はてなキーワード: リスク分散とは
ポートフォリオを開示してほしい
そもそも投資の本質はリスク分散(儲けを最大化することしか頭にない投資派はこの時点で話にならない)だが
投資をすれば必ず儲かるかのように嘯く時点で信用ならないが
みんな反応 早いなぁ。仕事どうしてんの?
出遅れたけど、反応するね。
もちろん。だから色々分散して、金とかも買っている。金はリーマンショック時にほぼ唯一値を上げた資産で、そういうのも組み合わせる事で損を和らげる事ができる。
・日本のバブル崩壊や失われた30年のような長期低迷を織り込んでいますか?
もちろん。だからこそ、長期で成長するのは何だろうって視点で投資先を考えている。
ちなみに長期で成長するかの最も重要な要素は人口動態なんで、私は日本株インデックスはもう買ってない。
(あと、そういう視点では中国も長期で考えると有望ではないよね。政治リスクも大きいし。)
株価が上がり続けるというより、経済が成長し続けるってのにベットしてるつもり。
ただ、経済成長がダメになったら投資してなくてもリスクはあるよね。
今後30年という視点なら、ドルが一番強い可能性が高いとは思ってる。もっともリスク分散はするよ。
それは確かにそうですね。だから、どこに投資すべきかってのは、勉強し続ける必要はあるのかな、とは思ってる。
・今の60歳以上の一般層に、投資で安定して暮らしてる人が居ないことについてどう思いますか
ご自身で答え書いていましたが、昔は預金金利が高かったから、だよね。投信投資でも4%とか言ってるのに、それ以上の金利があったんだから。良い時代だったよね。
個人的には投資だけではなく、投資的視点を持って欲しいと思ってる。自己投資も立派な投資の一つだわ。
一般アメリカ人ってのが存在しないほど、あそこの国は色々だからな。一般○○人って日本人的発想じゃね?
まぁ、ほぼ確実に年金だけで養っていけなくなるからじゃね。確実に政治問題化するだろうね。
銀行は年4%とかって訳にはいかないから、でしょう。万単位の従業員を食わせた上に、銀行に投資してくれた所に満足させる利益を上げないといけないので、もっと大きく成長する所に投資して大きくリターンをもらわないとやっていけないからでしょう。ずっと成長していない日本でそういう所を見つけるのは難しくなってきてるってだけじゃないですか? 年一桁%で十分な個人投資とは訳が違うでしょう。
・年利4%だと、30年で3.2倍ですけど、そうなると思いますか?
色々と分散してるんで、合算すると、そんなにいかないと思うけど、2倍くらいになってくれれば良いな、とは思ってます。
こんな所でどうですか? 答えになってるでしょうか。
もちろん、インデックス投信自体が個別株のリスク分散したものではあるけども、例えば日本株インデックス(日経平均とか)なら、日本経済自体がダメになってきたら下がっちゃう訳で、つまり日本経済の将来にベットしている事なんだよね。
だから、色々な資産でリスク分散する必要がある訳で、インデックス買うにしても、複数のインデックスに分けて投資する事でリスクを分散できる訳だよね。そうする事で、一つが下がっても別のもので取り返せたりするんで。
そういう意味で、リスク分散は、なるべく異なる値動きをするものを組み合わせるのが重要。過去の値動きとか、あと原理的にこうなる、みたいな事とか。原油が上がったら上がるのか、下がるのか、とか、色々考えて組み合わせるんだよね。
もっとも、アメリカ株インデックスだけで十分、というのは一理はある。というのは、アメリカって国自体が色んな側面を持ってるので、アメリカ株だけである程度のリスク分散になっている、というのが一つ。アメリカって先端産業の国であると同時に、農業国でもあり資源国でもあるんだよね。あと、アメリカの世界経済への影響が大き過ぎて、アメリカ株インデックスと異なる値動きをする資産って珍しい、というのもある。だからこそ、リーマンショックでアメリカがこけたら世界中が不況になってしまった訳で。だったらもうアメリカ株インデックスだけで十分じゃね、という考えになるのも一理はあるんだ。
とは言うものの、トランプとか見てるとアメリカにも政治リスクあるなぁと思ってて、だからアメリカに全てベットするのも危険だと思う。30年とかの長期で考えるんなら、他の国の資産も持って分散した方が良いよね。
(ただ、長期で成長しそうな新興国って、どこも政治リスクが大きいというのが悩ましい所。だからこそ分散する必要があるんだけども。)
あと、個人的には金も買ってる。リーマンショック時にほぼ唯一上がった資産。またリーマンショックみたいな事があった時に、多少、含み損を穴埋めしてくれるものを持ってるだけでも精神衛生上良いので。純金積立買ってたけど、手数料が高すぎるので、今はGOLDのETF買ってる。
そんなとこかな。とにかく、リスク分散だけはした方が良いよ。もちろん、円貯金だけってのもリスクなので投資自体がリスク分散だってのもその通りなんだよね。
https://honeshabri.hatenablog.com/entry/lazy_investor
のブコメを読んで「種銭がない」「投資に回す金がない」というコメントが気になりました。私自身は今40代で、お金がなかった20代の頃から投資をしてきました。当時からやってきてよかったと思っているので理由を2つ紹介します。
私のお金がなかったというレベルはどの程度かというと、20代の頃にフリーランスのプログラマで年間売上200万円以下というぐらいです。知り合いの家に居候しており、デートのお金がなくてキャッシングを使ったこともあります。食事は100円ローソン(当時はSHOP99)でした。
当時やっていたのは自動の貯金と、投資信託の自動積み立てです。自動の貯金は銀行がやっているサービスです。一度設定するといつでも引き出せる定期預金にいれてくれます。地味なサービスなので知られていませんがほとんどの銀行が提供しています。
私は自動の貯金に5000円、投資信託に5000円を毎月積み立てるようにしました。当時の私にとって1万円というのは大きな額でしたがたまにパチンコに行ってしまうような生活だったので、最初から自動で引き落とされていれば気になりませんでした。
これは「20万円の給料から1万円貯金しろと言われるとほとんどの人ができないが、19万円で生活しろといわれるとほとんどの人はできる」というような法則です。この金額で2年ぐらい継続しました。
2年ぐらいすると30万円ぐらい手付かずのお金があるという状態になりました。それまで収入が低いこととお金の管理ができないことから貯金は0だったのが、気がついていたら貯金できていたのです。30万円というのは当時の私にとって大金で、ちょっとした物なら買えるという嬉しさもありましたし、貯金が自分にもできたという自信もつきました。一番大きいのは貧しい生活の中で「何かあっても30万円あるしな」という気持ちの余裕ができたことです。そのお金があって初めて「ちょっと新しいことを勉強しようか」「新しいことを初めてみようか」という前向きな気持ち、自分へ投資しようという気持ちができた気がします。
次にこれが結構大事で、投資を始めて何年か後にリーマンショックがきて投資してた金額の評価額が4割減ぐらいになりました。初めての暴落の経験だったのでショックでしたが、2年程度で勝手に回復し、またプラスに転じました。この経験で、「これがいわゆる長期投資なら大丈夫」というのかと自分ごととして理解できました。その後、幸いプログラマとしてそこそこ成功した私は今は当時の数百倍以上の金額を運用するようになりましたが、この時の数十万円程度の暴落と回復を経験してなければ、資産の大半を投資に回し、日々数百万円が上下するような生活には耐えられなかったと思います。
つまりいざ種銭ができて本格的に運用を始めるとなった時に、小さい額での実体験がすごく大事になるということです。
種銭がなくても投資をして株価の上下を経験し長期であれば勝てるということを経験してほしい、そして貯金ができてない人には少しの金額でも積み立てることが生活の質の向上につながるということを強く勧めたくて書きました。
投資をしろというのは強くは言いにくいですが、投資が苦手な人でも自動の貯蓄はおすすめです。いま貯金がないという人はぜひ!
三菱UFJ:https://www.bk.mufg.jp/tameru/yen/tsumitate/btm/index.html
SMBC:https://www.smbc.co.jp/kojin/special/new-recruit/minaoshi/type-a/04/
みずほ:https://www.mizuhobank.co.jp/retail/products/deposit/teiki/t_teiki.html
ドルコスト平均法はまやかしです。リスク分散できていません。私が積立から始めたのは単に毎月それだけしか捻出できなかっただけでドルコスト平均法を意識していたわけでも推奨しているわけでもありません。長期では上がるという戦略なので普通の人は余剰金の中で買えるだけその瞬間に買うのが正解だと思ってます。
全てを現金で持っておくというのも投資の選択であると自覚しているかどうかは大事かもしれません。現金はその額が減ることはありませんが、インフレにより相対的に価値が下がることがあります。現金もまた50年後はわからないのです。うまい棒でいうなら昔10円だったのが今は12円です。これは日本円に投資してたら約2割損したようなものです。このエントリは、将来資産運用をやりたいが種銭がないので始められないと思っている人に「今始めておくのは無駄ではないし、むしろ種銭が少ないうちから初めておくメリットもある」ということが伝わればいいなと思ってます。
この議論は面倒だからもうギャンブルであるって前提で進めた方が良さそう。
円資産オンリーの人に「それは円に投資してることと同義だ!」って言っても通じないもんね。世界的なインフレの影響を受けづらい国だったので、実質資産の減少に気付きづらいのも事実。
なのでNISAとかは置いといて、とりあえず少しずつ外貨を買うことから始めるのはどうだろう。FXじゃないぞ。
毎日500円分ずつとかでいいんだよ。週に1000円とかでもいい。ネット銀行でそういった設定ができるところがある。
とにかく自分の資産を円オンリーから、外貨をを持つことで少しずつリスク分散をするくらいの感覚から始めるのが良いと思う。すると今まで以上に為替の変動やその原因を意識するようになるから。
はてなーは学歴がある(小)金持ちが多いのか、外貨投資して当然、日本円の貯金しか持ってないのは情弱、みたいに言う人が結構いるじゃん。
俺もリスク分散のために外貨持とうかなと思ってたけど、iDeCoとつみたてNISAやるので精一杯。やるっていっても低学歴障害者のワープアだから雀の涙だ。
NISAはともかくiDeCoの仕組みは未だによく分からんし、転職するときとかめんどくせーし、もっとシンプルな設計にしてほしいと思ってる。
俺にとっては難しいシステムでもはてなーはこういうよりもっと難しい運用して儲けてるんだなあと思うとなんか人間の格の違いを感じるわけよ。
そこでタイトルに戻る。株や投資で成功したブコメは多いけど逆は見ないので、みんなの失敗談や、「ああすればよかった」みたいな後悔があったら聞いてみたい。
メシウマしたいんじゃなく、俺みたいな頭や要領が悪い(あるいは運が悪かった)人たちを見てみたい。
そのくらいの額なら一気に買うより積み立てた方がリスク分散できて良さそう
『公助は削って、福祉は家族による相互扶助を基本とする』に対して、そんなことしたら社会が貧困化するよという主張が感想レベルだからダメですかそうですか。そもそも自助や互助で貧困は防ぎきれず、その貧困への対策が共助、公助なわけなんだけども。こんなことは常識の範疇と思っていたよ。
この自助・共助・公助という3分論は、自民党の綱領(平成22(2010)年)で政策の基本的な考え方として採用されている。「自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する」とある。菅氏の発言は自民党員として、党の綱領に忠実であったともいえる。また、社会保障制度改革推進法の第2条には、「社会保障制度改革は、次に掲げる事項を基本として行われるものとする。一 自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。」とあり、法律の文言にもなっている。
総理大臣になった菅氏が、この社会像としての3分論を具体的な政策の中でどのように生かしていくのかは分からないが、これまで、介護保険制度の創設と運用にかかわり、自助・互助・共助・公助という4分論を唱えてきた筆者としては、共助の主体に地域とともに家族が含まれていることと、地域以外に共助の主体が想定されていないことに若干のコメントをしておきたい。
われわれは、人生の途中で、老化に伴う日常生活上の困難や思いがけない病気、事故、災害など、さまざまなリスクに直面する。このように何か問題が生じて解決を迫られたときに、まず、本人が自助努力で対処する。しかし、それでは無理なときは、本人の身近にいる家族・友人・隣人などが手を差し伸べる。これがインフォーマルな支援、すなわち互助である。自助と互助ではカバーしきれない場合にはシステム化された地域・職域の自治組織が支援する(共助)。この共助システムではなお解決しえない場合に行政が支援する(公助)。この4分論も、いわゆる補完性の原則に基づく社会形成の考え方であるが、自助と共助の間に互助を考え、共助としては地域以外にも社会保険を想定している。
個人が直面するリスクを、その本人の自助努力だけで克服せよというのは無理な話で、社会は、何らかの形で共同してリスクを分担する仕組みを備えていなければならない。自助から出発するにしても、自助の次に互助を想定せず、家族の支えを「共助」に包摂してしまうと、例えば、いつまでたっても家族を老親介護の責任から解放できないのではないか。家族は大事だが、それに頼りすぎては家族が参ってしまう。
互助は、自発性とゆとりと思いやりに基づく支え合い活動であって、その活動範囲も支援能力も限定的である。それは、家族・友人・隣人が無償で行う支援活動であるからである。しかし、自助のすぐそばに、この互助が息づいていることが自助の励みになるのである。老いて心身が弱っても、自分の生活に関することは自分で判断し、できるだけ自分で行おうとする個人の自助努力を尊重し励まし支援する、それが互助の意義である。自然災害のときにも、真っ先に頼りになるのは自助と互助の結びつきである。新型コロナ禍の困難の中でも自助に寄り添う家族・友人・隣人の親身な支援こそが大事である。
わが国にはシステム化された地域の自治組織として、自治会・町内会があり、近年は地域運営組織が台頭し、これらは市区町村行政と相互関係をもって活動している。この地域が共助の主体として期待されている。ただし、同じ共助のなかに、リスクを共有するもの同士で助け合う社会保険制度が存在し、国と自治体の行政(公助)が関わっているから、共助の主体は地域だけではない。共助システムである医療や介護の社会保険制度は、経費の約半分を国と自治体の公費(租税)で賄っているし、介護保険では保険者を市区町村にしているから、この共助システムは共助と公助の混合型といえる。それだけに、公費負担をしている国から、システム運用を通ずる効率化圧力が絶えず加えられる結果、公助から共助へ、共助から自助へとリスク負担を逆流させようとする動きが出てきやすい。要注意である。
共助、公助の成り立ちと役割については、このリンク先の厚生労働省白書に良くまとまっている。https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-01.pdf
(工業化に伴う人々の労働者化により、血縁や地縁の機能は希薄化した)
産業資本主義の社会では、企業が潰れたり、解雇されれば失業してしまい、また、けがや病気などで働けなくなった場合、労働者は所得を得られなくなる。その一方で、労働者が血縁や地縁の関係から一定程度独立した結果、それら血縁や地縁で結ばれた人間関係を基礎とする支え合いの機能は、近代以前の社会と比べて希薄化しているため、個人にとって、生活が立ちゆかなくなってしまうリスクは大きなものとなる面があった。また、産業資本主義の社会では、労働力の商品化の結果、モノやサービスの生産が「使用者-労働者」の関係を軸に展開するようになる。近代以前の社会と異なり、労働者は自己の労働力以外に機械や原材料などの生産手段を持たない。生産手段は使用者(資本)によって所有され、労働者はそれを借用しながら自己の労働力を提供する。この関係の下では、自ずと労使の力の差が生じる。使用者に比べて力の弱い労働者は、低賃金、長時間労働という劣悪な労働条件を強いられ、解雇のリスクにさらされるようになる。過酷で貧困な生活を送る労働者は増え、労働問題が大きな社会問題になっていった。労働者たちは、同業者の間で相互扶助的組織を設けるなどして生活上のリスクに対応してきたが、これらの組織に加入できたのは、経済的に多少の余裕のある熟練労働者などに限られ、多数の非熟練労働者などは、それらの組織に加入することができなかった。
(近代的な社会保障制度の創設はドイツから始まり、欧州各国に広がっていった)
近代的な社会保障制度が世界で最初に創設されたのは、大陸ヨーロッパのドイツであった。ドイツでは、19世紀終盤に、帝国宰相の地位にあったビスマルク(Otto von
Bismarck, 1815-98)により、法律上の制度として世界で始めての社会保険制度(疾病保険法(1883年)、労災保険法(1884年)、老齢・障害保険法(1889年))が制定された*3。社会保険制度は、事業主の負担と併せて被保険者(労働者等)自ら保険料を負担(拠出)することにより給付の権利を獲得するという関係があるため市場整合的であるとして、多くの工業国で社会保障の手法として第一義的に選好される傾向が強いものとなっていった。そして社会保険による給付は、市場経済的な権利関係の裏付けを欠くために、社会の負担、あるいは自助能力を欠く者との差別や偏見から逃れられず、受給にスティグマ(汚名)が伴っていた恩恵的・救済的福祉の給付とは異なっていた*4。また、あらかじめ生活リスクに備える点で、それまでヨーロッパ各国で主流であった事後的な「救貧」施策から事前の「防貧」施策への第一歩を踏み出した点でも大きく評価された。
(略)
(社会保障は、個人の生活上のリスクに社会的に対応する仕組みとして求められるようになり、産業資本主義の社会と国民国家の発展を支えていった)
このように、産業資本主義が発展する中で、血縁、地縁がそれまで果たしてきた人々の生活を保障する機能は限定的なものとなっていった。それらの機能を代替するため、傷病、老齢、失業などのリスクに公助又は共助という形で社会的に対応する仕組みが必要となり、現在に通じるような社会保障制度が求められるようになったといえる。
そして、社会保障が血縁や地縁の機能を代替*8することにより、人々は経済活動に注力することができるようになったという意味で、社会保障は産業資本主義の社会、国民国家の発展を支えていったともいえる。
(世界恐慌から第二次世界大戦までの間に、戦後社会保障の構想が練られていった)
1929年には、アメリカのニューヨーク証券取引所での株価の大暴落をきっかけに世界恐慌が発生した。その影響は大変大きなもので、1930年代には各国で多くの企業が倒産し、街は大量の失業者で溢れ、社会不安はますます増大した。
(略)
ケインズの理論によって完全雇用に近づければ、失業給付を激減させ、なお残る失業者に手厚い給付ができ、また、社会保障によって全国民に最低限度の生活を保障すれば、有効需要が増え、さらに失業者が減る。このように、ベヴァリッジとケインズの考えは互いに補強しあう関係にあった。これは「ケインズ・ベヴァリッジ主義(体制)」、「福祉国家の合意」などと呼ばれる。その後、ベヴァリッジは、第2次世界大戦中の1942年に、いわゆるベヴァリッジ報告(『社会保険および関連サービス』)を英国政府に提出し、「ゆりかごから墓場まで(Fromthe Cradle to the Grave)」のスローガンの下、新しい生活保障の体系*10を打ち立てた。このベヴァリッジ報告の影響を大きく受け、第二次世界大戦後には世界の多くの資本主義諸国で、経済の安定成長と完全雇用*11、国民福祉の充実を目指す「福祉国家」の潮流が広がっていった*12。
(戦後、どの先進諸国にとっても社会保障は不可欠なものになった)
(1970年代―オイルショック後の経済成長の鈍化等により、社会保障・福祉国家批判は大きな潮流になった)
(1980年代―新自由主義的な政策が採用され、社会保障・福祉国家の「見直し」が行われた)
(新自由主義的な政策は、経済のグローバル化の趨勢とも親和的だった)
(社会保障・福祉国家の「見直し」がもたらした弊害は大きなものだった)
(当初の「見直し」という目的が実際に達成されたかについても、見方は分かれる)
(1990年代以降、社会保障の重要性が再認識され、過去に指摘された問題点に応える努力をしながら、社会保障・福祉国家を再編成する時期に入っている)
(今日では、社会保障は様々な機能を持っており、私たちの経済社会に欠かせない重要な仕組みである)
今日では社会保障は、個人の視点からみれば、傷病、失業、高齢など自活するための前提が損なわれたときに生活の安定を図り、安心をもたらすことを目的とした「社会的セーフティネット(社会的安全装置)」という機能を果たしている。また、それを社会全体としてみれば、所得を個人や世帯の間で移転させることにより貧富の格差を縮小したり、低所得者の生活の安定を図る「所得再分配」や、「自立した個人」の力のみでは対応できない事態に社会全体で備える「リスク分散」という機能を果たしているといえる。
さらに社会保障は、必ずしも恵まれない人たちにも社会の一員としての帰属意識を共有してもらうことで社会的な統合を促進させる。また、消費性向が高い低所得の人たちに所得移転し購買力を高めることで個人消費を促進したり、医療、介護、保育などの社会保障関連産業における雇用の創出を通じて経済成長にも寄与する。こうした「社会の安定及び経済の安定と成長」といった機能も果たしている*20。
このように、社会保障は私たちの経済社会にとって欠かせない重要な仕組みとなっている。だからこそ、支え手である現役世代(働く世代)の人口が減る少子高齢社会において、どのようにして持続可能な制度を構築していくか、若年者等の失業問題や社会的弱者が孤立を深める状況(社会的排除)を改善するためにどのように社会保障制度を機能させていくべきか、経済のグローバル化に伴う国際競争の激化が雇用の柔軟性や流動性を要求する状況など社会保障が前提としてきた雇用基盤の変化や経済の低成長が続く中で、どのような所得再分配や雇用政策が適切なのかといった点は、先進諸国にとって、重要な政策課題となっている。
社会は貧困化するの件が感想でしかないので、感想に対する反論などありません残念でした
人生に遅いということはないよ
世帯年収1000万ぐらいだと税金が高くてお金がたまらないみたいな話をネットの記事で見て、
ケチな自分とはギャップがあるなと思ったので事例の一つと思って書き殴りの自分語り。
自慢っぽくみえることもあるんだろうなと思うので先に謝っとく、すまん。
ベンチャー企業でマネジメントをやっていて年収は多少ブレはあるけど約1400万。
1000万超えとるやないかと言われるかもしれないけど、生活については1000万の時代と変わらないので目をつぶってくれ。
奨学金とかは借りずに学費と一人暮らしの生活費を出してもらって大学まで卒業させてもらった、親には感謝している。
子供は私立には多分通わせない、というかケチだから通わせるという発想が今はない。
住居は都内の分譲マンション(山手線の駅に徒歩10分ぐらいの中古で築10年ぐらいの2LDK)を35年ローンで購入、支払いの残りは約4000万。
車は持ってない。
車は嫌いではないし、欲しいと思わないこともないけど、乗る時間とか用途を考えたらタクシーの方がコスパが良い。
とはいえタクシーも使わない、近場なら徒歩か自転車が主な移動手段。遠いなら電車。
子供がまだ小さいことや投資がほどほどに順調なこともあり、ここ数年は毎年500-600万ぐらい資産が増えてる。
楽天経済圏で生きるようにしていて贅沢はあんまりしない生き方をしてるつもり。
ちなみに楽天の回し者ではない、さらに言えばどちらかというと楽天好きじゃないし、ネットでの買い物はAmazonの割合が高い。
(書いといてなんだけど、もしかして楽天経済圏で生きていないのかもしれない…)
食費は4人で約月6万ぐらい。
服は基本ユニクロ、靴とかアウターとかカバンとかそういうのは多少お金を出してほどほどのものを買う。
本に使うお金は新卒の時からあんまり変わってない月1-2万ぐらい。
年収あがったのは本のおかげだと思うし、最高の自己投資だと思ってる。
買うのは自己啓発っぽいものやら仕事に関わる勉強のための本がメイン。
家電は時間効率が上がるものはちょっと高いものを買うようになった。
年収上がって一番贅沢してるなと思うのは電気代、昔は夏だろうが冬だろうがエアコンをなるべく使わなかったけど
最近は新型コロナウイルスのこともあって気にせず使うようにしている(若干胸が痛いが、子供のためと思うことにすることで年々痛みは減ってきてる)。
なんのためにお金を貯めているのかっていうと、将来の不安とか色々あるけど
一番は最もお金がかかる住居を気にしないで住むように購入したいと思っていたから。
だからマンションの残りローンをその他の資産が超えたときはとても感慨深い気持ちになった。
それを達成した今、目標は都内に一軒家を購入することに更新した。
子供がもう少し大きくなってきたら勉強とか習い事とかでお金かかるんだろう、あんまり考えたくない。
色々つらつらと書いて発散してしまったけど、このエントリで主張したいことはサラリーマンで徐々に年収が上がってきた人間の経験として
・年収600万ぐらいあれば都内でも贅沢しなければお金は結構貯められると思う(自分は年収600万ぐらいの時に独身だったのもあって貯金1000万ぐらいは貯めてた)
・周りで近しい年収帯で貯金できてない人は年収上がったタイミングで生活グレードを明らかに上げているので当然だと思う(車保有したり、家賃上げたり、明らかに服装が派手になるとか)
・税金が上がって搾取対象にされていると感じているし、優遇措置が縮小されたり無くなったりすることに対しては思うところがある
ちなみに、お金を貯められない人を別に馬鹿にしたりはしていない、というかむしろ憧れの対象だし、自分よりも経済を回しているというところで良い国民だと思う。
ただ派手に生活していてお金を貯められないって言っている人は自分の生活について客観性がないなと思って不思議に思って見てる。
なんだかとりとめのない文章になってすいません、最後まで読んでくれた人ありがとう。
反応くれた皆様ありがとうございます。
2回目の増田で多少反応がもらえて嬉しい。
(1回目はコメなし)
何故こんな日記を書いたかなんだけど、おそらく民放テレビ番組でIT企業役員と芸人を兼業している海外出身の男性芸能人の紀行トーク番組を見たからだと思う。
彼の堅実な考え方とか自由への考え方とかにものすごく共感したのと、最近目にした年収1000万の人の生活のニュースのギャップに思うところがあり急に書きたくなったんだろう。
見ていない人はわからないかもしれないが、彼の言っている自由というのはお金を貯めることでお金に追われることなく自由を手に入れるという意味だと解釈している。
多分年下だけど素直に憧れる。
コメントもらったので勝手に返信させてください(←これちょっとやってみたかった!)
電気ガスは自由化がきた時に営業電話かかってきた他の会社を使っているから楽天外。
通信は無料につられて楽天モバイル。でも通信悪いから無料期間終わったら別のに変えると思う。
普段使いのクレカも楽天。クレカ出すのちょっと恥ずかしいけど、最近はスマホ決済とかがほとんどだから、スマホのsuicaへのチャージとECサイトでの買い物がほとんどです。
匿名の洗礼を初めて浴びた気持ちだが、どんな形であれ関心持ってもらえたのは嬉しい。
端的に言いたい主張をまとめてくれているコメ。これを長い言葉で薄めたのが上の文章。
ただ一つ言わせてくれ、
俺 の 年 収 は 1 4 0 0 万 だ。
読んだことあるかも。
ところでこのコメントってテンプレ的なやつ?考えた人のユーモアセンスがすごい。使ってみたくなるね。
そうだね、その通りだ。
新卒時代はケチの最高潮の時代で、会社にアルミホイル巻いたおにぎりと自宅で入れたお茶持っていって飲んでたよ。自費の飲み会も一切参加しなかったし。しかも実家に寄生してたから初年度で確か200万ぐらい貯めた。
後出しですまんけど、年収600万時代の貯金1000万には、小学生時代のお年玉から学生時代のバイト代も含んでいる。
コメント主も自分で書いてるし、他の人も返答コメントしてくれているけど、ローンは今変動だと低金利だしローンには控除もあるから早く返すと損する計算。
お金の価値は変動するリスクがあるから投資をしてリスク分散しておいた方が良いと思っている。外貨も欲しい。
もし金利ががっつり上がった時は繰り上げ返済するかもしれない。
パッと浮かぶのは乾燥機付き洗濯機、冷蔵庫、自動掃除機、自動調理器、食洗機、全自動コーヒーメーカーとか。ありがちでつまんなくてごめん。
家事が時短されるものはネットのレビュー見まくるとか周りに持っている人いたらヒアリングしまくって購入して使い倒す。冷蔵庫は時短?って思うかもしれないけど肉をちょっと凍らせて日持させるタイプの物を購入した、結果買い物の頻度が下がっているので時短になっている。
最近A×B×Cで価値を出すだったり副業などでリスク分散するだったりが流行っているように思うが、
結果として1つの分野を本当に突き詰めたエキスパートが減ることを危惧している
もちろんA×B×C自体が新しい領域であると再定義できるような人間なら良いのかもしれないし、
ちゃんと個々の分野を極めていく勉強家なら良いかもしれないが、
並行して極めていくなんて簡単な話ではないし、
1つを突き詰めるよりは掛け合わせの方が比較的楽に価値が出てしまう分より高みを目指すという意識は下がるのではないだろうか
大手企業で自社内のみに専門性を張ったジェネラリストと化した総合職が他に行けなくなるような話に似ている
コミュニティに属している場合、自尊心というのはコミュニティからいかに大切にされるかでかなり変動する
コミュニティにとっての己の価値を受け入れてしまう性質がある(コミュニティ同一化)
これは全員ではない
自分の価値を自分で判断できる人もいる、しかしそうではない人もいる
じゃあどのように自分の価値が高まってる”雰囲気”を得られるかと言えば
手っ取り早いのが互助だ
ギブアンドテイク、私があなたを尊重するから、あなたも私を尊重してくださいみたいな
これが強いのが互助会
コミュニティ1個に依存するのはリスクが有るから、リスク分散しよう、それが自立だみたいな話がある
しかし複数のコミュニティで価値を高められる人というのは特殊な存在である
・性格がいい、明るい
・容姿がいい
・支払いが良い
・有名、権力が有る
・話がうまい など
あるいは上手い人は自分の価値が高まりそうなコミュニティを敢えて選んでいる
それは専門分野であったり、互助的なコミュニティであったりなど
例えば抜群の容姿の人なんかがそうだが
彼らは当然ながら互助しないので、彼らに何かしてあげても収支はマイナスになるだけである
与えられ慣れてる人に見返りを期待して与えてはいけないことになる
一方で彼らにとってのリスクは1つのコミュニティにロックされることなので、大抵はリスク分散しようとする
そういう人は1/0ではなく、程度による
例えば与えた際に返ってくる率(還元率)によってそれは程度化できるかもしれない
還元率がめちゃくちゃに高い人は、ただ微笑むだけで良い
少し高い人は、もう少し媚びるかもしれない
還元率が低い人は、十分な価値(承認)をコミュニティから得るために必要以上に与えてしまって
彼らが選択できるのは普通にすることくらいしかないが、それは不十分な価値で耐えろと言うことに他ならない
救いはない
還元率が高い人は、与えられるために媚びるかもしれないが
与えてくれる人に対しては塩対応になることがある
これは1:1の人間関係にも言える
例えば何か貰っても貰いっぱなしみたいな人は、当然徐々に互助から外されていくから
どこへ行っても基本的に上手く行かない
一般的な人(還元率が100%前後)がリスク分散しようとするなら、大抵与える量が多すぎて潰れてしまう
「コミュニティをリスク分散して自立しよう」みたいな意見はちょくちょく見るが
コミュニティから価値の還元を得られやすい人が言っている気がしてならない
代替案を挙げるとしたら「複数のコミュニティを試してみて取捨選択していこう」じゃないかなと思う
最初の話に立ち返るが
そもそも「コミュニティ同一化」をしない性格になれば全て解決するのかもしれない
「コミュニティの中で価値を高めることで満足する」という性質は村社会において全体の利益になりそうだし遺伝子レベルでそうなってるのかもしれない
一つ方法があるとしたらコミュニティに近づかないという手があるが
果たしてそれは正解なんだろうかという疑問も残る
また考えてみる
趣味+人、仕事+人、食事+人、というように人という因子は何にでも関わってくる
だから素晴らしい「友人」「恋人」のような存在が居れば全ての事象がアップグレードされる可能性がある
逆も然りで、その相手と上手く行かなくなったら突然全てがダウングレードされる危険性もある
全てが楽しめなくなるんだ
だから人付き合いが上手い人は1人に偏らないように分散して安定を図っている
私は下手なので全てがダウングレードされていく
子供の頃、幸せではないにしろ楽しかったと思うのはこのダウングレードが無かったからだろう
下手な人は、上手くなろうと複数の人と人付き合いを築こうとはなかなか思えない
一人に依存するのは確かにリスクだが、一人が最高だった場合、それだけで全てのアップグレードが期待できる
一発逆転が見込めるんだ
薄い目に賭けて更に負ける
リスク分散している人はリスク分散できていない人に対して人として自立していない未熟者と思うようだ
鬱陶しくなる
そしてまた下手くそな人は失敗する
それはわかる
アイドル部の一部Vtuberがあまり評判のよくないミルダムで週イチくらいのペースで配信している
You Tubeで誤BANをされたときにも配信できる場所を確保することになり
リスナーに安心感を与える(ガチBANだったら謹慎したほうがいいかもしれない)
同様に複数のプラットフォームで配信する場合でも、ホロライブのbilibiliミラー配信は
bilibili用に配信していればまた意味が違ったのだろうが
ホロライブ運営にありがちな「楽して金儲けしようとして火傷する」行動である
収入源としても一部のVtuberは収入の数割がbilibiliだったとの話があり
そう簡単には諦められないという弱点にもなりうる
アイドル部の方もミルダムのアーカイブをYou Tubeに動画投稿(転載)しており
あっちで良かったことがYou TubeではBANされる危険はなくもない
(北上双葉が冗談なのだろうが「ミルダムならやり放題だぜぃ」と
白銀ノエルのbilibili歌配信を知っている人には冗談に聞こえない発言している)
子供は生まれてしまえば何とかなる、今は無責任に感じる言葉かもしれないが、実際はそうでもないんだよな
子供についてはそこまで不安に思っている増田が、じゃあなぜ結婚したんだ?
貯金したり保険に入ったりしても、それで全てカバーできるわけじゃない
それは、できることは絶対にやる気持ちと、目の前にいる妻への愛情が、将来への不透明さに勝ったからでしょう
でも実際に結婚が無責任じゃないのは、人間関係とは一方的に責任を持つことではなく、相互扶助が基本だから
増田は一方的に妻を保護するのではなく、妻も増田を支えているし、増田に何かあれば妻が増田を保護してくれる
ひとりなら食えなくてもふたりなら食えると言われたように、共同生活の契約はリスク分散でもあり、お互いがお互いに責任を持つことで、片方に何かあっても共同体そのものが守られる
結婚生活をしているなら、増田はもうそれに気付いてるんじゃないか?
子供も同じだよ
子供を保護し責任を持つつもりが、結局はそれも人間関係なので一方的な関係にはならない
小さい頃の経済的関係では親に負担があるのは仕方ないが、様々な気付きや、情緒面での助けは小さくてもあるし、子に教わること、子に助けられることは年齢に限らずある
目の前にまだ子供がいないので、愛情面が先行して不安なリスクに勝ることは確かにないのかもしれない
しかし、では仮に子にクーリングオフ制度があって、3歳の誕生日に気に入らなければ3年前に時間を戻せます、という魔法の仕組みがあったとして、それを適応して子がいなかったことにする親なんて、よほど経済的事情等が変化した人くらいなもので、1万人に1人もいないくらいだと思う
必ず愛情を持てる
子が病気になったり、困難に見舞われることもあるだろうけど、じゃあ子供作るんじゃなかったなあ、となるかと言えばそうでもないと思うよ
・生まれたらなんとかなる
・起きてもないことを心配しても仕方ない
になると思う
考えたら何もできんよ
考えすぎたら結婚もできないし外出もできないよ
いやほんとわからん
王子はショックを受けて落ち込んでいたが、どう考えてももう一個の方がよかったのに、19Rader選ばれたのも謎だし、ボランティアなら数千万円の金はどこいったの、だし
そもそもなんでボランティアでまったり作ってて、そんなでっかい話になった時点で降りないんだよ
しかも今のところ王子の環境でしかデバッグできないんやろ?ありえんやろ
ボランティアだと当人は言ってるけど別の企業が数千万円で受けて、自分の会社がそれをまた受注しておそらく数千万円が手に入った時点で、なんらかのアクションはマイクロソフトからあるに決まってるだろ
オープンソースで自分が作った奴が日本中にばらまかれます。ばらまく作業は数千万円で受注したうちの会社がやります。俺は無償です
いやそんなんねえわー!
普通そんなことになったらまともなプログラマなら自分だけしかデバッグできないとか、そんなおっそろしい状況真っ先になんとかしようとするし、ボランティアで日本を背負えない、となってさっさと開発から身を引いて、逃げるわ
なのでひろみちゅに指摘されるまでは、ぼくがんばってる…!!!!みたいになってたけど、あの状況でボランティアの自分に全部おっかぶせられてリスク分散も考えずひたすら開発するとかまともなプログラマではありえないので、MSから金もらってるんじゃないのとしか思えない
そのとおりだなとも思うけど、
「ラクして儲けようとしているくせに」みたいな、
あるように感じたので、
夢も希望もない話を、
書きたいなと思った。
■パチプロの1日
・主にパチンコメイン
8時:
起床。
朝食を食べながら各種情報をチェック。
8時半:
還元に期待できる店があればそこへ向かう。
早めに家を出たりする。
(9時頃に抽選を行う店と並び順入場の店がある)
(打てる台候補については後述)
この場合は9時過ぎまで
家でのんびりしていることもある。
10時:
開店。
絞りきれない場合は、
台を押さえずに試し打ちをして状況を確認する。
満足できればそのまま続行するが、
最近はせいぜい「不満がない程度」のことも多い。
その場合、近隣の店をある程度回って、
良さげな台を探すこともある。
(その間に取られていることもあるので判断は難しい)
「不満がない程度」なら
そのまま店回りをして情報収集。
そのまま一旦帰宅。
21時頃、
12時:
打っている時は基本的にお昼休憩は取らないし、
お昼も食べない。
お昼までに打てる台がなかったり、
できるだけ食べるようにしている。
17時:
理論上は打ち続けたほうが良い台だったとしても、
夜8時半くらいまでは続行。
そこまでに当たりが取れなかったり、
それ以降、当たりが終了したらそこでヤメ。
候補台でも、結局は運なので、
自分の引きが弱くて負けることも珍しくない。
20時半:
閉店まで打ち切らなかった場合、
残り時間で閉店チェックを行う。
台の出玉状況、回転数、やめた状況などの情報が
23時:
帰宅。
長かったり短かったり毎日変動はあるが、
土日は混雑しているので、
朝イチで有力台を取れなければ、
前述のとおり、基本的には打てる台が見つかるまで、
夕方くらいまでは店を回る。
収支:
1年で270万くらいだった。
週単位で見たら
自分はヘタクソで、
運がないとも思っているし、
複数台を押さえたり、
あからさまなぶっこ抜きをしたり、
マナー違反してまで勝ちたいという強欲もないので、
もっと稼げる人、
■最後に
運だけで勝ってる人もいるかもしれないけど、
たまたま運が少しだけ続いていただけかもしれない。
100%ではない以上、
常に悪いほうに偏る可能性もあったと思う。
ラクなんてしてないことは間違いないと思うし、
(もし運だけで勝ってる人がいたら、それはもう才能だ)
それぞれみんな生きるのに必死なんだということが
伝わればと思って書いてみた。
具体的には何でもいいけどタンパク質を鳥肉、脂質を青魚、炭水化物を玄米、ビタミンミネラルはブロッコリーとほうれん草きのことあんたが普段してる食事を比較したらどんな疾患リスクが高くなるの?
まったく話が通じていないようなんだけど、俺は「既知の特定疾患のリスクが高くなる」なんて主張していないので知らんよ。
「タンパク質を鳥肉、脂質を青魚、炭水化物を玄米、ビタミンミネラルはブロッコリーとほうれん草きのこ」だけを長期的に食べ続けても、
人体に必要なありとあらゆる栄養が過不足なく完全に充足して健康でいられると思うなら、自分で好きに人体実験されたらよろしいと思いますよ。
栄養学は、少なくとも俺が生きているうちにはそんなことはまず言わないと思うけどね。