「人形」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 人形とは

2023-07-18

君たちはどう生きるか」の好きなシーン7選

まり同じような感想レビューが無かったので共感できる人を探している。

この作品からは、幻想理想の世界から現実に引き戻そうというメッセージ性を感じた。「意味がありそうなことも重要ではなかったりする」、「価値観は人それぞれ正義も悪もない」、「個人想像力努力世界に大きな影響を与えることはない」。こんなメッセージが散りばめられているのに、重く押し付けるわけでもない。そんな雰囲気がとても心地よかった。私が好きだったシーンを挙げる。

1. 我を学ぶものは死す

門と墓があり、墓には「我を学ぶものは死す」と書かれている。ファンタジー世界では危険オブジェクトであるペリカンという不可抗力に巻き込まれて門を開けてしまった。門を開けてしまったがゆえに何か恐ろしい者が目覚め命からがら逃げ出す、という鉄板な流れを期待するものの、そうはならない。キリコが炎を使った謎の儀式をして、墓を見た方向のまま後退する。結局何も起こらない。

ここで最初メッセージを感じた。

「門を開けてはならない」、「怒りを鎮めるには儀式必要」、「儀式には細かい作法がある」、現実にもこんな類の知らない人には全く理解できないルールが沢山ある。守ってもいいし守らなくてもいい。世の中には様々な価値観がある。眞人は肯定否定もない。そんな世界で生きていくことを考えさせられる。

2. 触れてはいけない人形

眞人は何故か机の下で寝ている。自分の周りには人形が置かれていて、何故か触れてはいけないというルールがある。しかし眞人はルールを破って触れてしまう。この時点で薄々勘付く。何も起こらないと。

これは子供1人遊びだ。

何故か自分自分によくわからない制約を課す。理由はない、面白いからだ。狭い空間人形に触れないで外に出られたら面白い成功したら自分を褒める。失敗したら悔しがる。それだけ。

墓のシーンと似ている。子供1人遊び大人儀式も根は同じか。そんな感覚を持った。

3. ヒミ対ペリカン

ワラワラという赤ちゃんの源である可愛いキャラクターペリカンに食べられそうになる。そこにヒミがやってきてワラワラもろとも焼き尽くす。全滅するより誰かが助かった方がいい。ペリカンは生きるためにワラワラを食べるしかない。

小学生の授業でやるような道徳的なシーンだ。

ありきたりな童話のシーンといえばそうなのだが、個人的に好きだったのは焼き尽くしているのが母親のヒミということだ。

戦争で言えば爆撃機もしくはアメリカイメージするその役割を、空襲死ぬ予定の母親がやっているのだ。本人に悪気は無い。良かれと思ってやっている。将来の生命のために、今ある生命を焼いている。その先には因果応報のような結末が待っている。このバランス面白い

4. 裂けた羽根

アオサギの弱点は羽根であるアオサギ自身がそう言っていた。羽根を見せられると慌てた雰囲気になる。そんな中唐突羽根が裂けてしまう。しかし何も起こらない。心の中で突っ込んだ人は多いんじゃないだろうか。

「それも嘘なんかーい!」

弱点が本当だったのか嘘だったのかはよくわからない。眞人もアオサギもそれに言及しない。そう、この時点で2人はすでに仲良くなっていて、弱点ゲームをずっとやっていたのだ。懐かしい気持ちになった。

5. 理不尽な産屋不可侵ルール

ここまではフラグが立ったのに何も起こらなかったというものだが、産屋に入ってはいけないという制約は、入った後に知らされた。今度は過剰な罰を受ける。もはや謎なレベルだ。このシーンは最も現実に近い。よくわからない知らない人が考えた謎ルールで特大の罰を受けてしまう事が現実にはたくさんある。

「知らんがな」

眞人はそんかセリフを心で叫んだかもしれない。眞人には同情するが、そうやって大人になっていくんだよ、頑張れ!と応援したくなる。これは眞人の成長ストーリーだ。現実というファンタジーの中でどう生きていくのかを考えさせる。構造面白い

6.意味の無い努力をしている叔父さん

この叔父さんは可哀想だ。理想的世界自分が維持していると思っている。私のおかげであと1日保つ事ができる。そう言う使命感を持って積み木をしてたらしい。しかし、彼の努力誰も知らないし、現実世界には何も影響を与えていない。そのことに本人は気がついているのだろうか。ぶっちゃけ小学生でも悪意のない積み木を積み上げても理想的世界にはならないことは容易にわかるだろう。

その後、ファンタジー世界崩壊しても、世の中は変わらなかった。戦争が始まりやがて終戦する。1人の想像力努力だけでは世界は変わらない。そんな世界でどう生きるか。そんな事を考えさせられる。眞人の目にはどう映ったのだろうか。尊敬軽蔑、哀れみ、複雑な感情があっただろう。

7. 無駄のないエンディング

ファンタジー世界崩壊してからの流れは早い。

ファンタジー世界崩壊と、終戦後の家族の様子を見れば、メッセージは全て受け取った気持ちになった。もうこれ以上のメッセージはいらない、そんなタイミングでのエンドロール。たまらん!

皆さんはどのシーンが好きでしたか

15年ほど連れ添ったTwitterは私の人生を知りすぎている

からおすすめタブが本当に嫌いでさ。

本当に本当に的確に私の心に引っ掛かるコンテンツしか出てこないわけよ。

それがいい意味でだけだったらまだいいけど、レコメンドアルゴリズムはまだそんなネタだけを引っ張ってこれるほど賢くないから、私の心を暗くする意味で引っ掛かるコンテンツも出てくるし、私もついそういうコンテンツを見てしまってしんどくなるのさ。

ちなみにさっきは望んでも大学に行けない子どもたちの話を読んでしんどくなった。

私もそういう環境で親に用意された高卒就職の道を蹴り飛ばして本当に苦労して大学に入ったのに、そこで病気になって人生詰みっていう経験したんでマジでしんどい

15年ほど、多分毎日見てきた(つぶやきは2、3日に1回くらい)Twitterだけど、このままマスク氏が滅ぼしてくれないかな。

もういい年だから他のSNS移住する気もないし、大昔の偉い人のお墓を作るときに一緒に埋葬された人形みたいにTwitterの墓標に収まるからさ。

マスク氏、世界を救いたいんだって言ってTwitterを買収したけど、その改善計画が上手くいかなかったらTwitterが滅んでもいいし、そうなっても人類は悪いままのTwitter蔓延世界よりなんぼかマシだって思ってるんだろうなって思う。

話が脇道に逸れたけど、Twitterは私の人生を知りすぎていておすすめコンテンツがかなりの高率で刺さるものなのがしんどい

anond:20230718152754

ポーズ集も最初からハゲ人形レベルの)イラストになってるものの方が世の中に多く出回っているよ。

写真になっているのはマッチョ筋肉みたいに実写じゃないと再現できないものや、BLアイドルみたいに実写としての需要が元々ある被写体ほとんど。

君たちはどう生きるか』のオマージュ

セルフ、他作問わず

ラピュタの外壁の木の根を登るパズー

・紙人形にまとわり付かれるハク(「未来世紀ブラジル」のデ・ニーロが消えるシーン?)

ワラワラコダマ

紅の豚飛行機墓場

anond:20230718071051

シスヘテがセクマイのお人形遊びで楽しんでる罪深さに比べりゃ、呼称問題なんて大したことないだろ

淫夢厨笑えないよ

2023-07-17

物語わたしたちの中にある(君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか、をみた。

自分ジブリファンではないので、物語の先にある「モデル」や「元ネタ」までは考えが及ばないのだが、

「こんなお話だと解釈したぞ〜」ってのを書きたい!(ネタバレあり)



大まかなストーリー

ライフステージ転換期の、戸惑いと受容を描いたお話」だと思った。

・眞人:少年から青年期への変化(ヒミ=ヒサコも同年代

・ナツコ:青年から母親への変化

転換期の渦中、心や体の変化に戸惑いを抱える者たちが神隠しにあった〜みたいな。

キリコに関しては、次のステージに引き上げてくれるキャラに感じた。

ちょっと悪知恵をくれる先輩だったり、手助けしてくれる産婆さんみたいな(実際物語では船頭や見守り役に徹するし)。





以下、私の解釈をつらつら書く



1.変わりたくない眞人とナツコ

戦時中だが暮らしには困ってなさそうな眞人。

だけど眞人はこの先の人生に興味がなさそうで、疎開先の学校も嫌、新しいお母さんも嫌、

気持ちはこれから先の「生」よりも、死んでしまったお母さん、つまり過去」に向いている。

しかし体や心は先へ先へと成長していて、ナツコや父親の「性」に触れて戸惑い、怒りを感じている。

塔への侵入が失敗に終わった後の眞人の声の低さに驚いた。

「塔への侵入を試みる=精通メタファー?」なのかな。

2次成長の強調を感じて、眞人は少年青年になりかけている状態なんだなと思った。

初期、アオサギヘ異常な攻撃性を持って接しているのも思春期のあまりあるパワーを感じたw

自傷行為は、クラスメイトへの嫌がらせではなく「こんな環境に送り込んだ父親」を責めたい面もありそう。

自分拒否しているんじゃない、周りが自分拒否しているんだ」という状態を作り出したい、

社会への拒絶を相手のせいにしたい…という受け身な心の表現のように思えた。

アオサギはそんな「社会的死を望む眞人の心の表れ、葛藤」なのかなと。

成長なんかしないでずっと自分の中にいたい!ずっと子供でいたい!みたいな願い。

眞人はずっとお母さんの子供でいたかった。

異世界に行ったのもの「ナツコを取り返しにいくぞ〜!」みたいなモチベがあったわけではなく、

ただただお母さんに会うために、流されるままにいった印象。

なんなら「お母さん=過去」に向かって、成長したくない〜〜みたいな思いも抱えながら向かっている感じ。

門をあけるのもペリカンの力だし、船をこぐのもキリコの力。

まだまだ与えられる存在の「キッズ」なんだよね。

同様に、ナツコもつわりに苦しみ、出産が怖かった。いきなりできた息子(眞人)が怖かった。

言われなきゃ妊娠中なんてわからない、母親感のない妖艶なお姉さんビジュ。

そんな、変化が怖い!変わりたくない!状態の眞人とナツコが、同じく殻に閉じこもった大叔父に導かれて異世界へ行ったのかな〜というのが物語の始まりの捉え方。


2.大人のヒミツを知ってしまう眞人

ヒミとの出会いは、「自分の中の母親像に別の面を見つける」という体験だったんじゃないかなあ。

母親元少女だったことを知る、そして少女母親になるということのヒミツを知るというか。

産屋に入る=禁忌を犯す…というのは、「性行為」を知る?とかなんじゃないかなと。

(ナツコとヤったとか、ナツコで抜いたとかじゃなく、どうやったら子供ができるか知っちゃう…みたいな)

ヒミ/ヒサコ、ナツコ、眞人は性行為を知っているか楽園から追い出される…みたいな見方もできるのかなあ。大叔父はそれを知ることを拒んだからずっと楽園にいる。

血の表現の多さや、おどろおどろしいジャムパン処女性の喪失のようにも思えたし、ジャムパンキリスト教で言うワイン(血)とパン(肉)にも思えた。

(あの食事シーンでキリストとの契約人類繁栄させ続けることを約束させられたのかな?とも思ったり。)

精子っぽい表現の多用、「命を奪う、頂く」「命が死ぬ、命をつくる」みたいなモチーフも多くて、全体的に「命の受け継ぎ」が描かれてる感じがした。

ワラワラ邪魔をする老ペリカンたちは、戦争によって死んでしまった人や今で言う氷河期世代なんかの

「そう生きざるをえなかった人々=命を繋げなかった人々」なのかなあとも思えて、

その選択や悲しみを否定する気にはならず、敵キャラだとは思わなかった。

このへんは私が出産適齢期を過ぎつつある未婚女性からそう感じ取ったのかも。

そしてこれだけ性的な印象を感じておきながら、物語全体を通して「子を産め」というメッセージだとは思わなかった。

というか、大叔父世界で作り出されるワラワラたち=精子たち?は…なんか受精しなさそうな感じがするw

殺生もせず、無垢もの加害意識を持たざるもの)の精子放出は、オナニーなんでないかい…?と。。

ナツコが「あんたなんて大嫌い」みたいに言うのは、眞人だけに向けられた言葉じゃなくて

子供を産み育てることへの恐怖、与えられる存在から「与える・守る存在」に変わらなければならない、母になることへの恐怖の表現なんじゃないかなと。

眞人が「お母さん」と呼びかけることでやや柔和な表情に変わるのは、眞人への好意ではなくて覚悟が決まったような、我を取り戻したような感じがした。

あのシーンでナツコは母になる覚悟、眞人は大人になる覚悟母親の死を受け入れ新しい母親を受け入れる、実社会と向き合う覚悟)が決まった感じ。

そういう意味ではこの物語神隠しではなくて、「ナツコの出産」の寓意でもあるのかな?


3.世界への責任に気付く眞人

13個の石の積み木が駿の作品数を意味しているとは思いもしなかった〜!(というかそんな知識なかった!)

英語12まではeleven…twelve…て数えるけど、13からはteenで数え始めるので、そういうキッズティーンの境目に留まる…みたいな意味なのかなと思って見てた。

叔父キッズにしがみついて、1から13まで積み続けるが13を超えられない(13個詰むとバランスが崩れてしまう)

知識自分想像の中だけで楽園を作り上げ、維持している。

眞人にとってのアオサギは、大叔父にとってのインコ大王なんじゃないかな。大叔父は、インコ大王と共に自分楽園に閉じこもることを決めた。

眞人はアオサギを説得し、社会と向き合うことを決めた。13よりその先の世界を作っていくことを決めた。

(この異世界聖書楽園だとしたら、キリコは蛇の側面もあるのかな…)

叔父もけして悪役とは思えなかった。

本をたくさん読んで知識理想社会への願いはたくさんあったんだろう。だけど実社会で石を積むことを選ばず、自分楽園を"理想世界"にすることを選んだ。

叔父は眞人を楽園に閉じ込めようなんて思ってなくて、世界へ送り出すことを心から喜び、希望を託しているように思えた。

このシーン、これが駿からメッセージなんだろうなと思って見ていた。

自分理想知識教養を大切に、でも自分の中だけでもなく、血縁でもなく、半径5mでもない、外の世界と折り合いつけて"よく生きてくれ"みたいな。

いつまでも誰かの作品や誰かに庇護される世界に留まっているなよ〜みたいな。

私たちはみんな14個目のブロックを渡されていて、この世界をよくするためにそれを投じる責任がある。そんなことを思った。


4.じきに忘れていく

神隠しのような、蘇りのような、胎内回りのような鑑賞体験を通して自分が感じたのは「やだ〜〜思春期追体験みたい〜〜〜」という感想

アオサギが言ったように、私たちはじきにこの感情を忘れてしまう。

だけど異世界は石のカケラと、キリコ人形を残してくれた。

成長と共に、私たち世界への意志理想希望や野望)はどんどん弱まってしまう。だけどカケラぐらいはみんな持っている。

自分が忘れても、キリコ私たち思春期を見守っていてくれた少し上の先輩)はうっすらとその青い時代を覚えていてくれる。

私たちはいつかの眞人でありナツコでありキリコなんだろうな。

この社会の暖かさと、この社会大人として生きていく自分責任…みたいなものを感じらせられて、鑑賞後はなんだかじんわりと涙目になってしまったのだった。


感想おわり

アッ…そういえばこの映画には「おわり」がなかった。たぶん。

監督から後世を生きるわたしたちに対して「社会と関わること」「命を紡ぐこと」「ものをつくること」のバトンを受け渡されてるような気がして、

この世界はおわらない、つづいてく…さぁ、君たちはどう生きるか?みたいなメッセージを感じた。(タイトルのまんまァ!!)




さいごに

この映画難しいなって思ったのは、小さな感情の動きやメタファーっぽいものバラ撒かれていて、

それらが調理されて最終的にハンバーグやらカレーになって出されるでもなく、そのまま終わるところ。

見る人は、物語カケラ自分なりに取捨選択して、頭のなかでそれぞれのストーリー調理しなければいけない。

それゆえ、ジブリや駿ファンはそれを彼らの社史や人生だと捉えるし、そうでない人は何か別のものに捉えるのかも。

(当然"カケラ"だけ渡されるわけなので「なんのストーリーもなかった…なにこれ?」となるのも当たり前。)

私は出産適齢期を過ぎつつある未婚女性なので、どうしてもカケラの拾い方や積み方にクセがあると思う。

でもそういう、「見る人によって様々なミスリードが生まれる=見る人の中にいろんなストーリーが生まれ作品」って本当に面白いと思うんだよね。

結局この映画が見せているのは映画ではなく、自分自身のような気がする。

私の勝手解釈を読んでイラだった人もいるかもだけど、もしよかったら他の方が感じたストーリーも教えてほしい!

▼楽しかった解説メモ

先人の皆さんたちの解説も楽しく読みました〜!!(ジブリいろいろ未視聴なのでほ〜そう読み取ると確かにおもろ〜と勉強になった…

https://anond.hatelabo.jp/20230714205336

https://anond.hatelabo.jp/20230716093137

https://anond.hatelabo.jp/20230715212033

彼女非オタ)と語った君たちはどう生きるか感想戦

彼女「…全然からなかった笑」

ワイ「まぁ、ストーリーは分からなかったよね笑

でも、生きることへの肯定に満ちていたかな、って思うよ。

主人公はお母さんが戦争で死んだし、学校でも友達できないし新しいお母さんもなんだかって感じだったけど、

アオサギという友人や、人形になってでも守ってくれるばあややキリコさん、自分を助けようと刀を振るお父さん、自分でもわからない義理の母を助けたいという肯定的な気持ち、そして母が自分未来がわかっても自分を産むことで人生肯定できていた姿を観て母を殺す戦争があったりいろいろごちゃごちゃでペリカンが言うように地獄みたいな世界だけど、そんな世界でも自分は友を作り良い人生を送ろうと主人公が思えたのは素敵だなって思ったよ。

最後らへんは本当よくわからなかったけど、世界を変えるチャンスを得ながら、それより現実を受け入れる主人公も良かった気がする笑

なんとなくだけだ僕たちも喧嘩するし、世界も大変だけど、そんな中でもこれからもずっと一緒に良い人生を送れたらな、って思ったよ」

彼女「…はい

なんかこんな流れになって結婚することになりました

2023-07-16

君たちはどう生きるかで分からなかったこ

色々追記。下の世界アニメ世界、塔=ジブリ世界という解釈の前提。

ペリカンアニメーター?まだ世に出てないアニメ漫画原作者

であれば、ワラワラは上の世界で生まれる=現実世界キャラクター(のアイデア)が生まれるという事?

ペリカンワラワラアイデア)を運ぼう(盗もう)としたところ、ヒミによって焼かれたのは生まれそうになった=作品になりそうになったけど没になったキャラクター達?

ヒミは配給会社とか企画など制作委員立ち位置

魚はキャラに対する属性?魚が少ない=アニメキャラの新しい属性を見つけられない。食いつくしたという事?

死者は生きてるものを殺せない=アニメーターや原作者としての生を失った人?もう新しいアイデアを出せない人を表している?

キリコは設定=ワラワラアイデアを温めるような人?デザイナー

インコ原画マンアニメーター?

鍛冶屋ジブリ作品製作会社

主人公料理してを食べたい=降りてきたアイデア設定資料から物語を作りたい?キャラ設定の咀嚼という事?

塔の世界で産屋で子を産むこと=アニメのものが生まれる?アイデア物理的な物?=全てを総括したアニメフィルムワラワラが上の世界で生まれるのとはどう違う?

タブーはというのは宮崎駿仕事部屋に入るなという事?物理的な部屋じゃなくて脳内みたいな空間通路の石が怒っているもの宮崎駿が良く怒るから元ネタアイデア)を知られたくなくて怒ってる?

継母はアイデア元ネタ元ネタ設定資料ネタ帳スケッチブック的な物?ペン?なので産屋では紙が襲ってくる?

鍛冶屋に継母いたというくだりも昔宮崎駿が元アニメーターで、その身分だった頃からアイデアを練っていたことを示唆

子がいる人間を食べられないのは、子=上の世界で生まれもの既存アイデア=食べると盗作

インコの育て親(繁殖させた人物)=大おじ=駿だとしたら食べられないというより、食べるなと命令した?駿のアイデアパクるなという事?

インコの王は鈴木敏夫とよく言われてる。

裏切りではないか!=ファンたちへのメッセージジブリスタッフとしての別観点から意見

綺麗な積み木だけではファンから見放されて身を亡ぼすという事?

悪意が含まれてないとアニメ世界崩壊してしまう?

お守りのババアは何?

キリコ人形現実世界で本物になる=寝てるときに周りに会ったババア達のお守りも本物?

現実世界との記憶繋ぎ止めるもの現実世界記憶がなかったら真人が悪意を認めたとした大おじへの説得もできなくなる?

ババア達も忘れていただけで塔の中に入っていたことがある?

こんな理解力の低い観客の相手しなきゃならないなんて大変だなパヤオ

「君たちはどう生きるか」が完全に失敗作だった件

ここで書かれてる疑問はぜーんぶぜーんぶ「見てる側の理解力が低いから分からなかった」だよ。

ブコメじゃ説明しきれねえからこっちで書くわ。

目ん玉かっぽじってよーく見ろよ。

父親兵器工場

 →宮崎駿アニメーターとしてのルーツの一つとして兵器に対しての憧れがある。風立ちぬ見てるなら分かるよな?あーそもそも主人公宮崎駿メタファーであるって話をそもそもいちいちやらないと駄目なの?マジで

・いいとこの子

 →自分が掴んだ成功は単に天運に恵まれていただけの部分があるって話を、生まれつきの金持ちって設定で表現してる。

・森の中にあるお屋敷・離の洋館・塔

 →ジブリにおいて宮崎駿が置かれている立場メタファーだよ。なんか持ち上げられて隅っこに押し込められてますっていう。

主人公主体性/動機

 →ずーっと言ってるじゃん。「僕はマザコンから母さんを探してます。どっちの母さんもマザコンの心をくすぐって尊いので、僕はどっちも探してます」って。あそこまで露骨にやられて分からんのか?ジブリ主人公マザコンなわけないだろって勝手思い込みをしてない?まあこの辺はマザコンというのが「幼少期から刷り込まれた謎の憧れ→アニメーターとしての執念」みたいなメタファー構造であるんかも知れぬし、単にマジでパヤオマザコンロリコンなのかもだが。

・後妻による拒否

 →危ないからこっち来んな!でしかないのでは?一見拒絶に見えるものが実際には愛情だったという物語を描こうとした理由については深く掘り下げんよ流石に俺は。

・弓矢を作る話

 →長い時間を掛けてアニメーターとしての牙を研いできたって話だよ結局は。ナウシカの段階で40越えとるしな。

ヴィランの不在

 →インコこそがどう見ても悪役だろ。塔の中で勝手権力構造を作り出して、その塔の支配である宮崎駿に対して脅しをかけようとしてくる不届き者だよ。アレこそパヤオにとっての最大のヴィランであり、今まさに直面している最大の敵。老い後継者問題・内政に立ち向かうのが大叔父パート宮崎駿物語からな。

ババァ人形に触っても何も起きない

 →セオリーを守らなきゃ駄目だよってことに対して過剰に気にかけて縮こまるなって話なんじゃねえかな。愛情を持って丁寧に扱う分には触っても大丈夫。雑に扱って蹴っ飛ばすなら災いが起きてたかも知れないけどって話。自分経験としてそういうのがあるんだと思う。インコ共聞いてるか?ルール実態を捉えず形だけ守ることに固執するのが王国を守ることちゃうんやぞ?って話だよ。宮崎駿目線で見たら、インコ共はマジでこちゃんと聞いてないと感じてるんだと思う。ぶっちゃけこの映画の核の一つじゃねココ?見落とすなよ。

シナリオそのまますぎじゃね?誰も口出しできないの?

 →それがババアこけしインコの話につながるんすよ。その絶望がこの映画宮崎駿に作らせた。アオサギとの騙し合いみたいな協力関係けが物語を完成へと導くんだよ。インコ王国との対立構造じゃ塔は滅びに向かうばかりさ。って話がしたいんだろうな。だからなんだってんだよまともな映画見せろバーカバーカって気持ちはわかる。でもそれ言う前にもっとちゃんと見てやれよ。死にかけのジジイ遺言だぞ?

君たちはどう生きるか ネタばれあり・見たけど意味わからんかった人

追記

たくさん読んでくれて嬉しい。元は友人とのTwitterDMが下書きになっていて雑な文章から申し訳ない。なので以下、こちらの意図が伝わってないコメントに返す。

・この物語の各パーツ・キャラを現状のジブリメタファとする解釈はこの児童文学作品矮小化していると思う。あまり好きではない

→全く同意見で、書いた通り普段テクスト的に解釈するのが好きです。矮小化されてしまってるのもそうなので、これだけが「正解」だとは微塵も思ってないし書いた通り自信はない。今回は宮崎駿最後作品、って思いが自分に強すぎて作家周辺の解釈がまず出たのだと自己分析している。作品のもの解釈海燕さん他書いているのがよかった。

映画も見てないし原作も読んでないけど、なるほど(以下略)

→お前みたいなやつがいちばんダメ。観ろ。観ずになるほどすんな。


一般向けではないというけど、次世代へのバトン家族の話って極めて普遍的で、ジブリ宮崎駿のことを知らなくとも皆それぞれ自分物語を重ね合わせて見ることができる作品だと思うよ

→この辺りは宮崎駿自己言及普遍的テーマを重ねて両輪でやっている気はする。


・あの作品登場人物実在ジブリ周りの人物に置き換える読み方はわかるけど非常に下品だと思っているので、する人を否定はしないけど、それが正解だと言って押しつけたりする風潮にならなきゃいいなと思っている。

→おおむね同意見で、自分ホッテントリに上がったことが押し付け風潮の一助になるのは避けたい。作家論は作家論でしかないし、それは基本的に狭い解釈になってしまうから、「正解」ではない。ただ言葉遣いとして、この人が作家論を「下品」としているのは、なんというか令和だなぁと思った。


前半はまぁ、とりあえず置いておいた撒き餌みたいな稚拙解釈なので、「正解」ではありません。(一貫性形成願望をとりあえず満たしておくために書いた、と思って欲しい)

しろ、この作品は唯一解を求めたがることも含めた後知恵的な意味よりも、もっとプリミティブな意味を伝えようとする作品だと思います。だから自分感想本質は後半です。そこのところ言葉足らずだったみたい。



追記ここまで


初日に見に行って、いろいろ考えつつ見たが、たぶんほとんどの人が「意味わからん(けどジブリっぽくて面白い!)」ってなるやつだと思ったので、自分なりの考えを書いてみる。ちなみに全然自信はない(その理由最後に書く)


見た人の多くは、ラストにかけてのメインストリーラインがよくわかんねえとなると思うけど、同時に物語にいくつもの象徴比喩が込められていることも、なんとなく察すると思う。

個人的結論を先に書く。(自分普段テクスト論的に物語を読むのが好きなのだが、作家論としてこの作品が見えた。)

まず、内容で感じたのはセルフオマージュの多さ。「紅の豚」の死出飛行機葬列が海の船になったり、ハウルの泥の人形が殺生できない住人になったり。老人の描き方はジブリの各種キャラを思わせたり。

オマージュ元には特にトトロが印象に残るように思って、抜け道や森から出た暗がりの風とか、ワラワラとか、宮崎駿トトロ気に入ってたんやなと思わせた。まあワラワラ鈴木敏夫の入れ知恵な気もするし、観客へのサービスって感じかな。

そしてここから感じたのは、宮崎駿人生が細かく千切られ散りばめられてるということ。


ていうことで、物語の根幹と宮崎駿人生に準えてラストで明かされる物語の根幹をよんでみる。やっぱりラストについては大事だよな。

結論から書けば、空から降ってきた大岩宮崎駿の才能、ギフト宮崎駿は大叔父でありあの世界は宮崎駿によって作られた作品の集合でジブリのもの。その血を引く主人公宮崎吾朗や孫だと思われる。ただし、内面宮崎駿投影されていて二重のモデルがいる主人公になっている。駿はジブリを継いで欲しかったが、吾郎拒否した。ジブリは駿の引退宣言とともに崩壊して、皆それぞれの暮らしにもどった。端的に言えば、それら経緯への駿の内面告白、なんだと思う。つまりスタジオジブリ(と駿)のために作られた物語なんだと思っている。


昔。降って湧いた才能に取り込まれた駿は、作品世界から出なくなった(家庭を顧みなかったりしたんだろう)。そして世界創造に励み、海や森の美しいファンタジー世界と、ユーモラスで残酷な鳥に代表される多くの愛すべきキャラクターを生み出した。

時々挟まれた、大岩が怒ってるとか。あれは才能から来る作品へのこだわり、そこから発される憤怒なんだろうな。時々駿キレてたし。

ただ、老いてきた。積み木を重ねられなくなった。積み木を安定させることも苦労するようになった。だからこの世界ジブリ後継者を探して、館に主人公ら血族を引き寄せ始めた。(この辺りの傍迷惑さについての自覚が、人生を総括し始めた老境の駿らしい感じがする)

関係ないけど、インコの王は唯一宮崎駿に謁見できて最後世界ぶっ壊したし、たぶん鈴木敏夫なんだろうなと思う笑

そして物語ラスト吾郎ジブリを継ぐのを拒否し、焦ってしゃしゃり出た鈴木敏夫がぶっ壊してジブリ崩壊した。でもそれを受け入れて?(この表現は適切じゃないかも。ただ眺めて?)老兵は去る、ってことを、ラスト宮崎駿は表したかったのだと思う。

総じて、人生全体を眺めて、ある程度中立的感情も整理しながら、比喩的な物語人物に落とし込んだ。そして達人のアニメーションで、それが分からなくとも万人が楽しめる2時間にした。

主人公が、みずから頭を傷つけて、それを最後最後告白し、汚れているか自分は継げないとジブリ世襲拒否するシーン。

あれはなんかほんとに個人的事件が、駿や吾郎にあるんかなて感じもするけど。いずれにせよ、今まで子どもイノセントに描いた宮崎駿が、この主人公にはドロドロしたものを罪悪感と共に植え付けているのは、自身自分の子どもみたいな、客観的に見られないし理想化もできない存在としてマヒトを描いているんだと思う。そしてそれが「真の人」って名前なのが、正直な曝け出しなのかなって感じさせる。

でもここは、ちょっと未整理。

まあたぶんに一義的な狭苦しい解釈なんやけど、とりあえずここまでは言語化できた。


ただ、ここまでこうして書いた考察について、正直自信がないというか、こうして作品言語化されることを拒否している作品である、ということことを、作品を見ている最中からずっと感じてきていた。

個人的にはここから作品本質だと思っている。

子供のころからジブリ作品を見て、宮崎駿のひねくれた人物像も知ってるから、この作品は明らかに異質だとわかる。観客へのサービス配慮)が欠けている。

はっきり言って、一般向けではない。大衆子供映画を作ってきた宮崎駿ジブリは、今までこんな映画を作ったことがない。上記のような一応に意味の通る解釈自力でできる人間はとりあえずいいが、そういうことをしない人が圧倒的多数で、それが大衆なのだ。だから、今回のような、作品の展開の速さや密度抽象度の高い映画は、一般向けとは言えない。自分が見た初日夕方の回は平日なのにほぼ満員で、しかし上映終了後のほぼ全員がタヌキに化かされたような顔をみんなしていたぞ。(正直自分もそんな気持ちだったので笑えた)

しかし、ここでそれを鑑みても面白いのが、この作品の「面白さ」は皆が感じているらしいということだ。

そして、これと同時に、自分のような批評する目線映画を見る者は、それはそれで大衆客と別な側面で拒まれている気がした。何か見る者の賢しい批評を拒んでいるように感じた。

以下に、その理由を書く。自分感想としての本質はむしろこっちだ。言語化しづらいのだが、見た人にはなんとか伝わるように書くと

宮崎駿生理的表現がほんっとにうめぇな」

となる。

例えば、食事のほおばり方。たとえば、黙ってうつむく表情。たとえば、真人うそをつくときの顔。みんな圧倒的に生き物らしい。生命力を感じる。みんないびつで、あいくるしい。(カワンゴがお説教されたアレとは本当に真逆な、きわめて何か、生命に対する賛美を感じます

これらすべてが、芝居をしている。客に直接的な理解を与える。この人物感情や、物語における人物立ち位置(正しい方向かどうか)など。あらゆる情報を、言語での理解を超越して、身体的・ダイレクトに観客へ伝わる。

作劇のうまさや間の取り方、ちょっとした身のこなしや振る舞いの描き方。それらすべてがアニメーションなのに自然で、本当にほれぼれする。達人のアニメーションは今でも健在だし、それはスタジオポロックみたいなのにもマネできてない駿の達人技だと思う。

で、それらの生理的表現が今作で上げる最大の効果は「生理的感覚として、見る者に言語範囲外で意味を伝える」ことだと思う。

自分新海誠映画が昔から好きなのだが、新海誠が「星を追う子ども」でやりたがって、でも全然できなかったようなことを、中盤くらいまでで軽々と全部やり尽くして、更に塗り替えていったような印象が途中した。)

はっきり言って、中盤以降は物語テンポが速すぎて情報量も多すぎて、物語が何を表現しているのかまったくわからないし考える余裕もなく、何もかもを押し付けられていくだけのように感じるのだが、いち観客として言えば、作劇がうますぎてずっと楽しくて画面にずっと惹き寄せられたままで、一ミリの退屈もなく最後まで面白かった。作品が何を言いたいのか理解できねぇのにコレなのまじ意味わかんねぇ。ユーモア人物の芝居とテンポと心地よさとその他あらゆる作劇でずっと作品世界へ惹き寄せ続けるの、冷静に考えてすごすぎる。

理解として言えば、言語範囲外で生理的に伝わってこようとする情報が、最速で理解できる。だから理性で作品に好悪を判断つけたくても、生理的理解が先に面白さを伝えていて、判断を保留し、物語が表す「意味」が分からない気持ち悪さをいったんわきに置く(打ち消す、わけではないのもポイント

たまたま映画見る前に考えてたのが、美輪明宏のモロの演技や紅白ヨイトマケの唄なんだけど、あれもなんか、生理的に分からされる凄みがあるよな。あれと同質の、生理に訴えかけてくる理解が、この作品の全体にあった。

から意味深がセリフ物語上の「意味」として理解できなくても、なんとなくわかっちゃうわけ。ああ、「そういうふうに」感じてるんだなぁ、って。

自分が書いたものも含め、なんか色々考察とか出てくると思うんだけど、この作品に関して自分はもうそんなのに大した意味を感じていない。いや言葉説明することは俺も試みたと思うんだけど、そういった理解や「意味」は後からやってくるものであって、それより先にあるこの一次的な身体感触の強さが、現在進行する映画鑑賞の今、圧倒的な作品だった。肌感覚で腹の底から湧き上がる力強さは、言語理解拒否して圧倒する。そんなプリミティブさ。

プリミティブな、といえばものすごく情報量が少ないように感じられるかもしれないけれど、ただそこで言う「情報量」ってつまりキロバイト的な情報多寡しかなくて、生理的な質感や圧倒的な情報の圧が含まれてない。この作品はそういった生理的な質感や圧、すごみをもってして最後まで観客をエンターテインする作品だった。面白さが言語範囲外で生理的に伝わってこようとするんだよな。

「語り得ないことに関しては、沈黙せねばならない」という言葉があるけれど、宮崎駿言語で語りえないことを語れる。対して、自分たち観客は語れないが、しか生理的理解している。

自分最初考察意味を感じない、といったのは、考察の当たり外れよりも「こんな小賢しい考察なんぞしてんじゃねー」的なギルティ感覚がするからだ。賢しらぶってることが怒られそう。それこそ、宮崎駿に叱られるカワンゴみたいな、「意味」や思考の中だけに生きて現実に生きる生命を見ようとしていないと叱られている気が(これは完全に自分勝手感覚なのだが)する。強いて言えばそれが、本作のタイトルのごとく自分に突き付けられたお説教だったかもしれない。

一般には訳が分からなくてもいいし、読み解く材料も与えないし、理解されなくても面白くしなんか感覚的には伝わるでしょ?みたいな感じが、ただ壁を感じるし、見る人は選ぶと思う。ジブリ作品に壁を作ったことって今まであんまりないと思うんだけど、たぶん風立ちぬで少しやって、「あ、好きにやってもいいんだ」みたいなのを、それこそ庵野秀明エヴァから知ったんじゃねーかwみたいな気もしていて、そして老境にさしかかりジブリ崩壊を見ながら、いろいろなことを感じ考えながら職人芸ですべて盛り込んだのが今回の作品なんだと思った。だから一部の人批評感想特に老人の走馬灯とかボケたとかみたいなのには全く賛成できない。

2023-07-15

anond:20230714205336

増田同意できない部分が多々あるので私の解釈を書いた。

ちなみに「君たちはどう生きるか」の小説は未読、過去ジブリ金ローで流し見(ハウル・ぽにょ・風立ちは映画館で観た)、宮崎駿の生い立ちも知らんしインタビュー等全く見てない。

他の人の考察も見ていない。この考察が正しいかどうかは分からない。

意味をなさない設定の多さ

父親が(多分)軍用機のキャノピーを作る工場経営してて、主人公はいいとこの子、って設定、なにかに生かされた?

あ〜「風立ちぬ」っぽい!ってシーン以外、ストーリーに絡んでなくない?

主人公宮崎アニメを見て育ってきた(もしくはこれから見る)この映画の観客である我々だと思う。

なので主人公原風景や心内風景と我々が宮崎アニメで見覚えのある風景を重ねることで主人公=我々を強調する意味がある。

■謎展開

冒険活劇にしたいわりにはパートナーコロコロ変わる。

アオサギキリコ→ヒミ

そのたび

「ついてこい」「わかった。ついていく」で状況説明するもんだから主人公主体性isどこ?ってなる

アオサギ主人公が感じている自分の中の嫌いな部分。だから主人公出会ってすぐ敵対したし、主人公心理世界に誘った。

自分に誘われて冒険してるんだから主体的と言える。キリコもヒミも自分が作り出した像なので主体的と言えるのではなかろうか。


■伝わらない主人公動機

亡くなった母を探す・一緒に冒険する、の動機はわかるけど

最近会ったばかりの父の再婚相手しか距離感微妙)を救うために冒険しなくない?

助けるモチベーションを問われて、何度も「父が好きな人だ」って説明する羽目になってる。謎動機

→「父が好きな人」というのが正に動機説明していて、主人公自分の中にある夏子への複雑な気持ち対峙するために夏子を助けに行く。

複雑な自分の心境に触れることには痛みが伴うので禁忌となっている。


後妻も一度は主人公の助けを拒否するのに、

あれ、いつの間にか救われてる。じゃああの描写いらないじゃん。

→夏子は主人公を守るためにわざと厳しく接して追い出そうとしている。

厳しくされた事によって主人公は夏子を夏子母さんだと認められるようになり、心の禁忌領域が晴れて夏子も救われた。

そもそも後妻はなんで異世界子供産もうとしたのかも語られない。

異世界に来たくて来たわけじゃないって劇中で言ってた気がする(記憶曖昧)。呼ばれたんだと思う。


かにも「母親病院火事だと聞いて家を飛び出すも、一旦家に帰って着替えるシークエンス」「弓矢を作るシークエンス」など

映画演出のことは全く分からんが、着替えシーンによってリアリティ出すことで、その後火事の中に飛び込んでいく視界が歪んでるシーンの非現実感が増している気がする(小並感)。

アオサギ主人公自身であることから弓矢にも意味があると思われるがその辺はまだ言語化できてない。



ヴィランの不在

宮崎アニメの魅力はやっぱり悪役だと思うんですよ。カリオストロ伯爵しかり、ムスカしかり、カーチスしかり。

インコ大王は悪役ってほどもなかったし。アオサギ?彼は何がしたかったの?

アオサギ主人公自身なので主人公を心内世界に誘うし主人公の助けにもなるし主人公和解する。

インコ大王は後述するがよく分からない。


■作劇のセオリー無視

ばあやたちの人形に触るな、と釘を刺される主人公

物語セオリーとして、タブーは破られるので主人公は触る。

で、なにか代償が起きるかというと「なにも起きない」。えーーーーー!?じゃあなんで「触るな」って言ったの?

→これは根拠のない妄想だが、ばあや人形を触って倒れちゃうと、現実世界のばあやになんか悪影響でも出るんじゃないだろうか。知らんけど。



その他解釈できたこ

さっき主人公=我々と書いたが、大叔父宮崎駿を表していると思う。

彼はこれまでの自身監督作品を通して我々に「積み木」を伝えたかったようだ。

たぶん、「(ジブリ作品を通して)観客それぞれが自分にとって価値ある大事ものを見つけてそれを自分で組み立てろ。」と言いたいんだろう。

即ち「君たちはどう生きるか」と言っている。

よく分からなかったこ

インコは何を表しているのか。物語の力を信じないリアリストなのかな?とは思うが、禁忌を口実にヒミを使って何を取引しようとしていたかからない。なんか大叔父と会話してたかもしれんけど忘れた。

全く何の比喩なのか分からない。インコペリカンが分かってないということは映画の中の結構な部分が分かってないことになりそうだ。悲しい。

全く何なのか分からない。墓石は悪意なんだろうか。


  • 魚の配給を待ってる黒い影たち

からない

なんで焼けたかからない


まり

そんなこんなでまだ分かってないことが多い。記憶から抜け落ちてるとこもありそう。このあと他の人の考察読んで分かったことがあったら追記するかも。

追記

あと、話が結構星の王子さま」っぽいなと思った。

キリコババアのすがた)

キリコ(たたら場のすがた)

キリコババア人形のすがた)

2023-07-14

君たちはどう生きるか」が完全に失敗作だった件

初日に見たのでネタバレ感想

未見の人や面白かったって人に水差すのもアレなので増田で。

以下ネタバレ

吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」は未読なので、そこから引用があったらごめんなさい)

いやね、まったくダメってわけじゃないのよ?最終的には得意の異世界冒険活劇に着地させるし。そこは熟練の技。

ただ、セルフオマージュをしたいがための意味不明な設定や展開が多すぎて、全然ストーリーに乗れないの。

意味をなさない設定の多さ

父親が(多分)軍用機のキャノピーを作る工場経営してて、主人公はいいとこの子、って設定、なにかに生かされた?

あ〜「風立ちぬ」っぽい!ってシーン以外、ストーリーに絡んでなくない?

主人公が引っ越す旧家も延々歩く描写があるわりに、結局主人公が暮らすのは離れの洋館だし、舞台はほぼ塔の建物異世界

結果、和の旧家はばあやがたくさんいる、という描写のためだけにでてきた形。

■謎展開

冒険活劇にしたいわりにはパートナーコロコロ変わる。

アオサギキリコ→ヒミ

そのたび

「ついてこい」「わかった。ついていく」で状況説明するもんだから主人公主体性isどこ?ってなる

この辺もうちょっと整理できたんじゃないか・・・

■伝わらない主人公動機

亡くなった母を探す・一緒に冒険する、の動機はわかるけど

最近会ったばかりの父の再婚相手しか距離感微妙)を救うために冒険しなくない?

助けるモチベーションを問われて、何度も「父が好きな人だ」って説明する羽目になってる。謎動機

父も別に魅力的な人物に描かれてないので、謎は深まるばかり。

後妻も一度は主人公の助けを拒否するのに、

あれ、いつの間にか救われてる。じゃああの描写いらないじゃん。

そもそも後妻はなんで異世界子供産もうとしたのかも語られない。

かにも「母親病院火事だと聞いて家を飛び出すも、一旦家に帰って着替えるシークエンス」「弓矢を作るシークエンス」など

無駄なシーンが多い。その時間主人公動機もっと作ってあげればいいのに。

ヴィランの不在

宮崎アニメの魅力はやっぱり悪役だと思うんですよ。カリオストロ伯爵しかり、ムスカしかり、カーチスしかり。

インコ大王は悪役ってほどもなかったし。アオサギ?彼は何がしたかったの?

■作劇のセオリー無視

ばあやたちの人形に触るな、と釘を刺される主人公

物語セオリーとして、タブーは破られるので主人公は触る。

で、なにか代償が起きるかというと「なにも起きない」。えーーーーー!?じゃあなんで「触るな」って言ったの?

にも関わらず「産屋に入ったのが禁忌だった」ってまさか後出しタブー!聞いたことねえよそんな作劇!

結論

「塔状の建物を上に逃げる悪役を追う展開はカリオストロ!」「森のトンネルトトロ!」「崩壊シーンはラピュタ!」「幻の船団は紅の豚!」

みたいな楽しみ方はできるけど、それだけなんだよなあ。

まるでシナリオ第1稿をそのまま映像化してしまったような、すごくもったいない作品

改稿でいくらでも面白くなったはずなのに。

宮崎御大脚本に誰も口を出せなかったのか、

出したけど聞き入れなかったのかは分からないが、

これが宮崎駿の遺作になるとしたら残念でならない。

こどもつかい」とTOBEとジャニーの性加害

こどもつかい」という映画がある。

監督は「呪怨」の清水崇、主演は滝沢秀明

監督を見ればわかるとおり、ホラー映画に分類される。


アマゾンプライム検索すると星2.5で一般の評判はよくないようだが、清水監督の猥雑さがうまく活かされる設定で個人的には面白かった。

さまざまな話が出て来た現在、なんだかやけにこの映画を思い出してしまうのである

「何故この設定にした?」とツッコみたくなるので、ご紹介したい。



以下、映画の核心部分のネタバレを含みます

ちょっと間を空けるので、見たくない人はここで離脱して下さい。



















さて、まずはあらすじをざっくり紹介しよう。









東京近郊で不審死事件連続して起きている。


種を明かすと、死んだ大人たちはみな子ども虐待していた。

大人に虐げられた子どもたちの霊が結託して、虐待者に復讐していたのだ。

心霊版「必殺仕事人」と言えなくもない。

からこの時点で、怖いというよりちょっとスカッとする。


しかホラーなので、話は「必殺仕事人」では終わらないのである

新聞記者恋人は、親から愛されなかったトラウマを持っていた。彼女は心の奥で子どもを恐れ、まっすぐ向かい合うことができない。

その結果、心ならずも、ある子どもに「裏切られた」という想いを抱かせてしまう。

の子は謎の男「こどもつかい」にさらわれ、彼女子どもたちの霊に付け狙われるようになる。

新聞記者恋人は、子どもたちの霊とたたかいながら子どもを取り返そうと追ううちに、思いがけない事実を明らかにする。

子どもたちの霊は、「こどもつかい」を中心に集まっていた。

彼を演じているのが滝沢秀明で、私はそのファンではないが、長年舞台をやってきただけあって身のこなしがなかなかいい。

こどもつかいは、ちょうどハーメルンの笛吹き男のような奇妙な男だ。

調べていくと、かつて火事で消えたサーカスと、そこにいた腹話術トミー存在が浮かび上がってくる。


トミーサーカス花形腹話術師だった。

優しくて紳士

多くの子どもに愛されていた。

しかサーカスに何者かが火を放った際、逃げ遅れた子どもたちを救おうとして死んだという。

ここでまた一気に種明かしをすると、人気者として語り継がれていたトミーは、よい人ではなかった。

そして、「こどもつかい」の正体は、トミー腹話術人形が魂を持ったものだった。

トミーは、サーカスに集まってきた子どもたちを誘拐し、自分人形としておもちゃにしていた(性的虐待を加えていたのではないかと思われるふしもある)。

火事の際も、子どもを見捨てて自分だけ逃げようとしたりしている。


腹話術人形は、トミーにかわいがられ、トミーを愛していた。だからこそ魂を持った。

しか人形には、トミー蛮行を許せなかった。

大好きな子どもたちに、大好きなトミーがおこなうおぞましい行為

それをとめようとして、動けるようになった。

そして、子どもたちの霊を率いて、子どもを苦しめる大人たちを抹殺する「こどもつかい」になったのだった。


こどもつかいをどうすれば撃退できるのか。

恋人は助かるのか。

さらわれたこどもは取り返せるのか。

ホラーおとぎ話」というような雰囲気映画である

なかなか面白いので、よかったらぜひ見てほしい。


さて、ジャニー喜多川氏の性加害への告発が続いている。

軌を一にするように、ジャニー氏の後継者と言われる滝沢秀明が、あたらしい事務所TOBEを立ち上げた。

その動きを見ていると、「こどもつかい」を思い出すのである

滝沢秀明ジャニーの性加害を知っていただろう。

大好きな親のような存在が、実は子どもにおぞましい性的加害を加えていた。

こどもつかい」の設定と重なる。

トミーという名もなにやら意味ありげだ。

清水崇は何故こんな設定にしたのだろう。

こうなると、もともと「ホラー映画」というジャンルだが、また別の意味ホラー感を感じてしまう。

TOBEを率いる滝沢秀明は、迷える子どもを集める「こどもつかい」にならんとしているのだろうか。

ホラーおとぎ話、「こどもつかい」。

今、また新しい目で見ることができる映画である

よかったらぜひ。

2023-07-13

女が男を叩く理由

子供の頃から女の子からと甘やかされて

父に食わせてもらって生活してる母を見て育ち

一人前だとか独り立ちだとかを意識せぬまま大人になり

憧れる対象は、キャバ嬢お嬢様といった、自分の力で成功をつかみ取る努力はせずに

金持ちイケメンに言い寄られて楽して幸せなるみたいな男の金でキラキラ着飾ったバービー人形みたいなやつばっかり

実際女の憧れって金がないと成立しない。美しいルックス、お洒落な服、おいしいご飯、ゴージャスな旅行

そして若くしてお金を手に入れるには、若さを使って男の金を引っ張ってくるしかない


男は真逆。男だからとひっぱたかれて育ち、独り立ちだ一人前だと家を出ること前提に育てられ

スポーツ選手とか、もっと育つと若手実業家とか、これまた自分努力と才覚で成功をつかみ取る人が憧れの対象

親が金持ちで~とか、逆玉の輿で~とか、他人の金で成功してるやつは憧れの対象にならない


そんなんだから自分がうまくいかないのは自分問題があるのかも?って考えにそもそも至らないんだよ

かに幸せにしてもらう。ってのが基本思考の生き物だから

結婚したらその「誰か」はもう夫に決まったわけだ

から自分に不満がでたとき、それは誰のせいだ?となると夫のせいなんだ

ネット井戸端喫茶店で夫の悪口同類を言い合って笑っている、それが女


そして「誰か」がいないヤツ、あるいは「誰か」選びに失敗して男からも嫌われてる様なクズに苦しめられて

八つ当たり対象を探しているヤツ

そういうヤツが、フェミニストになり、反撃してこなさそうな弱者男性オタクを叩くのであった

2023-07-12

うなぎ食べない派の人は実質「うなぎヴィーガン」な気がする。

絶滅危惧してうなぎを食べない(あるいは絶滅配慮して流通されたうなぎしか食べない)主義って「環境保護観点動機うなぎ限定の禁肉食主義」と言ってしまうことも出来るのに。

うなぎ食べない派の人がある程度存在するのにヴィーガニズム否定される傾向にあるのはちょっと不思議な気もする。

そこまでヴィーガニズムに強い拒絶が示されることはないだろうに、と思う。

結果的にやってることは似ているんだけどな。

解決を試みるために手元にあるアヒルちゃん人形対話してみよう。

そもそもうなぎ主義でありながらヴィーガニズム嫌悪感を示している人って実在するの?」

「それはわからない。いないかもしれない。とりあえずここではいるという前提で進めよう。」

あなたはその人に『禁うなぎ主義賛同しているのならヴィーガニズムにも一定の理解があってもいいだろうに』と問いたいんでしょう?」

「実際そうだね。」

「うーん、改めて考えてみたけど禁うなぎ主義賛同していてもヴィーガニズム賛同するとは限らない……かな。禁うなぎ主義あくま人間中心主義的な考えだけど、ヴィーガニズム人間中心主義対立する考え方だから。」

人間中心主義的ってなんだっけ、うろ覚えで言ってるけど」

Wikipediaから引用だけど人間中心主義ってのは『自然環境人間によって利用されるために存在するという信念』だってさ。禁うなぎ主義者はあくま人間に利用される資源保護というのを目的としているんだろうね。その一方でヴィーガニズムは——ヴィーガニズムにもいろんな派閥があるけれど——動物権利大事にする考えだよね。」

「『ヴィーガン』という呼称にはどうしても動物権利大事にしていますというニュアンスが含まれてくるってことか。でも動物権利とかそういう話ではなく、環境破壊問題意識を持ったヴィーガンってのがいるんじゃない?そのいろんな派閥の中にはさ。そのヴィーガンとなら禁うなぎ主義は合流できる気がするんだけど。」

「たしかに実際にヴィーガンを名乗る人の中にはそういう問題意識を持った人もいるかもしれないけど……。」

「まあやっぱり合流は無理かもな。少し前に炎上狙いTwitterアカウントトランスヴィーガン自称しながら肉を食べてたじゃん。確かにあの釣りツイートは見るに堪えないものだったけどヴィーガン馬鹿にしていい風潮があるからこそ釣られる人が一定数いた気がする。話はそれるけど個人的にはヴィーガンがたまに肉食べてもいいじゃんって思うけどね。0か100ではなく出来る範囲活動するのだって意義はあるし。」

「確かに『私は禁うなぎ主義だけどヴィーガンと一緒にしないでほしい』みたいな反発はありえるかもね。」

こんなところかな。

「別の観点も考えてみよう。『ヴィーガン主義押し付けをしてくるから嫌い。私はうなぎを食べないけれど、それを誰かに押し付けることはしない。』という意見はどうかな?」

「いろんな反論が考えられるけど『むしろうなぎ主義を他の誰かに啓蒙(=考えの押し付け)しようとしないのは何故?』ってのはどう?」

「それは他人の行動、食生活ケチつけるのはよくないことだから……みたいな返事をしておこう。」

みたいな話も気になるけどまた後で考えてみるか。

2023-07-09

アイドル売り』は問題ないよね

別に恋愛しないと約束します」なんて宣言してないでしょ。なのに勝手恋愛しないだろうと決めつけてた上でガチ恋して、一方的に想いを募らせる。で、いざ女性恋人ができた・いたと発覚したら…

「裏切られた!」「アイドル売りなんてしなけりゃいいのに」

——…なぜアイドル売りしたらいけないんだろ?

約束して裏切られたって話じゃないやん。約束は、あなた達の脳内しか存在しないやん。アイドル売りしてたら、どうして女性恋愛自由制限できる・していいと思えるのか… さっぱり分からない。現実に生きる女性彼女意思無視して人形のように遊べるモノと化すのって、典型的ミソジニーだよ。

2023-07-08

anond:20230708203038

同じ理由彼女ぬいぐるみ片手に1人でデートと称した人形遊びに入れ込んで俺とデートする時間を減らすようになったからツイステとかいコンテンツが大嫌いになったわwww

早くサ終して欲しい

anond:20230708201507

その3D人形ポーズ決めるの人間やん

そこもAIがやってくれないと、ただ絵が描くところしか省略で来てないので意味ないやん

anond:20230708195513

あとさ

3D人形なぞったりできるやん

あれ配置してネーム状態にして

エーアイでキャラ変換するだけで確実に漫画になるよな

これから漫画マジで絵の才能はいらんよな

俺なりの

オンライン会議に入室した途端、ミュートし忘れたBBA

『〇〇ちゃん男みたいwwwwww』

と笑われた。

気を遣ったのか

ただ会議が始まる時間だったからなのか。

ホスト強制的ミュートし忘れBBAミューBBAにし、

いつも通り会議が始まった。

ミューBBAはそれでも画面の奥でケラケラ笑っていた。

無邪気な笑顔で。

20代前半の無個性女がある日突然イジリー岡田一歩手前の髪型になってたらウケるよな、そりゃ。

でも私イジリー岡田になりたくてなったんじゃないんだよ。

美容室で失敗されたわけでもないんだよ。

自分でハサミ入れて自分で失敗したんだよ。

喚いても泣いても時間金も髪も返ってこないんだよ。

20年前からそういう病気なんだ私は。

家にあるリカちゃん人形の全て髪型コシノジュンコヘアーに変身させ

母を絶句させたあの日からずっとそうなんだ。

母は美容師だった。

子供の頃は黙っているだけでそれなりのセンスでそれなりの髪にしてくた。

常連の客も学校友達毎日可愛い可愛いと褒めてくれた。

私は何もせずとも比較的おしゃれな子だった。

でもどこかで自分センスを試したいという気持ちがあったのだろうか。

前述のリカちゃん人形に加え、紐状のカーテン運動会などで使うセロファンで作ったポンポン

マフラーの先っちょいっぱいでてるアレ。

私にとっては全てが髪に見えた。

そして次の瞬間にはハサミを入れているのだ。

能動的にハサミを入れ始めるようになってから徐々に気づくのだが

私には全くセンスが無かった。

思い切りが良すぎる。大胆すぎる。雑。粗い。下手。

なんでこんなことしたの?もったいないよー!

母の呆れ声、友達困惑の表情、

床に散らばった残骸。その全てに後悔した。

だって全部不細工

残骸は何度掃除してもなかなか消えないし。

日経ってもひょっこり顔を出し、2度と戻らないものを思い出させる。

どうして上手にできないんだろう。

徐々に大人になるにつれ現実と向き合い、

あきらめを知った私は

大好きだったハサミを封印した。




はずだった。

20年後封印したはずの刃先は

一見成人して自立したかように見える私に向いていた。

どうして上手に勉強できないの?

どうして上手に仲直りできないの?

どうして上手に営業できないの?

どうしてどうしてどうして。

鏡の前にいるのが自分じゃないように見えた。

この頭からぶら下がってる長い何かを切れば本当の私が出てくるんじゃないのか。

本当の私ならきっとなんでも上手くやれる方法を知っている。

きっと幸せになれる。

きっと神になれる。

(髪だけに)

(は?)

この時が私の私による初めての断髪。

泣きながら母に電話した。

ありがたいことに母は結構遠くに住む私の元にすぐに飛んできてくれて

応急処置をしてくれてなんとか“外には出れる“状態にはしてくれた。

これと同じようなことが1年間で3回も起こって、

ロングヘアーがあっという間に現在ベリーイジリーショートまでなった。

いやごめん、今ググったけど岡田さんの方が全然かっこいいよ。

私こんなに綺麗じゃないし面白くもないし

イジリー以下だよ、以下。

母はこの20余年間で私がひどく衝動的で傷つきやす性格であることを

ハサミ入れたがる問題の他にも起こった数々の事件を通して

流石に熟知してくれていて、

今回応急処置の時に「大丈夫だよ、個性的にはなったけど、変じゃないよ」と言ってくれた。

でもさすがに今回ばかしはダメだったのでは。

だってイジリー以下だよ。救えなくない?

次の日が来るのが怖くてその日は一睡もできなかった。

みんななんて言うの、なんて思うの。

母のセンス大人になっても信じていいの。

全く姿を現しそうにない眠気を見つめていても無駄だと思ったので、

かに重くのしかかる疲労を押し除け、とりあえず朝ごはんをなんか食って

机に座ってPCを起動した。


オンライン会議に入室した途端、ミュートし忘れたBBA

『〇〇ちゃん男みたいwwwwww』

と笑われた。

気を遣ったのか

ただ会議が始まる時間だったからなのか。

ホスト強制的ミュートし忘れBBAミューBBAにし、

いつも通り会議が始まった。

ミューBBAはそれでも画面の奥でケラケラ笑っていた。

無邪気な笑顔で。

私はちょっと苦笑いをして、涙を数滴落とした。

私正直ミューBBAのこと好きで、

率直で裏表のないその人柄が信頼できると思った。

今回の発言別にわざととかじゃなくて

本当にミュート忘れてたところに思わずこぼれちゃったんだと思う。

そんなことわざとするような人じゃない。

きっと私が数時間でも寝ていれば泣いたりはしなかったかもしれない。

笑い飛ばしてたと思う。

からその場にいた数名から心配や『似合ってるよ♪』等お世辞のLINEが来て

少し元気が出た。大丈夫になった気がする。

優しさってそれぞれだな。

ミューBBAのように素直に笑い飛ばしてくれる方が時には優しさになるし

他のみんなのようにその場では一旦スルーして後からケアしてくれるのも優しさ出し

人の数だけ優しさがあるんだよね。

仕事は大変だけどこの会社の良いところだな、そう思えた。

私はどんな優しさを持ってるんだろう。

しかしたらどんな“上手さ“よりも役に立つものだったりして。







それはそれとして給料低いのと上司バカなのとこれから在宅なくなるって聞いて色々だるいんで退職しますー。

お世話になりやした〜。ペッ

いや広告サイドもあるしやらないとまずいのわかってた。。。

けどそれも含めて絶対に思い通りにしてやるみたいな

まーた操られ人形かみたいなお気持ち支配されたんで

死にます

広告サイドそれ関係ないんで

2023-07-06

絵師実在人物で裸の絵を描いてもらってる

写真見せたらやってもらえなくなるんで

人形を描いてな。依頼するんだ

写真の透明度いじって

から頭の丸、手、足と軸になる棒をつけて

イラストにしてもらうわけだ。肉付けはリアルに近い方がいいです!ってお願いすれば似たようなのが出来上がる。

これがいいのよね

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん