はてなキーワード: 一言とは
それは確かにある。盛山直太朗発言だって読者も本人もなんとなーくわかってるのに第三者が事件にしてキャンセルカルチャー発動、みたいな自体は確かに近年おこりがちである。
私はコーネリアスのファンである。小山田圭吾本人には特別な関心は寄せてはいないが、ライブには多分3回ぐらいは行ったかもしれない。日本人ミュージシャンとしてはかなり好きな方だと思う。いじめの件は知っていた。ロッキンオンジャパン?のインタビュー記事は家を探せばまだ何処かにあるかもしれない。クイックジャパンを含め他の記事は読んでなかったので、障碍者にもひどいことをしていたのは知らなかった。
2人組になってからのフリッパーズは「態度の悪い生意気でお洒落な悪ガキ」路線で売っており、インタビュワーを小馬鹿にして煙に巻いたり、露悪的な事を言ったり、そういう記事が元々多かった。フリッパーズが解散して、小沢健二が「オザケン」になって冷笑的な態度を引っ込めブレイクしていた時、小山田圭吾が小沢健二について「レコードラックの中身がずいぶん変わっちゃったんだなと思った」みたいなコメントをしていたのを覚えている。多分あのコーネリアスのインタビューはその頃の記事じゃないかなと思う。
ファンとしては小山田圭吾の権威主義みたいなものが深まっていくのを危ういなぁと少し思っていた。YMO近辺やオノヨーコにかわいがられるようになり、海外の有名ミュージシャンとコラボし、その後NHKにも関わり始めた影で、いじめの記事はずっとネットでくすぶり続けていた。ミュージシャンとして大物になって、だんだん表舞台に近づいて行った。今になってみると某歌舞伎役者みたいな執念を若干感じる。親を絶対に超えてやるみたいな恩讐のような拘りのような感触。成功したミュージシャンだというだけではなくて、もっと大っぴらに社会的な成功っぽい何か。
とにかく表に出れば絶対に非難されるのは目に見えていた。オリパラの仕事は受けるべきじゃなかったし、非難されるのも、辞任も当然だと思う。多分ずっと心の中で後悔していたのは嘘じゃないんだろうと思うけど、謝るきっかけも無く(謝るとしたら相手に謝るべきだし、それを世間に公表するのもなんだか変な話ではある)、いつかみんな忘れてくれるんじゃないかという期待と甘さもあったんだろう。弱い人間だと思うが、いじめなんてするやつは大体そんなもんだ。
ひとつ引っかかっていることがあるとすれば、記事を書いたインタビュワーが完全に他人事なことだ。小山田氏の謝罪文でも少し触れられているが、恐らくあのいじめの記事内容には相当フカしが入ってるんじゃないだろうか。「完全な嘘でなければ真」だと都合よく解釈して、とにかく面白おかしく針小棒大に書くのが商業メディアだ。20年以上前となれば今以上だ。(ちなみにWEBメディアは経験上完全に嘘の場合もある。)よく知らないけど、今でも日本の音楽メディアってあの雑誌界隈一強なんじゃないのかな。今インタビューで実際に語ったことと記事の内容の差異を明確にすることは、今後の仕事の事を考えると小山田氏側からは出来ないだろう。もちろんそれも保身ではある。でもメディア側ががそれを良いことにさらっと済まそうとしてるような気がして、あんまりいい感じはしない。元々あんまり好きじゃない雑誌だけど。
わざわざこんな駄文を書いたのは、いじめへの義憤にかられた人がずいぶん世の中には沢山いるんだなと思ったから。小山田氏に言いたいこと言って(家族とか周辺を叩いている人は暇なのか?)、一息ついたら、学校や会社や家庭で自分の嫌いな人、苦手な人、いじめにあってる人、いじめている人に目を向けて欲しい。その場で起こっていることに立ち上がって抗議をしろとは言わない。後で一言こっそりメールでフォローを入れるとか、全然関係ない天気の話やテレビの話振るとか、飴ちゃんあげるとか、なんでもいいから小さいアクションをして欲しい。いじめてるやつもいじめられてるやつも結局あんまり大差はない。(小山田氏も今まで他人をいじめた分と同じかそれ以上の思いを今は味わってることだろう)あとあなたが誰かの事を「使えねー奴」「空気読めない奴」「うざい奴」だと思ってるその感じ、傍から見るといじめっぽくなってることが多々ある。気を付けて欲しい。せっかくいじめが良くないという機運が世の中で高まったんだったら、少しでもいじめを減らす方に世の中変わって欲しい。そうでなければ小山田氏も救われまい。言いたいのはそれだけです。
はてブのコメントが大幅に仕様変更されて不評らしいけど、これって、かつて行われた「歌舞伎町浄化作戦」みたいなものだよね
ぶっちゃけ今のはてブって「5ちゃんねる@はてブ板」ってくらい閉鎖的で偏った傾向の人達のたまり場になってしまっていて、それでも板の中に籠もってよろしくやってるのならともかく、外部サイトだろうが無差別に一言書き捨てていくのが当たり前の文化だから外部からはすこぶる評判が悪い
しかも活発に書き込んで上位にランクされる人ほど、ブックマークされた側にとって不愉快なコメントが多い
一番の解決方法ははてなブックマークそのものをサービス停止する事なんだろうけど、さすがにそれはできないからコメント評価のアルゴリズムそのものを変えてしまう戦略をとったんだろう
この件で文句たらたら言ってる人達、運営から「Not For You(あなたのために提供しているサービスではない)」と暗に言われてる事に気付いた方がいい
本当に理解ができないから似たような親や人格持ってる人にどういう気持や心なのか教えてほしい。
それとも何かの精神障害?
幼児のイヤイヤ期みたいな状態でとにかく嫌だ、それはやらない、みたいなコミュニケーションしか取れない。
この前とか無線に繋がらないからっていうんで、まずLANケーブル買ってきて繋げたら?って返した。
スマホにLANケーブルの商品URLを送信して教えたのに1週間たってもまだ買ってない。
ネットに繋がらないから不便だ、助けてくれって自分から助言を求めてきた俺の話は聞く気ゼロ。
電化製品だから店にいって店員に見せて売り場連れて行ってもらって買えばいいから、といって
実際に店に行ったら「何メートルか分からないから買わなかった」って。
これアルツハイマー病の初期症状と思ったほうがいいのかな。
まともな判断力してたらとりあえず何メートルでもいいから短いのを買って違ったらレシートもって返品でいいだろ。
もう訳がわからないし恐ろしいとさえ思う。
元々更年期障害の時期でもヒステリーの激しかった母親で、子供の言うこと絶対聞かないタイプだった。
今じゃ地の性格なのか、初期症状なのか高齢のせいで分からない。
医者に診断に行かせたいが、絶対そういうこと言っても人の話聞かないタイプだから調べようも無い。
赤信号も今でも平気で渡ろうとする。
何言っても駄目なんだな。
何言っても悪口に聞こえるようでそのまま頑なに人の話聞かなくなる。
団塊ジュニア世代って父親もそうだけど、他人と妥協点探したり相談したりする能力が無いのか?
でも今まで社会にそういう訳がわからない年配はあまり見たことないんだけど。
それともうちの両親だけ人の話を聞かずに自分で勝手に決める性格なのか?
時代なのか本人たちの個性なのか分からないけど、意味の分からない協調性の無さが異質なものとしてストレスをものすごく与えてくる。
亡くなるまでこのままなのかなと思って諦めて放置したいけど、困ってるなら助けてあげたいとも思う。
でも何言ってもやろうとしない、うん、とかんたんな一言さえ言えない。
それが凄まじいストレスを与えてくる。
自分の中では永遠に一番えらいのは自分だと思ってるフシがある。
いい加減卒業してほしい。
平和な関係を築けるようになりたいのに悪意なくこういう事をしてくるし、
丁寧に「そういうのやめろ」と言っても絶対に納得しない。
品川にある高級ホテルのラウンジ。平日で、彼ら以外に客はほぼいない。
記者「……で、その催眠術で5人の女子中学生を次々に性奴隷にし、歪んだ願望の従うまま、彼女たちの身体を弄んだわけですね」
男「ええ、まぁ、そういうことですね」
記者「で、その彼女たちはいま50歳前後となり、今はお孫さんが合計で15名おられる、と」
記者「それは、おめでとうございます……と、言っていいものか……」
男「……」
記者「しかし、いくらあなたが催眠術を使って他者の常識改変を行えたとしても、現在までそれが社会に露見しなかったのは驚くべきことだ。実際、5名の女性と同居しているだけで世間は放っておかないはずです」
男「そうですね。それについては……人生の全てを、かけてきました」
男「はい。彼女たちの家族はもちろん、学校の同級生、近所の住人、就職先の同僚……妻たちが関わりを持つあらゆる人々に、時間をかけて片っ端から催眠術をかけていきました。妻たちには何不自由なく社会活動を続けさせ、生活にほころびが出そうになったら催眠術を駆使し、現状を維持させてきました」
記者「それはさぞかし、苦労もあったでしょうね」
男「ええ……数え切れないほどの人の常識改変を行なったせいで、思いもよらぬことが山ほど起こりました。私以外にも女性を性奴隷化しようとする男が何人も現れてしまい、それを取り締まらせるためにいちど常識改変した警察にまた一人一人、再書き換えを行ったり……」
記者「なんと……」
男「孫が生まれてからはもうほとんど収集がつかなくなって、この街全体が無法地帯化しかけました。なんども諦めて自殺しようかと考えましたが、ある時思いついて、テレビの街頭中継に映り込んで一気に数百万人の常識改変を行うことで、なんとか事態を収束させました」
記者「そんなことが……」
男「今でも副作用で、セクシーランジェリーが私服として一般化してしまう地域ができたり、主語がすべて『ご主人たま』になってしまう地方が発生したりしています。……もう、致命的な影響がない限り、収束は諦めています」
記者「なんと……」
男「この副作用的な歪みは、年々大きくなってきています。私の体が持つまではなんとか国の破滅を招くようなことが起きないよう努力するつもりですが、おそらく私が死んだ後……取り返しのつかない事態が起こるでしょう」
記者「……」
男「私は、怖いんです」
記者「……怖い、ですか?」
男「私が死んだ後、催眠術が行き届かなくなった子孫たちが、私がやってきたことに気づくでしょう。おそらくはひどく苦しむはずだ。自分の血を呪うかもしれない」
記者「……」
男「その日が、恐ろしいんです。私はおそらく極悪人として歴史にその名を刻む。愛してきた人たちから蔑まれる。蛇蝎のごとく……いや、それ以上に汚らわしいものとして」
記者「……」
男「だいいち、私はちっとも幸せじゃなかった。私の妻たちは私が言えと命じたことしか言わない。彼女たちの本心はもう消滅してしまった。私は誰からも真に愛されてこなかった……これを因果応報とかカルマというのかもしれない」
記者「……」
男「私は誰かに、それを聞いてほしかった。だから今日、あなたに全てを話そうと思ってお呼びしたんです」
男「話せて、なんだかすっきりしました。なんだか、憑き物が落ちたとでもいうのかな、体まで軽くなった気がする」
男「……?」
記者「あなたは、今日、この罪を告白された。罪を償う覚悟を決めたあなたを、僕は尊敬します……!僕と一緒に、これまでの行いを世界に発信して、贖罪をしましょう!」
男「……」
記者「いま、この時が、一番楽になれる瞬間です。ここでケジメをつけなかったら、もっと悲惨な未来が待っている」
男「あ……」
記者「それが、大きな影響力を持ってしまったあなたの責任です。さあ、一緒に警察に――」
男「あ、ちょっと! ……なんだか君。なにか……勘違いしてないか?」
記者「……?」
男「そんなことくらい君に言われなくたってわかってるんだよ。わかりきってる。そのことについて、何十年考え続けて来たと思ってんだ?」
男「は? 俺は話を聞いて欲しいと言ったが、贖罪をするなんて一言も言ってないだろうが!」
男「お前も、気取って歯の浮くような綺麗事ばっかりぬかすなよ? ああ、気分が悪い……」
男「止めようとしたって無駄だ。すでに君には予備催眠をかけている。指を鳴らせば今日のことは綺麗さっぱり忘れる。まるでバッサリ編集したビデオのように、意識が途切れて君は、気がつけば明日の朝、自宅のベッドで清々しく目覚めているよ」
記者「!!」
男「どこかに録音機を仕込んでいても無駄だ。それを聞き直せばすぐに消去したくなる。あらゆる可能性は潰させてもらってるよ」
記者「……」
男「まったく。私の話を真剣に聞きたがる物好きが珍しく現れたと思ったら、ズケズケともの申してくる空気の読めない正義漢だったとは……ああ、気分が悪い。」
記者「……私の母は……」
男「?」
記者「私の母は、NTR好きの父のせいで、屈強な男たちにリビングで毎日、輪姦されていました。」
男「……!」
記者「毎日、潮を吹き出しながら、絶叫して男根を求めていた……ありとあらゆる体位で、ありとあらゆる性具で、徹底的なまでに凌辱されていました」
男「……」
記者「私は幼い頃から、それが当たり前だと思っていた。母親とはありとあらゆる男と野獣のように性交を繰り返すものなのだと。しかし、それが異常な日常であると知ってから私は……私、は……」
男「……」
記者「私は……私のような悲惨な子供をもうこれ以上……増やしたく……ないんです……!」
男「……」
[B! 創作] 『ルックバック』で並行世界とか言ってるのはアホです - esbee's diary
これを読んだ僕は
「うわーやべー!キチガイだ!念の為ブコメを確認してキチガイだったら非表示にしなきゃ!」
と慌てて彼のブコメページへと飛んだ。
書きました。タイトルの通りです。『ルックバック』で安易に「並行世界」とか言ってる人はあほなので、無視しましょう/さっそくあほが見つかったな…… 藤本タツキ 創作 マンガ sf セルクマ
おお……自慢気にセルクマ。そして「俺と違う意見のやつはアホ」を釣りではなく本気でいっている証拠の追記まで……。
ショッキングだ。
esbee 2021/07/19
チェンソーマンアニメ発表会の質疑応答で、「タツキは絶対ニートになるからどうするか」を家族が話し合っていて凹んだというエピソードを思い出してフフっとなった マンガ 人生 創作
これだけで性格と頭の悪さが伝わってくる。
ダニングクルーガー効果の好例であることはもはや疑いようもないだろう。
「俺、藤本タツキめっちゃ詳しいぜ?」マウントが実に気持ち悪い。
これで30を超えていたらもはや人格全てが再起不能というほかない。
そして、遂に恐ろしいブコメが見つかる。
ブクマで返答という文化はIDコールじみていてとても気味が悪い。
まあそれは置いといて。
“並行世界によって作中の現実や我々の現実が変化するなどの影響を受けていない”救われた世界の4コマが返ってきたでしょ。藤野や京本の思いが引き寄せた4コマでそれぞれの世界と繋いだって読むと楽しい"
に対して
あー確かに!すいません、そこは思いこんでました。死んだ京本が事件の前に偶然描いた四コマかもしれないですけど、はっきり描写してないですね。並行世界にもとれる風にしている。さすがタツキ先生は巧いな
オー……ノー……だズラ……。
散々「平行世界というやつはあほ!おっ!あほが見つかった!またアホだ!」と騒いでおきながら突然の手のひら返しである。
というかこの発想がまったくなかったのに平行世界を否定したというのが凄い。
それは単に「他の人は3つぐらい仮説を持ったうえで作品に挑んでいたので色々言っていたが、自分だけが1つしか仮説を思いつかないまま得意げにそれを絶対視していた」という自白でしかない。
それでもまだ自慢気に語っている。
いやむしろ、こういう状況を一言で表せるダニングクルーガー効果という概念が凄いのだろう。
凄い。
小山田ですら顔を赤らめて自分のブログを消しにかかるようなシチュエーションながら、彼は「またあほが見つかったぞ」の追記さえいまだ消していない。
こんな哀れな男が見れるのははてなブックマークだけ!
こういうアホが見れるのが魅力なのだから非表示にするのは勿体ないな!
非表示チュートリアルと称される例のキチガイ達も未だに表示しっぱなしだ。
健康には良くないと思う。
どうやら町山智浩が予防線を張り始めたようですので、町山が後で都合よく削除や改変することを防止するために、現時点(2021/07/20-18/05)のtweetを残しておきます。
【引用01】
悪趣味カルチャーは80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りだった。カーディガンを肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニスやスキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロや死体で嫌がらせしたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。
【引用02】
「90年代に悪趣味や鬼畜やってたのはお前だろう」と言われたら「はい、そうです」としか言えないが、それは電通フジテレビでセゾンでトレンディで一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だったんだけど、わかんねえだろうな。
【引用03】
根本敬と村崎百郎が「日本を下品のどん底に突き落としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善のファシズムに支配されていた。それを知らない人が悪趣味や鬼畜カルチャーを批判しないでほしい。
【引用04】
あと、QJは悪趣味でも鬼畜系でもなんでもない。全然関係ない。QJは赤田氏が創刊した頃からよく知ってるし、問題の号の担当の村上清くんもよく知ってるけど、悪趣味系でも鬼畜系でもないぜ。
【引用05】
悪趣味&鬼畜系カルチャーの内部にいた者としてはっきり言いますが、クイックジャパンという雑誌も小山田圭吾という人も鬼畜&悪趣味カルチャーには直接関係ないです。
【引用06】
悪趣味&鬼畜系カルチャーにはそれ自体の問題があるとしても、小山田圭吾とクイックジャパンとは関係ないです。アニメ・ファンでなかった宮崎勤からオタク・バッシングが起こったようなものです。
【引用07】
小山田圭吾のしたこととクイックジャパンの記事が悪趣味&鬼畜カルチャーとどう関係あるんですか? QJってまったくそういう雑誌じゃなかったですよ。
=引用ここまで=
@TomoMachi
悪趣味カルチャーは80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りだった。カーディガンを肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニスやスキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロや死体で嫌がらせしたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706
@TomoMachi
「90年代に悪趣味や鬼畜やってたのはお前だろう」と言われたら「はい、そうです」としか言えないが、それは電通フジテレビでセゾンでトレンディで一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だったんだけど、わかんねえだろうな。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1417350723633750018
@TomoMachi
根本敬と村崎百郎が「日本を下品のどん底に突き落としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善のファシズムに支配されていた。それを知らない人が悪趣味や鬼畜カルチャーを批判しないでほしい。
正直、小山田氏のやった行為は到底許されるものではないと私は思う。
「誰もいじめを無くす気がない」
この一言に限る。
叩いてる人間は正義の棒を振りかざすストレス発散だから次の叩く人間が出てきたら小山田氏なんて忘れる。いつものことだ。
もしくはオリンピック中止派の叩くための口実。
メディアに至っては、オリンピック組織委員会が悪い!などとオリンピック批判一辺倒。
オリンピック側の対応もオリンピックを守ることが第一という対応。
今後同じことは出来ないだろうな、と思うことがあったのでほんのちょっとだけ自慢させて欲しい。
以前ここでエロ小説書き始めたって話をした者なんだけど、あの後もずっと書き続けている。なんだかんだで、1年半とちょっとで180万字くらい書いてしまった。自分でもこんなに書くことになるとは思わなかった。
ノクターンノベルズというなろう系列のエロ小説投稿サイトがあるんだけど、そのサイトでは作品ごとに読者のブックマークと評価によるポイントがつく。
で、そのポイントによるランキングがあって、集計期間ごと、日間・週間・月間・四半期・年間に分かれている。その内の年間の短編ランキングで、半年ちょっとくらいの間、1位~3位を自作で独占出来た。内一作は、年間ではなく短編の歴代ランキングでも1位になっている。何万人も執筆者がいるサイトで、多分これはそこそこすごいことだと思う。
https://noc.syosetu.com/rank/list/type/yearly_t/
2位の作品はちょうど一年前に書いた作品なので、ぼちぼちこの独占状態は終わる筈だ。多分今週が最後になると思う。だから、イキってるみたいで恥ずかしいけどちょっとだけ自慢したくなった。これは執筆者としての小さな勲章だ。
ただ、嬉しいと同時に、創作にポイントをつけて評価することへの違和感っていうか、それにコミットしてしまうことへの不安感みたいな感情もあって、我ながらナイーブだと思うんだけどずっと気になってる。だってポイントなんて読者次第の水物であって、どんなに面白いもの、どんなにエロいものを書いてもとれない時はとれない。実際、私エロ小説読むのも大好きだから色んなエロ小説読んで、「こんなにエロいのになんでこれしかポイントついてないんだ……!?」と思う作品もたくさんあるし、「これ俺のエロ小説よりずっとエロいやん……!」って敗北感を感じることもちょくちょくあるから。
だから、ポイントにこだわってしまうと、それが「受けるもの書かないと!」「受けるジャンルで書かないと!」っていう自分への変な制約になってしまったり、ポイントとれないだけでモチベーションの低下に繋がってしまいそうな気がして、こだわり過ぎないようにしようと気を付けていた。(実際、これはノクターンに限らず、なろう全体のランキング方式の弊害として凄く大きいと思う)
とにかくエロいもの書きたい、という根本的な欲求は大事にしてきたつもり。今のところ、それはそこそこ上手くいっていると思う。需要の有無は自分の性欲が教えてくれる。自分という読者がいる限り、「誰も読まない」ということはあり得ない。
そのスタンスはこの自慢記事とは矛盾していると自分でも思うんだけど、けどまあ矛盾も自分の中の一部だから仕方ない。ごめんなさい。
創作については、半年も書いたら飽きるんじゃないかと正直思っていたんだけど、幸いといっていいのかどうか、全く飽きる様子がない。書いても書いてもまだ書きたい。エロだけじゃなくて非エロも書きたい(非エロ書きかけので1年くらい止まってるのもあるけどそれも続き書きたい)。まあ、たまに全然書けなくなる時もあるんだけど。
だから、引き続きエロい小説やエロくない小説を書き続けると思う。もしよかったら、いつかエロい気分の時にでも、「あっ、これあいつのだ」と思ってもらえるととても嬉しい。
あとこれは私の作品関係なくなんだけど、ホント一言でもいいから、エロかったと思ったら「エロかった」って、面白かったと思ったら「面白かった」って感想書いてあげてください。その一言だけで救われる人が、きっと創作者には大勢いる。私も感想書きます。
追記。
ごめんなさい、これ先に書くべきだった。
増田やはてブでは、もちろん辛辣な言葉を頂くこともあるんだけど、毎回たくさんの人がものすごーく暖かい言葉をくれて、物凄く勇気をもらいました。ありがとうございます。
以下のは以前書いた記事。
いやー、「竜とそばかすの姫」、実質的な「ラブライブ!スーパースター!!」の第一話でしたね! 作品としての出来はラブライブの100分の1にも満たないですけどね(素人の雑感です)!
以下感想(ネタバレあり、パンフレットは売り切れていたため未読です)。
なんなんですかね、あの序盤は。三幕構成でいうなら、第一幕が終わるまでの部分がとにかくひどい。ひどすぎる。監督氏も僕みたいな正社員経験のない四十手前の人間にいわれたくないでしょうが、あえて申しましょう。冒頭開始からの35分は10分程度に短縮できます。
劇中で主人公の幼少期と、母親の死のシーン、幸せな生活の終わりが描かれますが、プロットにおいてどうでもいいし、とくに母親の死のシーンなんて、死ぬほどどうでもいい。心底どうでもいい。
プロットに関係ない部分は省きましょう。劇中でも描かれましたが、母親がすでに死んでいることを伝えたいのなら、画面に遺影を写すだけでかまわないのです。「見知らぬ子どもを助けるために、川に入って死んだ」という事実は、シナリオの進行になんら影響をもたらしませんから、シーンごと削除すべきでした。
序盤が冗長すぎるせいで、この映画の主題がぼんやりとしかわかりません。インサイティング・インシデント(物語のつかみとなる事件)をおこすことに失敗しているため、観客が映画に集中することができないのです。
この映画はなにを描きたかったのでしょうか? 仮想空間での冒険を描きたいのか、仮想空間と現実世界とのギャップを描きたいのか、母親の死の克服、学校での人間関係、恋愛にまつわるエピソードを描きたいのか、主題がまるでわかりません。もし全てを描きたいというのであれば、つまらないことはやめろといいたい。
映画は積み重ねではなく、省略の美です(数えるくらいしか映画観たことないです)(素人の妄言です)。
劇中で描かれる仮想空間は、一言でいうならよくわかりません。なんのためにつくられたのか、それを使ってなにができるのか、いまいちよくわからないまま映画は終わります。しかし限られた上映時間のなかで、わからないことをわからないまま置いておくという決断を下したことは評価できます。
問題は仮想空間の描写が古すぎるということです。監督氏のネット認識は、「電車男」あたりの時代から更新されていないのではないでしょうか。
劇中で登場した仮想空間は、よくわからないスキャンシステムにより、現実の姿を反映したアバターを生成し、乗り込むというかたちになります。仮想空間には50億アカウント以上の登録があり、一種のインフラともいえる規模です。現実世界の姿のまま活躍している人間が一人も確認できないのはおかしいとも思いますが、劇中の人間にはそんな発想はないのでしょう。
しかし、どうも仮想空間の描き方というか、劇中で描かれたネット空間の概念自体が古いとしか感じられません。ネットの世界なんて、しょせんは現実の延長線上でしかありません。監督氏はネットと現実は切り離された世界だと思っていらしゃるのでしょうか。
仮想空間で主人公は竜(とある登場人物のアバター)と知り合いましたよ→竜が困ってますよ→でもアバター同士でしか面識がありませんよ→現実での顔を知らないため、オンラインで顔出しチャットしても、自分のことをわかってくれませんよ→だから全世界に素顔を晒すって、論理としては破綻していませんが、その発想の爺むささに腰を抜かしました。
劇中にはおもに二人の悪役が登場します。仮想空間の自警団長(間違った表現だが、そうとしか言いようがない)と、竜の中の人のパパです。
両者は悪役としてまさに力不足です。びっくりするほどうすっぺらく、たいした思想もないのに悪逆非道をつくすさまは、令和の時代に出てくる登場人物とは思えません。
まずは自警団長を紹介しましょう。彼は事実上の無法状態である仮想空間において、企業とスポンサー契約をかわし、自分の正義において悪を裁く役割を担っています。「TIGER & BUNNY」に出てくるヒーロー的な存在といえばわかりやすいでしょうか。
彼の必殺技は「ネットに素顔を晒しちゃうぞビーム」です。なんなんすかね。読者の皆さんはなんだと思います? 警察的な役割を果たすのであれば、わざわざ仮想空間でバトルするのではなく、現実側でアプローチする(主人公サイドはそうしていた)とかしたほうがいいと思いますが、これ以上紙幅を割くのはやめておきましょう……。
もうひとりの悪役である、竜の中の人のパパ氏を紹介しましょう。彼は自分の子どもに暴力を振るう最低パパです。しかし、劇中では主人公に立ちはだかれ、主人公の「にらみつける」に気圧され、敗走することになります。
この描写はおかしいとしか思えません。彼は日常的な暴力に慣れ親しんでいますが、主人公ににらまれただけで、腕を振りかぶったままの状態でおびえ、尻もちをついて、家に逃げかえってしまう。いったい彼はなにをしたかったのでしょうか?
劇中ではあからさまな暴力描写はありませんが、パパ氏の爪が主人公の頬に引っかかった結果、劇中で血は流れます。暴力シーンを写せないのなら、暗喩で表現すればいいとも思います。パパ氏が子どもに暴力を振るう暗喩は見事でした。主人公にちょっと流血させただけで逃げかえるという彼のふるまいは、キャラクターとして説得力がないとしか思えません。
まずはじめに、筆者は高知県民エアプということをお伝えします。都会人に差別されて当然のいなかっぺ(ヘイトスピーチ)(不適切表現)として生をうけましたが、生涯を田舎で過ごしてきたわけでもありません。
しかし、そんな僕にもわかることもあります(適当に書いてるだけなので、後述の内容は多分間違ってます)。四国という保守的な土壌において、高校生の自由活動を許している、いきいきとした生徒が多い、主人公が遠距離から汽車通学していることから、主人公の通学先は県内有数の進学校だと推測されます。主人公のパパがなにかとカツオのたたきを話題に出すので、おそらく彼は県外どころか四国外からやってきた移民でしょう。高知県民はアホのように酒を飲みますが、飲酒描写はこの映画になくていいと思います。返杯という未開の蛮族の汚い習慣が出てこなくて、本当によかったと思います。
しかし、免許を持っている大人がいるなかで、車を使わずに河川敷を徒歩でぞろぞろと移動する高知県民なんて、絶対にありえません。この映画にたずさわるスタッフにひとりもいなかっぺがいないとは思えませんが、どうして誰も止めなかったのでしょうか?
いなかっぺは都会人以上に地球環境に優しくない存在です。高知県民に関わらず、いなかっぺはちょっとした距離を移動する際でも、必ず車を使います。いなかっぺの最大歩行距離は、駐車場からイオンモールの入り口ぐらいまででしょう。『東海道中膝栗毛』の時代でもあるまいし、大人の集団が徒歩で移動する? ありえません。
もっとも、劇中の世界は現実世界とは違います。劇中では誰も高知弁を操りませんし、そもそも劇中で描かれた仮想空間は現実には存在しません。ガソリンがリッターあたり1万円を突破している世界かもしれませんし、政府によって運転自体が規制された世界かもしれません。しかし、それなら登場人物が車を運転するという描写をしてほしくはありませんでした。
ああ夏だね、河川敷は涼しいや、気持ちいいからみんなで歩こう的な描写を平気で行えるのは、アーバンの空気を吸って育った人間だけでしょう。主人公一派は全員都会からの移住者かもしれませんが、違和感をぬぐうことはできません。
とにかくつまらない映画でした。脚本の出来がよろしくなく、なにをしたかったのかがわかりません。
前から思っていたのですが、監督氏は宮崎駿監督になりたいのでしょうか。監督氏はアニメーターとして例外にあたる才能をお持ちだとは思いますが、宮崎駿監督になることはできないでしょう。宮崎駿監督は例外中の例外にあたるお方だと思います。宮崎監督の御業は誰も真似できない。だからこそ、宮崎監督は天才と呼ばれるのでしょう。
監督氏には才はありますが、脚本を自分で手がけるのは、本当にやめていただきたい。監督氏は身の程を知り、自分に不得意なことをあきらめて、ご自分の頭の中にあるアイディアをまとめてくれるライターを雇うべきだと思います。
長いので忘れている人がいるかも知れない『超重要ポイント』なので一応。
京本が藤野に大ファンだと告げたあと背中にサインを描いてくれといったちゃんちゃんこを藤野は大事に飾っている。
これを見ると藤野は、京本からの『藤野の才能に対する信頼と期待』を思い出す。
論拠は「小学校時代に漫画賞に出すと言ってたのが嘘から出た真になったこと(見栄っ張りの一言で済ませてもいいが、京本に背中を押されるような才能が自分にあるのならば漫画を描き続けている自分でありたいと思う姿を前借りして宣言してる感じ」。
楽しんで読んでくれる人がいるから漫画を描き、そうじゃないと辞める。
論拠2「京本に褒められなかった藤野の世界には、『次回作を望む読者』存在しない」
一つは小学生の時に京本と藤野がリアルで出会う世界で、もう一つは大学で始めてリアルで出会う世界。
藤野が描いた4コマ全てが京本の部屋に滑り込む→二人が出会う→藤野キョウが産まれる→分かれる→美大で京本が死ぬ→藤野が落ち込む→『4コマ漫画を裁断する』→『1コマ目だけが平行世界へと届く』~~ここからしばらく平行世界側の描写~~『平行世界から4コマが届く』→復活する
『平行世界から1コマ目だけが京本の部屋に滑り込む(4コマ全部が連なった方は代わりに消える)』→二人が出会わない→読者を失った藤野はカラテに打ち込む→カラテで京本を助ける→漫画を描いていると藤野が嘘を付く(多分あとで本当になる)→京本が藤野を元ネタに4コマを描く→『4コマが二人が出会った世界で落ち込む藤野のドアの下へと滑り込む』
この作品にはSF否定解釈が存在し、途中から描かれていた平行世界は「もしも小学校時代の藤本がドアの前で描い漫画が1コマ目だけ描いてやめていたり、アホらしくなって指でちぎって1コマだけになっていた場合ありえたif世界」と解釈することが可能となっている。
また、藤野が復活した場面については、「藤野自身がふと自分のありえた可能性について自嘲的に描いた4コマを通して初心に帰ったら?」という解釈によるSF的な力を借りること無く実現できる。
二つの可能性が描かれている時点でSFだというなら、それはそう。
今日=7月19日
7月19日+ルックバック=7月18日
7月18日の「京」
多分これでググったもうでてくると思う。
最後は俺が一番好きなシーン。
連載が出来た方の藤野は、二人が出会った世界で生まれた藤野キョウ。
「アシスタントしてよね」という言葉を単に背景美術とだけ考えると生存した世界の京本はアシスタントはしていない。
でも彼女は平行世界を超えて「藤野キョウ」最大のピンチに最高のアシスタントをすることに。
「フィクションは一つだけ大きな嘘を」なんて言う人がいるが、この漫画でもしもたった一つだけ「超自然的な」ことが起きるポイントとしてここが選ばれているのだとしたら、最高だね。
件の漫画を読んだ。もう各所で言われてると思うが、あのラスト、やっぱり僕も例の事件を思い出した。
というのも、僕にも昔から仲の良い、絵を描く友人がいた。2人ともよく絵を描いては学校で見せあった。でも僕は下手糞なので、いつも、君はすごいなと、彼を褒め称えていた。僕はその後、下手は下手なりにもなんだかんだで美大に進んだ。彼は当然、美大に進んだ。だがそれぞれ違う大学に進んだのと、画材を買うために始めたバイトが忙しくなったのとで、その頃から彼とはもうそんなに連絡を取っていなかった。
それから、数年後、ある時間が起きた。クリエイターとして、同じクリエイターが凄惨な目に遭うのは辛い。人の笑顔を生み出す人たちが、どうしてこんな目に遭わないといけないのか。僕はそんなことを考えて、少し暗くなった。
連日、取り沙汰される実名報道の騒動を見ていてもむしゃくしゃする。どうしてそこまで躍起に実名を報道したがるのか。メディアはクソだ。そっとしておいてやればいいのに。
やがて、実名が出始めた。
そこで僕は友人の訃報を初めて知る。
昔はあんなに仲が良かったのに。疎遠になって、久々に名前を聞いたのが、こんな形。
あんなに憎んでいたはずの実名報道問題だが、報道されなければ僕は友人の死すら知ることはなかった。複雑な気持ちを抱えた。
僕は彼の家を知っている。彼が引っ越していなければ今もあの家だ。一言お悔やみ申し上げたかったが、だけども、今頃報道陣に囲まねている家にどうやって顔を出せばいい?
いや、僕も野次馬とそう変わらない。ただ、他人の死に興奮しているだけなんじゃないか?追悼して、自己満足を得ようとしているんじゃないか?疎遠になっていたのに。何を、今更。
そんな卑屈なことを考えて僕は一層暗い気持ちになった。
あの漫画のように、僕に彼を美大に進ませた影響力があったとは思わない。それこそ自惚れだ。彼の方がずっとうまかったから、もともと彼は美大に行っただろうし、良いところに就職しただろう。でも、肩を並べたから、もしかして、なんて考えたこともあったから、今回、ルックバックを読んで、僕が、例の事件を思い出さないはずはなかった。
そして、これが追悼なのか、それこそ、エンタメとして消費しているのか、僕には分からない。
自らの内に感情を抱いていれば良いのに、この文を誰かに向けて書いている今の僕は、やはりエンタメとして消費しているような気もする。
でもあの時、僕は確かに追悼したかった。それは追悼する自分への自己満足じゃないかと指摘されることを何故かあの時は恐れたが、今思えばそんな卑屈なことを考えるのは悲しみで少しどうかしていたのだと思う。今も僕が友人の死に感じる寂しさは嘘ではないし、この寂しさを1人で抱えるには苦しくて、誰かに聞いて欲しい気持ちも嘘ではない。
とはいえ、結局、僕が毎日することといえば、あの漫画と同じように、自分の仕事、創作とまた向き合う他はない。
ただ、その感情があまりにリアルすぎたので、僕は先生もご友人を亡くされたのではないかと思ったほどだった。
陳腐な表現になるが、その複雑な機微をこうして漫画に描ける先生は純粋にすごいと思う。
ご遺族のご迷惑となるといけないので、ほんの少しフィクションを混ぜたが、事件とその感情は現実のものであると最後に書き加えたい。
まだ花を供えに行けてなくてごめんな。
朝起きて読んだ後は流石だな!すげえ漫画だ!ってなったしチェーンソーマン第2部がとても楽しみになって。
昼は感想見てまわって、マシーナリーともこさんの感想はなるほど!ってなったんだけど。
これ読んでやる気が出たって感想が結構あって、ちょっと違和感を感じた。
主人公の藤野さんは幼少期から漫画を描いて、一度諦めかけても運命的な一言で書き続け売れっ子漫画家になっている。そんなある種特別な人が前向きになるシナリオを見てほんとにやる気になるのはそれこそ…特別な人なんじゃないか。
普通の人、はては創作をしない人はやる気になんかなるわけない。やる気になったって言葉を言ってるだけなんじゃないかと思った。
でちょっとそんな感想にイラッてきつつ仕事中ずっとこの作品のこと考えてたんだけど、普通の人がどうするかはちゃんと作中に描いてあった。
作品の中で京本さんを救うIFが描かれる。それはあくまで悲劇に対する対抗だけのために描いたのかもしれないけれど、京本さんを救うのは普通の人になっていた藤野さんなんだよ。
そう、あれはIFだけど現実でも起きている事実だ。勇気ある人が現実でも大なり小なり誰かを救っている。
こうなってくると、最後のシーンは救いのようにも諦めのようにも見える。漫画家は、誰かを物理的に助けることはできない。心を救うことしかできない。
サブカル糞野郎がなにかやらかすとすぐ私刑はよくないって擁護はいるよな
他のジャンルだといわないからなにかしらのご意見番がサブカルにかぶれてて一言いいたくなるんだろうな
それで俺の好きなコーネリアスを叩かないでくれって言わずに、まるでこっちが悪いかのように仕向けるわけだよな
警察が賄賂もらって仕事しないんだったらヤクザに頼むしかないじゃんみたいな
そういう話だよね
書いてる増田もいるけど
隠すなり対処するなりいくらでも方法があったのに取らなかったのは小山田の脇が甘いよ
時代の風潮としてネットのそういうオゲレツ話を加工して悪ぶって嘘書きましたごめんなさいって一言言っとけば
オラ夏のストーリーというか登場人物の心理描写が酷すぎるって感じてるの自分だけ?
完全にキャラがただのあやつり人形で自分の意思を持ってるように感じない
途中で あ ほ く さ ってなった
あまりにも酷すぎるんで検索したんだが、クソまとめ「神ゲー?クソゲー?」のサイトとか5chの「外人ガー ウリアゲガークレしんガー」ゲハまとめしか出てこん
クソまとめは見てない
5chまとめはちょっと見たけどクリア時間がどうとかクレしんがどうとかしか文句垂れてなかった
一本の作品として
要するにゲームとして作り込みがなさすぎる
会話に選択肢は一切無いし
物のどこ調べてもろくなテキストはない
なんかナレーターがしつこくてウザいなあと何となく思ってたけど原因わかったわ!!
ムービーが無いのをフルボイスナレーションでごまかしてるからや!!
いや、ここムービーとかキャラの言動とかじゃなくてナレーション一言二言で済ますの?って部分が相当あるんだわ!!
しかも登場人物のキャラは対してボイス付いてないくせにナレーションが完全フルボイスっていうのもウザさに拍車をかける
いかに作り込みを無くして手間をかけずに作るかに特化していると言える
あつ森かな?
これをあつ森現象と呼ぼう
喜怒哀楽が歪んでると思うので、自分語りをしてみようと思った。心に刺さっていることに絞って書く。
小学生のころからずっと太っていて、それをからかわれたりしていた。
5年になったころ、雪の積もった通学路の堤防から落とされて遊ばれていたが、それが保護者に知られいじめ案件に、ということがあった。特にいじめられていたという自覚もないので、謝られてもよくわからなかった。
6年のとき、好きな女子がクラスに知れ渡り、自分から何を伝えたでもないのに拒絶された。結果は妥当だと思うが、言いふらしたやつは恨み呪った。
少年バレーをやっていたが、最後の大会前に一度だけ自主練習に顔を出し、足を捻挫。大会には出られなかった。
小学校の修学旅行では、国会議事堂よりも女子のパンツやノーブラのワンピース姿が印象に残っている。
中学の間に、落ちていたエロ本を持ち帰ったり近所の神社に隠したりしていたが、落ちていた女子もののパンツを拾って帰るのはあまりないんじゃなかろうか。
卓球部では、毎年練習相手を総当たり戦の結果で決めており、いい練習相手とやれるはずだったが、その結果を覆された。泣きわめいてゴネたがダメだった。
寮のある学校に入ったが、同部屋の人間にまったく遠慮することなく、室内を乱雑にしていたため、ふつうより早く退寮処分になった。
小説家になりたいと親に言った。否定されたのは今では妥当だと思うが、当時は何もわかってもらえないと思い込んでしまった。
小学校の同級生が、インターンシップ中の飲み会の帰りに死んだ。酔って帰る途中に車にはねられ、朝になってから側溝で見つかったらしい。同じインターンシップ先で、飲み会にも出席していた子は、普段冷静なのが嘘のように取り乱していた。同級生で集まって弔問することになり、中では本人が布団をかけられて寝ていた。本人じゃないような顔をしていた。布団には守り刀が置いてあった。「じゃあな」と別れを告げる男子がいたが、笑いがこみあげてしまいかみ殺すのに苦労した。涙は出なかったし、悲しいというより、悲しむための儀式をしている、という感じだったように思う。もうあいつとは話せないんだなぁ、というようなことは考えていた。力が抜ける感覚だった。
母方の祖母がガンになり、見舞いに行ったときも、祖母は知っている顔をしていなかった。とんでもなく痩せていた。手を握ることもできなかった、怖かった。
祖母が亡くなったときは、火葬に出た。人工関節が焼け残っていたのと、ドクロがわからないようにしてあったのが印象的だった。
しばらくしてお墓参りに行ったが、ついこの間まで生きていた人に供花したり手を合わせるのはよくわからなかった。ただ、お世話になったから供養する、という手順が用意されてるのはいいことだと思った。
父方の祖母がボケてしまい、老人ホームに面会に行った。3回くらい誰なのか聞かれ、一言も発せられなかったが、部屋に帰るというときに手を握ってあげられたのがよかったと思う。
こんなところだが、感想なりつけてもらえるとありがたい。
「誕生日、何がいい?」
母親に聞かれて、わたしは喉から出かかった言葉をつぐんだ。別に欲しいものがないわけじゃない。むしろ、ネットショッピングは好きなの方なので、「これいいな」と思うものは結構ある。
けれど、この時ばかりは、何も答えられなかった。
頭が真っ白になって、欲しいものが思い浮かばなくなって、23歳になる、もう結構な大人なのに、思春期みたいに「どうせ言っても意味ない」とばかり考えてしまって、悲しくなる。
どうしようもなく、涙が出てくる。
たった一言なのに、なぜこんなにも涙が出るのだろう。
そう考えて、ぶわりと、過去の思い出が連想されて、蒸し返してしまったからだと気付いた。
わたしは絵をかくのが好きな子供だったので、ペンタブレットに結構なあこがれがあったのだけど、それを母に見せて誕生日にねだったら「何それ笑」と一蹴された。
鼻で笑われてしまって、当時、かなりショックだったことを覚えている。
結局、誕生日プレゼントは古着の服だったけ。それはそれで普通にありがたく着てました。
思えば、それ以前にも、母親はわたしを軽んじている節があったので、よく馬鹿にしていた(いや、まぁ普通に馬鹿な子供だったから普通に馬鹿にしてただけかもしれない)。
だから、中学生の頃は、結構勇気を出してほしいものを口に出した。まぁ、相変わらず鼻で笑われてしまったけれど笑笑。
高校生のときは、ナチュラルに誕生日を忘れられてたっけ。あのときも普通にショックだった笑。
まあそんな母親だけど、ケーキは買ってきてくれていた、ような気がする。
気がする、というのはわたしの記憶にあまり残ってないから。毎年祝われていた感覚がうすい。
なんでうすいんだろう。と考えて、思った。
ずっと母親に嫌われていると思っていたから(実際に嫌われていたのかもしれない)、ありがたみとか、感謝とか、感じてなかった訳じゃないけど、怯えと遠慮が勝って印象にあまり残っていないのだ。
愛されていた感覚がうすい。家事を手伝ったって、「お前にされても嬉しくない」とバッサリ言われるのだから、わたしは常に母親の顔色を窺って生きていた。
だから、子供の頃から、あまりうれしくないプレゼントをもらっても、もらえなくても「祝ってくれるだけでうれしいよ」と模範解答が言えた(実際にその答えは一般的に美徳でもある)。
けれど、大人になって、いい子ちゃんを演じる必要がなくなったときに、抑圧されてきたわたしの中の子供が泣いているのだ。
今更わがままを言ったって大人なんだからしょうがないけれど、わたしの中には確かに、未だ愛されたい子供がいる。
10年余りの時を経て、当時にくらべて随分性格が丸くなった母親に「誕生日、何がいい?」と聞かれ、「ねこちゃん」、とか「イグアナ」とか、まぁ欲しいけど本命じゃないプレゼントを適当に言う。
けれど本心では「どうせ本当のことを言ったって応えてくれない」という思いがある。
子供の頃から親を信じて、期待してきたのに、男を家に連れこんであんなことあこんなことを見せつけられて、裏切られ続けてきた結果、信頼できなくなってしまった。
愚痴のサンドバックにはもうならないように回避できるし、適当に話を合わせられるけど、心から信頼することはもう、できないんだな。
それがとても、かなしい。
たとえプレゼントをもらったって、祝ってもらったって、本心から喜べない自分がいやだ。
もう卒業しなきゃいけないのに、自分の中に子供がいる。どうすればいいんだろう。
つらいな。死にたいな。
「あんたにプレゼントをもらっても嬉しくない」といえたら、どんなにスッキリするだろう。
けれどスッキリするのはわたしだけで、母親はきっと泣いちゃうから。大人として、その言動はどうなのって思うし。
もらえるだけでありがたい、本心でそう思えるような人間だったなら、どんなに良かっただろう。
誕生日に死のう死のうって思っても死ねないアホだもんね、仕方ないね。
こんな、世間一般で見ればくだらないことでもやもや悩むのはもうやめにしよう、と考えて、未だに辞められない日々を過ごしながら、自分と向き合って少しづつ改善できたらいいな。
こうして文章にして吐き出したら、整理できたし、すこしスッキリできたので、今日は泣かずに寝れそう。
おやすみなさい。
描きたいこと描き切ったからって最後まで手を抜くなよ!もし、あれが手抜きじゃないならそれはそれでやべぇぞ!
みんな既に似たような書いてることだと思うけど備忘録的に書いておく。
その後の展開は悪いとか酷いとかじゃなくて、この物語はあそこで終わったからもう満足したでしょ?って感じで、そりゃねーだろって。
この物語は竜が救われたという確信を持てて初めて終わるんだよ。
正直あの展開で竜が救われたとは思えない。
ただ親が謝る場面があるだけでもまだマシだったと思うが、何でそれすら手を抜くんだよ。
それともあれで本当に救われたと思ってるのか?ならdisってた児童相談所よりもよっぽど認識酷いぞ。
ガキに(親と)戦うみたいなニュアンスの言葉を言わせるのも酷い。
どんな映画でも「面白かったー」で済ます俺のお気楽な彼女(でもそんなお気楽なところが好き)ですら「あれで良かったの?」って言ってたぞ。
これ、かなりヤベェことだからな。
俺もどちらかと言うと細かい粗は見て見ぬ振りするお気楽映画鑑賞者だから、音楽も良かったし終盤までは楽しめてたのにラストで本当台無しになった。