はてなキーワード: 少年時代とは
補足にもならないが体験談。
中学生のころ日に日にもっさくなる自分が嫌で、その体質の変化の原因は男性ホルモンなのだと考え、2年くらいオナ禁していた。
それでわかったのは、どれだけあそこを刺激しないようにしても精巣の働きは止められないということ。
溜まった精液は月一くらいで発生する夢精によって強制的に排泄されていた。オナニーは体調管理の一環でもあるのかなと子どもながらに思った。
それからその気になれば勃起したいちもつを自分の意思で萎えさせることはある程度可能だということ。
特定のイメージとか呼吸法とか手足の軽い運動とか何かしら萎えさせるトリガーが人間にはあるっぽい。
個人的に心拍数を下げることを意識して深呼吸を続けたりすると30秒くらいで収まる。
大事な第二成長期に変なことをしていた影響が今どのような形で現れているのかは全くわからないが、
ジャンプ黄金期で少年時代を過ごし、中学・高校はジャンプアニメを中心にどっぷりとアニメにハマっていました。
そんな高校生のある時、某Mによる幼女誘拐連続殺人事件が起き、世間は蜂の巣をつついたような大騒ぎになりました。
当時を知っている人なら分かると思いますが、あの苛烈なオタクバッシングが始まった時期です。
耐えました。高校生だった私は家族からも白い目で見られる中で、隠れキリシタンのように耐えながらアニメを見ていました。
しかし限界は数年後に。耐え切れなったのです世間の雰囲気に。高校を卒業してハタチ頃から徐々にアニメから離れました。
10代の頃に熱狂していたアニメを見なくなり、20代の10年間はまったく触れることもありませんでした。
エヴァも知りません。映画館の前にエヴァの劇場版を観るために朝一から行列を作っているファンを訝しげに見ていました。
30歳を過ぎたあたりでしょうか? 何気なく深夜にテレビをつけるとアニメが放送されていました。当時、深夜アニメの存在すら知らなかったのです。
後で知ったのですが、その作品は「ひぐらしのなく頃に」でした。衝撃を受けました。こんなものをアニメとして放送していいんだ! という。
それをきっかけに再びアニメを見るようになりました。10代の頃に経験したオタクバッシングはすでに鳴りを潜めていたので抵抗感はなかったです。
面白い。やっぱりアニメは面白い。気がつけばむさぼるように深夜アニメにハマっていました。
もう戻れません。離れられません。
近年だとSHIROBAKOや響け!ユーフォニアム、このすばや昭和元禄落語心中や僕だけがいない街にハイキュー、鉄血のオルフェンズに監獄学園。石膏ボーイズや大家さんは思春期、おしえて!ギャル子ちゃんにGATE……。大抵のアニメを見ている有り様です。
アニメやめらんねえ。
難病を持っている。
自己免疫疾患の一種なのだが、特殊な病気で生活上でいろいろな制限がある。
自分はあのころはまだ全然元気で、自分が難病を患ってしまうなんて思いもよらなかった。
自己免疫疾患の多くがそうなんだけど見た目ではほとんどわからない。
だけどいったん発作が起きてしまうと全身がひどく痛んで苦しむ。
よく誤解された。
付き合っていた彼氏にかげで「あの人はきちがいだから」と言われていたこともある。
夫はなぜかすべてを受け入れてくれて、病気のこともすぐに本質をつかんで理解してくれた。
夫が、コーヒーが好きだったり、甘いチョコが好きだったり、本を読むのが好きだったり
あと、夫は男子校出身なんだけど、その頃の仲間と集まって少年時代みたいに遊んでるのとか
夫大好き。
ずっと元気で長生きしてほしい。
新しい言葉を聞くと大抵空耳し、知っている言葉で出来の悪いダジャレのような感じに再構築されて、実際とはかけ離れたイメージがその言葉の第一印象として刷り込まれてしまう。
そして後から中身を知ってもうまく上書きされず、その単語を思い出そうとするときのとっかかりが第一印象のイメージの断片になりがちなので、
誰かと「あーホラあれあれ……○○っぽいの」という話をしたとき、周囲の人に共感してもらえない。
悔しいので、共感してもらえなかったものを軽く20個ほどあげてみる。
誰か「あーわかるわかる」って人、いませんか。
後半はともかく、前半は割とわかってもらえる気がしているのだが……。
[イメージ] | [ジャンル] | →→→ | [中間データ] | →→→ | [正解] |
北欧神話に出てきそう | 消臭剤 | →→→ | ファヴニール | →→→ | ファブリーズ |
マクドナルドのラーメン | 車の会社 | →→→ | マック・ラーメン | →→→ | マクラーレン |
落ちた寿司 | 神様 | →→→ | 落っこと寿司 | →→→ | オッコトヌシ |
悲惨な犬 | イベント | →→→ | 悲惨だワン | →→→ | サンタラン |
ペンギン | 女の人 | →→→ | ペンギン | →→→ | ベッキー |
韓国風焼肉のタレ | 遊戯王のカード | →→→ | バンサンカンソウル | →→→ | バーサーカーソウル |
転落死する感じ | 会社 | →→→ | ヒュー!レッド(血)パッカーン! | →→→ | ヒューレット・パッカード |
めっちゃ強いカナブン | スパイス | →→→ | カナブンバサラ | →→→ | ガラムマサラ |
飛来する大量の肉まん | 番組 | →→→ | 肉まんラッシュ | →→→ | 鉄腕ダッシュ |
輝く坂東さん | Fateの用語 | →→→ | サン坂東 | →→→ | サーヴァント |
特産品が昆布の島 | IT用語 | →→→ | 昆布アイランド | →→→ | コンパイラ |
防御力の高いデブ | USJの食べ物 | →→→ | タンキーデブ | →→→ | ターキーレッグ |
よつばとじゃない | ポケモン | →→→ | あずまんが大王 | →→→ | アズマオウ |
ドラクエクリアしてそう | 勢力 | →→→ | アリアハン大制覇 | →→→ | シリア反体制派 |
腐るぞ!って怒ってるおじさん | モンスター | →→→ | 腐るぞオラァ | →→→ | クシャルダオラ |
おばあちゃんびっくり | モビルスーツ | →→→ | あんれまぁ | →→→ | アッシマー |
ドクダミを見つけて喜ぶなんJ民 | ワンピースのキャラ | →→→ | ドクダミンゴwww | →→→ | ドフラミンゴ |
急にハゲて文句を言う | 歌(歌い出し) | →→→ | なんすか急に禿げ上がり | →→→ | 夏が過ぎ風あざみ(少年時代) |
ママさん毒矢殺人事件 | イケメン | →→→ | フグ矢ママ刺さる | →→→ | 福山雅治 |
とっても平和なロンドン | 肉料理 | →→→ | ロンドンすごい平和(ピンフ) | →→→ | ローストビーフ |
いかがだろうか。
基本的に空耳由来のものなので、突拍子のない中間データも口に出して速く読んだり遅く読んだりしていると、きっとジワジワとつながりがみえてくるのではないかと思う。
衝撃的な事件だったし、単純に猟奇的事件に興味があったのもあり、
その後インターネットで少年Aの顔写真を見たり、まとめているサイトで事件の詳細を読んだりしていた。
被害者、加害者が出した本は読まなかったが、『絶歌』は発売後すぐに買い、読んだ。
まず、サムの息子法が、とか言っている人もいるが、これに関しては現状の日本の法律で問題ない以上、文句言っても仕方がないことである。
また、世界各国で適応されている法律ならまだしも、一部の国の一部の州でしか実施されていない法律をあげるのは、都合が良すぎる。
文章に関しては、ネットでは批判的な意見が多いが、良く書かれていると思った。少なくとも僕にはこのような文章は書けないなと思ったし、
文章力はどのように身につくのだろうかとも思った。高校、大学と出て学んできた身なので、自分が恥ずかしいとも思った。
そういえば、『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人意見陳述も読み応えがあったなぁ。。
中身に関してだが、この本は大きく分けて、少年院に入るまで、出た後の二部構成になっている。
少年院でどういった生活を送っていたのかも気になったので、そこが書かれていないのは残念に思った。
一部と二部では文体が異なる。一部では、少し厨二的というか、見えていた世界が人と異なるような表現が多く、少年の異常さが表されている。
二部では、淡々とした文体で書かれていて、更生されているかのような印象を持った。
しかし、これは意図的に文体を変えているものだと感じられた。当時の少年時代の日記がそのまま公開された。とかならこのような違いがあることも分かるが、
書いたのは現在の少年Aのため、このように文体が変わるのには違和感がある。
少年Aは犯罪の原因は、自分の性癖にあると言っている。親しかった祖母の仏壇の前で、マッサージ器を性器に当て、初めての射精した事から
死と性が関連するようになってしまったとのことだ。
猫を殺した時も、射精したし、被害者の首を自慰行為の道具としても利用したとのことであった。
しかし、同級生に対して暴力行為を振るったことは、性衝動とは一切関係ないので、性癖のみが暴力、犯罪の原因とされているわけではなさそうである。
また、被害者の首で自慰行為を行ってから、その後射精をしなくなった (少年院時代のみ?)という記述があったが、今現在はどういったものを対象に性を感じる
ようになっているのかが気になる。今でも死と性が関連していると思うなら、今後も事件が起きる可能性がありそう。
家族は悪くない。と書かれているところが多数あるが、客観的に見て異常。同級生に暴力を振るった時の母の注意の仕方とかは、軽い喧嘩を注意するレベルで、
おかしいだろうと思った。
成人し、出所してから仕事もちゃんとしているし、生きる力が強いと感じた。また、金に対する執着もあるため、『絶歌』の印税は相当本人としては嬉しかったんじゃないかと思う。
金に困って犯罪するタイプではないと思うが、印税を与えることによって少し大人しくなるのではないかと思った。別に『絶歌』を買ったことを正当化している理由ではない。
社会人生活を送っている時、同僚にインスタントカメラで写真を撮られた時、切れてそのインスタントカメラを振り払い、壊したみたいなエピソードがある。
写真に撮られることがナーバスになっているということを表したかったのだろうが、単純にキレやすい人間みたいな印象を受け、恐怖を感じた。
その後、ホームページ公開したりしていて、良い体しているなとか、ナメクジ写真はダミアン・ハースト的でもう少し評価されても良いんじゃないかとも思った。
ネット上では『絶歌』の批判ばかりだが、読み物としてもそれなりに楽しめるし、超有名犯罪者の文章を一度読んでみるのも良いのではないかと思う。
俺は膣内射精障害、いわゆる無漏症だった。それは、くしくも童貞を卒業した瞬間に約束されたものだったと思う。ヌルッ、あれ? あんまし気持ちいくない・・・いや、動かせば違う筈だ。ズコッズコッ、あれ? これだけなのか? そんな・・・何かの間違いだろう・・・こんなバカなことが・・・いや、まだだっ。まだ終わらんよっ・・・ズコズコズコ・・・あ、足疲れた・・・ズコッ・・・イ、イケない。そして、その日、俺が射精することはなかった。いや、正直に話そう。今に至るまで、イケたことはない。
彼女には機会があれば挿入してきた。全部で5回くらいだろうか。彼女には膣内射精障害についてインフォームドコンセントをしておいた。そのため、瑣末なすれちがいなどは起こりようがなかった。このチンポはニセモノじゃないし、君に責任はない(処女であった彼女は自分が変なのかしら、とよく言うのだ)。俺のおチンチン様もお元気であるからして、すべての原因は今までに繰り返されてきた間違ったオナニーなのだ、と俺は言った。床オナのジェスチャーやAVを実際に見せながら、丁寧に。経緯を知った彼女が「ばかぁー!」というのは可愛らしかったが、イケないという現実に変わりはかった。
実を言えば、予感はあった。膣内射精障害について、その存在を知った時から、ずっと。俺は幼少~少年時代は足ピンの床オナマスター。家族が集っている居間のこたつの中でも事を成すほどの常習犯であった。そう、まるで近親相姦系エロマンガのように日常的に床オナしていた。その後、高校生になると、きちんと棒をこすったオナニーをやるようになったが、大学に入って独居で自由にネットできるようになると、AV&エロマンガ漬けのオナニィをやり始めたのだった。加えて、その握力とピストンスピードは徐々に加速していったようである。かくして、不漏の申し子は生まれ落ちた。
もしも、膣内射精が童貞卒業の帰結となるならば、私は未だに童貞である。そう。このままであれば、生涯童貞。その言葉が、頭の中で閃く。それゆえ、自覚する前から俺は決意していたのだと思う。挑戦しなければならない。どれだけ圧倒的な不利、極悪な難易度のオナニィ矯正であろうと、やりとげる。彼女の中に射精するため、それだけのために。
膣内射精障害について検索した結果、現れた電子の糸をたよりに俺は旅をした。アノニマスな人々の体験談や怪しい広告サイト、無料相談室やクリニックの解説、まとめアフィ、無人の廃墟たる掲示板、はてなダイアリーなどなど、多くのものを俺は見ることになった。生涯童貞を誓う連中は笑い、童貞中退になりそうな宙ぶらりんの俺の仲間達は皆、苦しんでいた。あるいは、克服した先輩も含まれていた。諦めていると書いている奥さんのブログがあった。そこには多くの人の人生が詰まっていた。俺は多くのものを見た。その間、季節が移り変わったような気さえしたが、30分が過ぎただけだった。もしくは、俺は異なる位相に入り、何かを持ち帰れたのだろうか。受け取ったのだろうか。いや、まだ、それはわからない。重要なことは、俺がこれからやることなのだ。
膣内射精障害の矯正方法は、現実との隔たりを如何に無くすか、ということに尽きるようだった。すなわち、
何も見ず、イメージによってのみ、抜く。
また、別の見地から実際のピストンを楽にするためのトレーニングも不可欠だと思われた。要するに、
腕肩足の筋力強化で、意識を性感に集中。
ということになるようだ。
さて、語ることは語った。後は活目せよ。俺は抜く。俺も男だ。やってやれないことはない。名器の品格、アストログライドを両手に携えた裸の男は、ついにトレーニングを始めるのだった。いつか、このことを、娘や息子、孫達にゆっくりと話せる時が来ればいいな、とその男はどこかで考えていた。
小学生~高校生を対象にした絵画コンクールの優秀賞を眺めるのがすごく好きだ。
世界児童絵画コンクールの優秀作品集を手に入れたときには涎が出た。
なんだろう。ああいうのはだいたい学年か年齢を併記してある。なんというか、その絵を描いた子供が今、何歳かを計算をする事も快感がある。
もう、その絵を描いた子供は子供ではなかったりするとなおいい。
上手くは説明できないのだけど、絵を描くという行為が反吐が出るほど嫌いで苦手だった自分のコンプレックスの部分を刺激するのかも知れない。
自分で描くのはずっと嫌いだったけど、子供の絵は子供の頃から好きだった。校内コンクールの優秀賞は張り出されたら何度も見に行った。
絵が上手い人は僕の中でかなり肯定的に見てしまう。絵が上手い女の子はそれだけで好きになった。そして、絵が上手い子にはなぜか手を出せなかった。一種の敬意か。
いい年をした大人になって、それでも未だに絵が下手な少年時代の僕が陳列された絵の前で惚けながらそれを眺めている。
きっかけは『冷たい熱帯魚』という映画をこの女と一緒に見たことです。
その映画では子供がグレてるので「自分の子供があんなのになったら俺、無理だわ」って言ったことで子供の話になりました。
俺の最悪だった少年時代の記憶から、大きなトラブルを起こさずに子供時代を乗り切ることなんて奇跡みたいなものだという認識で話してます。
俺「子供の世界は常に戦いだから対応する自信ないわー」 女「え?なにと戦ってるの?」 俺「なにとって、攻撃してくる奴と」 女「攻撃してくる奴なんているの?」 俺「いるよ。俺の子供時代はどの時点でも常に敵がいたよ」 女「変なのー」 俺「変ってw おまえには敵がいなかったのかよ?」 女「いないよー。みんな仲良しだったよ」 俺「うそ?一度も?」 女「うん。たぶん私の妹も敵なんていなかったよ」
そんな馬鹿なと思いましたが、
や
男女差が影響してるのかも?
とか
でも少なくとも妹には、彼女には敵が居ただろう
などと、この時点では考えていました。
女「どうして敵になるの?」
どうしてだろう?
と考えて説明しようとしました。
俺「だって子供の世界は大人以上に階級社会じゃん。スクールカーストじゃん」 女「え〜、そんなことないよー」 俺「ないことないって。ラノベとかのテーマになってるぐらい共通認識じゃん?あるあるー、って感じの」 女「ほとんどないから小説になってるんでしょ?」 俺「いやいや、そもそも俺の子供時代はずっとスクールカーストを意識してたよ」 女「えー、それってあんたがおかしいんじゃないの?」 俺「そんな事ないって。誰が強いか、偉いか、みたいなことは誰だって認識してるでしょ」 女「そんなことないよー」 俺「女の子はそうなのか? いや、でも女だってブランド物とかスペックの良い彼氏が欲しいのはカーストを登りたいからでしょ?」 女「わたしはブランド物なんて欲しくないもん」
こんな感じで、まったく話がかみ合いません。
敵までいかなくても、殺伐とした空気になったことぐらいはあるだろうと思って、話を戻しました。
俺「じゃあ子供時代に友達同士で修羅場というか、何か悔しかったり嫌だったことは無いの?」 女「う〜ん」 俺「ない?」 女「あ!そう言えば友達と3人ぐらいで公園に行った時に池にボートがあって、初めてだったから乗りたいって言ったんだけど あんたが漕いだらひっくり返りそうだから嫌だって言われて乗れなかったのが嫌だった」 俺「あ〜、それは理不尽だねー」 女「理不尽?何が?」 俺「いや、だっておまえが漕いだらひっくり返るって決めつけられたら理不尽じゃん」 女「え〜、そうなのかなー。わたしドン臭いからひっくり返りそうだよ」 俺「え?じゃあ何が嫌だったの?」 女「だから、せっかくボートがあったのに乗れなかったから」
一生懸命思い出した嫌な思い出がこれとは!
しかし、そんな事があるだろうか?
この話だって、例えばこの子のカーストが低いせいで、せっかくボートで遊びたいって提案したのに、
この件以外にも常にそういう扱いだっただろうと想像できて、
読むだけで嫌な気分になる人もいるレベルじゃないだろうか?
この時点で「もしかしてこの女はカーストを認識できてない?」と思い至りました。
俺「会話の細かいニュアンスで、こいつはこいつより上とか下、みたいな事を感じることはない?」 女「え〜、そんなこと一度も考えたことないよ。なんでわざわざそんな事を考えるの?」 俺「いや、考えなくてもわかるじゃん。動物にはそういう能力がみんなあると思うよ」 女「そうかなー。よくわかんないや」
こいつ変だ!と思いました。
でも同時に、ひょっとして変なのは俺の方なのか?
とも思いました。
増田で聞いてみようと思った次第です。俺と彼女どっちが変でしょうか?どっちも変でしょうか?
この時点でふと、もしかして俺の少年時代が殺伐としてたのは、環境のせいじゃなくて俺のせいなのかも、
と考えるようになりました。ここからは俺の話です。
俺は傷害で少年院に入った事があります。いじめっこの首をナイフで刺しました。親兄弟には多大な迷惑をかけました。
でもそれは俺が悪いんじゃなくて、あの状況では仕方が無かったと思っていました。
俺は常にスクールカーストの最底辺に居ました。クラスで下から2〜3番目が俺の定位置でした。
頭も顔も悪くて、恐怖心が強く性格も弱い、運動もできない、というタイプです。
それなのに常にカースト上位の人間と同じ扱いを受けないと、ものすごい怒りを感じるタイプでした。
例えば小学校の掃除の時間に、奇麗なホウキを取り合いになる場面で常に上位の人間と競り合っていました。
恐怖を押し殺しながら。
でも絶対に従いません。カツアゲされても絶対にお金を渡しません。
でも学校を休むのは負け犬だと思い、そんな状態でも皆勤賞です。
ある時、給食の中にうんことおしっこを入れてみんなに食べさせたのがバレて地元に居られなくなり、
転校しても状況は変わりませんでした。
最初は頑張ったのですが、すぐにカーストの最底辺にポジショニングされ、また怒りと恐怖で気が狂う。
この頃から頻繁にカッターナイフや小型ワイフを携帯するようになりました。
でもいじめられても相手を刺す勇気が出ません。親にこれ以上迷惑をかけるのが嫌だったし、捕まるのも怖かったのです。
自殺するか相手を殺すか、そんな事をずっと考えるのが日常でした。もちろん学校は皆勤賞です。
ナイフを持ってない時にカツアゲされたら、相手の目をつぶせば良いと思っていました。
その場合も人差し指では失明させられないから親指を突っ込もうと考え、相手の頭を掴んで親指を目に突っ込む練習をしていました。
でも実行できません。
実行できない自分を情けなく思い、毎日「自分は気違いで人を殺したくてしょうがない」のだと自己暗示をかけていました。
ある日、高校に可愛い女の子が転校して来ました。俺の隣の席になり、いろいろ教えたりしている内に好きになっていました。
でも俺の顔は自律神経がおかしくなったのかニキビだらけで、元々不細工な顔が更に醜悪になっていました。
それに成績も最低で運動神経も鈍いし、ずっといじめられている人間です。
絶対に自分が好かれることは無いのだから関わってはいけないと、できるだけそっけなく対応していました。
でも授業中などについチラチラ見てしまうんです。
それをカースト最高位の不良に見つかりました。
そいつのグループとは絶対に関わってはいけないと思い、距離を取っていたせいか、
それまではほとんど交流が無かったのですが、これをきっかけにいじめられるようになりました。
その頃の俺は日課みたいに毎日4時間目の休み時間にトイレに行っていました。
1時間目からひどい下痢に襲われ、4時間目まで我慢するのですが、耐えきれずに油汗を流しながらフラフラとトイレに行くのです。
学校でうんこをしてはいけない、という鉄の掟をなぜか高校生にもなって継続していたので、
お昼ご飯を食べれば不思議と腹痛が治まるのもあって、なんとか耐えようとした結果、そういうルーチンになっていました。
そこを狙われました。
あまりの事に固まってしまい「え?え?」とか言ってる内にズボンのチャックに手をかけられました。
ちゃんと殺すつもりで頸動脈を狙ったのですが、断続的に出てくるうんこが気になって狙いが外れ、そいつは死にませんでした。
女子は泣き叫ぶし、そいつは血まみれで呻いているし、うんこで臭いし、
こんなカオスな現場もそう無いよなー、などと考えながら大に入り鍵をしめて続きをした冷静な自分がおかしかったです。
あそこまで行くと人間って開き直ってしまい、恐怖も何もなく、むしろ謎の達成感がありました。
「おい開けろ!!」とか怒鳴りながらドアに体当たりしてくる先生に
「開けてやるからジャージ持って来い」とか偉そうに命令してました。
もちろんそれまではそんなキャラじゃなかったです。
ちょっと本題からズレ過ぎたので、俺の黒歴史はこのへんにしときます。
俺の中では「俺だけがこうなんじゃなくて、みんなこういう苦しみをかかえながら、
なんとか生きている。この世こそが地獄なんだ」という認識でした。
たまたま俺は運が悪くて向こう側に行ってしまったけど、みんなギリギリのラインを生きているんだと思っていました。
でもそうじゃない可能性に思い至りました。
俺の問題は、
だと思います。
そのせいで無駄な反抗をしてしまい、本来はそこまで悪質じゃない人を煽っていたのです。
これを回避するのは簡単です。相手を煽らないようにすれば良いだけなんです。
それを可能にする為には、理不尽な扱いを表面上受け入れても、そこから逃げても、それは負けじゃないんだ、という事を理解すれば良かったのです。
戦略的撤退ということを学べば良いんです。
「自分はゴミだから何をされても良いんだ」などと自暴自棄になることさえ避けられれば、
人間は弱いものだから、悪い気持ちを抑えられないものなんです。
攻撃対象になったからと言って、自分だけが弱いわけでは無いし、ゴミだなんて事はあり得ないんです。
みんな弱いからしょうがないんだと理解して、頭を使って、なんとかその場からだけでも逃げられればそれで良いんです。
カッコ悪くても良いんです。そもそもいじめてる人の方がもっとカッコ悪いんです。
たとえ相手の方が力が強かったり、勉強ができたり、ルックスが良かったり、金持ちだったりしても劣等感は不要です。
なぜなら、恵まれているのに、いじめという低俗なことをしてしまうんですから。
だからいじめられてる人はダサくも無いしカッコ悪くもないんです。お互いに弱い部分がある、という、それだけの事なんです。
さて、成人してから迷惑をかけた彼女に謝罪しようと思い、色々調べたところ、その子は実家のある関東に戻っていました。
彼女にはショックだったようで、あれから高校に通えなくなっていました。
「その話は私じゃなくて妹にして。あの子はショックで高校に行けなくなったんだからちゃんと謝ってね」
と言いました。そこに彼女は居ませんでした。
俺はこの女を一生守ると誓います。
身バレが怖いので少し脚色したつもりですが、少しじゃなくなってしまったのは謝ります。
たくさんブックマークがついてて驚きました。コメントありがとうございます。コメントを読んで書き漏らしがあった事に気がついたので修正しました。
そのせいで長い文章が更に長くなってしまいました。すみません。
それと、俺は変に反抗的だったので、一番ひどい扱いを受けていましたが、俺以外では最底辺よりも、中間層から上ぐらいの人間の方が、ひどいいじめを受けていたように思います。ひどいと言っても、みんなの前でオナニーとかでは無くて、殴られたりとか集団で無視されたり、レベルですが。
去年の夏のことだ。私の住んでいる地域にも
それで早朝にジョギングがてら物見遊山のつもりで行ってみたら、
そこにあったのは茅葺きの一軒家だった。
私は早速入店することにした。もちろん自動ドアではないので
自力で開けなければならない。中に入った途端、魚の生臭い匂いと
コロッケを揚げるシュウシュウした音が渾然一体となって迫って来た。
店内は駄菓子屋を少し広くして、余ったスペースで
空調は効いていないのに涼しい。
「いらっしゃいませ」と奥から老婆がやって来た。
老村クルーのあきこオババだ。
「おはようさん。有難うね。良かったら見て行ってちょうだい」
「そうですね。どれにしようかな……」
駄菓子を食うような年齢ではない。私はしばらく眺めていた。
店内には BGM は流れていない。それでいいのだ。
店内をぐるりと一周していると
「美味しそうですね」と私は言った「今頃が旬なんですよね」。
「何だったら買っていくかい? 真鯵ならワタはタダで抜くよ」
「どうしようかな……」
迷っていると、店の片隅に美味しそうなスルメイカが
売られていることに気がついた。スルメイカも今頃が旬だ。
「じゃあ、これ一杯もらおうかな」
「是非下さい」
それだけだと何だか物足りないような気がしたので
店の隅のコーナーを見ると林檎が売られていることに気がついた。
私はそれを手に取ってしげしげと眺める。
そして、林檎も買うことにした。「じゃあ、これも下さい」
「お客さん、悪いね。この林檎傷がついてる。新しいものと交換するよ」
「いえ、それで構いません」と私は言った。
「何かの本で読みました。林檎は傷がある方が甘いんだって。人生と同じく」
「こりゃ参ったねえ」とあきこオババが笑った。
「そうさね。人生と同じだよ。傷がある方が甘いんだ」
と笠智衆似の店員が言った。
私はスルメイカと林檎を買って帰った。林檎は百円に負けてくれた。
おまけにあきこオババは皮まで剥いてくれた。ゴツゴツした手が
「ここまでして下さって、申し訳ありません」
「いいさ。お客さんは当店始まって以来最初のお客さんだからね」
「いえいえ」とあきこオババは言った。「また顔を見せておくれやす」
「そうします」
「ただ、流石に歳なんでね。九時には閉めちゃうけれど」
耳を外し、皮を剥く。手に塩をつけた方が
抜いたワタはクックパッドを参考に酒のつまみになるように調理した。
これからもあの店に行こう、と思いながら。
こればかりはどうしようもない。
それが去年の冬のことだ。
昨日、桜鯛の売られているスーパーの鮮魚コーナーを歩いていると
ふと私は林檎が食べたくなった。
そこで林檎を見てみたのだけれど、どれもこれも傷ひとつついていない。
傷物はやはり嫌がられるのだろう。
林檎も人生も傷があればそれだけ甘い、そういうものなのだ、と。
ちなみに、あとで聞いたところによると私の母親も近所の友人も
「当店始まって以来最初のお客さん」として
手厚くもてなしてくれたという。
ローソンで、たまに愛想の悪い店員に
接客応対されている時に私はそのことを思い浮かべる。
またあの「老村」で買い物をしたいものだ、と思いながら。
主人公の孫悟空が天才少女ブルマと出会い、祖父の形見であったドラゴンボールの残りを探すところから始まる冒険潭である。
今回はタイトルの通りに意趣を少し外してOP歌詞に目を向けてみようと思った次第である。聞いてもらえると嬉しい。
ドラゴンボールOPは全部で4つだ。無印、Z前編、Z後編、GTとある。
> 胸わくわくの愛が GISSIRI
そう、ドラゴンボールは冒険潭なのだ!妖怪変化、仙人などワクワクする様な冒険にあふれていた。
続いて、Z前半の歌詞だ。
大人になった悟空が主人公となる作品であり、息子の悟飯も登場することになる。
戦いに明け暮れ、子づくりまでする有様である。
胸がパチパチして、タマが騒ぐとは全くもって嘆かわしい。
嘆かわしいなどという状況を超えてしまった。
いっぱいのおっぱいに元気になるなどなんとうらや、いや、情けない。
この頃の悟空はまさに恐妻チチの監視から離れ、あの世で好き放題だったわけである。
これにはお察しとしか言えまい。
胸でもおっぱいでもないが、心はやはり胸部にあるという説を押したい(適当)
どうやら賢者モードになったのか、と思ったが、この頃の悟空はピラフ一味によって少年時代に戻された状態である。
どうやって悟空が生き返ったのか覚えていないが、チチの恐妻っぷりに怯え竦みながらただ強さを追い求めたのであろう。
非常に純粋な状態に戻ったと言えるのではないだろうか?
「ちゃんとした大人になれ、と大人に摺り込まれてていたが、当の大人がちゃんとしていなかった問題」とどこかでで接続すると思う。
http://anond.hatelabo.jp/20140802002012 アニメオタクばかりでつらい
元増田の言いたいのはこういうことではないかと自分なりに想像。
アニメなどは卒業があらかじめ予定されている子供向け文化であり、大人になったら大人の文化
(それが何なのか子供には知る由もない)を嗜むものと思っていたが、だんだん大人に近づいていくと、
目の当たりにしたのは、当の大人がそのアニメ文化を卒業していないだけでなはなく永遠の少年気取りを続けているか、
さもなければ、「フォーマットは確かに子供用のものかもしれないが、もはや内容は社会一般を対象にしたものであり、
もしそうであれば共感できる。
俺も20年前の大学時代、新書版で済ませるいい加減な学生である自分を恥かしいと思い、原典にきちんと当たるような努力を
惜しむ自分は、少なくとも学問的なものに関しては何か述べる資格はないと思っていたが、
いまや東大生でも新書レベルの読書で仲間から尊敬されるという話を聞き、
また、引用の引用レベルのモノを自分の意見のように言う奴(数年前の勝間とか)が本筋の人たちから半殺しの目にあわない状況を
「信じ込まされていたものがそこにはなかった」
という敗北感を認めずにはいられない。
要するに元増田も俺も、
大人の綺麗事をまともに信じ、残念な少年時代を過ごした
ということではないだろうか。
まあ、アニメではないものの、全共闘世代(今の60歳代後半)が大学生の時代に少年ジャンプを手放さなかったのはよく言われている事実だから、
観察力が足りなかったことは間違いない。
【追記】
気がついたら、こんな下手な文、しょうもない内容なのに、はてブの学びカテゴリーに登場していてびっくり。
もっとも、内容そのものというより少年ジャンプと少年マガジンの取り違えがツッコミポイントだったようだ。
勢いで書いてしまったが、もっときちんと推敲してから書けばよかった。
俺は、ひとつには「アニメが子供専用ではないということに気づくチャンスは、その子供だった時代にすでにあったのに、それを見逃した自分が残念だった」と書いたつもりだったんだが、
「アニメが子供専用のものと受け止められていた時代があった」という前提を共有してない20代、30代の人には「最初から認識が間違っている人」になるらしいことが分かった。
勉強になるね。いやマジで。お互いの頭の中にある指示対象のズレを意識できた。
もうひとつ、ルールなんか上書きされるもの、そんなものを頭から信じこんだ奴が馬鹿、というのは、後からなら何とでも言えるが、
そういうボンヤリさんが、ここに一人いたという話です。
日本の科学界には暗いニュースが続いているが、明るいニュースが飛び込んできた。
山梨日日新聞社が伝えた報道によると、STAP論文共同実験者として世界的に名高い若山照彦氏が
http://www.tyaos1995.or.jp/pdf/H2605academy-seminar.pdf
このような栄冠に輝いた若山氏だが、ここまでの道のりは平坦ではなかった。
少年時代から成績は非常に悪く、一浪のあげくに三流の農学部に進学したことなどが、
しかし、ここから若山氏は一念発起し、アニールセルカン氏や森口尚史らの著名人を
輩出した東大大学院にワープし、みごとにクローン研究の世界的権威の座を手に入れている。
http://matome.naver.jp/odai/2136412050352838701
それらのエピソードはノーベル賞受賞者のキューリー夫妻を髣髴させる心温まるエピソードである。
STAP細胞問題で杜撰な「小保方ノート」が問題になっているが、
実はノートはもうひとつあるといわれている。それが若山教授が書いていたはずのノートだ。
若山教授は梶原しげる氏とのインタビューで次のように話している。
山梨科学賞に輝いた若山教授の完璧な「若山ノート」の存在が事件を解く鍵として重要度を増している。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140410-00000001-collegez-life
一方でSTAPの研究不正を追求してきた11jigen氏は最近、若山教授の責任や直接的な関与を
若山教授が自らにかけられた嫌疑を完璧な「若山ノート」の公開で潔白を明かすかどうか注目される。
若山教授の直接の責任と関与を追及してるジャーナリストの11jigenタンの最近の投稿(リツイートも含む)
https://twitter.com/JuuichiJigen/status/469109584615849984
https://twitter.com/JuuichiJigen/status/469105951899791360
http://twitter.com/JuuichiJigen/status/464730353517613056
http://twitter.com/JuuichiJigen/status/464397509700648960
http://twitter.com/JuuichiJigen/status/464744791280873473
http://twitter.com/JuuichiJigen/status/465077363127365632
http://topsy.com/s?q=%E8%8B%A5%E5%B1%B1%20from%3AJuuichiJigen&window=d14&sort=date
関連
裏道逃亡劇STAP共著者笹井氏が上原賞(賞金2000万円)を受賞
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/243493/
毎日生きる活動をしながら別のことを考えているようで、5分ぐらい前の行動とか発言の記憶はあるのに自分の体験とは思えないみたいな感じになっている。楽しかったこととか凄かったこととかいろいろあったはずなんだけどどんな気持ちだったか回想できない、きっと楽しいことがあったのに凄くつまらないことを考えてたせいだけどそれすらあんまり思いだせない。
気分が良くないとお前はクズだとかゴミみたいなことを頭の中で俺から俺にいつも言っていて、酷いときは1日に何百回も言っていていると思う。言う方の俺は鬱憤の発散になるけど受け取る俺は辟易してなるほど死にたいという気分になる。俺を罵る俺は当時から既にダメ人間でどうしようもなかった少年時代の俺が俺を自律するために作ったようなものなんだけど、何年も経って成長して早く死ねとかお前はクズだとかしか言わないやつになった。
そんな感じに毎日お前死ねとかお前クズとか言ってる(言われてる?)せいでいわゆる自尊心というやつがこれっぽっちも無いんだけれど、そのせいか人とのコミュニケーションがなかなか取れない。そもそも俺が他人にあんまり興味がないからというのもあるかもしれないけれど、俺が糞つまらないゴミ人間だと自覚していると声も出なくなる。必要にかられてコミュニケーションを試みても語彙を正しく選択できない(辞書的な意味をわかっているのに誤用したり言葉を忘れしたりする)し、会話の文脈を捉えることができなくて頓珍漢な発言をしてしまうこともしばしばで、話す度にどっと疲れがたまるので喋ろうとする気が失せてしまった。これは面と向かっての会話に限定されなくて、インターネットでラインとかツイッターとかしていても人に話しかけたり話しかけられたりするのがとても怖い。いわゆるぼっちとか非リア充を自称する人がその集団で集まって会話していたりツイッターで自分からリプライを飛ばして会話しているのを見るたびにやるせない気分になる。
昔楽しんでいた趣味もほとんど興味が失せてしまって、例えばプログラムを書くのとかそこそこ好きだったはずなのに今は頭が悪くなってしまって思ったように書けないし、そもそも作ったものを発表してツイッターとかはてブなどで承認を得るためにやっていたところがあるので大学生になってあまりやらなくなった。あまり自分についてこれから話さなかったからか、自分がそれっぽい態度をとっていたからか、変に周りから持て囃されて過大評価中身の無い評価を与えられて、それに俺も満足していたらプライドのお化けになってしまった。
何もかも俺に全て原因があって、他人の同情をいただけるような悲劇にはなっていないし、転機になりそうな事態とか人との邂逅を全部俺が無意識に一方的に台無しにしているので本当に自己責任自業自得だった。助けを呼ぼうにもこんな話誰にも口で話したくはないし誰も興味を示さないと思われるのでいよいよどうしようもないという気分になってきた。どうしようも無いのにあと5年生きても50年生きても同じような感想しか持てない人生をだらだら生きると思うと少しぞっとする。
一年前交差点を見るたびに車に轢いて欲しいって反射的に思ったりとか、駅のホームで線路に吸い込まれる感じがしたので大学の施設に相談に行っていくらか薬を貰ったけど、一回診察に行き忘れたから怖くなって行かなくなった。俺も自分の状態について説明できなかったし、あそこは本当に困っている人が行くべきで俺みたいな中途半端な人間は行く権利など無いと感じたというのもある。同じ理由でリスカとかもしなくなったけど、本当に辛いときは頭をボコボコ殴るなどして解決している。
生きたくも死にたくもない。いよいよ自分が何を考えているのかもよくわからなくなっている。自分が遠ざかっていて、曖昧なものになりつつある。俺が何者なのかわからない。もうあんまり物を考えたくない。
ブックオフに見に行ったら1冊もなかった。人気だからすぐ売れちゃうのかな。佐島勤先生すげえええええええええええ
ちなみに今日ブックオフで買ってきたのは、『新潮日本文学8 志賀直哉集』(『暗夜行路』しか読んだことないし、全然好きじゃないけど、とりあえず買っとくかあみたいな。短編は面白いのかなという興味)、アレクサンドル・デュマ『王妃マルゴ』上下(デュマは定価で買う気がしなかったからありがたい)、絲山秋子『沖で待つ』(絲山はつまらなかった気がするけど、芥川賞のこれ読んでなかったから一応買った)、星野智幸『俺俺』(星野も好きじゃないんだけど、まあなんかしょうもない義務感というか)の5冊。全部108円で540円。なんか最近ブックオフにろくな本がない。むかしはウンベルト・エーコ『薔薇の名前』が105円で売ってたりしたのに。
で、しょうがないから、本屋で『魔法科高校の劣等生』の新品を買ってきたよ! 少女小説以外のラノベを新品で買うなんて何年ぶりだろう。びっくりしたんだけど、これ「入学編」で上下巻構成なのね。上巻だけ読んで判断するのは申し訳ないから、しかたないから2巻まで買ってきちゃったよ。大冒険じゃん!
俺 T U E E E E ! ! !
なんかすごいどきどきしてる。こんなに読むのが楽しみでわくわくしちゃってるのっていつ以来だろう。
いまちょうどジュリアン・グラックの『シルトの岸辺』が岩波文庫で出たから、なつかしいなあとか思ってゆっくり精読するように読み直してるんだけど、全然わくわく感はないんだよね。ジャン・ジュネの『花のノートルダム』の新訳が光文社古典新訳文庫から出たときも相当うれしかったけど、でもなんかわくわくって感じではなかった(まあなんども読んでるからだけど)。大好きなドゥルーズの『差異と反復』が文庫になったときもひゃっはーって感じだったけど、やっぱりわくわくって感じではなかった。『魔法科高校の劣等生』のわくわく感ははんぱない。相当すごい。
この感覚っていつ以来だろう。ゲームに関していえば、小さいころは年に数本しか買えなくて、ひとつのゲームを買うのが大事件だったんだよね(『ドラクエ6』にするか『ヨッシーアイランド』にするかで死ぬほど悩んだなんていったら年がばれるかw)。でもいつからか毎月のようにゲーム買うようになって、買ってはすぐにクリアしての繰り返しで、少年時代のわくわく感ってだんだん薄れてきちゃうんだよね。『魔法科高校の劣等生』のわくわく感はすごい。なんだこれ。懐かしい感覚だ。涙が出てくる。
はじめてAV買ったときの、はやく帰って家でDVD再生したくてたまらず、例の芸術的とも卑猥ともいえる海綿体の先端に咲き誇る透明の液体が震えに震え、行き場を失ったエネルギーがいまにも爆発しそうで、猛禽類の力強い羽ばたきにも似て通りすがりのひとにとって致命的ともいえる旋風を巻き起こすものすごい加速度をもって走り出しそうな、でもいい年して街中を全力で駆け抜けるのはアホだからと必死に気持ちを抑えるがどうしても早足になってしまう、耳は赤いし、心拍数は上がってしまう、あのときの、ああいう感覚なんだよ!(謎)
っしゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ
子供は、いろんなことから人生について学ぶ。それは漫画だって例外じゃない。
漫画の、自己中な性格のやつはこういう風になる、結局誠実で優しい奴が評価される、
そういったお約束からも、なるほど、そうなんだ、と学ぶ。誠実で優しくあろう。そう思った。
だがなんだこの現状は? お人好し扱いされ、女からもモテず、尊敬もされない。
自己中で迷惑を顧みない図太い奴が評価され、女からもモテる。なんだよこれ。
だったらそういう風に漫画に書いてくれよ。道徳の授業でもそう教えてくれよ。
I"sの主人公瀬戸イチタカは優しいって理由だけで磯崎泉ちゃんから性的に迫られていたんだぞ。
手を捕まれ服の中に入れられ胸を触らせられ、耳元で「ガマンしないで」。
俺はあれを見て性に目覚めたんだ。Mの性癖。女から襲ってくることに対する憧れ。
しかしなんだこの現実は? 優しいやつに女が迫っていくことなんてない。
女はいつも受け身で「強引なくらいがちょうどいいよね」とか抜かしてやがる。
ふざけるな。じゃあなんなんだよ、俺が少年時代、大人たちが口をそろえて描いていた、
「優しい奴がモテる」って物語は。子供は純粋だから信じるんだよ。心の核の部分に刻まれるんだよ。
もう今更切り替えたって遅いんだ。別に強引な自分を演じることはできる。でもな、
それは素の自分じゃないんだ。心の奥で望んでいるのは、優しい自分。そして、
それに対して性的に迫ってくれる磯崎泉のような女の子。それが理想にされてしまったんだ。