はてなキーワード: 信頼関係とは
ちがうよ。間違ってるよ!
これが一番難しくて一番大事。
何か問題が起きた場合に、すぐに相談して貰える信頼関係がないと成り立たない。
相談して貰えないディレクターは「相談しても、面倒臭い事になるだけだしな…」と思われている。
起きた問題は、エンジニア・クリエイターの手を借りずに解決出来る力を持ってますか?
君の施策は、基本的に間違っている。そもそも施策だけではないが。
彼女はタスクの管理が出来ていない状況なので分配できるわけがない。
やり方を指示したところで、その裏付けが理解されなきゃ全く意味が無い。
さらに信頼関係が無い前提で、そう言えば、理解されないのは当たり前である。
水の入ったコップに怪しい薬を入れて、大丈夫飲んで。と言われて飲むのは、ただのバカぐらいである。
では、問題を整理しよう。
成果もまちまちである。これが続ければいつか会社への損害になりかねない。
そして、この問題に対して出来ることは、いくつかある。
彼女の効率が悪い。というのは根本的な問題で無いことが、元増田の間違いである。
確かに、部下が成長することは良いが、増田のやり方を見ると、教育以前に管理が出来てない。
教育は管理より難しいことぐらい、ちまたのマネージャ本にはいくらでもかいてあるので
仕事の効率化など、別にタスクにあふれてる状況でやる必要が無い。
20%ルール等があるのは、効率化のために余裕を制度化したものである。
なので、優先すべきことは、タスク管理によるフローの正常化であり
その結果として余裕が出来たうえで、仕事の効率化にいて考えるべきである。
たぶん、こう言っても元増田は言うだろ、「彼女は、抱えてるタスクを教えてくれない。」
そして、否定しておこう。それは、お前の管理能力が低いだけであると。
究極の話で言えば、個人で閉じているタスク以外は、外部とのつながりや結果のコミットが必要であり
それこそ、抱えてる本人の存在がなくても、ほぼ確実にタスクを洗い出すことは可能である。
そんなことしてなくても、ちゃんと粘り続けてヒアリングすりゃほぼ確実に洗い出せるけど。
確かに、これは過剰に感じるが、そうではない。会社へのリスクを排除するためならやるべきだし
やらないで、何かをしたきになりたいのなら、それは丸投げと同義である。
管理というえのは、わざとらしく言えばタスクの管理方針を管理することだ。
進捗確認は、終わった量だ。
あとどのぐらいとか。いつ終わるのとか。
>それで成果を残すならいいんだけど、彼女は仕事の質が悪くて何度も修正して再提出、みたいな状況が多い。
ここについては、確かに問題である。とくに能力の問題に紐付くことが多いため改善策が無いケースがある。
それでも、チーム下ならタスク管理が出来れば、割り当てで賄えるけど。
正直、元増田の管理能力不足によって起きた丸投げ案件にしか見えないのだが
元の新聞記事についてはまず水際で止められてないよね。盗んだものを発見したんだから。元ブログ読んだ?
性犯罪に手を染める前、という意味ならまだわかるけど、拡散元のツイートを見てもわかるように「まだ起きてない」だけで「止めてもない」と思う。
で、記事を載せて語ったブログについては同意。ブログのミソジニークソ男は侵害を理由に完璧な家政婦を求めてるように感じる。基本的に女性に自己犠牲を強いるのがこの国のミソジニストの在り方だからね。
ただ、この件とは別に、親子の信頼関係の上で、許し合うような信頼がない関係なのに性癖を晒して脅すようなことは、よくあることであっても問題では?と言ってる。
しかし、たしかに増田の言い分は最もだ。親に部屋を片付けさせておいて、プライバシーの侵害もクソもない。その点に関してはたしかにそうだと言える。私の間違いです。
ババアは性的に奔放じゃないことだけが取り柄の女が多かったからその弊害で息子が辱められることが多かったんだろうけど
今どきの若い女の子は昔の基準でいえばほぼビッチみたいなもんなんだから
息子を辱めるようなお母さんはこれから減るんじゃないかな この言い分は無理があるな
信頼関係があるならともかく、そうでない、ギャグで済ませられるような関係じゃないのに性的な部分を暴露して追求する、ってよくある話として済まされちゃうけど、親子関係としてかなり不適切だと思うんだが。プライバシーの侵害だし、デリカシー無い。無神経。
で、その話と盗みに関してはまるっきり別の話で、たとえ息子でも性犯罪者の入口のような確実な犯罪行為してたらもはや自分でどうこうするより通報すべきなのは当たり前。
「こんなのが普通なら男は全員おかしい!」ってヒスるネタ探しばっかしてるブスは一度落ち着けよ。極端にヤバイ奴見て間に受けてんじゃねーよ。結婚詐欺デブス見て女はヤバイ!って言ってる童貞と思考回路が一緒だぞ。
メンヘラの条件は、以下のいずれかを満たしている事としてみます。
先ずは、メンヘラが陥りがちな心理状況です。
病的になると、恐らくは何をやっても、空回り。どうしようもない状態になるので、
定型のうつ病対策が効果的です。非定型については、省きましょう。
理由として、ドロップアウト、もしくは気味の人間なので、社会から見れば、同年代と比べ
価値があまりないのですが、少し語弊がある言い方をすると、最低限その間は
甘やかされてきたので、自分自身に力があるように思い込みます。
そう、思い込まないとやってこれなかったので、自己肯定するか、他所のせいにしていたはずです。
目的1つに絞って行動するのが常ですので、成果は出ます。寛解です。
1日1週間でわかるものではないので、数ヶ月はかかるでしょう。
社会との折り合いをつけるために、自分のおかしさ、異常さに気づいたしても、
ただ、身体上はよくなってもまだ早いかもしれません。
焦ると、巻き返しをしようと気張ればすぐにリバウンドです。
ここで、悪循環に入りやすい、もしくは同様の失敗をおかす可能性が
あるものとしては、第三者が口を出せない状況が続くということです。
とラフになにか言える信頼関係づくりが希薄だと、勘違いしたまま進んでしまいます。
あまり親しくない間柄では、善意のつもりが、イジメになってしまいます。
別段、直接「おかしい」と伝えなくても、相手に気づいてもらえればそれでいいので、
気づく力がありそうなら、何か伝わるようにしたり、見守ればそれでよさそうです。
言ってくれる人も鬼ではないはずなので、ここまでの痛みなら受け入れるだろう。
と勘案した上で伝えてくれていると信じたいところです。
薬というのは、毛布のようなもので、強い薬は分厚い毛布です。
外からの声、音が聞こえなくなる分、薬を断てば大きな声、音が強い刺激として入ってきます。
体調がよくなった上で、外界からの刺激全てに耐える力が出来てからが、本来の寛解にも考えます。
そろそろ本気を出していいとおもいましたか?
まだです。
最終調整に必要なのは、衰えた体力と、使わずにいて錆びた頭を動かすことです。
とても難儀です。1,2ヶ月で取り返すことは出来ません。
話がふりだしに戻って、通しでご覧になればわかるとおもいますが、最初の話です。
上記3点くらいまで来てしまうと、1年程度は調整が間に合わないようにも見えます。
ここまでは状況説明です。
ここで、詰んでいます。
なぜなら、上記3点の経験者は、精神面で持ち崩しやすいからです。
観測し続ける限り、ほんとうの意味で寛解はしていないし、思考が子供のままです。
社会の理不尽(とも思うべき折り合いの多さに慣れる)と付き合うには、
・レシピを見ない料理や、掃除といった、脳が無意識に手続きを考えなければならない事をする
もちろんちゃんと撮ってあげることやちゃんと撮れてる写真を探すことが大切だけど、その上で本人にも気付かれないようにちょっとだけ修正するのが好き。
主に肌荒れ、シワ、頭髪の薄い部分。
肌とシワはコントラストや明瞭度を落とすかノイズ軽減のフィルタで大体処理できます。
頭髪は補正ブラシを使って地肌が目立つ部分の露光量を下げてやります。
とくに頭髪って男性より女性のほうが気にしてる場合が多いんですよね。
ここで大切なことは、絶対に本人に気付かれないように修正すること。
修正したなんてことが分かったら逆に本人を傷つけてしまうからです。
何が不安かって、撮った相手の手元にもその写真が残ってるわけですから。
だからこそこうして信頼関係を築いていくことが大切で、その結果としてレンズを向けているのにすっかり相手が油断している瞬間に出会えたりすると最高に幸せな気分になりまますよ。
どのような物語にしたいのか、そのようなテーマがあるのかによって違うと思うけれども
個人的には、自分を大切にできない先輩(好色家だが、他人に心を許せない感じだとなおよし)と主人公が、ドロドロの人間関係に疑心暗鬼になりつつも信頼関係を築いていくような話が読みたい
要素としては、こんなのを適当に組み合わせれば良いんじゃないの?
幼馴染
後輩
先輩
大人
温厚
元気
ガサツ
男らしい
少年らしい
いじられ
だらしない
敬語・丁寧
クール・冷静
見栄っ張り
自信家
策略家
お調子者
引っ込み思案
低身長
可愛い系
美人系
痛みを伴う
人間関係複雑
ドロドロ系
心温まる
悲しい・切ない
子どもを持つ夫婦が2組でシェアハウスして、1人が専業乳母やる。
ざっくり30万で計算すると、世帯で15万払って、子どもの面倒を見てもらう。
ちょっとバランスとりすぎか。多寡は後で考えるとして、コンセプトはまあそういうことだ。
子育てにシフトしにくいのの何がコアかってもちろんお金と時間制限な。
おかね。共働きで1人家庭に入ると、収入半減だ。家賃払えない。
家事はシャドーワークだからキャッシュ・フローが滞るのが問題。
時間。送り迎えとか、メシとか、寝かしとか、現在の仕事の形態と子育てがタイム感あってない。
もちろん仕事のほうが間違ってるのはそのとおりなんだが、社会が変わるの待ってたら適齢期過ぎる。
で「子育て」自体も、ある程度集約させたほうが効率がいいはず。
一人暮らしから結婚した人ならわかるはずだが、メシとか1人用に作るのすげー効率悪いけど、
2人用なら割にあってくる感の、要するにそれだ。
赤字回避しようと思うと1人で5人とか10人とか担当しないとアレで、それが保育園とかではある
収入1/2はどう考えても無理だけど、3/4なら……うん……
っていうラインは有るはず(シェアハウスで家賃負担もある程度下がるし)
「地域の協力」がもはや望めない以上、人為的主体的に極小規模の「地域」を作ろう、という話だ。
バリエーションとして、もちろん2組じゃなくて3組でもいい。4だとギリかな。子育て担当の負担と、あと物件的に。
同じくバリエーションとして、子育て中、じゃなくて「の予定」の夫婦でのシェアハウスもいいだろう。
事前に信頼関係を結ぶ期間が持てる。その場合、上記の釣りタイトルのようになる。
もちろん「信頼関係」と書いたように、現実には「体面」「感情」「勘定」「慣習」がからんで、そうかんたんには行かないだろう。
「取られた」とか「さぼってる」とか「金額の不均衡」とか「方針」とか。ある程度の数いったら統計的にはごく少数の悲劇もおこるだろう。
でも、2人で1人を育てるより4人で2人を育てるほうが現実味があるのは間違いない。
だれかまともな不動産屋、マッチングして商売にしてくれ。団地とか有効利用して。
だれか詳しい人、先例教えてくれ。
これは嫁と旦那の双方が「察してちゃん」なのが最悪。両方で煽り会う結果になってる。
嫁:【そろそろ寝るので準備を手伝ってほしいんだけど、台所のほう】いつ終わる?
俺:【まだもうしばらくかかるけど、やっとくことある?なら】手空けるよ。
両方とも【】内が会話のキモなのに素直にそれを言わず、言わなくてもわかるでしょそっちが気を利かせて言えよ的に遠回りしている。
二人してこんな相手を試すようなことを続けてたら衝突するに決まってる。
どっちも素直じゃなく相手を見下す性格ならもう仕方ないので、育児が一段落するまで耐え凌げばいい。
そうでないなら話し合え。歩み寄れ。二人とも大人じゃないの? 信頼関係はないの?
さらにこの遭遇の多段階化は、それが単なる素朴な設定の開示であっても十分な効果をもたらしうる。『小説の秘密をめぐる十二章』において河野は谷崎の「少年」を例にあげ、少年が穏健な家庭の子であることがほのめかされることによってこそ、のちの異常性愛への没入のインパクトが強化されるのだ、と指摘しているが、ラノベはこれをより極端かつわかりやすく行っていると言ってもいいだろう。
例えば『マリみて』における第一の遭遇が「印象的な絵面」であるとは述べた通りだが、そこで一度教室の場面を挟んで理想の素敵な女性像として有名なヒロインの評判が語られ、お礼を言いに行ったところで第二の遭遇が生じる。そこで描き出されるヒロインは、自分の嫌なことから逃げ出すためになりふり構わず主人公を利用し、スールになるよう強要するというものであり、主人公(ならびに読者)のヒロインに対する見方は大きく変わることになる。設定だけを見ればこれは新規性のあるヒロイン設定とは言い難い。が、筆者はこの遭遇から十分な意外性を受けており、それは河野が指摘した例と同じ効果によるものと考えている。
同じく例えば『イリヤの空、UFOの夏(以下イリヤ)』の深夜の学校のプールにおける第一の遭遇は単純なものであるが、ヒロインの手首に埋まったものに気づいたところで物理的異質さが、そして「なめてみる?」「電気の味がするよ?」において精神的異質さが明かされる。なぜそれがインパクトをもたらすかと言えば、それはヒロインの設定の奇抜さではなく、それまでの描写は彼女の異質さを感じさせるものではなかった、という一点に尽きると筆者は理解している。
溺れて必死で主人公にしがみつき、ビート板を使って恐る恐る水泳を教わり、やっと少し泳げるようになる、という一連の「普通の女の子」であることの描写こそがこの急転直下を強力無比なものにしているのであり、だからこそ「なめてみる?」の異様さが際立つのである。もしここで気まずそうに手首を隠してヒロインがうつむき押し黙るといった、つまり「普通の女の子」がしそうな行動がなされていたとすると、全くつまらない遭遇と化すことはすぐにわかることと思う。
多段階化していつつも見方が変わらない遭遇だとどうなるかの例としては『IS』が挙げられる。教室でのヒロインとの再会という第一の遭遇ののち、寮が相部屋であることが発覚するという二度目の遭遇が発生するが、出会う前後で主人公ならびに読者によるヒロインへの見方に全く変化がない。『マリみて』や『イリヤ』と比較して意外性が無く、筆者にとってはひどく印象の薄い遭遇である。
最後に見方は変わるものの一拍置いていない(つまり段階化されていない)例について触れておきたい。冒頭で触れた『俺ガイル』は最初の遭遇から間髪入れずにその「意外性のある性格」が開示されるものであり、多段階化されていない。なるほど『俺ガイル』におけるヒロインの毒舌はそれだけで魅力のあるものであり、それは単独で読者の興味を引くことができるものだとは言えるだろう(筆者も決して嫌いではない)。しかしそれは「レイアウトの仕方」ではなく「描写の仕方」による効果であり、ヒロインの毒舌がそれ単独で魅力を得られるほどのものではなかった場合、実に陳腐でつまらないものだと筆者は考える(逆に言えば描写力が優れていればなんとかなる、ということの証左でもあるだろうが)。
念のため補足しておくと、陳腐な遭遇しか用意できない作品は全て駄作である、と述べたいわけではない。例えば『狼と香辛料』は荷台にもぐりこんだ裸の美少女が狼の化身だと明かすという意外性に乏しい遭遇であるが、ではこの作品が駄作かといえば筆者はそれほど悪くない作品だと思っている。ただし、その遭遇にインパクトを受け、興味を抱くことは無かったことも確かである。ここで張った伏線をクライマックスで回収しているため最後まで読んでみればなるほどと思えるが、もし立ち読みで眺めたのであればその場で本を置いていたと思う。
「ボーイミーツガール」の関係構築では、主人公とヒロインの恋愛感情が醸成されることは必須ではない(例えば『トリニティ・ブラッド』では恋愛感情は仄めかしすら無い)。一方で両者間の信頼関係の構築は必須と言っていいと筆者は考える。また信頼と似た効果を持つものとして敬意も有効に機能する。
さて、関係構築とは主人公とヒロインの一方が他方に何かをすることによって培われるものと言っていいだろう。その内容は小説それぞれによって様々であるが、一段階抽象化してみると次のような行為に類型化が可能であると思われる。下記で全ての行為が類型化されているわけではないが、いくつかまとめた上で、それらをどう組み合わせることが効果的な演出になりうるのかを述べたい。
遭遇の類型として「秘密の漏洩」を上げたが、あれが当人の意に沿わざるものであるのに対し、「秘密の共有」は意図的に自らの秘密を相手に共有するものを指す。
「秘密の共有」は信頼の表明がなされたという暗黙の読者の認識が得られる点で効果的であり、そして「秘密」は多くの場合、プライバシーと同義である。軽度な秘密から徐々に重大な秘密の吐露へと段階を踏まえて内容は変化する。軽度な秘密の典型例は電話番号を教える、住所を教える、そこから一歩進んで自室に入れる、といったものが挙げられるが、最も多用される「秘密」は「過去」であり、昔の笑い話といった軽いものから過去のトラウマまで「過去」は幅広く使える便利な「秘密」であり、重さを任意にコントロールできるという点で優れている。
こうした秘密の共有は信頼の表明であると述べた通り、一定の信頼があった上でなされることで読者に違和感なく受け入れられるものと考える。十分な信頼がなされたと読者に理解がされていない状態でいきなり重い過去の吐露を始めるヒロインなどは、自己陶酔中のメンヘラ設定を明らかにしたいのでもない限り慎むべきだろう。
『涼宮ハルヒの憂鬱』における曜日と髪型の関連の指摘や、『俺ガイル』における主人公がヒロインに友達がいないだろうという指摘など、観察によりヒロインのなにかに主人公が「気づく」ことを指している(ヒロインが主人公のなにかに気づくことも含む)。これはヒロインが主人公の評価を改め敬意を抱くきっかけとして、また主人公がヒロインに対する評価を改め、敬意を抱くきっかけとしても効果的に機能する。
余談ながら観察力のある主人公であることを印象づけることは、特にバトルものにおいても有効に機能するように思われる。例えば『禁書』や『バカとテストと召喚獣』、『エスケヱプ・スピヰド』はいずれも勝利をつかむきっかけとして敵に対する観察と気付きを用意しており、そこから作戦を練っている。最終的に単なる力比べになり、最強能力者である主人公が必然的に勝利するという陳腐さは、しかしそうした観察と気付き、そこからの作戦の演出が事前になされていることで読者に対する一定の納得感を与えるように思われる。もちろんそうしたものがなくとも最強主人公が敵を圧倒する物語に興奮できる読者がいることは事実だが、それにウンザリする読者も相当数いることも事実である。より幅広い読者を意識するのであれば、そうした演出一つを入れておく価値は十分にあると考える。
秘密の漏洩、共有や観察による発見など、なんらかの情報が得られる行為類型の結果として、共通点、すなわち似た者同士であることが発覚することは相手に対する親近感を惹起する。これは読者にとっての共通点でも同様であり、感情移入や共感を誘う要素と言っていいだろう。
素朴な行為であるがゆえに、信頼と好意を「少しだけ」喚起する点で高い効果を持つ。例えば大きな好意が得られる「救助」は大仰なものであり、特に好意や信頼を寄せてもいない赤の他人に対してそうした行為をする人物は、十分な理由づけが無い限り胡散臭いヤツという認識を与えるだけだろう。
これに対して「親切」はそれが当人にとって大した手間でない場合に実行されるものであり、人間関係が破綻していない限りは合理的な行動として読者に受け入れられ、その結果ほんの少し信頼と好意が得られることが自然に読者に認識されることになる。『シャナ』において主人公がヒロインにコーヒーを持って行ったこと、『とらドラ!』において主人公が朝食をヒロインにも分けてやったことなどはこの好例と言えるだろう。
相手を名字で呼ぶのか、名前で呼ぶのか、といった呼称の変化は古典的ながら現在も極めて強力にその認識の変化を読者に理解させる。『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるあだ名であったり、また『デート・ア・ライブ』のようなヒロインの名前を付ける、という行為も同じ効果を持つと言えるだろう。
なお、呼称の変化は一度しか使えないものではない。ある呼称を用いたのち、それを使わなくなる、という演出はその呼称を用いるようになること以上にその変化を強調する。遭遇時においてではあるが、こうした「呼ばなくなる」ことを用いた好例としては『星界の紋章』があげられよう。
一方から他方へなんらかの依頼(命令を含む)がされ、受け入れられることを指す。このとき、その依頼は明示的なものであるとは限らない。「ボーイミーツガール」における両者間のほとんどはこれに該当するが、物語を先に進める意味合いが強く、関係構築に向けて目立った効果をもたらすものではない。
一方でこの行為類型が「期待に応える」を伴って実行された場合はまた異なった効果をもたらす。最初からヒロインが主人公に対して好意を表明していたり、信頼を寄せていることが暗黙に前提となっているような「ボーイミーツガール」は珍しいものではなく(『イリヤ』『ベン・トー サバの味噌煮290円(以下ベン・トー)』など)、また物語の途中でヒロインが全幅の信頼を主人公に対して寄せるようになるものも多い(『SAO』『ココロコネクト ヒトランダム(以下ココロコネクト)』など)。
こうした例においてヒロインから主人公へ強い信頼に基いて依頼がなされている場合、依頼の達成に失敗することが強力な効果を持つ。ヒロインから主人公へ依頼した仕事の達成に主人公が失敗し、しかしヒロインがもう一度仕事を依頼することは主人公に対する深い信頼の表明として機能する上、主人公が次こそヒロインの信頼に応えようと努力する様は概ね読者の共感と応援を得られると考えられる。
例えば『ソードアート・オンライン(以下SAO)』ではヒロインが主人公に仕事を依頼し、主人公は成功し続け、それをもってヒロインが主人公に惚れこむという構造を取る。一方で『とらドラ!』においてはヒロインが主人公に対して依頼した仕事は失敗し続けるが、ヒロインが主人公に失望することは一度としてなく、最後にヒロインから主人公に同じ仕事を改めて依頼するという構造を取る(定義を読んでいれば誤解は無いと思うが、本稿ではいずれも1巻の内容のみを対象としており、シリーズを通してどうかは検討の範囲外である)。両者を比較してみると、筆者は『とらドラ!』の方がよく出来ているという認識を持つ。
『AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜(以下AURA)』で繰り返されるような単なる拒否は効果を持たないが、相手に対する尊重を以て拒否することは(一時的にはともかく)相手の不快を買うものではなく、むしろ信頼と敬意を勝ち得る効果を持つ。『マリみて』において主人公がヒロインからのスールの依頼を拒否したことは典型例と言ってよく、『のうりん』におけるデビークの手助けを(これまで助力を惜しまなかった)主人公がしない、ということもこの一形態と言っていいだろう。
この時、主人公にとってはその依頼を受けた方がメリットがあることが望ましく、そうした自分の利益を捨て、相手に嫌われる覚悟の上で拒否することはヒロインのみならず読者からの信頼も勝ち得る効果があると思われる。
単純な愛の告白のような直接的な好意の表明に限らず、嬉しそうに何かをする、微笑むといった行動によっても十分に好意の表明として読者に認識される。物語最後の場面においてヒロインないし主人公がこの行為類型を取ることが多く、ハッピーエンドとしての印象を読者に意識づけることで効果的と言えるだろう(『イリヤ』や『ALL YOU NEED IS KILL』がハッピーエンドか否かは意見の分かれるところであろうが)。
相手に伝わる形で行われるそれと、相手に伝わらない形で行われるものがあり、特に本人のいないところで信頼や好意を表明することは読者の理解と共感が得られやすいように思われる。好意の表明は繰り返し使うとむしろ好意の薄っぺらさを強調することになりかねないが、『ココロコネクト』のように相手に伝わらないところでそれがなされる段階を踏まえてから、相手に伝わる形でこれを行うことは効果を増すと思われる。
窮地に陥ったヒロインを主人公が助け出す、という行為類型は『禁書』『AURA』など非常に古典的ながら多くで用いられるものである。救助された側から救助した側に対する好意を含む感謝が読者に理解されやすい点で効果的だが、あまりにもわかりやすく、またありがちなものであるがゆえに陳腐な展開という印象を読者に与える危険性がある。
例えば『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるプールで絡まれたヒロイン2を主人公が助け、それによってヒロイン2が主人公に好意を抱く、という展開は筆者にとってひどく陳腐なものであった。
他方で『俺の彼女と幼なじみが修羅場過ぎる』におけるチンピラに侮辱されたヒロイン2を主人公が助ける展開や、『さくら荘のペットな彼女』におけるラブホに連れ込まれかけるヒロインを主人公が助ける展開はそれほど嫌いではない。
その違いはなにかといえば、おそらく単純にその救助行為が主人公にとってリスクの低いものか高いものか、という点と、救助の際に主人公が負傷している、すなわち自己犠牲を伴う点にあるように思われる。救助は主人公にとってリスクのあるもので、かつ、怪我を追ってまで勝ち得たものであるとき、救助された女性から主人公に対して寄せられた好意の大きさは「それだけの価値のあるもの」として裏付けられると考えられる。
その意味で、無傷でほとんどリスク無く救助したことで得られた好意はほとんど無いに等しいはずであり、にも関わらずヒロインが大きな好意を寄せる状態となり、そこにちぐはぐさと薄っぺらさを感じるように筆者には思われる。
『禁書』では記憶を喪失し、『AURA』では中二病を世間に露出し、『俺妹』では自分は変態だと言って父親へ立ち向かい、『タイムリープ』では自分の過去(未来)が変わろうが知ったことかと手紙を書く。自己犠牲は主人公がこれまで大事にしてきた何かを失ってでもヒロインを守ろうとする意思の明示としても機能し、ゆえにその対価として大きな好意と信頼が得られることに読者は納得がいくものであろう。
自分、一応タレントエージェンシー所属でたまに仕事してる身。日本じゃないから慣習が違うかもしれないけど、最低限の常識を。
1. まともなエージェンシーは入会金や固定費用を取らない。それを要求するところはscam (詐欺) と断定して良い。
2. エージェンシーは仕事の報酬の一定割合を受け取る。アマチュアなら最大20%。プロ(組合所属)なら最大10%。これを越えた額を要求するのはモグリ。
3. 宣材、レッスン・ワークショップ費用は個人持ち。これは、そもそもエージェンシーの仕事じゃないから。好きなところを探して自分で用意したり受けたりする。エージェンシーが提供してくれる場合はそれも選択肢のひとつとして良いけれど、「うちで受けなければ仕事を回さない」と言うエージェンシーはアウト (レッスンを提供する場合、エージェンシーは「レッスンを受けることと仕事の斡旋とは一切関係ない」ということを明示しなければならないし、レッスン受講者の書類を斡旋目的で保存することは禁じられている)。
4. 相場を知っておくのも役に立つ。アメリカだと宣材用ヘッドショットが1時間撮影で$100-$200、レッスンはジャンルや内容によって違うけれど、月$100-$300くらいが常識的な線かな(もちろん、著名な人に教わったり、密度が濃ければもっと高価になり得るけど)。エージェンシー提供のオプションがある場合は相場と比較して判断すればいい。
5. 専属契約、契約期間: 「契約中は仕事は全部そのエージェンシーを通すこと」「最低1年間は契約」←こういうのはok。エージェンシーは薄利多売な商売なんで (1回$1000の撮影を斡旋しても実入りが最大$200なんだから)、ある程度長期的な信頼関係は必要だ。
1,2,3の項目については、ひとつでもアウトだったら以降の話を聞かずに即帰りましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20150108160833
http://anond.hatelabo.jp/20150109103123
純粋にうらやましい。
私はうまく夫に伝えられず、困らせてばかりいたし、夫は問題の本質に気付かず、浮気して自分の精神を安定させることで私に優しく接するという馬鹿すぎる結論を実践した。
結果、1年近く浮気されていたことに気付いた私は夫を問い詰め、問い詰められて逆ギレした夫はお前のせいだと言い、乳児の子供がいるのに離婚となった。やり直したかったけれど、夫は浮気相手を妊娠させ、そちらと再婚するつもりのようだ。
ここまでくれば夫に未練はない。でも、産後夫婦間の信頼関係をうまく築けず、夫を浮気させてしまったことへの後悔というか、自責の念がある。周りは私のせいではないと言ってくれるけれど…
産後、夫婦がうまくいってない人たち。こんな風にならないよう、頑張って欲しい。お互いに何をすればいいか、すぐには見つからないかもしれないけど、きっと何か乗り越える術があるから。
結局男女2:2の旅行中にここしかないという最高のタイミングが訪れ有機を振り絞って告白したのですがその場で保留 その後旅行が終わって「今は彼氏作る気がない」といわれて恋が終わりました。
http://anond.hatelabo.jp/20141213174541
>ピンクモードでない状態のとき、たとえば仕事の関係で親しい相手から妙なオーラを送られたりしたら、第一印象は「あ、煩わしいな」だったりする。それは「好き、嫌い」じゃないんだよね。
まさにこの通りでした。
告白した後の旅行中の二人きりの時はそんな感じで接されました。他の人もいると気を使って結構話してくれたり目を合わせてくれたんですが、二人きりだとこっちが会話を振っても反応が告白する前より明らかに薄いし、目を合わせてくれないし(これは最初照れてるのかな、と思ったのですが旅行から帰ってもう一度全トラックバックを観直してみて気づきました)
>ただ、人間関係って流れやタイミングというものが大きいので、そこを取り違えると残念なことになるんじゃないかな。
取り違えました。 完全に頭がどうにかしてました。 旅と疲労と恋が重なると人の心を狂気に変えますね・・・
>増田が求めてるのは、そういうもんなの? そうじゃなくて、相手の「人生」と付き合って、自分の「人生」をかけてこいつと付き合っていきたい、そういう、それなりにマトモな何かじゃないの?
>もし、ふわふわでよいなら、いろいろとアドバイスの飛んでる「恋愛テクニック的な何か」とか「タイミングを見計らった告白」とかを試みてみたらいいと思う。でも、もし、もっとマトモな何かなら、これも誰かがアドバイスしてたように「相手はどういう人生をこれから送りたいのか、そして自分は、その相手の人生を尊重しながら、自分自身のキャリアとか人生を幸せなものにしていくことができる将来像をもって>いるのか」みたいなことを、少し落ち着いてまじめに考えてみるべきだと思う。そういうものをもってない相手に、大人は軽々に重い「Yes」を返せるものじゃないですよ。
本気で結婚したいて思えるほど素敵な女性でした。自分本位で身勝手な告白しちゃったけど、今からでも間に合うかなあ・・・
>「私女だけど」さんが言ってる「フラグ」って、思わせぶりな挙動とか下心とかじゃなくて、そういうさらっとストレートな「言葉」みたいなもんじゃないかと思いますが、どうでしょう? そういう「言葉」を投げながら、相手の行動の変化とか様子とか見て、その上で少しずつ信頼関係をつくりつつ相手の中へ踏み込んでいく、そういうのが長い人間関係を作るコツってもんじゃなかろうかと思います。
「私女だけど」さんも含め皆様本当にアドバイス有難うございました。 残念ながら恋は叶わなかったですが、今後自分を高めて、相手のことを第一に考え尽くした上でしばらく友達として交流を深めた後に再チャレンジシたいと思います。
いや俺なんだけど。
なんでこんな結論になるかっていうと。
「家族すらまともに付き合えない俺が他人と生活なんてできねーわ」
っていうのがあるから。
そうなると、仮に結婚したとしても、お互いいや~な他人同士ってことになるし。
そうなると、「男側が負っている負担に対して、女からメリット受けていない」となる。
かりにまともな性格なら、俺にはできないが、たぶん支えあったりとかするのかな?
でもそんなんすら無理だったとなると、そりゃ無理じゃね?
信頼関係無い。
そうなるとやっぱ、メリットデメリットじゃねーかな。
だって、妻がやるような業務を委託できたとして、そんなサービス使いたくねーもん。いらねーよってなるわ。なんのメリットも無いのに、離婚後の慰謝料とかのリスクがバカバカしいとなる。
つまり、結婚にメリットが無いってのは、そもそもが他人と生活することができない性格の奴っていう感じかなと。
だからメリットデメリットで言えば超絶男側がフリなんだから都合がいい女からの寄生先にはなりたくねーわ。っていう冷たい結論しか出ない。
人を好きになるくらいは当たり前にあっても、他人と関わるのが超絶ダルイっていう性格、他人と関わってもつまらないっていう感受性の違いなんじゃないかな。
個人的な感想だけど、彼女の方は「付き合う」という人間関係を、今のところ求めてないんじゃないかという風に見える。つまり、好き・嫌いは別問題として、「付き合ってください」と言われたら「No」という答しか返せないんじゃなかろうか。あくまで印象だけど。
確かに、20代って性欲ももてあましてるし人間関係にも意欲満々だし無駄に体力があまってるし、誰でも多かれ少なかれ常時頭がピンクなモードだと思うんだけど、誰しも一生頭がピンクモードってわけでもない。ピンクモードでない状態のとき、たとえば仕事の関係で親しい相手から妙なオーラを送られたりしたら、第一印象は「あ、煩わしいな」だったりする。それは「好き、嫌い」じゃないんだよね。自分がそういうモードでそういう相手を求めてるときに出会ったら「OK!」かもしれない相手でも、自分がそういうモードでないときに「個人的に付き合って」と言われたら、やっぱり「それは無理です」しかない、ってこともある。
こんなことを書いてるのは、「私女だけど」さんが言ってる「しっかりフラグを立てて」という言葉のニュアンスが、ちゃんと伝わってるかなあ、と横から見てて思うから。
相手の人は、たぶん増田のことをもちろん嫌いとかはなくて、たぶん「そういうモード」で付き合う流れになれば、うまくそのまま付き合う未来がもちろんあるんだろうなと思う。そこは自信をもっていっていいんだろうと思う。ただ、人間関係って流れやタイミングというものが大きいので、そこを取り違えると残念なことになるんじゃないかな。
相手についての話を見て思うのは、たぶんそんだけアクティブに活動する人なら、他人との間に、恋愛を軸とした個人的な人間関係を作る余裕はないだろうな、と。だから、たぶん、その系統のアンテナからの入力を普段は意識的に遮断してるんじゃないかな、という感想だった。そうでないと、たとえば、付き合ってもない男性と旅行に行くなんてできないんじゃないか。「それはYesって意味じゃないんですか」と言われれば、たぶん違う。普段のやり取りで、そんな回りくどい「Yes」やら「No」やらの意思表示をする人じゃないんでしょう? じゃあ、たぶん旅行OKなのは、「男とか女とか意識してないから」が正解だと思う。「男女とか関係なしに一緒にいて楽しいお友達」というのが、今の増田のポジションじゃなかろうか。
で、それがダメかっていうと別にダメじゃないし、長い目で見ればそういう関係を続けてるうちに相手がふっとピンクモードになって、あれあれという間に付き合うことだってあるのかもしれないけど、そうでない可能性もあるし、どっかの旅行先でふっと相手がピンクモードになって南米で出会った外国人の人と現地で勢いで結婚しちゃったりするのかもしれない。だけど、そういう「付き合う」は、とても不確定なふわふわしたもので、それなら、極論言えば仮にたまたま「付き合え」ても、3か月後には「やっぱ別れよう」ってなるかもしれない。だよね? まさに「大学生の恋愛」的な。
増田が求めてるのは、そういうもんなの? そうじゃなくて、相手の「人生」と付き合って、自分の「人生」をかけてこいつと付き合っていきたい、そういう、それなりにマトモな何かじゃないの?
もし、ふわふわでよいなら、いろいろとアドバイスの飛んでる「恋愛テクニック的な何か」とか「タイミングを見計らった告白」とかを試みてみたらいいと思う。でも、もし、もっとマトモな何かなら、これも誰かがアドバイスしてたように「相手はどういう人生をこれから送りたいのか、そして自分は、その相手の人生を尊重しながら、自分自身のキャリアとか人生を幸せなものにしていくことができる将来像をもっているのか」みたいなことを、少し落ち着いてまじめに考えてみるべきだと思う。そういうものをもってない相手に、大人は軽々に重い「Yes」を返せるものじゃないですよ。
だから、やっぱりいま「付き合ってください! Yes or No?!」とか言われたら、相手は困るんじゃないかなーっと思う。それよりも、単に、増田がここで言ってる「ほんと最近〇〇さんのことが好きすぎてつらいです(笑」とか、そういうフレーズを伝えておけば、相手もそれなりに考えたり悩んだり、少し意識した付き合い方になったりしてくれるんじゃなかろうか。「私女だけど」さんが言ってる「フラグ」って、思わせぶりな挙動とか下心とかじゃなくて、そういうさらっとストレートな「言葉」みたいなもんじゃないかと思いますが、どうでしょう? そういう「言葉」を投げながら、相手の行動の変化とか様子とか見て、その上で少しずつ信頼関係をつくりつつ相手の中へ踏み込んでいく、そういうのが長い人間関係を作るコツってもんじゃなかろうかと思います。
世の中には『すべてはモテるためである』のような素晴らしい完成度の恋愛本があるけれど、案外がっつりセックスの方法から考えてみたほうが恋愛についての基本的な考え方を把握する上では近道な気がする。少なくとも私の場合はそうだった。
ここでいうセックスの方法を考えるっていうのは、異性(私は男性なので女性)にとって気持ちいい(或は不快でない)セックスの方法を考えるってことなのだけれど、色々と調べると、目から鱗の連続で面白い。
まずは、これは有名な話だけれど、AVのセックス描写と現実のセックスは別物であるということ。
日本の(というか世界の)AVの標準的なセックス描写が何かおかしいっていうのは、予備知識皆無の童貞でも気づく部分は多いんじゃないかと思う。
汚いおっさんが凄まじい速さでピストンして、膣からペニスを抜いた後に自分の手でシゴいて顔射するっていうのは明らかに変だと思っていたし、暴力的過ぎて勃たないので、私なんかはよりソフトなポルノを好んでいた。
でもエロ漫画とかを見てもとにかくセックスってガシガシ挿入する感じだから、なんとなくそういうものなのかなあと思っていた部分もある。
ところが、現実の女性の意見を見ると、AVみたいなガシガシオラオラセックスが好きな女性は少数派どころかそもそも存在しないといっていいほどであるということが分かる。
これは私にとっては結構救いになった。ああ、ああいうことはしなくていいんだ、誰も望んでいないんだって。
セックスの基本スタイル(もちろん応用もあるが)は優しく丁寧に女性を扱う、ということだろう。
このことと関連して重要になってくるのが、コミュニケーションだ。
今触っている部分が痛くないかということをきちんと確認する。セックス中に喋らないというのは良くない。
たとえAVみたいなセックスをする彼氏だとしても女性は演技をしてでもその行為を受け容れることが多い。
それが女性の優しさであり、愛なのだけれど、やはりより良い関係を目指す上ではきちんと言葉のコミュニケーションで意思確認をする必要がある。
そしてこの意思確認と関連して開けてくるのが性感帯の幅広さと個人差のこと。
童貞的な認識の性感帯って男なら性器、女なら乳首とクリトリスと膣って感じだけど、実際はそれだけではない。
例えば夏目ナナのセックス講座の動画を見るだけでも髪、耳、瞼、首筋、脇、肘、指、脇、臍、背中、太ももが挙げられている。実際はもっと多い。
これらの性感帯を女性の反応を窺いながら愛撫してゆく、タッチの強弱とか舌を使ったりとかの触る側の要素も考えれば無数のヴァリエーションが存在するわけだ。
そしてどの性感帯が気持ち良いのかというのにはかなり個人差がある。
この個人差という発想は重要で、例えば上記の夏目ナナの動画では背中が至高の性感帯で挿入時間は最低でも10分以上ということが語られているが、これは完全に夏目ナナ個人の趣味で、背中が一番感じるとは限らないし、膣内でイケる女性にとっては挿入時間は長ければ長いほど良いだろうが、そもそも膣内でオーガズムに達せられる女性というのは少数派で、長い挿入時間は必要ないか、むしろ短い方が良いということも有り得る。
この辺りをきちんと把握する為に、性的なことまでオープンに話せるような、パートナーとの信頼関係の構築が重要になってくるだろう。
最後に、ジェンダー規範からの解放というものが、セックスにはある。
今まで男性側がリードするような書き方をしてきたが、男性もまた、性器以外の性感帯を女性に触って貰うべきだろう。
森岡正博は『感じない男』で現代の男性の「不感症」を指摘したけれど、実際インターネットを介して余りにも充実してしまったオカズ環境でシコられまくっている男性器は、すっかりすれてしまって、一般にイメージされるほどには感じていない。
下記3つの風俗での童貞喪失増田エントリで、いずれも「セックス(挿入)の気持ち良さはオナニーと同程度或はそれ以下だった」という趣旨の報告があることは注目に値する。
・そういや先日ソープ行ったんですよ。初めてだったんですけど。女の人とエ..
・初めて風俗に行ってきたので考えたこと、感じたことをつらつら書いていこ..
彼らの問題点は身体の感じ方がオナニーからセックスに移行できていない点にあるが、こういう「不感症」を解決するために、男性も女性に乳首とか耳とか責められてどんどん喘ぎ声とか出すべきだと思う(逆にいえば、女性は性的に積極的になることを躊躇わなくていい)。
そもそも喘ぎ声については現代の男性はプロフェッショナル足り得る。
何しろ週2でオナニーして、毎回10種類のポルノを見ると仮定すると、年間約1000の喘ぎ声のサンプルが得られ、更に二次元の声優の喘ぎ方なんかも意識的に採取、消化して自分の物とすれば、一般女性よりも優れた奥行きと幅のある喘ぎ声が出せるはずだ。
感じさせるだけではなく感じなければ勿体無い。言葉責めなんかもするのもされるのも最高に楽しい。
と、ここまで見てきた要素をまとめると、セックスにおいて重要なのは、
・思いやり
・信頼関係
http://blog.plutan.org/entry/2014/12/09/151539
>それにはふざけてる感じで怒ったりとかしてた。
その上での
>今後お触りは禁止です」と言ってみた。
なんじゃないの?
ちゃかすように言ってみたけど通じないから、真面目に言ったってことでしょこれ
その結果の現実がどうなったか、というのは、この増田のエントリからはまだ不明。
彼氏がどのレベルまで神妙に受け止めたか、どのレベルで関係性に不安を抱いたかも分からない
同棲してるならってしつこいけどさ、信頼関係の度合い、どのライフステージでどのレベルまで求めるかなんて、
を,弁護士が書く。
元記事は,
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11960829131.html
分かってる人は読み飛ばしてください。
すんごいざくっとした説明をします。わかりやすさのために正確さを犠牲にすることも厭わず。
法律的には,離婚を(1)協議離婚(2)調停離婚(3)審判離婚(4)裁判離婚の4つに分けたりする。
協議離婚というのは,お互いに納得して離婚届にはんこをつくようなやり方。本人同士でやることが多いけど,途中で弁護士が間に入ることもある。
調停離婚というのは,調停という,後述の仕組みで当事者双方が合意に至って離婚するやり方。双方が合意しない限り,調停は成立しません。
審判離婚というのは,調停がまとまりそうだけどあと一歩というときに,裁判所がそこを決めてあげる離婚の仕方。たとえば,離婚することや養育費の額とかも合意できてるけど,財産分与の額に若干の隔たりがあるときに,そこは裁判所に決めてもらう,とか。
裁判離婚というのは,訴訟を起こして裁判所に離婚の成否やその条件を決めてもらうやり方。日本では,調停を先にやっていないと離婚訴訟はできないという仕組みがとられています。まずはお互いよく話し合って,おかみに委ねるのはその後の話,ってことね。
だから,今回の場合,タモさんは,弁護士を通じて離婚の協議をしたけどまとまらず,調停を起こしたけどそれもまとまらず,訴訟をやって,一審でタモさんが敗訴し,二審の判決待ちという可能性が高い。
さらにいうと,
ということなので,タモさんは離婚を請求して訴訟を起こし,妻側は離婚をしないと言って闘った結果として妻側が勝ったということになります。
調停というのは,本人がやろうと弁護士を通そうと,あくまで話し合いです。
裁判所で調停員(おっさんとおばさんの2人組)を通して話し合いをする場です。
成立しない理由は大きく分けて2つで,離婚自体に争いがあるか,離婚の条件に争いがあるかです。
条件というのは,財産分与だったり,親権だったり,慰謝料だったり,養育費だったりです。
どうしても話し合いがまとまらない場合,調停は不成立になり,離婚を寄り強く望む側が訴訟を起こすのが一般的です。
夫婦のどちらかが離婚を強く望んでも,それだけでは離婚できないのです。
第1項 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
第2項 裁判所は、前項第一号から第四号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。
てなわけで,民法770条1項の一号から四号の理由があることは稀なので,たいていは五号の「重大な事由」があるかないかが争点になります。
じゃあ,何が「重大な事由」に当たるのか。単なる性格の不一致程度では認められないんです。
よく言われるのが「別居3年」です。最近はもっと短くても認められる傾向にあるとかいう話もありますが,感覚的には「別居期間が3年超えてれば,離婚訴訟で勝つつもりで事件を受ける」って弁護士は多いはずです。
ただ,これも事情によるんですよ。まだ小学校挙がる前の子供がいるとかだと離婚を認めづらくなるとか,同居の期間中も寝室が別で一切お互いに干渉していないなら認めやすいとか。
いわゆる「総合考慮」ってやつで,ここら辺は数値的に明確な基準があるとはいえないです。
タモさんは,
東京家裁の一審で、夫婦生活の破綻は認めるが、33年の結婚生活に対し5年半の別居では別居期間が短すぎるという理由で離婚は却下されました。
第一に,「却下」という表現は法律用語としては「棄却」の誤りと思われますが,これは法律に詳しくない人としては普通にやる間違いであり,指摘するだけヤボって感じです。
(法律を作る職業である国会議員を務めるのに法律に詳しくない人というカテゴリに入るのはアレですが)
第二に,破綻は認めるけど別居期間が短すぎるという理屈が,通るのかという話です。
上に書いた「重大な事由」というのは「婚姻関係が破綻して回復困難」な状況とほぼイコールです。
とすると,「破綻してるけど離婚認めない」という理屈は,通りにくいんです。
じゃあなぜそんな書き方をしているのか?
しかし,弁護士に依頼して訴訟をやっているのに,ここを誤読するっていうのはちょっと考えにくいです。
弁護士がついてるなら,判決についてちゃんと説明するだろうし,ブログの記事も打ち合わせすると考えるのが普通です。
・2つめの可能性は,「破綻はしているが回復可能だ」というように裁判所が考えたということ。
この場合,タモさんが言ってることって筋が通るんですよ。破綻は認めるが別居期間が短いのだから回復可能だ,という判決だという解釈ですね。
裁判所が「破綻はしているが回復可能だから婚姻を恵贈しがたい重大な事由はない」というロジックを使った例を,寡聞にして知りません。
破綻してるけどまだいける,ってのは無理筋だと考えるのが普通です。
さっき言った「別居3年」はあくまで俗説で,婚姻期間が30年以上という場合に別居5年というのを,「破綻はしているが重大な事由はない」と判断することもあり得なくはない…
あり得なくはないが可能性は極めて低い,と考えてます。
・そこで,3つめの可能性なのですが,これは,「有責配偶者からの離婚請求」という論点です。
「有責配偶者」というのは,夫婦のうち,離婚の原因を作ったような一方のことを言います。
たとえば,子供が産まれたばかりなのにその母親が子供を放り出して間男のところに転がり込んで同棲し,残された夫(父親)が子供を必死に育てた,というようなケースがあるとしますね。
妻はよその男と5年同棲して,夫と子友を捨てていて,この夫婦がまた夫婦として暮らせる見込みがないとします。
それでも,夫は子供を一人で育てつつ,妻の帰りを待っている。妻から離婚の調停を起こされても訴訟を起こされても「二人でまた元の鞘に戻って子供を一緒に育てよう」と望んだとする。
この場合,婚姻関係は,破綻していて回復不能だと考えるのが自然です。しかし,この場合に妻からの離婚請求を認めるのも,衡平を欠く気がします。
そこで判例は「有責配偶者からの離婚請求は権利の濫用または信義則違反として認めない」という理屈を考え出しました。
すごくざっくばらんにいえば「自分から浮気しといて『もう夫婦として終わってる』なんていうのはずるいからダメ」という理屈です。
1)別居期間が同居期間と比べてすごい長い場合
を満たせば,有責配偶者からの離婚請求も例外的に認められる場合があるってのが判例なんです。
つまり,
・しかし,有責配偶者からの離婚請求は,原則が逆転し,認めないことを原則とする
・有責配偶者からの離婚請求であっても,例外的に認められる場合がある
という理屈なんです。
これ,曲がった見方かもしれないですが,「有責配偶者からの離婚請求であり,原則として認めないという場合に当たる。さらに,別居期間が長いとかそういう例外的な事情も足りない」という判決なんじゃないでしょうか。
そう考えると,タモさんの書き方もうなずけるんですよ。
もし,私の邪推が事実に合っていたとしても,タモさんは一切嘘をついていないことになります。
ただ,一審判決が離婚請求を棄却したメインの理由は「有責配偶者」というものなのに,そこを隠して,「(有責配偶者であり)別居期間が極めて長いという事情は無い」という例外的な事情の有無に関する判断だけを引用している。
本当に大事なことには触れず,ささいな点だけを強調して,決定的なことは言わずに誤解を招き,自分に有利な雰囲気を醸し出す。
あ,もちろん,タモさんがそういうやり方をしているのかは確信が持てません。
判決全文を読んでみないと,もしかしたら上で書いたように,破綻はしてるけど回復可能だという判決だという可能性もありますから。
あと,蛇足ですが,
婚姻費用の分担は法律で認められた権利義務なので,それ以上のものを支払っているのならともかく,支払うこと自体は何ら誇るべきことではありません。
あと
というのは,タモさんの娘が相当タモさんに不利な陳述書を書いたことを認めてるってことなんでしょうが,これはお嬢さんのことを軽く見過ぎんじゃないかな。
弁護士が誘導したくらいで,親子の信頼関係を損なうような陳述書にサインする子供は殆どいないと思いますよ。
さて,ここで皆さんに質問なのですが,
こんな長文,なんで最後まで呼んだんですか?暇なの?
あと,私はなんでこんな長文書いてるの?明日の打合せ用の資料準備とか大丈夫なの?
誰か大丈夫と言って下さい。