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はてなキーワード: ホームランとは

2023-03-26

anond:20230324010017

https://www.menuguildsystem.com/nijisanji-gundoumirei-wbc-apologize/

現在の設定】

野球ミリしらWBC決勝実況

ピッチャーを知らない体で)玉投げる人

球場内の)売り子はやったことがある

33-4(なんでや)

過去の行動】

プーさんホームランダービープレイ

投手発言

「お前全盛期の落合超えたよ」ホームラン

https://twitter.com/qRVN63mw1cRwPF5/status/1638776054717485056

漫画ミスターフルスイング既読

【ANYCOLOR】

上場企業

セパ両リーグコラボ

パワプロコラボ

にじさんじ甲子園

ロッテにじさんじマンチョコ

本件に限らず複数回不適切言動で都度注意、と累積警告による処分

鶯谷級の炎上狙いのデッドボール投げこんでV知らん層にも名前が売れるほど炎上したんだから本望だろうよ

2023-03-24

anond:20230324160622

NPBだけなら4098打席 118本塁打 本塁打率 34.8で、その二人よりはるかに高いよ。95年にはリーグ3位の25本打ってるし。

メジャーでは2005年の15本が最高だけど、1シーズンでこれよりたくさんホームランを打った日本人メジャーリーガー大谷松井城島井口の4人しかいない。

日本で長距離ヒッターだった選手メジャーに行くとみんなホームラン数が減るわけで、NPBだけの記録とMLBを含んだ記録を比較することは意味ないでしょ。

野球初心者のためのルール解説(と観戦ガイド)

前文に追記

ーーーーーーーーーーーーーーー

追記です。

そもそもストライクボールとか基本的なところもわからない方が多い、とのことなのでそこから説明しておきます

投手ホームベース方向に向かってボールを投げ、それを打者が打ち返して野球ゲームは進んでいくわけですが、投手がどこに投げても構わないというルールなら、バットが届かないところに投げ続ければいい、ということになり、野球は不成立になります

そこで、投手打者が打てるところに球を投げ続けなければならなくなるようなルールがあります

打者が打てないような変なところに球を投げたら、その球は「ボール」と判定され、打者が打てそうな真ん中付近エリアに球を投げるとそれは「ストライク」と判定されます

ボール」は打者が打てないくらい遠かったり高すぎたり低すぎたりする球なので、そんな「ボール」を4球投げたら投手打者勝負する気なし、として、打者は無条件で一塁に進んでいいというルールになっています

これがフォアボール四球です。

対して、打者が打てそうないいところに球を投げ「ストライク」となっているのに、それを3回も空振りしたり見逃したりする打者は出塁する資格なしとしてアウトとなり、次の打者と交代しなければならなくなります

これが「三振」です。

なので、ストライクは3つでアウトとなり、ボールは4球で出塁できます

そしてアウトが3つになれば、その回は終わって攻守交代となります

両チームが9回ずつの攻撃をし終わればゲームは終了です

これが野球基本的な流れです。

では、打てるところ、ストライクとなるゾーンはどこか?というのが次にわからないところでしょう。

投手捕手の間、また、打者のすぐ横に、本塁ホームベース)と呼ばれる塁があります

この本塁の上空を通過することがストライクの条件です。

ただ、高さにも制限があり、低すぎても高すぎてもダメです。

高さの上限は乳首あたり、胸の位置となり、下限は膝の位置となります

まり打者の背丈によってストライクゾーンは変動します。

では、本塁の上空に、膝から胸の高さまでの、本塁型の柱があると想像してください。

この空想上の立体に、投手の投げた球の端がわずかでもかすればそれはストライクです。

それを審判が見て判断し、ジャッジします。

ただし、ストライクゾーンに入らなかった球でも、打者バットを振ればそれはストライクとなります

なので、打ちにくいボール球を振ってしまうのは打者にとってメリットがありません。

ボールは見逃し、ストライクだけを振るのが基本ですが、変化球目の錯覚を利用して、投手ボール球を振らせようとしてきます

ここに駆け引きがあります

また、打者が打った球が、一塁と三塁の間のゾーンを通過しなければ、それはファールとなり、打者は進塁できずストライク扱いとなります

ただし、ファールは何球打っても2ストライクまでしか増えず、三振にはなりません。

ホームベースから一塁に向けて、白線が引かれていると思いますが、基本的にはこの線より外にボールが行けばファールです。

ただし、一塁ベースより投手よりを通った打球がその後ファールゾーンに出ても、それはファールとなりません。

打球が一塁ベースの外側を通ったか内側を通ったかでファールかどうか判定されます

(もちろん三塁線も同様です)

フライ場合は落ちた箇所がファールゾーンかフェアゾーンかで判断され、ホームラン場合フェンス際に立っている黄色ポールの内を通ったか外を通ったかホームランかファールか判定されます

ポールに直撃してもそれはホームランです。

塁(ベース)は4つあり、走者が一塁から二塁、そして三塁へ行き、最後本塁を踏めば1点入ります

走者は塁を踏まずに飛ばしたり、前の走者を追い越したりしてはならず、順番に一つずつ塁を踏んで進塁する必要があります

追記終わり

ーーーーーーーーーーーーーーーー

WBC野球見て盛り上がったけど、いまいちルールわからん?と思った方はいると思う。

野球ってルール難しいよね。

そこで、簡単に、初心者が混乱しがち、というか、いまいち納得できてないようなルール簡単説明しようと思う。

それがわかると走者の動き、守備の狙いなんかもわかるようになるので、ちょっと見え方が変わるかも?

目新しいことや複雑なことは言わないので、野球よく知っている人は、特に得るものはないエントリだと思いますのであしからず

まず、出塁と進塁、そしてタッチアウトフォースアウトの差について説明した後、タッチアウトやケースごとの走者の動きと、それに対応した守備の動きを説明するよ

出塁と進塁

野球の基礎的なルールストライク3つでアウト、アウト3つで攻守交替、走者が本塁を踏めば1点、みたいなのは知っていると思う。

それをもうちょっと深めて考えると、まず走者を塁に出す「出塁」と、走者を次の塁に進める「進塁」という2要素から攻撃が成り立っているのはわかると思います

出塁に関しては多分みんな知っていて、ヒットを打てば塁に出れるし、打たなくとも四球死球エラーなどでも塁に出れますし、これはとても分かりやすいと思います(振り逃げ以外)。

難しいのは進塁のほうだと思うので、進塁についてのルール解説していこうかな。

タッチアウトフォースアウト

走者をアウトにする条件として、基本はタッチアウトです。

ボールを持った野手が、ボールを持った手で走者に触れると走者をアウトにでき、走者を消せます

ただし、走者が塁に触れている限り、走者をアウトにできません。

塁が安全地帯ということですね。

しかし、タッチをしなくとも走者をアウトにできるのがフォースアウトです。

タッチされない限りアウトにならないのであれば、次の塁にすでにボールが送球されているなら、無理せず元の塁に戻ればタッチされず、アウトにならないはずです。

しかし、打った直後の打者走者は一塁に到達できないならバッターボックスに留まる、などはできませんし、一塁に走者がいる場合打者走者が一塁に行かなければならないため一塁走者は一塁に留まることができません。

このように、自分の後ろに走者が飽和していれば前の塁に戻ることはできません。

このような場合ボールを持った野手は走者にタッチせず、ボールを持って次の塁を踏むだけで走者をアウトにできます

これがフォースアウトです。

一番多く見るのが、打った直後の打者走者は、一塁タッチされず、一塁を踏んでいる一塁手がボールを捕った時点でアウトになっているケースで、これもフォースアウトです。

一塁走者がいる場合内野ゴロでダブルプレーゲッツー、併殺)があると思いますが、あれも二塁でフォースアウト一塁フォースアウトとなるため、タッチプレーにならずに速やかに送球されるのがポイントです。

タッチプレーが絡んでのダブルプレーはかなり難しいです。

ここまでが簡単な基本事項のおさらい。

ここからが本番だよ!

進塁していいタイミング

野球初心者のわからないところで一番多いのが、今何で走ったの?今何で走ったらダメなの?だと思う。

結論を言うと、基本的に走者はいいかなる場合でも進塁を試みることが可能です。

しかし、野球の多くの時間では、ボールフィールド真ん中にいる投手が持つため、むやみに進塁を試みてもすぐさま投手ボールを塁に送球するため、タッチアウトにされていまします。

なので走者は基本的には走れません。

そこで、打者ボールを打って転がし、守備ボールを保持しない時間を大きく作れば、その隙に走者は余裕をもって進塁を試みられます

それが打者ボールを打つ意味です。

しっかり打てば大きな時間を稼げるのでたくさん進めますし、しっかり打たなくともとにかくバットに当てて転がせばそこそこの時間を稼げます

その走者が進む時間だけを最低限確保するために、ボールバットに当てる行為が「バント」です。

もちろん隙があれば走者は走れるので、投手の球を捕手が捕りそこなった際にもよく進塁が試みられます

また、捕手から最も遠い塁が二塁なので、投手が投球モーションに入ってから捕手が捕球、それを二塁へ送球するまでの時間を利用して一塁走者が二塁進塁を試みることがあります

これが盗塁です。

もちろん二塁走者が三塁へ、三塁走者が本塁盗塁を試みることもありますが、難易度が跳ね上がります

タッチアップ

いついかなる場合も走者は進塁していい、と先ほど言いましたが、例外があります

それはフライアウトの間です。

打者が滞空時間の長いフライ打ち上げた時も走者が走ってよいなら、打者は滞空時間を競うようになります

そうなるとゲームバグってしまうため、「フライの間は進塁できない」というルールがあり、もしフライの間に進塁してしまっていたら、一度元いた塁に帰塁しなければならない、という決まりがあります

しかし、裏を返すと、野手フライキャッチした瞬間に元の塁に張り付いていたら、野手ボールを捕った瞬間に「進塁しちゃダメルール」が終わるので、また元の「いつでも進塁していい時間」が復活します。

そこで、フライの間は塁に張り付いておき、フライキャッチされた瞬間に進塁するのが「タッチアップ」です。

よく見られるのは無死または一死で三塁走者がいる場合外野フライ打ち上げれば三塁走者がタッチアップでき、本塁に戻って得点になるケースで、これは特に犠牲フライ」と呼ばれることもあります

ポイントは、キャッチした外野から、進塁先の塁が遠いほうがボール到達までの時間が長いので、本塁へのタッチアップが最も簡単で、次にライトフライで二塁走者が三塁へのタッチアップが多く見られます

二塁は外野から最も近いので、一塁から二塁へのタッチアップはほとんど起きません。

得点圏の走者

先ほど書いたように、ボールを捕球した野手と、進塁先の塁の距離は直接、走者が走れる時間に結びつくため、大事概念となります

得点が入る本塁外野から最も遠い位置にあるため、外野から本塁への送球が最も時間がかかります

そこで、二塁に走者がいる場合は、二塁打ほど大きな当たりを打たずとも、内野手の間を転がして抜くようなシングルヒットでも、得点が入るケースが多いです。

そのため、三塁だけでなく、二塁に走者がいる場合も、「得点圏に走者がいる」と言われます

例えば、無死または一死で二塁走者がいる場合外野ボールが抜けると一点入る可能性があります

二死であればあとひとつアウトを取れば交代なので、最も守りやすい基本の守備位置となりますが、無死または一死ならば次のプレーでの交代はまずないので、1点を争う場面だと二塁走者の本塁突入を防ぐ必要があります

そこで内野をぎりぎりゴロで抜くようなヒットで点を入れられないために、外野手は基本の守備位置よりずいぶん前に出て、バックホームで走者を刺せる位置で守ります

これが「バックホーム態勢」です。

バックホーム態勢」は二塁走者を本塁に返さないために有効ですが、外野手の頭を超えて長打となるリスクを持ちます

打球速度の速い鮮やかな外野前ヒットなら、そもそも走者は三塁でとまるため、バックホーム態勢の狙いは本当にゴロで内野を抜いていくヒットを刺す、となります

これが、3点差で勝っているチームの終盤、とかであれば、1点を防ぐより1アウトを確実に欲しいと考えることもあり、バックホーム態勢を敷かないケースもあります

1点差のゲームならまずバックホーム態勢となるでしょう。

フルカウントからの走者スタート

一塁に走者がいて、カウントが3ボール2ストライクの時、ボールならば四球で走者は進塁でき、ストライクなら打つため、打者は必ず投球に対してアクションします。

そのため、打者三振しない限りは捕手が投球をそのまま補球することがないため、一塁走者は少しでも早く次の塁を目指すために盗塁並みのスタートを切ってきます

通常なら走者一塁外野前ヒットなら走者一二塁となりますが、フルカウント一塁走者がスタートを切っており、打球が三塁から最も遠いライト前に放たれた場合、一気に走者一三塁とできるケースが多いです。

走者がぼーっとしてると一二塁で止まってしまうため、このような抜かりのない走塁をする姿勢はとても大切です。

ただ、スタートしても打者三振してそのまま二塁で盗塁死する三振ゲッツーもありますし、内野ライナーで帰塁できずダブルプレーという不幸なケースもありますが、少なくとも通常よりよいスタートを切るのは間違いないです。

これが2アウトならもっとそうで、三振したりライナーだったりするとその時点で交代となるため、走者が飛び出すことにリスクがなくなります

外野フライもそうで、無死または一死なら、外野フライを捕球されると走者は塁に戻らなければならないので、リスクを持ったスタートはできませんが、二死ならフライアウトの時点で交代なので、帰塁にメリットはありません。

2アウトならどんなフライでも走者はスタートを切るので、外野フライが抜ければ一塁走者が一気にホームインすることも珍しくありません。

ちょうどWBCメキシコ戦周東一塁から一気にホームインしましたが、あれは通常は2アウトからしか起きないようなプレーで、捕球されないことを確信した走りを見せた周東判断力が、走力以上に光ったプレーでした。

外野手も逆に、捕球できる素振りを見せれば走者は動けないので、明らかに頭を超えるような球でも、捕球できるように見せるため振り返ったり手を上げたりして走者をけん制しつつ、速やかにクッションボールの処理に移ることもあります

このように、カウントや状況によって走者のスタートがまるで変ってくるので、球場に行けばぜひ見て欲しいところです。

内野手はどこに送球するか?

走者はリードを取ってスタートするのに対し、打者走者は打ってから走るので一番遅いですし、一塁はいいかなる場面でもフォースアウトです。

そのため、微妙な打球の時、最もアウトにしやすいのが一塁への送球です。

そこで、確実にひとつアウトを取る時は、三塁走者の本塁突入無視しても一塁に送球します。

これが基本です。

ただ、走者が一塁にいれば一塁だけでなく二塁もフォースプレイに、走者が一二塁にいれば一塁二塁三塁全てがフォースプレイになりますし、満塁ならば本塁フォースプレイになります

なので、走者がたまると失点のリスクは高いですが、フォースプレイにできる塁が増える分、守りやすさも上がります

走者一二塁の時は、内野手が捕球すれば自分から一番近い塁に走る(投げる)だけでフォースアウトにできますので、送球ミスリスクが下がります

1死二三塁の時、一塁あいているため本塁フォースプレイでなくタッチプレイになりますが、タッチプレイはアウトにできる確率が下がり、ダブルプレーを取りにくくなります

そのため、二三塁の時にあえて一塁を埋め、本塁フォースアウトから一塁アウトを狙える満塁策もあります

特に、同点の裏の回で走者二三塁だと、三塁ランナーが返った時点で試合は終了となりますから一塁を埋めるデメリットはありません。


無死一塁の場面、打者送りバントをすると、打者自体一塁生還するほどの時間はありませんが、スタートの速い一塁走者を二塁に進める時間は確保できます

この時、野手バントを好捕したならば、二塁に送球すれば走者をフォースアウトにできる可能性があります

仮にバントを二塁に送球しアウトにできればファインプレーなのですが、二塁がセーフになってしまった場合、「野手選択」という送球者のエラーが記録されます

それほど一塁をアウトにすることは簡単で、その他の塁をアウトにすることは難しいのです。

よく、1死三塁などの場面で内野ゴロを打つと、本塁に投げても間に合いそうなのに、一塁に投げるケースが多く見られます

それはそのくらい、本塁タッチプレイでアウトにすることは難しく、そのリスク一塁で確実にアウトを取ることと釣り合わないと考えているからです。

野球はどう頑張っても3アウト×9回の27アウトの間しか攻撃できませんので、ひとつのアウトを確実に取るプレーは実はとても大切なことで、そのために1点を差し出すこともいとわないケースもあるものです。

そのあたりの選手の考え方は、野手守備位置を見るとある程度わかります

内野手がベースを結んだ線より投手に近いところにいれば、内野ゴロでも確実に本塁アウトを狙うバックホーム態勢で、通常守備位置なら

2023-03-23

野球ルールがわかる」はどうやって判断すべきか?

1. 「ピッチャー」「バッター」を理解している

2. 「ホームラン」を理解している

3. 「ストライク」「ボール」「アウト」「フォアボール」「デッドボール」を理解している

4. 「ヒット」「ファウル」「刺殺」を理解している

5. 「キャッチャー」「ファースト」「サード」「ライト」「センター」「レフト」を理解している

6. 「セカンド」「ショート」を理解している

7. 「代打」「代走」を理解している

8. 「盗塁」を理解している

9.バント」「犠牲フライ」を理解している

10. 「フォースアウト」「タッチアウト」を理解している

11. 「エンタイトルツーベース」を理解している

12. 「振り逃げ」を理解している

13. 「インフィールドフライ」を理解している

どこまで知ってれば「野球ルールがわかる」と言える?

2023-03-18

anond:20230317180305

だいぶまえにNHKでどっかの大学先生が(めちゃうろ覚えでごめん)

日本人は体格と筋力に劣るので体重移動を利用してボールを飛ばす技術習得した」

メジャーホームランバッターは体格と筋力的に回転だけでホームラン打てるから体重移動を使わない」

コメントしていたなあ。それこそ大谷とかの体格・筋力ならメジャー式のフォーム問題ないって感じよね。

忙しい人のための2023WBC名シーン(侍ジャパン以外)

日本侍ジャパンで大盛りあがりだけど侍ジャパン以外のWBC面白いので紹介したい。

①POOL B 韓国-オーストラリア 韓国チャレンジ失敗とT.エドマン盗塁失敗

https://youtu.be/10mapdh-tho?t=506

今回のWBC最初番狂わせと言ってもいい試合

韓国は8回裏1アウト満塁のチャンスも内野ゴロでの1点に終わるのだが、このとき二塁アウトの判定をめぐりチャレンジ(ビデオ判定のこと)を要求するも判定覆らず。

続く9回裏、韓国系アメリカ人のT.エドマンがヒットで出塁するも2アウトからまさか盗塁失敗でゲームセット

メジャーで2年連続30盗塁を記録しているエドマンでも空回りするWBC

しかしこの盗塁リプレイで見るとセーフのようにも見える。

1次リーグではチャレンジ権が1回しかなく、韓国が8回にチャレンジせず9回に温存していればエドマン韓国英雄になる世界線もあったかもしれない。

 

②POOL A 台湾-オランダ 張育成の満塁ホームラン

https://youtu.be/cOM1WSgX_mI?t=171

実力伯仲のPOOL Aにおいてやや格上と見られていたのが前回ベスト4オランダ

予想どおりオランダが先制するが、2回裏台湾の四番で唯一のメジャーリーガー・張育成が満塁ホームランを放つ。

実はもともと張育成は調整を理由WBCを辞退するつもりであった。

しか台湾では「補充役」という兵役短縮の恩恵を受けた選手国際大会招集拒否できないというルールがあり、張育成も「補充役」のメリット享受している選手のひとりである

この「補充役」の選手代表招集拒否することに台湾野球ファンの間で議論が起こり、台湾リーグコミッショナーが直々に張育成本人を説得し参戦するに到った。

こういう経緯があるため私は張育成の本気度を疑っていたのだが、この一打と咆哮を見て彼を疑った自分を恥じるとともにすっかり張育成のファンになってしまった。

 

③POOL A イタリア-オランダ ラソーラの9球

https://youtu.be/Z_PW8QpzY78?t=341

POOL Aは全チーム2勝2敗でならぶ結果となりWorld Baseball Chaosとも称された。

その最大のハイライトを上げるならPOOL A最後試合、満塁のピンチを抑えイタリア初の1次リーグ突破を呼び寄せた「ラソーラの9球」だろう。

無失点で切り抜けた彼のガッツポーズ雄叫びをぜひ見てほしい。

 

④POOL D ベネズエラ-ドミニカ アルカタラまさかK.O.

https://youtu.be/AtP3U7CVmeE?t=275

ドミニカ代表アルカタラは昨年、その年最も活躍したピッチャーに与えられるサイヤング賞を受賞した世界最強のピッチャーだ。

なにが凄いかというと160km/hのストレート、160km/hのツーシーム、150km/hのスライダー、150km/hのチェンジアップぜんぶエグい。

そんな最強ピッチャー攻略し盛り上がるベネズエラ選手ファンタオルで顔を覆う失意のアルカタラとのコントラスト

 

⑤POOL D ドミニカ-プエルトリコ F.リンドーアランニングホームラン(記録はヒットとエラー)

https://youtu.be/FDXHEruN4wE?t=293

勝ったほうが準々決勝に進出する大一番。

打ったリンドーアショートを守りつつめちゃめちゃ打つスタープレイヤー

守るJ.ロドリゲスは去年デビュー1年目の選手としてメジャーリーグ史上初めて25本塁打・25盗塁クリアした新人王

何が起こるかわからないWBC

プエルトリコナインの盛り上がりがこの大会への本気度を物語っている。

この試合最初から最後までぜんぶ面白いので暇だったら見てほしい。

2023-03-16

[]リトルリーグホームラン

野球用語

守備側のエラーが重なって、打者ランニングホームランのように本塁まで帰ってくること。

記録上はヒット+エラーでありホームランとは記録されない。

リトルリーグのようなお粗末なプレーだという意味だと思われる。

2023-03-14

anond:20230314114110

なんで下から上に振り切れるパワーと技術があるなら、ホームラン増やそうとするなら打球角度的にアッパースイングの方が合理的ってのが今の理論やね。要するに大谷スイングやね

2023-03-11

から人妻デリ呼んでヌードバーしてもらうわ

具体的にはトップレスで酒を注いでもらうだけなんだけどな

「これぞデリヘル界のホームランやぁ~~~~ぁ(彦摩呂)」をやりたくてな

止めないでくれよな

2023-03-08

[]のび太と空の理想郷

のび太と空の理想郷』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

85点ヤッター! 点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。有り体に言えば凡作+程度であって満足ではないんだけど、個人的な加点要素として「映画館のサービスディを利用して1,200円でみた」「やっぱVガンはいいよね」があるので実は加点で100点。余は満足じゃ。

のび太エンジェルハイロウ

崩れ落ちる空の理想郷の上で、友情憧憬がぶつかり合います

平和祈りユートピアの輪を飛翔させるのでしょうか。

さらわれた幼子の魂が心を操る光を落とさせるのでしょうか。映画ドラえもん、『のび太と空の理想郷

見てください!!

感想

全体的の凡作と評したとおり、いつものドラ映画構成で退屈感はあり、ひねりもテーマ性もドラ映画の傑作と比べて足りてないのだけど、「未来世界犯罪者が空に浮かぶ巨大要塞都市さらってきた人々を満載して、『人の心を操る光』で心の優しい優れた人間に改造して世界平和にする計画を立てている」という、おい、おま、Vガンダムだろ。という立て付けなので歪んだおたくであるワイは楽しめました。

クライマックスにはコロニー落としもあるよ。

パーフェクト小学生のび太の「わるいね、またホームラン撃っちゃって」っていうセリフには一聴の価値があるとおもいます。一方でしずかちゃんシャワーシーンには「裸のお姉さん!?」という台詞はありませんでした。

最近の新作ドラ映画の悪いところである「なんかクライマックスっぽいシーンで友情とか友達とか大切とか、そういう盛り上げワードを散りばめただけの、実は説得の理屈的にはあん意味合いのないセリフをぶっこんで、とりあえずいい話風にしときゃいいだろ」っていうのは、この映画でも健在で、そういう意味ではすごくダメ映画なんだけど、ドラ映画に対する期待値宝島マイナス方向二次元突破してたから無傷ですんだ。

しろふうてんの寅さんと同じで、あんまり面白かったらむしろ良くないのかもなぁ、とも思いますし。

2023-02-18

共同通信記者氏の発言への苛立ちに、日本希望を見た気がする

先進的なカルチャーを取り入れている組織、たとえばIT会社なんかでは「失敗を推奨しよう!」みたいな掛け声が飛び交っている。

俺の体感では少なくとも15年前くらいにはそんな掛け声があった。

15年経ってもその掛け声は健在。つまり、俺たちが「失敗を推奨する」カルチャーを手に入れるのは15年やそこいらでは無理だったってことだ。

自分が損をしてでも相手利益を得ることを阻害する行動のことをスパイト行動というらしい。

日本人はその傾向が強く、人の成功を望まず、喜べず、お互いがお互いを邪魔するかのように貧しくなってきている、というが俺の体感だ。

ロケット打ち上げを中止したか失敗したか

そんなのはどうでもいいんだが、共同通信記者氏が中止ではなく失敗と定義しようとし、それをもってJAXAに対する批判的な空気を作ろうとしたことに対し、

少なくともネットユーザが苛立ちを見せているのは、悪い傾向じゃないんじゃないかとしたんだ。

どんなことでも百発百中はあり得ない。ヤクルトスワローズ村上選手ホームランをたくさん打てるのは、それ以上に打席がたくさんあるからだ。

これからも俺たちは中止や失敗をたくさん目にするはずだ。

それを俺たちが受け入れ、むしろ応援していくことができるなら、案外スルッと日本はいい国になるんじゃないかと思ったりする。

2023-02-09

追記婚活パーティーに初参加した。(書きなぐりレポート)

この前の日曜日地方都市婚活パーティーに参加した。

参加条件は男は大卒or年収550万以上or公務員、女は結婚に前向きであればOK

といったよくありそうな前提であった。

男は30前後が多く、清潔感のある人もいれば男の自分から見ても「ん?」というような人も少なからずいた。

女性2431までの幅はあったがやはり30前後の人が多かった。

10:女10が参加しており、男が女の席を回りながら6分間の会話×10をした後に気になる人に投票を行い(何名でも可能)、

その結果を見た後3位まで順位をつけて再投票マッチングした男女で街に放り出されるというもの

6分×10回の内容はそれぞれの覚えていないため割愛する。

なんせ10回も間髪入れずに連続で似たようなことは話していては覚えていられないのである

その中でも記憶に残っているのは2人いた。

24の子はとにかくノリがよく、話が弾んだと思っていた。(過去形)

28の子は地味目ではあるが、身なりがよく会話がしっかりできていた。(思い上がり)

他8人も会話はできたし感じは悪くなかったと記憶しており、

ネットでよく見るような初手で職業年収を聞いてくる人はいなかった。

あれは都市伝説だったのか、と少し残念な気持ちになった。

そんなこんなで気になる人の投票結果発表である

なんと5名から投票されていた。

何人にも投票できるシステムであるから、その5人が男全員に対して投票した可能性もあるが

悪い気はしない。

28独身男性人生3度目のモテ期がきたかと思われた。

先の2人から投票されており、再投票の結果28歳の方とマッチング


2人で街に放り出され、相手の予定が1時間ほど空いているとのことで喫茶店へ向かうことにした。

ちょうど昼時ということもあり2人の飲み物軽食を購入し雑談をした。

やれ趣味はなんだ、婚活はどれくらいしているだ、どんな生活を送っているのか、将来的にどんな生活をしたいか

よく言えば他愛もない、悪く言うと当たり障りのない会話をしていたと思う。

あっという間に時間が過ぎその日はラインを交換し、どうぞよろしくお願いしますといった感じでその日は終えた。

ラインのやりとりをぼちぼりしていくわけだが、1週目は夜に返事が返ってきていたが、

2週目は返事が返ってこなくなってしまった。(現在)

個人的ラインが苦手なものの、なんとかうまい事会話できていたと思っていたが

こちらの思い過しであった。

次はもっと上手くやろう。

婚活って難しい。求ム識者。

特段面白い落ちがないのだが、参加費分くらいのアウトプットはしたいと思う。

お金にはならないけどね。駄文にお付き合いありがとうございました。



追記

こういった類のものは1話で完結するのが様式美だと思っているが、

増田たちからの反応が嬉しくて追記をする。(2話目)


応援から叱責、ポイズン意見など自分では思っていなかった事を書いてくれて非常に嬉しい。

ブコメも見てます

多くの肯定的コメントありがとう。励みにしていきます


>>>当たり障りない会話で繋げる、みたいな時点で難しいんだと思う

>>>もっと積極的に誘って、ダメならダメで次に行く覚悟で仕掛けてった方がいいんじゃなかろうか

>>>彼女は、会話では当たり障りのないことしか言えないあなたでも、ラインなら真摯に語ってくれることを期待して

>>>一週間相手をしたが、おおむね、つまらない相手だと理解できたので、関係を終了した。

かに、何かラインしなきゃの精神でその場しのぎが続いてしまっていたと思う。


>>>だらだらと2週間も他愛も無い話して何してんだお前

>>>ちょっといかも?程度でも運命相手だと思って全力で落としにかかるんだよ。

>>>次はマッチしたらすぐにデート約束してプレゼント持っていけよ、そんでデート中に次のデートの話をしろ

ガツガツしすぎてはやり目かと思われると思ったのですが、それくらいはありですかね

過度の遠慮は相手に失礼ですね。気をつけます。


ちなみにですが、当方転勤族ということもあり理解が得られそうな方に投票しました。

前提は男女で違いますが、あの場は全員互いに対等だと思ってます

スペック的なことを何一つ書かなかったからか、増田好意的に受け取ってくれる方が多いのだけど、

絶対直せと突っ込まれるであろうステータスがあり、身長171cmに対して体重75kgとなっております

ダイエットしつつ頑張ります。。

他のスペックは書いても面白くないので割愛

あと、人生3回目のモテ期と書いたがそれは幼稚園小学生の頃の話だよ。

増田たちのいう通り、数打ってなんぼの世界だとは思うから今後もリベンジします。

ホームランを打ったらまた報告します。ありがとうございました。

2023-02-02

anond:20230202020747

びっくりした。その条件を本当に求めていることに。もう条件が譲れないならそれでいいので、実践してみたほうが早いんじゃないかと思う。

傾向はあるけど、1人だけつかまえれば終わりなんだから、初打席ホームラン可能性がないわけではないし。たとえ気に入った人とうまく行かなくても、その人と継続的に会うわけじゃないし、気楽にはじめたらいいのでは。いろいろやっていくうちにここは足りないけど、ここはいいから前に進めるとか出てくるでしょ。実際に相手を見ないとそういうのはなかなかわからないよ。

2023-01-18

anond:20230118121308

イチローさんの記録ね

これを老害と断じる根性すごい

2023-01-18 12:13

anond:20230117161820

食事のせいで思考老害っぽくなってしまったんちゃうんか?

1 通算3089安打、生涯打率3割1分1厘

イチローメジャー通算3089安打歴代22位の記録であり、生涯打率3割1分1厘は歴代13位、そして3000本安打を達成した32人では最高の打率だった。イチロー3000本安打10333打席2452試合で達成したが、これはそれぞれ13番目と14番目の早さだった。

2 日米通算安打4367本

メジャーへ来る前の日本パ・リーグでの9年間に記録した1278安打を含めると、イチロー通算安打記録は4367本となり、これはピート・ローズよりも111本多い。

3 歴史的デビューイヤー

イチローメジャー1年目の2001年歴史的快挙でリーグを席巻。MLB史上初の日本野手となったことに加え、イチローは同年、安打242)と盗塁(56)でその年のメジャー最多を記録し、メジャー記録の116勝を達成したシアトルで主に1番打者として貢献した。

4 史上最高のルーキー

イチロー2001年ア・リーグ最多安打新人王、そし年間MVPを獲得。MLB史上、現在に至るまで最初シーズンでこの3タイトルを獲得したのはイチロー唯一人である新人王と年間MVPの2タイトルを初年度で獲得したのでさえ、イチロー以外には1975年レッドソックスで達成したフレッド・リンのみである)。

5 年間最多安打記録

リーグの年間試合数が公式に162試合となった1962年以降、イチローは年間最多安打数のトップ2を独占しており(2004年の262本と2002年242本)、トップ6に3回、トップ18に5回ランクインしている。イチロー2004年ジョージ・シスラーの持っていた年間最多安打記録(257本)を更新したが、シスラー1920年に記録を達成した際の試合数は154試合だった。

6 通算7回の20試合以上連続安打

イチロー20試合以上連続安打キャリア通算7回記録しているが、1900年以降、イチロー以外でこれを達成したのはピート・ローズシスラー、そしてタイ・カッブ(8回)のみである

7 生涯打率が3割を切ったのは1度だけ

イチローはそのキャリアにおいて、一度のみ、試合後の生涯打率が3割を切ったことがあった。それはルーキーイヤーの2試合目に4打数安打とし、通算9打数2安打の2割2分2厘としたときであり、続く3試合目を4打数2安打とすると、その後は生涯打率が3割を切ることはなかった。

8 デビューから10連続200本安打

イチロー最初10シーズン10連続200本安打を達成し、その間の年間平均安打数を224本とした。200本安打を達成した年数で、イチローローズと並んでいるが、ローズ10連続ではこれを達成していない。

9 三塁打3000本安打達成

イチロー2016年8月7日クアーズフィールド通算3000本安打を達成。この際、イチロー三塁打でこの大台に乗せた選手として、ポール・モリターに次ぐ史上2人目の選手となった。

10 27歳のデビュー3000本安打達成

イチロー日本での長く成功を収めたキャリアにより、メジャーデビューは27歳のときだった。3000本安打達成者で、ここまで遅い段階でメジャーでのキャリアスタートさせた選手は他にいない。これまでは、1982年24歳でキャリアスタートさせたウェイド・ボッグスがこの記録を持っていた。

11 27歳以降の安打数は2位

27歳以上で記録した安打数として、イチローの3089本はローズの3357本に次ぐメジャー史上2位の記録である1947年以降で見ると、イチローに次ぐ記録はスタン・ミュージアルの2635本となっている。

12 史上2番目の高齢で3000本達成

イチローは42歳9ヶ月16日で通算3000本安打を達成。これは19世紀選手であるカップ・アンソンに次ぐ史上2番目の高齢記録である

13 ホームビジターわず安定した成績

イチローは驚異的に安定していた。中立地の東京での2試合を迎えるにあたり、彼のホーム通算打率は3割1分2厘、ビジター通算打率は3割1分、そして各月の平均打率を最低でも2割9分5厘としていた。

14 左打者の対左腕で最高打率

実のところ、イチローは右投げ投手打率3割4厘)よりも左投げ投手打率3割2分9厘)を得意としていた。データのある1974年以降、イチローは左打者として対左腕の最高打率を記録。また、74年以降、対左腕で1500打席以上ある選手で、イチローを上回る右打者カービー・パケットマニー・ラミレスデレク・ジーター、そしてモイゼス・アルーの4人のみ。

15 メジャー全チームから安打を記録

イチローメジャーリーグ全チームから安打を記録し、アスレチックスに対して最も多くの安打を記録した(320本)。またホーム以外の球場では、オークランドで最も多くの安打を記録した(168本)。

16 1番打者での史上最高打率

イチローは彼の世代では間違いなく最高の1番打者であり、1番打者として2529安打を記録している。これは、トップバッターとしてリッキー・ヘンダーソン(3020安打)とローズ(2924安打)に次ぐ記録であるが、イチローの1番打者としての打率3割2分3厘は、ローズの3割8厘とヘンダーソンの2割8分を遥かに上回っている。

17 史上唯一、オールスターでのランニングHR

イチローオールスター通算10回出場しており、サンフランシスコで行われた2007年の試合では、史上初にして現在も唯一となるオールスターでのランニングホームランを記録した。彼はその年のオールスターMVPを受賞している。

18 500盗塁3000本安打を達成

イチローは塁上でも大きな脅威となってきた選手であり、キャリア通算509盗塁を記録している。彼は500盗塁3000本安打の両方を達成した7人のうちの1人であり、ヘンダーソン以降でこれを達成したのは彼が初めてだった。イチローは42歳まで毎年2桁盗塁を記録しており、1920年以降、イチロー以外で40歳を超えて年間2桁盗塁を3回以上記録したのはヘンダーソンのみである

19 盗塁成功率81.3%

1950年以降、通算500盗塁を達成した20人中、イチロー成功率81.3%はヘンダーソンを凌ぐ4位の記録であり、成功率で彼を上回ったのはティム・レインズウィリーウィルソン、そしてデイビーロープスの3人のみである

20 10連続ゴールデングラブ賞

イチローメジャー最初10連続ゴールデングラブ賞を受賞。イチロー以外で10連続ゴールデングラブ賞に輝いたのは殿堂入りしたレッズ捕手ジョニー・ベンチのみである。彼によるゴールデングラブ賞10回は、外野手として(ケン・グリフィーJr.アンドリュー・ジョーンズアル・ケーラインと並ぶ)歴代3位タイの記録であり、外野手歴代最多はロベルト・クレメンテウィリー・メイズの12回となっている。

https://news.jsports.co.jp/baseball/article/20190310215984/

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

anond:20230106130526

盗塁数2倍にしたいから足の速いやつだけ二倍盗塁すれば解決とか頭悪すぎて草

イチロー盗塁数年間100から200にすれば解決やろ!!

大谷ホームラン数2倍にすれば解決やろ!!ってリアル友人に言ってみろよお前にいるならだがw

失笑されてバカなお前を再認識させられるだけだろw

2023-01-01

2022年海外ドラマで一気見したやつ

自分配信系はほぼ全部網羅してるのでサービスにばらつきがあるのはすまない

あとタイトル並び見ればわかるけど偏りがけっこう、というか思い切りある

Netflix

オザークへようこそ

2022年に最終シーズン

実はS1をある程度見て離脱したけど、終盤に向けてじわじわよくなってると聞いて最初から全部見直していった。

それはさすがに無理あるな展開も出てくるが、ブレイキング・バッドとはまた違った家族犯罪巻き込まれドラマとして、味のある終わり方をしたと思う。

この作品で大ブレイクしたジュリアガーナーイライラさせられつつ引き込まれる名演技連発だった。彼女がいなかったらここまで引っ張れなかったと思う。

ストレンジャー・シングス S4

S1の頃から見続けていて、待ちに待っていたS4なだけに一気見はしたものの、正直そこまで楽しめなかった。

これは仕方ないんだけど子役だった出演者がみんな大きくなってしまって、あんまり可愛げがなくなってしまったのが原因のひとつかもしれない。

そんな中でマックスけが急激に魅力的になっていて、さら彼女テーマソング的にケイト・ブッシュ名曲Running Up That Hillがフューチャーされたのは鳥肌ものだった。

サイバーパンク:エッジランナーズ

ゲームサイバーパンクからアニメ作品。この作品のおかげでゲーム購入者がかなり増えたとも言われてるヒット作。1話30分で全10話なので見やすかったので一気見。

ビジュアルはかなりかっこよくてキャラも魅力的。イケイケな展開かと思いきやちょっと切なさもあったりして作品としてまとまりが良かった。

SF的に目新しい要素とかはないものの難しい事を考えず安心して楽しめた。

本気のしるし

名古屋テレビ放送されていた漫画原作恋愛ドラマ

原作漫画を読んだ記憶がおぼろげにあって、なんとなく見始めたら面白くて最後まで一気見してしまった。

まず原作がすごいというのが前提ではあるんだけど、実写ドラマになることでより生々しさが出てる、でもギリ重すぎない。1話30分くらいでまとめてるのも良いのかもしれない。

森崎ウィンもいいんだけど、浮世役の土村芳がはまり役で素晴らしかった。ちなみに映画版もあるらしいけどそちらは未見。

地方局ドラマということであまり有名ではないかもしれないけど、恋愛ドラマ好きなら是非見てほしい。

ピーキーブラインダーズ S6

キリアン・マーフィーによるキリアン・マーフィーのためのキリアン・マーフィーがひたすらかっこいいギャングドラマ

これはもうただただ個人的キリアン・マーフィーが見たくて見てるだけ。内容はもはやそれほどしっかり頭には入ってない。

一番の見どころはギャングの抗争でも恋愛でもファミリービジネスでもなく、キリアン・マーフィーのタバコ入れやライターがどんどん豪華になっていき、そのタバコを吸うシーンだけで満たされるという点。

ぶっちゃけ内容的にそれほど面白い展開はない。雰囲気がすべて。

アンダーカバー: 秘密捜査S1

3シーズンあるのでそれなりに人気作なのかもしれない。自分S1だけ一気見した。

めちゃくちゃ地味な潜入捜査ものなんだけど、なんとなく見れてしまう系。

今年の頭くらいに一気見したらしいんだけど、ほとんど内容覚えてない。そういう意味ではほんとに暇つぶしにはこういうのがいいのかもしれない。

また暇で仕方ない時にS2見てみようかなと思う。

アマプラ

ペリフェラル

クロエ・モレッツ主演のSFもの

なんてったってあのウエストワールドジョナサン・ノーラン作品ですよ(製作総指揮だけみたいだが)

(ちなみにこれは毎週1話ずつ配信だったので一気見ではないけど、一気見できたら確実にしてたと思うので入れてる。)

今年一番楽しみだったドラマで、中盤までは最高だった。後半はちょっとあれ?ってなったけど、まだもち直せるぞと密かに思ってる。

本当の評価S2を見てからと決めているが、ちゃんと作ってくれるよね・・?

まあ映像だけでもきれいなので見てて気持ちがいい。SFなので設定とかの面白さはもちろんだけど、出てくるキャラもいい味出してる人だらけ。

逆にSF要素がわかりにくいと感じる人はいるかもしれない。

クロエさんもかわいくていいですよ。

THE BOYS S3

相変わらず面白かった。このドラマS1~S3通してずっと面白い。

暴力的グロ表現がやたら多いのでダメな人にはまったくダメだと思うが、そっち系OKなら最高のアンチヒーローもの

物語としてはS2でいったん区切りがついた感もあって、若干の中だるみも感じるものホームランダーの孤独狂気にやっぱり夢中になってしまう。

U-NEXT

ウエストワールド S4

S3があまり面白くなかったので忘れていたけどいつの間にかU-NEXTにきてたので視聴。結果は一気見。

新たな展開という流れでストーリーはとても面白かった。S3からあれ以上変に引っ張るよりはこっちのほうが正解な気がする。

S1の衝撃は個人的にいまだに強烈なので、そこを超えるまではいかなかったものの、SFドラマとしてはクオリティ高いと思う。

ちなみにS5もあり得る終わり方だったけどS4で打ち切りだそうです。うんそのほうがいいと思う。

ハウスオブドラゴン S1

今年見た海外ドラマの中で俺的No1作品

ペリフェラルと同じく毎週1話つの更新だったけど一気見できるなら確実にしていたのでこれも入れる。

ゲームオブスローンの前日譚なのでもちろんGOTファンには刺さりまくるわけだが、GOT見てなくても全然問題ない。GOTより何百年も前の話なので直接的な関連する要素はないので。

適当作品だったら嫌だなあと思って見始めたが面白すぎて毎週楽しみで仕方なかった。

話の重厚さ、面白さ、キャラクターの魅力、世界観の厚み、映像の美しさ、全て非の打ち所がないのでマジありがとうございます

いや、ストーリーに関していえば、ちょっとスケール感じないというか、お家騒動的な内輪もめを繰り返してるだけやん?と思わなくもないがドラゴンが全てを解決する。

S1の主役はレイニアではなく王様玉座のシーンはめっちゃ泣けた。

ピースメーカー

U-NEXTハウスオブドラゴンのために入会したんだけど、ついでに拾ったこちらのドラマがめっけものだった。

スーサイドスクワットスピンオフになるんだが、笑えるわ暴力的だわ泣かせるわで三拍子そろった名作。

思い切り人を選ぶけどさすがジェームズ・ガンといった内容で個人的にはスーサイドスクワットより好きかもしれない。

他にもディズニープラスとかAppleTV+でなんか見てた気がするけど調べるの面倒になった。

今年の発見U-NEXTだったと思う。今までなんとなくイメージスルーしてたけど充実度はけっこうなものだ。

古い映画なんかもけっこう揃ってるので、旧作primeしょっちゅう入れ替わるアマプラよりいいかもしれない。

あと視聴頻度としてはネトフリが多いんだけど、小粒感があるというか来年はしばらく契約切ってみてもいいかもしれない。

正月休みに気になるのがあれば見てみてほしい。

2022-12-31

2022年は久しぶりに明るいニュースが多い一年だったよな

コロナが少しずつ収まってきたことも影響しているのか、昨年・一昨年と比べても世の中がかなり上向きになってきた。

来る2023年もこの調子で明るい一年になってほしい。

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