヴクラフトなどは意図的かつ効果的にこの神の視点を用いていたように筆者は考えているし、町田康の有名な「あかんではないか」などは見事にこれを活用した好例と言いうるだろう。
筒井はこれを「劇化された語り手」であるとしているが、これについてはまた詳細かつ精密な議論が必要であることから本稿では割愛する。
水島は夢や過去の回想について、これらは今誰が何をしているのかがわかりにくくなる、述べており、またこの点についてはヒックスも同様の指摘をしている。「バック・ストーリーの情報を提示するのに最も効率が悪く気の効かない方法が、フラッシュバックである」と、フラッシュバックはドラマの勢いを失わせるものだと注意を促している。
一方で、筒井による「遅延・妨害」に関する記述はある意味でこのフラッシュバックの効果を逆用したものとも言いうるだろう。具体的内容としては、「読者の疑問を宙づりにしたまま進行させる」ものである。特にクライマックスの直前など、いよいよ事態が緊迫し抜き差しならない状況であることを描いたところで、突如穏やかな場面に切り替えて「あれはどうなっているんだ」と読者の不満をあえて買い、じらした上で緊迫した事態の展開に再度移る、ということでより大きな満足感を読者に与える効果があるとする。
クーンツもその冒頭において、過激なアクションの次に一度冷静な場面を挟み、再度戻る、という手法を提案しているが、効果としては似たようなものだろう。
推敲の重要性を否定するものは一つとしてない。しかしどう推敲するか、という点について具体的に述べているものはそれほど多くは無い。例えばキングによる6週間空け、そして1割削減する。ワナビにとっては6週間も余裕がないことの方が多いだろうが、一定の時間を空けて自分自身で読み直すことの効果は少なくないだろう。
冲方は推敲の要点として、「冒頭とラストにインパクトと引きを作る」「事件とはあまり関係のない人間の登場を減らす」「専門用語は前半は少なく、後半は多くする」という推敲の指針を挙げる。最初の2点はプロットレベルでの書き直しが要求される内容でもあるだろうし、そもそも事件(物語)に関係ない人物を登場させる意味はなにか、という疑問もあるが、専門用語の配分などは参考になるだろう。
最後に、推敲は一度で終わるものではない。アイディア、プロット、原稿まで順に進めるとこれまで述べてきたが、推敲によって再度プロットへ、またはアイディアまで戻ることはいずれの説においても当然のこととして主張される。
昨日はいつもより早く起きて、いつもより念入りに身支度をして、いつもより少し早く家を出た。
気分も良かったので、朝ごはんでも食べて出勤しようかなーと思ってたら、猫が轢かれていた。
ご機嫌で家を出て一分で沈む。つらい。
いつもなら素通りするけど、なんとなく素通りができなくてコンビニへ。
飲み物を買って、一番大きな袋に入れてもらって猫の元へ戻る。
大きくて綺麗な猫だった、首輪は無かったけれど痩せてなかったから飼い猫かもしれない。
死んだ猫は猫の形をした肉じゃなく、やっぱり猫だった。
目を閉じてやりたかったけど、上手くできなかった。
口から血を流していたけど体は綺麗だったので、袋を裏返してできるだけ直接触れないようにして袋に入れる。
体の裏側には血がべったりと付いていて、当たり前だけどやはり猫は死んでいた。
なんとか苦しくないような体勢で袋に入れて、とりあえず道の隅に置く。
このまま公園にでも埋めてやれればいいのだけれど、出勤中なのでそんな時間も無い。スコップも無いし。
ゴミ捨て場に置いておくのも猫に失礼な気もするし、そもそも猫の死体は何ゴミなのか分からない。
犬の散歩中のおばさんが声を掛けて教えてくれたので、区役所に電話する。
受付時間の30分前だったので、その場の住所を控えて猫をその場に置いて出勤する。
道で猫が轢かれていたので回収して欲しいとの旨を伝えると、シジュウですね、と言われた。
死獣ってことだと思う。向こうとしては仕事なんだろうけどずいぶんドライなもんだなぁと思った。
その場の住所や連絡先を伝えて電話を切る。
仕事帰り、猫はいなくなっていた。役所の人が回収してくれたのだろう。
コンビニで買った少し良い猫缶を置いて手を合わせる。
少し迷ったけど、缶は開けずにそのまま置いておく。
別の猫が食べに来てまた轢かれたら立ち直れない。
良いこととか悪いこととかより、これはもう自己満足だ。
でもなんとなく、あの猫が今まで生きてきてここで死んだことを、誰かがちゃんと知ってあげるべきだと思う。
翌朝、猫缶は無かった。血の跡はまだ少し残っていた。
ジバニャンみたいな感じであの猫がこの道に居ればいいのになーと思ったけど、
多分、明日にはその猫のこと忘れてるのだと思う。
でも、今はまだ、彼がなかなか素敵な体をした猫だったことは覚えているから。
お疲れさん、どうぞ安らかに。
沖縄だ。
日帰りだ。
ベッドでむにゃむにゃ見送ってくれた彼女のために、朝ごはんを用意した。
那覇空港に着いた。
Lineを開いた。
でも、少しだけ、予想とは違った。
「おにぎらない美味かった〜!」
妻に不倫をされた夫の話(http://anond.hatelabo.jp/20141028184640)がホッテントリに入っていたので、逆の立場である自分の話をだらだらと書き綴ってみる。
自分はいま、趣味のサークルで知り合った既婚女性とお付き合いをしている。世間からみたら、いわゆる不倫の関係というやつだ。
実は、自分としては人妻と付き合っているという意識はほとんどない。
だって、相手の夫の名前とか顔とか一切しらないんだもの。もしかしたら彼女は独身なんじゃないかと思う時すらある。
俺にとって彼女が既婚であるということは、現実感がともなっていない。
現実感がともなってないから、知り合いがいるかもしれない街なかで手をつないで歩いたりとか普通にしている。
俺としては彼女の事をすごい好きだし、愛している。
愛しているのでお付き合いをしている。
リスクとかまったく考えていない阿呆な俺にとっては、ただそれだけのこと。
ただ、外野からみたらただの不倫なわけで、我ながらたちが悪いなとは思う。
これが既婚男性だったら自身の家庭があるわけで、不倫をするにも限度があるだろうし、だからこそ打算的だ。
ようするに、ひとときの秘密の関係を楽しんでいるという認識をもってるんじゃないだろうかと思う。
限度がない。
まったくもって救いようがない。
ただ、自分には限度がないのだが、相手にはある。
最近、そのことを認識することが多くなってきたような気がする。
独身男性である俺の側としては、普段の日常と彼女と会っている時間は地続きだ。
知り合いに目撃されたとしても彼女として紹介できる。
ようするに、俺としては彼女と会っている時間は特別ではあるけども日常として分類できる時間なのだ。
だが、彼女の側としては俺と会ってる時間は普段の日常と切り離されている。
普段の彼女は夫の妻として振る舞い、知り合いからもそう認識されているだろう。
だから、俺と二人でいるときは彼女にとって非日常なんだと思う。
同じ時間を共有しているのにもかかわらず、一方は日常の延長、もう一方は日常とは切り離された非日常。
そういった非対称的な関係がお互いにはっきりと認識されることなく発生する。
デートをした後、お互いの家に帰る際に駅の中などで彼女がものすごく悲しそうな顔をするようになり、その認識のずれを知るようになった。
俺としてはひとときの別れは寂しいけれども、ただ家に帰るだけのことでそこまで悲しむことではないが、彼女にとっては違う。
彼女の帰る家には夫が、ようするに彼女の日常、彼女の現実が待っている。
最初、彼女が別れ際に悲しい顔をみせたとき、俺はそのことに気づかなかった。
だが、それが回を重ねるようになってからようやく彼女の悲しさの理由がわかるようになった。
そういう事があって以来、俺はときどき彼女の日常を想像するようになった。
旦那さんはどのような人で、どんな家に住んでいて、二人はどんな生活をしているんだろうか。
朝ごはんは一緒に食べているのか、家事の分担はどうなんだろうか、そもそも同じ寝室で寝てるのだろうか。
そんなことを想像しても答えがでるわけがなく、本当に知りたいのなら彼女に聞けばいいのだが、彼女の日常を知ってしまうとこの関係のままで居続けることができなくなってしまうんじゃないかと不安で、そのような話はしないようにしている。
いつか、そんな話をすることができるようになるんだろうか。